第四章	國語學の資料及び研究法
 國語研究資料
 言語事實の性質とその取扱法
 現代の言語と過去の言語との相違
 現代語を取扱ふ場合
 辞書と文典
 現代の種々の言語の比較
 過去の言語を取扱ふ場合
 歴史的研究法
 比較研究法
 一般的研究法
【國語研究資料】
 國語學の對象は現在及び過去の一切の日本語である。之を知るべき資料は種々あるが、大體次のやうに分類する事が出來る。
 (一) 現在行はれてゐるあらゆる種類の口語及び文語。特殊なものとしては、昔から傳はった音曲・藝能・儀式等に用ゐられる特別の言語がある。例へば、平曲、謡曲、淨瑠璃、狂言の詞、歌舞伎の科白、佛教の聲明や讀誦の言葉など。これ等は、過去の言語、ことにその發音を研究する基礎となる事がある。
 (二) 日本語を文字又は記號(乎古止點の如き)で書いた國内國外の一切の文獻。殊に過去の言語を寫したものは、過去の言語の状態を研究する根本資料として缺くべからざるものである。外國の資料としては、支那人や朝鮮人が漢字を假名のやうに用ゐて日本語を寫したもの、朝鮮人が諺文で日本語を書いたもの、西洋人がローマ字で日本語を寫したものなどある。
 (三) 内外の文獻に存する日本語に關する記載。文典辭書のやうな語學書はいふまでもなく、註釋書、外國語學書、紀行、隨筆、音曲書其他種々の雜書に日本語に關する記載がある事がある。
 (四) 外國語の中に入った日本語。日本と交渉のあった國民又は民族の言語に日本語が輸入せられて用ゐられてゐる。アイヌ語のtono(役人の義。日本語の「殿」)kiseri(烟管)葡萄牙語のbiombo(屏風)bonzo(坊主)など。
 (五) 日本語と同系統の言語。日本語と同じ祖語から分れ出た日本語以外の言語があるとすれば、その言語は祖語の状態を知る爲に一方の基礎となるものであるが、今日の處では、まだかやうな言語は確實には見出されて居ない。もし琉球語を日本語以外の言語として取扱ふとすれば、それは無論この種類に入るべきものである。(
第五章參照)
【言語事實の性質とその取扱法】
 國語學は飽くまで事實に立脚しなければならない。しかるに言語上の事實は、いろ/\の性質のものを含んでゐて、かなり複雜なものである。
 我々が言語を實際に使用する時、即ち言語を以て思想を對手に通じようとする時には、話手はその思想を表はす一定の音を口に發し、聞手は、その音を聞いてその音の表はす思想を思ひ浮べ、はじめて話手の思想を了解するのである。かやうにして、その時實際に發した音を媒介として思想を通ずるのであるが、その音は、その場限りで永久に消え失せるものである。然るに、その音を、その時だけでなく、必要のある限り幾度でも同じやうに發音する事が出來、又、人の發する音を聞いてその音であると理解する事が出來るのは、話手及び聞手の心の中に、その音の觀念(心理學では表象)が出來てゐるからであって、話手はこの觀念に照して、その音を正しく誤らず發音し、聞手は、この觀念に照して、實際に耳に聞いた音をその音と正しく判斷するのである。この音聲の觀念は、これまで幾度も實際に聞いたその音の記憶が集まって、我々の心の中に構成せられたもので、純然たる心理的存在であり、永く心の中に存して、その音を發しその音を聞く時の基準となるものである。
 又その音によって表はされる思想内容も亦同樣であって、實際の事物の經験から抽象せられて事物の觀念(表象)が構成せられ、それが、前に述べた音聲の觀念と結合して、その音聲の表はす意味として心の中に存在してゐるのである。さうして話手が或事を傳へようとする場合には、それに適當な一定の事物の觀念を意識に浮べると、之と結合せる音聲の觀念を喚び起し、その觀念に基づいて、その音を發するに必要な身體の運動を起して、實際耳に聞える音を發するのである。又聞手は、その實際の音を聞いて、心の中の音聲の觀念に照して、その音とわかれは、その音聲の觀念が喚び起され、直に、之と結合せる事物の觀念が心に浮び、それによって、話手が何を傳へようとしてゐるかを理會するのである。
 文字によって思想を傳へる場合には、前に述べた手續の中、音聲のかはりに文字を用ゐるのであるが、これもやはり、目に見える現實の文字の外に、その文字の觀念が我々の心の中に存在して、之に基づいて必要のある度毎に現實の文字を書き、また之に基づいて、目に見る現實の文字を何の字と判斷するのである。さうして、文字の觀念は、事物の觀念と結合して或意味を表はすばかりでなく、また一定の音聲の觀念と結合して、その音を表はし、文字を見てその音を發し(音讀する場合)、又、音を聞いて文字に書く(書取りの場合)事をも可能ならしめる。
 一定の音聲の觀念と一定の事物の觀念と(文語の場合には更に一定の文字の觀念と)の結合したものを言語觀念といふ。言語觀念は言語の核心をなすもので、同じ言語を用ゐる各個人の心中に同じやうに成立して永く存在し、それ等の人々をして、何時でも同じ言語を使って互に理解する事を可能ならしむるものである。
 右の言語觀念は、我々の心の中にのみ存する心理的現象である。又、現實の音を聞いて音聲の觀念を浮べ、音聲の觀念からして之に結合せる事物の觀念を浮べる如きは心理的作用である。しかるに、音を發し、字を書く身體の運動は生理的作用であり、口に發した音聲、手で書いた文字は物理的現象である。かやうに言語には心理的要素の外に、生理的物理的要素を含んでゐる。心理的現象は自己以外には直接に經験する事が出來ない主觀的のものであり、生理的及び物理的現象は他人にも經験出來る客觀的のものであって、兩者その性質を異にし、隨ってその取扱方にも違った所があるべきものである。言語にかやうな性質の違った要素を含んでゐる事は、言語の取扱方を複雜にするものであるが、猶その外に、言語を用ゐる際に行はれる心理的作用は、練習の結果、極めて短時間の間に行はれるのみならず、大部分は明瞭な自覺なく殆ど反射的に無意識的に行はれるのであるから、その事實を見きはめるに困難を感ずる事が少くない。
【現代の言語と過去の言語との相違】
 しかし一層大きな困難は、實に言語の歴史性から必然的に現はれて來る。言語は人類の心理的生理的活動の一つの表はれである。人を離れては言語は存しない。言語觀念は勿論の事、言語を實際に使用するに必要な一切の心理的生理的作用も皆生きた人々の心の中ではたらき、身體によって行はれるものである。唯、心理的生理的活動の所産なる現實の音聲及び文字は、共に物理的現象で、人を離れても存在し得べきものであるけれども、音聲は、その性質上、短時間で消失するものであるから、文字のみが、人を離れて永く存在し得るのである。然るに言語は歴史を有するものである。遠い古から今日までも引續いて行はれ、しかも、時代時代に變化してゐる。しかるに、言語がそれを用ゐる人々と共に存して、言語に伴ふあらゆる心理的生理的現象や作用が我々の前に現實に存し又は行はれてゐるのは、只現代だけであって、過去の各時代の言語は之を用ゐた人々が既に無くなって、之に關する心理的生理的の事實は勿論、具體的の音聲さへも消滅してしまって、親しく之を耳にする事が出來ず、僅に文語の文字に書かれた形のみが後世まで傳はってゐるに過ぎない。しかも、今日まで殘ってゐるものは、かなりの量には上るけれども、過去の各時代に行はれた各種の言語に較べては、極めて不完全な且つ斷片的な一部分だけである。
 現代の言語は之を用ゐる人々が我々と同じ世に住んでゐる。研究に困難はあっても、とにかく、そのあらゆる事實を明かにし得べき筈である。然るに過去の言語は、その性質上直にあらゆる事實を明かにする事は出來ないものであり、又實際上、之を明かにするに必要な資料が僅少であり不完全であるとすれば、その研究に多大の困難がある事はいふまでもない。我々は、まづ過去の言語に於ける事實を確認する爲に、種々の工夫をこらし、出來るだけの方法を講じなければならない。隨って現代語と過去の言語とでは、その取扱法に相違を生ぜざるを得ないのである。
【現代語を取扱ふ場合】
 現代語は現に行はれてゐる言語であって、之を用ゐてゐる人々が現存する。それ故、それ等の人々の現實に發する音や書く文字を直接に耳に聞き目に見る事が出來るばかりでなく、それ等の人々について、その音を發しその字を書く時の口や手の形や動きを觀察し、又研究者が自ら之を試みて、その正否を判斷させる事も出來る。又或單語や或語句がどんな意味をもって居り、又或事物をあらはすにどんな單語や語句を用ゐるかを聞く事も出來る。現代語、ことにその方言の調査採集は、右のやうな方法によって行はれる事が多い。又音聲については、機械によって、音の本體たる空気の振動を記録し、又音を發する時の唇や舌などの形や位置を機械的方法で調べる事も出來る。
 我々は現代日本語の少くとも一つを自身の言語として用ゐてゐる。その自身の言語については、大體右のやうな種々の方法によって事實を確める外、なほ、自己の心中の現象を内省して、他人では出來ない言語の心理的事実の經驗を自ら觀察する事が出來るのである。(例へば、或現實の本について何事をか述べる必要があって之を表はす爲に「ホン」といふのでなく、只漠然と「ホン」といふ語を考へた時、その語の意味として我々の脳中に浮ぶものが、即ちホンといふ語の言語觀念中の事物觀念であり、ホンといふ語の音として脳中に浮ぶものが、之に結合したホンといふ語の音聲觀念である。又、「ホン」といふ字(漢字)の形はと考へた時、心の中に浮ぶのが、その文字觀念である。)これは、他人の言語については觀察する事が出來ないものであるけれども、各個人がそれ%\自己の言語について觀察した所を述べて、互に比較する事は出來るのである。
 同じ人が同じ文字をいろ/\の場合に幾度も書くが、その一々の字を較べてみると、大小や形状が全く同じものが殆どないやうに、同人が發した同じ音でも、場合によっていろ/\異った點があり、同人が使った同じ語でも、その表はす所の事物は、いつも全く同一ではない。(「本」といっても、一冊の本をいふ事も二冊の本をいふ事もあり、自分の本をいふ事も他人の本をいふ事もある)唯、我々は、その主要なる部分の一致によって、同じ文字、同じ音、同じ意味と考へてゐるのである。又同じ言語を用ゐる個人個人の言語も、又同樣である。かやうに各人が、その時その時實際に用ゐる言語には、その時その時の臨時の要素と、個人個人で異る個人的要索とが含まれてゐるのである。それ故、その言語の音聲、意味、文字として、何が本質的のものであり、何が臨時的、個人的のものであるかを明かにしなけれはならないのであるが、それには、いろ/\の場合につき、いろ/\の個人について調査して、之を互に比較し、その中から、本質的のものを選ばなければならない。或個人の数囘の發音を機械によって調べて、その言語一般の音聲の性質を斷定する如きは、時に非常なる危險に陥る事がある。
 以上のやうな調査は、現代に行はれてゐる各種の口語、文語について別々に行はるべきである。しかし、これ等の種々の言語の中には互に似たものも少くない故、便宜上、比較的よく知られよく調査せられたものを基礎として、之と比較しつゝ他の種の言語を調査してもよい。さうして種々の言語が、いかなる範圍(地方、階級、年齢、職業其他)に行はれるか、いかなる場合に用ゐられるかも實地について調査しなければならない。
【辞書と文典】
 かやうにして集め得た事實を、成は單位に分解して、その各單位の異同を考へ、どれだけの違った單位があるかを明かにし、或はその各單位が言語を構成する時、いかに用ゐられるかを調べて之を分類し、或は多くの質例を集めて言語構成上の法式通則を見出し、それ等の結果を秩序正しく記載する。一の言語について、音聲組織、語彙、語法の各部面に屬するあらゆる事象に關するかやうな研究が完了すれば、文典と辭書との二つにまとめて記載する事が出來る。文典は、或言語の語法を組織的に述べ、辭書は語彙に關する事實を集めて記述したもので、この二つによって、一の言語のあらゆる形と意味とは記載し盡さるべきものである。(音聲組織に關する事は、便宜上文典の音聲論の部に述べるのが普通である。)かやうな研究は、現代の種々の言語の一つ一つについてなさるべきである故、鹿児島方言辞書、同文典、青森方言辭書、同文典といふやうに、非常に多くのものが出來得る筈である。
【現代の種々の言語の比較】
 又、一つ一つの單語、音聲、又は語法上の事實などが、種々の言語に於てどうなってゐるかを調べて比較する事も必要である。それによって、それ等の言語の特徴を知る事が出來ると共に、方言では、一つづつこれを纏めて分布地圖を作る事が出來、かやうな研究が集まって、その方言の分布を知る事が出來るやうになる。又、かやうな比較をあらゆる方言について行へば、史的研究の助となる事がある(
後に述べる)。
【過去の言語を取扱ふ場合】
 過去の言語は、之を用ゐた人々が生存してゐないのであるから、その人々の發した音聲を直接に聞く事も出來ず、之を發する時の唇や舌の位置や動かし方を見る事も出來ない。或ことばが何を意味し、或意味をあらはすにどんなことばや言ひ方があるかを尋ねる事も出來ない。しかし、辭書や文典註釋書其他に當時の言語の意味や發音其他に關する記載があって、過去の言語上の事實が知られる事もあるが、實際に於て、かやうなものは比較的少く、且つ各時代に亙ってゐない。
 過去の國語に於て、我々が直接に經驗する事が出來るのは、過去の文獻に存する、言語を寫した文字だけである。我々は、まづこの文字に基づいて過去の言語を再現しなければならない。
 これ等の文獻は、多くは、今日まで讀まれ又解釋されてゐる。これは、つまり、今日の我々の言語に基づいて過去の言語を再現してゐるのである。その讀み方及び解釋を直にその文獻の出來た當時のものとするのは甚危險であるけれども、これを出發點として研究を推めるのは便宜である。
 然るに、今日の讀み方即ち文字の發音は、音聲として見れば、今日の言語の音聲と同一であって、文獻の時代の新古にかゝはらず皆同樣に讀む。それが果して、その文獻の出來た當時のものと一致するかどうかは疑問である。處が、萬葉假名や平假名片假名のやうな文字は、音聲を代表するものである。又宛字の中にも、音が同じである爲に違った文字を宛てたものもある。かやうな文字を用ゐた文献を集めて、同じ語がどんないろ/\の違った文字で書かれてゐるかを調べて、いかなる文字はいかなる文字と同じ音を表はし、いかなる文字とは違った音を表はしてゐるかを見、あらゆる文字をその表はす音の異同によって分類すれば、その言語に、いくつの違った音があったかを推定する事が出來る。これがその言語の音聲組織を明かにする基礎になる。
 それでは、その一一の音の發音はどんなであったかといふ問題になると、之を書いた文字がローマ字や諺文の如き外國文字、又は漢字の字音を用ゐた萬葉假名の如き、外國語に關係あるものであれば、その文字の本國に於ける發音を調べる。又その發音について記載したものが無いかを調べ、又現代に於ける讀み方を參照し、殊に諸方言又は昔から今に傳はってゐる音曲、讀誦などの中に、その文獻の書かれた時代の發音を殘してゐるものが無いかを調べ、又なるべく近い前又は後の時代の發音が明かになれば、之と對照して調べる。又外國語に入ってゐる日本語の發音に當時の音を殘してゐないかを考へる。かやうに、出來るだけ違った種々の資料に照し合せて實際の發音を推定するのである。かやうにして、一つ一つの音の發音がわかれば、それから音聲組織もわかり、單語や文の音もわかるのである。
 次に意味の方面に於ては、出來るだけ多くの用例を文獻からあつめて詳細にしらべ、同時代又はなるべく近い時代に出來た辞書註釋書の類、漢文に假名で訓をつけたものなどを參照し、その前後の時代の文獻にあらはれた例や現代語、殊に諸方言に於ける例を考へて決定すべきである。語法上の事實に關しては、やはり實例から歸納して、その方式、通則を明かにすべきであるが、これも、當時の言語の語法に關する種々の記載があるならば之を參照し、猶現代の種々の言語の語法や、前後の時代の文獻にあらはれた事實をも參考して、決定すべきである。
 文獻は或人が或時書いたものであって、その時代の言語を代表するものではあるが、その時代に行はれた種々の言語全部を代表するものではない。それ故、それは、どんな種類の言語に関するかを考へる必要がある。同時代の同種の言語ならば、なるべく多くの文獻を一緒にして研究すべきであるが、もし異種の言語があるならば、之を區別しなければ、誤を生ずる虞がある。又言語に時代的變化があるから、時代をわけて考ふべきで、時代の違った文獻は別々に取扱ふべきである。
【歴史的研究法】
 以上過去の文獻を資料として、過去の言語上の事實を推定する方法を述べたのであるが、前にも述べた通り、過去の言語については、各時代時代の言語の状態を明かにする敍述的研究と、各時代を通じて史的展開を明かにする史的研究とがある。過去の一つ一つの文獻にあらはれた言語は、普通或一時代の言語に屬する。同時代の同種の言語を用ゐた文獻をあつめて、その言語をしらべれば、その言語のその時代に於ける状態が明かになる。史的研究に於ては一つの言語の時代時代について右のやうな研究を行って、之を時代の順序にならべて互に比較し、何時その言語のいかなる點がどう變化したかを明かにする。かやうな方法で研究するのを歴史的研究法といふ。言語上の變化は、同じ日本語の内でも、一つの言語に起っても違った言語には起らない事もあり、起っても、多少年代を異にする事もあるのであるから、言語毎に別に考ふべきものである。
 かくの如く、各時代の言語状態の研究は、史的研究の基礎となるのであるが、しかし實際に於ては、現存せる文獻に據って各種の言語の各時代の状態を完全に知る事は不可能であって、或言語或は或時期については文獻の全く存しない事もあり、又あっても甚僅少で、言語上の事實を明かにする事が出來ぬ場合も少くない。それ故、實際に於ては、資料の分量又は性質上、比較的よく事實を知る事が出來る時代のものを基礎として、缺けた時代の事實を補ひ又は確かめなければならない。この場合には、比較的確に知られる事實を年代順に並べて、時と共にいかなる方向に變化して行ったかを見て、缺けた時代のを補ひ又は確かめるのである。即ちこの場合には、史的研究に基づいて或時代の状態を知るのである。
 文獻を基礎とした以上のやうな研究法は、幾多の不明なる點や不確な點を殘すにしても、概して比較的確實に各時代の事實を明かにし、變遷の跡をたどる事が出來るものである。
 しかるに、猶他の方法によれば、文獻による研究の缺を補ひ、又は文獻だけでは知る事が出來なかった新な事實を見出し得るものがある。その一つは比較研究法である。
【比較研究法】
 これは、同じ言語から分れ出た二つ以上の言語を比較して、その分岐した迹をたどり、分岐しない以前の状態を推定するのである。一の國語の内の諸方言は、もと同一の言語から分れて、互に違った言語となったものであるから、諸方言を互に比較して、その異同をしらべ、互に異る點は、もと同一であったものから時代的變化の結果生じたものとして研究するのである。但し方言は互に影響を受ける事があるから、後世に生じた、一の方言に於ける變化が、他の諸方言に及ぶ事があって、諸方言に於て一致してゐる點は、ことごとく原始的のものであると速斷しがたい事もあるけれども、現に歴史的研究の結果、室町以前までは存し、その後多くの方言では變化したと考へられる發音や語法が、或方言では今猶殘ってゐるやうな例もあるから、右のやうな比較研究法によって、古代日本語の状態が明になり、文獻では知る事が困難な發音上の微細な點や、文獻に殘らないやうな單語などが見出される可能性があるのである。殊に琉球地方の言語との比較によって、直接の文獻に基づく言語研究が不可能な時代にまで溯って、日本語の状態を明かにし得る事があらうと考へられる。但しこの方法の缺點は、正確な年代を定める事が出來ない事で、只古く或時代にかやうな音があり、かやうな語があったといふ事を知り得るだけである。しかし歴史的研究の結果と相照して、大體の時代を定め得る場合が無いでもない。
 又かやうな方法は、全く關係が無ささうに見えた諸言語が、もと同じ言語から分れ出たものである事を見出さしむるものであって、歐洲の大部分及び印度波斯等にわたって行はるゝ諸言語が同系統に屬するものである事が證明されたのも、實にこの方法の成功によるのである。日本語と同系統の語も、亦この方法によって見出されるべきで、もし、それが成功すれば、日本話が日本語として分立しない以前の言語の状態も大體推定せられ、それから國内の資料によって溯り得べき最古の時代の状態に達するまでに、どんな變化が生じたかを知る事が出來る譯である。
 さうして、かやうな諸言語が同系である場合には、後世に他國語から輸入せられたと考へられる要素を除き、その本來の言語と考へられるものに於て、單語(ことにその構成典素たる語根)、文法上の種々の形式や法則に於ける根本的一致が見られ、殊にその諸言語の間に規則正しい音聲の對應が見出される。これは同一國語内での諸方言に於ても同樣であって、我國の諸方言の間にも見出されるものである。例へば、東京語のai音は仙臺方言ではe-、鹿兒島方言ではeにあたる。
 仙臺方言  挨拶―e-sadzu 向ひ―muge- 額―hite- 御參り―ome-ri
 鹿兒島方言 挨拶―esatsu 細工―seku 合圖《大根》―dekon 額―fute
かやうな音聲の規則的な對應は、それらの言語の同系統である事を最明確に證明するものである。
【一般的研究法】
 比較研究法の外に猶一つ、一般的研究法といはれるものがある。これは、國語と系統上の關係の有無に拘らず、種々の言語に於て見られる言語變化の實例から類推して、國語に於ても同樣の變化があったものと考へて、國語上の現象を假定し説明するものである。例へば「窓」を英語でwindowといふのは、もと「風」と「目」との合して出來た語、アングロサクソン語でeagduraといふのは「目」と「戸」、又eagthyrlといふのは「目」と「孔」の複合語である。これによって窓を目と考へたことがわかる。かやうな例を根據として、我國で「まど」といふのも亦「目の戸」と考へて「まど」(目戸)と名づけたのであらうとする類が一般的研究法である(目は「まぶた」「まばゆい」の時「ま」となる)。これは、人類の言語に於ては、全然關係のない言語に於ても同樣の原則が行はれ得るとの假定に基づくものであって、この原則を誤なく適用せん爲には、多くの言語について音聲變化意義變化等の實例をあつめ、之を適當な條件によって分類して、これ等の變化にいかなる違った種類が可能であるかを調べておく事が必要である。しかし、同じ國語に於ては、時代を異にし言語の種類を異にしても、同樣の現象が起る事が一層可能である故、日本語だけについて、かやうな音聲變化意義變化等の例をあつめて類別し、その原則を立てておくことは一層必要である(金田一京助氏の國語音韻論は日本語の音聲について之を試みたものである)。かやうにして、はじめて、比較研究法に於ても、諸方言の互に異なる點を、もと同一であったものから時間的變化の結果生じたものとして、歴史的事實に還元し得、又、歴史的研究に於ても、一一の言語變化の過程を推察して、一の時代の状態に基づいて、他の時代に於ける状態を推測し得るのである。しかしながら、一般的研究によって得た結果は、何れも可能性又は蓋然性を有するだけであって、必然性に缺ける所があるのは止むを得ない。しかしながら、歴史的研究の結来、前後の時代の状態が明かであって、その中間の時代の状態を推定するやうな場合には、殆ど確實と見られるものもある。
 以上、一の言語内に於ける言語事實を明かにする方法について述べたのであるが、國語の中の種々の言語(方言其他各種の口語及び文語)は時と共に生滅し、又互に影響を及ぼすものであり、その行はるゝ土地や範圍なども變化するものであって、これ等については、過去の文獻に存する記事によって多少之を明かにし得るものもあるけれども、さやうなものは實際上甚少く、一般の社會の事情からして推測しなければならない場合が多い。かやうな點に於ては一般及び特殊の史學の補助を仰がなければならない。即ち、土地による言語の相違については、日本領土の擴張、國内の開拓、行政區劃、封建制度、諸侯の領地の分布、都市の發達等、各地の土地と住民に關する諸般の歴史、方言相互の關係については、國内の交通發達史、階級による言語の相違については、社會各階級の歴史、標準語や各種の文語については、教育、宗教、文藝などの歴史、其他一般に文化の發達分布史などに照して考察しなければならない。
 其他、外國語と日本語との關係に關しては、日本民族と他民族との接觸交渉の歴史、外國との交通の歴史、日本に於ける外國語學修の歴史などをも研究すべきであり、語源研究に於ては、單語の表はす事物そのものの變遷の研究を必要とする事が少くない。又日本語の系統を日本民族の起源及び發達と關聯させて考察する場合には、人類學人種學民族學考古學等の助を借りなければならない。

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