橡の花 ──或る私信──               梶井基次郎  一  此頃の陰鬱な天候に弱らされてゐて手紙を書く氣にもなれませんでした。以前京都にゐた頃は毎年のやうにこの季節に肋膜を惡くしたのですが、此方へ來てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飮まなくなったせゐかも知れません。然しやはり精神が不健康になります。感心なことを云ふと云ってあなたは笑ふかもしれませんが、學校へ行くのが實に億劫でした。電車に乘ります。電車は四十分かかるのです。氣持が消極的になってゐるせゐか、前に坐ってゐる人が私の顏を見てゐるやうな氣が常にします。それが私の一人相撲だとは判ってゐるのです。と云ふのは、始めは氣がつきませんでしたが、まあ云へば私自身そんな視線を搜してゐるといふ工合なのです。何氣ない眼附をしようなど思ふのが抑々の苦しむもとです。  また電車のなかの人に敵意とはゆかないまでも、棘々しい心を持ちます。これもどうにかすると變に人びとのアラを搜してゐるやうになるのです。學生の間に流行ってゐるらしい太いズボン、變にべたっとした赤靴。其他。其他。私の弱った身體にかなはないのはその惡趣味です。なにげなくやってゐるのだったら腹も立ちません。必要に迫られてのことだったら好意すら持てます。然しさうだとは決して思へないのです。淺はかな氣がします。  女の髮も段々堪らないのが多くなりました。──あなたにお貸しした化物の本の中に、こんな繪があったのを御存じですか。それは女のお化けです。顏はあたり前ですが、後頭部に──その部分がお化けなのです。貪婪な口を持ってゐます。そして解した髮の毛の先が觸手の恰好に化けて、置いてある鉢から菓子をつかみ、その口へ持ってゆかうとしてゐるのです。が、女はそれを知ってゐるのか知らないのか、あたりまへの顏で前を向いてゐます。──私はそれを見たときいやな氣がしました。ところがこの頃の髮にはそれを思ひ出させるのがあります。わげがその口の形をしてゐるのです。その繪に對する私の嫌惡はこのわげを見てから急に強くなりました。  こんなことを一々氣にしてゐたは窮屈で仕方がありません。然しさう思ってみても逃げられないことがあります。それは不快の一つの「型」です。反省が入れば入る程尚更その窮屈がオ−クワ−ドになります。ある日こんなことがありました。やはり私の前に坐ってゐた婦人の服裝が、私の嫌惡を誘ひ出しました。私は憎みました。致命的にやっつけてやりたい氣がしました。そして效果的に恥を與へ得る言葉を搜しました。ややあって私はそれに成功することが出來ました。然しそれは效果的に過ぎた言葉でした。やっつけるばかりでなく、恐らくそのシャアシャアした婦人を暗く不幸にせずにはおかないやうに思へました。私はそんな言葉を搜し出したとき、直ぐそれを相手に投げつける場面を想像するのですが、この場合私にはそれが出來ませんでした。その婦人、その言葉。この二つの對立を考へただけでも既に殘酷でした。私のいら立った氣持は段々冷えてゆきました。女の人の造作をとやかく思ふのは男らしくないことだと思ひました。もっと温かい心で見なければいけないと思ひました。然し調和的な氣持は永く續きませんでした。一人相撲が過ぎたのです。  私の目がもう一度その婦人を掠めたとき、ふと私はその醜さのなかに恐らく私以上の健康を感じたのです。わる達者といふ言葉があります。さう云ったいみでわるく健康な感じです。性におえない鐵道草とい雜草があります。あの健康にも似てゐませうか。──私の一人相撲はそれとの對照で段々神經的な弱さを露はして來ました。  俗惡に對してひどい反感を抱くのは私の久しい間の癖でした。そしてそれは何時も私自身の精神が弛んでゐるときの徴候でした。然し私自身みじめな氣持ちになったのはその時が最初でした。梅雨が私を弱くしてゐるのを知りました。  電車に乘ってゐてもう一つ困るのは車の響きが音樂に聽こえることです。(これはあなたも何時だったか同樣經驗をしてゐられることを話されました)私はその響きを利用していい音樂を聽いてやらうと企てたことがありました。そんなことから不知不識に自分を不快にする敵を作ってゐた譯です。「あれをやらう」と思ふと私は直ぐその曲目を車の響き、街の響きの中に發見するやうになりました。然し惡く疲れてゐるときなどは、それが正確な音程で聞えない。──それはいいのです。困るのはそれがまう此方の勝手ではとまらなくなってゐることです。そればかりではありません。それは何時の間にか私の堪らなくなる種類のものをやります。先程の婦人がそれにつれて踊るであらうやうな音樂です。時には嘲笑)的にそしてわざと下品に。そしてそれが彼等の凱歌のやうに聞える──と云へば話になってしまひますが、とにかく非常に不快なのです。  電車の中で憂鬱になってゐるときの私の顏はきっと醜いにちがひありません。見る人が見ればきっとそれをよしとはしないだらうと私は思ひました。私は自分の憂鬱の上に漠とした「惡」を感じたのです。私はその「惡」を避けたく思ひました。然し電車には乘らないなどと云ってはゐられません。毒も皿もそれが予め命ぜられてゐるものならひるむことはいらないことです。一人相撲もこれでおしまひです。あの海に實感を持たねばならぬと思ひます。  ある日私は年少の友と電車に乘ってゐました。この四月から私達に一年後れて東京に來た友でした。友は東京を不快がりました。そして京都のよかったことを云ひ云ひしました。私にも少くともその氣持似た經驗はありました。またやって來た匆々直ぐ東京が好きになるやうな人は不愉快です。然し私は友の言葉に同意を表しかねました。東京もまた別種のよさがあることを云ひました。そんなことをいふ者さへ不愉快だ。友の調子にはかう云ったところさへ感ぜられます。そして二人は押し默ってしまひました。それは變につらい沈默でした。友はまた京都にゐた時代、電車の窓と窓がすれちがふとき「あちらの第何番目の窓にゐる娘が今度自分の生活に交渉を持って來るのだ」とその番號を心のなかで極め、託宣を聽くやうな氣持ですれちがふのを待ってゐた──そんなことをした時もあったとその日云ってをりました。そしてその話は私にとって無感覺なのでした。そんなことにも私自身がこだわりを持ってゐました。   二  或る日Oが訪ねてくれました。Oは健康さうな顏をしてゐました。そして種々元氣な話をしてゆきました。── Oは私の机の上においてあった紙に眼をつけました。何枚もの紙の上に Waste といふ字が竝べて書いてあるのです。 「これはなんだ。戀人でも出來たか」と、Oはからかひました。戀人といふやうなあのOの口から出さうにもない言葉で、私は五六年も前の自分を不圖思ひ出しました。それはある娘を對象とした、私の子供らしい然も激しい情熱でした。それの非常な不結果であったことはあなたも少しは知ってゐられるでせう。  ──父の苦り切った聲がそのふ面目な事件の結果を宣告しました。私は急にあたりが息苦しくなりました。自分でもわからない聲を立てて寢床からとび出しました。後からは兄がついて來てをりました。私は母の鏡臺の前まで走りました。そして自分の青ざめた顏をうつしました。それは醜くひきつってゐました。何故そこまで走ったのか──それは自分にも判然しませんその苦しさを眼で見ておかうとしたのかも知れません。鏡をみて或る場合心の激動の靜まるときもあります。──兩親、兄、O及びもう一人の友人がその時に手を燒いた連中です。そして家では今でもその娘の名を私の前では云はないのです。その名前を私は極くごく略した字で紙片の端などへ書いて見たことがありました。そしてそれを消した上こなごなに破らずにいられなかったことがありました。──然しOが私にからかった紙の上には Waste といふ字が確實に一面に竝んでゐます。 「だうして、大ちがいだ」と私は云ひました。そしてその譯を話しました。  その前晩私はやはり憂鬱に苦しめられてゐました。びしょびしょと雨が降ってゐました。そしてその音が例の音樂をやるのです。本を讀む氣もしませんでしたので私はいたづら書きをしてゐました。その Waste といふ字は書き易い字であるのか──筆のいたづらに直ぐ書く字がありますね──その字の一つなのです。私はそれを無暗にたくさん書いてゐました。そのうちに私の耳はそのなかから機を織るやうな一定のリズムを聽きはじめたのです。手の調子がきまって來たためです。當然きこえる筈だったのです。なにかきこえると聽耳をたてはじめてから、それが一つの可愛いリズムだと思ひ當てたまでの私の氣持は、緊張と云ひ喜びといふにはあまりささやかなものでした。然し一時間前の倦怠ではもうありませんでした。私はその衣ずれのやうなまた小人國の汽車のやうな可愛いリズムに聽き入りました。それにも倦くと今度はその音をなにかの言葉で眞似て見たい欲望を起こしたのです。ほととぎすの聲をてっぺんかけたかと聞くやうに。──然し私はたうたう發見出來ませんでした。サ行の音が多いにちがひないと思ったりする、その成心に妨げられたのです。然し私は小さいきれぎれの言葉を聽きもした。そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故郷の然も私の家族固有なアクセントであることを知りました。──おそらく私は一生懸命になってゐたのでせう。さうした心の純粹さがたうたう私をしてお里を出さしめたのだらうと思ひます。心から遠退いてゐた故郷と、然も思ひもかけなかったそんな深夜、ひたひたと膝をつきあはせた感じでした。私はなにの本當なのかはわかりませんでしたが、なにか本當のものをその中に感じました。私はいささか亢奮をしてゐたのです。  然しそれが藝術に於てのほんたう、殊に詩に於てを暗示してはゐないかなどOには話しました。Oはそんなことをもおだやかな微笑で聽いてくれました。  鉛筆の秀をとがらして私はOにもその音をきかせました。Oは眼を細くして「きこえる、きこえる」と云ひました。そして自身でも試みて字を變へ紙質を變へたりしたら面白さうだと云ひました。また手加減が窮屈になったりすると音が變る。それを「聲がはり」だと云って笑ったりしました。家族の中でも誰の聲らしいと云ひますから末の弟の聲だらうと云ったのに關聯してです。私は弟の變聲期を想像するのがなにかむごい氣がするときがあります。次の話もこの日のOとの話です。そして手紙に書いておきたいことです。Oはその前の日曜に鶴見の花月園といふところへ親類の子供を連れて行ったと云ひました。そして面白さうにその模樣を話して聞かせました。花月園といふのは京都にあったパラダイスといふやうなところらしいのです。いろいろ面白かったがその中でも愉快だったのは備へつけてある大きなすべり臺だと云ひました。そしてそれをすべる面白さを力説しました。ほんたうに面白かったらしいのです。今もその愉快が身體のどこかに殘ってゐると云った話振りなのです。たうたう私も「行って見たいなあ」と云わされました。變な云ひ方ですがこのなあのあはOの「すべり臺面白いぞお」のおと釣合ってゐます。そしてそんな釣合ひはOといふ人間の魅力からやって來ます。Oは嘘の云へない素直な男で彼の云ふことはこちらも素直に信じられます。そのことはあまり素直ではない私にとって少くとも嬉しいことです。  そして話は娯樂場の驢馬の話になりました。それは子供を乘せて柵をまはる驢馬で、よく馴れてゐて、子供が乘るとひとりで一周して歸って來るのだといひます。私はその動物を可愛いものに思ひました。  ところがそのなかの一匹が途中で立留ったと云ひます。Oは見てゐたのださうです。するとその立留った奴はそのまま小便をはじめたのださうです。乘ってゐた子供──女の兒だったさうですが──はもじもじし出し顏が段々赤くなって來てしまひには泣きさうになったと云ひます。──私達は大いに笑ひました。私の眼の前にはその光景がありありと浮かびました。人のいい驢馬の稚氣に富んだ尾篭、そしてその尾篭の犧牲になった子供の可愛い困惑。それはほんたうに可愛い困惑です。然し笑ひ笑ひしてゐた私はへんに笑へなくなって來たのです。笑ふべく均衡されたその情景のなかから、女の兒の氣持だけがにはかに押し寄せて來たのです。「こんな御行儀の惡いことをして。わたしははづかしい」  私は笑へなくなってしまひました。前晩の寐不足のため變に心が誘はれ易くなってゐたのです。私はそれを感じました。そして少しの間不快が去りませんでした。氣輕にOにそのことを云へばよかったのです。口にさへ出せば再びそれを「可愛い滑稽なこと」として笑ひ直せたのです。然し私は變にそれが云へなかったのです。そして健康な感情の均衡をいつまうしなはないOを羨しく思ひました。   三  私の部屋はいい部屋です。難を云へば造りが薄手に出來てゐて濕氣などに敏感なことです。一つの窓は樹木とそして崖とに近く、一つの窓は奧狸穴などの低地をへだてて飯倉の電車道に臨む展望です。その展望のなかには舊徳川邸の椎の老樹があります。その何年を經たとも知れない樹は見わたしたところ一番おほきな見事なながめです。一體椎といふ樹は梅雨期に葉が赤くなるものなのでせうか。最初はなにか夕燒の反射をでも受けてゐるのぢやないかなど疑ひました。そんな赤さなのです。然し雨の日になってもそれは同じ。いつも同じでした。やはり樹自身の現象なのです。私は古人の「五月雨の降り殘してや光堂」の句を、日を距ててではありましたが、思ひ出しました。そして椎茜といふ言葉を造って下の五におきかへ嬉しい氣がしました。中の七が降り殘したるではなく、降りのこしてやだったことも新しい眼で見得た氣がしました。  崖に面した窓の近くには手にとどく程の距離にかなひでといふ木があります。朴の一種ださうです。この花も五月闇のなかにふさわなくはないものだつ思ひました。然しなんと云っても堪らないのは梅雨期です。雨が續くと私の部屋には濕氣が充滿します。窓ぎわなどが濡れてしまってゐるのを見たりすると全く憂鬱になりました。變に原が立って來るのです。空はただ重苦しく垂れ下がってゐます。 「チョッ。ぼろ船の底」 或る日も私はそんな言葉で自分の部屋をののしって見ました。そしてそのののしり方が自分がでに面白くて氣は變はりました。母が私にがみがみおこって來るときがあります。そしてしまいに突拍子もないののしり方をして笑ってしまふことがあります。しょっとさう云った氣持ちでした。私の空想はその言葉でぼろ船の底に疊を敷いて大きな川を旅してゐる自分を空想させました。實際こんな時にこそ鬱陶しい梅雨の響きも面白さをそえるのだと思ひました。   四  それもやはり雨の降った或る日の午後でした。私は赤坂のAの家へ出かけました。京都時代の私達の會合──その席へ一度はあなたも來られたことがありますね──憶えてゐらっしゃればその時ゐたAです。  この四月には私達の後、やはりあの會合を維持してゐた人びとが、三人も巣立って來ました。そしてもともと話のあったこととて、既に東京へ來てゐた五人と共に、再び東京に於ての會合が始まりました。そして來年の一月から同人雜誌を出すこと、その費用と原稿を月々貯めてゆくことに相談が定ったのです。私がAの家へ行ったのはその積立金を持ってゆくためでした。  最近Aは家との間に或る悶着を起してゐました。それは結婚問題なのです。Aが自分の欲してゐる道をゆけば父母を捨てたことになります。少くも父母にとってはさうです。Aの問題は自ら友人である私の態度を要求しました。私は當初彼を冷さうとさへ思ひました。少くとも私が彼の心を熱しさせてゆく存在であることを避けようと努めました。問題がさういふ風に大きくなればなる程さうしなければならぬた思ったのです。──然しそれがどちらの旗色であれ、他人のたてたどんな旗色にも動かされる人間でないことを彼は段々證して來てをります。普段にぼんやりとしかをわらなかった人間の性格と云ふものがかう云ふときに際してこそその輪郭をはっきりあらはすものだといふことを私は今に於て知ります。彼もまたこの試練によってそれを深めてゆくのでせう。私はそれを美しいと思ひます。  Aの家へ私が着いたときは偶然新しく東京へ來た連中が來てゐました。そしてAの問題でAの家との間へ入った調停者の手紙に就て論じ合ってゐました。Aはその人達をおいて買物に出てゐました。その日も私は氣持がまるでふさいでゐました。その話をきかながらひとりぼっちの氣持で默り込んでゐました。するとそのうちに何かのきっかけで「Aの氣持もよくわかってゐると云ふならなぜ此方を骨折らうとしないんだ」といふ言葉を聞きました。調子のきびしいことばでした。それが調停者に於て云はれてゐる言葉であることは申すまでもありません。  私の心はなんだかびりりとしました。知るといふことと行ふといふこととに何ら距りをつけないと云った生活態度の強さが私を壓迫したのです。單にそればかりではありません。私は心のなかで暗にその調停者の態度を是認してゐました。更に云へば「その人の氣持もわかる」と思ってゐたからです。私は兩方共わかってゐるといふのは兩方とも知らないのだと反省しないではゐられませんでした。便りにしてゐたものが崩れてゆく何とも云へないいやな氣持です。Aの兩親さへ私にはそっぽを向けるだらうと思ひました。一方の極へおとされてゆく私の氣持は、然し、本能的な逆の力と爭ひはじめました。そしてAの家を出る頃ようやく調和したくつろぎに歸ることが出來ました。Aが使から歸って來てからは皆の話も變って專ら來年の計畫の上に落ちました。Rのつけた雜誌の名前を繰り返し繰り返し喜び、それと定まるまでの苦心を滑稽化して笑ひました。私の興味深く感じるのはその名前によって表現を得た私達の精神が、今度はその名前から再び鼓舞され整理されてくるといふことです。  私達はAの國から送って來たもので夕飯を御馳走になりました。部屋へ歸ると窓近い樫の木の花が重い匂ひを部屋中にみなぎらせてゐました。Aは私の知識の中で名と物とが別であった菩提樹をその窓から教へてくれました。私はまた皆に飯倉の通りにある木は七葉樹だったと告げました。數日前RやAや三人でその美しい花を見、マロニエといふ花ぢゃないかなど云ひ合ってゐたのです。私はその名をその中の一本に釣られてゐた「街路樹は大切にいたしませう」の札で讀んで來たのです。 積立金の話をしてゐる間に私はその中の一人がそれの爲の金を、全く自分で働いてゐるのだといふ事を知りました。親からの金の中では出したくないと云ふのです。 ──私は今更ながらいい伴侶と共に發足する自分であることを知りました。氣持もかなり調和的になってゐたのでこの友の行爲から私自身を責め過ぎることはありませんでした。  しばらくして私達はAの家を出ました。外は快い雨あがりでした。まだ宵の口の町を私は友の一人と靈南坂を通って歸って來ました。私の處へ寄って本を借りて歸るといふのです。ついでに七葉樹の花を見ると云ひます。この友一人がそれを見はぐしてゐたからです。  道々私は唱いにくい音階を大聲で歌ってその友人にきかせました。それが歌へるのは私の氣持のいい時に限るのです。我善坊の方へ來たとき私達は一つの面白い事件に打かりました。それは螢を捕まへた一人の男です。だしむけに「これ螢ですか」と云って組合せた兩の掌の隙を私達の鼻先に突出しました。螢がそのなたに美しい光を燈してゐました。「あそこで捕ったんだ」と聞きもしないのに説明してゐます。私と友は顏を見合せて變な笑顏になりました。やや遠離ってから私達はお互いに笑ひ合ったことです。「きっと捕まへてあがってしまったんだよ」と私は云ひました。なにか云はずにはいられなかったのだと思ひました。   飯倉の通りは雨後の美しさで輝いてゐました。友と共に見上げた七葉樹には裝燈のやうな美しい花が咲いてゐました。私はまた五六年前の自分を振返る氣持でした。私の眼が自然の美しさに對して開き初めたのも丁度その頃からだと思ひました。電燈の光が透いて見えるその葉なうらの色は、私が夜になれば誘惑を感じた娘の家の近くの小公園にもあったのです。私はその娘の家のぐるりをあるゐてはその下のベンチで休むのがきまりになってゐました。(私の美に對する情熱が娘に對する胎を共にした雙生兒だったこたが確かに信じられる今、私は竊盜に近いこと詐欺に等しいことをまだ年少だった自分がその末犯したことを、あなたにうちあけて、あとで困るやうなことはないと思ひます。それ等は實に今日まで私の思ひ出を曇らせる雲翳だったのです。  街を走る電車はその晩電車固有の美しさで私の眼に映りました。雨後の空氣のなかに窓を明け放ち、乘客も程よい電車の内部は、暗い路を通って來た私達の前を、あたかも幸福そのものが運ばれて其處にあるのだと思はせるやうな光で照らされてゐました。乘ってゐる女の人もただ徃來からの一瞥で直ちに美しい人達のやうに思へました。何臺もの電車を私達は見送りました。そのなかには美しい西洋人の姿も見えました。友もその晩は快かったにちがいありません。  「電車のなかでは顏が見難いが徃來からだとかすれちがふときだとかは、かなり長い間見てゐられるものだね」と云ひました。なにげなく友の云った言葉に、私は前の日に無感覺だったことを美しい實感で思ひ直しました。   五  これはあなたにこの手紙を書かうと思ひ立った日の出來事です。私は久し振りに手拭をさげて錢湯へ行きました。やはり雨後でした。垣根のきこくがぷんぷん快い匂ひを放ってゐました。錢湯のなかで私は時たま一緒になる老人とその孫らしい女の兒とを見かけました。花月園へ連れて行ってやりたいやうな可愛い兒です。そのひ私は湯槽の上にかかってゐるペンキの風景畫を見ながら「温泉のつもりなんだな」といふ小さい發見をして微笑まされました。湯は温泉でそのうへ電氣浴といふ仕掛がしてあります。ひっそりとした晝の湯槽には若い衆が二人入ってゐました。私がその中に混ってやや温まった頃裝置がビビビビビビと働きはじめました。  「おい動力來たね」と若い衆が云ひました。  「動力ぢゃねえよ」ともう一人が答へました。  湯を出た私は女の兒の近くへ座を持ってゆきました。そして身體を洗ひながらときどきその女の兒の顏を見ました。可愛い顏をしてゐました。老人は自分を洗ひ終ると次にはそその兒にかかりました。幼い手つきで使ってゐた石鹸のついた手拭は老人にとりあげられました。老人の顏があちら向きになりましたので私は、自分の方へその子の目を誘ふのを予期して、じっと女の兒の顏を見ました。やがてその子の顏がこちらを向いたので私は微笑みかけました。然し女の兒は笑って來ません。然し首を洗はれる段になって、眼を向け難くなっても上眼を使って私を見ようとします。しまいには「ウウウ」と云ひながらも私の作り笑顏に苦しい上眼を張らうとします。そのウウウはなかなか可愛く見えました。  「サア」突然老人の何も知らない手がその子の首を俯向かせてしまひました。 しばらくして女の子の首は樂になりました。私はそれを待ってゐたのです。そして今度は滑稽な作り顏をして見せました。そして段々それをひどく歪めてゆきました。  「おぢいちゃん」女の子がたうたう物を云ひました。私の顏を見ながらです。「これどこの人」「そりゃあよそのおっちゃん」振向きもせず相變らずせっせと老人はその兒を洗ってゐました。  珍らしく永い湯の後、私は全く伸々した氣持で湯をあがりました。私は風呂のなかである一つの問題を考へてしまって氣が輕く晴々してゐました。その問題といふのはかうなのです。ある友人の腕の皮膚が不健康な皺を持ってゐるのを、ある腕の太さ比べをしたとき私が指摘しとことがありました。すると友人は「死んでやらうと思ふときがときどきあるんだ」と激しく云ひました。自分のどこかに醜いところが少しでもあれば我慢出來ないといふのです。それは單なる皺でした。然し私の氣がついたのはそれが一時的の皺ではないといふことでした。とにかく些細なことでした。然し私はそのときも自分のなかになにかがつかれたやうな氣がしたのです。私は自分にもいつかそんなことを思ったときがあるた思ひました。確かにあったと思ふのですが思ひ出せないのです。そしてその時は淋しい氣がしました。風呂のなかでふと思ひ出したのはそれです。思ひ出して見れば確かに私にもありました。それは何歳位だったが覺えがありませんが、自分の顏の醜いことを知った頃です。まう一つは家に南京蟲が湧いた時です。家全體が燒いてしまひたくなるのです。も一つは新らしい筆記帳の使ひはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまひたくなるのです。そんなことを思ひ出した末、私はその年少の友の爲に、大切に使はれよく繕はれた古い器具の奧床しさを折があれば云って見たいと思ひました。ひびへ漆を入れた茶器を現に二人讚めたことがあったのです。  紅潮した身體には細い血管までがうっすら膨れあがってゐました。兩腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顏を先程したやうにおどけた表情で歪ませて見ました。  Hysterica passio──さう云って私はたうたう笑ひ出しました。  一年中で私の最もいやの時期もまう過ぎようとしてゐます。思ひ出してみれば、だうにも心の動きがつかなかったやうな日が多かったなかにも、南葵文庫のにはで忍冬の高い香を知ったやうなときもあります。靈南坂で鐵道草の香りから夏を越した秋がまう間近に來てゐるのだと思ったやうな晩もあります。妄想で自らを卑屈にすることなく、戰ふべき相手とこそ戰ひたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願ふ私の氣持をお傳へしたくこの筆をとりました。                               (一九二五年十月)