變り行く東京語

馬場孤蝶

 出版物(しゅっぱんぶつ)の多(おほ)くなって來(き)たことと、それ等(ら)の出版物(しゅっぱんぶつ)が大抵(たいてい)皆(みな)言文一致(げんぶんいっち)──即(すなは)ち大體(だいたい)東京語(とうきゃうご)で書(か)かれてゐることとが、東京語(とうきゃうご)をば地方(ちはう)の僻陬(へきすう)まで弘布(ぐふ)することになりつつあるには相違(さうゐ)なからうが、口語(こうご)の上(うへ)では、東京語(とうきゃうご)と地方語(ちはうご)との差違(さゐ)はまだなかなか甚(はなは)だしいやうに見受(みう)けられる。さういふ點(てん)では關東語(くゎんとうご)と關西語(くゎんさいご)だけの差違(さゐ)にしても隨分(ずゐぶん)甚(はなは)だしいものがあると思(おも)ふ。
 けれども、昔(むかし)──徳川時代(とくがはじだい)──は、少(すくな)くとも江戸(えど)の上流(じゃうりう)──即(すなは)ち士分(しぶん)の言葉(ことば)は、もと/\大體(だいたい)京都(きゃうと)の上流語(じゃうりうご)に標準(へうじゅん)を取(と)ったものであったのであらうから、地方(ちはう)の藩廳(はんちゃう)の公式(こうしき)の言葉(ことば)とは餘程(よほど)共通(きょうつう)なるところがあり、少(すくな)くとも名詞(めいし)、動詞(どうし)などで、公用語(こうようご)以外(いぐゎい)にも、同一(どう.)なものを用(もち)ひてゐたことが少(すくな)くなかったやうに考(かんが)へられる。
 僕(ぼく)の生國(しゃうごく)は土佐(とさ)であるが、麻裏草履(あさうらざうり)のことを藤(ふぢ)くらといってゐるのを、少年(せうねん)の時分(じぶん)聞(き)いたことがある。東京(とうきゃう)ではその時分(じぶん)──明治(めいぢ)十一二年頃(...ねんごろ)──でも、もう藤(ふぢ)くらといふ語(ご)はなくなってゐたのだが、明治(めいぢ)二十年頃(..ねんごろ)東京(とうきゃう)生(うま)れの或(あ)る老人(らうじん)と話(はな)してゐるうちに、その老人(らうじん)などは藤(ふぢ)くらといふ語(ご)を昔(むかし)は使(つか)ってゐたことが分(わか)った。
 土佐(とさ)では、嘲弄的(てうらうてき)に意地惡(いぢわる)く人(ひと)に言(い)ひかけるのを、きょくる(ヽヽヽヽ)といふ。僕(ぼく)の父母(ふぼ)などがその言葉(ことば)を用(もち)ひるのを聞(き)いて、僕(ぼく)は地方語(ちはうご)だと思(おも)ってゐた。所(ところ)が、『柳樽(やなぎだる)』を見(み)ると、『ご立腹(りっぷく)などゝ内儀(ないぎ)を,きょくる(ヽヽヽヽ)なり』
 といふやうな句(く)のあるのを以(もっ)て見(み)れば、きょくる(ヽヽヽヽ)が地方語(ちはうご)でないことは明(あきら)かである。
 義太夫(ぎだいふ)の『泉三郎館(いづみのさぶらうやかた)』の五斗(ごと)の生醉(なまゑ)ひの唄(うた)の中(なか)の『けなりかろ』が僕(ぼく)には解(わか)らなかったが、紀州(きしう)生(うま)れの中村啓次郎君(なかむらけいじらうくん)が、それは紀州(きしう)あたりでは今日(こんにち)も用(もち)ひる語(ご)で、羨(うらや)ましからうの意味(いみ)なんだと説明(せつめい)してくれた。ところが熊谷邊(くまがいへん)から、茨城(いばらき)の利根川(とねがは)沿(ぞ)ひの地方(ちはう)へかけてのあたりでは、今日(こんにち)でも羨(うらや)ましいといふところを,けなりい(ヽヽヽヽ)と云(い)ふのだといふことを、近頃(ちかごろ)になって聞(き)いた。
 引窓(ひきまど)のことを大阪(おほさか)あたりでは天窓(てんまど)といふのだと聞(き)くのだが、濡髮(ぬれがみ)の長五郎(ちゃうごらう)の義太夫(ぎだいふ)は『引窓(ひきまど)の段(だん)』であって、天窓(△△)の段(だん)とはいはない。昔(むかし)は引窓(ひきまど)が東西(とうざい)の共通語(きょうつうご)であったものと見(み)て宜(よろ)しからうと思(おも)ふ。
 本(ほん)を押入(おしい)れから出(だ)して實例(じつれい)を擧(あ)げるのは億劫(おくこふ)だが、口語(こうご)に近(ちか)いものと見(み)てよからうと思(おも)ふ。小唄(こうた)などに據(よ)る時(とき)は、東西(とうざい)の言葉(ことば)──少(すくな)くとも雙方(さうはう)の都會(とくゎい)での言葉(ことば)──が可(か)なり共通(きょうつう)の分子(ぶんし)を持(も)って居(を)ったことは窺(うかゞ)ひ得(え)られるであらう。
 京都(きゃうと)の言葉(ことば)では──殊(こと)に大阪(おほさか)の言葉(ことば)などは──今日(こんにち)までには、在方(ざいかた)の言葉(ことば)が入(はひ)って、餘程(よほど)亂(みだ)されたのであらうと思(おも)はれる。東京(とうきゃう)の言葉(ことば)も勿論(もちろん)さうである。殊(こと)に明治(めいぢ)になっては、東京(とうきゃう)在來(ざいらい)の上流社會(じゃうりうしゃくゎい)は全滅(ぜんめつ)してしまったと云(い)っていゝ位(くらゐ)であるのだから、それ等(ら)の社會(しゃくゎい)の傳統(でんとう)ある言葉(ことば)は消滅(せうめつ)し去(さ)って、今日(こんにち)の東京語(とうきゃうご)は主(おも)に商人(しゃうにん)、職人(しょくにん)の言葉(ことば)のみが殘(のこ)った譯(わけ)であり、それへ持(も)って來(き)て、次第(しだい)に、地方語(ちはうご)からの侵略(しんりゃく)が加(くは)はって行(ゆ)くといふ現状(げんじゃう)である。
 今日(こんにち)の東京(とうきゃう)の所謂(いはゆる)身分(みぶん)のいゝ人々(ひと%\)といふのは、大抵(たいてい)地方(ちはう)の身分(みぶん)の餘(あま)りよくなかった人々(ひと%\)の末(すゑ)であるのだから、その言葉(ことば)の如(ごと)きも、從來(じうらい)の標準語(へうじゅんご)の規模(きぼ)から云(い)へば決(けっ)していゝものとは云(い)へないであらう。それ等(ら)の人々(ひと%\)の子弟(してい)で今日(こんにち)物(もの)を書(か)く人々(ひと%\)の言葉(ことば)の、從來(じうらい)の日本語(にほんご)の格(かく)から云(い)へば、甚(はなは)だ拙(つたな)いものであるのは、その父兄(ふけい)たちに言葉(ことば)の訓練(くんれん)が缺(か)けてゐた爲(ため)であらうと思(おも)ふ。

          二

 しかし、言葉(ことば)は死物(しぶつ)であってはならず、必要(ひつえう)な變更(へんかう)は進歩(しんぽ)の根柢(こんてい)になる譯(わけ)であるのだから、變遷(へんせん)そのものを拒斥(きょせき)すべきでないことは勿論(もちろん)である。唯(たゞ)吾々(われ/\)の注意(ちうい)すべきことは、吾々(われ/\)物(もの)書(か)くともがらが、言葉(ことば)に不必要(ふひつえう)な變更(へんかう)を加(くは)へて、意義(いぎ)なく從來(じうらい)の言葉(ことば)を亂(みだ)すやうなことをせぬように心(こゝろ)することである。
 從(したが)って、言葉(ことば)の誤用(ごよう)などは十分(.ぶん)に注意(ちうい)して避(さ)けなければならんと思(おも)ふ。
 小兒(こども)の戲(たはむ)れに,いゝたちこっこ(ヽヽヽヽヽヽヽ)といふのがある。これを相報(あひむく)いるの意味(いみ)で、大人(おとな)の用語(ようご)にすることは、誰(だれ)も知(し)ってゐるところであるが、此(こ)の語(ご)の末(すゑ)の,こっこ(ヽヽヽ)は總(す)べて澄(す)んで發音(はつおん)すべきであって、決(けっ)して,ごっこ(△△△)といふが如(ごと)く濁(にご)って發音(はつおん)すべきではないのだ。ところが、近頃(ちかごろ)の印刷物(いんさつぶつ)には、此(こ)の語(ご)が屡々(しば/\)いたちごっこ(ヽヽヽ△△△)と印刷(いんさつ)されて居(を)るのを見(み)かける。甚(はなは)だしきに至(いた)っては、鼬ごっこ(△△△△)と書(か)かれて居(を)るのさへ見(み)かける。
 僕(ぼく)らはあの,いゝたちこっこ(ヽヽヽヽヽヽヽ)といふ發音(はつおん)のうちに、あの手(て)を順々(じゅん/\)に互(たがひ)に抓(つね)りあふ動作(どうさ)がいかにもあざやかに表現(へうげん)されてゐるやうに思(おも)ふのだから、語源(ごげん)は鼬(いたち)の動作(どうさ)から起(おこ)ったものにしたところで、これを鼬(いたち)ごっこと訂正(ていせい)したくない。此(こ)の語(ご)を用(もち)ひる位(くらゐ)ならば、矢張(やは)り小兒(こども)の言葉(ことば)どほり、いゝたちこっこ(ヽヽヽヽヽヽヽ)をそのまゝ用(もち)ひるのがいゝと思(おも)ふのだ。
 言語(げんご)の知識(ちしき)が貧弱(ひんじゃく)なので、確(たしか)なことは云(い)ひ得(え)ないが、いゝたちこっこ(ヽヽヽヽヽヽヽ)には鼬(いたち)ごっこ即(すなは)ち鼬(いたち)の眞似(まね)をして遊(あそ)ぶとか、鼬(いたち)のやうなことをしあふとかいふやうな意味(いみ)はないやうに思(おも)はれる。あの語(ご)は、小兒(こども)が手(て)をつねり合(あ)ふ調子(てうし)をば音(おん)を以(もっ)て表(あらは)しただけのもので、語(ご)自身(じしん)には何(なん)の意味(いみ)もないものであるやうに思(おも)ふ。
 ある行爲(かうゐ)をさん%\するといふ意味(いみ)で、たら%\といふ語(ご)を用(もち)ひる。即(すなは)ち、お世辭(せじ)たら%\とか、愚痴(ぐち)たら%\とかいふのである。此(こ)の語(ご)は勿論(もちろん)たら(ヽヽ)と上(うへ)を澄(す)んで發音(はつおん)し、下(しも)を,だら(ヽヽ)と濁(にご)って發音(はつおん)するのだ。ところが此(この)の頃(ごろ)の印刷物(いんさつぶつ)には上(うへ)の,たら(ヽヽ)を,だら(ヽヽ)と印刷(いんさつ)してあるのを度々(たび/\)見受(みう)ける。尤(もっと)もこの方(はう)は誤植(ごしょく)の場合(ばあひ)もあらうかとは思(おも)ふものの、同(おな)じ新聞(しんぶん)などで、いつも,たら%\(ヽヽヽヽ)が,だら/\(ヽヽヽヽ)になってゐるのを見(み)ると全(まった)く誤植(ごしょく)とも斷(だん)じ兼(かね)る。さういふのなどは、地方(ちはう)の印刷物(いんさつぶつ)などでは、必(かなら)ず誤植(ごしょく)通(どほ)り印刷(いんさつ)するであらうと思(おも)ふ。從(したが)って、地方(ちはう)で物(もの)書(か)く人々(ひと%\)は愚痴(ぐち)だら,だら(ヽヽ)といふ語(ご)があることと思(おも)って、平氣(へいき)でそれを用(もち)ひることになる虞(おそれ)は十分(.ぶん)あらうかと思(おも)ふ。
 今日(こんにち)では語源(ごげん)はとにかく、このたら%\といふ語(ご)の音(おん)そのものに、くどく繰返(くりかへ)すといったやうな意味(いみ)が表(あら)はされてゐるやうに、吾々(われ/\)の耳(みゝ)には聞(き)き取(と)れるのであるから、これをだら/\と變(か)へてしまっては、音(おん)から來(く)る感(かん)じはまるで違(ちが)ふであらう。
 なんぼ地方(ちはう)の人(ひと)でも今日(こんにち)では言葉(ことば)の知識(ちしき)は可(か)なり廣(ひろ)くなってゐるであらうから、まさかにたら%\をだら/\と間違(まちが)へるやうなことはないであらうと、思(おも)ふ人(ひと)は多(おほ)からうけれども、實際(じっさい)はなかなかさう樂觀(らくくゎん)を容(ゆる)さない。隨分(ずゐぶん)な間違(まちが)ひがそのまゝ傳(つた)はる虞(おそれ)が十分(.ぶん)あるものと見(み)るのが宜(よろ)しいと思(おも)ふ。
 これは、それとは事(こと)かはってゐるが、ある地方(ちはう)新聞(しんぶん)に源太郎馬車(ヽヽヽヽヽ)といふ言葉(ことば)があった。どうも圓太郎馬車(ヽヽヽヽヽ)の覺(おぼ)え違(ちが)ひらしいのだ。


岡島昭浩入力
底本『明治の東京』中央公論社 昭和17.5.20 p30-36
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