追悼

アンドレ・マルティネ先生

André Martinet

1908-1999

 

 『一般言語学講義』で有名な現代言語学の祖ソシュール(Ferdinand de Saussure)は最先端の印欧語比較言語学者であった.『講義』の無理解からか,あるいは故丸山圭三郎氏の数多くの夢想的著作の影響もあってか,困ったことにわが国ではこの事実はあまり知られておらず,ソシュールを思想家と誤認する書物さえ散見される.1878年,ソシュールは比較言語学史上最大の発見のひとつを21歳の若さで成し遂げた.今日では通例「ラリンガル(喉音)理論」と呼ばれるこの発見によって一躍名を上げたソシュールは,例外的若さでパリの高等学術研究院[TK1] に抜擢され,比較言語学を講じつつ特にサンスクリットとバルト語を研究した.1891年,故郷ジュネーヴに職を得たソシュールは,パリを去るに際して弟子のメイエ(Antoine Meillet)を後任に据えた.アルメニア語やスラブ語を中心とした,印欧語比較言語学全般におけるメイエのその後の活躍については駄弁を弄すまでもないだろう.メイエ門下からは印欧語学のバンヴェニスト(Emile Benveniste)やクリウォヴィッチ(Jerzy Kuryłowicz),スラブ学のヴァイヤン(André Vaillant)やファン・ウェイク(van Weik)など,錚錚たる面々が巣立った.

アンドレ・マルティネ先生はメイエの晩年の弟子である.なるほど先生は師のように生涯を印欧語のみに捧げることはなく,ゲルマン語を中心にすえて印欧語比較言語学を修めながらも,トルベツコイ(Сергей Трубецкой)とヤコブソン(Роман Якобсон)によって華々しく創始されたばかりのプラハの音韻論に傾倒し,あるいは後にはプラハのFSPfunctional sentence perspectiveaktuální členění věty)とは別の意味で言語の「機能」を追及して,その過程では先達の誰もが気付かなかった人間言語に固有の特徴「二重分節」の定理に到達した.わが国ではこうした印欧語比較言語学以外の分野のみにおける先生の活躍が紹介され,そして知られてきたが,それは単にわが国ではこの学問がいまだよく理解されていないからに過ぎない.先生の業績がいわば明度の悪いフィルターを通して受容されてきたのである.実際,先生の名声を確立した主著 Économie des changements phonétiques (Berne, 1955) は一般言語学の著作と見られようが,そこで取り扱われている大部分の事例は印欧語に関することであり,印欧語比較言語学の論文として書き改めることが可能な箇所が多い.加えて言えば,例えばコロンビア大学時代に先生がお書きになった論文は,恐らくすべて印欧語比較言語学の最先端を取り扱ったものである.先生は師と異なる道を進んだのではなかった.ソシュールとメイエから受け継いだ印欧語比較言語学という至宝を,より広い視点から捉え直したのである.

 先生は無数の論文に加え,25冊の著書をお出しになっている.そのうち6点は日本語版も刊行された.だが,興味深いことに,先生の研究の隠れた中心である印欧語比較言語学を正面から扱った著書は生涯でたった1冊しか出しておられない.それが以下に紹介する Des steppes aux océans L’indo-européen et les «Indo-Européens» (Paris, 1986, 2nd ed. 1994) である.実質的に言って,これは先生の最後の著書であって,その後は奥様と一緒に回顧録を出版しただけである.

小生がこの本を入手したのは,出版から大分時を経てからのことだったと思う.風間喜代三先生が『ことばの身体誌』(平凡社, 1990)や『言語学大辞典』(三省堂, 1988〜)の「印欧祖語」の項目(だったと思う)で紹介なさっているのを目にして発注した.だが,手にした後もしばらくはあまり利用しなかった.ちょっと事実関係を確認しようというとき,見慣れたメイエの Introduction à l’étude comparative des langues indo-européennes (Paris, 1903) やブルークマンの Kurze vergleichende Grammatik der indogermanischen Sprachen (Strassburg, 1904),あるいはこれらの古典的著作と同様の章立てになっているセメレーニのEinführung in die vergleichende Sprachwissenschaft (Darmstadt, 4th ed. 1990) なら,「この辺に書いてあるだろう」と大概は見当がつくのだが,Des steppes aux océansではそんなカンがまるで働かないのである.それに,はじめのほうには比較言語学とは関係ない(?)ようなことがいっぱい書いてある.「これはそのうち全部読まなきゃだめだな」との認識には早々に達したものの,日々の雑務にかまけてしばらくこの本の存在を忘れていた.

この本をまじめに読み出したのは1996年になってからである.小生の大学院の授業は「スラブ語研究」という名前になっているし,受講者はほとんど例外なくロシア語史なりスラブ語史を主たる研究テーマにしているから,それまではナハティガル,メイエのSlave commun,マレシュあたりを教材にしてきた.しかし,その年の秋頃,当時用いていたテキストが読了しつつあるので,次は印欧語全体を視野に入れようということになった.小生はセメレーニを薦めたのだが,受講者の一人が「ドイツ語はいやだ,フランス語がいい」と言うので,ずっと放ってあるDes steppes aux océansが候補にあがってきたのである.

いざまじめに読みはじめてみると,印欧語をもっぱら言語学的にではなく,歴史学,考古学,宗教学を含めたヨーロッパの比較文化史的な規模で把握しようとする,そのスケールの大きさにまず圧倒された.それまではメイエのような読みやすいフランス語にしか接したことがなかったので,時折フランス語に似つかわしくないほどややこしく思える先生の文体も小生の拙い語学力にとっては問題だったが,小生に読み進む気力を与え続けたのは先生の斬新な発想であった.思いつくままに印象深い点を紹介する.まず,ロシア語язык「舌,言語」やラテン語gnōvī「知った(今知っている)」に見られる付加要素の -k- -w- は「拡張子」と呼ばれて,従来その機能がよくわかっていなかったが,これらをそれぞれラリンガルの「硬化」と残滓として音声学的にみごとに説明し,「拡張子」なる範疇自体を否定してしまうのには恐れ入った.印欧語の文が古くは主格と対格を持つ現在のようなタイプではなく,何ら格指標を加えない絶対格と動作主を明示する能格(Климовの定義ではактивный падеж活格)を持つタイプに属していたと思われることは,すでにГамкрелидзеИвановや山口巖先生の『類型学序説』(京都大学学術出版会, 1996)を通して知っていたが,この発想がもともと先生が早くも1956年に明らかにしたものであったと知って驚いた.同じくГамкрелидзеИвановによる祖語の有声閉鎖音を声門化閉鎖音(つまり放出音ejective)とする解釈もプライオリティーは先生(1953年)にあった.その他,アップラウト,-r -nのいわゆる異語幹曲用のそれぞれ由来,活用の形成過程など,従来解決の糸口さえつかめていない超難問に対しても先生は次々に斬新な解決法を提案してゆく.

一月ほどかけてさっと一読した小生は素直に感動した.そして,この感動をわが国の大方諸兄にも共有していただくべく,いっそ翻訳してしまおうかとの無謀な考えが頭に浮かんだ.しばし拘泥した後,意を決してPayot社経由で恐る恐る先生に翻訳の企画を打診してみたところ,早々にご快諾の連絡を頂戴した.その後,雑事にかまけてしばしば作業を中断しながらも,関係知識を補いつつ慎重に作業を進め,先生には他界される直前まで十通以上の往復書簡を通じて数々のお教えをいただきこくとができた.その3年ほどの間に印欧語の発達全体に関する小生の理解もはるかに深くなったのではないかと思う.直接の師弟関係はなかったが,小文で先生と呼ばせていただく所以である.

同書は予定通り教材としても利用した.授業では微に入り細に入って解説しつつ読み進んだため,約2年をかけても同書の半分しか読み進むことができなかった.当時の受講者であった北岡千夏,下郡健志,横井幸子,及び直後にここに加わった宮本順一郎,山尾あすかの各氏には,内容を把握するばかりでなく,小生と同様に訳文を作成するよう指示した.印欧語全体の中でスラブ語を把握するという彼らの目的を達するばかりでなく,フランス語が使えるという自信を得ていただくことと,きちんとわかる日本語を書くことを主眼にして翻訳の練習をしておくことは彼らの将来のためにもなるだろうと思ってしたことだが,彼らのアイディアが参考になった場合も少なくない.三人寄れば文殊の知恵とは蓋し真実である.

1999716日,アンドレ・マルティネ先生は91歳でこの世を去った.謹んでご冥福をお祈りする.先生がご存命中に日本語版を刊行することを目論んではいたのだが,様々な事情から当時訳稿はまだ完成していなかった.翻訳と確認の作業を一応完了したのはその半年後,年が替わってからである.刊行にはさらに時を要した.ひつじ書房社長の松本功氏のご理解とご協力を得て,ようやく20034月に至って『「印欧人」のことば誌―比較言語学概説―』という名で同社より刊行される運びとなった.肩の荷が降りたような気がしている.拙訳によって,先生の真価がわが国にも広まることを願ってやまない.

上掲のカラー写真と以下のお写真3葉は,日本語版に掲載すべく令夫人Jeanne Martinet博士から拝借したものである.同書日本語版の表紙には右のものが採用された.

          

 

アンドレ・マルティネ著,神山孝夫訳『印欧人のことば誌―比較言語学概説―ひつじ書房

 

 

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 [TK1]École pratique des hautes études:いわゆるグランゼコールgrandes écolesのひとつ,大学より高級な教育・研究機関