九三、韻鑑古義標註及び其の同系の諸註


 泉州界浦沙門叡龍の韻鏡古義標註は享保丙午十一年(二三八六)に出板。龍は
國朝の儒を業とする者は韻學の讀書に於ける大に資益あることを知らず、惟其の源の西天よりせるを悪みて棄てゝ 是に籍らざるは太だ偏せり。故に書卷を繙けば覺えず正音を誤犯す。
又韻鑑に通ずと爲す者は専一に道俗の名を反切して猥に歸納の是非を説き剰へ字の少きに苦しむ等すべて本旨に違 ふ。
と其の序に述べたる如く韻鏡を名乗反切に用ふる百年間の迷雲を排して之を以て読書の正音を明すの恵燈 たることを喝破した。誠に卓越な意見で自ら古義と標するも宜なりだ。蓋し伊藤仁斎が京師堀川に在りて 復古学を唱へ、其の論語古義は正徳二年(二二七ニ)に孟子古義は享保五年(二三八〇)に刻成せられて居る 如く我より古を作すの氣運は當時に磅〓して居たのだから、叡龍は能く其の間気を得たのだらうが誰に師 事したかなどゝは毫も詳にせられぬ。
 古義標註は補遺を合せて三巻、補遺の末の「韻鑑古義傳授之辨」は享保丙辰(即ち元文元年−二三九六)と 署せるが、其に漣窩 河野齋通清と題するは此の時既に還俗して叡龍の名を棄てたので有る。又同卷には 漣窩先生述作書目として本書の外に
  字彙卷未解 二巻 七音略輯釋 二卷 切韻司(指)南大義 二巻
  韻学津梁 二卷 應師衆経音義韻譜 十卷(以下四種未刻)
  經緯玉露 二卷 玉篇指南略釋 一卷 顧氏玉篇韻譜 五卷
の八種を出して居る(この外にも〓字篇などが有らう)。
 標註の上巻は張氏の序列に頭註を施し、下巻には韻鏡各轉を出すの前に少しく内外轉、協聲、入聲仮借 等の術語を釋し、補遺には前に遺したるを補ったもので全部漢文、漣窩は古の善本を獲たと見えて各転の 開合は永祿本と同じく唯第廿七轉のみは合を開と改めて居る。此の變改は寛永五年本から始まるのだが、 今日より云へば第十七轉には阿歌等の字が有りて、之を合轉とすればワ、クワの仮名とぜねばならぬから 吾が國の用法によりて改正したとも見られるが、寛永の古に若くは漣窩に此く開合のけぢめは意識せられ なかったらうから其の所以は分らぬ。
 漣窩は韻鏡は讀書の正を得しめるものだと絶叫したが、我が國の字音については案外幼稚な見に止まっ たは左の一節でも分る。
國朝の學生。同用音を曉らずして日ノ字のジツ、ニチの二音又は萬ノ字のバン、マン或は南ノ字のダン、ナン、恵 をケイ、エイとする類を漢呉音の異となすは誤れるの甚しきものなり。
けれども漢籍については餘程研究したと見えて寛保壬戊(二年−二四〇二)に「漣窩先生口義 永田直筆受」 として出した改點韻鏡には
  音注を讀む五種の例
   反切  省カヘリミル悉井反  ハブク所梗反の類
   正音  女ナンヂ音汝の類
   近似音 丘音近〓の類
   四聲  鮮上聲スクナシ   悪平聲ナンゾの類
   如字  知如字   衣如字の類
と説明し、さて左傳文十七年の鹿死スル二不v擇v音の音は蔭、又隠元年の荘公寐生の寐は〓にて倒子、僅十 萬人は近十萬人の意となるものとして、
古字假借の法を如らぬ学者は常に字の形に拘泥し文字を讀みかねて遂には古人の爲損ひと云類あり、不届千萬。と にもかくにも學問の初心には字書の稽古第一なり。
と喝破して居る。
 漣窩の唱道によりて名乗反切の風が一朝にして止んだとは考へられぬが、韻鏡の讀書に用だつものとは 頗る信ぜられたやうで、此の後磨光韻鏡の出るまでは古義の天下で有った、但し其の間は僅に二十年。
 字彙巻末解二巻は享保十八年(二三九八)《岡島註、「二三九三」なるべし》の著。字彙の末卷には韻法直圖、同横圖の二が收められ、直圖 は梅氏が新安(地名)で得たもので四十四圖を立て三十六字母を三十二とし(正歯音の五を減じて舌上音に 一を増す)て字を配したもの(切韻指掌圖の變化と云はれる)、横圖は李世澤の作で平上去各二圖 入聲 一圖より成り開口合口などによりて字を配り、四例を以て従來の等韻十三門を該ねたもので有る。通清の この書は此の兩圖を頁の中央におき、その右、上、左に圖中の解し易からざる語句をのみ註したもので圖 の結構などについては觸れて居らぬ。而して大字本小本のが是なるもので近來版行の頭書本並に四聲字彙 のは改削が加へられて用ふるに足らぬと云って居る。全部漢文。(この他は著者未見)
 古義の脈を引いたものでは左の十五を迹べる。
 意心齋の韻學古誼傳 古義韻鑑傳授截紙 韻鏡奥義切紙傳 韻學活用秘傳切紙 乗連の韻鏡翼
 永田直の改點韻鑑(既出) 改點韻鏡傳授剪紙  田川周芳の韻學口訣 韻鏡講述 韻學家最要篇
 古誼傳は寫本一巻、河氏傳授意心齋編輯とありて第一張には左の印刷せられたものを貼って居る。
韻學古義傳 憑中庸仁人義宜之傳文質於和俗韻學之弊風俗令教導漢字反切之法而有資益天下讀書之兒耳
           河野齋通清謹言
 傳を受けたものが此の紙を拝領せるものなら、印刷して有るによりて其盛なるを知られる。本文は七音 三十六字母の定位、音和等の門法に始まりて九弄の作法、柳元亭の撰んだ經緯全體自解の語(明和元と署 して有るから享保十一年よりは卅九年の後)及び感賞韻鑑古誼辨等を收む。この元亭が意心斎なりや否や 未だ明らかならぬが貞徳四世貞左道統といふ印を用ひるは俳諧師でゞも有ったか。
 改點韻鏡傳授切紙は何人の手に成ったか分らぬ。元文二年(二二九七)の寫本だが首に改點韻鑑題辞を收 め讀音注五種例など改點韻鑑の印行せられぬ前に轉寫されたものと思ふ。
 古義韻鑑傳授載紙といふも有る、口剪紙二十枚、奧剪紙十五枚、試問十枚より成り悉く反切の扱で試問 といふは其の應用と見える。
 韻鏡奥義切紙傳は古道祖伯の傳ふる所。二十一紙に分れて七音定位、上竪下横々本堅末などの一題目を 載せて有る。
 韻學活用秘傳切紙も同傳と思はれる。十三紙に分れて大學の莫知其苗之碩の朱注に碩叶時若反とあるか ら始まる。此の両種にては音例を經子に取りて其の説明とせる所いはゆる音注五種例の延長で有る。又前 者の第十九紙にては「余こゝに於て磨光と古義との勝劣を見る」と有るを見ると磨光が出てから後も其の餘 りに唐音を振り廻すモダーン振を快しとせぬものは漣窩の讀書に親切なる傳授を信敬したので無からう か。
 韻鏡翼は寛保元年(二四〇一)の出板で改點韻鑑よりも三年の前だが、名乗反切に觸れて居らぬ點のみよ り見て古義系の物として述べる。この書は三冊より成りて全部漢文。巻上中には序列を下には圖を出す。 韻鏡考補(白井寛蔭)には
序列の解大抵古義本に似たれと粗し。圖は古義書と同じ、但し古義は開發收閉の説を斥したれと此本は亦擧したり、 亦カ中の異同數十字あれど古義本とも同じからず。
と云へるもの。蓋し名乗反切の非なることは物徂徠の南留別志にも極言すれば漣窩に関係なくして之に達 したのかも知れぬ。著者乗運は讃岐の入、字は廣濟。堀南湖の序が有るが、南湖は惺窩門の杏菴、立庵と 相續した世家だ。
 韻學口訣は寶暦十一年(二四二一)の刊本で、池田柳絮先生正傳、田川周芳撰 と有る。卷首に大意とい ふ一章ありて
韻學の用たるや和漢諸子百家の書を讀むに讀得がたき字か、又は文字は讀得といへども文理の通せざる者ある時は 其字の反切を考へ韻鏡にて正し、是は何れの音何れの韻なる故に何の聲、何の訓也と知り或は何れの字と同音なれ ば何の字の意に讀むといふを知ることなり。
と有る。この同音の字に換へて看るは漣窩の學統で、本書にも 而麥於岐山之陽 の麥は〓と見るべく、 昔爲京洛聲華客今作江湖潦倒翁の聲華の反は奢、潦倒の反は老となると断言して居る。本文は韻學傳來、 韻鏡末書の辨、韻鏡圖説、漢呉音の辨、和漢音訓の辨等の諸章より成り切韻指掌圖、切韻指南等をも参取し て渉猟の廣きを思はしむるが、韻鏡序に廣韻玉篇之字とある廣韻を「玉篇の音韻廣大なるを稱美せし號」と した如き誤解も有る。この池田柳絮は聲音對の著者も従學したと云ひ、寶暦八年は歿後十餘年で而も其の 行年は八十以上だといふから寛文の中頃に生れた人で古義標註の出た享保十一年にも六十前後の人だ、果 して然らば河野通清とは何れが先輩なのか。後二十年を古義の説に遷ったと見れば既に同じのことを説い たものとなる。
 韻鏡講述は寫本一巻、巻首には漣窩著と題し、尾には安永四年(二四三五)筑北の聖福精舎で寫したとあ る。標註序文の普通ならぬ語辞を解し、次には張氏の序作や調韻指微に同様の事をして居る。漣窩の講義 の聞書らしい。
 韻學家最要篇も寫本一巻、静嘉堂文庫の藏。漣窩の門人の筆記を集めた物で
 標註講辨 字彙卷未切紙 或問〓字篇 同上補闕
 九弄紐字小引 傳授切紙補闕
の六部より成り、或問の末には享保廿年、同上補開には元文元年、後の一篇は安永六年(二四三七)の後記 が有る。講辨は標註中の文字の解で、或問は〓字篇について人より問はれし時の答、補闕は堺専稱寺の僧 が或問の中に鑿説ありとて云ひ直したる物(なれば此は類を以て加べたもの)などで有る。
目次へ