フローレンツによる概説と上田のパウル購読に続いて,わが国で印欧 語比較言語学が本格的に講じられたのは福島改め辻直四郎1899-1979;写真は風間2001より)が欧留学から帰朝した後のことである.彼は東京帝大で高楠にサンスクリットの手ほどきを受けて言語学科を卒業すると,同じく高楠の世話でオックスフォード,次いでマクドネルの推薦を得てマールブルクに留学し,サンスクリットに加えてケルト語とバルト語,さらに印欧語比較言語学を修めた.帰国後は母校の印度哲学梵文学科に身を置いてもっぱらサンスクリット研究に勤しみ,この分野で無数の業績を残すとともにトカラ語研究に従事し,高津春繁に後を譲るまで長らく印欧語比較言語学を講じた.27歳の若さで母校の助教授に抜擢されるにあたってはケーベルと高楠の極めて強い推薦があったという(鷹谷1957: 49.この逸話が語るように,彼は若いときから将来を嘱望された逸材であった.他方では大相撲とプロ野球の熱心なファンであったと聞く.

彼の『比較言語學』(1934)はもはや忘れ去られているが,恐らく本邦初の印欧語比較言語学の概説書であり,トカラ語とヒッタイト語についての情報,及び巻末の懇切な文献案内は当時貴重であったろう.だが,同書54-55頁にも触れられているように,彼は比較言語学と文献学それぞれの重要性と相互補完性を指摘しつつも二兎を追うのを潔しとせず,前者の分野に関して特に研究を続けた形跡はない.辻はまた東洋文庫の創設者として知られ,同文庫には20世紀中葉までに彼が集めた印欧語学関連の貴重な文献が数多く収められている.

(神山孝夫『印欧祖語の母音組織:研究史要説と試論』付節より)

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