「機械は思考できるか?」
2001年8月16日
哲学思想文化学専修三年
山上 紘充
目次
AI(Artificial Intelligence)という言葉をきいたことがるだろうか。AIは人工知能と訳される。文字どおり人工的に人間の手で知能、知性を作ろうとする試みのことである。AIのもっとも有名なものはアーサー・C・クラークの
『2001年宇宙の旅』に登場する
「HAL」だろう。「HAL」は宇宙船に組み込まれた人工知能であるが、くしくも現在ちょうど21世紀初めの年、2001年であるが今年中には「HAL」の出現はのぞめそうもない。
ここでは「HAL」のようなAI、人工知能について考察してみたい。
「機械は思考できるか?」という問いを理解するためにまずこの問いの主語を少し変えてみよう。
- 石や砂は思考できるか?
- 草や木は思考できるか?
- イヌやネコは思考できるか?
- 地球は思考できるか?
- 政治や経済は思考できるか?
この中にはひとによっては返答が異なるものも含まれているだろう。「石や砂、地球はただの物体だが、草や木、イヌ、ネコは生きているのだから思考もできる」という視点や、あるいは「言語をもつ人間以外は思考できない」と五つともを否定する立場、また「
ガイア仮説のように地球は生きたシステムである」と地球に思考を認めたり、もっと比喩的に「政治経済というのもそれを構成する人間には予測不可能なもので、それらは思考しているのだ」というひともいるだろう。ここで意見をわけている最大の要因は「思考」という言葉の意味であると考えられる。
「思考」という言葉の意味が曖昧なために、たとえばイヌやネコの生物学的見解はまったくおなじであってもそれらに対する愛着の差により思考できるかどうかの返答も変わってくることもありえるのだ。
もう一度もとの問い「機械は思考できるか?」に戻ってみよう。この問いも「思考」という言葉が含まれているためにおなじ機械に対しても各人の返答が異なってしまうということだって十分にありえる。
そこで
アラン・テューリングは「機械は思考できるか?」という問いを「模倣ゲーム」に置き換えることを提案した。このゲームのルールは以下のとおりである。
- ゲームは男性と女性、男女どちらでもよい質問者の三人で行われる。
- 質問者の目標は離れた部屋にいる男性と女性に質問し、最終的にどちらが男性か女性かを当てることである。質問はチェス、数学、詩などなんでもよい。
- 男性の競技者の目標は質問者を騙すこと(女性のふりをすること)であり、女性の競技者の目的は質問者を助けることである。
これがテューリングテストである。ただつけ加えるならゲームは声や筆跡が質問者のヒントにならないようにタイプライタのような活字でやり取りすることがのぞましい。
「ここで男性の役割を機械にやらせてみたらどうだろうか?」というのが、テューリングがその機械が思考できるかどうかを判別するために置き換えた問いである。つまり、機械、女性、質問者で行われる模倣ゲームで質問者が男性、女性、質問者で行われる模倣ゲームと同程度に質問者が結論をあやまるのであれば、機械に思考を認めるのである。
模倣ゲームは提案者の名前をとり、テューリングテストともいわれる。テューリングテストの利点は、「思考」という言葉の曖昧さの段階で機械に思考を認めるかどうかを議論するのではなく、模倣ゲーム、すなわち人間を騙せるかどうかという実験で機械が思考できるかどうかを判別するという点なのである。
テューリングテストについてはよくわかったとしても、もちろんそれでも機械は機械であって思考しているわけではないと主張する反論もある。たとえば、ジョン・サールの「中国語の部屋」というのもその一つだ。
- 中国語をまったく理解できない英語を母語とするひとがひとつの部屋に閉じ込められる。
- その部屋には大量の中国語に関する本と英語で書かれた作業手順書がある。
- その部屋に中国語の文章が差し入れられると、部屋にいるひとは作業手順書に従って中国語の本から適切な回答を選びそれを送り出す。
この部屋では閉じ込められたひとが中国語を理解しているわけではないし、そのひとが行っているのは作業手順書に従った記号の操作にすぎず、たとえテューリングテストに合格してもそれは思考しているわけではないという主張である。
つまり、中国語の本が思考しているわけではなく、作業手順書も思考していない。そして閉じ込められたひとも行っていることも作業手順書に従った漢字の操作なのであるから思考とはいえない。そのためこの部屋には思考は存在しないというわけなのである。
このことを現在のコンピュータに置き換えて考えてみるともう少し分かりやすいだろう。ここにテューリングテストに合格するコンピュータがあると仮定しよう。サールが中国語の部屋で述べていることは、「このコンピュータのしていることは、演算装置の働きによりハードディスクからプログラム(ソフトウェア)に従って回答しているにすぎない」ということだ。演算装置が閉じ込められたひとに、ハードディスクが中国語の本、作業手順書がプログラムに対応している。ここでも演算装置もハードディスクもプログラムもそれ自体に注目するとそれぞれ思考しているわけではないということになる。
たしかにこの主張に納得できる気がする。それぞれ一部分に目を向ければ、思考という言葉が適用できないと思える。だが、ここにはちょっとした誤りがあるのではないだろうか。テューリングテストを受けるのは一部分ずつなのでなないということだ。中国語の部屋であれば、テューリングテストを受けるのはいうまでもなく中国語の本でも作業手順書でも閉じ込められたひとでもなく、それらすべてを含めた部屋全体なのである。部屋全体としてテューリングテストに合格するのであればその部屋に思考が認められるといえるといえるのではないだろうか。サールの主張ではニューロンに思考が認められないため、それらで構成される脳に思考がないというのに似ている。やはり、中国語の部屋も「思考」という言葉にまどわされているだろう。もともと「思考」という言葉の曖昧さを避けるためにテューリングテストを提案したのであるから、テューリングテストに合格した機械に対してふたたびその構成部分に「思考」があるかどうかを持ちだすのは意味がないのである。
思考する機械は作ることができるのであろうか。これまでにテューリングテストに合格した機械があるのだろうか。あるともないともいえる。たとえばイライザである。イライザは1966年にMITの教授ワイゼンバウムによって作られた精神分析医になりすますプログラムである。イライザは入力された文を変換して簡単な応答文を返し会話が進行するが、ワイゼンバウムはイライザは文の意味を理解しておらず思考しているわけではないという。ちなみにワイゼンバウムはAIに批判的である。
だが、イライザは一面的には特定のひととってたしかにテューリングテストに合格したのである。このワイゼンバウムとの意見の相違はテューリングテスト自体の不完全さによる。どのようなひとが質問者になるかによりその機械がテューリングテストに合格するかどうかは変わってくるのである。また機械のほうでもテューリングテストに合格するには、日常会話なら合格する機械、五分程度ならたいした齟齬もきたさずに合格する機械などと制限が加わることもあるだろう。そいう意味ではテューリングテストも万人に共通であるとはいえないのである。
ひとまずこの点はおき、ここからはAIの一つの目標である機械で人間の脳の働きを模倣することが可能かどうかをのべるにする。最初にあげた「HAL」は小説によると人間の脳の発達の仕組みを機械に真似させたと書かれているが、そのことについてテューリングは万能機械(ユニバーサルマシン)を考え「HAL」は原理的に可能であることを証明している。万能機械とは「すべての計算機(コンピュータ)は等価である」ということ、つまりどんな素材でできた計算機も十分な時間と記憶装置があれば、ほかの計算機に可能であることはその計算機でも可能であるのであるということである。具体的には、LSI(大規模集積回路)でできることは、多少形は大きくなるがIC(集積回路)でもできる。また、計算機の素材にトランジスタを用いても真空管を用いてもおなじことができるのである。さらにつきつめれば石と木のツルを使っても可能なのである。ただしもちろん、LSIよりはるかに大きく、はるかに壊れやすいであろうが。
この万能機械という考え方は人間にもあてはまる。脳というタンパク質でできている計算機は、LSIでも可能なのである。現在は機械に人間の脳における並列処理の仕組みを模倣させようとしている
第五世代の計算機を作る試みも進んでいる。
人間の脳を機械に模倣させることは可能であるといま述べた。だが、AIを否定する意見のなかには「たとえ原理的に可能であっても、実際にそれを人間が作り上げることはできない」というものもある。「AIは現代の錬金術」ともいわれているように様々な研究がなされてもまったく進歩しているのかどうかもわからない状態であるテューリングテストに本当の意味で合格する機械もまだまったくできていない。。人間の脳は何億年という進化の過程を経て生まれたものであり、人間にはそこまで長い年月をかけることはできないともいわれる。
だがそうはいってもAIは人間の手に負えないものであると証明されたわけでもない。錬金術も中世でどれほど科学者が苦心しても完成することができなかったが、それでも錬金術は原子の発見につながり化学の発展に貢献し、現在では原子をさらに分解できるようになったため別の原子から金を作ることができるようになった。AIもこの種の研究かもしれない。現在はまだ不可能でも、不可能かもしれないという疑いで研究をやめる必要はないであろう。
注釈
1968年に書かれたアーサー・C・クラークの代表作。同年スタンリー・キューブリックによる同タイトルの映画も公開されている。小説は『2010年宇宙の旅』、『2061年宇宙の旅』、『3001年宇宙の旅』と続く。
Heuristically-programmed ALgorithmic computer(発見能力をプログラムされたアルゴリズムをもつ計算機)の略。実際には、「HAL」というアルファベットの並びは60年代コンピュータ業界を一手に握っていた「IBM」のそれぞれの文字をひとつづつまえにずらすことで考えられた。
また、1952年に手塚治によって描かれた「鉄腕アトム」は2003年生まれであり、テューリングも人工知能は1950年当時あと50年もあれば完成すると考えていたようで21世紀にはAIは達成されると思われていたらしい。
火星に生物がいるかどうかでラブロックがもちいた考え方。地球は一個の有機体であり、自然と生物が共生している生命システムであるということ。地球は大気中に酸素という他の元素と結びつきやすい分子がおおく含まれて不安定であるが、火星は大気が安定しているため生物は存在しないとラブロックは主張。結局NASAはそれでも多額の資金をかけ火星に探査機をおくったがラブロックのいうとおり有機物すら見つからなかった。
1912年ロンドン生まれの数学者。ケンブリッジ大学に進み、1937年に「計算可能数についての決定問題への応用」で万能機械の理論を述べ、また万能機械では解くことのできない命題があるという停止問題を証明した。1950年には「計算機械と知性」でテューリングテストを提唱した。41歳の若さで亡くなる。
計算機の素材が真空管、トランジスタ、ICあるいはLSI、超LSIの順に第一から第四世代に対応する。第五世代計算機ではこれまでの計算機の不得意であった並列分散処理、つまり人間の脳に似せた働きを可能にしようとしている。
参考文献
『2001年宇宙の旅』 アーサー・C・クラーク著 ハヤカワ文庫
『AI人工知能のコンセプト』 西垣通著 講談社現代新書
『思考する機械コンピュータ』 ダニエル・ヒリス著 草思社
『マインズアイ』上下 ダクラス・ホフスタッター、ダニエル・デネット編著 TBSブリタニカ
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