第五章	日本の方言
 方言の概念
 方言區劃
 現代國語の方言區劃
 琉球諸島の言語
 國語の方言の沿革
 參考書

【方言の概念】
 日本の口語の中に種々の言語の相違があるが、最著しいのは方言の違ひである。方言は、言語の士地による差異について名づけたもので、その土地だけに行はれてゐる言語である。一つの土地の言語が、他の土地の言語と異る點は、人の注意を惹き易いものであるから、その地の言語の特異なる點だけをその地の方言と考へる事は普通ありがちであるが、學問上には、その地の言語全體をさしてその地の方言ほといふのであって、他の地の言語と一致する部分をも一致しない部分をも含めていふのである。かやうな言語は、特殊な場合でない限り、我々は知らず/\覺えて自己の言語として用ゐるものであって、それ以外の言語は全く知らないでも、一つの方言だけは必ず知ってゐるのである。
【方言區劃】
 一つ一つの方言はそれ%\一定の地域に行はれ、その地域内では同じ言語が行はれてゐるのである。一つの方言がどれだけの地域に擴がってゐるかを知らうとするならば、その方言をつかってゐる人々に、その土地の人々の言語を聞かせて、同じ言語であるか違ってゐるかを判斷させるのが最正確な方法である。かやうにして精密に方言の異同を分ち、その行はれる地域をしらべて行ったならば、現代の日本語中に非常に多數の方言が區別され、その一つ一つの方言の行はれる地域は、かなり狭いものであらうと思はれる。
 これ等の方言は、互に違った點があるのであって、その差異の程度はさまざまであるが、概して隣接した地域に行はれてゐるものは、類似した點が多いものであるから、互に類似したものをまとめて、その地方の方言とし、その行はれる地域を一の方言區域とする。國語の行はれる範圍は、國語内のあらゆる方言の行はれる地域の總和に等しい故、右の如く類似した方言をまとめて方言區域を立てれば、全國はいくつかの方言區域にわかれる。更にその各區域内に行はれる各地方の方言を互に比較して、重要なる點に於ける言語の一致によって之をまとめて、大きな方言とし、その行はれる範圍を大きな方言區域とする。かやうにして、遂には全國を少數の大きな方言區域に分つ事が出來るのである。
【現代國語の方言區劃】
 右のやうな詳細な調査は、現代日本語については、まだ出來てゐないから、日本語中にいくつの方言があり、方言區域を分てば、いかに分れるかについては、まだ確實な斷定は出來ない。しかし、全國の方言について極めて大きく見れば、日本の東部と西部との方言の間に、かなり著しい相違がある事は疑ない事である。その重な諸點は、
   東部           西部
 (一)打消のいひ方
   行かない。取らない。  行かん(ぬ) 取らん(ぬ)。
 (二)指定のいひ方
   これだ。        これぢゃ。これや。
 (三)形容詞連用形
   白くなる。       白うなる。
 (四)口語一段活用命令形
   受けろ。        受けい。受けよ。
   起きろ。        起きい。起きよ。
 (五)ハ行四段動詞音便の形
   買った。買って。    買うた。買うて。
 これ等の違ひを標準にして東西兩部の方言を分つとすれば、その境界線は何處になるかといふに、大體に於て、富山岐阜愛知の諸縣と、新潟長野靜岡の諸縣との境界線であるが、實際は、右に擧げた諸項だけの境界線をみても、決して全部同一ではなく、少くとも一部分は離れて、或は西或は東に走って居るので、到底正確な一線を以て東西を劃する事は出來ない。上述の境界線は大體を示すに過ぎないのである。
 とにかく、東西兩部の方言の對立は顯著であって、何人も異論の無い所であるが、なほ、九州の方言を東西兩部に對立する大きな方言として認めようとする説がある(東條操氏、「國語の方言區劃」)。九州方言は、前に擧げた諸點に於ては大概西部方言と一致し、其點から見れば西部方言といふべきであるが、九州の一部分には却って東部方言と特徴を同じうするものがあり(二段活用の命令に「ろ」を用ゐる如き)又東西兩方言に於て一致してゐる點に於て九州だけが違った點があり、「受け」「受くる」「起き」「起くる」のやうな二段の活用があり、ジとヂ、ズとヅの發音の區別がある)、九州獨特の形式もある(過去の打消には「行かざった」「行かんぢゃった」「行かんだった」の形を用ゐ、二段活用の未來形を「起(オ)キュー」「受(ウ)キュー」のやらにいふ如き)。それ故、九州方言を東西兩方言と同等な大方言と認めるのは道理ある事と考へられる。さすれば、全國の方言は東部西部及び九州の三つに大別される譯である、(さすれば、動詞の未來形は、東部「受けよう」「來(こ)よう」又は「きよう」、西部「受きょう」「來(コ)う」九州「受きゅう」「來(ク)う」と相對し、過去の打消は東部「知らなかった」西部「知らなんだ」、九州「知らざった」、「知らんぢゃった」又は「知らんだった」と相對する)。
 東條操氏は更にこの下にやゝ小い方言區域を立てる事を試みた(「國語の方言區劃」及び「大日本方言地圖」)。
  本州東部方言
      東北方言 青森、岩手、宮城、福島、秋田、山形、新潟の北部
      關東方言 東京、神奈川、千葉、茨城、埼玉、群馬、栃木、山梨の東部
  本州中部方言
      東海東山方言 靜岡、愛知、長野、岐阜、三重、山梨の西部
  本州西部方言
      北陸方言 新潟の南部、富山、石川、福井の一部
      近畿方言 京都、大阪、兵庫、和歌山、奈良、三重、滋賀、福井の一部
      瀬戸内海方言 岡山、廣島、山口、香川、愛媛、鳥取、島根の一部、徳島
      雲伯方言 島根の一部(出雲及伯耆の西部)
      土佐方言 高知
  九州方言
      豊日方言 福岡の一部、大分、宮崎の大部分(諸縣那を除く)
      肥筑方言 福岡の大部分、長崎、佐賀、熊本
      薩隅方言 鹿兒島、宮崎の一部分(諸縣郡)
  (本州中部は、東西兩部の相交る地方として、一區域を立てたのである。)
 右の區劃は、語法上の特徴を主とし、音聲や單語などをも參照して立てたもので、大體に於て當を得たものであらうと思はれるが、その境界は今後の修正を要するであらう。又東北方言の如きは、恐らくは、更に太平洋方面と日本海方面との二つにわかつ必要があらうと思ふ。近來、佛蘭西に起った言語地理學に於ては、方言の分布は、個々の單語の如き一一の事項については言ふ事が出來るけれども、言語全體としては不可能であると主張してゐる。これは、道理のある事であり、一一の事項をあらゆる方言に亙って調査し、その分布を明かにする事は、國語の現状を明かにする爲にも必要であり、國語史の研究にも大切であるけれども、國語全體としての研究には、前述の如き見方も必要であり有益である。たゞ、類似した方言を集めて類を立てるのは、言語現象中重要と認めたものの一致不一致によるのであって、その選擇は、研究者の見方によって異なる所があるであらう。上述の如き方言の類別は、語法的事實を主としたものであるが、音聲上の特徴を主とすれば、ガ行音の最初の音がすべて東京語のガイコク(外國)ギリ(義理)のガギの如きg音であって、ナガイ(長)クギ(釘)のガギの如きng音が無いものと、すべてng音であって、g音の無いものと、g ng兩音が共にあるものとの區別、又クヮ(kwa)音があるものと、クヮ音なくしてすべてカとのみ發音するものとの區別、出雲や東北地方に見る如きイとウとの中間の特別の母音の有るものと、無いものとの區別、ジヂズヅの音を區別して發音するものと、さうでないものとの區別などによって、方言を分つ事は出來るが、しかし、それ等の分布は錯綜し、且つ、一つ一つ非常な差があって、これ等を綜合して、全國を少數の大なる方言區域にまとめる事は出來ない。但し、近來、アクセントの相違に基づいて、區劃を立てようとの試みがあり、或地方では、頗る明瞭な境界線が見出されたが、果して全國にわたって、かやうな區劃を立てる事が出來るかどうかは今後の研究に侯つべきである(服部四郎氏論文「近畿アクセントと東方アクセントとの境界線」參照)。
【琉球諸島の言語】
 以上述べたのは、昔からの日本の土地に行はれてゐる諸方言に就いてであるが、この外に琉球諸島に行はれてゐる言語がある。即ち、鹿兒島縣大島郡と沖繩縣とに屬する島々に行はれてゐる所謂琉球語である。この言語は、日本語とはかなりの差異があって、互に理解する事は困難であるが、もと日本語と同じ言語から分れ出たものである事疑ない(日本語との間に、大體規則正しい音聲の對應が見出される)。その中に方言の差異が非常に多く、中で首里の言語が標準的のものと考へられてゐる。これ等の諸島は推古天皇の頃から國史に見えてゐるが、我國では外國として取扱ひ、入貢歸化などの文字を用ゐて居り、その後も我國の勢力の及ばなかった處であって、それ自らの開國の傳説を有し、琉球王國を立てて獨立し、支那日本と交通して居たのであるが、江戸時代の初、薩摩の島津氏に征服せられて、その屬領となった後も、やはり王國として表面上は獨立國の體裁を保ち、支那と交通してゐたのである。この地方が、純然たる日本の郡縣となったのは、明治維新以後である。かやうな歴史から見て、その言語を琉球語として、日本語以外の別の國語とするのは、むしろ當然ともいふべきであった。然るに、近來琉球諸島が日本の郡縣となって年久しく、且つその言語が明かに日本語と同系統のものである所から、之を日本語の方言と見るものが漸く多くなって來たのである。さうすれば、琉球語は琉球方言となり、普通の日本語は、本土方言として之に對立し、何れも日本語中の大方言となるのである。全體、或一つの言語を、一の國語と見るか、一國語中の一方言と見るかは、言語そのものよりも、之を用ゐる民族の状態如何による事が多いのであって、和蘭語の如きは、一言語の性質から見れば、獨逸語中の一方言と見てよいものであるけれども、和蘭が獨立した國家をなしてゐる爲に別の國語とせられてゐるのである。琉球の言語も、今日の社會の状勢からすれば、日本語と對立する一の言語とするよりも、日本の方言と見る考が有力になったのは、寧ろ當然ともいふべきである。いづれにしても、只名が違ふだけで、言語それ自身の關係は少しも變らないのである。かやうに琉球を琉球方言としても、それは、歴史時代の初めから、既に本土の方言とは分れて、別々に發達したものであるから、その言語の歴史は、普通の日本語の歴史とは區別して取扱ふべきものである(さういふ場合には琉球語の名を用ゐた方が便利な事もあらう)。さうして、琉球の諸方言と、本土の言語との比較研究が、日本語の極めて古い時代の状態を明かにするに貢献する所あるべき事は、既に述べた通りである。
 琉球語を日本の方言として取扱へば、これまで日本語の諸方言及び方言區域として述べた事は、日本語の二大別の一なる本土方言の中での區別となるのである。さうして、琉球方言の中にある多くの方言については、東條氏は之を奄美大島方言(大體、鹿兒島縣大島郡の方言)、沖縄方言(沖縄本島及び之に附屬せる諸島の方言)、先島方言(宮古、八重山諸島の方言)と三つに大別してゐる。さすれば日本の方言は大體次の如くなる。
            東部方言
        本土方言 西部方言
            九州方言
 日本語の方言
            奄美大島方言
        琉球方言 沖繩方言
            先島方言
【國語の方言の沿革】
 一國語内の諸方言は、もと同一の言語から分れ出たものである。言語は時と共に變化するものであるが、その變化がその言語を用ゐる全員に速に傳播すれば、言語全體の統一は破れないのであるが、その變化が或地域の人々の間だけに止まり、他の地域にまで及ばないとすれば、こゝに土地による言語の相違が生ずる。その相違は、年を經て言語が變化を重ねると共に著しくなって、一の言語が數多の方言に分裂するのである。さうして、言語の變化が傳播するのは、人々が他人の言語に接して其の影響を受けるによるのであるから、自然又は人爲の原因で一の地方と他の地方との交通が妨げられれば、そこを境界として方言が分れるのである。
 我が日本語も、恐らくはその行はるゝ全範圍に亙って同一であった時代があったのであらうが、それは非常に古い時代の事であって、國語の歴史が溯り得る最占の時代には既に方言の別があったものであらうと思はれる。それは奈良朝に出來た萬葉集の歌によって推測せられる。萬葉集の中には大伴家持の歌に越中の方言を詠み込んだものがあり(巻十七に「
東風〈越俗語東風謂之安由乃可是也〉」とある)、能登や筑紫の歌に一二その地の方言かと疑はれる語が混じてゐるものもあるが、最著しいのは、卷十四の東歌、及び卷二十の防人歌に見える東國地方の言語であって、これ等の歌は、他のものに比して多くの言語上の特徴をもってゐる。その音聲に於ては、他の歌にあらはれる言語と比較して、母音の轉換してゐるものが甚多く、中にもuとo、iとeの轉換が最多く、iとu、aとe、eとoなども少くない。それが爲、「ゆき」(雪)がヨキ、「くも」(雲)がクム、「ぬの」(布)がニヌ、「にじ」(虹)がヌジとなってゐる。用言の活用語尾にも同樣な音の轉換があって、「降る雷」がフロヨキとなり「立つ月の」タトツクノとなり「匍ふ豆」がハホマメ、「舳越す白波」がヘコソシラナミとなり、助動詞の「む」がモとなり、「かなしき子」がカナシケコとなり、「悪しき人」がアシケヒトとなり、「降れる」がフラル、「干せる」がホサル、「舳向ける舟」がヘムカルフネ、「告れる」がノラロとなってゐる。これ等は同時に語法にも關係したものであるが、猶語法上の特徴として注目すべきは、命令形にロをつけたもののある事と、打消に特殊な助動詞を用ゐた事である。
 命令形にロをつけたものは、アガテトツケロ(「我が手と着けよ」の義)アドセロト(「何とせよと」の義)の例であって、他の地方ではツケヨ、セヨといふのが普通であるが、東國語にはロをつけるのである。又、打消をあらはすナフといふ助動詞があったのであって、これは次の如く用ゐられた。
 ナヲカケナハメ(「汝を懸けざらむ」の義)
 アハナハバ(「會はざらば」「會はずば」の義)
 ワスレセナフモ(「忘れせずも」の義)
 コニモミタナフ(「篭にも満たず」の義)
 トケナヘヒモノ(「解けぬ紐の」の義)
 ネナヘコユヱニ(「寝ぬ子故に」の義)
 ネナヘドモ(「寝ねども」の義)
 アハナヘバ(「會はねば」の義)
その活用は
  ナハ ○ ナフ ナヘ ナヘ ○
であって、他に例の無い形式である。
 かやうに命令にロを用ゐる事、及び打消に特殊の助動詞を用ゐる事が語法上に於ける當時の東國語の著しい特徴であるが、この二つの點は、現代に於ても東部方言の特徴となってゐるのであって、「ツケロ」は現代語と相同じく、「セロ」は現代語ではシロとなってゐるが、セロといふ方言もあり、江戸時代初期にはセロであった證があり、何れにしても、西部方言のヨ又はイを附けるのに對してロを附ける事は同じである。又打消の助動詞は、現代の東部方言ではナイであって、その語形が違ひ、活用も形容詞のやうに、ナイ、ナイ、ナケレと活用するけれども、西部方言は違った語を用ゐるといふ點で古今相一致してゐる上に、現代語のナイも、奈良朝のナフとは全く無關係のものではなく、ナフの連體形のナヘは後にはその發音がナエとなったと考へられ、更に後には連體のナエが終止形の代りにも用ゐられたらうと思はれるが、このナエは、形容詞の「無し」の口語の連體及び終止のナイと音が極めて近い上に、その意味も相類してゐる爲に、遂に之と混同してナイの形となり、活用も之に準じて形容詞的になったものと考へられる。さすれば現代のナイは、形は變ったがナフの後身といってよい。かやうに現代の東部方言の最主な特徴の中二つまでも既に奈良朝の東國語にその特徴としてあらはれてゐるのであるが、奈良朝に東國といったのは、信濃遠江以東の國々であって、今日の東部方言の區域と一致する。これによっても、東西兩部方言の區別が由來久しく、兩方言の境界も大體に於て古くから定まってゐたものである事が知られるのである。
 東國語といっても、廣い範圍に行はれてゐる故、その中でまた違ひがあったであらう。大和地方のoが東國語でeとなってゐるのが遠江歌に甚多く、他には、駿河歌に一つあるのを除いては全く例を見ないのは、遠江駿河地方の方言の特徴の一であったかとおもはれる。
 かやうな東國方言は、いつからあったものかといふに、萬葉集の防人歌は天平勝寳七年のもの、巻十四の東歌はそれよりも幾分古いものと考へられるのであって、奈良朝初期には、東國語は右の如く著しい特徴をもってゐたのであるが、僅の年月の間にかほどの相違が生じたものとは考へられないから、少くとも百年や二百年前から既に他の地方とは多少違った點があったらうと推察せられる。即ち、我々が文獻に於て溯り得る最古の時代には、方言として成立してゐたものであらう。
 平安朝以後になると、京都を中心とした畿内地方の言語は文獻に殘ってゐて、不十分ながらその沿革を知る事が出來るけれども、其他の地方の方言に關しては、極めて斷片的の資料が散見するばかりであって、その状態を詳にする事が出來ない。唯一つ、室町時代の末に日本へ來た西洋人が、布教の必要上日本語を研究して詳細な文典を作った中に、重な諸地方の發音及び語法上の特異な點を列擧したものがあって、これによって、當時の日本の大部分の方言の概況を知る事が出來るのである。それはロドリゲスJoa‾o Rodriguezの作った葡萄牙文の日本文典Arte da lingoa de Iapam(西紀一六〇四−八年長崎版)第二巻の中「或國々に特有な言葉遣ひや發音の訛謬について」と題する條に見える記事である。之によると、上(カミ)、即ち京都を中心とした近畿地方の言語と、下(シモ)、即ち九州地方の言語とを、相對立する二つの大きな方言と認め、その中間に中國の方言をおき、さうして、此等に對して關東又は坂東の方言があって、これが種々の點で他の地の方言に對して特異な點をもってゐると考へたやうである。即ち概していへば、著しい方言として近畿九州及び關東の三つを認めたので、この考は、室町時代に行はれた「京へ筑紫に關東さ」(方向を示す助詞として、京では「へ」を用ゐ、九州では「に」を用ゐ、關東では「さ」を用ゐるといふ意味)といふ諺と合致するものであるが、三つの中でも、關東は特に違った點が多かった事はロドリゲスの文典に「三河から日本の涯にいたる東の諸地方に於ては、一般に語氣荒く、鋭く、多くの音節を約(つゞ)める。且つその地の人々相互の間でなくては了解せられぬ獨特な異風な語が多い」とあるによっても明かである。
 ロドリゲスは、これ等の諸方言につき、殊に九州については、その中での各地方に分って、その重な特點を列擧してゐるが、それは多くは今日に於てもその方言の特徴と見られるものである。例へば關東方言に於て、未來形にベイ、打消にナイ、形容詞連用形にク(長ク、白クなど)、ハ行四段動詞の音便形に促音の形(拂ッテ、習ッテなど)を用ゐ、方向を示す助詞としてサを用ゐ、「借ル」が「テ」に連る場合にカリテとなる如き、中國方言に於て、成ルマイのマイを口を過度に開いて發音する如き、九州一般に方向を示す助詞にニを用ゐ、オー音とウー音との轉換多く、aioiのi音が特殊のe音に變ずる事多く、九州の一部に過去の打消にザルを用ゐ、又、命令に、見ロ、上ゲロ、浴ビロなどロを用ゐ、形容詞の語尾がカとなる(甘カ、繁カ、新シカ、好カなど)など、今日のこれ等の方言の特徴が既に室町末期に具はってゐた事が知られるのである。さうして、右の樣な特異な點を國語史に照してみると、關東方言の未來のベイは助動詞ベキが音便で轉じたもの、打消のナイは、前述の如く奈良朝に見えた「なへ」がナエとなり、形容詞ナキから轉じたナイと混同したものらしく、形容詞連用形のクは、奈良朝から見える形であるが、他の諸方言に於てその音便形ウが次第に一般に用ゐられるやうになった爲、クを用ゐるのが關東方言の特徴となったのであり、ハ行四段の音便形は、勿論拂ヒテ、習ヒテから轉じたものであって、音便は平安朝に初まって、以來次第に廣く行はれたもののやうであるから、打消の形を除く外は、平安朝以後に於て、はじめて關東方言の特徴となったものと見て誤はあるまいと思はれる。中國方言のマイは助動詞マジから轉じたもの、九州の形容詞の語尾のカは、甘カル、繁カルなどから轉じたもので、大キナル、靜カナルが大キナ、靜カナとなったと同樣の經路を經て出來た形で、かやうなナは京都地方では平安朝の末期からはじめて見えるもので、九州地方に於てカが出來たのも、非常な時代の差はなかったものかと思はれる。打消のザルは、平安朝には京都では一般に用ゐたもので、それが九州方言(ロドリゲスの文典には、當時中國でもザルを用ゐたとあるから中國方言も)の特徴となったのは、京都に於てザルが用ゐられなくなってからである事疑ない。殊に京都でナンダの形があらはれたのは室町時代のやうであるから、ザッタが之に對立するものと見られるに至ったのは、早くも鎌倉以後であらう。オーとウーの相通、aioiの母音の音變化などは、時代は確に知られないが、オーとウーとの相通は、今日でも九州方言の特徴となってゐる未來の形、「受けよう」「來よう」をウキュー、クーといふのと關係があるのであるが、少くともこの未來形に關する限りに於ては、「受けむ」「來む」から出た「受けう」「來う」の形と關係があるものである事疑なく、未來の助動詞「む」が「う」に轉じたのは、京都地方では平安朝の院政時代以後のことで、九州でも非常に時代の隔りはあるまいと思はれるから、これも平安朝か、それ以後の事であらう。
 かやうに考へて來ると、室町時代の方言の重なる特徴は、主として平安期以後に出來たもののやうである。想ふに、平安朝以後、年を經るに隨って、各地の方言の差異が甚しくなり、また新な方言も出來たのであらう。殊に武家時代の封建制度は、この傾向を生ぜしめたか、少くとも之を助長したに違ひない。新村出博士はロドリゲスも指摘した九州西部に行はるゝ命令形のロを以て、九州に土着した東國人の影響であらうかとして居られる(「東方言語史叢考」所收東國方言沿革考)。かやうな事情も亦方言の差を生ぜしめたであらう。
 江戸時代に入っても右のやうな形勢は少しも變らなかった事であらう。この時代に、諸侯の轉封によって、九州又は西部地方の城下町に關東方言が行はれ、現代にいたるまで傳はってゐるものがある。肥前唐津、日向延岡、伊勢桑名などがそれである。九州方言は、室町時代から既に多くの特異な點を有ってゐたが、室町末期から江戸時代初期にかけて、これまで區別のあったジとヂ、ズとヅの發音が混同して同音となり、京都地方から漸次西方に及んだものと考へられるが、九州は土佐と共にその影響を受けなかった。又室町末期に關東方言に於て見られた二段活用動詞の一段への轉化が、江戸時代になっては西漸して京都以西に及んだが、これも九州は、昔のまゝに二段活用として用ゐたので、九州方言と他の方言との懸隔が益甚しくなったのである。
 かやうに我が國語は多くの方言にわかれて明治維新に及んだが、明治以後、封建制度を廢して中央集權制をとり、西洋の文明を輸入して、交通の便を開き、且つ學校を設けて教育の普及に力を盡したので、全國の言語は漸く統一の機運に向ひ、古來の方言は次第に失はれようとする形勢になったのであって、この傾向は今後益著しくなるであらう。

【參考書】
 方言研究の概觀 東條操(岩波講座日本文學)
 國語の方言區劃 東條操
 大日本方言地圖 東條操
 音韻調査報告書 國語調査委員會
 音韻分布圖 同
 口語法調査報告書 同
 口語法分布圖 同
 口語法別記 大槻文彦
 九州方言の特異性 吉町義雄(九大國文學第一、第二號)
 東國方言沿革考 新村出(東方言語史叢考)
 國語に於ける東國方言の位置 新村出(同)
 三百餘年前の日本の方言に關する西人の研究 橋本進吉(民族第二卷第一號)
 歴史上から觀た日本の方言區劃 橋本進吉(民族第三卷第四號)
 刊行方言書目 東條操(國語教育第十六卷第九號)
 蝸牛考 柳田國男
 近畿アクセントと東方アクセントの境界線 服部四郎(音聲の研究第三輯)

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