『ケアの人間学』

──合同研究会要旨集──
No.1



「ケアの人間学」合同研究会の2年間の活動の記録として、このたび、本誌を発行いたしました。以下は、その「まえがき」として書いた文章です。
表紙と目次のみ、PDFファイルとして公開しています。(2004年3月1日)

まえがき

 人間はケアする(しあう)存在だと言われます。つまり、ケアするということは、人間にとって本質的な行為だというのです。ここで、「ケア」というのは、狭い意味での「看護」のみならず、もっと広く「介護」「世話」「配慮」「気づかい」をも含む意味で使っています。それは、「お肌のケア」から始まって、「魂の世話」(プラトン)まで広がっていると言ってもよいでしょう。「人間とは何か」を考えるにあたって、この広い意味での「ケア」ということから見ていけば視界が開けてくるのではないか。これが、「ケアの人間学」の基本的な出発点でした。

 かつて放映されたテレビ番組NHKスペシャル「脳と心」(1995年)によれば、イラクのシャニダール遺跡で発掘されたネアンデルタール人の遺骨から、彼らは仲間の死を悼んで、死者に花を手向けて埋葬したと言われ、「死の認識」をきっかけに人間らしい心の芽生えがあったと言われています。同じ遺跡から見つかったもう一つの遺骨は、片腕を亡くした人が、仲間から食料を分けてもらって生き続けた形跡があり、「福祉の心」の始まりとも言われています。ところが、最近の報告では、そこからさらに14万年も前に遡って、「高齢者のケア」がすでに行われていたという説もあります。仏南部の遺跡で見つかった40-50歳代の人骨の分析から推定されたことで、「すべての歯を失い、食べられなくなった人を周囲が世話をしていた」というのです(村松静子「起業家ナースのつぶやき」)。ヒトは、ホモ・サピエンス(知恵ある動物)となるよりも前に、「ケアする(しあう)ヒト」として人になったと言うべきでしょうか。

 あるいは、現代ドイツを代表する哲学者ハイデガーは、代表作『存在と時間』のなかで、人間を「現存在」と呼び、その「世界内存在」というありかたを"Sorge"として分析しました。"Sorge"は、日本語では、「関心」とか「気遣い」とか訳されますが、英語では"care"で訳されるのがふつうです。そこから、シモーヌ・ローチは、「ケアすることは人間の存在様式だ」という考えをハイデガーに帰するところから、ケアリングの理論を展開しています(『アクト・オブ・ケアリング──ケアする存在としての人間』)。ここにも、「ケアの人間学」への入り口がありそうです。

 他方、ケアの一場面としての看護の場へと目を転じてみましょう。医療・看護の場においては、「医師中心の医療」(パターナリズム)から「患者中心の医療」(インフォームド・コンセント)への転換が促されてきており、最先端医療の発達のなかで、キュアよりもケアを重視しようという傾向が現れてきています。それとともに、ケアのカバーすべき範囲は広がり、WHOの「健康」の定義でも、「健康」というのは、単に「身体的」によい状態(well-being)にあることだけでなく、「心理的(精神的)」「社会的」によい状態をも意味し、さらに場合によっては、「スピリチュアル」によい状態をも含むことになり、それに対応してケアもまた、このような多面的次元を必要とすると考えられるようになってきています。つまり、ケアは、患者の臓器(患部)だけを見るのではなく、患者の人格としての多次元的全体を見るような、「全人的(トータル)ケア」が必要だということになります。現代の看護の現場では、そのような意味での「ヒューマン(人間的)ケア」が要求されているわけです。

 以上のような、人間学(あるいは、その周りの心理学や社会学)という関心からケアに向かってきた人たちと、看護の臨床(あるいは、看護教育)からヒューマン・ケアに関心を向けてきた人たちが、ここ「ケアの人間学」合同研究会という場で出会うことになりました。具体的には、一方の、静岡大学人文学部の人間学、心理学、社会学の教員スタッフと、他方の、静岡市立看護専門学校(その後、静岡市立静岡看護専門学校)の教員スタッフおよび、つながりをもつ現場の看護師の方々とが、2002年5月から始めたのが、「ケアの人間学」共同研究会でした。前者の人間学(心理学、社会学)側からの発表と、後者の看護(臨床、教育)側からの発表とを、毎回組み合わせる形での研究会が、2003年12月6日の第7回まで続いてきました(本誌末尾の「合同研究会の記録」を参照ください)。

 静岡大学側のスタッフでは、この合同研究会が始まる前に、2000~2001年度に、科学研究費による共同研究「いのちとこころに関わる現代の諸問題の現場に臨む臨床人間学の方法論的構築」(基盤研究C-2:課題番号12610037)の活動を行い、2002年2月には、『研究成果報告書』を発表しましたが、その報告書のなかにも、この共同研究の継続の方向として、「ケアの人間学」というアイデアが提出されていました。また、この間に、静岡大学大学院人文社会科学研究科では、2003年4月より、臨床人間科学専攻がスタートし、合同研究会のメンバーも、そのなかの「ヒューマン・ケア学」を担当することになり、新入学の院生を迎えて、一緒にこの研究会に参加するようになりました。さらに、静岡大学側スタッフが2003年度からの3カ年プロジェクトとして申し込んでいた科学研究費による共同研究「生命ケアの比較文化論的研究とその成果に基づく情報の集積と発信」(基盤研B-2:課題番号15320002)が採択され、この合同研究会も、その活動の一環として位置づけられることになりました。そこで、この科研費補助金の一部を利用して、第8~10回の合同研究会を講演会として企画し、講師の方を三人お招きするとともに、この2年間の共同研究会の記録を、『要旨集』という形でまとめるということになりました。以上が、本誌を発行するに至った経緯です。

本誌末の記録にもありますように、これから、第9回第10回の研究会が講演会として予定されています。第8回研究会の講演会が大変好評だったおかげで、続く2回の講演会への期待も高まっています。また、そのあとに続く研究会の企画も練り始めたところです。本誌は、2年間の合同研究会の記録でありますが、「No.1」と銘打ち、このあとに「No.2」「No.3」……と続いていくことを期待しています。今後の研究会のますますの充実のために、皆さまのご協力をお願いする次第です。

 最先端医療技術がますます進歩しながらも「いのち」のあり方が問われるなかで、と同時に、「こころの時代」と言われながらも多くのこころの病が問題になっているなかで、いままさに、「ケアの人間学」が重要な現代の課題となってきていると痛感しています。私たちの活動に寄せられる期待は大きいと言ってよいでしょう。

「ケアの人間学」合同研究会幹事)