グローバル日本研究国際シンポジウム

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宋元代の中国に渡った日本の禅僧―留学支援の仕組みと渡海のリスク―

中村翼(大阪大学)

日本の中世は、仏教が社会に深く浸透していた時代であった。とりわけ、12世紀後期から14世紀中頃までの約200年には、きわめて多くの日本僧が、国家の使節ではない一人の修行僧として中国に留学し、中国人と同じ立場で集団生活を行った。しばしば日本の「伝統」文化とされる禅宗は、彼らによって日本に紹介されたのである。

留学僧たちは、何の当てもなく海を渡ったわけではない。彼らの背後には、留学を支える仕組みが存在していた。たとえば、鎌倉の建長寺では、語学教育の充実化や、中国の有力寺院との人脈の蓄積、さらには日中間を往来する貿易商人との紐帯強化が組織的に図られていた。またその庇護者である鎌倉幕府は、中国人の高僧を鎌倉に積極的に招請したのにくわえ、留学僧を評価しうる新たな人事制度を整備した。

一方、留学にはリスクも伴った。航海の危険以外にも、日本と中国の政治的関係の悪化によりスパイの嫌疑をかけられたり、出身寺院の「お得意先」とは異なる僧に師事したために、帰国後に「村八分」にされた者もいる(一方、それで大成した者もいた)。

以上からすれば、現在でも案外、700年前と同じ事をしていると思われるのではなかろうか。ここで最後に、日中関係の悪化により留学の機会に恵まれず、それを断念せざるをえなかった14世紀初頭の日本僧の発言を紹介しておこう。――最近、わが国の凡庸な僧侶等が、熱に浮かされたように中国に押しかけているが、これはわが国の恥をさらすものだ。

略歴

中村翼(なかむら・つばさ)。大阪大学大学院文学研究科(共生文明論コース)助教。1984年生まれ。大阪大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。学術振興会特別研究員(PD)を経て、2014年10月より現職。研究テーマは、9世紀~14世紀の東アジア海域交流史。論文に「鎌倉中期における日宋貿易の展開と幕府」(『史学雑誌』119編10号、2010年)、「鎌倉禅の形成過程とその背景」(『史林』97巻4号)などがある。