―『昇平楽』翻字データ凡例― ・本文中、押印部分は〔 〕でくくり「〔印〕」として示した。 ------------------------------------------------------------------------- 昇平楽序{しやうへいらくじよ} 漁歌樵唱咸昇平{ぎよかしやうしやうみなしやうへい}を謡{うた}ひ 関{せき}の戸さヽで千里{ちさと}の末まで納{おさま}れる代{よ}は人の口などに戸は立られぬ筈{はづ} (一オ) 粤{こヽに}古きためしは孔子の親仁{おやじ}どんは春秋{しゆんじう}に人を毀誉{きよ}し初給ひ今泰平{たいへい}の時に当つて愈{いよ/\}人の口まで戸ざヽぬ御代{みよ}如何ぞ憂ふる事あらんや (一ウ) 乃若骨箱{いましこつばこ}のがたつく手相{てあい}もあらば筆{ふで}づくの出入にも及ばん (二オ) 労{たいぎ}ながら机{つくえ}の端詰{はしづめ}まで出てもらはふと白舟{しろふね}の某{なにがし}が云て居{ゐ}るといふて下{くだ}あれ 庚申のとし 跡の月晦日 (二ウ) 昇平楽叙 二柱{ふたはしら}の御神{おほヽんかみ}あなにへやと神勅{しんちよく}ありしより あなといふこと久しき世のためしとぞなれりけり 人の代となりて業平{なりひら}の朝臣{あそん}はあなめ/\と詠{よ}み (三オ) あなやといへどヽ書残し給ふより哥よむ人はあなかまとつらね 宗祗{そうき}はあなたうと丶申されぬ 穴穂浮穴{あなほうきあな}の宮/\も穴村穴生{あなむらあなう}の藁屋{わらや}もあながち求めし名にあらざりき (三ウ) 夫世に處{しよ}する穴や偉哉{おほいなり} 針{はり}の穴は天を@{のぞき}蟻{あり}の穴は堤{つヽみ}を崩{くず}す 眼@{ぞめき}は穴の明{あく}まで見とれ 蛤貝{はまぐりがい}は穴の明{あく}までお念佛申す也 豈{あに}穴をいわざらんや 乃{そこで}我等らが親仁分{おやじふん}の白舟{しろふね}先生 あなほぜり 穴を見だす癖{へき}ありて (四オ) あなた此方{こなた}のあなをしるし冊紙{さつし}に号{なづ}くるに 野銑炮{ので}の昇平楽{しやうへいらく}といふ名の謙遜辞譲{けんそんじじやう}なるによりて 若{もし}も (四ウ) あなづりかづらの足にまとはヾ腕{うで}に覚{おぼへ}の有明桜{ありあけざくら}のさく比尻押{しりおし}の喜兵衛が尓云{しかいふ}なんどヽけつかる 〔印〕〔印〕 (五オ) 四海波{しかいない}しづかなるとはおろかの事 波を俵{へう}にして古川{ふるかわ}の河岸{かせ}へ塩船{しほふね}に積登{つみのぼ}し 巌{いわほ}となりて苔{こけ}のむす石切{いしきり}は西横堀にて往来{ゆきヽ}の足に切火{きりび}打かけて清む 云も管{くだ}なる難波の繁昌{はんじやう} ごもく場{ば}から銀{かね}の生{な}る木がはゆればこそ木津難波の銀{かね}を殖{ふや}し高津新地に常舞台{じやうぶたい}が建{たち}て鼓太鼓{つヾみたいこ}の音{ね}を添乳{そへぢ}にする@児{こども}もあり 夕部{ゆふべ}の按摩殿{あんまどの}は今朝{けさ}の四枚肩{よまいがた}と変{へん}じ (五ウ) 昨日の胡蘿蔔売{にんじんうり}は弐厘五毛のあゆみより今日{けふ}は十{と}千貫目の角屋敷の主となるも惣躰北のならひ也 卍{まんじ}が辻に地蔵尊{ぢぞうそん}はましまさねど千里が竹に藪@{やぶゐ}は沢山{たくさん}なり 有馬横町に湯屋は無くても狸{たぬき}横町に八畳敷の裏{うら}かしやもおかし 稲荷{いなり}うらも三十日限{ぎり}の借屋{かしや}なれば薬師{やくし}裏も印形{いんげう}は二日にとれり みづうらに瞽者{ほうし}の住{すむ}はむべなれど (六オ) 呉服町{ごふくまち}にもみうらのなきはさすが也 狐小路{きつねしやうぢ}に白虎湯{ひやつとう}の看板{かんばん}は音{おん}の間違ひ 浮世小路{うきよせうじ}に壱分五厘むしろのなきは繁昌ゆへなり 尼出といえる化物{はけもの}もあれば白あん仕立の似せもの出来たり 柳茶ひわ茶がはやり止{や}めば出し茶がめつたにはやり出せしより 宇治に間近き淀屋小路に北の家{や}かげの土蔵{くら}の壁合{ひあい}に (六ウ) 三味線艸は犬の糞{くそ}をつらぬひて生{は}へ 駒寄{こまよせ}のがり竹は眼@{ぞめき}の犬うつ鞭{むち}に折られたり 向ひの娘が醤油買{しやうゆかい}に行くとくりはうどんやのだし入レとなりの枴振{ぼてふり}どんの鱗窓{うろこまど}は現銀見世{げんちよ}のかし傘を当たり こなたの格子{かうし}は奇麗{きれゐ}にして鉢植{はちうへ}まんりやうは十{と}千金を心で祝{しゆく}し 人並{ひとなみ}に買掛{かいがヽ}りはすれど土用干{とようぼし}とてはした事なく濡手{ぬれで}で粟田{あはた}の尾股{をまた}が焼し唐急火焼{とうきびしやう}に程赤城形{ていせきじやうがた}のふり出し (七オ) 文房{ふんぼう}うるはしく餝立{かざりたて}宗匠偶然{つくねん}として弾琴復長嘯{たんきんまたてうしやう}といふ身で欠{あくび}の涙{なみだ}を拭{のごふ}ていらるヽ処へ 頼ませう [宗匠]どなた [綾栗]ハイ綾栗{あやくり}でござります [宗]サア御通りなされ [綾]此間は御不沙汰いたしました 無拠風塵{よんどころないふうじん}の客{かく}と上京いたしました [宗]それは御羨敷嵐山{らんざん}はようござりましやう [綾]サアよい折に参りまして十分の處てござりましたが十三参詣{まいり}と雨とでま一行{ひとゆき}でござりました (七ウ) <と云ところへ 頼ましやう> [綾]どふれ [有銭]有銭{うせん}でござり升 [宗]これはよふ御出被成ました サア御上り被成ませ [綾]有銭公ずつと御御通り被成ませ [有]マア御つめ被下ませ <と> <互挨拶一順すむ> 扨綾栗子 此間は書林を御せ話でござりました [綾]なんぞ珍らしいものを持参致ましたかな (八オ) [有]絳帖{がうじやう}と淳化{じゆんくわ}の宜敷を見ました 杏花天{きやうくはてん}と平山冷燕{へいざんれゐゑん}と申ます小説物{しやうせつもの}を持て参んじました アノ玉淵と申仁もませでござりますなア [綾]手跡も達者にござります [宗]其平山冷燕といふは小説の七才子と称するものじや 上のたなは玉嬌梨{けうり}と申ものじや [有]左様でござりますが玉嬌梨は細字でよみにくうござります (八ウ) [綾]宗匠 アノ冷燕と玉嬌梨は合作{がつさく}じやげにござりますなア [宗]玉嬌梨は王元美{わうげんび}が作と申ます おそらく小説中の奇文でござります [綾]私も前廉読{まへかどよみ}ましたが 見かけてから下に得置{ゑおか}ず終夜{よもすがら}よみました [宗]十七回めから間違{まちがい}出し 後{のち}が一向妙じや 王元美ならずは迚あの位の妙文は書けぬテ [綾]艶史{ゑんし}は御覧被成ましたか (九オ) [宗]随史遺文{ずいしいぶん}と一緒{いつしよ}に見ました [有]綾栗子 宗匠方を忠臣蔵の見立た一口附が出ました 御らふじたか [綾]阿波坐の茎大{らだい}が所で見ました [宗]どふいふ事書ましたナ <此宗匠の事もわるふ云ふてある故有銭もぢ/\云かねる> [綾]トいふて先に合点{がてん}せにやと申ますに 瀧殿足のまめやと御座りました [有]なんと其許{そこもと}幇間被成ぬ歟と申に天水@とござりました (九ウ) [綾]扨此頃点者{てんじや}の角力番附が出ました [有]天満の雷後{らいご}とやらが出したと説{せつ}でござります [綾]紙鳶{しゑん}は板本{はんもと}へ頼みに往{ゐ}た@の噂 また長卜吉水なども出したなどヽいろ/\噂がごさります [宗]ハヽアヽ俳諧も将{まさ}に盡{つき}なんじや [綾]此頃出た洒落句集{しやれくしう}といふものに番附の事をわるふ書のめしました ソシテはめ句のことをわるふ云ました (十オ) [宗]そのやふなこと書者のくせに自分はめ句するものじやテ [綾]長卜と云人はやかましい宗匠しや [宗]サア一向騒動{そうどう}じやが議論{ぎろん}高きものは態{わざ}にうとしじや [有]幸竹{こうちく}と絵入{ゑいり}とが世間で三幅対のやかましやじやと申升 [綾]扨宗匠はなぜに流行{りうこう}を被成ませんと万歩とやらが申て居るげにござります (十ウ) [宗]ハヽヽヽヽ 今世間で箱{はこ}の外{そと}じやの流行{りうこう}のと水仕立{みづしたて}の吸物{すいもの}の様な句は アレハ南風{ようづ}くらふた連哥やさしのわいた和哥{わか}の上{かみ}の句めいたものじや 俳諧は俗談平話{ぞくだんへいわ}じや 昔は向上{かうじやう}の一路{ろ}に俳魂{はいこん}を遊{あそ}ばしめての俗談平話じや 今は腸{はらわた}を世情{せじやう}に迷妄{めいもう}して古雅{こが}の媚{こ}びをば言葉に尽{つく}したもので 古人もこれを艶詞{ゑんし}と笑われた 貞徳老人も季吟師も皆其時の流行に遊{あそ}ばれた故古調{こてう}とふるされしが (十一オ) 貞室不易に安んじて居られた故正風の紀原{きげん}じやの句者{くしや}じやのと云はれたれど 必竟一時{ひつけういちじ}の流行と不易の場と一歩千里{いつほせんり}のたがひと申物でござる 貞徳翁や季吟師は俳中{はいちう}の聖{せい}じや 貞室なんぞ上に立ん事容易{たやす}からんや 然ども貞室は其比流行にもれて短{みじか}ふ笑はれて後々千歳{ごヾせんざい}ながふ誉{ほめ}らるヽのじや (十一ウ) [有]然らば流行は不好{よからぬ}事でこさりますかな [宗]イヤ/\流行は不易の用{よう}じや 今の流行といふは根{ね}が東華{とうくわ}が筆鋒{ひつほう}に駆{かり}立られ東華が流行に酔{ゑわ}された餘臭{よしう}が他流{たりう}までうつつた 其證據{しやうこ}は美濃{みの}のぬめりと笑たがそこらだらけがぬめりになつて来た また貞徳翁や立圃{りうほ}季吟子などを皆が軽{かろ}んずるよふになつたは 東華が己{おのれ}一門戸{もんこ}をはらんと古今抄{ここんしやう}に花咲翁{はなさきわう}を寇仇{こうしう}のごとく書のめした故 (十二オ) みな後人{こうじん}が是{ぜ}とした貞室をわるふいはなんだは吉野ヽ花は貞室に見ふるされと芭蕉{はせを}翁の口号{くちすさみ}によりて遠慮した それゆへなんじや 貞室が吉野ヽ吟{きん}は訳{わけ}なしにみなが合点ゆかぬなりに誉{ほめ}ているのじや 其貞徳翁を寇仇{こうしう}の様にさみした東華の古今抄に大廻{まは}しのことを一向埒{らち}もない事書おつた [綾]訳がないとはどふ訳がござりません (十二ウ) [宗]大廻といふは全躰宗祗の勅答{ちよくとう}と肖柏{しやうはく}の勅答{ちよくとう}と二流に分{わか}れて訳の有事 東花は一向知らなんだ これは重而御傳受{ごでんしゆ}いたそふ 高で談林{たんりん}も一時の流行 椎本水間惣本寺{しゐもとみつまそうほんじ}などもみな一時の流行じや 半時@で思ふてごらふじ 而{しか}も其人々は皆{みな}人傑{じんけつ}にして俳中の龍{りやう}どもじや それさへ不流行になつて時に合はぬ (十三オ) 爰に涯有命{かきりあるいのち}を以限{かきり}なき世に残る句を吐{はい}て今暫くの流行に誉{ほめ}られ永{なが}く不易に笑れ給ふな [綾]今短ふ笑はれて後々永ふほめられいとはどふやら落しもせぬ空{から}だのもしの掛戻{かけもど}しする様なものでござります 其また不易の場{ば}に居{ゐ}ても句が下手{へた}なら後世も笑はれ今も笑はれる 損{そん}な不易でござり升 [宗]芭蕉翁も句の出来不出来は其時の仕合と不仕合によると申された (十三ウ) 夫風雅の道{みち}じや 雅{が}は正也{せいなり}と爾雅{じが}にもござる 正{たヾ}しからば自門他流{しもんたりう}の分ちもござらねば流行は不易の用{よう}といふ処を御修行{こしゆげう}被成い [有]然らば今の流行も不流行になりますか [宗]夏殷{かいん}の礼{れい}による損益{そんゑき}する處を知るときは百世{ひやくせ}も知るべしこと被仰た [有]宗匠はとかく聖語{せいご}を被仰ますが学文せねば俳諧は出来ませんかな (十四オ) [宗]さやふでもなけど宗匠は宗匠の俳諧又士農工商{しのうこうしやう}みなそれ/\の俳諧でござればソウ狭{せま}ひものでない 併{しかし}ながら俳諧は俗談平話{ぞくだんへいわ}を糺{たヾ}さんが為也{ためなり}と云伝{いヽつたへ}たれば何{なに}を規矩{きく}に糺されます 学{まな}ばずしてはいけん道{みち}じや 全躰文墨{ぶんぼく}の風雅{ふうが}じやもの 此間も聞ますれは 平仄{けうそく}とは灯折{ともしびおり}を嫌{きら}ひ 韻字{いんじ}は五月の季{き} 二四不同は石不動{いしふどう}の横通{わうつう}で 釈教下三連{しやくけうあさんれん}は手打{てうち}でござれば 十一月の部{ぶ}と思はれますと申されたれば (十四ウ) 連中も相応な挨拶で 天{てん}と天竺{てんぢく}はわかりましたが菽麦{しゆくばく}がちと分り兼{かね}ますといわれたましたとサ [綾]時ニ宗匠は流行はさつぱり御きらひかな [宗]先進於禮楽野人{せんしんのれいがくにおけるややじんなり} その野人{やじん}に従{したが}はんと夫子{ふうし}は被仰た 不易の野人{やじん}が却{かへつて}君子{くんし}でござる 然し又吉野ヽ花は幾度{いくたび}も雲{くも}と雪{ゆき}とに見立{みたて} 竜田{たつた}の紅葉をいつでも錦{にしき}に詠{なか}めて (十五オ) 手尓葉{てには}をもつて心を新らしうせよとは誰も知つた事ながら それは上手{じやうず}の手妻{てづま}といふ物じや <などヽいふてゐる所へ 勝手より手づくねの盃台に友次の一ツ盃三ばい酢のらつきよ四八のいためざしよめなのはり/\などいけぬ不性盆に見田仕入の春暁の粟田やきとくり> [宗]サアひとつ御上り被成 [二人]<まづとしばらく宴有て香物ばかりの巻すしに景物に取たむぐらの吸物椀にすましあさり貝> [有]ヤこれは御馳走{ごちそう}被仰付ます <トふたとり> 御珍らしい御吸物でござります [綾]左野の呂州{ろしう}子からもらひました (十五ウ) <いづれも少しよいがまはる> [有]去年南で旅雁{りよがん}といふ人に出合ましたが咄しに申されましたは 瓢卜{てうぼく}子の方へ月次に参りましたが会席{くわいせき}へ宗匠の妾{てかけ}が出て来てりん気げんくわ 内{うち}のてかけが逃{にげ}るやら外{そと}の妾{てかけ}が丼鉢{どんぶり}を宗匠にあてるやらけしからぬ大騒動{そうどう}でござりましたが 旅雁{りよかん}が挨拶して済{すま}したと申されました [宗]全躰不覚悟{ふかくご}ジヤ 弐人まで痩馬{やせむま}に荷{に}が過{すぎ}るから一妻怒{いつさいおこ}れば二妻怒{さいおこ}るじや (十六オ) [綾]はんくわいに習{なら}ふて月の門破{やぶり}とは略花{りやくくわ}が瀧殿破門{たきどのはもん}の句じやげにござります [宗]先日も魯若{ろじやく}に逢ましたら 薬師坊{やくしばう}とやらいふ宗匠が魯若が処{ところ}へ往{ゐ}て弟子になれといふて勧{すヽめ}ましたれば 魯若が申ますには弟子になつて物を教{おしへ}いでも弟子にして教{おし}ゆる故足下{そこ}の世話にはならぬと申たとサ [有]京へ往{ゆき}ました羅{ら}印はおもしろい気性{きしやう}な人でござります (十六ウ) [綾]承知/\ 真{しん}の風狂{ふうけう} [宗]しかしあんまり放蕩{ほうとう}で訳{わけ}がない [有]先日重国{おもくに}子が長卜{てうぼく}子と南の淵宗{つちそう}へゆかれましたが 長卜子が遅咲伏見{おそさきふしみ}之助となり綱渡{つなわた}りの曲{きよく}ヱライ勤{つとめ}めたものじやとの噂{うわさ}でござります [綾]血虚{けつきよ}が亡命{ばうめい}の跡{あと}へ盆{ぼん}の月居らぬ尻の流れかなとはり紙をしたは阿波の鳴戸が作じやつたげにござります [有]血虚は死去{しきよ}せられましたかな [宗]イヤ欠落{かけおち}を亡命{ばうめう}と云ます (十七オ) [有]渭流{ゐりう}が瀧壷{たきつぼ}@往{ゐ}かれまして似{に}たりの紅葉とは一向{いつかう}わる口でござりました [宗]サヨサ またアノ親仁も骨童局{こつどうきよく}も久しいものじや [綾]徳若集{とくわかしう}の序{じよ}は餘り若輩{じやくはい}な [有]はるなれや替句{かへく}中よき印桃左裡{いんとうさり}といふ句を聞ましたが替句とはなんでござります <といふとき知れた事ながら宗匠言かねる> [綾]俳諧師ほどよふわる口云ものはない [有]茶人{ちやじん}よりましであろ (十七ウ) [宗]茶人より俳人の方が罪{つみ}がない [古]古徳{ふるとく}でござります [宗]おそふ来なア 最{も}ふ暮{くれ}るであろかの [有]古徳 間{ふるとくあい}頼まうか [古]私は不調法にござります [有]ふるとく らつ゜きよはいけるか [古]ハイ/\ 好物{こうぶつ}でござりますが能{よ}う欠落{かけおち}しそふナ [綾]こちらの丼{どんぶり}鉢は瓢単引{たんびき}の海老{ゑび}ざこしやが新しい [古]しかしこふ申しやいかヾでござりますが くしや/\とあらこもに裸{はだか}で寝{ね}る様な御肴でござります (十八オ) [有]ヱヽつべこべとふる徳も江帥{かうそつ}なものじや [綾]旧冬{きうとう} 馬のすり物貴様虫づよふくばり歩行{あるい}たか [古]イヱ/\ 私じやござりません [宗]其芝居{しばゐ}の馬の摺物とはどれから出ました [綾]去ル小供衆連中から出ました 異藤{ゐとう}子一件喰{くひ}のめしのすり物でござりました [宗]それはよからぬ事の [綾]追加{ついか}の句もみへました [宗]ハヽヽヽヽヽ 昔は批言{ひげん}の書を家/\に著述{ちよつじゆつ}致と直{ずく}に返答再返答{へんとうさいへんとう}など出しました事は夥敷{おびたヽしい}事でござつた (十八ウ) 享保已前{けうほういぜん}の書籍目録{しよじやくもくろく}ごらうじ蔭弁慶{かげべんけい}で無ひよふに書{しよ}を顕{あら}はして毀誉{きよ}した事はござれど 摺物でくふ様な未煉{みれん}な事は無ひ圖{づ}さ [綾]それもなんぞ遺恨{ゐこん}でも有らばでござりますが 其中についに出合ぬ人が句を出して毀{くう}て居ます [有]其すり物僕{ぼく}は見ませなんだ [綾]六人を六人が哥仙{かせん}の表{おもて}六句でくいました (十九オ) [有]其時分寒天@{かんてんあん}が獨吟{どくぎん}万句の抜萃{ばつすい}の絵馬{ゑま}を上られましたなア [綾]サア 社中大勢つれていなりへ納に往しなの道で逢{あい}ましたが 寒天@が鬼{おに}が嶽{だけ}といふ皃{かほ}で往きましたがつよそふな皃じや [宗]つよいはづじや 姫路革{ひめしかわ}の紋{もん}がらといふ徳用向{とくようむき}な白じや 又一昼夜{ちうや}十二時に一万三千五百息{いき}の呼吸{こきう}に食{めし}としヽはヾ引て万句もつよひ [有]万力坊も沙汰がござりませんな (十九ウ) [綾]全躰鄙人{ひなびと}で浪花{なには}の水に合はぬのさ [有]夢中@はどふじや 屋白ひと云句を聞た事が無ひ チトよりが戻{もどり}りましたのかナ [綾]天窓{あたま}から掛{かヽ}らぬ縷{より}が戻らふ筈もなし <と十方旦那のふる徳聞かねていにかける> [古]モウ御暇申ませう [有]これ古とく 雅友子{がゆうし}の處で咄会{はなしくわい}の席{せき}はどこじや 聞てもらはふ [古]畏{かしこ}まりました [綾]ふる徳 非雅市{ひがいち}のさらへ講{かう}に貴様京鹿子{けうがのこ}弾{ひい}たな 一向のヱラみづかきじやと云説{せつ}じや (廿オ) [古]よふおだて被成ます <といぬ@> [有]順評{じゆんへう}の奉燈{ほうとう}に切字{きれし}の無い句もあり また切字の弐ツも三ツもある句が見へます [綾]切字{きれじ}が三ツ有てそれは仕合じやナア 申宗匠 もしも切ぢで無ふて穴@{あなぢ}が三ツ有つたらきつふむつかしうて療治{れうぢ}がなるまい [有]それに付て脱肛{だつこう}子は古ひ句をかまはず取るといふ能い仕似{しにせ}でござりますなア [宗]猟{れう}は鳥{とり}が教{おしへ}て破滅{はめ}句がはやる柳下{りうか}は不恭{うや/\しからす}と孟子{もうし}の被仰た場でぬめたと云ものじや (廿ウ) 其気ならば社中の外点{てん}せぬがよい [綾]ハヽア社中の外は出入{でいり}を止{とヾめ}じやナ ハ々々 [有]方江丸は八旬に餘つて達者な{う}手跡じや [綾]手ばかりしやない 足もなにも達者た [有]破逸{はいつ}もやつはり旅芝居働{たびしばいはたらい}て居られますなア [綾]近年出た銀持{かねもち}の福人{ふくじん}角力の対{つい}に俳諧師の貧乏人{びんぼにん}角力はおかしひ事をしたが 其八枚とやら入られ腕{うで}さすつて居るも拙ひひくい気じや (廿一オ) [宗]俳人は惣躰まづ世事{せじ}が上手{じやうず}なか我慢{がまん}なか足{あし}と筆{ふで}とがまめでなければうれぬテ [綾]扨今は素人{しろと}がけつかのことむつかしいと世間で申ます [宗]それは銭{ぜに}づくの大名芸{たいめうげい}で御坐{おざ}へは出せぬ素人{しろと}浄留理の格{かく}で勝手{かつて}づくな箱{はこ}はよけれど黒人{くろと}の様に勤{つとめ}てはいけぬものじやテ [綾]宗匠方もちんこ芝居のやふになりましたなア [宗]ソレモ俳諧の素人芝居がはづむにつれてじや (廿一ウ) [有]扨琵琶{びわ}ほどゆすりなものはござりますまいな [綾]けれどこいつむつかしいやつて由慶{ゆうけい}がゆすつた連琴{れんきん}と訳{わけ}が違{ちが}ふて別世界{べつせかい}じや 俗{ぞく}おどしの天上{てんじやう}とは俳諧ほど間口の広{ひろ}いものはござりますまい [宗]そのはづ/\ 御傘{ぎよさん}をよんでごらうじどびやかしの大玉{おほたま}は花咲{はなさき}翁じや 大分の山師{やまし}さ それゆへ自然{しぜん}はいかゐのゆすりは明心居士{めいしんこじ}の餘臭{よしう}じや (大尾オ) [有]柳塘漠々{りうとうばく/\}たる春宵{しゆんしやう} 宗匠も御出浮{でうき}被成ませんか [宗]サレハ即点{そくてん}が二三巻がござりますが [綾]朱提三戔{しゆでいさんせん}それ捨{すて}めやと云場{ば}を 今宵{こよゐ}は茶に被成ませ [宗]それもそふか と何んでも呑{のみ}込む宗匠の大原や蝶も出て舞ふ朧月 昇平楽終 (大尾ウ) ------------------------------------------------------------- 注) *@について 四オ2   @=めへん×見 四オ3   @=めへん×票 五ウ8   @=月×亥 六オ5   @=医×殳×巫 七オ2   @=めへん×票 九ウ8   判読できず 十オ4   欠損により判読できず 十三オ6  判読できず 十七ウ1  判読できず 十九ウ1  判読できず 十九ウ4  判読できず 廿オ2   判読できず 廿ウ1左  欠損(?)のため判読できず 廿ウ5   印刷不鮮明 「痔」か? 「やまいだれ×にんべん×寺」? *洒落本大成本文との異同 十四オ7  知るべしこと被仰た _ 知るべしと被仰た 大成p. 69 l. 1下段 十五オ4  いわれたました   _ いわれました   大成p. 69 l. 10下段十九オ1  直{ずく}に    _ 直{すぐ}に   大成p. 71 l. 6上段 二十一オ3 達者な{う}    _ 達者な      大成p. 71 l. 17下段