精神病理学は「失敗した学問」なのか?

─渡辺哲夫『二十世紀精神病理学史序説』を読む─

 

2002年4月17

臨床と哲学の研究会にて

浜渦辰二

 

1.「失敗した学問」の元凶は〈歴史の不在〉にある?

 

 昨年12月、渡辺哲夫『二十世紀精神病理学史序説』(西田書店、2001年)が出版された。「二十世紀精神病理学史」を語るこの本は、精神病理学を「失敗した学問」と呼ぶ章から始まる。16年前の著作『知覚の呪縛─病理学的考察』(西田書店、1986年)は、作家・田口ランディの「四十歳になって、本書『知覚の呪縛』と出会ったときの衝撃は、十五歳のときに〔セシュエー『分裂病の少女の手記』によって〕分裂病の存在を知ったときの衝撃の百倍もあった。メガトン級のショックを受けた」という賛辞によって今年2月に文庫本化(ちくま学芸文庫、2002年)されたが、「二十八年間にわたって精神病理学という研究領域に身を置き続けてきた」著者自らが、かつての熱の籠もった研究を自己批判し、古巣に訣別宣言をしようというのであろうか。最終章「精神病理学のポテンシャル」にも、刺激的な主張が並ぶ。「ひとつの学問が消滅しつつある。否、もうすでに消滅してしまったのに、消滅したこと自体が忘却されているだけかもしれない」と。さらに言う。「私見だが、この学問の寿命は百歳に満たなかった。……一個の独立した学問自体が、誕生から消滅までおよそ七十年、生き生きとしていたときがおおよそ五十年という寿命の短さは例外的ではあるまいか」と。著者の考えている七十年とは、ヤスパースの『精神病理学総論』の出版(1913年)からDSM−Vの発表(1980年)までで、五十年とは、フロイトの『自我とエス』刊行(1926年)から木村敏の論文「分裂病の時間論」の発表(1976年)まで、のことだそうだ。かなり恣意的にも見えるが、いまは、DSM−Vの登場をもって精神病理学の消滅の時期と考えていることだけを、記憶にとどめておこう。

 しかし、もう一度「失敗した学問」の章に戻って、じっくり読んでみると、必ずしも精神病理学への訣別宣言というわけでもなさそうである。こう述べている。「いまの私は、自身が長年携わってきた精神病理学という学問に対して、極度にアンビヴァレントであると正直に告白しよう。この学に対する憎悪に近い不快と軽蔑が、この学に対する親愛の念と併存している」と。これは、近親憎悪なのだろうか。著者にとって憎悪か親愛かはともかくとして、いま私たちにとって重要なことは、この「不快と軽蔑」から発する精神病理学に対する評価が、きちんとした批判たりえているかどうか、である。そこで、著者が精神病理学に対して向ける批判、何をもって精神病理学は「失敗した学問」だと断言しているのか、それを検討することにしたい。

 著者は、「失敗した学問」の章の冒頭で、まず、精神病理学のいくつかの問題点を挙げる。主な論点をピックアップすれば、第一に、「アドルフ・ヒトラーという一個の狂的な“精神”の露骨な現前に立ち会いながら殆どの精神病理学者が黙して語らない。否、語るべき力を持たないままでいる」という点。第二に、「本来、小さな場所で展開されるべき日々の精神医療実践になりえていない」という点(簡単に言えば、治療に結びつかない、ということか)。しかし、これらは最初の話の切っ掛けに過ぎず、根本的な問題点として、「精神病理学はどこかで道を誤ったのだ」と指摘する。しかも、「この学の道の踏みはずしは精神医学の大学者と称される人びとの見えない過誤あるいは強引な決断でもって始まった」、つまり踏みはずしは途中で起こったのではなく、精神病理学の始まりの地点にすでに孕まれていたというのである。

 一つは、カール・ヤスパース。彼が『精神病理学総論』において提起した「了解」という方法は、ディルタイから学んだものであった。しかし、ディルタイにおいては「内的経験・生の表現・歴史的連関に基づく了解」という文脈をもっていたが、ヤスパースが精神病理学に「了解」という方法を導入したとき、「この歴史感覚を切り捨ててしまった」。つまり、「目の前にいる精神病者の心的世界を“静的”に、現在形の時制のみで感情移入し記述すること、目の前にいる現在形の精神のかたちを“了解可能”“了解不能”“説明可能”と分類すること、これがヤスパースの“了解”であり彼の現象学であった」。ディルタイの「了解」から歴史的連関を切り捨ててしまった、これだけではない。「自然的領域」(自然科学)の「説明」に対する「歴史的領域」(精神科学)の「了解」の優位性を主張しようとしていたディルタイに対して、ヤスパースは、「精神的なものは了解の領域であり、物質的なものは因果的説明の領域であるというもっともらしい考えは誤っている。……精神的事象も因果的説明に従いうる。因果的認識には限界は少しもない。……これに反して了解は至る所に限界をもつ」と「反逆」をしている。著者は、そこに「ヤスパースに沁みついた医学的思考の限界を見る」と述べる。この後者の批判点も記憶にとどめておいて欲しいが、いま著者が強調するのは前者の批判点である。すなわち、それによって、「厳密な学としての精神病理学は、出発点において、〈歴史不在〉という刻印を押された」というのである。これが主要な批判のポイントとなっていく。

 もう一つは、ジークムント・フロイト。ここでも〈歴史不在〉がポイントになる。「エスは時間以前、歴史以前、個性的人格以前の、殆ど神話的なエネルギー体である」。こうして、著著は述べる。「エスという精神分析の中心概念がこのように時間以前、歴史以前、人格以前、言語以前の虚空に浮かぶ混沌の如きものであるならば、精神分析もまた、ヤスパースの“了解”心理学と同様に〈歴史不在〉の学であるのは明瞭だろう」と。

 以上、要するに、精神病理学の二つの源泉であるヤスパースとフロイトという、二人の学問の思想的背景に、ともに〈歴史の不在〉という刻印が押されていること、これが精神病理学の始まりの地点ですでに「道を誤った」徴候だというわけである。なぜそれが「道を誤った」ことになるかと言えば、「われわれの各自的な〈いま・ここ〉の経験がさまざまに限定されながらも自明に持続しているのは、われわれが、言わば、その都度すでに“歴史的存在”だから」ということになる。以下、精神病理学の問題点として本書で一貫して主張される主要なポイントは、この〈歴史の不在〉ということになる(1999年初冬、木村敏が、京都における長時間の対話のなかで私を追いつめることによって私の曖昧な想念のなかから〈歴史不在の想起〉という言葉を引きだしてくれた、という)が、それは果たして精神病理学に対する適切な批判点たりえているのだろうか。〈歴史の不在〉が、或る学問が「失敗」した元凶となるのだろうか?

 

2.精神病理学は分裂病中心主義なのか?

 

 著者が、精神病理学に対する批判として第二に挙げている論点は、「分裂病中心主義」と呼ばれている。そして、第一の〈歴史不在〉という特質と二十世紀の精神病理学を席巻したこの「分裂病中心主義」とは結びついていると著者は主張する。これは説明が必要だろう。

 本書第二章は「分裂病と〈歴史不在〉」と題されている。「長年いわゆる分裂病と付き合っていれば〈歴史不在〉は殆どの病者たちにおいて透けて見えてくる」という指摘から始まり、ブランケンブルク『自明性の喪失』のアンネ・ラウをその例として挙げている。ブランケンブルクの分析から、「過去との連続性の欠如」、「後ろ向きの不連続性」、「来歴」ないし「自己の既在」そして「どこから」の欠落、などが〈歴史不在〉を指摘するものとして取り上げられる。それは、時間の欠如・不在なのではなく、「時間をその都度に構成し持続せしめる力としての“枠組”の〈不在〉」なのだ、という。「かたちのない勢いとしての〈生命〉(時間)が“枠組”としての〈歴史〉による拘束を受け入れて、おのれにかたちを与え、〈歴史〉の力が〈生命〉の勢いを特殊人間的に限定する、つまりは“生命”を“生活”に、“生活”を“人生”にする」という。つまり、「人間が人間らしく生きるためには、〈生命〉の勢いと〈歴史〉感覚との均衡がどうしても必要」というのである。

 そこから著者はブランケンブルクに対して批判を向ける。「アンネの訴え〔有名な「私に欠けているのは……」といったくだり〕から対人関係論へ、コモン・センスの病理学へと思索を進めるのは可能であり有効でもあろう。だが、このような理解に欠けているのは〈生命〉を特殊人間的に構成し続ける〈歴史〉の力を感知する歴史眼あるいは歴史感覚である」と。ここで著者は、分裂病者における〈歴史の不在〉から、精神病理学(者)の〈歴史の不在〉へと話を飛躍させる。

 私たちの研究会でも「分裂病者における時間の断裂」というテーマを採り上げたことがあり、「時間」はこの著者からすれば「生命」の問題であり、「歴史」の問題は次元が異なると言われるかも知れないが、分裂病者における〈歴史の不在〉については、分からないわけではない。しかし、精神病理学(者)の〈歴史の不在〉については、どうだろうか。例えば、分裂病者の生活史への関心は、それを打ち消すものとはならないのだろうか。著者は、こう述べる。「分裂病研究史における心因論的言説は、生活史上の出来事の個々の力動や因果関係にのみ目を奪われたがゆえに淘汰されていった。〈歴史〉の力、特殊人間的な〈生命〉を造形し持続する力としての〈歴史〉に盲目であったがゆえに、事態の根底には行きつけなかった」と。単に生活史上の個々の出来事に目を向けるだけでは〈歴史〉を見ているわけでなく、「〈生命〉を造形し持続する力としての〈歴史〉」を見てはいない、そこに〈歴史の不在〉があるというわけである。

 しかし、そのことがどう「分裂病中心主義」と結びついているのか。第3章の「分裂病中心主義の世紀」へと進もう。

 著者は自らが熱く精神病理学に携わっていた時期を振り返りながら、こう述べている。「私が医師になった1973年ころ、分裂病研究の熱狂性は殆ど絶頂に達していた。この熱狂の冷却のスピードもじつに迅速で、多くの研究者が“精神病理学の危機”を叫んだのも束の間、分裂病の精神病理学も、その危機感も、そして分裂病問題も、1980年ころから忘れ去られてしまった」と。「1980年ころ」というのは何が念頭にあるのかと振り返ってみれば、前述のように著者は、DSM−Vの登場(1980年)をもって精神病理学の消滅の時期と考えていた。著者は、DSM−Vの登場以来、「ここ20年間“病みゆく”学からできるだけ遠く離れていようと心掛けてきた」と言うが、それほどDSM−Vへ寝返りをした、とも思えない。「傍観者を気取っている立場にはおれない」と言いながらも、「この約20年間、われわれはアメリカ合衆国製の診断基準を“真理”と思い込み始めている」と距離を置くかのような傍観者的な発言をしている。

 それにしても、なぜ精神病理学は「分裂病中心主義」となってしまったのか、について著者はこう述べる。「医学研究の重点を決定するのは大衆である。明瞭には意識されていない“不安定”を感じる大衆が、医学に研究主題を選択すべく要請する。医学はこの要請に敏感に反応して、これに従う。結果として選ばれたのが、二十世紀の精神医学にとっては分裂病であった」と。つまり、「“疾患”の次元と“精神”の次元」には違いがあり、二十世紀において分裂病に関心が集まったのは、“疾患”として分裂病が急増したからではなく、時代の“精神”が分裂病に共感をもったからである、とでも言うわけである。「精神分裂病は現代に何らかの適応性がある」というヤスパースの言葉を引用しているように、分裂病中心主義は、二十世紀という時代の「精神」の「病み」を表していたことになる。

 著者は、分裂病中心主義の精神病理学の時代=二十世紀は終焉し、DSM−Vの新しい世紀へ突入した、と考えているわけでもなさそうである。むしろ、「精神病理学が信頼されるに足る力を身につけて思想史の構成に関与しうるならば、この学問は廃墟のなかから蘇生するかもしれない」と希望を語り、その可能性を〈歴史不在の想起〉に見出そうとしている。要するに、精神病理学が持っていた欠点である〈歴史不在〉を、〈想起〉によって埋め合わせをすれば、「廃墟のなかから蘇生するかもしれない」ということであろうか。著者は、「あとがき」にも、こう述べている。「精神病理学にはこの学に固有かつ不可欠の〈歴史の概念〉が欠けている」と。しかし、欠けている〈歴史の概念〉をどうすれば補うことができ、〈歴史不在〉を〈想起〉によって埋め合わせることができるのだろうか、いま一つ具体的にどうすればいいのかが見えてこないのは、私一人ではあるまい。

 

3.精神病理学に対する従来の批判

 

 精神病理学に対して著者が述べる二つの批判点(すなわち、〈歴史の不在〉と分裂病中心主義)は、従来から言われている批判と較べて、奇妙でもあり、分かりにくいように思われる。そこで、従来から精神病理学(あるいは、もっと広く精神医学)に対して言われる批判点を振り返っておこう。

 第一に、それは科学なのか、という疑問があるだろう。この問題は、振り返ってみれば19世紀末に、ウィーン学団の「統一科学」という思想(科学は一つであり、精神科学・人文科学・社会科学も自然科学に見習うことによって初めて科学たりうると、精神科学なるものの独自性を認めない)と、それに対抗して登場したディルタイの解釈学や新カント学派による、自然科学とは根本的に異なる性質をもった精神科学の独自性を認めようとする考えとの間で行われた論争にも遡るものである。私たちの研究会では、昨年12月に大饗広之「精神病理学はいかにして『科学』たりうるのか? 『科学論』からの再考」が採り上げた問題である。大饗はそこで、DSM(V、W)は一見「科学的」であるかの装いをもっているが、実は「アメリカ的な政治、経済的事情の上に生じた展開である」ことを指摘し、それの抱える難点を五点(省略)に渡って指摘する一方で、精神病理学が「通常科学」(クーン)たりうる条件として、@問題状況への「治療的関与」から出発していること、A理論仮説が一定の許容範囲内のものであること、B共通の土俵は「治療的な対話」であること、という三点を提案している。

 また最近では、精神病理学よりももっと広い文脈においてであるが、中井久夫「医学・精神医学・精神療法は科学か─一見極論にみえる常識論」(『こころの科学』2002年1月号)も同じ問題を論じている。中井は、こう述べる。「精神療法は科学でないが、それは精神科学が科学でなく、いや医学(近代医学)が科学でないのと同等の意味においてである」と。中井は、そもそも医学とは、「科学プラス倫理」であると主張する。つまり、「科学的であっても反倫理的であれば医学ではない」「医学とはまず倫理的なものである」とまで言う。その大前提のうえに立って、中井はまず、「精神医学は医学か」と問い、こう答える。「これは第一に定義の問題である。私たちの世代は、50年前、医学とは身体を“相手”とし、精神医学は精神を“相手”とするという素朴な考えを前提として、精神医学を考えてきた。そのような単純な考えはもはや跡を絶った」と。そのうえで更に、「精神療法は科学か」と問い、こう答える。「精神療法は科学とは別個のものであるが、それは精神医学されに医学一般が科学とは別個の、現実との対処法をするという意味」においてなのである、と。いまは、この議論にこれ以上立ち入る余裕はない。

 第二の、精神病理学に対する批判は、以前この研究会でも採り上げ、先日村上靖彦「精神病理学はどのような可能性を持つか」が採り上げた議論、すなわち、それは「治療に結びついていない」、それは「治療論をもたない」、という点である。村上によれば、「そもそも“治す”という理念を捨てるところからしか、分裂病の治療は始まらない」という木村敏の言葉に端的に現れているように、「精神病理学は、さまざまな精神疾患の構造を考える学問であって、治療技法とは関わらない。このような開き直りとも言える前提があるように思われる」ということになる。村上は更に、「今までの精神病理学は病因論であった。……治癒とは何かについての考察、そして治癒の過程についての考察を放棄してきた」とも述べて、「治療の精神病理学の可能性」を訴える。そして、その可能性として、二つの方向性を提起する。「一つは既存の病理学的な文献を治療論として読み直す」こと、「もう一つの方向性は、精神療法に関する研究を人間学的・理論的な方法意識を持って捉え直す」ことだと。

 これについても、これまでにも、すでに多くの議論がされてきたように思われる。治療をする、あるいは治療の方法について考え始めるためにも、まずはそもそも「精神分裂病とは何か?」を考察する必要がある。「内因」という原因論的な議論が現れるのも、あくまでも、「それは何か?」という問いに導かれてのことである。「外因」でもなければ「心因」でもない、何か深いところに原因があるようだ。向精神薬が一定程度効果をもつというところから、脳内情報伝達化学物質の働きと関連していることは分かってきたが、だから分裂病とは脳の病気であると言ってしまえるかは疑問で、脳内情報伝達化学物質の増減は病気の原因なのかその兆候なのかは定かではない。いまだに、「それは何か?」ということが分かっていないわけだ。たとえ、それが「統合失調症」と名称変更されたところで、それで何かが明らかにされたわけではない。「それは何か?」が分からないまま、「了解」の試みがさまざまに行われ、「治療」の試みがさまざまに行われている、というのが現状であろう。そのなかで、「治療に結びついていない」「治療論をもたない」というのが批判となりうるかどうか、も問題となろう。

 いま採り上げた二つの批判点、二つをそれぞれ代表する大饗と村上の議論、それらがどう絡むのかは、検討課題として残しておく。ここでは、以上のような「科学たりえているか」という批判と「治療たりえているか」という批判とが、従来の精神病理学に対する批判の大きな二つのポイントであることを確認したうえで、いま採り上げている渡辺哲夫『二十世紀精神病理学史序説』は、このような従来の批判とどのようにコミットし、新しい論点を提起しているのだろうか、そこに目を向けたい。

 

4.いま一度、問題の書に戻ろう

 

 著者は、或る箇所で、前述の従来からある第一の批判点に関連するような発言もしている。「物理学を唯一の範とする強迫観念から自由になれず、おのれの学としての合理性に要らざる疑念を抱き続け」たことが「この学問の短命の理由として考えられる」と述べ、更に、「精神病理学は科学的と称される医学を超えてゆく恐怖を克服できなかったのかもしれない」と述べる。しかし、それでは精神病理学が(自然)科学から自由になりそれを越えていくことができなかったから、DSM−Vに敗北していったということなのだろうか。逆に言えば、もっと(自然)科学から自由になりそれを越えていくことができれば、DSM−Vに屈することはなかった、というのだろうか。前述の、精神病理学が持っていた欠点である〈歴史不在〉を、〈想起〉によって埋め合わせをすれば、「廃墟のなかから蘇生するかもしれない」とは、そういうことを意味しているのだろうか。どうもよく分からない。そもそも、著者は、DSM−Vの内容については一切語らず、その問題点を議論の俎上に載せようともしていない。それについての議論がまったくないのである。

 あるいはまた、別の箇所では、前述の第二の批判点に係わる発言もしている。すなわち、先にも触れたように、「本来、小さな場所で展開されるべき日々の精神医療実践になりえていない」と述べていることである。しかし、著者はそれ以上、「治療」の問題を展開することはない。ましてや、前述のように、分裂病中心主義を語るところでは、分裂病の問題を「疾病・疾患」の次元から「精神」の次元へと位置づけ直そうとしている。そこでは、ますます「治療」の問題から遠ざかってしまうように思われる。こうして見ると、前述のような従来からある、精神病理学に対する二つの批判点と、この著者が提起する、〈歴史の不在〉と分裂病中心主義という二つのポイントがどう重なってくるのか、あるいは、これまでとどうクロスしてくる新しい論点を提起しようとしているのか、が見えてこない。私には、本書のもつ意義が見えてこないのである。

 それに比べると、冒頭で触れたように、作家・田口ランディが『知覚の呪縛』に「メガトン級のショックを受けた」のはなぜかと言えば、それは田口によれば、次のようなものである。「Sの言葉に10年間も耳を傾け続け、Sとの人間的交流を求めてきた私こそ、この謎の解明の責務を負うべきなのである。……私と我とわが身をSの世界に投げ入れ、Sによる呪縛に身をまかせ、私自身を禁止された当人と化してしまうこと、私自身を、言わば、Sの言葉が刻み込まれる石板の如くすること、私を変質してしまった素材としてその変質の実感を言葉にもたらすこと、これが私の責務にほかならない」という箇所を『知覚の呪縛』から引用しながら、田口は、「私はここに“聴く”ということの恐るべき可能性が語られていると思う」と述べている。渡辺は『知覚の呪縛』の末尾でも、「私は分裂病論を書いたのではない。分裂病者の言葉を聴き、聴きながら、聴いている当の私の姿を描いてきたのである」と述べているが、この〈徹底的に聴く〉という姿勢、そこに田口は同書の魅力を感じたのである。渡辺は、それに続けて、「治療ということが語りうるとするならば、Sにおいてではなく、私のメタモルフォーゼにおいてである」と述べているが、この〈徹底的に聴く〉ことは「科学」ではないし、「治療」に結びつくとは限らない。しかし、分裂病者の生きている世界を豊かに描き出し、それをわれわれにも「了解」できるものとして伝えてくれる。そこからしか始まらないように思える。精神病理学のもっていた意味はそこにあったのではなかったのだろうか。

 しかし、渡辺自身は、そういう田口の評価を喜んでいる気配はない。同書の「文庫版あとがき」には、『二十世紀精神病理学史序説』と同じように、「この15年間〔『知覚の呪縛』が1986年に西田書店から刊行されて以来〕に起こったことは、精神病理学の急速な衰退であった。とりわけ分裂病の精神病理学の消滅過程と言ってもよいほどの運命は無惨でもあり奇妙でもあった」と書いている。

 その理由の一端として、この「文庫版あとがき」に渡辺が付け加えていることがある。それは1986年の『知覚の呪縛』の「あとがき」で、次のように述べていたことに関わる。「本書が精神医学という領域の外部に支点として置かれ、この支点によって、言わば梃子の原理によって精神病理学が広大な外部世界に投げ出され、そのことを通じて裸形のままに精神科学の全般領域の中に据え置かれることになるならば、そして真の対話が始まるならば、私の意図の第一歩は実現されることになるだろう」と。ここで語られた期待は、渡辺によれば見事にうち砕かれたという。「文庫版あとがき」によれば、「精神病理学と精神諸科学との“真の対話”は生じようがなかった」、ただし、「独自の生命論的精神病理学を展開している木村敏氏がほとんど唯一の例外的“対話者”ではあるまいか」という例外を除いてである。重要だったのは、「精神諸科学との対話」だったのだろうか。

 もう一つの「外部」との「対話」として渡辺が挙げるのは、池内紀氏と中川久定氏からの反応は別として、哲学者・大森荘蔵との「対話」で、そこで指摘された「大森哲学の〈歴史不在〉、〈他者不在〉」という批判である。振り返ってみれば、『知覚の呪縛』という本は、ヤスパース、シュトルヒ、フロイト、ラカン、ウィニコットなどを使いながらも、大森哲学からの影響が散見される。題名も、大森の『知識と学問の構造─知の構築とその呪縛』(旺文社、1983年)からの影響かも知れない。「文庫版あとがき」では、中川の指摘を引きながら、「おそらく物理学から哲学に転じた大森先生には見いだせない何か、私のなかにうごめく〈歴史〉と〈他者)への激しい渇望を見抜いてくれたのだ」と述べている。つまり、この〈歴史不在〉〈他者不在〉という大森哲学への批判を、旧著『知覚の呪縛』にも向けられるものでありながら、そこにはそれを超えようとする渇望が潜んでいた、というかたちでそれを引き受けようとしている。

 しかし、それでは、〈歴史不在〉〈他者不在〉とは『知覚の呪縛』を特徴づけるとともに、その後の15年間に起こった精神病理学の消滅の原因ともなったことなのでしょうか。渡辺が『知覚の呪縛』で展開した〈徹底的に聴く〉ことをも〈他者不在〉と呼ぶべきなのでしょうか。確かに、先に引用したように、渡辺は、「分裂病者の言葉を聴き、聴きながら、聴いている当の私の姿を描いてきたのである」と述べ、「治療ということが語りうるとするならば、Sにおいてではなく、私のメタモルフォーゼにおいてである」と述べていた。そこに、〈他者〉への激しい渇望がありながら、結局は〈自己〉の回路のなかで閉じられてしまうという自己批判があるのだろうか。

 本書で渡辺の言いたいことには、まだ分からないことも多い。しかし、いま一度、今日の話でも触れてきた、そして、私たちがこの研究会でも繰り返し採り上げてきた「他者」「対話」「聴く」という問題圏について再検討する機会を与えてくれる書であることは確かであろう。