+++ E-Text +++ +++ Public Domain Data +++ +++ lemon102.lzh Ver.1.02 1994 +++ +++ 梶井基次郎(かじい・もとじろう) 1901/02/17-1932/03/24 +++ +++ 短篇集『檸檬』(1931年5月15日) +++ +++ 17/18 +++ +++ 入力 by zedd(木村成一), NAT26533, msm76750@pcvan.or.jp +++ 闇の絵巻 梶井 基次郎  最近東京を騒がした有名な強盗が捕まつて語つたところによると、彼は何 も見えない闇の中でも、一本の棒さへあれば何里でも走ることが出来るとい ふ。その棒を身体(からだ)の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲 (めくら)滅法(めつぽふ)に走るのださうである。  私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽(そ[さ]う)快(くわい)な戦 慄を禁じることが出来なかつた。  闇! そのなかではわれわれは何を見ることも出来ない、[。]より深い暗 黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫つて来る。こんななかでは思考 することさへ出来ない。何が在るかわからないところへ、どうして踏(ふみ) 込(こ)んでゆくことが出来よう。勿(もち)論(ろん)われわれは摺(すり)足 (あし)でもして進むほかはないだらう。しかしそれは苦(く)渋(じう[ふ])や 不安や恐怖の感情で一ぱいになつた一歩だ。その一歩を敢(かん)然(ぜん)と 踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだらう。裸足 (はだし)で薊(あざみ)を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならな いのである。  闇のなかでは、しかし、若しわれわれがさうした意志を捨ててしまふなら、 なんといふ深い安堵がわれわれを包(つつ)んでくれるだらう。この感情を思 ひ浮べるためには、われわれが都会で経験する停電を思ひ出して見ればいい。 停電して部屋が真暗になつてしまふと、われわれは最初なんともいへない不 (ふ)快(くわい)な気持になる。しかし一寸気を変へて呑気(のんき)でゐてや れと思ふと同時に、その暗闇は電燈の下では味はふことの出来ない爽(さはや) かな安(あん)息(そく)に変化してしまふ。  深い闇のなかで味はふこの安息は一体なにを意味してゐるのだらう。今は 誰れの眼からも隠れてしまつた――今は巨大な闇と一(いち)如(によ)になつ てしまつた――それがこの感情なのだらうか。  私はながい間ある山間の療養地に暮してゐた。私は其処で闇を愛すること を覚(おぼ)えた。昼間は金毛の兎が遊んでゐるやうに見える谿向ふの枯萱山 が、夜になると黒ぐろとした畏(ゐ)怖(ふ)に変つた。昼間気のつかなかつた 樹木が異形な姿を空に現はした。夜の外出には提灯を持つてゆかなければな らない。――月夜といふものは提灯の要(い)らない夜といふことを意味する のだ。――かうした発見は都会から不意に山間へ行つたものの闇を知る第一 階梯である。  私は好(この)んで闇のなかへ出かけた。溪ぎはの大きな椎の木の下に立つ て遠い街道の孤独な電燈を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺める ほど感傷的なものはないだらう。私はその光がはるばるやつて来て闇のなか の私の着物をほのかに染めてゐるのを知つた。またあるところでは溪の闇へ 向つて一心に石を投(な)げた。闇のなかには一本の柚(ゆず)の木があつたの である。石が葉を分けて戛(かつ)々と崖へ当つた。ひとしきりすると闇のな かからは芳(ほ[は]う)烈(れつ)な柚の匂[ひ]が立(たち)騰(のぼ)つて来た。  かうしたことは療養地の身を噛むやうな孤独と切(きり)離(はな)せるもの ではない。あるときは岬(みさき)の港町へゆく自動車に乗つて、わざと薄暮 の峠へ私自身を遺(ゐ)棄(き)された。深い溪谷が闇のなかへ沈むのを見た。 夜が更(ふ)けて来るにしたがつて黒い山々の尾根が古い地球の骨のやうに見 えて来た。彼等は私のゐるのも知(し)らないで話し出した。 「おい。何時まで俺達はこんなことをしてゐなきやならないんだ」  私はその療養地の一本の闇の街道を今も新しい印象で思ひ出す。それは溪 の下流にあつた一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰つて来る道であつた。 溪に沿(そ)つて道は少し上(のぼ)りになつてゐる。三四町もあつたであらう か。その間には極(ご)く稀にしか電燈がついてゐなかつた。今でもその数が 数(かぞ)へられるやうに思ふ位だ。最初の電燈は旅館から街道へ出たところ にあつた。夏はそれに虫がたくさん集つて来てゐた。一匹の青蛙がいつもそ こにゐた。電燈の真下の電柱にいつもぴたりと身をつけてゐるのである。暫 らく見てゐると、その青蛙はきまつたやうに後(うしろ)足(あし)を変(へん) な風に曲(ま)げて、背(せ)中(なか)を掻(か)く模(ま)ねをした。電燈から落 ちて来る小虫がひつつくのかもしれない。いかにも五月蝿(うるさ)さうにそ れをやるのである。私はよくそれを眺めて立(たち)留(どま)つてゐた。いつ も夜更けでいかにも静かな眺めであつた。  しばらく行くと橋がある。その上に立つて溪の上流の方を眺めると、黒ぐ ろとした山が空の正面に立(たち)塞(ふさ)がつてゐた。その中腹に一箇の電 燈がついてゐて、その光がなんとなしに恐怖を呼び起した。バアーンとシン バルを叩いたやうな感じである。私はその橋を渡るたびに私の眼がいつもな んとなくそれを見るのを避けたがるのを感じてゐた。  下流の方を眺めると、溪が瀬(せ)をなして轟(ご[が]う)々と激してゐた。 瀬の色は闇のなかでも白い。それはまた尻(し)つ尾(ぽ)のやうに細くなつて 下流の闇のなかへ消えてゆくのである。溪の岸には杉林のなかに炭(すみ)焼 (やき)小(ご)屋(や)があつて、白い煙が切り立つた山の闇を匍(は)ひ登つて ゐた。その煙は時として街道の上へ重苦しく流れて来た。だから街道は日に よつてはその樹脂(やに)臭い匂ひや、また日によつては馬力の通つた昼(ひる) 間(ま)の匂ひを残してゐたりするのだつた。  橋を渡ると道は溪に沿(そ)つてのぼつてゆく。左は溪の崖(がけ)。右は山 の崖。行(ゆく)手(て)に白い電燈がついてゐる。それはある旅館の裏門で、 それまでの真直(まつす)ぐな道である。この闇のなかでは何も考へない。そ れは行手の白い電燈と道のほんの僅かの勾配のためである。これは肉体に課 (くわ)せられた仕事を意味してゐる。目ざす白い電燈のところまでゆきつく と、いつも私は息(いき)切(ぎ)れがして往来の上で立留つた。呼吸困難。こ れはぢつとしてゐなければいけないのである。用事もないのに夜更けの道に 立つてぼんやり畑を眺めてゐるやうな風をしてゐる。しばらくするとまた歩 き出す。  街道はそこから右へ曲(まが)つてゐる。溪沿ひに大きな椎の木がある。そ の木の闇は至つて巨大だ。その下に立つて見上げると、深い大きな洞(どう) 窟(くつ)のやうに見える。梟の声がその奥にしてゐることがある。道の傍ら には小さな字(あざ)があつて、そこから射(さ)して来る光が、道の上に押し 被さつた竹籔を白く光らせてゐる。竹といふものは樹木のなかで最も光に感 じ易(やす)い。山のなかの所どころに簇(む)れ立つてゐる竹籔。彼等は闇の なかでもそのありかをほの白く光らせる。  そこを過ぎると道は切り立つた崖を曲つて、突(とつ)如(じよ)ひろびろと した展望のなかへ出る。眼界といふものがかうも人の心を変へてしまふもの だらうか。そこへ来ると私はいつも今が今まで私の心を占(し)めてゐた煮(に) え切らない考へを振るひ落してしまつたやうに感じるのだ。私の心には新し い決意が生れて来る。秘やかな情熱が静かに私を満たして来る。  この闇の風景は単純な力強い構成を持つてゐる。左手には溪の向ふを夜空 を劃(き)つて爬虫の背のやうな尾根が蜿(えん)蜒(えん)と匍(は)つてゐる。 黒ぐろとした杉林がパノラマのやうに廻(まは)つて私の行手を深い闇で包ん でしまつてゐる。その前景のなかへ、右手からも杉山が傾(かたむ)きかかる。 この山に沿つて街道がゆく。行手は如何ともすることの出来ない闇である。 この闇へ達するまでの距(きよ)離(り)は百米余りもあらうか。その途中にた つた一軒だけ人家があつて、楓(かへで)のやうな木が幻燈のやうに光を浴び てゐる。大きな闇の風景のなかでただそこだけがこんもり明(あか)るい。街 道もその前では少し明るくなつてゐる。しかし前方の闇はそのためになほ一 層暗くなり街道を呑(のみ)込(こ)んでしまふ。  ある夜のこと、私は私の前を私と同じやうに提灯なしで歩いてゆく一人の 男があるのに気がついた。それは突(とつ)然(ぜん)その家の前の明るみのな かへ姿を現はしたのだつた。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはい つて行つてしまつた。私はそれを一種(しゆ)異(い)様(やう)な感動を持つて 眺めてゐた。それは、あらはに云つてみれば、「自分も暫(しば)らくすれば あの男のやうに闇のなかへ消えてゆくのだ。誰れかがここに立つた[て]見て ゐればやはりあんな風に消えてゆくのであらう」といふ感動なのであつたが、 消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であつた。  その家の前を過ぎると、道は溪に沿つた杉林にさしかかる。右手は切り立 つた崖である。それが闇のなかである。なんといふ暗い道だらう。そこは月 夜でも暗い。歩くにしたがつて暗さが増してゆく。不安が高まつて来る。そ れがある極点にまで達しようとするとき、突(とつ)如(じよ)ごおつといふ音 が足(あし)下(もと)から起る。それは杉林の切れ目だ。恰度真(ま)下(した) に当る瀬の音がにはかにその切れ目から押(おし)寄(よ)せて来るのだ。その 音は凄(すさ)まじい。気持にはある混乱が起つて来る。大工とか左官とかさ ういつた連中が溪のなかで不可思議な酒(さか)盛(もり)をしてゐて、その高 (たか)笑(わら)ひがワツハツハ、ワツハツハときこえて来るやうな気のする ことがある。心が捩(ね)ぢ切れさうになる。するとその途(と)端(たん)、道 の行手にパツと一箇の電燈が見える。闇はそこで終(をは)つたのだ。  もうそこからは私の部屋は近い。電燈の見えるところが崖の曲(まがり)角 (かど)で、そこを曲れば直ぐ私の旅館だ。電燈を見ながらゆく道は心易い。 私は最後の安(あん)堵(ど)とともにその道を歩いてゆく。しかし霧の夜があ る。霧にかすんでしまつて電燈が遠くに見える。行つても行つてもそこまで 行きつけないやうな不思議な気持になるのだ。いつもの安堵が消えてしまふ。 遠い遠い気持になる。  闇の風景はいつ見ても変らない。私はこの道を何度といふことなく歩いた。 いつも同じ空想を繰(くり)返(かへ)した。印象が心に刻(きざ)みつけられて しまつた。街道の闇、闇よりも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残つてゐ る。それを思ひ浮べるたびに私は、今ゐる都会のどこへ行つても電燈の光の 流れてゐる夜を薄つ汚(きた)なく思はないではゐられないのである。 (昭和五年十月) 1930/10