フランス国立東洋言語文化大学・大阪大学 国際共同シンポジウム

モノと文献でわかる古代・わからない古代

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日本古代における漢字使用の始まり

市大樹(大阪大学)

本発表では、中国で発明された漢字がどのように日本に受容され、定着していったのかを考える。日本列島の人々は、遅くとも紀元後1世紀までには、中国からもたらされる文物(銅鏡、銭貨、金印など)の銘文を通じて漢字に接していた。2世紀以降、土器に1文字だけ記すような事例も登場するが、不思議な呪力をもつ記号という認識にとどまった。中国との外交時には文章化が不可欠であったが、国内的には特に必要とされなかった。5世紀になると、刀剣銘などにみるように、国内向けに漢字が使用され始める。ただし、大王と地方豪族との間の政治的関係を記念碑的に示すことに主眼があり、特殊な存在であった。これらは、若干の訛りはあるが漢文体で記され(中国語として記され)、固有名詞のみ漢字の字音を借りて一字一音で書かれた。その後、6世紀後半までに、漢字の日本語訳ともいうべき「訓」が誕生する。7世紀以降、木簡が登場し(現在43万点以上)、一般行政のレベルでも漢字が使用される。漢字の訓読みは広がり、日本語の語順で記すようにもなる。7世紀末までの事例をみると、随所に朝鮮半島の影響がみられる(8世紀初頭以後、朝鮮半島的な要素を消し去ろうとする)。朝鮮語と日本語は文法構造が近いが、中国語とはまったく違う。朝鮮半島で漢字使用の実験的試みがおこなわれ、それが効率よく日本に受け継がれたことを示唆する。以上の流れを、具体的な文物をあげつつ詳細に述べたい。


市大樹(いち・ひろき):2000年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学(2001年学位取得)。2001年より奈良文化財研究所研究員、2009年より大阪大学大学院文学研究科准教授。日本古代史専攻。木簡・交通制度・飛鳥時代史などを研究。単著に『飛鳥藤原木簡の研究』(塙書房、2010年)、『すべての道は平城京へ』(吉川弘文館、2011年)、『飛鳥の木簡』(中公新書、2012年)がある。