グローバル日本研究国際シンポジウム

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太宰治『惜別』論 ―魯迅と〈留学〉―

斎藤理生(大阪大学)

二〇世紀初頭、魯迅は清国留学生の一人として来日していた。この時期の魯迅を、太宰治は『惜別』(1945)で描いている。「医学徒の頃の魯迅」という副題の伝記小説である。一篇は田中卓という老医師が、仙台医学校時代の魯迅との交友を綴る手記の体裁で語られる。

かつてこの作品は、大東亜共栄圏の思想の表現のために書かれたという背景や、実際の魯迅を正確に反映しているのかといった点が主に議論されてきた。だが本発表では、様々な人物が故郷を離れて学ぶこと自体を主題にした小説として読み直す。作中の魯迅は、清国(中国)から日本へというように単純に移動を語らない。故郷から南京へ、南京から東京へ、東京から仙台に来たという風に、学ぶ場の移動を細かく語る。彼の友人の田中は、東北の田舎から仙台に来た人物と設定されている。田舎から仙台に来た彼は方言の問題に悩んでいる。魯迅と親しくなったのも、言葉の訛りに劣等感を抱く心配がなかったためだと言われる。また、魯迅が後に小説「藤野先生」で恩師として回想している藤野先生も、関西の訛りを残した人物として描かれている。語り手は自分たちは「日本語不自由組」だと言い、だからこそ親しくなった可能性さえ口にする。そこに東京出身の、都会風をひけらかす級友が絡む。

発表では、これらの人物の移動の錯綜を、言葉に着目して分析する。このような考察は、太宰、ひいては近代文学者にとっての〈国境〉について再考する手がかりを与えるはずである。

略歴

斎藤理生(さいとう・まさお)。大阪大学文学部卒。大阪大学文学研究科修了。博士(文学)。2006年より群馬大学教育学部講師。同准教授を経て、2014年から大阪大学大学院文学研究科准教授。研究テーマは太宰治・織田作之助を中心とした昭和文学の研究。著書に『太宰治の小説の〈笑い〉』(2013)。論文に「織田作之助『夫婦善哉』の「形式」―「系譜小説」を手がかりに」(「日本近代文学」2013.11)など。