正直者

 国木田独歩

 見たところ成程私は正直な人物らしく思はれるでせう。たゞ正直なばかりでなく、人並變(ちが)った偏物らしくも見えるでせう。
 けれども私は决して正直な者ではないのです。なまじ正直者と他(ひと)から思はれたばかりに容易ならぬ罪を今日(こんにち)まで成し遂げて生涯の半(なかば)を送って來たのであります。
 鏡に對へば私にも直ぐ私自身の容貌が能く解ります。私の顏には角(かど)といふものがありません。冴えた色がありません。眉毛が濃く、頬髯が多く、鼻が丸く、唇が厚く、そして何處かに間(ま)の脱(ぬ)けたところがあります。笑へば眥(まなじり)に深い皺が寄るのです。それが──淺ましいことには──言ひ知れぬ愛嬌になって居ます。それに私は隨分大きな方ですから、何時も着物は裄(ゆき)の足(たり)ないのを着て太い手が武骨に出て居るので一見素朴らしくも見られるのであります。身體(からだ)の小(ちい)さい人はチョコマカと才はじけて、身體(からだ)に重味(おもみ)のないばかりか心の重味(おもみ)までが無いやうに他(ひと)から推(とら)れるものですが、身體(からだ)の太い男は、馬鹿でも惡黨でも横着者でも先づ他(ひと)から重く思はれるのが普通で、私も其例には洩(もれ)なかったのであります。
 口數多ければ未だしも、私は口無調法でした、けれども滔々と饒舌(しゃべ)れないかといふに左様(さう)でもないのです。時に由ては隨分人並の辯舌は振ふのであります。唯々(ただ)、(これが天禀(うまれつき)でせう、)大概の塲合は他人(ひと)の言ふことのみ聞いて、例の眥(まなじり)の皺を見せるばかり、それで居て他人(ひと)の言ふことは何もかも能く解り、推測もする、邪推もする、裏表も知って居るのであります。
 私のやうな男は世間に隨分,見受(みうけ)ますが、皆な其身の置かれた境遇、例へば昔でいふ士農工商の境遇に居て、それ/\面白い芝居を打って居ます。たゞ此種の人は、(私も其一人、)滅多に其境遇から外には飛び出し得ないものであります、其飛び出し得ないところに彼の重味(おもみ)も着いて、其打つ芝居が愈々巧く當るのであります。
 ところで私の境遇の低いのと、それから私には或特別の天性(うまれつき)があるのとで、私の演じて來た芝居が誠に淺間しい、醜いものとなったのであります。或特別の天性(うまれつき)といふのは、今こゝで言はないでも、後で段々に解って來るでせう。
 しかし誤解をふせぐ爲めに一言します、私は决して世の中のこと悉く芝居と同じだといふ説を持(もっ)て居るのではありません。たゞ前に説きました如き、私共のやうな性質を持(もっ)て居る連中は、何處かに冷いところがあって、身に迫って來た事柄をも、靜かに傍觀することが出來るのです、それですから極く眞面目な、誠實な顏をしながら、而も克(よ)く巧んで物事を處置することが出來ます。既に巧んで處置するといへば、其處に芝居らしい趣があるではありませんか。
 さて、これから私の身の上噺を一ツ二ツお話いたします。
 私の父は古い英學者で永年中學校の教師を務めて居ましたが、同窓の友ともいふべき人々は皆其の學び得し新智識を利用して社會樞要の地位を占(しめ)ましたけれど、私の父のみは最初語學の教師となったぎり、終(つひ)に其職以外に何事をも爲し得ず、私の十二の春まで一教師として此世を送り、變則英語の專賣者になって生涯を終(をへ)ました。
 父の死と共に私は全くの孤兒(みなしご)となりました、といふものは母の顏を私は少(すこし)も知りません。父は私の母の亡くなって後は、始終妾同様なものを置いたばかりで、それも七人八人ではなく、私の記憶に存って居るばかりでも四人ばかりあり、終(つひ)に眞(まこと)の家庭らしいものは作らなかったのです。
 何故父は、さる不倫なことをして居たかといふ理由は知りません、けれども父の子なる私の性質から推測しますると、父は唯だ肉慾の滿足を得るばかり女を置くことを知って、家庭などのことには全然(まるで)心を動かさなかったのだらうと思はれます。
 私の知って居る三四人の妾に就いても父は情愛を以てこれを遇した様子は少しもありませんでした。私は少しばかり酒を呑みますが父は決して酒杯(さかづき)を手にしたことなく、又た私よりも更に無口で、家に居てもたゞ茫然(ぼんやり)と火鉢に對(むか)って煙草を吹(ふか)して居るか、それでなくば机に向って英書を繙いて居るかで家中(うち)は常に寂寞(ひっそり)として居ました。
 それですから女中兼帶の妾が來ても初の中は父や私を對手に饒舌(しゃべ)りますが、一月二月と經つ中に何時しかこれも無言の業(げふ)に堪へ得るやうなって了ふのです。
 冷寒(つめた)い空氣と暗鬱な影とが常に立罩めて居る中に、私も亦た父と同じやうな性質で、別に悲しいとも辛苦(つら)いとも思はず生育(おひた)ちました。それですから私は父の在る前から既に孤兒(みなしご)同然であったのであります。
 兄もなく弟もなく、頼(たより)にすべき親戚もなく、十二歳の少年は父の死と共に父の友なる某(なにがし)中學校の國語の教師の家に引取られました。教師の姓は加藤。其加藤の言葉に依れば私を引取ったのは父が生前の依頼であったさうです。
 加藤が私を親切にして呉れたか如何(どう)だかといふことは別に言ふほどのこともありません。普通の學僕同様なことを仕ながら英語の夜學校に通ひ、國語の方は直接に加藤から少しづゞ學んで居ましたが、孤獨には慣れて居ますから私の心持では加藤の待遇に就いて格別の感じを持(もち)ませんでした。
『お前の父上(おとっさん)は至極好人物であったが、惜しいことに活動といふものを仕ないで退居(ひっこん)でばかり居なすッたから、折角の利器を懐きながら老朽(おひく)ちて了はれた。お前は一ツウンと世の中に飛び出して大(おほい)に活動しなければ可(い)かん、學問が如何(いくら)あっても活動といふことが無ければ今の世は用ゐられんじゃ。』加藤は其細い眼を光らして自分に向ひ此言葉を聞(きか)したことは幾度であるか知れません。
 なるほど左様(さう)だ、加藤の叔父さんの言はれる通りだと私も思はぬではないが、天禀(うまれつき)は爭はれぬもので、重苦しい性質は言葉の彈力や、理想の槓杆では容易に動きませんでした。所謂る、なるがまゝに移ってゆく其境遇に處して唯だ其日々々をじっくりと暮す、それが私の運命であったのです。
 十九の秋、加藤は病んで床に就き、二十日ばかりで遂に此世を去りました、六十七歳ですから先づ以て長命の方でせう。死ぬ少し前に私を枕許に喚(よん)で、斯ういひました。――
『お前の父上(おとっさん)から私の受取った金は四百圓足(...たら)ずであった、家財や書籍(しょじゃく)を賣って二百圓ばかり、都合六百圓に三十圓不足する金を私がお前と一しょに預かったのじゃ。父上(おとっさん)の頼(たのみ)は此金を食料に、金の續く間お前を世話して呉れとのことであった、それでお前の十二の時から今年までザッと八年の間で、預った金は大概無くなって了ったが未だ百圓ばかり殘って居る勘定になる、それを今お前に此處でお返しするから、お前は私の死(しん)だ後(あと)、この金を持(もっ)て獨立して見るが可(よ)からうと私は思ふのぢゃ。』
 加藤の言ふことは私に能く飮みこめました。要之(つまり)、加藤の死(しん)だ後(あと)、私は百圓の金を持(もっ)て、加藤の家を出てゆき、如何(どう)にもして獨立(ひとりだ)ちで世の中を渡って行くことになったのであります。それでも加藤が私に百圓の金を渡すといふのが今から思ふと不思議で、實いふとあの時、加藤から一文なしで直ぐ立退きを命ぜられても私は文句なしに其言葉に從ひ、文句のないばかりか、當然のことゝ考へて立退いたのであらうと思はれます。ですから百圓受取った時は、眞實私はうれしう思ひました。加藤の死(しん)でから一週間經って、私は住みなれた家を、別に大(たい)して悲しいとも思はず、出てゆきました。
 落着く先は麹町區,某(なにがし)小學校の直ぐ近所にある下宿屋の一室(ひとま)です。私は加藤生前の世話で小學校の英語の教師になりましたので、月給は十圓、下宿料が七圓ですから差當り食ふには困りませんでした。
 其頃の私は今よりも丸顏の、可愛(かはゆ)い顏つきをして居ました上に、言葉の少ない、それで愛嬌もある少年でしたから、校長初め同僚からも可愛(かはゆ)がられ、下宿屋のおかみさんからも「澤村さん/\」とちやほやされました。大概のものは斯うなると一寸得意になるものです。まして年からいふと生意氣盛ですから、つひ言はないでも可(よ)い惡(にく)まれ口をたゝいたり、怒(おこら)んでも可(よ)いことに顏を赤くして聲を高めて見たり、かりそめにも先生を鼻の先にぶら下(さげ)て居るものですが、私に限ってそれがありません。何時も同(おなじ)やうな顏をして下宿を出て、同じやうな風で歸って來る、袴を脱ぐと直ぐ疊(たたん)で納(しま)ふ、見たところ實體(じってい)な感心な青年(わかもの)であったに違(ちがひ)ありません。
 下宿屋のかみさんといふのは其ころ四十四五でしたらう、年頃(としごろ)の娘と十四になる男の子と三人暮(..ぐらし)の後家の内職で、間數は僅に四個(.つ)、それも立派な部屋は一間(ひとま)もないのです。娘はおかみさんに似て細面(ほそおもて)の、色の蒼白い、病身らしい子でしたが、眼は黒眼勝のはっきりとしたので、先ず此子の特長(とりえ)とでもいひませうか、其眼で熟(ぢっ)と人の顏を見て、暫くして微かにほゝゑむのが此娘(このこ)の癖でした。名はおしんですから、私どもはしんちゃんと呼んで居たのです。
 おかみさんは輕薄なお世辭も言ひませんが、下宿人の誰にも親切であったやうです。分(わけ)ても私を可愛がってくれて二月三月居る中には親子かと思はれるまでにしてくれました。けれど私は情(なさけ)ないことに、親子の情といふものを知(しら)ない人間ですから、うれしいとは思ひましたが、たいして感動もしなかったのです。
 人の心ほど奇態なものはありません。それほどの親切に對して私が感動もせず、初めて下宿に來た時と少(すこし)も變らぬ態度を保って居ましたので、おかみさんの心は益々動き、愈々私に感心して、私をば又とない正直な、温順な謙遜な青年(わかもの)だと全然(すっかり)信仰して了ったのです。
 娘のおしんも同じことで、母のやうに口こそ餘り出して言ひませんが、私を信仰する熱度は母と少(すこし)しも變らぬことが其,擧動(そぶり)で私には能く解って居ました。
 今から思ひますと、眞實(ほんとう)に正直な、温順な、謙遜な人といふは無論、此私ではなく、此娘でありました。私はおしんをば完全無缺の人間とは思ひませんが、少(すくな)くとも女として彼(あ)の位なのは餘り類がないと今では信じて居るのであります。ひとつは健康のすぐれないためでもありませうが、おしんの起居振舞(たちゐふるまひ)から言葉から、こゝろばせまでが如何にも穩かで、おっとりとした中に情深(なさけぶか)いやうなところがありました。
 年は二つ違(ちがひ)で、先づ同年輩ですが、私は年よりもふけて見える方、おしんは小供らしいところがあって、二ツも若く思はれるはうでしたから、おしんの私に對する心持は母と同(おなじ)ながら、其うちに何處かあまへるやうな風もあったのであります。
 私が一人部屋にすっこんで居ると能く遊びに參りまして色々な話をして事によると夜を更すこともありましたが、そんなこんなの例を申せば或晩のことです、
『あなたの親父(とうさま)はどんな方で厶いました、』とおしんが訊きましたから、
『どんな人ッて別に言ひやうもないが、大變煙草が好きでした。』
『きっと好(い)い方でしたらうねえ。』
『何故(どう)して?』
『だッて貴様(あなた)の親父(とうさま)ですもの。』
 又或時のことです、おしんは私が謝絶(ことわ)るのを無理に私の衣服(きもの)を疊(たゝみ)ながら
『貴様(あなた)は他(ひと)から話しかけないと、めったにお口をきゝませんねえ。』
『さうですか、自分ではそんな積りもないのだが。』
『でも母もさう申して居ますよ。』
『さうですか、それではこれから氣をつけませう。』
『あら、別段惡いと申したのでは厶いませんわ。』
『イゝエ、そんなことは善くないことです。私の父など始終默って居て、碌に私にも口をきかないで死(しん)で了ひました。』
『でも必定(きっと)お心は優(やさし)い方でしたらうよ。なんでも宅(うち)の父上(とうさま)のやうであったらうッて、母が申して居ました。』
『あなたの父上(とうさま)はどんな方です。』
『口數はきゝませんが、何時でもにこ/\して居て母でも私でもめったに叱るなんぞいふことは厶いませんでした。』
『私の父はにこ/\したことは厶いません。』
『まア、それでは可恐(こわ)い方でしたの。』
『別に可恐(こわ)くもありません、たゞ默って居るばかりで小言も言ひませんから。』
『母上(おっか)さんは如何(どう)でした──さう/\貴様(あなた)は母上(おっか)さんは御存じないのですねえ、』と言っておしんは暫らく默って居ましたが、何と考へたか、
『貴様(あなた)宅(うち)の母を如何(どう)思って居(ゐら)っしゃいます?』と訊きました。
『優しい方と思って居ます。眞實(ほんと)の母のやうに思ひます。』
『あら、うれしいこと、母が聽いたら如何(どう)なによろこびませう。』
 先ず斯ういふ風でしたが、おしんは矢張,年頃(としごろ)の娘です、母と同じ親切な心ばかりではすみません、月日の經つと共に、親切以上の心で私に近(ちかづ)くのが私にも解るやうになりました。母親も心づいて居たには違(ちがひ)ないですが、如何(どう)いふものか、それを少(すこし)も氣にしないばかりか、娘と一しょになって益々私を可愛がってくれました。さてそれなら私はおしんを如何(どう)思ひましたかと言ふと、おしんの情の十分の一も私にはありませんでした、そんなら私はおしんを冷(ひやゝ)かに扱ったかと言ふとさうではありません、おしんの思ふまゝ思はせ、するがまゝにさせて置きました。
 そして其の結果は如何(どう)でせう!、忘れもしません二月十五日の夜のことです。夜の十二時過ぎでした。下宿人は勿論、母も男の子も皆な寢て了って家の内はシンとして居ましたが、外はドン/\雪が降りそれに風が出て雨戸をうつ雪の音サラ/\と折り節聞えて居ました。おしんは九時頃から私の部屋に來てゐたのですが、十二時打って何分か經ちまして部屋を出てゆく時、
『よう厶いますか、必定(きっと)二三日中に母上(おっかさん)に言って頂戴よ、母上(おっかさん)は二つ返事で承知しますから、ね、必定(きっと)言って頂戴よ、』と繰返して言ひました。その時のおしんの顏は今でも忘れません。
 この晩から私とおしんは母親の眼をも忍ぶ仲となりまして、おしんは望を達したといふ滿足の様子の外に、深い决心と、かすかながらも言ひ知れぬ恐怖(おそれ)とで、小供のやうに笑ふ時があるかと思へば、蒼い顏をして吐息をついて居る時もあり、そして私の様子は以前と少(すこし)も變らんのであります。たゞ竊かに願っていた慾望、おしんの身體(からだ)が自分の身體(からだ)に近づく毎に愈々つのる慾望、後(のち)には機會(をり)があったらとまで熱中して居た慾望が達せられたので大きに滿足しましたが、心の平穩なることは以前の通りで自然變った様子が顏にも擧動にも現はれなかったのであります。
 おしんは身も魂も私にゆだねて了ひました。私を愛し私を信じて少しも疑がはないのです。それですから、早く母親に打明けて結婚を申込んでくれろと言ひましても、私がまア/\私にまかして置けと申せば、それで安じて居たのです。
 私が前に、自分に特別の天性(うまれつき)があると申したのは肉慾のことです。私のやうな物に偏(かたよ)らず、冷やかに、其傍(かたはら)を素通りしてゆくことの出來る男が、男女(なんにょ)の慾となると前後を顧ることが出來ませんでした。それですからおしんの操を一度(ひとたび)破りました以後は、おしんの好む好まぬに關はらず、母親の眼も同宿の者の眼もくらまし得るかぎり、此慾を滿しました。それをおしんは私の愛情の猛烈なためだと解して居たのです。
 それで私は結婚の積(つもり)がないかといふに、さうでもないのです。いっそ結婚して了はうかと思ったことも有りましたが、どうもそれをおかみさんに打出していふ决心は起りませんでした。言へばおかみさんは大よろこびて承知することも知っては居ましたけれども、ぐづ/\で二月ばかり經ちました。
 ところが四月の末のことです、其日は日曜で私は同僚の一人から是非遊びに來いと招かれまして、宿に歸ったのは夜の八時ごろでした、部屋に入るとおしんが其處に坐って居ましたが私の顏を見るや直ぐ突伏(つゝぷし)て了ったので、流石の私も胸がドキリしました、急いで傍(そば)に坐わり、
『如何(どう)したの、え、如何(どう)したの。』
 見ればおしんは泣いて居るのです。『え、如何(どう)したといふに、しんちゃんやコラしんちゃん?』
『だってね、母上(おっかさん)が餘(あんま)りなことを言ふのですもの、』といひながら擧げた顏を見ますと、なるほど涙は出て居るけれど泣いて居るのか、笑って居るのか判らないのです。これで私も少しは胸が落着きましたから
『何(なん)て言ったの母上(おっか)さんが。』
『何(なん)とって別に判然(はっきり)したことは言ひませんけれど、何だか二人のことを母上(おっかさん)は感付(かんづい)て居るらしいことよ。』
『それで何とか言って。』
『お前どうする氣かとだしぬけに聞きますから、どうするッて何を、と言ひましたら、母上(おっかさん)にだけは明亮(はっきり)言っておくれお前は澤村さんと約束でも仕たのではないかと言ひますから、私はたゞ默って居たのよ。さうすると母上(おっか)さんが、女といふものは操が大事だとか何とか色々なことを言ふのですよ。私が悲しくなって泣きだしたの。さうするとね、母上(おっか)さんが、若しお前が澤村さんの妻になる氣なら私も决して否(いなや)は言はない、澤村さんなら私も氣に入って居るのだからお前の决心さへちゃんと打明けて呉れゝば私から今夜にでも澤村さんと相談するが如何(どう)かと申しますのよ。私もそんならさうして頂戴と言(いは)うかと思ったけれど、若しね、だしぬけに母上(おっか)さんが貴様(あなた)にそんなことを言ひだしたら、貴様(あなた)に考へがあって其(それ)とぶつかるといけないと思ひましたから、何と言って可(い)いか分らなくなったから默って居ました、さうすると母上(おっか)さんが默って了ひましたから、私尚ほ悲(かなし)しくなって泣(ない)て居ましたのよ。けれどもね、何とか言はないと惡いと思ひましたから、それじゃア母上(おっか)さん何卒(どう)か貴女(あなた)から澤村さんに聞いて見て下さいと頼みましたの。けれども其前に私から一寸澤村さんに言うて見ますから其(その)後(あと)にして下さいと言ひましたのよ。それじゃアまアお前の可(よ)いやうになさいと母上(おっか)さんは何だか機嫌の惡いのよ。だから私も直ぐお部屋へ來て先刻(さっき)から待(まっ)て居ましたの。』
 斯う言はれて私はすっかり當惑して了ったのです。これが當前(あたりまへ)の方なら、「ウンよろしい、それなら私から直ぐ母上(おっか)さんに相談しやう」と决心するところですけれど、私には其决心が出ないのです。私の性質として、かういふ塲合に直ぐ熱することが出來ないのです。
『それは困った、』と口を衝(つ)いて出るかといふに、さうでもないのです。
『それでは母上(おっか)さんが今に何とか相談に來るでせう、其時よく相談すれば可(い)い、』と靜かに言って火鉢にもたれて涙の痕をハンケチで拭いて居るおしんの背を撫でました。すると例の慾情が燃えあがりましたから我知らずおしんに摩寄(すりよ)りました。何と淺間しい人間ではありませんか。
 其トタンにすッと障子を開けて入って來たのが母上(おっか)さんです(其頃私はおかみさんと呼ばず母上(おっか)さんと言(いっ)て居ました、他の下宿人の一人二人もさう呼(よん)で居たのです)
 おしんの來て居る時、母上(おっか)さんの來ることは此二三ヶ月殆ど無いことですから私は喫驚しておしんの傍(そば)を飛退きました。おしんは起(た)って外に出てゆきました。其あとに母上(おっか)さんは坐りましたから、私も其,向(むかふ)に坐わり、二人の仲には小さな長火鉢があるのです。
『私少し御相談があるのですが、』と先方(むかう)は直ぐ切りだしました、そして力めて話を眞面目にしやうとする様子ですが、やはり言い惡(にく)いと見えて笑を含んで居るのです。
『ハア、』と言ったぎり私は何とも言葉が出ません。
『大概お察しでも厶いませうが。それで貴様(あなた)のお心持は如何(どう)でせうか、それを一應承たまはりませんとね、私も心配でなりませんから。』
『イヽえ、最早(もう)僕には如何(どう)といふ意見もないのですから、母上(おっか)さんのお心持一つで……』
『それでは私にも別に否應(いやおう)はないので厶います、あんなものでも貴様(あなた)が生涯連れ添(そっ)て下さるといふことなら、私も貴様(あなた)の御人物は承知して何時も感心して居ますのですから何よりだとよろこびます。』
『なに僕のやうな男が……』
『それでは急に話を决めませうでは厶いませんか、それでないと、それでないと、まア貴様(あなた)に限って萬々そんなことはありませんけれども、若いもの同志のことですから世間では又た何と申すか分りませんし、さうすると貴様(あなた)の學校の方も何ですから……・』
『さうです/\、だから僕も何です、その一應その校長に丈けは打明けて相談して置(おこ)うと思ひますから……・』
『それは可(い)いお考です、校長さんにお話になりまして、校長さんが表面(おもてむき)仲に立(たっ)てくだされば何よりで厶います、』とこれで相談は决定(きまっ)たのです。
 母は事の成行きを少(すこし)も疑ひませんので、校長に相談すれば萬事好結果と呑みこんで了ったのです。私が校長に相談すると言ったのは一方の血路を開いて置いたのです。私のやうな正直者は何時も波に流されながら波に乘って居るのです。
 母上(おっか)さんが自分の居間(私は一室(.ま)しかない二階に居ました)に歸ってゆくや私はごろり寢ころんで二十分ばかり茫然(ぼんやり)して居ましたが、其間何も考がないので、たゞぼんやりと天井を眺めてまじ/\と眼瞼(まぶた)を動かして居たばかりです。けれども今一度(もいちど)おしんが來るだらうと待(まっ)て居たのです。來さうもないから床をのべて寢てしまひました。
 翌朝おしんが來て部屋を片附(かたづけ)て呉れましたが、すっかりと妻といふ擧動(こなし)です。眼だけで物を言って、口數は多く聞きません、袴の皺などを直してくれて、私の出てゆく時、ちひさな聲で
『それでは今日校長さんに相談して下さいな、』と言ひました、其聲、其調子、少しも疑はないのです。相談といふのはたゞ一通り話して置く丈けのことゝ初から决めて居るのでした。
 授業が終むと私は校長に少し相談があるからと、一室に連れ込んで、結婚の一條を話しました。けれど勿論私とおしんの關係は言ひません、たゞ手短に下宿屋の女主人から娘を貰って呉れろと言はれて居るが如何(どう)したものだろうと持込んだだけです。これが他(ほか)のものなら直ぐ校長に娘との關係を疑はれるのですが、私は信用されて居るから校長も平氣なもので、
『君は結婚する氣かね、』と聞きました、先づ。
『私は如何(どう)でも可(よ)いと思ふのです、だから貴下(あなた)の御意見を伺がひますので、』と私も平氣な顏でいひました。
『まア不賛成だねえ、早いよ、せめて二十五六になればだが君は丁年にすら足りないのだからねえ、尤も君は二十五六の者でも及ばぬ確固(しっかり)したところのある人だけれど、矢張年は年だからねえ。』
『兎も角校長に相談してと先方(むかう)には申して置きましたのですから……・』
『宜しい、それぢゃア私から謝絶(ことわ)って上(あげ)ませう、』と校長の言葉は頗る手輕いのです。
『けれど隨分先方では熱心なのですから唯だ謝絶(ことわ)るのわけにも參らんやうですが。』
『おかみさんが全然(すっかり)君にほれこんで居ると聞いたが愈々事が持上がったね。もア待ち給へ妙案があるだらう、』と校長は笑味(えみ)を含んで考がへて居ましたが
『妙案がある/\、君今日歸って斯ういひ給へ、校長に相談したら可(よか)らうと賛成したが、然し校長の言ふには下宿屋に居て下宿の娘と結婚するのは不味(まづ)い、それよりか其處を出て校長の宅(うち)に當分厄介になる、そして一月も經ったところで校長からお前さんのところの娘を澤村君にくれんかと斯う相談を持(もち)こむ、さうすれば、人目もよし、勿論儀式にも適ふし、さうし給へと親切に言ってくれたから其議に從ふと思ふ、斯う言ひ給へ。それならおかみさんも最もだと思ふに違ひない。其處で君は直ぐ私の宅(うち)に移轉(ひっこ)し給へ。狹いけれど玄關の三疊に弟(おとゝ)が居る、當分あれと同居するサ。それで君は今後下宿屋に立寄らんやうにする、一月も經ったところで私から理窟をつけて破談を申込めば先方(むかう)だって文句はなしそれなりで君の身の方(かた)がつくといふものだ、これだ/\、此妙案しか外にあるまい。』
 私は其意を奉じて下宿屋に歸りました。そして校長の妙案を持出しますと、母上(おっか)さんは大よろこびです、おしんは鬱いで居ましたが別に否(いや)とも言ふことが出來ません。其晩おしんは十二時過ぎまで私の室(へや)に居ましたが、其(その)いじらしい風は今も私の目に殘って居ます。繰返へして、どうか一月と言はず一時(いっとき)も早く一緒になってくれろといひました。そして私が一月の間は遊(あそび)にも來ないやうにするからと申しましたら、それでは九段の公園あたりで時々會ってくれろといひますから私もそれは承知したのであります。
 校長の宅(うち)に移ってから一月經ちました。私は一度も下宿屋には生きませんでした。けれどもおしんとは四度(.たび)媾曳しました。最後のとき、おしんは
『それでは明日(あした)ですよ、きっと明日ですよ。若し明日校長さんが來て呉れないなら貴郎(あなた)でも可(い)いから來て下さいよ、』と言って、いそ/\して私と別れました。
 おしんの望通り、其翌日校長は下宿屋を訪ねました。私は如何(どう)なることかと、ない/\大心配で待(まっ)て居たのです。事によるとおしんとの關係が全然(すっかり)ばれて了ひはせんかと、心配はそれのみでした。間もなく校長は歸宅(かへっ)て來ました。
『案外話が早く着いた。君、あのおかみさんなか/\解って居るなア、』と、これを聞いて私はほっと呼吸(いき)を吐(つ)きました。
『如何(どう)でした、おかみさん何とか申しませんでしたか。』
『何、何を言ふものか。私がこれ/\で結婚はまだ早いし、それに澤村には未だ勉強がさせたいからイヤといふ氣はないけれど、先づ當分見合せてもらひたい、縁があれば何年か先のことだが、何時のことかそれも分らぬから娘さんは良縁のあり次第何時でも嫁にやられたら可(よか)らうと言っただけサ。それでもとは言へないじゃアないか。』
『娘が傍(そば)に居ましたか。』
『イヤ私が入ったら直ぐ二階へ上って了った。』
『おかみさん何と申しました。』
『だから今いったやうに私が言ふと、顏色を變へて居たが、私ももとは判事の妻です。無理にとは申しません。何卒(どう)か澤村さんに宜しく仰(おっしゃ)って下さいだって。判事の後家さんとは知らなかった。君あれはなか/\確固(しっかり)ものだぜ。』
『それから娘を御覽になりましたかお歸りに。』
『イヽヤ見ない。二階で待(まっ)て居たのサ。可愛さうに。』
     *   *   *   *   *
 その後も二度とおしんには遇ひません。破談後一週間經って、私は夜そっと下宿屋の前を通りましたら戸が閉まって「かしや」の札が闇の中を薄く張ってあるのを見ましたばかりです。
 正直者の仕事の一つがこれです。いづれ其中、外のをもお話いたしませう。


岩波文庫『牛肉と馬鈴薯』昭和14.3.2による
京都府立大学女子短期大学部学生入力・岡島昭浩校正
日本文学等テキストファイル