見えないものの現象学のために

浜渦 辰二(静岡大学人文学部)

(注記: これは、西日本哲学会編『西日本哲学年報』第5号[1997年10月発行]に掲載されたものです。)


 1927年の『存在と時間』の刊行以来、ますます「現象学」という語を使わなくなっていったハイデガーは、1963年の回想「現象学へ入って行った私の道」(以下、「私の道」と略記)のなかで、現象学という表題が消え去ったとしても「思索の可能性」としての現象学は保持される(1) と述べていた。それから10年後、1973年の「ツェーリンゲン・ゼミナール」(以下、「ゼミナール」と略記)でのハイデガーは、この「可能性としての現象学」を「顕現せざるものの現象学(Phaenomenologie des Unscheinbaren)」(2) と呼んだ。もちろん、それはあくまでも後期ハイデガー流に解された限りでの現象学であり、「現象するものに現象することを可能にしながら、自らは現象しないもの」つまり「存在」の思索のことにほかならなかっただろう。いまここでは、ハイデガーの「顕現せざるものの現象学」というアイデアを汲みつつも、それを彼にしたがうのではなく、むしろメルロ=ポンティ晩年の遺稿『見えるものと見えないもの』(3) における「見えないもの(l'invisible) 」に結び付け、そしてそのアイデアをフッサール現象学からの離反ではなく、むしろ正統な継承として、それゆえ、フッサールを改めてこの「見えないものの現象学」の創始者として位置づけなおすことを試みたいと思う。現象学とは、現象についての学だから、現象しないもの・見えないものの現象学など形容矛盾と思われるかも知れないが、実はそうではなく、そこにこそ、現象学の新しい可能性があることを示すことができれば、と思うのである(4)

1、ハイデガーが見逃したフッサール現象学の一側面

 いま挙げた「私の道」と「ゼミナール」においてハイデガーがフッサール現象学を論ずる際の重要な論点は、範疇的直観についての評価と、志向性についての批判の二点に絞ることができる。そして、この二つの論点は、実はすでに1925年マールブルクでの講義『時間概念の歴史への序説』(以下『序説』と略)(5) でハイデガーが指摘していたものである。この『序説』のハイデガーも、存在の問いへの通路を可能にしたものとして、範疇的直観という『論理学研究』のフッサールのアイデアを大いに評価しながらも(97f.)、とりわけ『イデーンⅠ』に示された現象学的還元の思想を「意識への還帰」という近代的な伝統への回帰として批判していた(147) 。その意味では、ハイデガーのフッサール現象学に対する態度は、この『序説』においてほとんど決まってしまっており、それが「ゼミナール」に至るまで基本的には変わっていない、と言える。初期フライブルク時代の1919年の講義『哲学の理念と世界観問題』や1923年の講義『存在論(事実性の解釈学)』が、すでに『存在と時間』につながる現存在分析を準備しながらも「可能性としての現象学」を擁護する姿勢にあったのに比較すると、1923年マールブルクに赴任して二年後の『序説』は、フッサール現象学に対してはっきり批判的な態度をとるに至っている。1927年に「尊敬と友情をこめて」フッサールに献呈された『存在と時間』は直接名指すことなしにフッサール現象学への強烈な批判を含んでいたが、1925年の『序説』は、ハイデガーがもっとも丁寧にフッサール現象学を辿り、手際よく論点を纏めながら批判を加えてゆき、そのなかから『存在と時間』で展開される思索が熟成していくという、言わばフッサール現象学への訣別を宣言する講義と言うこともできる。
 ところで、同じ時期のフッサールに目を移すと、彼は1916年にゲッティンゲンからフライブルクに赴任して来たが、ゲッティンゲン時代の1913年に『イデーンⅠ』を出版した後、フライブルク大学退官後の1928年にハイデガーの名ばかりの編集になる『内的時間意識の現象学』を、さらに翌年には『形式的論理学と超越論的論理学』を出版するまで、このフライブルク大学の教壇に立っていた12年間には新しい著書を一冊も出版していない。しかし、この12年間の「沈黙の時代」は決して「不毛の時代」ではなく、後に『受動的綜合の分析』として纏められる1920/21年冬学期、1923年夏学期、1925/26年冬学期の講義、『第一哲学』として纏められる1923/24年冬学期の講義、『現象学的心理学』として纏められる1925年の講義は、いずれも、一歩一歩登っていくフッサールの思索の新しい段階を示す重要なものである。ほかにも、この時期には、『イデーンⅡ』や『物と空間』の草稿の編集が行われ、また、『間主観性の現象学』その他の巻に収録される草稿や小論文が執筆され、いくつかの講演も行われているが、ここでは、ちょうど同じ1925年に、フライブルクで行われたフッサールの講義『現象学的心理学』(以下『心理学』と略)と、マールブルクで行われたハイデガーの講義『序説』という2つの講義の対比を中心に、それぞれ関連する講義などをも考慮に入れながら、フッサールとハイデガーの関係を考察することにしたい(6)
 さて、『序説』のハイデガーは、自らそのなかでも触れているように、ちょうど同じ時期フッサールの側で生まれ出ずる思索の状態にあった『イデーンⅡ』や『心理学』のための原稿を見る機会があったにもかかわらず、それらは、「原則的に古い問題設定にはまりこんだまま」だとしてしまう(167-171) 。それらの原稿ではフッサール現象学の新しい段階が進行していたにもかかわらず、しかも、「わたしは今日でもなおフッサールに対して教えを受けているものとしての態度を持していると告白する必要はほとんどないであろう」(168) と言いつつも、「わたしはフッサールの研究の現在の立場の内容的な性格については10分通じていない」(167) とそれらを10分吟味した様子が見られない。では、ハイデガーがこの講義を行っていたのと同じ頃フッサールの思索のなかで進行していたにもかかわらず、ハイデガーが見逃してしまったこと、とは何であったか。
 前述のように、『序説』から「ゼミナール」まで一貫してハイデガーがフッサール現象学を論ずる基本的な論点は、範疇的直観についての評価と、志向性についての批判の2点であった(7) 。しかし、前者について言えば、「自由変更」の理論や発生的現象学の構想は、範疇的直観の理論を否定しはしないものの、その位置づけを大きく変えるものであったし、後者について言えば、「地平志向性」の理論ないし地平の現象学は、「ノエシス-ノエマ」を「意識と対象」としてのみ理解していた志向性の理論を、これまた大きく塗り変えるものであった。これらはともに、『心理学』において見逃せない論点となっていた。ところが、『序説』のハイデガーは、こうしたフッサール現象学の新しい動きを見ようとはしていないし、晩年の「私の道」や「ゼミナール」でも、これらの動きについてはまったく触れられていない(8) 。こうした動きがフッサールのなかに当時起こっていたことについて、ハイデガーがどれだけ認知していたか詳らかでないが、少なくとも『序説』から「ゼミナール」に至るまで、ハイデガーはそういうところでフッサール現象学を見ようとはしていない。しかし、それらこそフッサールにおける「見えないものの現象学」であったように筆者には思われ、ここでは、それらに目を向けたいと思うのである。

2、フッサールにおける「見えるもの」と「見えないもの」


2-1、本質の現象学

 さて、『イデーンⅠ』のフッサールは、「直接に見ることがあらゆる認識の権利源泉である」ということを「あらゆる原理の原理」と呼んでいた(III/1, 51)(9) 。フッサールの言う「直接に見ること」ないし「直観」とは、決して経験主義的・感覚主義的に制限されて理解されてはならず、感性的直観と範疇的直観ないし本質直観を包括する広い意味で使われている。『イデーンⅠ』のフッサールによれば、われわれはいつもたえず「本質を見ている」のであり(そこから、「本質視(Wesensschau) 」という言い方も使われる)、それに対し経験主義的な偏見によって目を塞いではならない。経験主義にしたがえば、直接に「見えるもの」ではなく、見ているもの・直観しているものからの抽象という知的操作によって初めて得られる普遍的なものとしての本質も、フッサールによれば、われわれは端的に見ているのである。こうして、『心理学』のフッサールも、「見るという言い方の拡張が不可避である」(IX, 85)と述べている。
 しかし、本質が見えている・与えられているというだけでは満足できない、というところから現象学的分析が始まるとは、『論研』のフッサールがすでに述べていたこと(XIX/1, 9)であり、それは『心理学』にも言う「相関の研究」(IX, 24)に導くものであった。本質直観があるという主張で満足するのではなく、『心理学』ではそのプロセスを「自由変更(freie Variation) 」の理論によって分析しておる(IX, 72ff.) 。事実に自由変更を加えるなかで不変なもの(Invariable)として浮かび上がってくるものこそが本質なのである。『論研Ⅰ』では、イデアルなものは「超時間的(ueberzeitlich)」と特徴づけられていたが、ここでは反復のなかで同1のものとして「遍時間的(allzeitlich) 」と特徴づけられることになる。それは、イデアルなものはリアルなものと断絶して越えてあるのではなく、そのなかに、それを通じて現出するものだ、ということを意味している。それゆえにこそ、本質はア・プリオリでありながら、ア・プリオリなものがどのように発生するかが問題にされることにもなる。発生の問題については後に述べることにしよう。

2-2、生世界の現象学

 さて、経験主義者はイデアルなものに盲目になっており、彼らにとってイデアルなものは隠されているのだが、逆にイデアルなものによって経験が隠蔽されるという事態も生じる。後に『危機』のフッサールが「理念化(Idealisierung) 」と呼ぶ事態である。
 『序説』のハイデガーも、冒頭で諸学の危機を数え上げ、この危機を打開すべく、これら諸学によってもたらされた「歴史と自然」という2つの領域の分離に問いを向け、この分離に先立って示される現実を開示することに現象学の課題を見ていた(1ff.)。フッサールの『心理学』の体系部冒頭における課題設定もこれとまったく軌を1にするもので、危機は「自然と精神」という2つの領域の分離に由来するものであり、そこで彼が主張するのもこの分離に先立つ「経験世界(Erfahrungswelt)」への還帰(IX, 55ff.) であった。『序説』に見られる「科学的問いかけによって事象そのものが隠蔽されるに先立って」という言い方(6) は、『心理学』に見られる、近代自然科学は「方法の人工的産物」を見ており、理論的な活動がわれわれの経験を「覆っている」という言い方(IX, 56)(10) と平行するものである。ハイデガーはこの講義のための草稿を見ていたにもかかわらず、自分のものとほとんど同じ論点がそこに述べられていることにはまったく言及していない。
 ハイデガーは「私の道」で、フライブルクに赴任して来たフッサールのゼミで行われたことはまず「見ることを訓練する」であり、彼のもとで学んだのは「現象学的に見る」ことであった、と回想している(86)。フッサール自身『心理学』でも、「見ることを学ぶ」ことの必要を説いている(IX, 159) 。彼にとって、「見ること」とは、単純に目を開けていれば誰でも同じようにできること、向こうから飛び込んで来ること、なのではなかった。むしろ、われわれの「見る」ことは、しばしば多くの偏見・先入見に汚染されており、何を本当に「見ている」のかを明らかにするためには、しばしばこれらの偏見・先入見を取り除く訓練を必要とするのである。「事象そのものへ」というスローガンも、そうした偏見・先入見による汚染を免れた事象そのものへと立ち帰ろうとするものであった。『心理学』で言う経験世界は、近代自然科学的な「理念の衣」に覆われてしばしば見えなくなっているが、実は初めから経験されているのである。それがどのように経験されているのかを解明するのが、地平志向性の理論であった。

2-3、地平の現象学

 『序説』のハイデガーは、「事物はアスペクトにおいて射映する」(58)とフッサール用語を用いつつも、志向性をもっぱら「志向と志向されたもの(intentio und intentum)の共属性」(58)という構造において理解していた。このように解された志向性はやがて、「存在するものはいつもただ意識にとってのみある」という「内在の命題」(297) を結局は免れないものとして批判されることになる。しかし、フッサール自身のなかでは、すでに『イデーンⅠ』の頃から、志向性をこのような構造には収まり切れないものと考え始めていた。それが「射映」「パースペクティヴ」「アスペクト」などと結びついた「背景意識」「地平志向性」という考えであった。これは、遡って1905年の講義『内的時間意識の現象学』では時間論との関連で、また1907年の講義『物と空間』では空間論との関連で触れられていたが、さらにはっきり意図的にそれが展開されたのは『イデーンⅠ』においてであった(11)
 『物と空間』のフッサールは、「私たちが家を見ているとき、私たちの視野はもっと包括的な視覚的背景を持っており、私たちはそれをも見えるものと言うのがふつうである」(XVI, 11) と述べ、さらに、「現出には、見えるもの(das Sichtbare) が見えないもの(das Unsichtbare) を指示しているということが属している」(XVI, 245)とも述べていた。また、『第1哲学』のフッサールも、「知覚されたものは地平意識なしにありえない。……すべて知覚されるものは言わばそれ自身のうちにその背景をもっており、見える前面によって呈示されるものとして、見えない内面や見えない背面をもって与えられている」(VIII, 146) と述べている。同様に、『心理学』のフッサールも、「知覚されるものには、さらに続いていく可能的経験の開かれた地平が属している」と述べ、また、「単に個々の実在が経験されるだけでなく、初めから世界が経験されている」、しかも「両者は不可分である」と述べている(IX, 62)。このような地平の現象学は、見えるもののみに考察を限定するものではなく、見えるものが絶えず見えないものへの指示をもっており、見えないものとの関連をもって現出しているという、見えるものと見えないものの絡み合いの構造において現出を捉えようとするものであった(12)

2-4、身体の現象学

 これらの問題と関連して、『序説』のハイデガーは「距離(Entfernung)」について論じ、「幾何学的な空間性から出発しないことが重要である」と主張している(230) が、これは「現存在の空間性」として『存在と時間』で更に詳しく展開されることになろう。この論点も、フッサールがすでに『物と空間』以来論じていたことと軌を1にするものである(13) 。この講義のフッサールは、「世界は、学問に先立って自然的な把握に呈示されており、あらゆる経験科学はこの世界にあとから関係するものである」(XVI, 6)として、「下から始める」(XVI, 7)べき「経験の現象学」(XVI, 3)という課題において、「本来的な意味では距離(Entfernung)は、(対象と身体的な関係点の間の)間隔(Abstand) としては決して与えられず、距離は本来的な意味では知覚可能なものではない」(XVI, 228)と、距離と間隔を区別していた。そして、その脈絡のなかで「自我身体(Ichleib) 」という語を使い、「物的な事物性の構成は、自我身体の構成と奇妙な相関関係のうちに絡み合っている」(XVI, 162)と述べていた。『イデーンⅡ』のフッサールによれば、「私は自分自身を触れるようには、私自身、私の身体を見ることはない」(IV, 148) が、私には完全には見えないこの私の身体を「あらゆる知覚の器官」と呼び、「経験の可能性には、自由に動く感覚器官としての身体が属している」とも述べている(IV, 56)。これについて『心理学』では、「原身体(Urleib)」(IX, 107) ないし「自己身体(Eigenleib) 」(IX, 157) という語で論じられ(IX, 157) 、「志向性の研究は、自己身体の志向性をその知覚機能において研究することなしには遂行されえない」(IX, 197) とも主張されている。「原身体」もまたこのような意味で「見えないもの」に属すことになるが、こうしたフッサールの研究についても、『序説』のハイデガーが言及することはない。

2-5、発生的現象学

 このように地平や身体においてすでに機能している志向性を考慮するとき、われわれは、フッサールが発生的現象学と呼ぶものに近づくことになる。これも、フライブルク時代に盛んに論じられるようになり、『心理学』のなかでも展開され、それ以後フッサール現象学の1つの中心テーマになっていくが、これについても、ハイデガーは『序説』のみならず、晩年の「私の道」や「ゼミナール」でもまったく関心を示していない。
 遡って1905年の講義『内的時間意識の現象学』のフッサールは、「時の流れ」という比喩を使いつつも、時が決してただ流れ去っていくものとは捉えていなかった。今が瞬間的な今としてどんどん流れ去るのではなく、むしろ過去把持と未来予持という「地平」(X, 28, 43) を伴った現在として捉えられ、過去は単に過ぎ去ってしまうのではなく、むしろ「深み(Tiefe) 」(X, 28) へと沈澱していく。『心理学』のフッサールも、「瞬間的な知覚はすべて、濃淡のある過去把持と未来予持の地平の1つの連続体の核位相であり、……もはや生き生きしていない過去の深みへと沈んだものが再び浮上し、想起として再び直観的になる」(IX, 202) と述べている。われわれの経験はこのような「深さの次元」(IX, 30)をもっており、さしあたりは「見えない」このような次元を明るみにもたらし、沈澱しているものを発掘する「考古学=アルケーについての学(Archaeologie) 」(VIII, 29)が、いまや発生的現象学の課題となる。現象学は「初めは静態的であるが、……次には必然的に発生的研究」(IX, 216) となる。
 しかし、ここで重要なのは、フッサールが発生的現象学を論ずる際いつも、この発生的現象学は静態的現象学のあとに来る課題と考えていることである。発生的現象学は、静態的現象学における本質記述を「手引き(Leitfaden) 」にしながら、そこから「遡って問う(zurueckfragen)」という仕方で論じられる。それは初めに想定された起源から現にある構造の由来を説明するのではなく、現にある構造という見えるものから遡って起源という見えないものを問うのである。まだ発生的現象学について語っていなかった『物の空間』講義において述べていた、「現象学の本性は、表面から一歩一歩深みへと入っていくところにある」(XVI, 12) という言葉は、ここでも決して失われてはいない。

2-6、他者の現象学

 さて、フッサールは他者経験(Fremderfahrung)について至る所で論じており、『心理学』もその例外ではないが、これも「見えないものの現象学」に属すると言ってよい。
 フッサールはすでに『論研Ⅱ/1』の「伝達的会話」について触れたところで、「他者の怒りや痛みを見るというような他の人格の心的体験の知覚という日常的な語り方はまったく正しい」(XIX/1, 40f.) としていた。彼は他者経験を論ずる際、「他者が怒っている、悩んでいる、等をわれわれは“見る”」(XIII, 64f.)、としばしば述べるが、それは単純に直接的な「見る」なのではなく、そこには或る間接性が潜んでいる。『心理学』では他者経験は「解釈(interpretieren)」によるとしているが(IX, 108) 、前年の講義『第一哲学』では、それを「根源的に解釈しながら見ること(urspr7nglich interpretierende Ansehen) 」とし、「経験の1つの固有の根本形式」とすら呼んでいた(VIII, 63)。フッサールは様々な言い方で、この間接性を内に含んだ直接性を表現しようとしている。後に『デカルト的省察』のフッサールが、他者経験のもつ「異他性(Fremdheit) 」は、「本来的には接近不可能なものが接近可能となるという仕方(Zugaenglichkeit des original Unzugaenglichkeit)」に存する(I, 144)と述べるのも、このような事情を表すためであった。
 まったく同じような言い方をわたしたちは、メルロ=ポンティの『見えるものと見えないもの』のなかに見出すことができる。彼は例えば、フッサールの『イデーンⅡ』を指示しながら、「見えない世界:それは本源的(originairement)には根源的に現前しえないもの(non-Urpraesentierbar) として与えられる。それはちょうど他者がその身体のうちに本源的には不在として与えられているのと同じである」(234) と述べている。この「現前不可能なものの本源的現前」(257) という言い方は、同書のなかに繰り返し登場する表現である。ここでは、このような他者あるいは他者経験が、見えるものをささえている見えないものとして、しかも単に見えないだけでなく、見えるものを通じて与えられる見えないものとして語られているのである(14)

2-7、超越論的現象学

 さて、前述のように「見ることを学ばなければならない」と述べる時、フッサールが何よりも念頭においていたのは、自然的態度にとって「見えないもの」、すなわち超越論的なもののことであっただろう。『心理学』のなかでも、「われわれの主観性全体は言わば匿名(anonym)にとどまる」(IX, 147) と述べている。しかし、ここで「主観性」と呼ばれているものは、これまでに見てきたさまざまなテーマとまったく別のものではない。それは、「本質」「生世界」と相関関係にあり、その相関関係の諸相にこそ「地平」「身体」「発生」「他者」の問題が現れる。彼にとって超越論的なものとは、このような相関関係と諸相において初めて解明されていくものなのである。
 主観性のもつ「匿名的な機能」について『形式的論理学と超越論的論理学』では、「隠された能作」(XVII, 179) 「匿名にとどまる構成的活動」(XVII, 185) の露呈こそが、超越論的現象学の課題だとされる。彼がそこで述べていることによれば、「志向性が遂行され、能作する生として流れているとき、それは(言わば)“無意識(unbewusst)”にある。それは何かを主題的にするが、まさにそれゆえに自らは主題的にならない。それは(超越論的な)反省によって露呈されない限り、隠されている」(XVII, 188) のである(15) 。こうして、自然的態度においては、匿名的に遂行され、それゆえに「見えないもの」となっている「超越論的なもの」を露呈すること、これこそフッサールにとってもっとも重要な「見えないものの現象学」であった。フッサールが超越論的現象学と呼んだものは、まさに「見えないものの現象学」であったことになる。

3、「顕現せざるものの現象学」と「見えないものの現象学」

 さて、1925年のフッサールとハイデガー、二人の講義を対照することによって明らかとなったのは、フッサールにおいて生まれつつあった以上のような新しい動きにハイデガーはもはや関わろうとはせず、それ以前のもの(フッサールにとってはもはや脱け殻だったもの)によってフッサール現象学を総括し批判し訣別をし、『存在と時間』へのステップを登って行ったということである。『序説』のハイデガーは、現象学を「それ自身において顕わなるものをそれ自身から見させること」(117) と規定し(これはほとんど『存在と時間』でも継承される)、それは「隠蔽を解体するという意味で露わにし見させる作業」(118) であるとしているが、そこでは、隠蔽を解体しさえすれば、すべて事象は顕わになるはずであった。しかし、ハイデガーは、やがて、自らこのように規定した現象学の方法ではもはや近づきえないものに気づき、現象学から離れていくことになる。それが決定的に行われるのは、いわゆる「転回(Kehre) 」によってであっただろう。
 いま、これまで様々に論じられてきたハイデガーの「転回」について立ち入るつもりはないが、とりあえず、「現存在から存在へ」という考察方法から「存在から現存在へ」という考察方法への転換と言って、大きな間違いではなかろう(16) 。それは、「ゼミナール」の言い方で言えば、「思惟がその新しい場所では初めから、意識の優位とその帰結としての人間の優位とを、放棄したということである」(125) とも言い表され、このことは「放下(Gelassenheit)」(70f.)と表現される。しかし、筆者には、このハイデガーの方向転換は、突然媒介のないままに言わば向こう側に行ってしまい、向こう側から語り始めるという印象がしてならない。結局、「存在」ということで何を言おうとするのかが分からなくなってしまうように思われる。このような「転回」を経た「ゼミナール」のハイデガーがなおかつ、現象学に可能性を見出すことができるとすれば、それはそもそも「顕現せざるもの」、「現象するものに現象することを可能にしながら、自らは現象しないもの」(115) についての現象学としてであり、ここで、「顕現せざるもの」と呼ばれるのは、冒頭でも述べたように、ハイデガーの言う「存在」であっただろう。しかし、ここでは『序説』における現象学の理解がもはや通用しないとすれば、それでは、ここにおいて現象学とはどのようなものとして理解さるべきなのか、それはハイデガーにとって必ずしも明らかではなかったように筆者には思われるのである。
 それと較べ、フッサールの「見えないものの現象学」は、これまで検討してきたことから分かるように、あくまでも「見えるもの」の媒介を通じて1歩1歩「見えないもの」へと突き進み、この「見えない」ものを少しずつ明らかにしていこうとする。身体性・空間性・時間性・他者性という媒介を経て、「見えるもの」を支えている「見えないもの」を明らかにしていこうとするのである。フッサールの「見えないもの」とは、あくまでも、「見えるもの」をてがかりに、「見えるもの」を通じて、「見えるもの」との繋がりのなかで、次第に明らかになるものなのである(17) 。メルロ=ポンティが『見えるものと見えないもの』で「存在」を語るのは、このような意味での「見えないもの」としてであるように思われる。彼は、こう述べている。それは、「事実上見えないものでもなく、また見えるものと何の関係もない絶対に見えないものでもなく、この世界の見えないもの、つまりこの世界に住みつき、それを支え、それを見えるようにする見えないもの、この世界の内的で固有な可能性であり、この存在者の〈存在〉なのである」(198) 。
 ここにおいて、筆者は、かつてクラウス・ヘルトが行った講演「ハイデガーと現象学の原理」のなかで、ハイデガーは開示性の次元を「世界」とするべきだったのにそれを「存在」としてしまったと述べ、ハイデガーの「放下」においては「責任性」という契機が軽視されてしまうのではないか、と述べていたこと(18) を思い出す。いまここで筆者はむしろ、ハイデガーは現象学の可能性をしばしば「方法」として評価していたにもかかわらず、フッサールの「見えないものの現象学」に関心を向けることなく、それ以前の現象学理解を基にフッサール現象学から離れていったとき、ハイデガーは「そこへ至る道」「通路」「手引き」としての「方法(meta-hodos)」をも見失ってしまったのではないか、という疑念を強調したいと思う。


(1)Heidegger, M.: Zur Sache des Denkens, Max Niemeyer, 1976, S. 90.(戻る)
(2)Ders.: Vier Seminare, Vitorio Klostermann, 1977, S.137. (戻る)
(3)Merleau-Ponty, M.: Le Visible et L'Invisible, Gallimard, 1964.(戻る)
(4)小論は、1996年4月現代哲学研究会のシンポジウム「現象学の新しい可能性」で口頭発表した原稿に大幅に訂正を加えたものである。同研究会の席上、その他の機会に有益な助言をいただいた皆様に感謝いたします。(戻る)
(5)Heidegger, M.: Prolegomena zur Geschichte des Zeitbegriffs, Gesamtausgabe II. Abt., Bd.20., Vittorio Klostermann, 1979. 以下、同書に限らず、文脈から引用文献が明らかな場合は、書名を略し、出典箇所の頁数のみを本文中括弧内に記す。(戻る)
(6)それゆえ、「フッサールとハイデガー」というテーマについてこれまでさまざまに論じられてきたこと(たいていは、この後の1927年における「ブリタニカ論文」の共同執筆での決裂を中心に論じられる)についてはここでは触れず、むしろ、従来余り論じられてこなかったところに光を当ててみたいと思う。(戻る)
(7)「ゼミナール」のハイデガーは、「フッサールは志向性と言いながら、やはり〔意識の〕内在の中に包みこまれている」と批判し、フッサールのように「エゴ・コギトから出発する限り、意識の領域は突破できない」として、「エゴ・コギトは閉じられた場である」と断言する(120) 。『序説』のハイデガーも、フッサールの志向性は結局は認識論的な「内在の命題」へと陥ってしまっており、「~に向かっている」という志向性の理解では不充分で、それは「~のもとで・すでに・有ること・において・自らに・先立って・有る」ことと解されねばならない(420) と主張していた。このような志向性への批判から、『存在と時間』の「世界-内-存在」としての現存在というアイデアが生まれてきたことは言うまでもない。しかし、フッサールの志向性を、ハイデガーのように「内在」によって特徴づけるのではなく、逆に「超越」によって特徴づける理解も古くからあったことはよく知られている。例えば、1930年に出版された『フッサール現象学の直観理論』( La theorie de l'intution dans la phenomenologie de Husserl, Felix Alcan, 1930)の著者若きレヴィナスも、「意識は自己を超越し、意識であらぬ何ものかに向かう」という超越性に着目していた。後に、このレヴィナスの著書から現象学の手ほどきを受けたサルトルが、1939年の論文「フッサールの現象学の根本的理念」で、志向性を「炸裂(eclatement)」と特徴づけ、現象学を「超越の哲学」と呼んだのも、この流れに沿うものであった。後に、1951年の第一回国際現象学会議における発表「志向性という現象学的概念」においてドゥ・ヴァーレンスが、まさにハイデガー的な用語である「脱自(ex-sistence) 」によって、フッサールの志向性を特徴づけたのも、このような志向性の理解からであった。(戻る)
(8)目を転じれば、前述の若きレヴィナスのフッサール論はすでに地平志向性のアイデアに着目していたし、それから31年経た1961年の『全体性と無限』( Totalite et Infini, Martinus Nijhoff, 1971) のレヴィナスも、「本書で主張された主要命題のひとつはノエシス-ノエマの構造を志向性の本源的構造としては認めない」ことだと述べ、「フッサール以来、地平の観念を顕揚することが現象学のすべてをなしている」と述べていた。他にも、この地平志向性のアイデアをゲシュタルト心理学の「地と図」と結び付けて継承していった『知覚の現象学』のメルロ=ポンティがおり、また、「意識の地平構造」を「フッサールのもっとも偉大な発見の1つ」と呼んだラントグレーベ( Phaenomenologie und Geschichte, Groetersloh, 1968) がいる。(戻る)
(9)フッサールの著作からの引用については、『フッサール全集( Husserliana ) 』の巻数をローマ数字、頁数をアラビア数字で、本文中括弧内に記す。(戻る)
(10)これは、後期フッサールの「理念の衣(Ideenkleid)」によって覆われていた世界から生世界(Lebenswelt)への還帰という主張(VI, 51)に繋がるものである。(戻る)
(11)後に1929年の『形式的論理学と超越論的論理学』の或る脚注で、「『論研』では地平志向性の理論がまだ欠けていたが、その決定的な役割は『イデーンⅠ』において初めて提起された」(XVII, 207) と述べている。(戻る)
(12)地平志向性の理論はノエシス的側面においても、「すべての顕在的経験は、自らを越えて可能的経験を指示して」(III/1, 102)おり、「志向性は顕在性において遂行されていなくとも、非顕在性においてすでに発動している」(III/1, 189)と述べられていた。これは『見えるものと見えないもの』のメルロ=ポンティが、「決定的な歩みは意識というものが実は作用なき志向性、つまり作動しつつある(fungierende) 志向性であるということ」(292) であり、「必要なのは、存在のうちなる志向性である作動しつつある(fungierende) ないし潜在的な志向性を採りあげなおし展開することである」(297f.) という、作動しつつある志向性に繋がるものであろう。(戻る)
(13)これについては、拙稿「空間の現象学にむけて」(『人文論集』第4104号の2、1994年1月)および「幾何学的空間と生きられる空間」(同、第4105号の1、1994年7月)を参照されたい。(戻る)
(14)『見えるものと見えないもの』におけるメルロ=ポンティが、「見えないもの」と呼ぶのは何よりも「理念(l'id0e)」(198) ないし「意味(sense) 」であるが、いずれにせよ、「それは見えるもののうちでしか現れず、それは根源的に現前しえないもの(Nichturpraesentierbar)であるが、そのようなものとして世界のうちで私に呈示される」(269) のであり、「見えるものが見えないものを懐胎している」(ebenda)のである。(戻る)
(15)この「無意識」と「匿名性」において、フロイトの精神分析とフッサールの現象学が交差する場所を見出すことができることについては、鷲田清一「フロイト --- 意識のブラックホール」(今村仁司ほか編『現代思想の源流』講談社、1996年5月)を参照。因みに、同書所収の野家啓一「フッサール --- 身体と大地のアルケオロジー」の次の箇所は、小論が論じようとしている「見えないものの現象学」の趣旨を適切に表現している。「フッサールが沈黙の102年間に格闘し続けたのは、まさにこうした現前と非現前の、あるいは「見えるもの」と「見えないもの」との逆説的な絡み合いという事態であった。それは彼に「非現前の現象学」ともいうべき課題、つまり木に縁って魚を求めるがごとき困難な思索を強いたのである。」(249頁)(戻る)
(16)「転回」の意味について、また、前述注(6)の「フッサールとハイデガー」問題についても、細川亮一『意味・真理・場所』(創文社、1992年)を参照。(戻る)
(17)フッサール現象学は、あくまで「私の身体」という原点から出発しながら「見えるもの」を手掛かりに「見えないもの」へと辿っていくというパースペクティヴ的構造において世界を捉える。それは、現存在から存在へと辿る『存在と時間』のハイデガーとも、存在の側から語り始めた後期ハイデガーとも異質なものである。かつて、『全体性と無限』のレヴィナスは、ハイデガーの『存在と時間』を念頭に置きながら、これを「中立的なものの哲学」と呼び、それに抗するために「主観性の擁護」を試みた。この意味では、後期ハイデガーの存在の思索もまた「中立的なものの哲学」に変わりなく、フッサール現象学こそ「中立的なものの哲学」に抗する手掛かりを与えるものと言えよう。そしてフッサールは、この「私」という原点からのパースペクティヴ的世界のなかに「自己責任」(z.B. VI. 200, 272; V. 139, 148, 162) という概念を置いていた。(戻る)
(18)Held, K.: "Heidegger und das Prinzip der Phaenomenologie". (「ハイデガーと現象学の原理」竹市明弘・小川侃訳、『思想』1988年7月、63頁、71頁。(戻る)