忍頂寺文庫・小野文庫の研究について
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大阪大学大学院文学研究科共同研究「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」の公式ホームページです。
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■忍頂寺文庫・小野文庫とは
忍頂寺文庫・小野文庫とは、歌謡研究家として知られる忍頂寺務(1885~1951)旧蔵資料で、現在大阪大学附属図書館に蔵される。歌謡関係の他、洒落本・狂歌本・俳書や芝居・遊里関係が収集されており、稀覯本が多く、研究者の閲覧希望が絶えない。1871点におよぶコレクションは、近世文学研究者や芸能風俗研究者には垂涎のものだといえる。なお全点が国文学研究資料館のマイクロフィルムで閲覧可能である。また洒落本については、ほぼ全点が画像データベースとして全頁公開されている( →こちら)。
忍頂寺(にんじょうじ)務は淡路津名町志筑出身。洲本中学を卒業し、神戸の商社に勤務するかたわら、歌謡研究に励み、『上方』など多くの雑誌に成果を発表、主著『清元研究』(昭和5年)を刊行、歌謡研究や洒落本・地誌・細見などの蒐集家としても知られた。三田村鳶魚ら江戸研究者とも篤い交友関係があった。その伝記や蔵書の意義については「文学部創立五十周年記念 忍頂寺文庫特輯」(「語文」第70輯、1998年5月)所収の「1、忍頂寺務氏および忍頂寺文庫について」(福田安典執筆)や、福田安典「上方文人、忍頂寺務」(「文学」岩波書店 2000年9・10月)に詳しい。
忍頂寺文庫(1871点)は1954年3月に大阪大学が購入し、附属図書館の所蔵となった。しかし、忍頂寺務の旧蔵書はこれだけではなかった。務の御令嬢小野麗子氏(2001年御逝去)のもとに、貴重なコレクションの一部が保管されていたのである。大阪大学は小野氏の寄贈申し入れを受け、2000年6月に、一部は購入という形でこのコレクションを受け入れ小野文庫と命名した。小野文庫には、半世紀ぶりに発見された大田南畝の『会計私記』の転写本や行方不明であった洒落本『通客一杯記言』(務写本)をはじめとする和古書156点、複製本4点、歌謡研究に有益な活字本128点・雑誌60点と、歌謡研究史上貴重な務自筆稿本類73点、および頴原退蔵・尾崎久弥・中村幸彦・宮武外骨ら錚々たる人々の来簡1388通、その他70点の資料が収められ、現在忍頂寺文庫とともに文学研究科に保管されている。小野文庫については、青田寿美(責任編集)・内田宗一・大内瑞恵・太田路枝・神林尚子・佐山美佳・丹羽みさと「大阪大学附属図書館蔵小野文庫目録」(『調査研究報告』第28号、大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館調査収集事業部、2008年1月)。
■「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」について
忍頂寺文庫・小野文庫については、かねてより大阪大学文学部日本文学研究室において、同研究室卒業生などの協力のもと、目録刊行への努力がなされていたが実現には至っていなかった。筆者が2001年に赴任して後、科研など外部資金に申請することを試みたが実らなかった。
ところが2004年度に、大阪大学総合学術博物館統合資料データベースのコンテンツとして忍頂寺文庫の画像データを掲載してはどうかというお話を大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」の担当であった金水敏教授(本共同研究の共同研究員)からいただいた。COEでの「人文学データベース」の事業の一環として位置づけられるという。思わぬ助太刀で予算を得て、忍頂寺文庫の目玉のひとつである洒落本(整理番号でAのもの)の画像および書誌データを公開する運びとなった。2005年4月の「いちょう祭」ではその成果を元に洒落本の展示を行った(『平成17年度いちょう祭展示会展示目録・解説』)。
そのころに国文学研究資料館から研究連携のお誘いを受け、2005年度は準備期間であったが、実質的に始動して、同年度末には『忍頂寺文庫・小野文庫の研究』を刊行。2006年4月より正式に開始することになった。この研究連携では、忍頂寺文庫・小野文庫の書誌データの整備と目録の刊行、画像データベースの追加公開、蔵書印・書簡の研究などを目指して、国文学研究資料館と大阪大学との間で協定書が結ばれた。2010年度に一応完結の予定であり、忍頂寺文庫の目録の完成をその大きな目標に掲げている。これまでに報告書を3冊刊行している。
一方、2008年度からは、国文学研究資料館公募研究「近世風俗文化学の形成―忍頂寺務草稿および旧蔵書とその周辺―」(代表者飯倉)という3年計画の共同研究が始まった。これと密接な関係を保ちながら、本共同研究は進められてゆく予定である。
2009年3月30日 飯倉洋一記
*飯倉洋一「忍頂寺文庫・小野文庫について」(『忍頂寺文庫・小野文庫の研究』2006年3月)を改訂