インターネットによるフッサール・データベースの公開

浜渦 辰二静岡大学人文学部

(注記: これは、日本現象学会編『現象学年報11』[1996年1月発行]に掲載されたものです。)

 日本の三大新聞各紙がすでにインターネットで新聞記事を公開しているのは御存知のことと思う。毎朝、新聞が配達される頃には、インターネットでもその日の記事を読むことができる。もちろん、インターネット・ヴァージョンとして編集し直されており、配達される新聞紙上のすべての記事が載っているわけではないので、これによって新聞を講読する必要がなくなるとは思えない。しかし、インターネットによる新聞情報の公開は、紙による公開とは異なる多くの利点をもっていることも確かである。例えば、三大新聞のトップ記事を比較するなんてことは、三紙とも予約講読している人を除けば、これまでは図書館にでも行ってするしかなかったが、それが簡単にできる。インターネット版のニュース速報やヘッドラインニュースのような短い記事は一時間おきくらいに更新されるので、新聞より情報が早い。何より、インターネット網は世界に広がっており、海外からも瞬時にアクセスできる。阪神大震災の時の映像を海外に向けて最初に発信したのはインターネットであったことは、インターネットの名を一躍有名にした。もちろん海外からアクセスする場合、日本語フォントを持っていないと日本語を表示できないが、前述の各紙は英語版も公開しているので、これであれば海外からでも難無く、しかも、その日の記事を読むことができる。これは私たちが海外に行った場合に利用できるだけでなく、海外の人達が極東の国・日本の新聞を容易に読むことができるわけで、それは情報発信型の文化を作っていく上で大いに役立つであろう。
 また、同じことは日本だけでなく世界各国で進行しているので、逆に日本から世界中の新聞にアクセスすることができる。私が関心をもっている国・ドイツのことだけ少し紹介しておけば、ドイツでもすでにいくつかの新聞と雑誌がインターネット版を公開している。私の知る限りでも、(a)七つの日刊紙、(b)二つの週刊紙、(c)最も有名な総合報道週刊誌がこのサービスを行っている(1) 。 私はかつてドイツ人の先生と共同出資でドイツの日刊紙を航空便で予約講読していたことがあったが、早くても一週間遅れでしか読めなかった。それが今や即日のうちにドイツの新聞記事を読むことができる(ドイツ語表示も可能であるが、ここでもすべての記事が載っているわけではないことはお断りしておく)。日々ドイツの最新情報を得られるのは、ドイツに縁の多い私にとって嬉しいことである。海外の最新情報であれば、今やテレビの衛星放送があり、ドイツのニュースもやっているからそれで間に合うのではないか、と言われるかも知れない。しかし、テレビのように決められたニュースの時間と違って、いつでも見たい時に見ることができるし、更に決定的な利点として、インターネットが提供してくれる情報は自分のコンピュータに取り込み保存することができ、それを後で自分なりに利用することができる(もちろん、著作権の問題を考慮しなければならない)。新聞記事を引用するのにペーパーを見ながら打ち直す必要はなく、取り込んだデータをそのまま自分のコンピュータで使うことができるのである。
 さて、このようなインターネットが哲学研究者にとって何の役に立つのかについては、すでに山田友幸氏による紹介(2) があるので、概略についてはそれを参照していただくことにして、ここでは改めて強調しておきたい点だけをいくつか述べることにする。まず第一に、哲学の雑誌にもすでにインターネットで公開されているものがある(3)。これらについても、論文を画面で読むだけでなく、自分のコンピュータに取り込み保存でき、必要ならプリントアウトもでき、その論文から引用するのにデータがそのまま使える。なかには、バックナンバーが保存されているものもある。第二に挙げるべきは、電子メールである。これは、従来のパソコン通信と基本的には変わらないが、インターネットがパソコン通信網を一挙に拡大してくれたことは確かである。ファックスで手紙をやりとりするのとどう違うのかを言えば、電子メールの有効性は明らかであろう。ファックスで手紙を送る場合、一度プリント・アウトしなければならないが、電子メールであればその必要はない。パソコン画面で打ったテキストをそのままボタン一つで送信できる。受け取るのにも、紙はいらないし、夜中に届いても起こされることはない。特に海外の研究者と電子メールのやりとりをするには、時間差があるというのが却って都合がよい。それに加えて、向こうから送ってきた手紙の内容あるいは役に立つデータをそのままこちらのコンピュータで自分の文章のなかに使うことができる(ファックスであれば、こちらで打ち直さねばならない)。往復書簡をすべてハードディスクやフロッピーに保存しておくこともできる。これは快適である。
 第三に挙げたいのは、電子テキストである。哲学者の著作がコンピュータで読むことができるデータとしてあちこちに保存されており、これらのテキスト・データをインターネットを使って取り込むことができる。取り込んだテキストは、検索をしたり、ノート作成や引用に使ったり、自由に加工することができる。これまでに公開されている哲学者のテキストには、主なものだけ挙げれば、プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、モンテーニュ、ベーコン、ホッブス、デカルト、パスカル、ロック、ヒューム、バークリ、ライプニッツ、ルソー、カント、ミル、マルクス・エンゲルス、ニーチェ、パース、ジェイムズ、ウィトゲンシュタインなど(ただし、一部の著作である場合が多く、また英語以外のテキストは英訳のみの場合が多い)。もちろん、これらの哲学者のテキストのなかには、すでにCD−ROM版が市販されているものもある(Past Masters Series には、プラトン、アリストテレス、トマス、キルケゴール、ニーチェ、ウィトゲンシュタインなどの原語のテキストがほとんど全集版として収められているし、別に、カントのアカデミー版全集もある(4) )。ただ、インターネットを通じて入手できるテキストは無料ではあるが、校訂がきちんとしたものでない場合がほとんどの言わば試用版のようなものであり、その点、市販されているCD−ROM版の方が信頼性は遥かに高い。CD−ROM版とインターネット版と両方あるようであれば、研究者としては信頼性の高いCD−ROM版を使うべきであることは確かであるが、インターネット版しかない場合、たとえそれが「試用版」とは言え、ゼロから自分で作ることを思えば、遥かに手間を省くことはできる。
 さて、電子テキストについては、以上に述べたインターネットで公開されているものともCD−ROMで市販されているものとも別に、日本の研究者によって十年程前からデカルト、カント、ヘーゲル、シェリング、ウィトゲンシュタインのテキスト・データベースが蓄積され、研究者の間で利用されてきている。ところが、これまで挙げた哲学者の名前のなかにフッサールやハイデガーの名前が見当たらなかったことからも分かるように、フッサールやハイデガーの著作は、インターネットで公開されたものも(英訳すら)なければ、CD−ROM化されたものもないばかりでなく、研究者達によるこのような独自の試みすらなされて来なかった。版権のすでに切れている版がある哲学者の著作と違って、まだ版権の問題が残っているフッサールやハイデガーの著作を扱わねばならないという事情があるとはいえ、現象学研究の現状は、この点では遅れていると言わねばならない。ここに、私たち「フッサール・データベース作成委員会」(5)によって構築され、今春に公開されるに至ったフッサール・データベース(後述のように、テキストそのものではなく検索結果のデータベースである)はその欠落の一端を埋めることになった。しかも、前述のような先行するデータベースよりも一層、いま最先端のメディアとして注目を集めているインターネットに重心を置くものとして、フッサール・データベースはこのような動向を一歩進めたものと言える。
 フッサールのテキストについては、『フッサール全集』に収録されているものの多くが生前未公刊の草稿であり、講義草稿のようにフッサール自身によって或る程度秩序づけられたもののほかに、編者によってそれなりに秩序づけられているとはいえ、本来はまったく断片的な作業草稿を集めたものもあり、さらに加えて、この『フッサール全集』には人名索引があっても語句索引がない(6) といった理由から、とりわけデータベース化の必要性が痛切に感じられてきた。そこで私たちは、将来的には『フッサール全集』全巻のテキスト・データベース化を目標にしつつも、とりあえず初年度(平成六年度)は、特にその必要を感じている五つの卷について、入力、校正、編集を行うことにした(7)
しかし、テキストをそのまま公開することについては、残念ながら、『フッサール全集』の版権をもつ Kluwer Academic Publishers から、「CD−ROM化する計画があるので、公開を許可することはできない」との返事を受け取り、私たちは、テキスト・データベースを生のかたちで公開することは断念し、その代わり、作成したテキスト・データベースのなかで、私たちが厳選した400語について、検索ソフトを使って検索した結果を「フッサール・データベース」として公開することにした。その際、フロッピーによるデータ提供は原則的には行わず、インターネット(なかでも、もっとも初歩的な anonymous ftpの機能) による公開に踏み切った。この公開方法には、もちろん、従来日本で作られてきたデータベースの公開方法に比べてメリットもあればデメリットもあるが、少なくともコンピュータについての素人でも、インターネットに接続されたコンピュータ(98・Mac・DOS/V・Windowsのいずれでもよい)と専用のソフトさえあれば簡単に利用できる、というメリットはあることは確かである(8)
 利用方法について簡単に述べておけば、データは、静岡大学情報処理センターの大型計算機の anonymous ftp (アドレスは、ftp.ipc.shizuoka.ac.jp)の HUAというディレクトリーに登録されているので、インターネットを利用してアクセスし、必要なデータを引き出すことができる(9) 。アクセスするための特別なユーザー登録は必要ないし、その他の利用資格や利用制限も一切ない。ただ、データを引き出した際には、その旨(氏名、所属、連絡先、引き出したデータ)をかならず当委員会に報告していただきたい(代表筆者 E-mail: jsshama@hss.shizuoka.ac.jp、Fax:054-238-1803、Tel:054-238-4488)。
 このフッサール・データベースは結局のところ、いわゆるコンコルダンスに過ぎないと言われるかも知れない。確かに、或る意味ではそうであるが、印刷物のコンコルダンスに比べて大きな利点をもっていることは強調しておきたい。つまり、印刷物のコンコルダンスはすでに出来上がって固定してしまったものである。例えば、もし、これまで研究者が予想もしなかったようなアイデアでそのテキストを読みたいと考え、これまで注目されて来なかったようなタームについて調べたいと思っても、そのコンコルダンスにそのタームが掲載されていなかったら、そこで万事休す、それ以上どうしようもない。しかし、私たちのフッサール・データベースであれば、その要求を申し出て頂ければ、データを付け加えることができる。その意味で、増殖する生けるコンコルダンスと呼んでもよい。これは今のところ私たちのアフターサービスに依るものであるが、将来的には、大型計算機のレベルで、利用者が応答型の検索ソフトをリモート・ログインして自由に検索できるようになればいい、と考えている。
 ところで、先日(1995年9月末)フライブルクで開催された小さな学会で、このフッサール・データベースについて、"Ein japanisches Projekt: Husserl in Database"と題して報告してきた。イタリア、スペイン、ロシア、メキシコなど世界各国から参加していたフッサール研究者から、またドイツの研究者達からも大きな関心が寄せられた。私たちのデータベース作成の過程において、メキシコの研究者が、私たちとはまったく異なる目的においてではあるが、同じようにフッサールのテキストの機械可読化の作業をしていることが分かったが、その彼も、このフライブルクの学会に参加・発表したので、お互いに双方の作業についての情報を交換することができた。また、彼とともに、 Kluwer 社の担当者にフライブルクに来てもらって会談の機会をもち、版権問題とともに(10)、 Kluwer 社の「フッサーリアーナCD−ROM化計画」への協力可能性についてもお互いの情報を交換することができた。これらの交流は、私たちのフッサール・データベースの将来に明るい光を投げ掛けてくれるであろう。
 フッサール・データベースの将来について言えば、これはあくまで、私たちのグループだけでなく、日本の更には世界のフッサール研究者達の共同作業によって作られる共有財産だ、と思っている。私たち自身、決してコンピュータ操作、データベース作成、インターネット、著作権問題のそれぞれについて専門家ではなく、まったくの素人集団である。こうしたことについて、私たちより詳しい方々があちこちにおられるのではないかと思う。あらゆる助言・要望・意見・援助はすべて大歓迎である。思えば、「哲学は私的な事柄ではなく、哲学者達の作業共同体においてのみ無限の前進において実現されることができる」(Husserliana Bd.VI, S.439) と述べたのは、フッサールであった。


(1)それぞれ、(a)Rhein-Zeitung, Saarbruecker Zeitung, Tagesspiegel, Morgenpost, die Tageszeitung, Nuernberger Nachrichten, Schweriner Volkszeitung、(b) Die Welt , Wochenpost、(c)Der Spiegelである。(戻る)
(2)山田友幸「研究環境としてのインターネット -- 哲学の場合 --」(『情況』1995年4月)。(戻る)
(3)The Electronic Journal of Analytic Philosophy, Metaphysical Review, TABULA RASA 等。(戻る)
(4)詳しくは、佐藤労「カント・テキスト・データベース 試用記」(『現代カント研究4 自然哲学とその射程』晃洋書房、1993年)を参照。(戻る)
(5)文部省対策として付けられた大仰な名前であるが、筆者を代表として、ほかに谷徹、貫成人、榊原哲也を共同研究者とする私たちは、平成6年度科学研究費研究成果促進費(データベース)の援助を受けて今春フッサール・データベースの公開に至った。また、平成7年度も継続援助を受けることになり、渡独した榊原に代えて和田渡、水谷雅彦をメンバーに加えて、新たな5巻分に着手している。(戻る)
(6)例外として、『イデーンI』に収録された Walter 版と Landgrebe版の Sachregister 、および、24、25、27の各巻に付けられたささやかな Sachregister がある。また、E. Stroeker編集の9巻本(Edmund Husserl Gesammelte Schriften, Felix Meiner, 1992) の最終巻に Sachregister が付けられており、不充分なものとはいえ、これらの卷については或る程度の検索作業が可能となっている。しかし、そこに収録されたのは(講義録『第一哲学』を除いて)生前出版された著作で、その意味ではフッサール自身によって体系づけられたものばかりである。ところが、生前未公刊の体系づけられていない断片的な草稿こそ、すなわち、この9巻本に収録されなかったテキストこそ、テキスト・データベース化される必要が痛感させられるのである。(戻る)
(7)私たちが選んだのは、『フッサール全集』の第13〜15巻(『間主観性の現象学』全3卷)と第11卷の『受動的綜合の分析』、第16巻の『物と空間』の計五巻であった。(戻る)
(8)この点、および、以下についても詳細は、拙稿「フッサール・データベースについて」(静岡大学人文学部『人文論集』1995年7月)を参照されたい。(戻る)
(9)前掲拙稿では、もっともシンプルなDOSマシンでの接続方法を記しておいた(実際、私自身一年前はこの方法を使っていた)が、今ではWWW-ViewerであるNetscapeを使えば、遥かに快適にアクセスできる。前述のアドレスを使って open locationに ftp://ftp.ipc.shizuoka.ac.jpと入れてもよいし、静岡大学のホームページ(http://www.shizuoka.ac.jp) の Anonymous-FTP server の所をクリックしてもらってもよい。(戻る)
(10)Kluwer社としては、これまで私たちが公開しているものに関しては何の問題もないが、テキストそのものについては、インターネットによる公開はもちろん、フロッピーによる研究者間での無料頒布についても否定的な態度で回答を保留した。「テキスト・データベースがあると相乗作用で本も売れる」と寛容な態度を示す出版社もあるようであるが、基本的には、「研究者であっても、著作権第四七条で定められているコンピュータで利用するため必要と認められている限度以上の複製は許されていない。即ちバックアップ程度の複製が許されるだけで、多くても二−三部に止めなければならない」ということについては、長瀬真理「研究用データベースの著作権と流通慣行」(平成6年度科学研究費助成金(一般研究B)研究成果報告書『「源氏物語」ハイパーテキストの作成と教育利用の為の基礎的研究』平成7年3月、所収)を参照。(戻る)

ホームページに戻る