文部省科学研究費補助金 特定領域研究(A)
環太平洋の「消滅に瀕した言語」にかんする緊急調査研究
A04 日本班

最終更新日 2002.5.8

小笠原諸島における危機に瀕した言語変種の調査研究

 研究組織

  氏   名   所 属 機 関   E-mail 
研究代表者 ダニエル ロング 東京都立大学人文学部    


                   2001年度
 研究の目的
 研究期間に、(1)現在の欧米系島民の間で使われる様々な言語変種の構造と使用の実態を把握し分析すること、(2)それぞれの形成過程を解明すること、(3)急速な社会環境変化で姿を消そうとしているこの島独特な言語体系を記録した音声資料・文字資料を作成すること、(4)海外に移住したために主流日本語の影響をほとんど受けなかった「在外島民」と日本本土に移住した「本土在住島民」の言語調査の調査を行なうこと、(5)特有語彙の調査、の5点を目的とし、録音や録画による現地調査を実施する。
 小笠原諸島は日本の中では非常に特別な地域で、19世紀前半に欧米やアフリカ、太平洋地域から無人島だった父島にやってきた人々の間では、この島独特なピジン英語が生まれた。これまで、現地調査は5回行なっているが、学術的に価値の有る音声言語資料を収集ためにはさらなる調査が必要と思われる。


 研究実施計画
 同一話者でも複数の言語変数を持っているのである。それは、(1)小笠原の標準日本語、(2)小笠原の標準英語、(3)八丈島方言を基盤としている小笠原方言の日本語、(4)日本の文構造に英単語を加えた小笠原の「混合言語」、(5)19世紀に小笠原で生じた小笠原クレオール英語、である。個人の言語に影響を与えたと思われる数多くの要因(配偶者が同じ欧米系の人か和人か、受けた教育は英語か日本語か)があるので、できるだけ多くの欧米系話者の協力を得たいと考えている。平成13年度に2回、父島へ渡り、「欧米系島民」の方々を対象に現地で面接による言語調査を実施する予定である。
 また、小笠原諸島の場合は、環太平洋の多くの危機言語と同様、話者が地元を離れてよその地域で暮らすという傾向が進んでいる。1968年に米国から日本に返還されてから、多くの島民が米国本土やハワイ、グアムといった外国の地に移り住んでいる。一方、欧米系が集中して自らのコミュニティを形成している父島を離れて日本本土(父島では「内地」と言う)に移り住む人も数多くいる。こうした「在外島民」や「内地在住島民」を対象にした面接調査を行なう予定である。両者の言語や、自らのアイデンティティがこれらの条件によってどのように左右されるのか、そして、両者の言語構造に見られる共通点や相違点をこれからの調査を通して究明していきたい。


 成果報告
 2001年度に小笠原諸島父島の欧米系の方を中心に島民の言語調査を続けた。調査方法は音声資料の録音のみならず、ビデオ撮影による資料も収録した。これを編集して報告書に付くCD-ROMに入れる。そのCD-ROMには、関連資料(史料、談話のテキストと音声、画像、動画、民謡など)も入る予定である。
 1世紀半にわたり、欧米系島民の生活言語であった英語の変種が現在消えようとしている。また、皮肉なことに、八丈島の祖先を持つ「八丈系島民」は四半世紀に渡り、内地での生活を余儀なくされたので、伝統的な八丈方言が彼らのことばからほとんど姿を消しているが、米軍統治下で内地の日本語から孤立していた欧米系島民こそが八丈方言をまだ部分的に保っている。欧米系島民を対象に日本語(八丈島方言など)と英語の両方の語彙使用調査を行なった。
 一方、本研究は、小笠原諸島の危機に瀕した言語変種をテーマにしているので、かつて島で行なわれた言語行動、言語使用、言語生活の実態を、歴的資料から解明する必要がある。今年度、19世紀に小笠原を尋ねた際に、欧米系島民の日常的な言語状況を記録したアメリカ人の手書き資料を発掘して分析した。今年度に、この研究成果を発表する機会があった。2001年11月14日に専修大学で「小笠原諸島で起きた4つの『国際化』」という講演を行なったほか、そして3月10日に父島で島民を対象に「小笠原英語の過去と現在」という講演を行なった。
 なお、今年予定していた海外出張は2001年秋の世界の不安定な情勢から中止になったが、その予算を小笠原の現地調査旅費に当てた。



                             2000年度

 研究の目的
 研究期間に、(1)現在の欧米系島民の間で使われる様々な言語変種の構造と使用の実態を把握し分析すること、(2)それぞれの形成過程を解明すること、(3)急速な社会環境変化で姿を消そうとしているこの島独特な言語体系を記録した音声・文字資料を作成すること、の3点を目的とし、録音や録画による現地調査を実施する。小笠原諸島は日本の中では非常に特別な地域で、19世紀前半に欧米やアフリカ、太平洋地域から無人島だった父島にやってきた人々の間では、この島独特なピジン英語が生まれた。その後、日本語基盤の別の接触言語も発生している。しかし、これらは若者の間では使われなくなっている。こうした「危機言語」が、絶滅する前に、学術的に価値の有る音声言語資料を収集するためにはさらなる調査が必要と思われる。世界中で、英語をベースにしたピジンやクレオールは数多く報告され、研究されているが、日本語と他言語による接触言語の例は非常に希だ。それと同時に、日本語を基盤言語とした接触言語の極めて珍しい例として、この研究は世界のピジン・クレオール学者にとっても非常に興味深い研究であるように思われる。


 研究実施計画
 島での現地調査としては様々な形式を考えているが、主に個人面接、および島民同士のインターアクションが記録できる集団面接になると考えている。実施は2000年8月と2001年3月の予定である。これまでの調査では現在も島に在住している人たちのみを対象としていたが、今度は内地や外国(アメリカなど)で生活している話者の言語使用・言語忘却などを、郵送、電話、面接などによって調査したいと思っている。
 2000年8月に「小笠原文化研究者サミット」を父島で開催する予定である。そこでは、小笠原諸島の言語、歴史、政治学、文化人類学、法学などを研究している人が集まり、徹底的に議論をする。その一環として、公開講演会を開く。発表者は10人で、参観者は100人になることを想定している。
 1998年秋にハワイで資料の閲覧と収集を行なったが、その後、新たな発見と研究の進展があったため、もう一度行く予定にしている。特に、ハワイ大学には環太平洋ピジンを含めて、太平洋の接触言語や伝統的言語を研究している世界的権威が数人揃っているので、本研究に対する彼らの助言が必要不可欠であると考えられる。さらに、2000年の10月6〜8日、米国ミシガン州で開かれる第29回言語変異分析学会に出席し、この研究成果を発表したいと思っている。


 成果報告
 2000年8月5〜10日、父島で面接による聞き取り調査を行ない、音声言語資料の収集に努めた。録音調査や面接調査以外にも、墓石記録の調査、旧ラッドフォードスクール教材閲覧、教会資料を閲覧し、そのデータベース化を進めた。8月2〜4日に、12人の研究者が小笠原村父島に集まり、公開シンポジウム「小笠原諸島の言語・歴史・社会」を開催した。130人ほどの島民、来島者がその研究成果に関する発表を聞いた。
 10月2〜4日、ロングがホノルルに渡り、ハワイ大学のEmily Hawkins先生、およびJoel Bradshaw先生から、本研究に関する助言をいただいた。小笠原における/w/と/v/の混用状況は、初代ポリネシア系島民の言語的影響によるものかどうかを、ポリネシア諸言語の専門家であるHawkins氏と議論した。また、ミクロネシア諸言語の専門家であるBradshaw氏と小笠原における4種類の流音の使い分けについて討議し、これはミクロネシアやメラネシアから移住してきた島民の影響による状況かどうかの議論をした。さらに、2000年10月7日に米国ミシガン州で開かれた第29回言語変異分析学会、および10月28日に広島で開かれた変異理論研究会で本研究の研究成果を発表した。
 一方、ウェブサイトを設置し、小笠原諸島に関する人文・社会科学関連の文献目録を作成し、公開している。現在は、関連資料(史料、談話のテキストと音声、画像、動画、民謡など)を収集し、研究者も一般島民も利用できるCD-ROMを作成中である。
 1世紀半にわたり、欧米系島民の生活言語であった英語の変種が現在消えようとしている。2001年3月の調査ではこの英語の録音調査を行なった。一方、皮肉なことに、八丈島の祖先を持つ「八丈系島民」は四半世紀に渡り、内地での生活を余儀なくされたので、伝統的な八丈方言が彼らのことばからほとんど姿を消しているが、米軍統治下で内地の日本語から孤立していた欧米系島民こそが八丈方言をまだ部分的に保っている。したがって、欧米系島民を対象に八丈系語彙の残存状況も調べている。


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