吉沢典男先生

1928-1988

 

 吉沢典男先生は間口の広い方であった.狭い意味でのご専門は日本語学だが,日本語の音声研究を推し進めるために生理学を学ばれて医学博士となり,外語には実験音声学の先生として赴任された.日本語学,方言学,音声学,医学からはたまた自動車の構造に関してまで,先生のテリトリーの広さにはいつも感銘を受けていた.

 

 その間口の広さは人間関係にも現れている.若かりし頃,様々な国語辞典に名を残す金田一京助氏のお宅に居候なさって,いわば付き人のような役割をなさっていたことは有名だし,専門が全く異なるロシア文学の原卓也先生や社会言語学の田中克彦氏たちとイロ抜きのハニホ会なるふざけた会を結成して,ひたすらイロ抜きにうまいものを食うことを楽しんでおられた由.また,幼稚園の園長という肩書きもお持ちだったし,NHKとは特に強いつながりをお持ちで,アナウンスメント研究会なる私的団体を主宰して多くのアナウンサーを世に送り出すと同時に,ご自分でも「生きていることば」や「ことばの1分メモ」,あるいは「面白ゼミナール」などの番組に頻繁に出演なさっていた.

 

 音声学に関わっていながら,小生は実験音声学をはじめとする先生の授業をまったく聴講したことがない.もちろん単なる偶然の所産である.そんな小生が吉沢先生の知己を得たのは,先輩の浅田幸善氏と坂本明日香さんの結婚式でのことであったと記憶する.たまたま同じテーブルに席を割り当てられたことから,ことばを交えさせていただくうち,「今度,研究室に遊びにいらっしゃい」とお誘いいただいたのだった.当時,僕は外語の視聴覚教育センターで教務補佐のアルバイトをしていたから,その帰りにお邪魔すると,「早速来てくれたね.お茶でも飲んでいきなよ.」と暖かくお迎えいただいた.

 

先生の間口の広さを反映して,先生の研究室にはとにかく学生の出入りが多い.僕のように,ちょっとした袖摺りあう他生の縁から出入りするようになった人もたくさんいたのだろう.集っている方々のうち,半分ぐらいは顔見知りだったことも手伝って,このとき以来,先生の研究室にはしょっちゅうお邪魔するようになった.テレビにマスコミにと売れっ子の先生は恐らく相当お忙しかったのだろうが,そんなことはおくびにも出さずに,折に触れてはおでんやポップコーンを作ったり,研究室隣の実験室で略式の酒宴を催したりと,学生や僕のように学生に毛が生えたばかりの連中に可能な限りつきあってくださった.研究室の教務補佐をなさっていた岸美代子さんや後に先生の後任となる益子幸江さんをはじめとして,後に大阪外語で同僚になる郡史郎氏や,富山栄子,望月圭子,田原広史,ローレンス・ウェインの各氏を知るようになったのも吉沢先生の研究室においてだったと思う.

 

 先生は僕にとっては,学者としてよりも,むしろひとりの人間としての生き方をお教えくださった方であった.僕は先生のような広範囲の活躍をできる器ではないが,せめてご家族や周りの方々を大事になさる先生の姿勢は受け継ぎたいと思う.ご冥福をお祈りします.

 

 

 

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