フッサール・データベースの現状報告

(注記: これは、『情報知識学会ニューズレター』(INFORMATION AND KNOWLEDGE NEWS) 36 [1996年2月発行]に掲載されたものです。)

 わたしがたずさわっている哲学の分野でも、機械可読な電子テキストとなった哲学の文献をさまざまなかたちで研究に利用しようとする動きが広まりつつある。それに伴い、電子テキストのデータベース化もさまざまな仕方で拡大・普及しつつある。ここでは、これらの動向を簡単に紹介し、その状況のなかで、わたしたちのグループが昨年春にインターネットを利用して公開したフッサール・データベースの現状について報告したい。

1.哲学における電子テキストの現状
2.フッサール・データベースの公開に至るまで
3.フッサール・データベースの利用法について
4.フッサール・データベースの公開方法について
5.フッサール・データベースの将来


1.哲学における電子テキストの現状


 現在、哲学文献の電子(フル)テキストはおよそ三つの方法で入手することができる。第一は、出版社等によってすでに市販されているCD-ROM(ないしフロッピー・ディスク)によるものである
(1) 。 これらにはたいてい、プレインテキストだけでなく、FolioVIEWS や WordCruncher といった検索ソフトが付いていて、さまざまな利用が可能になっている。第二は、インターネットによって公開されているものである(2) 。これらは、プレインテキストのみであるのが普通で、無料で入手できるが(インターネットに必要な費用は別にして)、校訂が信頼できるとは限らない言わば試作版であり、その点で市販されているCD-ROM版の方が信頼性は高い。第三は、世界の各所で研究者達によって制作されているデータベースである(3) 。このなかには、日本の研究者達によって構築されたものとして、デカルト、ヘーゲル、シェリングなどのテキスト・データベースがあり、研究者の間で利用されて来ている(4) 。 ここでは著作権問題をどうクリアするかが、重要な問題となろう(5)
 ところで、わたしが専門としているのは、哲学のなかでも、フッサールを創始者とする現象学という流れであるが、上記の三つの方法で入手できる電子テキストのどこを探しても、フッサールやハイデガー、サルトルやメルロ=ポンティといった現象学的哲学者の電子テキストは見当たらない(6) 。哲学研究者のなかでも現象学研究者の間ではコンピュータやインターネットへの関心が薄いということは、日本のみならず国際的な状況でもあるようで、この点では現象学研究の現状は遅れていると言わねばならない。このような状況のなかでわたしたちのグループによって構築され、昨年春に公開されるに至ったフッサール・データベースはその欠落の一端を埋めることになった(7) 。それは後述のように、残念ながらフルテキストのデータベースとしての公開とはならなかったが、それでも、日本でこれまで構築・利用されてきたデータベースよりも一層インターネットの利用に重心を置いているという点では、こうした動向の新しい可能性を示したものと言えよう。

2.フッサール・データベースの公開に至るまで


 フッサール・データベースも初めのねらいは、前述のような日本で先行する哲学分野のデータベースにならって、現象学的哲学の分野において同様のテキスト・データベースを構築したいというところにあった。とりわけフッサールのテキストについては、『フッサール全集』(Husserliana, Edmund Husserl Gesammelte Werke, Marinus Nijhoff, 1950ff., 現在は、Kluwer Academic Publishers)に収録されているものの多くが生前未公刊の草稿であり(断片的な作業草稿も多い)、さらに加えて、この『全集』には人名索引があっても(一部の例外を除き)語句索引がないといった理由から、とりわけデータベース化の必要性が痛感されていた。そこで、わたしたちは、将来的には『全集』全巻のテキスト・データベース化を目標にしつつも、とりあえず1994年度に五つの巻を完成させ、1995年度に新たな六つの巻へと作業を継続している(8)
 ところが、生のテキストそのものを公開することについては、残念ながら、『フッサール全集』の版権を持つ Kluwer Academic Publishers から、「CD-ROM化する計画があるので、公開を許可することはできない」との返事を受け取った(前述の著作権問題である)。そこで、わたしたちは、テキストをそのまま公開することは断念し、その代わり、作成したテキスト・データベースのなかで、わたしたちが厳選した400語について、検索ソフトを使って検索した結果のみを「フッサール・データベース」として公開することにした。その際、フロッピーによるデータ提供は原則的には行わず、インターネット(なかでも、もっとも初歩的な anonymous ftpの機能で、アドレスは、ftp.ipc.shizuoka.ac.jpの HUA)による公開に踏み切った。

3.フッサール・データベースの利用法について


 フッサール・データベースの利用法を簡単に紹介すれば、現在もっとも便利なのは WWWブラウザ の Netscape (最新ヴァージョンは、2.0b6a )を使うことである(9) 。これでftpの機能も利用できるので、open locationに前述のアドレスをftp://ftp.ipc.shizuoka.ac.jpと入れて頂ければ、anonymous ftpのディレクトリー名の一覧表に入り、そこにHUAというディレクトリーが見つかる。まずはreadme.doc等々の文書(「利用規程rules.doc」も含む)を読んで頂きたい。
 また、最近、静岡大学のホームページ(http://www.shizuoka.ac.jp/)からのリンクも張られたので、こちらだと一層利用しやすい。このホームページのなかの OrganizationからFaculities の Humanities and Social Sciences へと辿り、Department of Sociology(Japanese Versionでは社会学科のなかの人間学)とあるところの右にあるHusserl Database(フッサール・データベース)をクリックするとフッサール・データベースの最初のページに入ることができる(この記述はもう古い)。そこのgo to the Husserl Database(フッサールデータベースにすすむ)から、先のanonymous ftp のHUAというディレクトリーに入ってゆくことができる。利用した後は、最初のページに戻り、管理者(代表はわたし)の名前をクリックすると、わたし宛のメールを書くページとなるので、そこに利用した旨を規程にしたがって書き、送信して頂きたい。また、新しいデータについての要望があれば、このメールでその旨を申し出て頂ければ、出来る限り早急に対応することができる。
 前述のように、フッサール・データベースは、テキストそのもののデータベースではなく、わたしたちが厳選した400語(および語句)についての検索結果のデータベースである。具体的には、それぞれの語(句)の各巻における出現箇所を5桁の数字(初めの3桁が頁数、後の2桁が行数)で表したデータである(10) 。そのなかに、フッサールが或るタームを『全集』のどの巻のどの箇所でどういう脈絡で使っているのかを一挙に展望することができる。例えば、後期フッサールの中心概念の一つである"Lebenswelt"(生活世界)というタームを彼がいつから使い始め、どのような脈絡で使うようになったか、ということが一目瞭然となる。しかし、このデータベースが与えているのは、出現箇所を示す数字のみであるから、このデータベースは、利用者が『フッサール全集』のテキストそのものを手元に持っていることを前提している(これによって、著作権問題をいちおう避けていることになる)。

4.フッサール・データベースの公開方法について


 この公開方法には、もちろん、従来日本で制作されてきたデータベースの公開方法に比べてメリットもあれば、デメリットもある。テキストをそのまま検索ソフトとともに公開すれば、利用者が自分の関心に応じてテキストを利用できることは確かである。その点、わたしたちが細心にとはいえ任意に選んだ語句について検索した結果しか得られないことは、その利用価値を半減させると言われるかも知れない。しかし、テキストと検索ソフトを得られることは、いろいろな利用ができる反面、その利用にあたってはコンピュータのハードとソフトについてかなりの知識を必要とし、そのような知識をもった人にしか利用できない(テキスト配布に著作権の問題が生じることももちろんである)。その点、わたしたちのフッサール・データベースはそうした知識を必要とする作業はすでに済んでおり、作業の結果を容易に得ることができる。もちろん、インターネットを利用するのであるから、インターネットに接続されたコンピュータがあり、インターネット用のソフトを持っている必要があることは確かであるが、それだけあれば、98、DOS/V、Windows、Mac の違いを選ばず利用でき、MS-DOSや検索ソフトの難しいマニュアルを読みこなさなくとも、簡単な操作ですぐに検索結果を得ることができる。
 また、インターネットによる公開は、必要なデータを直ちに得られるというだけでなく、前述のように、新しいデータについての要望があれば、速やかに対応してデータを追加することができるというメリットもある。その点、検索結果のみの公開では単なるコンコルダンスに過ぎないと言う向きに対しては、印刷物のコンコルダンスに比べて大きな利点を持っていることを強調しておきたい。印刷物であればすでに出来上がって固定してしまったものであり、もし、これまで研究者が予想もしなかってようなアイデアでそのテキストを読みたいと考え、これまで注目されて来なかったようなタームについて調べたいと思っても、そのタームが掲載されていなかったら、それ以上どうしようもない。しかし、わたしたちのデータベースでは、その要求を申し出ていただければ、データを追加することができる。その意味で、利用者からの要求によって増殖する生けるコンコルダンス、利用者も制作に関わることのできるコンコルダンスなのである(11)

5.フッサール・データベースの将来


 このような作業が進行するなかで、メキシコのジリオン氏(Mtro. Antonio Zirion Quijano, Universidad Nacional Autnoma de Mxico)が、わたしたちとは異なる目的においてではあるが、同じようにフッサールのテキストの機械可読化の作業をしていることが分かった。そこで、連絡を取り合って、共同作業の可能性について模索を始めた(12)
 そんななか、昨年9月末、ドイツのフライブルクで開催された小さな学会(13) で、フッサール・データベースについて、"Ein japanisches Projekt: Husserl in Database"と題して報告する機会を得た。イタリア、スペイン、ロシア、メキシコそしてドイツの研究者達からも大きな関心が寄せられた。ジリオン氏も、この学会に参加・発表したので、お互いに双方の作業についての情報を交換することができた(14)
 また、彼とともに、フライブルクに発つに先立って Kluwer 社に依頼をしたところ、担当者がフライブルクに来てくれることになり、三者で会談する機会をもった。その際、版権問題とともに、今後の協力可能性についても、お互いの情報を交換することができた。メールを交換し始めた時のKluwer 社の対応は、「テキストを公開してはならない」さらには「スキャンすること自体が公的には違法である」という、版権を主張するだけのものだったが、この会談においては、むしろ、版権問題には直接触れないままで、ジリオン氏とわたしたちと協力して、Kluwer 社のHUSSERL ON CD-ROM の企画を具体化する方向へと歩み始める姿勢を示した。まだまだ企画の段階であるが、SGMLのタグ付けされたテキストでとりあえず第1〜5巻を制作するという案が練られているところである。
 わたしたちのフッサール・データベース制作作業のうち、少なくともその第一段階のテキスト・データベース構築の作業は、将来的にはKluwer 社のHUSSERL ON CD-ROM の企画へと統合されていくことになるのかも知れない。もちろん、その際、研究者であるユーザーの側から、利用法や検索法についての要望を出すに当たって、フッサール・データベースは一つのサンプルを提供することができるであろう。第一段階のテキスト・データベース構築の作業は、出版社が引き受けてくれるようであれば、それはむしろ喜ばしいことと言わねばならない。そのとき、フッサール・データベースは、利潤を追求する出版社がまだまだ着手する勇気のない事業に研究者として取り組み、研究者はこういうデータを欲しがっているというサンプルを示し、それによって出版社のニーズ調査にも答え、出版社がその事業に乗り出す動機を与える、それまでの過渡的な性格をもつものと位置づけられるかも知れない。それならそれでいい、わたしたちのフッサール・データベースもそれなりの役割を果たしたことになる、とわたしは思っている。将来的には、電子テキストの制作が出版社の事業の一つとなって行く(行かざるをえない)ことは確かであろう。
 将来がどうなるかはまだまだ明らかではないにしても、上述のような共同作業の可能性は、フッサール・データベースの将来に明るい光を投げ掛けてくれるものであろう。フッサール・データベースは、わたしたちのグループだけでなく、日本の更には世界の研究者達の共同作業によって作られる共有財産だ、と思っている。わたしたちは、コンピュータ操作、データベース作成、インターネット、著作権問題のいずれについても、専門家では決してなく、まったくの素人集団である。同じような作業に関与しおられる方、あるいは、それぞれのことについて精通しておられる方が、情報知識学会の会員の方々にも、沢山いらしゃることと思う。会員の皆様にも、助言・意見・援助を仰ぎたい(15)


(1)これには、InteLex 社で出している PAST MASTERS シリーズに収められたPlato: The Collected Dialogues (Greek and English), Hobbes (English Works), Lock-Berkeley-Hume, The Utilitarians, Kierkegaard: Selected Vaerker (in Danish), Wittgenstein: The Published Works, etc. やWalter de Gruyter社で出している Friedrich Nietzsche: Historisch-Kritische Ausgabe、そして、これは出版社ではないが、ボン大学の Institut fuer Angewandte, Kommunikations und Sprachforschungで制作され市販されている Kant: Akademie-Ausgabe 、などがある。(戻る)
(2)例えば、"gopher://philosophy.cwis.uci.edu.:7016/11/res/etxt/phil"に登録されている電子テキストのうち、主なものだけを拾うと、Augustine, Aristoteles, Bacon, Berkeley, Confucius, Epictetus, Hobbes, Kant, Leibnitz, Locke,Machiavelli, Marx and Engels, Mill, Nietzsche, Pascal, Plato, Plotinus, Rousseau, Voltaire, Wittgensteinなどの著作(ただし一部の著作のみで、また、英語以外のテキストは英訳のみの場合がほとんど)がある。別に機会があれば、インターネット上の哲学関係のサーバーについて、もう少し詳しく報告したいと考えている。(戻る)
(3)これらについての情報は、"Electronic Texts in Philosophy" (3/ed. March 1994, originally compiled by Leslie Burkholder, revised and updated by Eriv Palmer) に纏められているので、参照されたい。(戻る)
(4)これらについても、前注のデータに連絡先等が記載されているので、参照されたい。(戻る)
(5)この問題は、情報知識学会の会員の方々にはよく知られていると思うが、とりあえず、長瀬真理「研究用データベースの著作権と流通慣行」(『人文学とコンピュータ』No.5、1994年6月)を参照されたい。(戻る)
(6)例外として、サルトルの"L'Existentialisme est un Humanisme"とメルロ=ポンティの"Phenomenologie de la Perception" がともに ARTFL(Project for American and French Research on the Treasury of the French Language,University of Chicago)に保存されているが、これには利用制限がついている(詳しくは、同サーバーにアクセスして見られたい)。(戻る)
(7)わたしを代表者として、谷徹、貫成人、榊原哲也、和田渡、水谷雅彦を共同研究者とするわたしたちのグループは、1994年度に科学研究費研究成果公開促進費(データベース)の援助を受けて公開に至り、1995年度も同援助を受けて作業を継続している。(戻る)
(8)その内訳はそれぞれ、1994年度が『フッサール全集』の第11・13・14・15・16巻、1995年度は第21・22・23・25・27・29巻である。(戻る)
(9)以前は、もっともシンプルなDOS マシンを使った説明(拙稿「フッサール・データベースについて」静岡大学『人文論集』第46号の1、1995年7月)と、WWW についても静岡大学のホームページからAnonymous-FTP Server をクリックして行く説明(拙稿「インターネットによるフッサール・データベースの公開」『現象学年報11』近刊)をしておいたが、これらの古い方法でももちろん同様にアクセスできる。(戻る)
(10)サンプルとして、第15巻で"Einfuehlung"(感情移入または自己移入)を_einfuehlung*(_は、大文字・小文字を区別しないで拾う機能、*は、前方一致で拾う機能)で検索した結果の一部を示しておく。
# 82:S: 285 items _einfuehlung* --- I --- Nr.1 00526 01107 01232 01234 01236 01832 Nr.2 02601 02608 02932 03024 03106 03107 03111 03118 03127 03205 03318 03324 03327(戻る)

(11)いまわたしにはその知識がないが、将来的には、利用者が応答型の検索ソフトをリモート・ログインして自由に検索できるようにすることも考えている。(戻る)
(12)彼が企画しているのはHusserl Dictionary(重要なタームについて、そのタームが使われる重要な箇所を集めながら、解説を加えたもの)で、読み取りの作業を既に『フッサール全集』の第1〜6・10・17・18・19巻について終え(巻によっては部分的)、校正の作業を継続している。将来可能になるかも知れない共同作業を見越して、重複した作業にならないように、彼が手をつけていないテキストをわたしたちが着手しており、双方のデータを合わせるとほとんど『全集』の大半を覆うことになる。(戻る)
(13)INTAS (International Association for the Promotion of Cooperation with Scientists from the Independent States of the Former Soviet Union)というプロジェクトの一環として開催された"Uebersetzung von Husserl und Heidegger ins Russische"という学会で、フッサールやハイデガーのテキストをロシア語へ翻訳するにあたっての問題を中心にしながら、様々な言語への翻訳の問題や、彼らに固有なターミノロジーの問題、辞書・事典の企画といった話の脈絡でフッサール・データベースの企画についても紹介が依頼された次第である。(戻る)
(14)以下に述べるKluwer 社との交渉があるので、テキスト・データそのものの交換は控えている。そこではデモンストレーションしてもらっただけであるが、Nota Beneというソフトを使って制作された彼のテキスト・データベースは、未完成ではあるが、初歩的であれハイパー・テキスト的な性格も持ち、なかなかの出来であった。(戻る)
(15)ご連絡は、E-mail: jsshama@hss.shizuoka.ac.jp;Tel: 054-238-4488 ;Fax: 054-238-1803 まで。(本文冒頭に戻る)

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