Uti Kaari! ─エチオピアの「森」のもう一つのコーヒー文化─



【野生のコーヒーの葉でつくる「コーヒー茶」】



●コーヒーは乾燥させた豆を粉に引いてお湯に溶かしだした飲み物、といえば世界のだいたいの場所では通用する。しかし世界は広く、そういった定義の通じないところもある。アラビアコーヒーノキの原産地といわれる、西南エチオピアでの話である。

●「ウティ・カーリ!」

●焼畑と狩猟・採集の民、マジャンギル人の住む熱帯林の中で、私は毎日このことばを聞いて暮らした。マジャンギル語で「お茶(カーリ)を飲みにおいでよ」という意味だ。

●親しいその男に連れられて草葺きの小さな小屋に入ると、若者たちが焚火を囲んで世間話に興じている。男の妻が配ってくれた黒く小さな土器のコップに入っている赤黒い液体は、コーヒーの葉を煮出した「コーヒー茶」とでもいうべきものである。けれどその味はわれわれの知る茶ともコーヒーともまるで違う。コーヒーのイメージにこだわりすぎるならば、舌がしびれるほど辛いその飲み物を出されたとき、強い違和感を感じてしまうかもしれない。ところが、慣れるとこれが生きがいになる。この日もこの一杯で炎天下の焼畑調査の疲れを回復し、夕の涼風に吹かれて明日への思いをめぐらす。


●マジャンギルの人々は元来コーヒーを栽培しない。アラビアコーヒーの原産地とされる西南エチオピアおよび南スーダンの森の中には、野生のコーヒーノキが普通にみられる。彼らはそうした木がテリトリー内のどこに生えているか記憶していて、イノシシ猟や蜂蜜採集の帰りに小枝ごと摘みとってゆく。

●近年エチオピア政府経営のコーヒープランテーションが彼らの住む森の周縁部まで進出してきたが、「栽培コーヒーの葉は渋い」というのが彼らにとっての通説で、それらの葉をくすねたりすることはあまりない。

●持ち帰った葉は枝ごと束ねて焚火にかざし、パリパリになるまで乾燥させる。飲むときにそれを細かく手で砕き、丸底広口の縄文土器に水とともにいれてかまどにかけ、煮出す。

●コーヒー茶をいれるのは専ら女の役目だ。最後に木のつるで編んだ茶こしを使ってこすが、このときに調味料を加える。コーヒー茶のベースになる調味料は塩とトウガラシである。そのほか状況に応じてショウガ、バジリコ、ミント、ニンニクなどさまざまな調味料が加えられる。

●調味の原則はもちろんそのとき手元にある物を使うということが第一だが、飲むときの状況を考えて選ぶことでもある。暑い午後の清涼飲料として飲むなら、塩、トウガラシに庭に生えているミントを摘んできて加えるくらい。あっさりした味に心地よい会話のやりとりがはずむ。

●また、コーヒー茶は食事と一緒に出されるのも普通である。そんなときには、ショウガやニンニク、あるいはオクラの種からとった油をたらしたりすることもある。マジャンギルの通常の食事はヤムイモ、タロイモ、キャッサバ、トウモロコシなどを単純に水で煮たもの。これらとともに出された濃厚なコーヒー茶は、清涼飲料というよりむしろスープに近い。

●こうしたコーヒー茶の文化はマジャンギルに限らず、エチオピア西南部に割拠する一群の少数民族におおむね共通する。また、豆(つまり植物の種子の部分)ではなくコーヒーノキの果実や外皮を煮出して飲む人々も多く、古くからの利用法であるといわれる。


<焦がして砕いた葉をぐつぐつ煮る。赤黒い色をつけるために、しばしばモロコシの穂を入れる>

<塩やトウガラシ、香草などを入れた後、ストレイナーで濾す。>

<欠かせない香草、バジル Ocimum basilicum L. 家の庭先に植える。>


●今日世界に知られる焙煎法によるコーヒー文化は、エチオピアではなくイエメンあたりのアラビア地域に発したとされる。その時期は諸説あるが少なくとも一五世紀までさかのぼり、イスラムのスーフィー教団が恍惚的没我状態を達成するための修行のなかで用いたといわれる。さらに一六世紀までには、それはヨーロッパにも紹介され、各地にコーヒーハウスと呼ばれる近代市民の新しい討論の場を生み出すとともに、巨富を生み出す植民地産品として、アラブ・アフリカからインド、インドネシア、中南米へと栽培の手が広げられていったのはよく知られる話だ。

●エチオピアのコーヒー文化といえば、「コーヒー・セレモニー」として知られるエチオピア高地人のものが有名である。

●たいてい決まった時間になると、知人が近所から集まって来、彼らの目の前で優雅なエチオピア美人がうすい鉄板の上でコーヒー豆を炒る。同時に焚かれる香料の匂いとともに部屋に漂うコーヒーの香ばしさ。これが、集まった人びとをくつろがせ、親類の噂話から政治、宗教談義まで、楽しいくつろぎのひとときへ誘う。高地エチオピアに普通にみられる光景だ。だがこれらの方法は少なくとも焙煎法に関していえば前述のアラビアのコーヒー文化からの逆輸入である。もちろん、これらの方法が導入される以前にも彼らは今日の西南部の諸民族のような仕方でコーヒーを利用していたであろうと思われるのだが。

●冒頭で紹介した「ウティ・カーリ」のカーリとはコーヒー茶の意味だが、実はこれは、食事のときの誘いの言葉としても使われる。コーヒー茶を飲むときと同様、マジャンギルの社会では食事の時間というのも朝・昼・晩と決まっているわけではなくきわめて不定期なものである。可能な人が可能な時間に食事や茶を用意して、近所に振る舞う。それが自分の労働で得られた物だとしても、独り占めすることはモラルに反する。必ず仲間を招待して分けあう。マジャンギルの社会は、富の集中を拒み、たえず経済的平等へと厳格にシフトさせてゆく社会である。マジャンギルにとって「ウティ・カーリ」で始まる共食は、この平等志向社会の中心に位置し、それを日々確認する儀式のようにも思える。

●二十年前にエチオピアに社会主義政権が誕生して以来、政府はそれまで秘境と考えられてきた少数民族の居住地域にも積極的なアプローチを開始した。それは一方で学校教育や政治参加への道が開かれたことを意味するが、森のなかでつつましく暮らしてきた彼らにとって、同時に隣国をも含んだ紛争の泥沼に否応なく巻き込まれることでもあった。一九九三年には、指導的立場にあるマジャンギルの若者の多くが、エチオピア政府に敵対するスーダン人民解放軍に協力しているという嫌疑をかけられ一斉に逮捕された。百人をこえる彼らのほとんどは現在も獄中にある。

●さらに、森は政府直営のコーヒープランテーションの進出によって徐々に変貌を遂げつつある。焼畑のみならずあらゆる生活の糧を森林資源から得ている彼らにとって、森が小さくなってゆくことは財産を奪われ裸で放り出されることにひとしい。コーヒー茶とともに平等志向社会を守ってきた彼らを脅かすその急先鋒がヨーロッパからやってきたコーヒープランテーションであることは、なんとも皮肉な状況ではないだろうか?

(『別冊宝島EX東アフリカ<誘惑>読本』より)