染谷 茂先生

1913?-2002

 

 染谷先生は言わずと知れたわが国きってのロシア語の達人である.東京外国語学校でロシア語を修められて樺太石油に勤務なさった後,満州国立大学ハルビン学院教授となられ,応召,敗戦に続いてスパイ容疑を受けた先生は10年以上もシベリア抑留の辛苦を体験なさった.ご帰国後,上智大学外国語学部に新設されたロシア語学科で教職に復帰され,停年退官まで同校で江沢国康,中村泰朗,宇多文雄の各氏,あるいは本学の林田(旧姓小野)理恵さんをはじめとする多くのロシア語に通じた人材を世に送り出されたことは周知のごとくである.

 

 ロシア語を学びはじめて数年が経過した1980年頃,僕はひとつの壁にぶつかっていた.教科書的なロシア語は結構わかるようになったのだが,実際の文学作品等を見てみると腑に落ちないことが山とあり,いつまでたっても千野榮一先生が言うところの「寝っころがって楽しむ」状態にならない.そのとき染谷先生の『文法小話』に出会った.先生が仰るところの「重箱の隅」の情報はまさに当時の僕が必要としていたものだった.そこに解説されていた「ся動詞+対格補語」の問題は後に僕の修士論文の主要テーマとなった.味を占めた僕は『中級読本』や『マカールの夢』,現代ロシア語誌に連載された『イワン・デニーソヴィッチの一日』を折に触れては繰り返し読みつつ,いつの日か染谷先生に直接ご指導いただけることを夢見ていた.

 

念願かなって先生のご教授を受ける機会が得られたのは1985年頃だったと思う.上智で染谷先生に教えを受けた後,外語の大学院に来られた麻田恭一さんのお世話で,退官された先生が土曜日の午後に教え子を集めて開かれていた勉強会に加えていただけることになったのである.場所は彼のお父上(ハルビン学院出)の経営する恵雅堂の社内,テキストはありがたいことに先生薬籠中の『イワン・デニーソヴィッチの一日』であった.どこで入手されたのかソルジェニーツィン自身の朗読を聞きつつ(えらく聴きにくかった覚えがある),現代ロシア語誌版,岩波版における先生自身の解釈を確認しながら,あるいは時には修正を加えながら読み進まれ,ラーゲリ用語,あるいはそこでの生活については先生自身の辛苦の経験を交えながらご説明くださり,大変勉強になった.勉強会の終了後には,皆さんとビールを飲む席に何度かお供させていただき,貴重な経験談やいくつか疑問に思っていた点についてご意見を伺うことができたのも得がたい体験であった.先生と東西の横綱を分ける木村彰一先生とが実は厚い信頼関係で結ばれていたことを知ったのもその場においてである.

 

 染谷先生はその波乱に富んだ生涯を独身で通され,傍目には必ずしも私生活は充実していなかったように見える.しかし,先生は実子はお持ちでなくとも,多くの教え子たちに愛されていた.ご冥福を心よりお祈りする.

 

 

 

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