ロレンスJohn Lawrence 1850-1916;写真は佐々木・木原1995より)は苦学の末パリ,ベルリン,プラハでの留学・勤務をはさんでロンドンとオックスフォードの両大学を出,前者で数年教鞭を取った後,1906年東京帝大の英語・英文学の教師となった.学位論文以外に研究業績はなく,本 国では埋もれた存在であったが,ゲルマン語全体とギリシア,ラテンを縦横無尽に知り尽くす真のman of lettersであったと伝えられている.ケーベルは彼を文科大学の誇り,かつ名誉であると讃えている.

ロレンスの薫陶を受けて英語史を専攻する最初の日本人となったのが市河 三喜 ( さんき ) 1886-1970;写真は市河1957より)である.一高時代より秀才の誉れ高く,東京帝大言語学科に進んだが,2年生のときに赴任してきたロレンスに傾倒し,彼とケーベルから古英,古アイスランド,古仏,ギリシア,ラテン,ゴートの各語を伝授され,さらに自力でヨーロッパの主要言語のほとんどを修めた.1912年から2年間の滞英に続いて欧米各地を巡って帰朝し,16年から母校英文科に奉職,主に英語学・英語教育の分野に無数の業績を残し,また無数の弟子を育てたことは周知のごとくである.田中が京都に去ってからは,来日中だった日本学者クレスラーOscar Kresslerとともに,ケーベルの推薦によって数年間古典語の授業も担当している.

 東大,慶大,津田塾と大阪府立中央図書館に分けて収められた膨大な蔵書からも窺われるように彼はヨーロッパ全域の言語文化を貪欲に吸収しようとした.印欧語比較言語学の文献も広範に収集されている.昆虫と植物をこよなく愛する一面もあったが,ご家族を相次いで失い,晩年は孤独だったと聞く.

 

(神山孝夫『印欧祖語の母音組織:研究史要説と試論』付節より)

 

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