―『北華通情』翻字データ凡例― ・本文中、押印部分は〔 〕でくくり「〔印〕」として示した。 ------------------------------------------------------------------------- 北華通情序{ホククハツウシヤウシヨ} 華街{サト}の流行{リウカウ}は朝暮{テウボ}に移{ウツ}り易{カハ}りて。歳月{セイゲツ}をもて観{ミ}べきにあらず。 この通情{ツウシヤウ}は今日{ケフ}の通情{ツウシヤウ}にして。翌{アス}の流行{リウカウ}に魁{サキガケ}せるものなり。 昨{キノフ}の新語{シンゴ}は今日{ケフ}の旧語{フルコト}。 (一オ) 夕{ユフベ}の口舌{クゼツ}は晨{アシタ}のきぬ/゛\。 明{アス}の約束{ヤクソク}宵{ヨヒ}の変替{ヘンガヘ}まで。 これみな今日{ケフ}は銭{ゼニ}にして昨{キノフ}の黄{キ}なる事を覚{オボ}ゆるの謂{イヽ}ならん。 穴賢{アナカシコ}。 世{ヨ}の狗賓客{クヒンカク}。鼻{ハナ}を低{ヒク}ふして今日{ケフ}の流行{リウカウ}を察{ミ}よ。 (一ウ) 然{シカ}らばこの通情{ツウシヤウ}の中{アタ}らんこと。かの北向{キタムキ}の鰒{フグ}に比{ヒト}しかるべし。 閼逢摂提格後暢月{キノエトラノトシウルフシモツキ}既望{ジウロクニチ} 大江漁人書{タイカウギヨジンシヨス} (二オ) 挿絵 (二ウ) 挿絵 (三オ) 挿絵 (三ウ) 北華通情{ほくくはつうしやう} 大江{たいかう}の陰{きた}に小流{せうりう}あり。 あのいたいけな貝殻{かいがら}に。一杯{いつぱい}もなき蜆川{しヾみがは}といふ。 西漸透逸{せいぜんいだ}として鐓{つりばり}の如く。列楼{れつらう}流{ながれ}に臨{のぞん}で倶{とも}に曲{まが}れり。 故{ゆへ}に後朝{かうてう}の客{きやく}。遙{はるか}に顧{かへりみ}て眷々{けん/\}として去{さ}り心磁石{こヽろじしやく}のやうに北{きた}を指{ゆびさし}て不@{やまず}。 そも。顧眄{みかへり}の橋{はし}と呼{よ}ぶは。東西の半{なかば}に渡{わた}る樋{ひ}の橋{はし}。 昼夜{ちうや}駒下駄{こまげた}の音高{おとたか}く。 往来{をうらい}は櫛{くし}の刃{は}をひく髪結床{かみゆひとこ}。 招幔{のうれん}を戦{そよ}ぐ春風{はるかせ}の融々{うらヽか}なる空{そら}に。河佐楼{らう}の三階{さんがい}にひく三線{さみせん}。 (一オ) 唱哥{さうが}の声{こゑ}彩霞{さいか}に散{さん}じ。笑語雲外{せうごくもほか}に喚{さけ}ふ。 三丸館{みまるや}の玄関閉{げんくはんとづ}る日なく。 丸新の裏座敷{うらざしき}。 菜花{なたね}芬々{ふん/\}として。 密坐{ゐながら}野遊{のがけ}の眺望{ながめ}あり一町目の播源。 南涯{むかひがは}の住治といへば送迎{むかひ}の道{みち}の遠{とほ}きに回漢{まはし}は謚{つぶや}く。 伊丹屋の長家{ながや}にひろがる華善。 狭路{ろぢ}の出入に犬糞{けんふん}をこまるよりは浜側{はまがは}の棟高{ものほし}の危{あぶなき}をおそる。 大吉の二階{にかい}。 薬師堂{やくしだう}を眼下{がんか}に見。河久の大座敷。 裏街{うらまち}の人声{ひとこへ}を聞く。 大半の粧閣{みじまひべや}。格子{かうし}の簾{すだれ}は桜橋{さくらはし}の行人{かうじん}を睨{すか}し藤伍伊丹八十{ふちこいたやそ}は西妓館{にしわき}の並閥{かどなみ}を遯{のが}れず。 (一ウ) 二軒{けん}の河庄。 東のいれ河利たるより丸伊忽{たちまち}鯛喜と変{へん}ず。 岸本屋の十一丸。 河忠の生蝋燭{せうらうそく}。 豊与{てしよ}に柴崎{しばさき}といふ雅名{がめい}あり。 豊太に板行{はんかう}文七の古名{こめい}あり。 東西{とうざい}の太壺店{たいこみせ}にむかしより連名{ながき}の招燈{あんだう}を出 さず。 これや廓崎陽{なかみなみ}にまさりたる高情{かうじやう}。 げにも北のたいこと古歌{こか}にうたひしぞゆかし住辰に若虎{わかとら}。 山助に業平{なりひら}。 男をたてがねして亭主{ていしゆ}に持て居{ゐ}る妓館{おきや}あれば青楼{ちやヽ}に世話{せは}やかれといふ客あり泉平の八重{やへ}太夫。 (ニオ) 京半の梅太夫黄泉{くはうせん}に逝{さつ}て。津ノ嘉の岡太夫東都{とうと}に名を成{な}す弥太夫の紙屋いつ吉の三線{さみせん}。 戎此{ゑびこの}が浄瑠理{じゃうるり}は五百篠{いをしの}の色事に名高く壁{かべ}弥篤実{とくじつ}になれどニハカの社中{たに}を漏{もれ}ず壱町目にぽへん店出て。二町目に香嚢{にほひふくろ}の風薫{かぜかほ}る堂島橋{しヾみはし}の燈籠{たうらう}。 曾根崎橋{そねさきはし}の螢{ほたる}。若村屋{わかむらや}の秋{あき}の夕{ゆふべ}は虫店{むしみせ}のちん/\の声三弦{さみ}に接{まじは}り薬利{やくり}の冬の日は顔見世{かほみせ}の桟敷割{さんじきわり}に店{みせ}をふさぐ。 (二ウ) お六すき櫛{くし}。 いろは紅粉{べに}。 川合の茶巾{ちやきん}。 阿波善の鰻{うなぎ}。 高麗蕎麦{かうらいそば}代八分 春日野{かすがの}は四十八文。 綿富に手取{てとり}の料理{りやうり}すれは。蒸湯{むしゆ}には人間{にんげん}の風呂吹{ふろふき}をなす。 温六{うんろく}の休日{きうじつ}。 温飩{うんどん}は箸{はし}よりふとうして白く。因幡{いなば}の餡餅{あんもち}は粧閤{みじまひべや}の買{かい}ぐひにはやる。 肥前屋のはなれ座敷。 紅葉菴{もみぢあん}の亭坐敷{ちんさしき}。 大任{だいにん}の麦飯{むきめし}て恋{こい}つれば。本庄{ほんじやう}に鳥{とり}なきさとの螯汁{はまぐりじる}あり。 中山の無縁経{むゑんぎやう}野崎参{のさきまい}りの船催{ふなもよい}十六日の妙見{めうけん}さんも。実{じつ}はといへば信心{しん/゛\}にあらず。 (三オ) かの高{たか}い舟借{ふねかつ}て。やすひ小魚釣{はぜつり}に行か如し。 春夏{はるなつ}の陽気{やうき}うは気よりいつしか。秋来ぬと目にはねつから見へねとも一声{いつせい}の躍太鼓{おどりたいこ}に音{おと}つれ浜{はま}の寺{てら}の高燈籠{たかたうらう}はものほしの宴{さはぎ}を照{てら}し。梅田{むめだ}の回向鉦{ゑかうがね}は新地三町恋無常{しんちさんてうこひむじやう}を告{つげ}る。 源氏香尽{げんしかうつく}しの揃{そろへ}の挑燈{てうちん}。 三丁目の貝尽{かいつく}し。 こよひの躍{おとり}は中街{なかまち}にありて。仲居{なかゐ}はかこつけて八兵衛に出会{であひ}。 小婢{こめろ}は客{きやく}にせがんで緋緬{いたじめ}の手拭{てぬぐひ}でしやれる夜{よ}すからの恩音頭{ぞめきおんど}。 (三ウ) 飯焚{めしたき}胸{むね}にこたへて目もあはず やう/\三番{さんば}の萩散{はぎちり}て。住佐の菊{きく}も霜凋{しもかれ}て。桜橋に蠣船係{かきふねつな}ぐころ。一丁目に手打の挑灯{てうちん}風に寒{さむ}し。 幾竹屋{いくたけや}の岸岐{がんぎ}ににほふ茶目利のすつぽんならねとも恋の甘味{うまみ}も。色の嘗{あぢはひ}も。冬こそしみ/゛\と身にしみて。夏のうは気でちよつと出来た色事も。露結{つゆむす}んで霜となる。 こほるふすまの長{なか}の夜{よ}の。逢{あは}ぬつらさに思ひのいや増{まさ}るそいのちなれ。 (四オ) されば朝迎{あさむか}ひの遅{おそ}ひのと。花のきまりのゆるかせなるとは遊客{ゆうきやく}のかすり歌。居続{ゐつヾ}けの朝込{あさこみ}に昼仕舞{ひるしまひ}をかきる。 広嶋屋に酒樽{さかたる}洗{あら}ふころ。反吐{へど}ならぬ菜肆{やをや}の荷{に}ゆきちかひ。粂長さかいなんどの肴荷競{さかなにきをひ}て走{わし}る。 花帖{かよひ}あつめる回漢{まはしおとこ}。指紙配{さしがみくば}るかり子。花つめにありくたいこ店。芥塵{こもく}捨{すつ}る番太郎{ばんたらう}。灰吹{はいふき}あらふ乞食{こしき}。燭台{しよくだい}の紙{かみ}くずは口紅粉{くちべに}ついて赤{あか}く。角箸{かくばし}楊枝{やうじ}は笊籬{ゐかき}に入て日南{ひなた}にあり。 河伊津の利の呉服{ごふく}荷{に}おもそふに。大丸の童僕{でつち}木長あたりに休{やす}む。 (四ウ) のりイと呼{よ}ぶ女の商人{あきんど}。 あわヱィの岩おこし神の棚卸{たなおろし}に自作{じさく}のはらひ給へは六斎{ろくさい}に廻{まは}り。編笠{あみがさ}のなアもヲは懐手{ふところで}をしにせけり。 ヲヽこわの六兵衛は狐{きつね}の子。 仏{ほとけ}の慈悲{じひ}は八百屋坊主{ぼうづ}。 染組登仙{そめくみたうせん}すれど筑州{ちくしう}の清吉いまだ徘徊{はいくはい}す。 背{せ}の低{ひく}い友入道{ともにうだう}。 物真似{ものまね}する恵林法師{ゑりんほうし}。 鍼医{はりゐ}といふ周雅{しうが}は浄瑠理{じやうるり}に耽{ふけ}り。 尺八で名高き吸管{きうくはん}は医道{ゐだう}に凝{こ}る。 大万か噺{はなし}。柳巴{りうは}が躍樋{おどりひ}の上紅屋{へにや}新平{しんへい}香{かう}。 (五オ) 勧学屋錦袋円{くはんがくやきんたいゑん}。 岩永晩景{いはながばんけい}。 大芝{おおしば}が乗駕{のりもの}。 奴{やつこ}のやうな桶{おけ}屋の賃安{ちんやす}。 外科{げくは}めいた稽古{けいこ}屋のおきんさん。 おそのさんおやすさんてふ髪結{かみゆひ}は弟子{でし}つれてのヽめき。要助{ようすけ}が破{やぶ}れた腰嚢{ひとつさげ}には入口{いりぐち}の鍵{かぎ}をかくす。 天満屋福田{ふくだ}屋の町使{まわり}おとなひて。丸安徳嶋屋の香具荷{かうぐに}溝側{みぞがは}にならび。大黒{こく}湯{ゆ}に芸妓{けいこ}のいりつどふころ相撲取{すまふとり}の巽上{たつみあが}りは児童{こども}のほたへるが如く平善の長風呂{なかふろ}に浄湯{かヽりゆ}がおほひとて奴僕{おとこ}は私罵{ぼやく}。 (五ウ) 紅粉買{べにかひ}に行黒歯{おはぐろ}貰{もらひ}。巻紙{まきかみ}かふて来た洗楾婢{はんぞうあらひ}。約束{やくそく}の妓婦{おやま}の宿屋{やどや}入蓮歩徐々{いりれんぼじよ/\}として観者{みるもの}腸{はらはた}を索{まと}ひ回漢{まはし}がかたげた包{つヽみ}には。あの佩環{はいくわん}の解{とか}んことを思ふ日もはや西山{せいざん}に遠近{おちこち}の客{きやく}の。衣紋{えもん}整{つくつ}て趨{あしはや}にゆけば両側{りやうかは}の格子{かうし}には常衣{うちき}の妓婦{おやま}。粧{けはひ}凝{かざり}て外面{そとも}をのぞく。泉理{せんり}の鮓{すし}。 大吉に荷{に}を預{あつ}け。ゑらの蒲鉾{かまぼこ}黄昏{ひのくれ}をたかへす既{すで}に軒燈粲々{けんきさん/\}として煥{かヽや}けは。紙正の達筆{たつひつ}かけあんだうにあかるく。東西{とうざい}の温薬{あたヽめくすり}。 杉田{すきた}のさんせんさんごは法花{ほっけ}の十三塔{たう}の如{ごと}く松田の目印{めじるし}は口上書叮嚀{かうじやうかきていねい}なり津の嘉三梅の女筆{によひつ}。 (六オ) 鍵{かぎ}仲の陶斎流{たうさいりう}は大半が手跡{しゆせき}なるべく。灘住{なだすみ}の千倉{ちくら}やうは鮓{すし}による酒屋ならん。 若徳に可亭{かてい}の骨肉{こつにく}をゆすれば播さとは玉淵{ぎよくゑん}が風{かさ}かいだのを見しらす喜見城門夜色闌{きげんじやうもんやしよくらん}にして二階{にかい}に騒{さは}ぐ高調糸{たかてうし}。 牽頭子{たいこもち}の戯劇{しばい}はむかひの軒{のき}に群聚{ひとたち}をさせ。長岡雛都{なかをかひないち}の手事{てこと}には往来{わうらい}の足{あし}を駐{とヾ}む送{おく}られてゆくおやま。 花から戻{もど}るげいこ。 (六ウ) 圧売{つけこみ}にまはるたゐこもち。 指込{さしこみ}にありくまはしおとこ。 河平にかなくそといへるかり子{こ}あれば。おきよどんと呼{よば}れる古婢{ばヽ}もあり。 倉邸{くらやしき}の新五左{しんござ}。 箱提灯{はこてうちん}に先を払{はらは}せ。忽行{ぞめき}ほうかふりして飯焚{ほさつ}をねらふ。 大三かぎやの夜叫温飩{よなきうどん}。 ふり売{うり}の茶碗{ちやわん}むし。 善哉{せんざい}正月やなら茶めし。 西田屋の京飛脚喚{きやうひきやくさけん}で。髭{ひげ}の長い按摩玉笛{あんまぎよくてき}を発{はつ}す。 蛸{たこ}あがれの新菓子{しんくはし}。 六町目の醴酒{あまさけ}或{あるひ}はそれ梅花心易墨色{ばいくはしんゑきすみいろ}の考{かんかへ}。 総{すべ}て街上{けいしやう}に鬻{ひさ}ぐものゝ声{こへ}厳冬{げんたう}に逼{せま}る。 七オ 今夜{こんや}は何所{どこ}も贍{にぎやか}なと回漢{まわしおとこ}のあきなひはなし。 呼{よび}ものかと問{と}へば。イヽヱ駕籠{かご}いひに行{ゆく}と小婢{こめろ}は答{こと}ふ。 客{きやく}を送{おくる}る仲居{なかゐ}はモシおありがたふ。 愛郎{いろ}を往{いな}す芸子{げいこ}はそんならヱとぬれたり。 青楼{せいらう}時{とき}をしらずといへども大黒湯{だいこくゆ}の招燈{あんだう}はむかひかはの四ッを限{かぎ}り。風呂{ふろ}流{なが}す音{おと}川水{かはみづ}にさへ橋渡{はしわた}る人影{かげ}のやヽ更行{ふけゆく}けしきは。色{いろ}と情{なさけ}の真昼{まつひる}にて。揚先{あげさき}しまふたおやまの貸{かし}にゆくなどしれた手管{てくだ}も先{まづ}にくからぬものなれ。 (七ウ) すてに三更{さんかう}の拍子木{ひやうしぎ}チヨン/\/\のひやうし幕。 西のかたあんだうまばらにしてくらく。 舞台一面{ぶたいいちめん}にげい子{こ}の戻{もと}り足{あし}。 鼻歌{はなうた}の声{こえ}は客{きやく}の耳{みヽ}に残{のこ}し下駄{げた}の響{ひヾき}には恋{こい}まつ人の腸{はらわた}を断{たつ}。 あるは溝{みぞ}またげて犬悦{けんゑつ}する客{きやく}。 かたへには送{おく}りの男{おとこ}鼻{はな}つまんで立{たて}り。 祗園{ぎおん}めいたちいさい提灯{てうちん}に素婦{まち}めいた本新妓{ほんしろと}を送{おく}れば。樽{たる}さげた小婢{こめろ}酒{さか}屋の戸{と}を邦{たヽ}く誰{たそ}や手{て}をひいたふたり連{つれ}なにか囁{さヽやい}て横町{よこまち}へひそむ。 ゆきちがふて来{く}る駕籠{かご}の提灯{てうちん}ギイ/\の音{おと}に今{いま}まではなやかなりし家々{いゑ/\}の火{ひ}かげもなくなり。 八オ いつでもおそふひく西店{にしみせ}のあんだうも。夜叫{よなき}の焚火{たきび}もみなきへ/\て。会所{くわいじよ}のありあけ自身番{じしんばん}に残{のこ}り。駕籠所{かごどころ}のともしび風{かぜ}にちらめく。 そこの二階{にかい}に空積{にせしやく}を起{おこ}すおやまあり。 かしこの座敷{ざしき}にそら涙{なみだ}をこぼす芸妓{げいこ}あり。 口舌{くせつ}にさはき。 契話{ちわ}にしづまる閨中{けいちう}のさまも。 青燈耿{せいたうかう}として宵{よい}の燭台{しよくだい}に似{に}ず床{とこ}の間{ま}の花生{はないけ}一輪{りん}の椿{つばき}ころりと落{おち}。弦捨三線{ひきすてさみせん}。いとひとりでに断{きれ}る。 (八ウ) 屏風{べうぶ}に画{ゑがけ}る西王母{せいわうぼ}もほつしりと淋{さび}しそふなるに。釣鐘町{つりがねてう}の時鐘{ときがね}かすかに聞{きこ}へて翌{あす}の雨気{あまけ}を思{おも}ひ。沖{おき}の鳴音{なるおと}には風{かぜ}の烈{はげ}しきをおそる。 夢{ゆめ}結{むす}ぶまくら。みだれ髪{かみ}顔{かほ}にあたりてつめたくかけ香{かう}の薫{かほり}は隣座敷{となりざしき}の鼾{いびき}よりも高{たか}し。 起番{おきばん}の仲居{なかゐ}眠{ゐねふり}かちにして。廚台{いたもと}に鼠皿{ねづみさら}を落{おと}し。井戸{ゐど}に釣瓶{つるべ}の水漏{みづもり}て索輪{くるまき}おのつからぐはら/\と鳴{な}る。 小便{せうべん}にたつ客廊下{らうか}をとヽろけは水筧{かけひ}にあらぬ竹筒の音。ちりヽんひヾく鈴{りん}の音。割竹{わりたけ}の音。鳴子{なるこ}の音。犬の吼声{なくこへ}。猫{ねこ}の声。 (九オ) 溝石{みぞいし}からりと。息杖{いきつへ}に。かごまいりましたと戸{と}たヽくは。八ッか。七ッか。別{わか}れこそ城{しろ}の外告{そとつぐ}寒山寺{かんざんじ}。 ゴヲンとひヾくまくらのうへに。残{のこ}る塩茶{しほちゃ}のあき茶碗{ちやわん}。 いつ来てじやヱとちよつとちぎつたきぬ/\を。 あちらに聞{きい}て寐{ね}てゐる客{きやく}も。 どふで別{わか}れは東雲{しのヽめ}の。 可愛{かあい}がらすに阿房{あはう}烏{からす}。 二日酔{ゑひ}の客は揚{あが}り口{くち}の楾{はんぞう}の手まへはつかしく。肝積起{かんしやくおこ}した客は鉢{はち}のわれたに胸{むね}を抱{だ}く。 夜{よ}どをしの青醒顔口舌{あほさめがほくぜつ}した寐{ね}ほれ顔{かほ}。 世理賦{せりふ}の出来{てき}た嬉{うれ}し顔{かほ}。 (九ウ) むしんいはれたくつたく顔{かほ}。 かほのさま/゛\心{こヽろ}の別{べつ}も。おなじ流{ながれ}の水遊{みつあそ}び。 はまれは深{ふか}き蜆川{しヽみかは}。 手{て}ふりはふりの姿{すがた}を写{うつ}す。 月雪花{つきゆきはな}ののへ鏡{かヾみ}。 その紅粉筆{べにふで}に粧水{けはひみつ}をもて。芸妓{げいこ}がくれた礼状{れいじやう}のうらに。こんなてんがうを書捨{かきすつ}るてふ 寛政六ッきのへとらのとし後の霜月十日の夜 香宮散人井関楼上{かみやさんしんゐせきらうしやう}にして。つきあひに呼{よ}んだいれ込{こみ}の新造{しんざう}のそひぶし。 (十オ) 寐{ね}られぬまヽにこれを書{しよ}す   〔印〕〔印〕 (十ウ) 北花通情{ほくくはつうせう} 五畿東海東山山陰{ごきとうかいとうさんさんゐん}の流水{りうすい}を汲漢{みづくみ}にくませ。 西国{さいこく}の上白米{ぜうはくまい}を十度洗{とたびあら}ふて。 虎久{とらきう}。鮒喜{ふなき}のうなぎを茶漬飯{ちやづけめし}。 驕{おごつ}てゆかぬ馬{うま}にはあらで。 継{つぎ}のなひ足袋{たび}に小兵へ矢立{やたて}の鞭{むち}うち。 水入{みづいら}ずの白手拭{しろてぬぐひ}に近佐の手帳{てちやう}の遣来{やりくり}は。角前髪{すみまへかみ}の童僕{でつち}の手に成{な}る。 されば朝{あした}の寄{より}つき合図{あいづ}のひやうし木{ぎ}は寅{とら}の一天{いつてん}なるべきに。 小便舟{せうべんぶね}の往{い}んだ跡{あと}にうつは。 どふでも朝寐{あさね}する人のおゝきか。 五厘{ごり}とらふ。七厘五毛{しろも}やらふの走{はし}ッてせはしきかけ引の間に。 (一オ) 道具店{だうくみせ}の椀家具{わんかぐ}の目利{めきヽ}。川魚{かはうを}の立売{たちうり}にあだつく。 火繩{ひなわ}のきへに碁象戯{こしやうぎ}の気散{きさん}じは実{げに}も日本国{につほんごく}を胸{むね}にたゝんで。利敗{りはい}のために心{しん}をうてども。ふんで愁{うれ}へざるは新地{しんち}の宴{たて}にあらはれ。すくふて足{たる}とせざるは天神金毘羅{てんじんこんひら}の朝参{あさまい}りにみへたり。 強{つよ}きを圧{おし}。弱{よは}きをたすくるたてひきも。男{おとこ}はあたつたらめつたにくだけぬ北浜{きたばま}の意気張{ゐきはり}。 死{しヽ}ていとわざるは北方{ほつはう}の勇{ゆう}なりと。かの中庸{ちうやう}にいはれたもちやうど五りンのかけねなし。 (一ウ) 爰{こヽ}にそのひくにひかれぬ卍{まんじ}が辻{つぢ}の辺{ほと}り。 子供名前{こどもなまへ}の表札{ひやうさつ}のある露路{ろぢ}のおく。会所{くはいしよ}の判取場{はんとりば}みるやうなゆすつた住居{すまゐ}は。喜多市{きたいち}といへるすれがらし。 小文才{こもんさい}もあるかして若干{そこばく}の書庫{ほんばこ}つみならべ。しつぽく台{たい}に孔雀{くじやく}の尾{お}たて。綴{つヾ}りかけたる草稿{さうかう}は新哥{しんうた}。  @カ。 手{て}うちのもんく。 或{あるひ}は筋{すじ}のたヽぬ歌舞妓{かぶき}の趣向{しゆかう}。 炬燵{こたつ}がてらに切{きつ}た炉{ろ}にさしむかふてはなししてゐるは相庭屋{さうばや}のひとり息子{むすこ} <[やぼく]きせるひねくりまはし>時{とき}に其事できやつがみそをあげるのがけしからぬ。 (ニオ) しかしなんぼ@{すい}ふるふておどして見ても川立{かはたち}は川とやらいふて。とふでしまひはこつちのかぶりになるせりふじやぜ。 あつちのしかけがまるで色{いろ}といふ場{ば}で来{き}てゐる芸{げい}じやによつて。まんざら肩{かた}ずかしくわさるヽほどのことはあるまいけれども。ぜんたいのこヽが<トむねをおしへて>すかじやによつて帳合{ちやうあい}しめた所がおさらばときてゐる それにアノのろまがゆく所までいて見やうといふはらでゐるのも。なんとおかしいじやないか [きた]そいつアおちじや。 (二ウ) ガしかし金さんも大のかんくりじやによつて。そふいふばやいヤやうすでなら。まんざらふかひ所へもはまりますまい。 シタガ此あいだも丸新でくだんにあふたとき。わたしつかまへてなんじややらヱラもふけさしに言葉{ことば}の玉をつかふてゐ升た。 そこで此ほうもすかさず。ゑひかげんにちやらついてちやうしあはしておき升たがなるほど大のせりふがりで中/\きんさンとはよつほどすまふがはちけてござり升 [ほく]それにまだ此あいだも吉もんじやがよび出したそふなけれど浜{はま}のきやくにはあわぬとやらいふて。ふつたとサ (三オ) [きた]ハテきつい所をしてゐ升な。 なにヽもせよあのまくはちつときるのがむつかしい。 マァ此せつではどふしてもふみのすがたじやよつて。ずいぶんおもいれをひかへめにして人機{にんき}を見あはすのがよござり升 [ぼく]<サレハサア>しかしこの相庭{さうば}にはなんぞのふヾを一ッいふてやりたいテ。 爰{こヽ}で壱匁{いつてう}ぎりほどの高下{かうけ}でもあつたら。それこそ妙な狂言{きやうげん}がかけるぜ (三ウ) [きた]さやう/\その時にはさしづめ此ほうなみ木正三{しやうざ}といかにやなりません <トわらふ○これはれんぢう金山かなじんてゐるおやまのことをはなしするのなれどもあまり言葉がすいがりすぎてそのいさゐわからぬ> [ほく]コウこのやうに誹{そしつ}てはゐるものヽ。モウ出てきそふな物じやが [きた]イヤおヽかた見へませう。 けさむかひがはから状もきてごさり升た<人ごといわば目代(めしろ)おくたとへにてとやかふいふうち両がへやの> [金山]うちにか <やとはればヽ[およね]>お出なされませ [きた]金さんおあかりッス [きん]やぼくさん [ぼく]はなはだ大かちうじやな<まちどをなといふ事なるべし> [きん]さればサアいままでうちの帳合{てうあい}の事でカノ市虹{しかう}といふ役{やく}を勤{つとめ}て。おヽいに心配{しんはい}をいたした (四オ) [およね]<めい/\にちやをもつて出>ちとおぬるふごさり升 [きた]先生{せんせい}。 きのふ北野のはり宇からよびにおこしたときにはうちにでなかつたそふな [きた]ホンニさやうじやな。其おりは西{にし}のわたとみへかじまやとさんじまして。いかさまゆふべ四ッ過{すぎ}にかへりました [きん]おヽかたそこらではあらふとおもふたけれど [ほく]かじまやとシテたれぞほかに来たか [きた]中川がまいりました。そしておすみにおかうとをいふてやつた所がなりませなんで。あら物やと万八とが参りました (四ウ) コウおよねさんもちつとこヽへ炭{すみ}をついで遣{つかは}され [きん]アノわたとみのかなや路うぢのふしんもいつできる事てあらふな [きた]さアれはマァなんても冬中でこさりませふ。 新宅{しんたく}のひろめは猩々{しやう/゛\}の扇{あふぎ}をくはりますげな [きん]此あいだもちつとさるやふすでカノ中正へいたが。むかふもいまは三丸屋といふかまへにして座敷などもおゝいにゆすつたある [きた]さやうさ。わたッしもあとの月人形{にんぎよ}しばゐのあつたときチヨット見に参りました。 (五オ) なるほど仲居{ちうきよ}などもだいぶおどしてゐ升ゼ [きん]もちろんのこと [ほく]そのしばゐはたれがした [きた]かの灘屋墨{なだやすみ}五郎。日之助それに黄金{おうごん}太郎といふやふなれんぢうて [きん]そのときであつたか げいはたしか大安寺{だいあんじ}と吃{ども}の又平とやらきいたのは [きた]さよじや [ほく]大源はどふじやの [きた]イヤあれは又組{くみ}がちかひ升。 カノ壁屋に今蔵といふれんぢうで。そのころは置{おき}屋の亭主{ていしゆ}の人形まはしがはつみました [ほく]時にあとの月廿日ごろに。河佐でしろうとしばゐがあるやうにいふたがなぜできなんだノ (五ウ) [きた]さればせんたい跡の月の八日のばんにあるはづのを十六日にのひました所が。十四日のばん河左にちつととりこんだ事があつてそれゆへできませなんだ。 れんぢうは込{こみ}仁郷保橘粂{きやうやすきつくめ}のてあいサ [ほく]此秋ふじへが伊左門したといふた時は貴公見たか [きた]もちろん見升た。その時はあづち町の堺新でござり升た。 ゆふぎりに大太のうの。喜左ヱ門に四方{よも}八。ソシテそのまへに女護{にやうご}の嶋{しま}。しゆんくはんがきらく。やすよりが国八。丹波{たんば}のせう/\が百八。ちどりにかな秀。丹左ヱ門にたしなみ。せのおにふく八。カノまくぎりにしゆんくはんが山のうへから松{まつ}の枝{ゑだ}もつておちる所はよつほどおかしふこさりました (六オ) [きん]ふじへの伊左ヱ門は丸でらいしといふしうちであろ [きた]よふのみこんだものでこさり升 [ほく]なるほどあそびやうもいろ/\あるものじや。 アノいつやらはやつた枕{まくら}すまふは死{しな}れた林義庵雲吐{はやしぎあんうんと}などが伊勢{いせ}喜で仕始{しはじめ}た事そふな [きた]さやう/\其のちほう/゛\で会{くはい}がこさり升た。 (六ウ) 新町ではすはま。南では一文字やひし宗などヽだいぶもちあるひてはみたれども。ぜんたいがかの拳{けん}とはちがふてちよつとするのもしかけかぎやうさんなからツイはやりやみ升た。 シタガなにゝでも妙{めう}があるもので。その中にもひらの町の虎洞{こどう}などは別{べつ}してつよふこさり升た [きん]笹瀬{さヽせ}れんぢうの三枝{さんし}。ゑちごやの加東{かたう}。駒まはす井元などもよふうつたそふなノ [きた]こつちでは河忠の臘長下駄{ろてうげた}屋の草木{さうぼく}。 天満{てんま}で俳諧師{はいかいし}の青鯉{せいり}。 きせるやの智両{ちりやう}。 花丸も天満の組{くみ}サ。 (七オ) のちには新町の泉明{せんめい}おやぢまでが出ましたぜ [ほく]イヤどふ見ても拳{けん}のほうがおもしろいいつやら河菅{すが}で九八が会のあつた時には貴公ゐかなんだの [きた]イヽヱよふまいりませなんだ。 みな組がよつたそふにこさります [きん]けんのきれいなはしんだ岩八であつたノウ [きた]さよしや。いまも兵八小兵などがよふうち升 [ほく]アノ大{おヽ}はたといふのはどこじや [きた]そねさきばしの床にゐるのがそふでこさり升ソレニあの茶目利{ちやめり}の利八がつよひぜ金さんン [きん]はてなア (七ウ) <トいふ所へふくたやの[おとこ]やうありそふにきて>ちょつとおたのみ申升 [およね]<ハイなんてこさり升な> [おとこ]イヤ喜太{きた}さんンはおうちかたに [きた]<くびをのはし>なんじや/\ [おとこ]ちょつと<トうぢつく> [きた]<ついとたつてあかり口へ出>どこからしや [おとこ]<状をいたしなにやらさヽやく> [きた]<うなづいて>よし/\ [おとこ]さよならどふぞ [きた]まつたりヤこふつ<トしあんして>アヽモそれでよいは [おとこ]<いぬる> [きた]<こちらへきて>いろ/\の事をいふてきよる [ほく]なに事じや [きん]又くだんのばやいではないかの [きた]<わらひなから>いへ/\そふいふやうきなこつちやなひ。 泉平からチトやふすがあつて [ほく]フン。あの泉平のおまちも今はいかいにこつてゐるじやないか (八オ) [きた]サアむかいがはもいまはだいぶはいかいがはやり升 [きん]九八が菊{きく}のすりものヽ句は天重{てんぢう}じやノ [きた]奇妙{きめう}じやてな [ほく]おしゆんのおし鳥{とり}のすりものはおやちの万蔵がはりこみしやげな。 それにかのふじゑがすりものに来芝{らいし}の句はどふやらさむいでなひか [きた]なるほとさよしや。 ぜんたいことしの十月ほどげいこのいつときにひいた事はなひ。 マァふじゑにおしゆん。それに小さとたヾ源大すへ [きん]それよりまへに泉岩がひく上人の小たかゞひつこむ 八ウ [きた]おやまては豊与{てしよ}のちとりも十月にひき升た [ほく]<ひざをひとつたゝいて>ヲヽそれヨ。 そのてしよの事でおもひ出した。 此あいた天神{てんじん}へまいつたときあそこは小嶋町のとんだ町あたりで。かの婆仲{ばヽなか}にあふたぜ。 まゆおとしてからだいぶわかふみへる [きた]さやうてあろ。 あれはなんでもそのあたりにかこわれてゐ升。 そのついでにむかふにゐた宮{みや}が此八月ごろから南の河音へしかへられてゐたが。今はあやといふてあつそふにとりあけてゐ升て [きん]ノウやぼくさん。 (九オ) おまへがよんてゐたおだまきが南へいてからおヽゆすりはいつこ妙{めう}じやあつたせなア [ほく]あいつア外物{ぐはいぶつ}でゑす。 それに此ぢう南で河正にゐた琴{こと}にあふた。 今は大こく風呂にゐるさふな [きた]河忠の万世も南にゐ升ぜ [きん]岸本屋の哥はひいてあのよこ町にゐるてないか [きた]さやうサ。そしててし太のまへのらいが子もちになつて樋{ひ}の横{よこ}町にゐ升 [きん]京半にゐた初瀬{はつせ}がいまは兵庫{へうこ}のさびゑで名{な}はせつとやらいふそふな [ほく]はてな。それに河平の小むらしといふ酒{さけ}のみはどふした (九ウ) [きた]いまはほり江におり升。 ヲヽそれにその河平の三木に此あいだ下{しも}の関{せき}であふてもどつたといふ人がある [ほく][きん]ハヽアン [きた]なんとモ珍{ちん}じやな。かの下{しも}の関{せき}のうら町とやらいふ所でやつはりげい子してゐるそふな。 シタカあつちでのひやうばんが。これはなんでもけい子てはなひおやましやといひ升とサ。 なるほどそのとをり。 あれはぜんたいがもとしん町とおりすしのおやまでこさり升た。 なんでもいまは下{しも}もみな@{すい}になつて中/\ひとすし繩{なわ}ではゆくものではなひぜモシ (十オ) [ほく]こいつアおかしい [きん]そのついでに大半の八郎兵へけい子はひいてからかけおちしてしもふたノ [きた]されはイナ [ほく]きんさんたれが事で [きん]それ友の事 [ほく]なぜ八郎兵へげい子といふノ [きた]あれはモシこふじやぜんたいもとがおやまであつたのがのちにげい子になりそれから又おやまになりそして又げい子になりかのたひ/\あがりつおりつといふ心でかなござりませふ [ほく]ハアテおもしろふもない。 俳名{はいめう}でなら泉新のこさいから木長の君{きみ}のやいと屋などはよくとふつたものじやテ (十ウ) [きた]そのやいとやはこの九月からおやまになつてます/\はんじやうでござリ升 [きん]いまの名はくらといふではないか [ほく]それにかの眠獅{みんし}が大ふさのおかうを司馬卿{しばきやう}とつけたもおかしい [きた]丸伊の小いとをふじゑが釈伽{しやか}の十といふた時には。とをり名になつてだいぶいゝましたぜ [きん]たれやら豊与のせいを柴田権六{しばたこんろく}といふてわらわした事がある [きた]ほんにそのはいみやうのついでに。かのおこり橘{きつ}もいつやらから又はしりあるくそふな (十一オ) [ほく]イヤきやつも豪傑{かうけつ}じやて [きた]あの人の尻{しり}のかるいのとひた孫のゐつゞけとを調合{てうかう}するとよいかげんな客がふたり出き升ゼナア [ほく]此あいたも我仙{がせん}が小松屋から出たが。あそこへもゆくかの [きた]もちろん。カノ中正へもいかれ升 [きん]五竜{こりう}は河左ばかりじやの [きた]その五竜と我仙とで岸本屋の小さくが事にだいぶおかしいはなしがごさり升 [きん]二三日あと住治へいたとき。したのざしきにあわかめと大吉のおつね。 (十一ウ) まひとりは慥{たしか}に有大のたかヾ声{こへ}じやとおもふたが。客はなんでも十人ばかりでもあろ。 たいこもちはしま八とかめ八とでむしやうにやかましうさわいでゐたが。 あれは屋敷でもなし浜{はま}のてやいでもなし [きた]イヤそれはおヽかたかみや組{ぐみ}でござりませふ [きん]ムウそふかの。 そしてしたへおりた所がいつ国のみしと。てしよのやを。河平のしづはたなどがゐしやうきかへてゐたけれどもわざと見ぬかほしてもどつてきた [きた]ヘヱン。それにアノいつやら道修{どしゆう}町のてあいではり源へ二三度まいりました。 (十二オ) なるほとあの茶屋はかたい内じやテ。 マアげい子が花もしよてからていねいにざしきへとひに出升。 そして肴{さかな}の鉢組{はちくみ}などもたいていきまつたある。 かのすひものもげいこへはひとりきてゐてもめつたに出しませぬ。 あのやふにきまつてこそ永久{ゑいきう}なれ [ほく]はてノちとゐんほなほうじやがよひ事じやノ [きた]さやうサ。ぜんたいすべての事がこつちはかうとうにごさり升。 かの南の茶屋のていしゆと北のたいこもちとがたいていおなし人物{じんふつ}さ。 (十二ウ) 南のたいこもちはなにかなしに外{そと}八枚{まい}の役者{やくしや}ときてゐ升。 こつちのていしゆヤ小むすこはコウうち町の手代{てだい}みるやうな人物{じんふつ}でちつとゆすつたが大半岸本屋ぐらひなれど。これも高いきなばかりで置屋{おきや}くさい@{すい}めいた事はとんとなし。 中にも丸新のおやちなどは畸人伝{きにんてん}にある大雅{たいが}堂{だう}といふ風{ふう}でごさり升 [きん]いかさまなア。しかしこつちは此だうじまといふひとふうある所のそばしやから。よそよりはなをはなやかになければならんがナア (十三オ) [ほく]いやコウ金さん。 あまりだうしまのふうもみそをあげまい。 なるほどおとこはさつはりとはをりでもきてコウゆすつた所はとふやらあかぬけがしてあるやうなけれども。かの盆{ほん}正月に上下{かみしも}でもきてからといふものは。にわかにかしらのいとびんが目にたつてどふも見てゐられぬゼ。 そこらでは金さんおまへのかみのふうかよふうつる [きた]イヤこれはきつい高論{かうろん}じや。 時にこの北でおかしいといふのは。浜{はま}のきやくをおもにするからげい子が歌{うた}うたふにもめうな気{き}のつけ所がござります。 十三ウ カノふむのつくのといふ事が禁句{きんく}じやによつて。とりべ山にぞ入にけり。はやすみの江にいりにけりと。 これだけソノきみあひをつけてうたふたものじや。 せんだいかふいへばおかしいけれども。はまのものほど皆{みな}ごまのごとやらいふて。なんでもない事でも気にかけるものはなひ。 茶屋のあいさつもサアおあがりなされじやのモウおりなさつたはのと。カノ高下{かうげ}にかゝわることばをうつかりといふたら。客によつて大のはたきになる事がある。 (十四オ) それにおやまの状{ぜう}に存{ぞんじ}をかなでかけば損{そん}するといふにかよふゆへ存{ぞんじ}と字{じ}でかき升。 申あげもやうすによつて申入とかく。 カノ七月をふみづきなどゝかいたら。イヤモそれこそホンニおヽさわぎじや [きん]いかさまそふいへばだいぶよそでしらぬ事があるの [ほく]それにアノ十五日の妙見{みやうけん}のこゑんにちが十六日の浜{はま}のやすみの日になつたも。なんとおかしいじやないか [きん]ホンニそのめうけんのついでに。いつやら久々智{くヽち}へまいつた時{とき}アノかんざきのやつこ茶屋に。きの万のまんよがゐたぜ。 あれはどふいふもんじやの [きた]イヤそんなこつてもあろ。 ぜんたいきの万のうちがアノやつこちや屋サ [きん]はてな [ほく]喜多公{きたかう}いろ/\の妙{めう}な事をしつてゐるの [きた]いやモウしつてゐる事においてはアノ玄里{げんり}といふおとこほどよくおやまやげい子の出生{しつせう}をしつてゐるものはこさりません。 此あいだもちよつとはなしするのがいつこおかしい。 マア此はるひいた嶋とくの色香{いろか}が加賀{かヾ}のうまれでほんまのなはおかうといふ。 (十五オ) ソシテひいてからの名はおのぶといふ。 おなしみせの小花が本町せんだの木ばしのごふくやのむすめ。 ソレニ豊与{てしよ}のやをが江戸のきんじよのかな川とやらなにとやらいふたけれどもわすれました。 おなしみせに名歌{めいか}といふちいさいおやまがある。 それが播州{はんしう}ひめぢのうまれ。 壁{かべ}屋のにしきが和州{わしう}ありはらのうまれ。 泉国のおのへが伊勢{せ}のうまれ [ほく]いかさまそふかしてチトなまる [きた]それに大多のゆかゞ京の刀鍛冶{かたなかち}。 (十五ウ) 金秀の琴{こと}が京のごふくや。 河忠の笑{ゑみ}が天満ふたへもんこれは今南にゐるそふな。 それに扇{あふぎ}さとのみつが馬揚{ばヾ}さきの京いしといふ置屋{おきや}のむすめ。 八木屋のやぎが京の二条{にでう}の新町。 泉吉の三吾が南のつる井和八がむすめ。ヲヽそれにまだ扇さとのらいが京の西{にし}ぢん。カノ大多のあさが南の長左{ながさ}の嬶{かゝ}。 コレハ誰{たれ}でもしつてゐる。 ヲヽそれにひゐたちどりが京のうまれで。みつあげは丹波{たんは}のさる大名{たいめう}じやげなぜモシ (十六オ) [ほく]ハテいろ/\の天狗{てんぐ}があるものじやなア [きん]コウその大名でおもひ出した。 アノ京半の小むらさきももとさいこくのだいめうにつとめてゐたじやなひか [きた]さればナア。 あれはぜんたい京で堂上{たうしやう}かたの奉公をしてゐ升たそうな [きん]いかさまてきが状{しやう}にも濃紫{こむらさき}と本字{ほんじ}でかいたり。 ちよつこり朱印{しゆゐん}などでゆすつてゐれば。おヽかた季{き}なし発句{ほつく}や。 てにはのあはぬ本歌{ほんか}でもできるであらふ [きた]イヤモもちろんときにあいつはなるほどへんぶつでごさります。 (十六ウ) マアけんをうち升。 それにものまねをし升。 まだおかしいのは京のおどり。 ソシテ鬼市{きいち}の上るりをかたるの [ほく]妙じやノ [きた]それにカノおしろいをせぬといふのもやつはりゆすりでこさり升 [きん]そんなられしはと<さけのむまねして>きじしかろ [きた]イヤサそれがとんといかぬじや。 かのうかれがほんきてするからイツコたまりませぬ。 それにまひとつおかしい事がある [ほく]なにか [きた]<すこしおかしいかほつきにて>かの閨中{けいちう}で可也{かなり}といふ事をいひ升げな (十七オ) [きん]ハヽア可也{かなり}。 こいつアよい <ト三人わらふ> [きた]ときに又アノ大多のゆかも妙{めう}な事をいひ升ぜ。 これはカノ草庵集{さうあんしう}に浜{はま}の真砂{まさご}をづつうにして。わからひでも源氏{けんじ}の湖月{こけつ}などをよんでゐるといふはらで。ちょといふ事もたれやらの相伝{さうでん}じやはの。イヤしきしまのみちじやはのとめつたにソノ天狗{てんぐ}つかひ升。 つねのものいひもひつきやうづる。 あるひはそふしてつかはされ。 又は今夕{こんせき}薄情{はくしやう}などヽいふ漢語{かんご}もつかひ升 (十七ウ) [きん]そんならカノ状のおくにはいつても哥{うた}かいておこすであらふ [きた]さやうサ [ほく]手跡{しゆせき}はどふか [きん]イヤその手跡では泉国のおのへがおそれいつたものじやぜ [きた]さやう/\。 ぜんたいあれは唐様{からやう}でござり升つねの文躰{ふんてい}よりは漢文{かんふん}などは別{へつ}して見事サ [ほく]それにきやつは琴をよふひくテ [きん]おなじみせのみしも手はたつしやな [きた]ほんにアレモ大のゆすりかでごさり升。 まづみしを美石{びせき}などヽおどして文躰{ふんてい}も漢字{かんじ}がおヽひ (十八オ) [きん]いかさま。 ソシテてきが詞{ことは}のひつはなしに舌のもつれるやうにやうすつけるのもひとくせあるぜ [ほく]<はいふきひとつとんとたヽいて>いやコレあれはつくり声じやの [きた]さやうサ。 それにてきがものいひ/\肩{かた}をコウいからしてゑりをトいらふが妙{めう}におかしふこさり升 [きん]イヤ又あるきぶりもいつばわかつてある [きた]なるほどくせといふものはめい/\にあるものて。河平のはんが<豊太のらいが事>ひとしきりなにをいふこと葉のうちにも幕{まく}/\といふ事をいひ升た。 (十八ウ) それに吹安のみやこがつくりわらひのやうでほんまにおかしがるの。 山大かいつ見てもつまやうじくわへてゐるの。 それにおすみがほて/\もおかしいじやごさりませぬか [きん]イヤそのおかしいついでにひろとくのうと/\しい。 おいでヽゐるもよくとをつたものじやノ [きた]ホンニさやうサ。 それにまだ津の徳におゑんといふげい子がある。 これをみなが様{さま}/\といひ升 (十九オ) [ほく]なんの事じや [きた]これはカノおすみヤおしゆんがつきあひに。おしゆん。おすみ。などヽ廓風{くはくふう}でいひ升のをそれをおゑんが。河松。おせう。などヽそのまねをし升ゆへ。みなのげい子がおかしがつて。おゑんがお庄といふた跡でははたからさんトつけていひ升。いつそよんでいわしてこらふじ。 妙におかしい [きん]さまのつゐでに大半にさまといふおやまがある。 かわつた名じやの [きた]名でもゆすつた名は玉きし。 玉の井。 柏木{かしはぎ}。 ともぎく。 里石{りせき} (十九ウ) [ほく]その里石{りせき}はいま木長で元のあやはたサ [きん]河庄の左近{さこん}が小がうとかへたもよひ [きた]時にモシあの小がうは大のきまり家{か}でござり升ぜ [ほく]さか磯{いそ}のぬいが跡{あと}の月の廿六日から出るが。したぢからしつてゐねばひとせりふいて見たいけれども [きた]さればサア。てきがおやまになつたのはふかひやうすのある事で [きん]なるほどいまはげい子もしやみせんのよひのはとんとすくなひ。 有幸{ありかう}は大栄の嬶{かヽ}になつてしぬるし。春野{はるの}は河くめのむすめになる。 (二十オ) おしゆんはきせるやへよめいりする [ほく]そのしやみせんのついでにあとの月正念寺{せうねんじ}で和歌山{わかやま}のさらへ講{かう}のあつたとき。 おすみがひら善とのきせうもんは。こいつは妙{めう}じやあらふとあんまりおもひすごしがした故{ゆへ}かとつともいわなんだの [きた]なるほとあれはお住{すみ}のひきものがそんでこさり升。 ソレニそのばんおかしかつたのは多田源のく野{の}と長岡{なかをか}とのかけあひのおそめ。 金さんしらずか [きん]イヽヤいかなんだ [きた]なにかなしにうち町のむすめしたてサ。 (二十ウ) きるものがそらいろのそうもよふのおヽふりそでに。ちよつこりコウゑりかけといふしうちで。髪{かみ}はふきわげにしてぎん水引にりやうざしといふおもひいれで出たときは。 いつかうゑらおちでござりました いかさま八百{やを}ぞうとはよふいひましたぜやぼくさんン [ほく]たれやら十八たヾげんといふておだてたがなるほどよひかうちうじやて [きん]そりやおかしかろ (二十一オ) [きた]ときにまたあのばん存のほかよかつたのはさかもとやのむすめと<ひでが事>丸伊の力<いまはたいき>とのたかせぶね。 りやうくはんが竹もよふふきました [ほく]ほんにそふサそして又あとの月廿五日のばんにすみたつでも有たそふなの [きた]イヤそれはまいりませなんだが。 此十一日きヽやうとものけんぐはいがすみたつであるそふにござります [きん]そのついてに三丁目にみやその花蝶{くはてう}とある稽古{けいこ}屋はしほ清{せ}の花蝶が事じやないか (二十一ウ) [きた]さやう/\。せんど会{くはい}もでき升たそふな。 その時幸八がきかいがしまをかたつたげにごさり升 [ほく]いまは上るりげい子は扇{あふぎ}さとの徳に。ふじ五の竹 [きた]それにまへかた若忠の三輪{みわ}といふのがごさり升た。 いまカノ住左のかヽになつてゐ升 [きん]ほんに先生{せんせい}。そのすみさの此あいだのつけはどふした [きた]イヤこゝにごさり升<トかみ入よりなにかかいたものをいたす> [ほく]コウ喜多公{きたかう}。そのかみいれの滝縞{たきしま}もいまはあほうらしうてもてぬぜ (二十二オ) [きん]いかさまこの春{はる}ごろはそろへにした事さへあつたのに [きた]きしもとやのげい子のしやみせんばこのふろしきがこのそろへでごさり升た [ほく]此なつげい子のかたびらのそろへは。小梅にかな秀{ひで}。おすみに卯野{うの}とふじへとであつたノ [きた]さよじや白地{しろぢ}につり花生{はないけ}のもやうでごさり升た [きん]その中でふじ江はかの南のそろへの藤{ふじ}の棚{たな}のを着{き}てゐたぜ [ほく]それに河左の仲居のそろへは白地にあいでうろこがたの小もんであつた ノゥ喜太公{きたかう} (二十二ウ) [きた]あれはカノひといきはやつた住よしきれといふものでござり升 [きん]三丸屋のそろへはつたのたてわき。 住治のそろへがたしか白がすりであつた [きた]さやう/\。 それに河久が白地に花色{はないろ}ではせをのもやう [ほく]たいこもちもなにかそろへであつたぜ [きた]たいこもちはにしみせばかりサ。 かの白ざらしにコフなたねの花のやうななんでもきいろなもやうで。おびはもんづくしのおびでこざり升た (二十三オ) [きん]コフそのもんのつゐでにアノたかのはのもんの包{つヽみ}はどこしや [きた]それがどふし升た [きん]きのふ大時のかどあたりで。東の方から来るおやまがあつちからコフわらふてゆきおつたがたれやらとんとおぼへぬ。 そしてあとふりむいて見た所がつヽみの紋はたしかにたかのはであつたがアレハどこであらふの [きた]それは大太でごさりませう。 しかし大太のうちではてしよにゐたつるもこぞんじなり。 コフツ。 <しあんして> アヽなるほど。 (二十三ウ) 南から来た小巻{まき}であらふ [きん]ハヽアいかさま。 そんなら南でちかづきかいな。 ときにきのふはだいぶおやまにあふたぜ。 まつ大吉のてるに扇さとの十七{とな}。 いつ国の竹にきし本屋のぢう。 しほ清の竜{りう}と寿{ことぶき}とがいつしよにいくし。 ソシテしま利のいとにもあふ [ほく]コウやしほにはあやせなんだか [きた]<わらひながら>きんさんおまへ二三度よんでむしんいわれて逃{にけ}なさつたげなノ [きん]あれはこつちのせりふがわるひテ。 それにまだ大半の森{もり}にあふし。 (二十四オ) 河忠のゆりにあふ。 そして高政の此が富屋へはいる八木屋の国が大りきへはいつた [ほく]はてな。ソレニ喜多公。貴公はアノつヽみのもんにまで見おぼへがあるの [きた]そのだんは大の天狗{てんぐ}でごさり升。 マアつの徳の包{つヽみ}が十六桐{きり}。 八木屋が梶{かち}の葉。 嶋徳が桐のと。 豊与がかげとひなたのかさね桔梗{きヽやう}。 大安がきり。 あふぎさとが梅{うめ}ばち。 大房が立花{たちはな}。 豊太がかちのは。吹安{すいやす}が五三の桐{きり}。 ひしとみがから花河平が定紋{ぜうもん}は桔梗{きヽやう}なれど包はきりのと。 (二十四ウ) 泉国も紋{もん}はきりのとなれどつヽみはしやうぶかは。それに木長がごえふぎく。 鯛{たい}喜がかに立花 [きん]ハヽア小嶋がさきよりいつさんに [きた]<わらひながら>かべやがかたばみ。 しほ清が丸に三ッかしは。 つの嘉がきヽやう。河忠がかさねきヽやう。 岸本屋がかぶろぎく。 京半がつるの丸。 あり大が四ッ目。 大吉がかましき。 河庄がから花。 河利がきりのと。 大半がうらぎく。 かなひでが梶{かち}のは。 いたやそが十六きくにふじ五がふじの丸でごさり升。 (二十五オ) ヲヽ大ぶんくらうなつた。 コレおよねさんモウ火をともしたりや [きん]なるほどよくおぼへたものじやの [ほく]ときになんのかのといふてつい日をくらした。 それはそふと金さんおまへのこん夜のやくそくは [きん]かめと小ひなとなると。 それにまださる与に小名八が出てゐるはつじやが [きた]やぼくさんは小梅とお此とでござりましたか [ほく]まだおかうもある。 それに十九と昆布{こんぶ}屋<くめ八かことなり>とはこのほうのお抱{かヽへ}ときてゐる [きた]おとついも元八がよろしうと申てゐ升た。 (二十五ウ) それにまだ菊{きく}八と大半のたねとがアノせんどのことをなんたらかたらいふてゐましたぜ [ほく]ハヽアこいつはしんざわり <[およね]かつてより>モシおちやづけをどなたにも [きた]サア/\これへ出したり <トこれよりちやづけをめい/\にすへるさいはこんぶと梅ほしとの三ばいず也> [ほく]コウきんさん花ぜんのつき出しときてゐる [およね]<きのとくそふなかほつきにて>モシきのふのたまごをどふぞいたしませうか [きた]ヲヽほんに泉るいからもらふたのがあつたな [きん]寒見舞{かんみまい}か (二十六オ) [きた]さやうサ。 あそこのおるいもめうなものでごさり升 [ほく]あのおるいの事であとの月やしきの客が大吉でなにやらおかしいすもふのばんづけをこしらへたげなぜ [きん]はてな [きた]大関{おほせき}はさしづめ出東{いづと}と紙安{かみやす}であらふ <論語{ろんご}にしよくするときはものいはすとさへあるに此三人はいろ/\のわるい口いひながらくひしまひはししたにおくといなや> [きん]サアいかふじやあるまひか [ほく]ハテせわしない [きた]<きるものきかへかみおちよいとなでつけ>およねさん。こんやはねまきかけいでもだんないぜ <トいふかのふくたやのおとこからもつてきた状は。泉平からといふはうそのかはにて。じつはわがいろごとしてゐるおやまからおこした状にて。こよひしばゐうらあたりで出あふといふやくそくがしてあるゆへなり。その所のやうすはのちのだんにてごらふじ。妙でござります> (二十六ウ) [きん]およねさんいつもながらおやかましいの [およね]なんのマアあなた<トあがり口へあんだうをいたしめい/\のはきものをなをす> [きた]アノ机はあんなりでなをしておくれ サアまいりませう<と三人かどぐちを出る> <○ちよつとおことわり申上升。これより此三人の客。げいこは小梅。かめ。かう。お此。小ひな。なか。たいこもちは十九。粂八。元八与八。小名八との大さはぎ。のちにやぼく金山がなしみのおやま。けいぢうのせりふ。喜多。市はしばゐうらのであひやどにて大くぜつまで。なか/\とくり升けれとも。それではあまりかみかずおヽく。はんもとめいわくいたし升ゆへ先はこれぎりにて。あとの所はかうへんといたし。近日のうち御めにかけませう> (二十七オ) 此書{このしよ}。余{よ}が手{て}に成{な}れりといへども。書中{しよちう}に所謂{いはゆる}八木{やぼく}。金山{きんざん}。喜多市{きたいち}の三子{さんし}が雑談{ざうたん}を。ありのまヽにしるせるものにして。余{よ}が愚意{ぐゐ}をもて著作{ちよさく}するにあらず。必{かならず}やみる人。その邪@{じやすい}の罪{つみ}を。余{よ}に蒙{かうむ}らしむる事{こと}なかれといふ 甲寅冬壬霜月八日 作者  花 丸 述 (二十七ウ) 妙{めう}なり奇{き}なり北華通情{ほくくはつうじやう}。 著{あらは}して揺{ゆする}ものは春光園花丸なり。 需{もとめ}て弘{ひろめ}るものは春曙館舎貞なり。 この両士{ふたり}はそも/\わが竹輪{ちくわ}の友{とも}にして。二八の春{はる}を三八に倍易{ばいまし}の秋{あき}。 温六河嘉{うんろくかはか}に会飲{のみあひ}て。おの/\蔔葱{からみ}の義{ぎ}をむすび。稗史{くささうし}の工作者{くしや/\}はなしに。終{つひ}にこの冊{ふみ}を耕{たかやす}といべども花{はな}に風{かぜ}。 月{つき}に卵天{むらくも}。蕎麦{そば}に居浴桶{すいふろ}の故障{さしあひ}あるを腿{うちあはせ}て。予に尻{ばつ}を乞{こ}ふ。 (二十八尾オ) 曾{かつ}て古人{こじん}いふ事{こと}あり。不負者北狄風掟{まけぬはきたのならひ}と遅{ち}せずして速{そく}にしかいふ                 きらく                    〔印〕 (二十八尾ウ) ----------------------------------------------------------------- 注) 一オ5   @=言×爰 二オ5   @=○×○(画像を参照のこと) 二ウ1   @=目×卒 十オ8   @=目×卒 十三オ5  @=目×卒 二十七オ4 @=目×卒 二十七ウ~二十八尾ウ  洒落本大成本文では句点は「。」→忍頂寺文庫蔵本では「.」 四ウ2    [きた]とあるのは[きん](あるいは[ぼく])の誤りか? 二十八尾オ7 「いべども」は正しくは「いへども」か?