第一章	國語學の概念
 國語の研究と國語學
 實際上の知識と國語學上の知識
 國語學と言語學
 國語學の性質
 フィロロギーと國語學
 國學と國語學
 參考書

【國語の研究と國語學】
 國語學は國語即ち日本語を研究の對象とする學問である。國語の研究が一個の獨立した科學として成立する事が認められるにいたったのは、明治以後の事であるが、國語の研究は既に王朝時代に始まり、その後も引續いて行はれたのであって、殊に江戸時代に國學者の力によって著しい進歩を來したのである。従來之を語學と呼んだが、その目的は、主として古典の意味を理解し、又は歌を詠み文を作るに資するに在ったのであって、言語の研究はこの目的を達する爲の手段たるに過ぎなかった。現代に於ても、語學といふ語が外國語に關して用ゐられるが、それは、外國語を學んで之に熟達する事をいふのが普通であって、その目的は外國人と談話して彼我の意志を通じ、又は外國語の書物を讀んでその意味を知るに在って、言語そのものは窮極の目的ではないのである。つまりこれ等は何れも讀み書きや談話に習熟するのを目的とする實用的語學といふべきものである。國語學は、かやうな語學とは性質を異にし、國語の研究そのものを目的とするものである。即ち、日本語の現状を明かにし歴史を究め、あらゆる事實について、その性質を明らめ、その中に存する法則を見出し、由來を究めて、國語に關する徹底した組織立った知識を得る事を目的とするものである。
【實際上の知識と國語學上の知識】
 勿論國語は、我々日本人が思想を交換し意志を通ずる爲の手段として用ゐられるものであるからして、實用上には、之を正しく理解し且つ使用する事が出來るだけの實際上の知識をさへ得れば十分であって、實用的語學はかやうな知識を與へればその目的を達したものであるのに對して、國語學は、むしろかやうな知識から出發して、之に學問上の考察を加へ、その本質を究め、由來を明かにして、體系ある知識を得ようとするものである。
 今一二の實例を雲げて國語の實際上の知識と國語學上の知識との差異を説明しよう。
 「川」の意味を有する日本語を「かは」と書いて、カワと讀む事は、日本語を讀みなれたものであれば、誰でも知ってゐる事である。實際日本の文を正しく讀み書きする爲には、これだけの知識で十分である。しかしながら、何故に「かは」と書いてカワと讀み、文字通りカハと讀まないかといふ疑問が起った場合には、唯日本語を正しく讀み書きする事が出來ただけでは解決がつかないのであって、これには、特別の知識を要する。今廣く日本語の書き方について、「は」をワと讀むのは如何なる場合であるかを調べてみると、「さは」(澤)「なは」(繩)「かはる」(變)「さはる」(觸)など、すべて一語の中又は終にある場合に限られ、「はな」(花)「はる」(春)などの如く、語の初にある場合には決してワと讀まない、即ち、「は」は一般に語の中又は終に於てはワと讀むといふ通則があるのであって、「かは」をカワと讀むのは、その通則の一つのあらはれである事がわかるのである。更に進んで、それでは何故にかやうな通則が出來たかといふ問題になると、「は」の假名の表はす音の歴史を知らなければ説明出來ないのである。即ち、古代に於ては、「は」は語の初に於ても、中又は終に於ても同じ發音であって、その爲に同じやうに「は」と書かれたのであるが、後に發音が變じて、語の中及び終にあるものだけがワとなり、語の初の「は」とは發音に相違を生じたが、假名は之を改める事なく、昔のまゝの「は」を書く習慣が今日までも續いて居る爲に、語の中及び終の「は」はワと讀む事になったのである。かやうにして、はじめて「かは」をカワと讀む理由が説明せられたのであるが、假名の讀み方の上の通則とか、發音の歴史とかいふやうなものは、單に日本語の讀み書きに熟達しただけでなく、特に國語について討究を加へなければ明かにする事が出來ないものであって、國語學上の知識といふべきものである。
 猶一例を擧げる。「みや」といふ語が宮殿又は神殿を意味する事は、日本語に通じたものならば誰でも知ってゐる事で、それだけ知って居れば、日本語を使ひ之を正しく理解するに少しも差支を生じない。しかし、何故之を「みや」といふかといふ問題になると、特別の知識のないものには解答が出來まいとおもふ。この語は、一方「みやま」(深山)「みこし」(御輿)「みこ」(御子)「みだう」(御堂)などの諸語と比較し、一方「こや」(小屋)「いはや」(窟)「ひとや」(獄)「いっけんや」(一軒屋)などと比較して見ると、「み」といふ褒め尊んでいふ語と「や」といふ「家」を意味する語とが合して出來たもので、即ち、「御家」の義を有する語であった事が知られる。さすれば、神樣や貴人のおいでになる處を「みや」といったのも最道理にかなったものである事が理解せられるのである。かやうにして、古く「み」を他の語に冠して語を作る方法が行はれ、「みや」も、その方法によって作られたものである事が明かになり、何等の關係も無ささうに見えた「みや」と「みやま」「みこ」「みこし」其他の語との間に連絡が見出されるやうになるのである。これ等も普通の實際上の知識を越えた、特殊の國語學上の知識である。
 これ等一二の例によっても窺はれる通り、日本語の中には、いろ/\の通則や法式があり、一つの現象は、他の種々の現象とつながりをもってゐるものであるが、單に日本語を知り、之を自由に使ふ事が出來るばかりでは、個々の場合については、明亮な知識を持ってゐるとしても、その知識は個々別々であって統一がない。國語學は、個々の現象の間の關係を研究して、その中に存するきまりを見出して、個々の知識を統一し、之に組織を與へるものである。又、日本語に熟達したといふだけでは、單にどんな事實があるかといふ事を知るだけで、その事實の生じた理由や由來はわからない。國語學は、かやうな點をも明かにして、透徹した知識を與へるものである。
【國語學と言語學】
 國語學は日本語の研究を目的とする學であるが、日本語以外の言語についても、同じ性質の學問があるのであって、例へば、英語には英語學、獨逸語には獨逸語學、支那語には支那語學がある。これ等は各國語學、個別言語學又は特殊言語學など總稱される。然るに言語の研究には、かやうな個々の國語又は言語に限らず、言語一般に關する問題がある。即ち、言語といふものはどんなものであるか、その特質は何處にあるか、言語はどうして起り、どうして發達したか、世界の言語には、どんな種類があるか、言語は時代によって變化するが、その變化はどんな法則に支配されるか、言語が分裂し又統一するのはどんな事情に因るものであるか、言語研究には如何なる方法をとるべきかといふやうな問題である。かやうな事項の研究には、一つや二つの言語だけでは不十分であって、なるべく多くの言語、出來るならば、あらゆる言語に於ける事實を調査する必要がある。かやうな言語一般に關する問題を研究する學問を一般言語學と名づける。普通に言語學といへば、かやうな言語學を指す場合が多い。この一般言語學は、各種の言語研究に對して根本概念と一般原則とを與へるものであるからして、國語學の研究も亦之に基づかなければならない。しかしながら、一方に於て、一般言語學に資材を與へるものは個々の言語に外ならぬから、國語學の研究は、また一般言語學に寄與する所があるべきである。

【國語學の性質】
 言語は文化現象の一つであって、音(或場合には文字も)を以て思想感情を他人に通ずるものである。精神の働きが主になっては居るが、物理的(音及び文字)及び生理的(音を發し、字を書く筋肉の運動)の要素も含んでゐる。又言語は社會的のものであって、社會生活の中から生れ、社會生活に便ずる爲に用ゐられるものである。又言語は歴史的のもので前代から後代へと傳はって行くものである。これ等の性質を考慮しないでは、言語上の現象は説明する事が出來ない場合が多い。かやうにして、國語學は文化科學であり、社會科學であり、又歴史科學である。
【フィロロギーと國語學】
 言語の外に、之と同じく一國民又は一民族の精神的生活の發現として、文學、神話、説話、民謡、信仰、風習、法制などがある。此等のものが集まって一つの學問の對象をなすといふ見方がある。その學問を獨逸ではフィロロギーPhilologieと名づける。之を古典學又は文獻學と譯すのが常であるけれども、その資料となるのは、文字に書かれたものばかりでなく、單に口にのみ傳はってゐる民謡や説話や方言などもあるのである。この學は獨逸に於て發達したものであるが、獨逸では言語學(各國語學)をPhilologieの一分科と認めてゐる。もし、このPhilologieに相當する日本文獻學といふやうなものが成立するとすれば、國語學はその一分科と見得る譯である。然るにこのPhilologieが一つの學として成立し得べきや否やについては學者の間に議論があるのであって、それは、一國民又は一民族の産んだ文化を一つのものと見、言語文學その他を、その一つの文化の種々相として見ることが出來るかどうかが問題になるのである。その解決は、此等各方面の研究を一の體系にまとめ得るや否やに懸ってゐる。實際、獨逸に於けるPhilologieを見ると、各部門につき分業的に諸學者がなしたものを集めたもので、全體が渾然たる一の體系をなしてゐるかどうかは甚疑はしいといはなければならない。
【國學と國語學】
 我國で江戸時代に興った國學は、古典の研究に基づいて、外來の要素の混じない純粹の日本國民の精神や生活を明かにするのを目的としたもので、その方法及び範圍に於て獨逸のPhilologieと一致する所が多いからして、之を日本の文獻學と見るものもあるが、國學に於ては、古典解程の基礎として古語の研究を重んじ、各方面の研究が進むと共に、古語研究を國學の一部門と認めるに至ったが、その國語研究は、成果に於ては稱讃すべきものが少くないに拘らず、その理念に於ては實用的語學の域を出なかったもので、今日の國語學とは性質を異にするものである。それ故、今日の國語學を以て、國學の一部門とするのは不當である。實際、國語や國文學其他が、日本精神や國民性の研究に用立つ事は疑無い。しかし、それは、之に資料を供するといふだけである。同じ國語を取扱っても、國語學は之とは違った目的をもった別種の學である。

【參考書】
(國語學一般)
 國語學概説 安藤正次
 國語學通考 安藤正次
 國語學概論 龜田次郎
 國語學概論 小林好日
 國語學精義 保科孝一
(國語學の歴史に關するもの)
 國語學史 保科孝一
 日本文法史 福井久藏
 近世國語學史 伊藤慎吾
 國語學史 吉澤義則
 國語學史 時枝誠記(岩波講座日本文學の中)
(一般言語學に關するもの)
 言語學概論 安藤正次
 言語學概論 神保格
 言語 イェスペルセン著、市河三喜、神保格譯
 言語學原論 ソスュ―ル著、小林英夫譯
 國語教育の基礎としての言語學 石黒魯平
(フィロロギーに關するもの)
 A. Boeckh: Encyclopaedie und Methodologie der philologischen Wissenschaft. 2. Aufl. 1886.
 H. Usener: Philologie und Geschichtswissenschaft. 1882.
 K. Elze: Grundriss der engischen Pholologie 2. Aufl. 1889.
 H. Paul: Grundriss der germanischen Pholologie 2. Aufl. 1901.
 G. Groeber: Grundriss der romanischen Pholologie 2. Aufl. 1904.
 英語學とは何か 中島文雄(京城帝國大學法文學會第二部論纂第四輯)
(國學に關するもの)
 日本文獻學 芳賀矢一
 本居宣長 村岡典嗣
 契沖傳 久松潜一

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