+++ E-Text +++ +++ Public Domain Data +++ +++ lemon102.lzh Ver.1.02 1994 +++ +++ 梶井基次郎(かじい・もとじろう) 1901/02/17-1932/03/24 +++ +++ 短篇集『檸檬』(1931年5月15日) +++ +++ 12/18 +++ +++ 入力 by zedd(木村成一), NAT26533, msm76750@pcvan.or.jp +++ 筧の話 梶井 基次郎  私は散歩に出るのに二つの路を持つてゐた。一つは溪(たに)に沿つた街道 で、もう一つは街道の傍から溪に懸かつた吊(つり)橋(はし)を渡つて入(はい) つてゆく山径だつた。街道は展望を持つてゐたがそんな道の性質として気が 散り易かつた。それに比(くら)べて山径の方は陰(いん)気(き)ではあつたが 心を静かにした。どちらへ出るかはその日その日の気持が決めた。  しかし、いま私の話は静かな山径の方をえらばなければならない。  吊橋を渡つたところから径は杉林のなかへ入つてゆく。杉の梢が日を遮 (さへぎ)り、この径にはいつも冷たい湿つぽさがあつた。ゴチツク建築のな かを辿(たど)つてゆくときのやうな、犇(ひし)々(〈)と迫つて来る静寂と孤 独とが感じられた。私の眼はひとりでに下へ落ちた。径の傍(かたは)らには 種々の実(み)生(ばえ)や蘚(せん)苔(たい)、羊(し)歯(だ)の類がはえてゐた。 この径ではさう云つた倭少[小]な自然がなんとなく親しく――彼等が陰(いん) 湿(しつ)な会話をはじめるお伽(とぎ)噺(ばなし)のなかでのやうに、眺めら れた。また径の縁には赤土の露(ろ)出(しゆつ)が雨滴にたたかれて、ちよ[や] うど風化作用に骨立つた岩石そつくりの恰好になつてゐるところがあつた。 その削(けづ)り立つた峯の頂(いただき)にはみな一つ宛(づつ)小石が載(の) つかつてゐた。ここへは、しかし、日が全く射して来ないのではなかつた。 梢の隙(すき)間(ま)を洩れて来る日光が、径のそこここや杉の幹(みき)へ、 蝋燭で照らしたやうな弱い日(、)な(、)た(、)を作つてゐた。歩いてゆく私 の頭の影や肩(かた)先(さき)の影がそんななかへ現はれては消えた。なかに は「まさかこれまでが」と思ふほど淡いのが草の葉などに染まつてゐた。試 (ため)しに杖をあげて見るとさ(、)さ(、)く(、)れ(、)までがはつきりと写 つた。  この径を知つてから間もなくの頃、ある期待のために心を緊張させながら、 私はこの静けさのなかを殊に屡々歩いた。私が目ざしてゆくのは杉林の間か らいつも氷(ひ)室(むろ)から来るやうな冷気が径へ通つてゐるところだつた。 一本の古びた筧(かけひ)がその奥の小暗いなかからおりて来てゐた。耳を澄 まして聴くと、幽(かす)かなせせらぎの音がそのなかにきこえた。私の期待 はその水音だつた。  どうした訳(わけ)で私の心がそんなものに惹きつけられるのか。心がわけ ても静かだつたある日、それを聞き澄ましてゐた私の耳がふとそのなかに不 思議な魅(み)惑(わく)がこもつてゐるのを知つたのである。その後追(おひ) 々(〈)に気づいて行つたことなのであるが、この美しい水音を聴いてゐると その辺りの風景のなかに変な錯(さく)誤(ご)が感じられて来るのであつた。 香もなく花も貧しいの(、)ぎ(、)蘭(、)がそのところどころに生えてゐるば かりで、杉の根方はどこも暗(くら)く湿つぽかつた。そして筧といへばやは りあたりと一帯の古び朽(く)ちたものをその間に横へてゐるに過ぎないのだ つた。「そのなかからだ」と私の理性が信じてゐても、澄み透つた水音にし ばらく耳を傾けてゐると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになつてしま つて、変な錯誤の感じとともに、訝(いぶ)かしい魅惑が私の心を充(み)たし て来るのだつた。  私はそれによく似た感情を、露草の青い花を眼にするとき経験することが ある。草(くさ)叢(むら)の緑とまぎれやすいその青は不思議な惑(まど)はし を持つてゐる。私はそれを、露草の花が青空や海と共通の色を持つてゐると ころから起る一種の錯覚だと快く信じてゐるのであるが、見えない水音の醸 (かも)し出す魅惑はそれにどこか似(に)通(かよ)つてゐた。  すばしこく枝(ゑだ)移(うつ)りする小鳥のやうな不定さは私をいらだたせ た。蜃(しん)気(き)楼(ろう)のやうなはかなさは私を切なくした。そして神 秘はだんだん深まつてゆくのだつた。私に課せられてゐる暗欝な周囲のなか で、やがてそれは幻聴のやうに鳴りはじめた。束(つか)の間(ま)の閃光が私 の生命を輝かす。そのたび私はあっあっと思つた。それは、しかし、無限の 生命に眩惑されるためではなかつた。私は深い絶望をまのあたりに見なけれ ばならなかつたのである。何といふ錯誤だらう! 私は物体が二つに見える 酔つ払ひのやうに、同じ現実から二つの表象を見なければならなかつたのだ。 しかもその一方は理想の光に輝(かがや)かされ、もう一方は暗黒の絶望を背 負つてゐた。そしてそれらは私がはつきりと見ようとする途(と)端(たん)一 つに重(かさ)なつて、またもとの退屈な現実に帰つてしまふのだつた。  筧は雨がしばらく降らないと水が涸(か)れてしまふ。また私の耳も日によ つてはまるつきり無感覚のことがあつた。そして花の盛(さか)りが過ぎてゆ くのと同じやうに、何時の頃からか筧にはその神秘がなくなつてしまひ、私 ももうその傍に佇(たたず)むことをしなくなつた。しかし私はこの山径を散 歩しそこを通りかかる度に自分の宿命について次のやうなことを考へないで はゐられなかつた。 「課せられてゐるのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なつてゐる」 (昭和二年十二月) 1927/12