他者と異文化―フッサール間主観性の現象学の一側面―

浜渦 辰二(静岡大学人文学部)

(注記: これは、『哲学年報』(九州大学文学部紀要)第49輯[1990年3月30日発行]に掲載されたものです。)


はじめに


 〈他者〉の問題(あるいは、フッサールがその問題の核心として考えていたもの)と「他人の心」の問題(あるいは、英米の哲学でしばしばそういう表題のもとに議論されているもの)とは、なんらかの平行関係があるとはいえ、どこかで微妙にズレているのではないか。―――これは、筆者がこの間、フッサールにおける他者と間主観性の問題を論じる(1) 一方で、英米の哲学の議論にもわずかながら眼を配って来た(2) 際、絶えず感じていたことである。フッサールは現象学的心理学と超越論的現象学の間には「或る奇妙な一貫した平行関係」があるとともに、或る「微妙な差異」があり、この「微妙な差異」こそ哲学にとって決定的だ、と語っていた(V.146ff.)(3) が、この両者の関係にも似て、〈他者〉の問題と「他人の心」の問題との間にある「微妙な差異」は哲学にとって重要だと筆者には思われた(4) 。そこで、小論においては、〈他者〉の問題は異文化の問題と類比的に考えられることを手掛かりにすることによって、換言すれば、「異文化」の問題がしばしば「他者」の問題と類比的に語られているが(5) 、それが類比的なのは「他人の心」の問題に対してではなく、まさに〈他者〉の問題に対してであるということを手掛かりにすることによって、「他人の心」の問題と〈他者〉の問題との間に横たわる「微妙な差異」をわずかなりとも明らかにしたいと思う。


一、「驚き」についての予備的考察



 哲学の始まりには「驚き(thaumazein)」があった、と言われる。プラトンの哲学とアリストテレスの哲学には容易に架橋することのできない断層がある(6) にもかかわらず、二人が口をそろえて、「驚き」こそ「哲学する(知を愛し求める)ことの始まり」であると述べていることは興味深い(7) 。しかし、「驚き」から始められた二人の哲学の営みが、やがて袂を分かつことを思うとき、二人が念頭に置いていた「驚き」には初めから何らかの質的な違いがあったのかも知れない。この点はいまは置いておこう。
 アリストテレスによって学問の分類か行われる以前の古代ギリシアにおいては、哲学(Philosophie)と学問(Wissenschaft)の区別はなく、「哲学の始まり」は同時に「学問の始まり」でもあった。その広い意味での哲学=学問の始まりは、『ヘラクレイトス、パルメニデス、及び、哲学と学問の始まり』(8) の著者クラウス・ヘルトによれば、イオニアのヘカタイオス及びヘロドトスにおける「ヒストリア(istoria)」の精神のうち見出される(9) 。ギリシア本土から離れた植民地イオニアは交易の中心地として様々な異民族と異文化の出会いの場所となっていたであろうが、そのような地に生まれたヘカタイオスは、珍しいもの・目新しいものに驚きの目を向け、旺盛な好奇心をもって、「あくなき地理学的民族学的関心をもやしつつ」旅行し、「ひろく異国と異民族に関する豊富な経験的知識を集めた」が、このような彼の仕事がヘロドトスの歴史書の先駆となった(10)、と言われる。このような「ヒストリア」の精神こそ、広い意味での哲学=学問の始まりだったのである。
 しかし、既にヘラクレイトスは、こうした収集の努力を単なる「博識(多くのものを知ろうとすること)」として下位に置き、「博識は精神(nous)を教えるものではない」と批判している(11)。その意味では、やはり、タレスこそ本来的な意味での「哲学の祖」とアリストテレスが考えた(12)のも、謂なきことではなかろう。というのも彼が「万物のアルケー(arche)」は「水」であると語ったのは、多くのものを知ろうとするのではなく、むしろただ一つのものを知ろうとして、すなわち、多くのものの根底には一つのものがあるとして、まさにその一つのものに魅せられてであったからである。ヘカタイオスには、〈見知らぬもの=異他(フレムトfremd)なもの〉への驚きがあったが、それは様々なものがあるという〈多〉への驚きでもあったのに対して、タレスにはまた別の驚きが、すなわち、様々な装いをもって現れるものどもの根底には実は一つのものがあるという驚きがあった。それは〈一〉への驚きと呼ぶことができるかも知れない。しかし勿論、この驚きは、多くのものと並んであるような一つのものではなく、すべてのものの根底にある〈一〉としてすべてのものに向かっている。それは、全体のなかの一部に関わる驚きではなく、まさに〈全体〉に関わるような驚きなのである。このような驚きが、もう一方において、哲学=学問の始まりにあったのである。
 タレスの「驚き」には、もう一つの含蓄があることを付け加えておかねばなるまい。人々はふつう日常的に〈多〉だと思っているが、実は、それらは根底において〈一〉なのである、ということもそこには含まれているだろう。それは、日頃日常生活のなかではそれが当たり前と思っていた〈多〉なるものが、突然、眼から鱗が落ちるように〈一〉なるものとして現れてくる、そのように日常的自然的な思いが覆されるような驚きである。日頃当たり前と思っていたことが、突然、不思議になる。プラトンが「存在」について(13)、アウグスティヌスが「時間」についてそう嘆いたように(14)、知っていると思っていたのに、改めて尋ねられると知っていないということに気付き、驚かされる。日常的に生活している時には何も疑問を抱かず、むしろ、その上に立って様々な作業をしていた、まさにその土台が、突然、疑問になって来て、足下がぐらついて来る。このような事態もまた、哲学の始まりにあったと言われる「驚き」を特徴づけるものであろう。
 さて、整理すると、哲学(=学問)の始まりにあった驚きは次のような三つの性格を併せ持っていたと言えよう。―――
 ①〈フレムトなもの〉への驚き=〈多〉への驚き
 ②〈一〉への驚き=〈全体〉に関わる驚き
 ③日常的・自然的な思いが覆される驚き
 アリストテレスは哲学の始まりには驚きがあるのは、「今日でもそうであるが、あの最初の場合にも」と述べている。現代の我々においてもおそらくそうであろうが、我々が日常生活のなかでこのような「驚き」を感じ、「哲学の始まり」に立ち会うのは、きわめて稀であろう。しかし、我々は日常生活の延長のなかで、この〈哲学の始まりにあった驚き〉と類似した驚きに少し別の場面で出会うことがあるように思われる。それは、例えば我々が外国に住んでみて、母国にいた時には予想もしなかったような異文化に触れ、「カルチャーショック」を受けるようなときの「驚き」である(15)。それは、〈フレムトなもの〉への驚きであるが、必ずしも、ヘカタイオスに見られたように、〈多〉への驚きに直結するものではない。異文化体験において、我々はそれまで自らがそのうちで生まれ育ち、自らの血肉となってしまった自文化のうちに漬かっている限りは思いもしなかったようなものごとに出会う。それは、単に目新しい・珍しいものどもへの驚きに留まるものではなく(16)、むしろ、日頃見慣れており、よく知っており、そんなこと当たり前と思っている、まさにそうしたものごとが、まったく異なる相貌をもって現れてくる、そういう驚きをも含んでいる。いや更に、単に個々のものごとだけのことに留まらず、それこそ、眼から鱗が落ちたかのように、世界そのものがまったく異なる仕方で見られていることに気付かされる(17)、そういう驚きにまでなりえよう。そして、そこにこそ、深い意味での異文化に対する「驚き」があるだろう。このように異文化において世界全体が異なる仕方で見られていることへの驚き、それこそが〈他者〉への驚きに通じるものであることを論じたいのであるが、ここで、「驚き」についての予備的考察を終え、節を改めて、議論を立て直すことにしたい。


二、「驚き」を蘇生する方法としての現象学的還元



 現象学的還元とは「世界を前にしての驚き」であるとは、メルロ・ポンティが、フッサールの助手としてフッサールを代弁したオイゲン・フィンクの論文(18)から引き出した定式化であるが(19)、メルロ・ポンティ独特の還元論はともかくとしても、フッサールの現象学的還元が前節で見ておいた〈哲学の始まりにある驚き〉と密接に関係していることは確かであろう。フィンクがこの「驚き」について、「哲学とは、存在者との人間の親密さを支えている根拠を揺り動かすことである。……問題なのは、自明なことが疑問に付されることである」と述べ、「驚きは、……常に既によく語られた、語られつつ解釈された世界の意味理解から人間を追い出し、存在者とは何であるのかまだ知らないという創造的な貧しさへと駆り立てる」と述べるとき(20)、フッサールの現象学的還元が念頭にあったことは疑いない。現象学に至る様々な「道」を考え(V.148)(21)、現象学へ至るための「序論」ばかり出版し(22)、晩年においてすら自分こそ本当の「初心者(Anf3nger)」(V.161)であると自負するフッサールにとって、哲学をどう始める(anfangen)べきかは重大な問題であり、現象学への通路となるべき現象学的還元とは、まさに〈哲学の始まりにある驚き〉を蘇らせる方法として考えられていたと言ってもよかろう。
 我々が日常的・自然的に生きて、人々と共に様々な行為を行っているとき、世界があることそのものは自明のこととして、素朴にその存在が信憑されている。疑問が向けられるのは、世界のうちにある個々のものどもについてであって、世界そのものについてではない。世界の存在そのものは自明のこととしておき、その基盤の上に立って様々な作業をすることこそ、自然的な生活の営みなのである。このことをフッサールは、「自然的態度」の「一般定立」(III.62)もしくは「世界信憑」(VIII.67)と呼ぶ。「すべてのものに先立って、世界の存在は自明である。それは誰もそんなことを考えることなく、はっきり言葉にして発言することがないくらいである。」(I.57)ところが、この自然的態度において自明のものとなっている世界の存在が、突然、不思議なのもとして見えてくる。そのような状態に我々を陥らせるものこそ、フッサールの言う現象学的還元に他ならない。「世界という基盤の上に立ち続けるのではなく、私がそこにおいて且つそれによってこの基盤を持っている経験確信の遂行を働かないようにする」(IX.192)ことによって、むしろ、「世界そのものを主題とする」(IX.222)のである。現象学還元とは、言わば人工的に哲学的「驚き」を作り出すための方法であり、哲学の始まりへと立ち帰るための方法なのである。我々はそのような「驚き」を本当はずっと以前に(さしあたり「子供の時に」と言っておいてもよい(23))既に体験したのかも知れないが、日常の実践的な生活のなかで忘却してしまっている。このかつて既に体験し、いつの間にか跳び越えてしまった「驚き」を蘇らせ、思い起こさせることこそ、還元の役割だったのである。還元とは、世界の全体を世界の一部(「意識」)へと縮小したり、引き込んだりするものではなく(その意味では「還元(Reduktion)」という表現はミスリーディングである)、世界そのものへの関わり方がそれによって変わるような「態度(Einstellung)の変更」なのである。
 ところで、フッサールは『デカルト的省察』において、現象学的還元と区別して、他者経験を考察するために行われる「固有性領野(Eigenheitssphäre)への還元」 (I.125ff.)について語っている。それは、現象学的還元とは異なるが、現象学的還元について述べたと同様、これまた、或る種の驚きを、すなわち〈他者〉への驚きを人工的に作り出すための方法であると言うことができる。つまり、我々は日常生活のなかで、自分の周りに他人がいることを心得つつ、他人と共に様々な行為を行っている。他人が存在し、彼について様々なことを知っているということを自明のこととして我々は行動している。勿論、場合によっては、他人について、その個々の心的状態について疑いが生じることはあるが、他人の存在そのものについて、その全体について疑うことはしない。この自然的な〈他者への信憑〉を停止し、〈他者への驚き〉を改めて蘇らせるためにこそ、この「固有性領野への還元」が役立つことになるのである。それゆえ、「固有性領野への還元は不可能である」というような批判・非難はまったく的はずれであることになる。フッサールの意図するところは、我々人間を共同性から引き離して、孤立性におこうとするようなことにあるのではない。むしろ、我々がいつも既にそこを跳び越え、自明のものとなってしまっている他者経験に驚きの眼を向けるためにこそ、この「固有性領野への還元」が必要とされたのである。
 このようにおよそ還元とは、我々が自然的態度において自明な基盤としてその上に立っている「世界信憑」を「括弧に入れ」「働かせない」ことによって、我々が生きている世界そのものの成立という〈超越論的〉な次元へと我々を引き入れ、〈世界への驚き〉、〈他者への驚き〉へと誘い込むための方法なのである。従って、このような驚きが本当に語られるようになるのは、そうした〈超越論的〉な次元においてであるが、いまはそこに急ぐ前に、もう少しそれに先立つ、言わば〈超越論的〉な次元における他者と異文化の現象学的分析に眼を通しておきたい。


三、超越論的な次元における生世界的事物・他者・文化対象の現象学的分析



 フッサールが哲学をいつもそこから初めようとする場面、哲学的な「驚き」がそこで発生してくる場面は、我々が日常的・自然的に生活を営んでいる「自然的態度」の世界である。彼はいつも、この世界がどのようなものであるか、それを〈超越論的〉的な次元に突入する前の〈前超越論的〉な態度で現象学的に記述するところから始めている。その世界は、フッサールの思索の展開において、初め「周囲世界(Umwelt)」と呼ばれ(III.57ff.)、やがて「経験世界(Erfahrungswelt)」(IX.57 usw.)とも呼ばれるが、最後には、「生世界(Lebenswelt)」の問題(VI.48ff. usw)として結実していく、と言ってよい(24)。この自然的態度の世界は、「単なる物の世界ではなく、同じ直接性において、価値世界、財貨世界、実践的世界」(III.59)であり、「単なる物ではなく、使用対象(服、家具、武器、道具)、芸術作品、文学作品、宗教的・法律的行為の手段(印鑑、教会のシンボル、等々)」(IV.182)を含んでいる。日常的な生活において我々が関わっているのは、自然科学的な「自然客観」ではなく、「価値客観、使用客観、実践的客観」(IV.27)や「文化客観」(IX.113)なのである。また、この周囲世界または生世界のうちに我々は、このような事物を見出すだけではなく、家族・隣人・友人・同僚・知人・通りがかりの見知らぬ人等々といった他の人間(他人)達をも見出す。しかも、自然的な生が「日常的行為的な生」(I.57)であるとすれば、我々が事物と関わるのが「使用」「実践」という仕方であるのと同様、我々が他人と関わるのも、単なる「他我認識」というような仕方ではなく、むしろ、彼らとともに何らかの行為を営むという仕方においてであろう。
 このような周囲世界または生世界において出会う事物と、そこにおいて出会う他人とは、当然区別されるにもかかわらず、両者の間には或る類似した構造が見出される。すなわち、両者は共に、我々が言語の意味を理解するときと同じ構造を持っているのである。
 フッサールは言語(的表現)を理解することと他人(の表現)を経験することとが共有している構造を示しつつ、次のように述べている。「我々が或る人格を人格として捉える(例えば、人格が人格に話しかけたり、彼らが話すのを聞いたり、彼らと一緒に仕事をしたり、彼らが仕事をするのを眺めたりする)とき、そこに示されるまったく直観的な統一は、“表現”と“表現されたもの”の統一である。」(IV.236)このように他人において経験している「心身合一」は、決して特異なものではなく、我々は言語において意味を理解しているとき同じ構造をもった経験をしているのである。そしてまた、我々を取り巻いている生世界的事物(例えば、机・家具・畑・庭・道具・絵画等々)を経験するときも、我々は同じ構造をもった経験をしている。すなわち、それらの事物は、「精神的意味を持った事物としてまったく直接的に経験されている」(IX.111)。我々はまず「裸の事物」だけを直接に経験し、それに「精神的な意味」を付け加えるのではなく、初めから直接的に「精神的な意味を持った事物」を経験している。そこにおいて、「表現された意味は表現する物体的なものと並んであるのではなく、両者が一体となって具体的に経験されている。」(ibid.)そして、再び同じ構造が、「隣人を経験しつつ、心身統一を経験する仕方」(IX.111)についても語られるのである。自然的世界において隣人(他人)を経験するときも、我々は物体的なものとしての身体をまず経験し、そこから「他人の心」を類推するのではなく、我々は「精神的意味をもった身体」を直接的に経験する。要するに、他人を経験することとは、言語における意味を理解する場合と同様に、「まさに意味を理解する、すなわち、身体を意味において把握する」(IV.244)ことに他ならず、このように直接的に経験された統一が、あとから、「統握する態度の変更によって身体と意味とに区別される」(ibid.)のである。
 最後に、文化対象とフッサールが呼ぶものについて、これも前述の生世界的事物と同様な構造において語られることは、もはや予想されよう。「芸術作品や文化対象……の具体的直観において我々が経験しているのは二つのもの(Zweiheit)ではなく、一つのもの(統一 Einheit)である。それがただ後から抽象的に二つの側面に従って考察されることができるに過ぎない。」(IX.112)しかしながら、文化対象を考察するとき、新たな論点が加わって来る。それは文化固有の問題であるかに見えるが、実は、これまでの生世界的事物のうちにも潜んでいた論点である。すなわち、一つは、歴史性であり、もう一つは、間主観性である。つまり、「文化世界としての経験世界は、常に変転する歴史的な顔を持っている」(IX.113)とも言われるように、文化的意味は、現在において突然現れるものではなく、歴史的に生成して来たものとして、その歴史的な関係を無視することはできない。また、文化的意味は、その起源の場としては「個人的(personal)」なものであるかも知れないが、しかし、その固有の意味からすれば「間主観的(intersubjektiv)」(IX.117)なものであり、共同性(体)への関係が考慮に入れられねばならない。ところが、文化が歴史性と間主観性を必然的に含んでいるとなると、文化を巡って新たな問題が現れてくることになる。しかし、これについては節(第五節)を改めて論じることにして、ここでの論点をまずは整理しておこう。
 ここでは、生世界的事物の経験について、言語の意味の理解について、他人の経験について、そして最後に、文化対象について、それらがいずれも「物」か「心」かといった二者択一的な把握をすり抜けるようなものであり、「物と心」の二元論的な把握は最初から退けられ、「物と心」の合一態に照準を合わせて論じられていた。そこでは、所謂心身二元論的な前提から生じる限りでの「他我認識」の問題は起こらず、心身合一態としての「人格」が出発点に据えられているのである。この点と関連して、冒頭で述べたように、フッサールが〈他者〉の問題の核心と考えていたことが、「他人の心」の問題として論じられていることと少しズレているのではないか、と筆者が考えることについていくつかの論点を挙げておきたい。


四、「他人の心」問題と〈他者〉問題



 〈他者〉の問題はたいていの場合、「他我認識」の問題として、しかもとりわけ「他人の心」の問題(具体的には、他人の痛みを私はどのようにして知ることができるのか、という問題)として論じられ、様々な解決の試みが提示されるとともに、それに対する様々な批判が行われてきた。
 それら批判の一つは、他人の身体は直接に与えられているが他人の心(痛み)は直接与えられていない、という問題設定そのものが心身二元論を出発点において前提している、それがこの問題を袋小路に導く原因である(25)、というものである。そこで、心身を分離しないで、心身合一態としての「人格」に定位し、その「表情」や「振舞」を捉えることが必要であり、我々は現にそのようにして他人を経験していることが強調される。心身二元論を前提した議論は、我々が他人を経験する時の実態を捉えておらず、実際には、他人の身体についてと同時に他人の心についても何らかのことが与えられているのである。しかし、だからと言って、「他人の心が私の心と同じ直接性において与えられている」と言ってしまうことはできない。私が私の痛みを感じるのとまったく同様に他人の痛みも感じるとしたら、それはもはや人の痛みではなく私の痛みであろう(26)。私の痛みを痛むのは私だけである、という意味での〈自-他の断絶〉を消し去ってしまっては、そもそも他人について語ることは無意味となろう。とすると、心身合一態としての人格に定位することによって、「他人の心」の問題は解消されるわけではない。あるいは、「他人の心」の擬似問題は解消されたとしても、人格に定位したうえで、改めて、〈他者を経験する〉とはどのようなことか、が問題となろう。
 「他者」問題が袋小路に陥った原因として第二に挙げられるのは、次の論点である。すなわち、―――初めに「私」を他人からまったく切り離され、カプセル化された個人としてしまったうえで、その断絶をどう乗り越えるのか、という問いの立て方が間違っている。「初めに」あるのは、他人からまったく独立自存する「私」なのではなく、私と他人が未分化な「我々(ひと)」という「自他未分化」の癒合態であり、これが分極化することによって、自と他、すなわち私と他人の区別が成立して来るのである。従って、「我から我々へ」という道を探すのではなく、「我々から我へ」という道が跡づけられねばならない―――というものである(27)。しかし、個人から共同体へという道を選ぶか、それとも、共同体から個人へという道を選ぶかは、人間観をめぐってギリシア以来の伝統をもつ対立でもあり、個人が先か共同体が先かという対立は、どちらの議論も或る意味でそれなりに成り立つ。発生的に言えば、個人は共同体のなかに生まれ出て、共同体のなかで成長し、共同体のなかで「自我」意識を形成する。しかし、その共同体が単なる生物の集団ではなく、我々人間の共同体として我々にとって成立しているためには、単に自他未分化の「我々」がアメーバ的に集合離散するのではなく、〈私と他者〉という自他の区別(その意識)が前提されていなければならないだろう。また、共同性を国家や共同体として実体化してしまうのではなく、あくまでも共同性の地平として捉えようとするならば、この共同性の地平は、〈自他〉関係によってこそ開かれて来ると言わねばならない。ここでも、〈他者〉問題は決して解消されてしまったわけではない。
 「他人の心」の類推説に対して指摘される第三の難点は、「他者」問題を「他我認識」というような知的認識の次元において考えるのが間違いで、それはむしろ直観的あるいは感情的な次元の問題なのではないか、あるいは、それは日常生活のなかでわれわれが絶えず他人と出会っている実践的行為的連関のなかで考えるべきではないか(28)、というものである。認識においては、本当に知っているのかどうか調べてみて確実でなければ知っているとは言えないが、このようなテオリアの場面の根底に、そのような意味で知っているとは言えないが、吟味しなくとも受け入れてしまっている、行為において信じているというプラクシスの場面がある。〈他者〉問題も、テオリアの場面ではなくプラクシスの場面で、あるいは、言い換えれば、観想的な知ではなく実践的な知の場面で解明さるべきである。しかし、この批判も、確かに問題が立てられるべき場所への指針を与えてくれるが、それだけで問題を解決したり解消したりするものではない。行為の場面に問題を移したうえで、〈他者経験〉はいかなることで、いかにして成立するのか、それがやはり問われねばならないだろう。
 以上に瞥見してきたそれぞれの批判は、少なくとも「他人の心(痛み)を私はいかにして知るのか」という形での問題設定に対してはそれなりに有効であり、そこから誤った迷路に入り込まないための指針となるものである。我々は、もはやそれら批判のあとに戻ることはできない。しかし、それらの批判も、それだけで〈他者〉問題を解決するものではなく、それらによって、たとえ「他人の心」の擬似問題が解消されることになるとしても、〈他者〉問題そのものは先送りされるだけである。また、それぞれの批判は、フッサールの〈他者〉論に対しても或る程度においては妥当するかも知れないが、フッサールが問題の核心と考えていた場所については的をはずしているように、筆者には思われる。問題の核心がそこにあるのではないとすると、それはどこにあるのだろうか。それを照らし出すのに、〈他者〉と〈異文化〉とが類比的に考察されることが役立つように思われる。それと言うのも、文化の問題は、既に見たように、物心二元論的な枠組みに収まらないところにあり、カプセル化された個人ではなく共同体に属するものであり、知性認識よりもむしろ生活のなかでの行為に関わるものであり、従って、いま見てきたような批判がもはや目標を失うようなところで立てられねばならない。そして、〈他者〉の問題がこのような文化の次元にある〈異文化〉の問題と類比的に考察されるとすると、「他人の心」の疑似問題とは別のところに、〈他者〉問題の核心がある筈だからである。そこで次に、フッサールが異文化の問題をどのように提出しているかを見ていこう。


五、フッサールにおける異文化の問題



 自然的態度の世界において、我々が他人を経験する仕方と文化対象を経験する仕方に類比的な構造があることについては、すでに見た(第三節)が、その際、文化的なものは歴史性と間主観性を抱え込んでおり、そこから新たな問題が生じてくるとしておいた。というのも、我々の誰もが同一の歴史的及び間主観的関係に立っているわけではなく、異なる歴史に属する人や、異なる共同体に属する人がいるのが現実であるが、まさにそこに問題が生じてくるのである。すなわち、文化対象はその精神的意味をもって直接的に経験される、と述べたが、それは経験するその人がそのうちで生まれ育った自文化に属する文化対象について言えることであって、異文化に属する文化対象について同じよう言うことはできまい。異文化に属する文化対象がその固有の文化意味をもって経験されるためには、その異文化を支える異なる歴史と異なる共同性への通路が見出されねばならないだろう。フッサールは、「世界は、具体的には、文化世界としてのみ与えられる」(I.160)と述べているが、我々の日常的生において、このような文化的なものが占める位置は大きい。ところが、この文化世界は「制限された客観性」(ibid.)しか持たず、万人に対してそこへの通路が開かれているわけではない。そこで、歴史と共同性を異にする人々は、「具体的な生世界」を「異なる文化的周囲世界」として、複数の生世界(ibid.)を形成することになる。
 「我々はすべての人間と同一の生世界を共有しているわけではない」(IX.496)と述べるフッサールが具体的に記述するところを見てみよう。「バントゥー人〔アフリカの或る部族〕は、我々の芸術作品の一つを前にして或る事物を見るが、我々の周囲世界の客観、すなわちこの芸術作品を見ない。……我々は様々な〈諸世界〉を区別しなければならない。ヨーロッパ人の世界、バントゥー人の世界。我々の世界のなかで真と偽について、存在と非存在について争うことはできるが、バントゥー人と争うことはできない。彼は彼の〈我々〉の一員として我々とは異なる周囲世界を持っているのだから。」(IX.497)「我々がここで語っている世界とは、我々ドイツ人にとっての世界、せいぜい我々ヨーロッパ人にとっての世界なのではないか。インド人や未開民族は、彼らの世界を持っており、動物はまたその種に応じて自分達の世界を持っている。」(XV.627)
 フッサールによれば、私は、「世界を私的(privat)な世界としてではなく、間主観的(intersubjektiv)な世界として」(I.34)経験しており、それゆえ、「世界経験は、私のまったく私的な経験なのではなく、共同体経験である」(XVII.243)とも言われる。我々が世界を経験するということと、我々が共同体に属していることを経験することは、表裏一体となっているのである。その意味において、フッサールは次のように述べている。「我々が一つの共通の周囲世界に関係しているということと、我々が一つの人格的繋がりのうちにあるということ。この二つのことは相互に関連している。或る共通性において、すなわち我々の生の志向的な結合において一つの共通な周囲世界が我々にとって存立していないならば、我々は他者に対して人格であることはできない。一方は本質的に他方と一緒に構成される。」(IV.191)しかし、いま問題にしたいのは、このことを裏返すとそのまま異文化の問題に直結するということである。つまり、逆に、我々が「一つの人格的繋がりのうちに」、一つの人格的共同性(共同体)のうちにないならば、要するに、我々が互いに異文化に属しているならば、我々は「一つの共通の周囲世界」に関係しておらず、「一つの共通な世界」を持っていない、そして、そのときには我々は互いに対して「人格であることはできない」ことになる。
 ここに、文化世界において中心的な役割を担っている言語の問題も付け加えておかねばなるまい。フッサールは早い時期から「言語共同体(Sprachgemeinschaft)」という合成語を使っていたが(29)、この合成語には、共同体によって言語が支えられている同時に、言語が共同体によって支えられている、という両者の密接な結びつきが含意されていると言えよう。「人間の共同体的生は、言語共同体の生として可能である。……人間の故郷世界(Heimwelt)は、根本的に言語によって規定されている」(XV.224)しかし、とすると、言語が異なるのに応じて、世界は異なる故郷世界としてのみ存在することになる。フッサールは、「一方における人間としての人間、共同人(Mitmenschheit)、世界と……他方における言語とは不可分に絡み合っている」(VI.370)と述べている。このような、共同体と世界と言語という三者の密接不可分な絡み合いも、実際地球上には複数の言語があり、それに応じて複数の共同体があるとすると、それに応じて複数の世界があると結論せざるをえなくなる。三者の絡み合いが密接であればあるほど、言語と共同体に応じて、異なる世界が存在することになろう。しかし、それでは異なる「言語共同体」相互の間には、どのような関係が成立しうるのだろうか。「他者経験、相互理解、了解において構成される周囲世界を我々は伝達的(kommunikativ)周囲世界と呼ぶ」(IV.193)とフッサールは言うが、それでは、異なる周囲世界相互の間、すなわち、異文化間にはコミュニケーションが成立するのだろうか。
 この節で見てきたようなフッサールの論述に我々は、文化人類学において議論されてきた、「異なる文化に属する人々は、異なる世界に住んでいる」という文化相対主義の主張を読み取ることができよう。筆者は、この主張を或る仕方で大事にしたい。それが、異文化の問題の持つ〈超越論的〉な次元を、そしてそれと類比的に〈他者〉問題の〈超越論的〉な次元を垣間見せてくれる限りにおいては。しかし、この相対主義に留まるつもりはないし、フッサールもまたそこに留まりはしない。そこで、次に筆者が大事にしたいと思う点を明らかにし、そこに留まらない所以を明らかにすることにしたい。


六、〈超越論的〉な次元における異文化と他者の問題



 文化相対主義という主張から、筆者がここで取り出したいのは、そこでは、単に様々な文化相互の間における相対性ばかりでなく、それと同時に、世界経験の文化に対する相対性が主張されていることである。すなわち、文化は、単に個々の様々な文化現象としてではなく、むしろそれらの根底にあってそれらを支えつつ、世界を異なる仕方で経験させている根拠として、世界経験に対して構成的に機能している、と考えられているのである。我々が世界を経験することと無関係に文化があり、我々は文化と無関係に世界を経験するというのではなく、我々は文化を通して初めて世界を経験する。文化は我々の経験の枠組みをなすものであり、我々の世界経験に対して言わば〈超越論的〉な機能を果たしている、と考えられるのである。しかし、文化がそのようなものとして考えられるからこそ、様々な文化が現実に存在することは、それに応じて様々な世界が存在することを帰結することになる。つまり、一方で、文化はこのように世界経験に対して構成的に機能することによって世界を開くものでありながら、同時に他方では、異なる文化は異なる世界経験を構成するのであるから、異なる文化に対して世界を閉ざすものでもあることになる。
 しかし、それゆえにこそ我々は、異文化との出会いに〈超越論的〉な驚きを感ずることになるのである。我々がそこに驚きを感じるのは、我々の持っている経験の枠組み、つまり、それによって我々の経験世界が形成されており、我々にとっては自明となっているところの経験の枠組みが、異文化世界においては、決して自明ではなく、むしろまったく異なる経験の枠組み、我々の理解を越えた経験の枠組みによって彼らの経験世界が構成されていることを発見するからである。その意味において、我々がそこに感じる驚きは、〈超越論的〉な次元に属すると言うことができよう。
 さて、このような意味で異文化の問題が〈超越論的〉な次元を持っているのと類比的に、他者の問題も〈超越論的〉な次元を持っていると筆者は考える。〈他者〉とは、まったく異なる経験の枠組みによって構成された世界の住人なのである。〈他者〉とはもはや、住み慣れた世界のなかに見出される一人の人間としての「他人」が、その「心」の内に何を隠し持っているのか、それを「私」がどうして知ることができるか、といった問題なのではない。ここには、驚きはないだろう。〈他者〉の問題が立てられるのは、既に自明となった〈私〉の経験世界においてではなく、あるいは、この経験世界はそのままにしておいてなのではなく、そもそもこの経験世界を根底から揺るがすような存在としてなのである。〈他者〉と出会うときにも、経験の枠組みに関わる〈超越論的〉な驚きを感じることになる。フッサールが、「あらかじめ与えられた世界のうちに存在するものとしての他者」と区別して「超越論的他者」(XV.16)という表現を使うとき、彼は、〈他者〉の問題をこのような次元で考えていたと筆者には思われる。こうして、〈異文化〉と同様に〈他者〉も、既に出来上がった世界のなかで出会われるものではなく、この了解済の世界そのものの変貌を要求するものとして現れる。それらは、世界経験そのものを可能にする根拠への問いを引き起こす〈超越論的〉な問題となる。
文化相対主義はこのような〈超越論的〉な問題を垣間見させてくれるとはいえ、そこに留まってはいられない。というのも、文化相対主義は確かに、自文化を規準にして測ることのできない異質な規準をもつものとしての異文化を認め、異文化が異なる経験の枠組みによって異なる経験世界を形成していることを認めるが、そこから更に、文化相互の相対性を「共約不可能性」として考えるならば、「異なる文化の間の相互理解は不可能である」と主張することになるからである。そこでは、異文化理解は不可能なこととなる。フッサールは他者経験も異文化理解も共に〈フレムトなものの経験(Fremderfahrung)〉として同じ構造を持っていると考えるが、それが可能である筈とするならば、もはや単に「異なる世界に住んでいる」と言って澄ましている相対主義に満足することはできない。それでは、〈フレムトなものの経験〉はいかにして可能であろうか。フッサールが他者経験について述べていることについては別の機会に論じてきた(30)ので、ここでは、異文化理解の方に焦点を合わせて論じることにしよう。


七、フレムトなものの経験(Fremderfahrung)の可能性



 フッサールは、異文化理解の場合においても、他者経験の場合と同様、〈固有(eigen)なるもの〉ものから〈異他(fremd)なるもの〉へ至る「道」をつけようとしている。すなわち、「誰でもまず、……それらを歴史的に形成する共同体に属する人間として、自分の具体的な周囲世界あるいは自分の文化を理解する。現在の理解を共に規定している過去の地平を開示するような深い理解は誰にとってもこの共同体からして原理的に可能となるのであり、それは、他の共同体からやって来てこの共同体の誰かと関係するような人には閉じられた、彼にとってのみ可能な根源性においてそうなのである。そしてまず、フレムトな世界の人間を人間一般として、或る文化世界の人間として理解し、そこから初めて、一歩一歩進んだ理解可能性を作り出さねばならない。」(I.160f.)フッサールは、自ら生まれ育った自文化の世界から出発して、異文化の世界を理解する道を探ろうとしている。「原初的な(primordial)な周囲世界から道は、フレムトな周囲世界の“発見”へと通じている。」(XV.436)しかし、それはあくまで事実的な発生としては、である。「発生的には、我々の誰でも、フレムトな周囲世界を自分の周囲世界とは異なるものとして知ることを体験しなければならない。発生的には、それが彼の地平に現れるのは、例えば、学校から、旅行者の物語により、あるいは、自分でフレムトな周囲世界に入り込むことによってである。」(XV.437)
 構造的には、自文化の体験と異文化の体験は同時に成立すると言えよう。異文化を体験することによって初めて自文化が見えてくる、とはしばしば指摘されることである。自文化のうちに留まって、そこに漬かってしまっている限り、それを自文化として意識することもない。異文化を体験し、そこに〈驚き〉を感じるとき初めて、これまで自分がそのうちで生まれ育って来た文化の存在に改めて気付き、異文化との対比のなかで自文化が浮かび上がって来るのである。しかし、にもかかわらず、異文化を理解するためには、自文化を(その固有性に気付いている必要はないにしても)すでに持っていなければならないことは確かであろう。自文化の場所で、そもそも文化の何たるかに触れていない者は、異文化を異文化として体験することすらできないだろう。フッサールが自文化から異文化への道を辿ろうとすることも、そういう基礎の問題をなおざりにしておいて、彼が異文化を自文化の規準で測ろうとする自文化中心主義であると即断してはならないだろう。自文化中心主義と、異文化もまた自文化を中心とする「方位づけ(Orientierung)」において与えられるということとは別のことであろう。すなわち、フッサールは述べている。「文化世界もまた、零点である一つの“人格態”への関係に“方位づけられて”与えられる。ここでは、私と私の文化は、あらゆるフレムトな文化の対して原初的である。フレムトな文化は、私や私の文化的同僚にとって、一種の他者経験(Fremderfahrung)によってのみ接近可能である……。」(I.162)
 しかし、それはどうして「接近可能」となるのか。この文化世界に属する者にとってのみ接近可能で、他の文化世界からやって来た者には接近不可能な根源性があるのではなかったか。にもかかわらず、フッサール自身、「原本的には接近できないものが接近可能となる仕方に、“フレムト”なものという性格は基づいている」(I.144)と述べるように、それが或る仕方で「接近可能」となるところに、〈フレムトなものの経験〉が成立するのである。しかしながら、それを再び他者経験の場合と類比的な、異文化への「一種の感情移入(Einfühlung)」(I.162)であると言ったところで、何ら問題の解決にはならないであろう。もう一度、我々がまったく異なる世界に住んでおり、共通の世界を持っていないなら、我々はまったく理解し合うことはできず、お互いに人格として認めることはできない、という地点に立ち帰って、解決の道を探りたい。
 〈異他(fremd)なるもの〉が〈固有(eigen)なるもの〉からまったく断絶しており、自文化と異文化がまったく共通するものをもたないものであったなら、それらの間に架橋が成功することはなかろう。もし、それが可能であるとすれば、どこかに共通する土台を持っているからであるだろう。文化とは生活の様式(生のかたち)であろうが、自分がそのうちで生まれ育った生活の様式とはまったく異なる生活の様式を理解することが可能になるのは、そもそも〈生〉とはいかなることであるのかについての了解があるからであろう。異なる文化に属する人々が異なる世界に住んでいるとは言っても、なんらかの相対的ではないア・プリオリなものを自文化のなかで身につけているからこそ、それが異なる仕方で実現されている異文化を理解することも可能となるのではなかろうか。このことをフッサールのなかに見るために、彼の「生世界」の概念をもう一度振り返ってみることにしよう。


八、生世界の二義性



 これまで見てきたところでは、生世界は専ら「具体的な姿(Konkretion)」(VI.134, 136)において複数形においてあるものとして考えて来た。しかし、フッサールの生世界論としてなにより有名な『危機』書での生世界論の重心は、周知のように、別のところにあった。すなわち、そこでは、確かに、「我々の具体的な世界生において我々に絶えず現実的なものとして与えられている世界」(VI.24)ではあるが、あくまでも、「自然科学の忘却された意味基底としての生世界」(VI.48)が問題である。「“客観的”に“真なる”世界」が「理論的・論理的な構築物(Substruktion)」であるのに対して、「現実的な経験可能性によって特徴づけられる」(IV.130)とは言っても、あくまでも、「学問的に真なる世界」(自然科学的な世界)に対して基礎づけの「基盤(Boden)」であるものとして生世界が論じられている。「生世界は、我々にとって常に既にそこにある。あらゆる理論的・理論外的な実践にとって“基盤”となっている。」(VI.145)したがって、それは、「それに対しては複数が無意味であるような唯一性においてある」(VI.146)とすら言われることになる。では、さきほどまで見てきた複数において語られる諸生世界と、複数が無意味であり単数においてのみ語られる生世界とは、どのような関係にあるのだろうか。
 フッサール自身、このような生世界の二義性に気付いており、次のように述べている。「具体的な生世界は、“学問的に真なる”世界に対して基礎づけの基盤である、と同時に、その固有の普遍的な具体的姿においてはそれを包括している。……“客観的に真なる”世界と“生世界”との逆説的な絡み合いは、両者の存在仕方を謎に満ちたものにしている。」(VI.134)この点について、ウルリッヒ・クレスゲスは、「フッサールにおける生世界の概念は、……初めから存在論的・超越論的な二義的概念である」と指摘していた(31)。しかし、筆者には、クレスゲスが生世界の存在論的概念を「歴史的・社会的・文化的な世界」(これは、これまで我々が見てきた複数において語られる生世界である)と解するのに対して、生世界の超越論的概念を専ら「地平性」において捉えようとするのは余りに抽象的で狭すぎるように思われる。むしろ、やはり具体的でありながら、歴史・社会・文化によって相対的に様々というわけではないようなものとして、単数の生世界をフッサールは考えようとしていたように筆者には思われる。
 フッサールが異文化理解について語るところにもう一度戻ろう。さきに引用したバントゥー人についての件は、次のように続けられていた。「我々は様々な生共同体としての人格共同体に応じて多くの真なる諸世界を持っているとすると、我々は困難に直面するのではないか。お互いに了解ができるのは、同一の世界、同一の太陽、同一の星、同一の大地に関わっているからではないのか。」(IX.498)しかし、これは、またぞろ自然科学的に裏打ちされた「客観的に真なる世界」に逆戻りすることになるのではないか。近代自然科学もまた、近代ヨーロッパ人の生み出した一つの文化現象に過ぎないとすると、このヨーロッパ的な自然観をバントゥー人が共有していると考えるわけには行かない。同一の自然を持っていると考えているのは、我々(フッサールを含めたヨーロッパ人)に過ぎず、同一の自然を前にしながら、彼らバントゥー人はまったく異なる〈自然〉を見ている、というのが、これまで見てきた複数の生世界という考えではなかったのか。しかし、フッサールがここで考えているのは、そうではない。彼が「同一の太陽、同一の星、同一の大地」と言うとき、それは決して自然科学的に規定された、太陽系の中心にある太陽や、恒星としての星や、太陽の周りを公転する地球なのではない(32)
 『危機』書にも次のような箇所がある。「見知らぬ(fremd)交際圏に流されたら、例えば、コンゴの黒人のところへ、中国の農民のところへ流されたら、我々は、彼らの真理が我々の真理と同じでないという事態に直面する。」(VI.141)お馴染みの文化相対主義の場面である。しかし、続けて彼は述べる。「しかしながら、この生世界はそのあらゆる相対性にもかかわらず、その普遍的な構造を持っている。……すべての相対的存在者がそこに結び付けられているこの普遍的構造そのものは、相対的ではない。」(VI.142)それは、単に抽象的・形式的な「構造」だけではなく、質料的なア・プリオリを、すなわち、「生世界的ア・プリオリ」(VI.143)を持つものとしての一つの生世界なのである。晩年のフッサールは次のように記している。「異文化がどれほどフレムトなものであれ、それは共通のものを持つ。つまり、大地と天、昼と夜、石と木、山と谷、様々な動物、これらすべては、フレムトなものとしてではあれ、普遍的な類型において類比的に統握される。」(XV.632)しかし、このような「生世界的ア・プリオリ」としてフッサールが具体的にどのようなものを考えていたかについて明らかにすることは、また別の機会に譲らざるをえない。


おわりに



 おわりに、冒頭で述べておいた哲学的な「驚き」についての予備的考察の成果から、異文化についての文化相対主義と反相対主義(絶対主義)について寸評をくわえて、結びとしたい(33)
 我々は異文化に出会うとき、驚きに感じる。それは、既に述べたように、或る意味で、哲学の始まりにある驚きにも通じる側面を持っている。それは、自文化のなかに漬かってしまい、当たり前・自明となっていた基盤を揺るがし、時には崩すような力を持っている。この驚きに忠実であることこそ、異文化を自文化によって裁断するのではなく、異文化を異文化として理解する道を開いてくれることになろう。しかし、それが文化相対主義として、分かった顔をし始めるとき、その驚きの良さは失われていく。文化が違えば世界観も違うさ、住んでる世界も違ってくる、それが当たり前となる。そのような状況にあっては、むしろ反相対主義的な立場にこそ、硬直した相対主義の殻を破る力が宿ることになる。それは、多様な文化と多様な世界が当たり前・自明と物知り顔をした文化相対主義に対して、多様な生活様式となって現れるものの根底には何か一つの共通な生のかたちがあるのではないか、という一なるものへの驚きに動かされているのである。相対主義が当たり前となっていた常識を揺るがし、我々がやはりどこかで固い岩盤に突き当たることを捉えようとする。しかし、この反相対主義の立場も、何か絶対的なものを立てて、そこから説明を始めるとき、膠着したものに陥っていく。そこには、再び相対主義の発芽する温床が作られていくことになろう。「人形道化芝居で交互に倒されては息を吹き返して来る二つのお化け人形のような、懐疑主義的相対主義と論理的絶対主義」はともに「生きた真理」を掴むことはできず(XVII. 284f. )、〈一〉への驚きを忘れて相対主義に身を任せることも、〈多〉への驚きを忘れて絶対主義に陥ることも、ともに哲学の(知を愛し求める)こころを放棄することになるであろう。我々は、〈多〉への驚きと〈一〉への驚きとの往還運動のなかで「経験の動性」(34)を捉えていくことによって初めて、自らの思索をわずかずつ進めて行くことができるのであろう、と筆者には思われるのである。





(1)以下の拙論を参照。「他者経験の構造と発生」(『哲学論文集』第23輯、一九八七年九月)、「時間と他者のアナロジー」(『哲学』第38号、一九八八年五月)、「言語と他者についての一考察」(『ディアロゴス』第2号、一九八九年四月)。
(2)その一部は、菅豊彦教授と共訳したシューメーカー『自己知と自己同一性』(勁草書房、一九八九年九月)となって結実している。
(3)以下、フッサーリアーナからの引用は、巻数をローマ数字で、頁数をアラビア数字で、本文中の括弧内に示す。
(4)ここで筆者は、英米の分析哲学では「他人の心」が問題になっているが、現象学的哲学においては〈他者〉が問題になっている、と一般的に図式化しているわけではない。分析哲学で〈他者〉を問題にしているケースもあれば、現象学的哲学において「他人の心」を問題にしているケースもある。因みに、永井均氏の刺激的な論考「魂に対する態度―――他人と他者の存在論的差異について―――」(『現代思想』、一九八八年十二月)のための原稿による発表(第11回現象学解釈学研究会、一九八八年十月)に接したとき、筆者は、自分が考えていたことを別の方角から論じてくれているのに喜んだものである。同論考およびその続編である「〈魂〉に対する態度」(『現代思想』、一九八九年三月)から、筆者は多くを学んだ。
(5)例えば、アルフレッド・シュッツ『現象学的社会学』の邦訳(紀伊國屋書店)に序文として付された青木保「異文化理解の基礎理論」(vi頁)、浜本満「現象学と人類学」(『文化人類学15の理論』中公新書)などを参照。なお、他者経験と異文化理解の関わりのみならず、現象学と文化人類学との関わりについては、小川侃教授の『現象学と文化人類学』(世界書院)が、限定したところで論じている小論に較べて かに広い視野を与えてくれている。
(6)この点について筆者は、松永雄二教授の一連の論考から学んで来ている。
(7)「なぜなら、実にその驚異(タウマゼイン)の情(こころ)こそ知恵を愛し求める者の情なのだからね。つまり、求知(哲学)の始まりはこれよりほかにはないのだ。」プラトン『テアイテトス』一五五D(田中美知太郎訳)。「けだし、驚異することによって人間は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し〔哲学し〕始めたのである。」アリストテレス『形而上学』九八二b十一(出隆訳)。
(8)Held, K., Heraklit, Parmenides und der Anfang der Wissenschaft und der Philosophie,Walter de Gruyter, 1980.
(9)Ders., Die Geburt der Philosophie, Dogakusha Verlag, S.23.
(10)田中美知太郎編『ギリシアの詩と哲学』(平凡社、思想の歴史1)、七十頁以下。
(11)Diels, H., Die Fragmente der Vorsokratiker, B.40.ディールスは、"Vielwisserei lehrt nicht Verstand haben."と訳している。
(12)アリストテレス『形而上学』九八三b二〇
(13)プラトン『ソピステース』二四四a。しかし勿論、この箇所は、ハイデガーが『存在と時間』の扉に引用したことによって有名である。
(14)Augustinus, Confessiones, XI-xiv-17.
(15)これについて筆者は、ドイツ留学の際、ドイツ人友人の見せた「世界地図」から受けた(些細ではあるが)一種の「カルチャーショック」について短文を寄せたことがある。「ドイツでの異文化体験」(『西日本日独協会年報』第11号、一九八七年五月)
(16)こういう類の驚きであれば、最近のテレビ番組には話題をこと欠かないだろう。
(17)筆者は、世界全体について、「うさぎ-あひる」の図や「老婆-若い娘」の図のように、その布置が変貌するような場面を想い描いている。
(18)Fink, E., "Die phänomenologische Philosophie Edmund Husserls in der gegenwärtigen Kritik" in: Kant-Studien XXXVIII. Band, 1933.しかし、例によってメルロ・ポンティの引用は正確ではなく、この言い方は同論文にそのままの形では見出されない。それは、註(19)のフィンク論文(メルロ・ポンティはこれも読んでいた)をも念頭に置きながら、メルロ・ポンティが作り出した表現と言うべきであろう。しかし、いつもの彼のやり方同様、確かにフィンクの言わんとするところの一側面は掴んでいると言える。
(19)Merleau-Ponty, M., Phénoménologie de la perception, p.ix.
(20)Fink, E., "Das Problem der Phänomenologie Edmund Husserls", in: Revue internationale de Philosophie , 1939; jetzt in: Studien zur Phänomenologie 1930-1939, S.182f.
(21)Kern, I., Husserl und Kant, S.194ff.
(22)Fink, E., "Die Spätphilosophie Husserls in der Freiburgerzeit", in: Nähe und Distanz, S.208.
(23)我々は生まれたときから「自然的態度」のうちにあるわけではあるまい。世界の存在が自明のものとなるのは、成長の或る段階においてであって、それ以前には、決して自明ではなかっただろう。とすると―――「子供」の時の方がむしろ哲学的な問いの近くにいる。「大人」になり、常識を身につけていくことは我々をますます哲学的な問いから遠ざける。哲学者であり続けることは、或る仕方で「子供」であり続けることである。―――これが真実なのかも知れない。次の書物は、少なくとも、その点を明らかにしようとする姿勢においてだけは共感できる。ガレス・B・マシューズ『子供は小さな哲学者』(思索社)。
(24)ここでは、しばしば行われるフッサールの哲学的発展の時期区分についてはこだわらず、むしろ、その一貫性の方に眼を向けて考えたい。「周囲世界」が「経験世界」を経て「生世界」へと「コペルニクス的転回」を遂げていく過程については、次を参照。Biemel, W., "Reflexionen zur Lebenswelt-Thematik", in: Phänomenologie heute.Festschrift für L. Landgrebe. 1972.
(25)例えば筆者の念頭にあるのは、次のものである。Scheler, M., Wesen und Formen der Sympathie, S.247.
(26)「他者はそれ自身“生身で(leibhaftig)”我々の前にそこにいる。しかし他方そのことは、本来的には、他の自我そのもの、彼の体験、彼の現出そのもの、彼の固有本質にぞくするもの、こうしたものについては何も根源的な所与とすることはない、ということを妨げはしない。もしそういうことになれば、他者の固有本質的なものが私の固有本質の単なる契機ということになり、ひいては、彼と私は一つであることになろう。」(I.139)
(27)これも典型的なものとして筆者の念頭にあるのは、シェーラー(Vgl. op. cit., S.240ff.)が、次も参照。Waldenfels,B., "Vom Ich zum Wir",in: Der Spielraum des Verhaltens.
(28)これは、その源泉をヒュームの「共感(sympathy)」理論に、いやそれどころか、その萌芽はデカルトにまで辿ることができよう。Th・リップスが「類推」説を批判して「感情移入(Einfühlung)」説を提起し、この「感情移入」を「自己表出」と「模倣」という二つの本能から成るとしたとき、彼の本来の狙いも同じようなところにあったと言えよう。Lipps, Th., "Das Wissen von fremden Ichen", in: Psychologische Untersuchungen.
(29)Vgl. LU.II/1. S.328; XIII.105f.; XIV.182, 228f.; XV.225; VI.369f.
(30)註(1)に挙げた拙論参照。
(31)Claesges, U., "Zweideutigkeiten in Husserls Lebenswelt-Begriff", in: Perspektiven transzendental-phänomenologischer Forschung.
(32)フッサール晩年の「大地(Erde)」の思想を参照。Vgl.Husserl,E.,"Grundlegende Untersuchungen zum phänomeloeschen Ursprung der Räumlichkeit der Natur", in: Philosophical essays in memory of Edmund Husserl(ed.by Faber,M.)
(33)文化人類学における相対主義と反相対主義の議論については、次を参照。青木保『文化の否定性』(中央公論社)、浜本満「文化相対主義の代価」(『理想』一九八五年八月)。
(34)筆者は鷲田清一氏の『分散する理性』(勁草書房)の出版後、その論文を愛読してきたこの著者に宛てた私信で、次のような読後感を書いた。・・・あたかも理性(ロゴス)の相対主義を主張しているかのように響く「分散する理性」という表題は鷲田氏の意図する方向に相応しくないのではないでしょうか。確かに或る意味では理性の複数性も一つの論点になっていますが(同書、一七三頁)、鷲田氏の重心はそこにあるのではなく、むしろ「経験の動性」(一八三頁以下)にある筈です。その意味でこの表題は誤解を招くものと言わざるをえません。このような表題をつけた(つけることを許した?)傾きが、「相対主義の問題」の扱い方(一七五頁以下)のもう一つ不透明なところを残した叙述に現れているように思われます。・・・と。「理性の分散」について「もっとも危うい帰結」(一七三頁)と書いた同氏は、筆者の指摘を待つまでもなく、このことを十分に自覚していると思われる。小論は、「相対主義の問題」について筆者なりに答えるための準備作業ともなるべきものであったが、これについてはもう一度、きちんと論じ直さなければならないと思っている。