―『北川蜆殻』翻字データ凡例― ・本文中、押印部分は〔 〕でくくり「〔印〕」「〔花押〕」として示した。 ・庵点は「『 」で示した。 ・句点は「。」「.」のいずれも、「。」に統一して示した。 ・本文中で会話と登場人物の紹介とを区切る際に用いられている記号は、「◆」で示した。 ------------------------------------------------------------------------- 江南の橘も江北にしかへをとつて本素人 或は御所手の新造なとヽ化のかわの長文句に大引の相揚のくるひまで女郎のふところにひヾく北野ヽ寒山寺 迷ふてわかれさとりてわかれ 粋と不粋の二また (丁付なしオ) 竹むすふの神も二道に啌言と真言のうら表あることを北川蜆殻と題してこたひ幸雄ぬしの粋書を撰みたまふもかのいたひけな貝がらに一はいもなき蜆川恋の淵瀬のうきしつみ (丁付なしウ) 捨る神あればひろふ神有ル 御国風の長脇ざし 蜆鞘の白ぬりに二たひ花さく蘭きくの狐となり罠となり雲となり雨となりてこの色里の諸わけ手くだの穴かしこ 穴賢き文なりと其はじめに筆をとつて山柴のしたにかきよせられしとん栗おとこの四端しか云 (丁付なしオ) わん/\のとしの師走 北川蜆殻序{ほくせんしヽみのからのじよ} 華{はな}になく鶯{うぐひす}。水{みづ}に住{すむ}船頭{せんどう}。 うはばひする花見蝨{はなみじらみ}の儖客{しみたれ}なるも。陽気{やうき}に飛上{とびあが}る蚤{のみ}の小男{こおとこ}も。実{げ}に一寸{いっすん}のむしにも。五分{ごぶ}の魂{たましゐ}ありて。 おふな/\。 心{こゝろ}やるばかりの歓楽{たのしみ}はありぬべし。 不佞足下{ふねいそくか}の儒戸{とうじん}も。いましおのれの和学者{わがくしや}も。太陽病家{たいやうびやうか}で識者自誇{ものしりじまん}に。医不三二世一不レ服二其薬一{いさんぜにあらずんばそのくすりをふくせず}などゝ。堅{かた}うやらかす御医者{おゐしや}さんでも。草木国土悉皆成仏{さうもくこくどしつかいじやうぶつ}と。婆{ば}さまをなかす法中{ぼんさん}でも。奇妙無量{きめうむりやう}の楽{たの}しみは。たゞこの姑院楼上{おちややのにかひ}にとゞめたり。 (序一オ) いでや京{けう}に三倍朝{さんばいあさ}づめのならはしあるも。浪華{おゝさか}にほどらひあるは。他所行二匁{たしよゆきにもんめ}の損{そん}あるも。品{しな}こそかはれ。三弦{さみせん}の。いとしかはいと二上{にあが}りの。仇{あだ}な音{ね}じめを日柄衣裳{あげいしやう}。 序一ウ 縫{ぬい}の下着{したぎ}あるは。織{をり}ものゝをりあしからぬ。 宵{よひ}の花着{はなぎ}の浮華気{うはき}より。いつしか襟{ゑり}かけものゝ。心安{こゝろやす}くうちとけ。つまらぬ愁嘆{しうたん}に。夜{よ}をあかすなどゝ。此{この}真情{しんじやう}は。閻魔{ゑんま}の御国{みくに}の地獄{ぢごく}は知{し}らず。 (序ニオ) イギリス。 小人国{せうじんこく}の上町{うへまち}まで。いきとしいけるものゝ。いかでこの情{じやう}の。たがふ事{こと}のあるべき。 こゝに我粋兄{わがあにさん}二斗庵幸雄{にとうあんさちを}ぬし。 まだ振袖{ふりそで}の昔{むかし}より。いま若詰{わかづめ}のわかざかり。 物{もの}みな粋{すい}になりすまし。うかれてぬかす腰{こし}もと出{で}。御所出{ごしよで}。極中妾落{ごくちうてかけおち}。 (序ニウ) おちを取{とり}たる蜆殻{しゞみのから}。 この草稿{さうかう}に。一寸{ちよと}端文{はしがき}をものせよとの詔{みことのり}。 ドツコイまかせと筆{ふで}とれど。惚{ほれ}さし紙{がみ}の細長{ほそなが}う。 やるにやられぬ野暮短才{やぼたんさい}の五六{ごろく}なれば。たゞ二丁目{てうめ}の。 〔印〕この石印{こくいん}の。おしのつよひを元手{もとで}にて。序{じよ}文の沈念{しあん}を蜆川{しヾみがは}。 (序三オ) なにはともあれ梭缸{ちよき}で来{き}なサイ 文政九{ぶんせいこヽの}とせといふとし 二日酔{もちこし}の嘔逆{やをや}を喫戌龝{くらういぬのあき} 於北里楼上倡妓{ほくりろうせうにおいてこども}の紅筆{べにふで}をかりて書つく 蔵二庵五六〔花押〕 序三ウ 生{いき}としいける者{もの}。男女{なんによ}の情欲{じやうよく}なき事{こと}あたはず。 されば久米{くめ}の仙人{せんにん}は。物洗{ものあら}ふ女{おんな}の。脛{はぎ}のしろきを見{み}て。通{つう}を失{うしな}ひ。 予{よ}が輩{ともがら}は。もの喰{く}ふ芸子{げいこ}の。首{くび}すじの白{しろ}きを見{み}て。通{つう}の名{な}を穢{けが}す。 かれは飲食色事{いんしよくしきじ}をたちて。数百歳辛苦練磨{すひやくさいしんくれんま}の功{こう}。 これは美酒佳肴{びしゆかこう}にあき。美婦{びふ}を愛{あい}して。とんだり。はねたり。寐{ね}たり。起{おき}たり。 序一オ 歓楽{くはんらく}の修行{しゆぎやう}。 かれにいま。仙術{せんじゆつ}の小冊{せうさつ}も伝{つた}はらねど。これには粋道奥義{すいどうおうぎ}の青表紙{あをびやうし}かず/\有{あり}。 よつて学{まな}び安{やす}く。はまりやすきは。此{この}粋道{すいどう}にして。かれと是{これ}と。其{その}異{こと}なること雲泥万里{うんでいばんり}。 序一ウ 月{つき}とすつぽん。 出奔{しゆつぽん}の尻{しり}からげの御用心{ごやうじん}ナサイと。無理{むり}。こじつけの硯{しゞみ}の殻{から}。 実{じつ}にみのなき小冊{せうさつ}なれど。元{もと}より腎{じん}の仁{じん}より出{いで}て。いさゝか勧善懲悪{くはんぜんてうあく}の。あくびのとぎにしたまへと。うぬぼれの筆{ふで}をとる事{こと}しかり 序ニオ 文政九とせといふ歳の秋 二斗庵 幸雄しるす  〔花押〕 序ニウ 挿絵 (序三オ) 挿絵 (序三ウ) 挿絵 (序四オ) 挿絵 (序四ウ) 挿絵 (序五オ) 挿絵 (序五ウ) 北川蜆殻{ほくせんしゞみのから}上の巻 二斗庵幸雄述 蔵二庵五六閲 あだと浮華{うはき}に染上{そめあげ}た紫{むらさき}の表着{うはぎ} 時節{じせつ}は<七月七夕頃{しちぐはつたなばたごろ}> 青楼{ちやや}は<小茶{こちや}や一丁目中程中居一人{なかほどなかゐひとり}ぐらゐの株{かぶ}なり> 遊客{ゆうかく}は不粋{ぶすい}<手代{てだい}二三人ぐらゐの所の旦那株{だんなかぶ}。 尤船場{せんば}なり着付{きつけ}は。白{しろ}のさつま上布{じやうふ}。 茶{ちや}のかすりの帷紋{かたびらもん}の大きな小{こ}もん絽{ろ}の羽織{はおり}。 ゆきすぎ者{もの}にて。皆{みな}ににくまるゝ風俗{ふうぞく}にて。ずんど己惚{うぬぼれ}なり。 一オ ちと不人{ふひと}がらなり> 芸妓{げいこ}はおさつ<年{とし}のころ二十四五にて大の穴{けつ}なり。 顔{かほ}もふるし押{おし}たてもよく。美{うつく}しさもうつくしく。店{みせ}にてもたてられ花{はな}がさも多し。 どんな野夫{やぼ}にみせても一狂言{ひとけうげん}かいてみたいといふ風{ふう}なり。 もつとも自前{じまへ}。着{き}つけは絽{ろ}の洒灑柿{しやれがき}ゆうぜんの千家着屋裾{すそ}もやう。 本金{ほんきん}か中焼{ちうやき}か。なにゝもせよ茶地{ちやぢ}の金襴{きんらん}の帯{おび}。 髪{かみ}は五たいづけ珊瑚珠入{さんごじゆいり}の。銀{ぎん}のかんざし一本{いつほん}。 うすげしやうにて。あだなつくり。 何{なに}かおもひ入あるべし> 一坐芸妓{いちざげいこ}三人<おりん。さる松{まつ}。小{こ}なべ。 おの/\抱{かヽへ}とみえて衣装{いしやう}は昼{ひる}すぎなり。 しかしみな/\十八九にてうつくしきさかりなり> 一ウ 中居{なかゐ}お玉{たま}<まへだれと紐{ひも}とに気{き}をもみて。 すこし花{はな}の遠{とを}い客{きやく}の悪口{わるくち}をきくといふ風{ふう}なり> 弁慶犬尾{べんけいけんび}<出入{でいり}の茶道具屋{ちやどうぐや}とみえて。 年{とし}のころ三十ばかりにて。いやみのぬけた粋{すい}なれど。便毒{べんどく}のおかげにて。耳{みヽ}が遠{とを}くておかしみ有> 今通{いまかよ}ふ神{かみ}を引{ひき}しまひ。 酒{さけ}になつたといふざしき [不]さるまつ。 貴様{きさま}きのふ桜{さくら}ばしのきはで見{み}かけたが。どこへいたのじや [さる]ハアあのときは。御留主居{おるすさん}の舟{ふね}いきで。あのねきからのりました [不]山{やま}さきで白馬{しろうま}二疋{ひき}ほどの処{ところ}。花火{はなび}をみせてもらふて。酒{さけ}は沢{さは}やまのみしだひ。 なんでもお楽{たのし}みじやつたな。 ニオ [さる]おまはん。 どない。 難儀{なんぎ}したぞ。 [さつ]そうじやとも。 御留主居{おるす}さんの。おふれまひは。いつでもかたうてほんまに。かなはんなア。 そうして。薩摩{さつま}の。おかたやなぞは。いつかう言{いひ}なさることが。わからんさかい。てらすまいとおもふと。ほんつとめにくい。 不粋{ぶすい}さんなぞのお座敷{ざしき}は。ほんやぶいりしたようじや 二ウ [犬]なんぞおもしろいことなら。わしにもちつと聞{きか}せておくれ [さる]めんめが。きこえもせんくせに。 <ト大きなこゑで> おまはんに聞{きか}すやうな。おもしろいはなしじや。おまへん [犬]なんじや。 おまはんにきらずを。くわせて。おもい荷{に}をもたすとか。 それはおそれ。 そない世話{せは}をやいておくれいでも。あしたは二日{ふつか}ときているから。内{うち}へいぬと女子{おなご}をくどひて。豆腐屋{とうふや}へ上使{じゃうし}にやり。きらずを一文{いちもん}が。こうて。きなかゞ所{ところ}は。いつて。嚊{かゞ}が昼{ひる}めしの菜{さい}。その半{はん}かたを。から汁{しる}にして。根深{ねぶか}のざく/\とちんぴの。たゞいたのと。唐{とう}がらしと。道行三人{どうげうさんにん}を。はつと。およがして。むかひ酒{ざけ}こなから。 なんとうまからふがな。 三オ また喰{くは}ぬうちから。うまがつて居{い}るのもあしからずさ <トはなしのうち四人つれびきに新歌桐つぼをひく> 『かヽるいのちや袖{そで}の露{つゆ}チャン [不]それは去年{きよねん}扇光{あふぎみつ}で。浅処{せんしよ}が本尊{ほんぞん}て肚竜{とりゃう}がわき立{だち}で。哥{うた}びらきをしたのじやな。 あの哥{うた}も源氏{げんじ}から。おもひ付のこじつけで。長恨歌{ちやうこんか}を引ずり出して。天狗{ぐ}すぎるぞ。 三ウ 併{しかし}おはりの文句は皮肉{ひにく}じや。 此あいだきけば。浅処{せんしよ}も吐竜{とりやう}も名を替{かへ}たげな [皆/\]なんと。かへてじやつたへ。 [不]浅処{せんしよ}は幸雄{さちお}。吐竜{とりゃう}は五六とかへたそうな とう/゛\おれもかうだしものにしられては。つまらぬて [皆/\]さやうでおますかいな [不]浅処{せんしよ}は。故人{こじん}二斗庵{にとうあん}の。大粋{すい}の流{ながれ}をくんで。二斗庵{あん}といふ号{がう}をもらふたのじや [花車]さやうでおますかいなア 四オ [不]いやもふ。たれかれといふことなしに。付合{つきあひ}の広{ひろ}ひのにはあやまるて。 アゝうるさい/\。 此ごろはうき世の用{やう}にせめられて。身{み}が粉{こ}になりそふな [花車]さやうでおましやうとも。 全躰{ぜんたい}おまはんは。粋{すい}のきれてじやによつて。あそこからも。こゝからも。たてられなさるでなア <トすかさぬ花車の弁舌にぐつとのり地に成> [不]いやもふ。聞{きい}ておくれ。 別{べつし}て明朝{めうてう}などは。大門日で。こゝならば天神祭{じんまつ}りといふものじや。 朝{あさ}の内に。さる御屋舗{やしき}から金{かね}が五百貫{くはん}目下るから。うけ取にゆかねばならんし。 四ウ 正午{ご}には利休{りきう}が茶をあげたいといふてくるし。 李{り}白と杜子美{としみ}が。詩会{しくはい}をしたいといふし。 定家{ていか}家隆{かりう}が。哥の会{くはひ}には。かならずでゝくれねば。さびしいといふておこすし。 芥子園{かいしえん}が書画会{しよぐはくはひ}を。西照庵{さいせうあん}でするから。せひといふし。 夕{ゆふ}方芝居{しばゐ}はてから。鳥渡{ちよと}お目にかゝりたいと。梅玉{ばいぎよく}が手紙をおこしたし。 なんでも。あしたは。やたらに重箱{じうばこ}をせねばならぬ。廻{まは}り切られうか知{し}らんさ 五オ [さつ]全躰{ぜんたい}おまはんが。人に頼{たの}まれた事は。あとへひかんといふ気性{きしやう}じやによつて。わたしらをはじめ。おまはんをたよりにしてゐるもんじやによつて。人もみんなそうじやあろぞいな <トいふは狂言の本よみなり後ほど初日といふ下心地也> さあお玉やろ <トいふてちよくを投ると太平の中へぴつちやりと飛さりかお玉が廿五日のはれにした前垂へかヽる> ヲゝいややの <トともりをしてゐる> [不]なんの。そんなまへだれの十{と}ヲや二十。おれがしてやるわい [玉]ハイそれはおありがたふ <トにがわらひをしてゐる> [犬]何{なに}をおまへがたは。おれの事{こと}をそのやうにそしるのじや。 五ウ 旦那{たんな}の粋{すい}はむかしからのじやが。おれの聾{つんぽ}は去年{きよねん}からじやによつて。まあ新{あたら}しいかたへ。ついてくれそうなもんじや [さる]ゑらいわる粋{ずい}なア。 おまはん。わる口をだれがいひました [犬]つんぼすねてはみすれどもサ。 つんぼといへば聾{つんぽ}の一代記{いちだいき}をよんで。おきかせ申ませうか。 もし旦那。 跡{あと}の月{つき}京へ登{のぼ}りました所{ところ}が。なにか京の友だちが。今{こ}宵{よひ}は。ちと河東{かとう}へ。しのびこもうかといひます。 六オ 例{れい}の御好物{ごこうぶつ}なり。 姫{ひめ}はよしと。つれだちてずつと。四条中嶋を真直{まつすぐ}にひがしへねり出{だ}して。そこで友だちがいふには。ときにすめでは何{なに}ぶん話{はな}せん理屈{りくつ}じやによつて。どこぞで鳥渡{ちよと}壁下地{かべしたぢ}を。かこうじやないかといひます。 そいつよかろうと。雨蛙{あまがいる}三八も。あまりはかなひによつて。俵駒{たはらこま}と洒灑{しやれ}かけ。杯八位{はいはちくらゐ}引かけて。そこから川端{かははた}の。さる茶屋へ上りましたところが。友だちがいふには。貴様{きさま}をつんしうといふも。あより智恵{ちゑ}のないせんさくじやによつて。なんでも貴様は。さる所{ところ}の若旦那{わかだんな}でいつかう物{もの}いはずじやといふて。おれがよいかげんに。つけ口上をやらかすよつて。なんでもじんじやうに。やらかせと。申ます。 六ウ こいつおもしろ烏{からす}どのとするうちに。盃{さかづき}がでます。 つヾいて高野豆腐{かうやとうふ}に。かまぼこの。とまつてゐるのや。ゆり根{ね}と。うどの。あはひに。はもの骨切{ほねきり}の。およいでゐる大平{おほひら}や。むすび昆布{こんぶ}なぞで。座敷{ざしき}に成ニ{ふた}ッ一{いち}の。ずいぶん大きな。引合の口を。よびにやつて。 七オ うたしたり。ひかしたりして。だん/\酒{さけ}がまわるにしたがひ。本蔵{ほんざう}やくそくうちわすれて。木地{きぢ}がしやべりから。みがいた男{おとこ}じやによつて。しやべり京へ登{のぼ}りやと。そろ/\やりだしたによつて。友{とも}だちも大{おほき}に心配{しんばい}して。いろ/\の目{め}つきや。手{て}じなをしたりしても。此方{このほう}いつこうづきなで。 貴{き}さまもゑろふをかしな。手つきや。顔{かほ}つきをするが。なんぞ。てんかんやみの身ぶりでも。しているのかと申ましたら。此男もこらへかねて。大きな声{こゑ}で。貴様{きさま}はぜんたい。ものいはずじやないかと。いはれて。ほんにと気{き}がつき。こん夜{や}はきつう酔{よふ}たと。せりふの間{ま}がぬけて。素人{しろうと}しばゐの。わたりぜりふといふやうになりました。 七ウ そこで。どふも仕かたがなさに。小{せう}べん所はどこじやと。尋{たづ}ねましたら。つれの男が。ずつと指{ゆび}ざしをいたしました物じやによつて。ぐつと安{やす}のみこみにて。押入{おしいれ}のから紙{かみ}を。あけましたところが。二階{かい}ゆへかなんにもござりませなんだ。 八オ 所が運{うん}のつき。 むさんかふに。づうと這{は}いり。又しめて一足{ひとあし}あるくと行{ゆき}あたり。 これはけしからぬ。せまい所じやとぞんじまして。どこぞがあくであらふと。まごついておりましたら。上下の女が。燭台{しよくだい}をもつて来{き}て。むりに引ずり出して。その隣{となり}の杉{すぎ}戸をあけましたら。そこが小便{せうべん}所でござりました。 八ウ 皆{みな}/\どつと笑{わら}ふて。聾{つんぼ}の正躰{せうたい}を。あらはしました。 きつい災難{さいなん}な [さつ]犬尾{けんひ}さんの古だしものも。久しいものじや <ト皆/\笑ふ> [犬]サァ/\酒も。もう。一ぺんまわし取と。出かけましやうなア旦那{だんな} [りんさる]マァよふおますわいな。 まだ四ッにもならんのに [さつ]それでも。また御内の手形{がた}がなア [不]サァどふとも/\ [三人]<おもてを見合せわらふ> をゝすかん。 どうでわたや。夫{おつと}が大事でおます引 <などのころし文句はのちの前表とぞしられたり> サァ/\廻し取といたしましやう 九オ <ト花車がはからひに皆々三味せんしまい> [三人]不粋{すい}さん。 どなたもお有がたふ。 また此間{あいだ}にどふぞヱあねはん。 いんでかうゑ <トみな/\かへる お玉は小間へ床をこしらへさやうなら不粋さんちとあちらへを切かけにおくり三重おさつは小便にたつ> 抑{そも/\}本舞台{ほんぶたい}。 床は西まくらにて。ほのくらきあんどう。未申の角にしよんぼりと立。 黒塗{くろぬり}の烟草盆{たばこぼん}。まくらに添{そ}ふて斜{なゝめ}なり。 五尺{しやく}六枚折{まいをり}。入{いり}口にすちかいて立{たて}。 裏{うら}はお定りの雀形{すゞめがた}。 表{おもて}にゐる仕こみ画{ゑ}の仙人{せんにん}。 連夜{れんや}つまらぬことのきゝ役{やく}。 たゞ気をわるくしてため息{いき}をつくべし。 九ウ 不粋{ぶすい}かしゆかたを着{き}かへてこける。 おさつは程{ほと}なく。かたてに鏡袋{かゞみぶくろ}をもち。しと/\上{あが}りくる。 まつその儘{まゝ}床{とこ}のそばへすはり。烟草{たばこ}をのみすい付{つけ}て出{だす} [不]ときに貴様{きさま}の顔は。梅幸{ばいかう}のお岩{いわ}か若詰{わかづめ}が。とやをわづらふてゐるといふ色合{いろあい}じやが。 またさしものもなにもかも。十の後{しり}をまげたのじやあろよふまだその着物{きもの}が御無事{ごぶじ}でいるな [さつ]そのはづでもあろかいなア。 おまはんも知{し}つていなさる通{とふ}りじやもの 十オ 挿絵 十ウ 挿絵 又十オ さきにも綿富{わたとみ}から出{だ}しにきたけれど。あんまり気色{きしよく}がわるいよつて。ことわりいふていかなんだが。おまはんおいでたと。きいてすこしは。うさはらしといふ気{き}で。出{で}て来{き}ました。 マア聞ておくれ。 せんども咄{はな}しておいた。かゝ様{さん}の病気{へうき} <トいひ/\帯をといて横にねて枕の下へ手をさしこみぐつと引よせすこしうけにくい事どもヽあり 此はなしをしかけ半ぶんいひさしてかくのごとき狂言甚古だぬきのしわざ也> もふ今日{けふ}は。よつぼとわるいわいな。 それに御医者{おゐしや}さんが。これはかんとうとやら。嶋{しま}ちりめんとやらを。つかはねばならぬといふて。それでひんずに五匁程{ほど}しまひつけた。 又十ウ それに此節季{せつき}は。いつもとちがふて <トいひさして口のうちであくびをしてなみだぐむ> それに。こんなあたまをしていたよつて。よそへはでられず。いよ/\つまらぬわいな [不]アゝモウ皆{みな}までいふな。 もふ筋{すじ}はわかつているは。 又候おれにさそふじや。 マアよふおもふてみいよ。 間{あい}に五匁づヽもやつて。そのうへ日柄{がら}の。四ッ宛{づヽ}もでゝやるし。来{く}るたび毎{ごと}に。ついぞ花{はな}でよんだことはなし。 十一オ やれ妹{いもと}を引て出たといふてはくゝりつけ。 やれあしたは。初日{しよにち}じやとやら。とゝさんの法事{ほうじ}じやのと。すに付。こにつけ。 ひつきやう金{きん}たつぶりの大服{ぶく}中なればこそあれ。 誠{まことに}年中行事{ぎやうし}の外{ほか}なことまでしてやるとは。われが為{ため}には肉付の旦那様{たんなさま}じやぞよ。 大平楽{らく}じやないが。この嶋{しま}は勿論{もちろん}。 坂町{さかまち}。江州{こうしう}。むかひがはどこへ行{ゆき}ても。おれがこうといふたら。うんといはぬ姫{ひめ}はないわい それにわれひとりを守{まもつ}てゐるをありがたひともおもはず。 十一ウ 又{また}候おねだりはおいてくれ <トぞんぶんうぬぼれをいひ立られはらにすへかねたれどぐつと手のあるげい子ゆへ> [さつ]そないに。十九文店{じうくもんみせ}のたなおろしじやあるまいし。ならべたてゝいひなさることはおませんわいな。 そりやおまはんに世話{せわ}になればこそあれ。 わたしのやうなものでも。相応{さうおう}に店{みせ}でも立{たて}られてゐます。 わたしが不足{ふそく}をいやせまいし。 しかしそないに言{いひ}なさるのは大{おゝ}かたわたしがやうな者{もの}じやによつて。おもしろないやうになつたのじやあろ。 十二オ いやならいやとしらでいふておくれ。 わたしも量見{りやうけん}がおます [不]おれがまた。いやじやといふたらどふする [さつ]おまはんいやならいやで。どふぞ好{すい}ておくれと。いふたてしやうもなし。 わたしも又{また}。たのしみのあるからだではなし。 骸骨{がいこつ}の捨{すて}どころに迷{まよ}はねばならん。 今{いま}さらわきで色事{いろごと}するもいやじやし。 すりやおまはんの手{て}にかゝつて。死{しぬ}より外{ほか}のことはないわいな もし殺{ころす}のがいやなら。おまはんの内{うち}へいて。わたいがでに死{しん}でこます 十二ウ <ト二のうでの所にくいつく> [不]いたいはべらぼうめ <トはいへどこのしんでこますといふ文句大ひにはまりもはやがくりと成> [不]女郎{じよろう}かい。 のこりしものは。あざばかりとは能{よふ}言{いふ}たことじや <トいひ/\小便にたつおさつはしじうなみだをふくこなしにてはらばいに成てゐる不粋はたちもどり> [不]こりやこれは。われにやるのじやないそよ。 はヽ親{おや}の病気{へうき}が。あまり気{き}のどくじやによつて。借{かし}てやるは <ト二歩金六ッ程出してやる> [さつ]こないに心{こヽろ}やすだてヾ。腹{はら}も立{たて}たりたゝせたり。 ほんにおまはんのやうに。しんせつにしておくれるほど。なんじや又{また}胸{むね}が一{いつ}ばいになつてきて 十三オ <トひつたり大しげり こゝぞしんけん作者もしらぬ狂言あるべし さだめてかた/\の手がじやまになるであろう 犬尾は下の台どころにて残物でびたら/\と家内を相手に酒をのんでゐる 主人は合せんかうのそばにすはつてゐる 奥からあいてきた妓> [おまつ]犬尾様{けんびさん}お久{ひさし}ぶりじや。 ねから顔{かほ}みせておくれんな。 <ト大声でいふ> [犬]顔{かほ}をみせるの。みせんのと。持丸{もちまる}の娘{むすめ}じやあるまいしときにいつみてもうつくしゝ。 一雨{ひとあめ}/\もふるいが。近年{きんねん}立派{りつぱ}になつたものが。芝居{しばゐ}のかんばんと。おまへとじやといふ評判記{へうばんき}じや [まつ]そこへよろしう。おとりさがし。 十三ウ 万助{まんすけ}どん返事{へんじ}はどこ/\じやいなア [万介]てん靏{つる}と水亀{みづかめ}とじやと。ぞんしてゐます。 なんなら店{みせ}で。たつねてさんじましやうかいなア [まつ]モウよいわいな。 どこもかもどふで。もふ。おそかろ [犬]ちよつと久{ひさ}しぶりに。もつてんか <トちよくをいだす> [まつ]おいたゞき申ましやう <トのみ> [まつ]おかたふおますけど <ト犬尾にもどす> 犬尾{けんび}さん。御{ご}ゆるりと。 小母{おば}さん。小父{おぢ}さん。おありがたふ。 もし千{せん}さんが来{き}てじやあつたら。しらしてもろうておくれや 十四オ [花車]よふおいでた <二階からチヨン/\手かなる> [小めろ]ハイ引 <二かいへあがり屏風のあはひからすこし顔を出し> およびな [不]駕{かご}を一挺{いつてう}いふてやつてくれ 十四ウ 北川蜆殻{ほくせんしゞみのから}下の巻 二斗庵幸雄述 蔵二庵五六閲 暖和{あたヽか}に肌{はだ}ざはりも吉野漢唐{よしのかんとう}の下着{したき} 望月半天{もちつきはんてん}にかたむくころ。 物干{ものほし}の提灯{てうちん}かげうすれ壱丁目{てうめ}の角{かど}の出{だ}しみせ銭{ぜに}を納{おさ}む。 柁{とも}をなをせ/\といふ声{こゑ}は。蜆川{しゞみがは}にかへりくる納涼{のうりやう}の舟{ふね}なるべし。 按摩肩引{あんまけんびき}の笛声{ふへのこへ}。ひう/\然{ぜん}として。 一オ 駒下駄{こまげた}の音{おと}にまじはる。 中{なか}むかひの提灯{てうちん}かげをあらそふころ。 捨{すて}せりふにて立{たち}いづるは。以前{ぜん}の家妓{かぎ}おさつ。 店{みせ}の男{おとこ}と二人{ふたり}何{なに}かぼち/\話{はなし}をしながら。二丁目{てうめ}の町{まち}はづれにて。うすどろの相{あい}かたはなけれど。忽然{こつぜん}とたち消{ぎへ}がする [さつ]八助{はちすけ}どん店{みせ}でな <ト耳にくらひつくやうにさゝやくはこいつさだめてきやうげんならん この茶屋にゐるといふことがもし内へしれては一大事といふわけなるべし 作者くわしくいはざるはあたりさはりがあつておきのどくなればなり これらは此御かた/゛\のはなはだひみつごとなればぞかし しかしこの若いもの八助をり/\は白馬一疋にはあたるべし> 一ウ [八助]ヘイよろしう御{ご}さります [さつ]おばさんこんやは。この松{まつ}さんはあづけかへ <花車五十あまりにてしごく気性のよき婆さまにて猫ともろともに按摩をさせていねむつている> [花車]おさつさんか。 ようおいでた。 あづけじやないけれど。また戻{もど}らんわいな [さつ]幸{かう}さんもだん/\。おまはんのおせはで [花車]なんのいなア。おくにねていてじや ◆扨{さて}この幸十郎{かうじうろう}といふは。さる上町辺{うへまちへん}の息子株{むすこかぶ}。 生年{しやうねん}二十七歳{さい}ばかり。 あまりつかひすぎ。いま勘当{かんどう}の身{み}の。よるべなさに。すこし工合{くあい}をした金{かね}をもつて。この二丁目{てうめ}の後家茶屋{ごけぢやや}に。かゝりう人{ど}となり。 二オ 昼{ひる}はすつこんで。夜{よ}るあらはれる狸{たぬき}同様{どうやう}の人物{じんぶつ}なり。 こよひもむしやくしや。おもひ寐{ね}も。母{はゝ}のなさけの泪{なみだ}の雨{あめ}にさらしのゆかた。 あさの葉{は}の。あさくはあらぬ恩愛{おんあい}も。まだしみ/゛\と身{み}にしまぬ。 初秋{はつあき}かぜにねむりゐる。 扨{さて}この茶屋{ちやや}の花車{くはしや}も。はなはだ深切{しんせつ}ものにて。場所{ばしよ}に似合{にあは}ぬ気質{きしつ}。 いま迄{まで}この幸十郎{かうじうろう}が。つかふた恩{おん}をおもひ。はなはだ大事{だいじ}にかける。 二ウ おさつはずつと奥{おく}へゆきて。よく寐{ね}てゐる幸十郎{かうじうろう}が。枕{まくら}もとにすはり [さつ]コレ/\幸{かう}さん/\ <トゆりおこす幸十郎は目をさましあかしなければ真のやみ> [幸]ウゝンたれじや/\。 此松{このまつ}さんはまたわるひことをするぜ。 いま花{はな}からもどりたか。 ほたへずとまゝをおあがり [さつ]コレ/\わたしじやわいな [幸]何{なに}わたしじや。 どこのわたしじや。 源八{げんばち}のわたしか。 たゞし平太{へいだ}のわたしか。 十三{じうそ}か。 なんとおもふて。めづらしうでゝきておくれた。 三オ 今宵{こよひ}はよつほと。おひまと見へるな <トいふうち小女郎{こめろ}あんどに火をともして来る> [さつ]大{おゝ}きにおかたしけ。 おまへはよふ寐{ね}る人{ひと}じやなア [幸]よふ寐{ね}るか。わるうねるかしらぬが。余所{よそ}のさわぎも聞{きヽ}あくし。一杯{いつぱい}のもうも金{かね}はなし。ねるより外{ほか}のしやうはない。 をり/\よい夢{ゆめ}を見{み}るのがたのしみさ。 昼{ひる}はでられず。夜{よ}るも知{し}つた面{かほ}だらけで。頬{ほう}かむりでもせねば出{で}られず。 此{この}暑{あつひ}のに手{て}ぬぐひや。頭巾{きん}をかぶつたら。頭{あたま}はかびだらけになるであろうし。誠{まこと}にどふもしやうがない。 三ウ そこでねるのよ。 貴{き}さまたちのやうに。毎日{まいにち}まひばん。あちらへいてはうだつき。こちらへいてはいちやつき。うまひものはくひしだひ。一日{いちにち}なりとも。かわつてほしい [さつ]それは道理{どうり}じやが。わたしの胸{むね}をわつて見{み}せたい。 今{いま}さらいふもおそひ事{こと}じやが。おまへゆへにどのやうに苦労{くろう}するぞいな。 内{うち}でもおまへがこヽのうちに。来{き}てゐてじやことを知{し}つてゐるによつて。こゝの内{うち}へちよつとでも。花{はな}にくるとやかましういわれるし。 四オ つとめにくひ座敷{ざしき}じやといふて。そない気{き}まゝばかりしてみいな。 第一{だいいち}店{みせ}のうけがわるなるし。こゝへこふとおもふ程{ほど}。一倍{いちばい}せいださねばならぬわいな。 それに世間{せけん}へも。おまへのことが吹聴{ふいちやう}がまわつたやうすじやによつて。もふ正月{せうぐはつ}のことがあんじられます [幸]アゝまたしうたんのきゝやくか。 四ウ ちつと花{はな}やかな。わつさりとしたはなしを聞{きか}しんか [さつ]なんのおまへがいひだしておいてから [幸]しかしまたじみなはなしにおちいるが。わしもこうしてばかりゐても。はじまらぬせんさくじやによつて。どふぞ西店{にしみせ}からでも。太鼓{たいこ}むらへはいつて。どん/\にやけから。出{で}てこまそふといふたらこゝのおばさんが。もふちつとの辛抱{しんぼう}じやによつて。しんぼうしなされ。 いま安治川{あぢかは}の伯父子{おぢこ}さんがわびことしてじやと。うはさがござりますと。 五オ それは/\深切{しんせつ}にいふてくれてじやによつてそんなこともならずそうこうするうち。此{この}間{あいだ}もちょつとはなす通{とふ}り○印{まるじるし}の切{き}れめにはなるし。 アゝどうもしかたがない。 そうして此{この}間{あいだ}いふたことはどふしてくれる <トためいきをつくにつけおさつは道理とむねせまりいぜんの不粋からもらひし二歩金とりいだし> [さつ]そうおもひじやも尤{もつとも}。 さら/\無理{むり}とはおもひません。 これまではでにあそんでじやあつたのに。急{きう}にいまそのやうなからだに成{なり}たのじやもの。 五ウ マアこゝに四匁{しもんめ}ほど。今宵{こよひ}不粋{ぶすい}さんからもらうたのじやさかいこれでまちつとのま。辛抱{しんぼう}しておくれ [幸]そんならおれを見捨{みすて}もせず。これをかしてくれる気{き}か。 かたじけない。 程{ほど}なう勘当{かんどう}もゆりたなら。この恩{おん}のおくりやうもあろう [さつ]なんじやいな。他人{たにん}がましい。 そりやわたしじやとてこれをもらうにも。たいていのからくりをしたことじやないけれど。おまへゆへとおもへば。なんともおもはんわいな 五オ 挿絵 五ウ 挿絵 六オ [幸]アゝまあ/\これで。こゝの内{うち}にゐるのも。十日{とふか}か十五日{しうごにち}は気{き}づゝなふもない。 またそれまでには。どふともなるじやあろぞい <トすこしげんきになりそろ/\はいだしふすまのところから顔を出し> [幸]おばさん/\ [花車]ハア [幸]おそなはつて。 誠{まこと}にお気{き}のどくじやが。談宇{だんう}へなんぞとりにやつておくれんか [花車]そりや。とりにやるにはおそなつても。大事{だいじ}おませんが。 それも費{ついへ}じやが内{うち}にあるみづからと二階{にかい}からひけた残{のこ}りでなとしまひなさらんか 六ウ [幸]それは有{あり}がたいがそれでもこゝのうちにもお邪{じや}まじやしわたしもちつと心{こゝろ}いわひのこともあるさかいどふぞ一寸{ちよつと} [花車]ハアそんならそふ申てやりましやう <ト小めろにいひ付るほどなくうなぎごゐの吸ものなど来> [幸]これは/\おねむかろうに大{おほ}きに御{こ}めんどふ ときにおばさんちょつと一盃{いつぱい}やらかしなされ [花車]ハアおありがたふ しかしおじやまに 七オ [さつ]なんのいなア。もふはなしもしまひじやわいな [花車]そんならちといたゝきましやう [幸]アゝ此{この}やうに。おまはんにお世話{せは}になるのも。因縁{いんねん}じやあろ ほんに親{おや}のやうにおもひます [さつ]幸{かう}さんもどないにおばさんが。深切{しんせつ}なといふて。よろこんでいてゞおますぞ。 もふすこしの間{あいだ}。世話{せは}をやいてあげておくんなされ [花車]なんのまア。どふでお世話{せは}もいきとゞかねど成丈{なるたけ}はとおもふてゐます。 こうしておまへがこゝへきてじやのも。どうかおまへの内{うち}へたいして。ほんにお気{き}のどくじやけれど。 これじやといふて。もとから幸{かう}さんも。このやうにもなし。 七ウ 相応{さうおう}に世話{せは}もやいてあげてじやあつたものを。今{いま}かふなりたといふて。おまへも見捨{みすて}られまいし。 そこはおまへのところのおばさんもちつとは承知{しやうち}しておくれにやならん どうか内{うち}にも知{し}つてゐてじややうすで。おり/\いやみがあるわいな。 八オ [さつ]そうでおます。 わたしもこの間{あいだ}うち。それでかゝ様{さん}と喧嘩{けんくは}をしたわいな。 それでも内にも。ちつとのことはだまつていてじやけれど。わたしが何{なに}ぶん精{せい}だすものじやによつて。おまはんの事{こと}もなにもかも。わたしがむねにあるさかい。かならずあんじておくれな <トはなすうちこゝの内のむすめいま花からもどつてきてヲゝしんどゝあがりくちにこしをかける 年のころ廿一二ずいぶんうつくしくこのごろさしものもかはつていまをさかりの花の山 おもてむき今橋へん何の某とかいふ人のきつしりこいつも合の手に二三人あるべし 奥をのぞいてみてずつとあがりべにをはがして楊枝をくはへながら> 八ウ [此松]ハイおゆるしな。 幸{かう}さんあねさんおいでな。 こん夜{や}はひどふむしつきます [幸]いつもながら。りうてきのゑらのみじやな。 こん夜{や}は今橋{いまぱし}の口{くち}なら。かふはやうあいてもどる筈{はつ}はないが。さだめて南{みなみ}の口{くち}じやあろう。 道理{どうり}で顔色{かほいろ}が。ありがたうれしいあんばいじや [此松]よふおつしやつてじや。 南{みなみ}の餓鬼{かき}はこのごろねつから出{で}てうせません [幸]そふまたたゞとつたやうに。いふでもない 九オ [さつ]おまへどこへいてじやつた [このまつ]花善{はなぜん}で半口{はんかう}さんでいていました。 あのおかたはわるう人{ひと}に。酒{さけ}をのますおかたじやさかい。どふもならん。 こん夜{や}はそれで。ひどふよいました。 ヲゝ烟草{たばこ}入{いれ}を。店{みせ}にわすれてきた <トはなしをしてゐるうちおもてのかたさはがしくけんくはと見へていひやうている> [このまつ]なんじやいな <トみな/\立て格子のあいだからのぞく一人は江戸ものとみへひとりは上方もの なにか女のことゝみへてふたりとも店のわかいもの> [江戸]これ手前{てめへ}。 そんなに肩{かた}を未申{ひつじさる}の方{ほう}からちよんまげて。いきすじを鬼{き}もんからひつばつて御{ご}てへそうを。ならべたてる。こたアねへじやねいか。 九ウ たかゞあの女{あま}のことなら。そんなに野川{のがは}を小便{せうべん}けへ舟{ふね}が通{とふ}るやうに。あつちへあたり。こつちへあたり。からんでいふこともべらぼうなせんさくだよ。 手{て}めへまたおれがあの女{あま}に。いちやでもあるといふことは。いつの月夜{つきよ}のばんに。どんな證拠{せうこ}でものをいふぞ [大坂]わりやこのあいだ廿二日{にじうににち}のばん。三丁目{てうめ}の大{おほ}ろうじの。天万{てんまん}のかどで。ぼちや/\話{はなし}をしていやがつて。とふ/゛\引{ひき}ずりこんだをしつてゐるわい 十オ [江戸]おぬしやア。いくら土地{とち}の者{もの}だつて。見通{みどふ}しの法印様{ほういんさま}か。 田町{たまち}のうらやさんじやアあるめへし二丁目{てうめ}にすわつてゐて。三丁目{てうめ}のことだわかるもんかへ 廿二日{にち}のばんにやア。鼻吉{はなきち}さんで。他所{たしよ}ゆきをしたわへ [大坂]われ他所{たしよ}ゆきをしたといふてもな。鼻吉{はなきち}さんは初夜{しよや}じぶんには。内{うち}にいたわへ 十ウ [江戸]てめへまたあんな女{あま}ちよを大事{でへじ}にするがざまアみろ へべちやあねへらんちうか河豚魚{ふぐ}のとつから三日{みつか}げへりをしたといふ身{み}で痘瘡見舞{ほうさうみめへ}の達磨様{だるまさま}にあてみをくらはせたといふつらだは あれでも手{て}めへのためにアそらほど大事{でへじ}のなら嶋桐{しまぎり}のやろう蓋{ぶた}でもあつれへてしやうのうたつぶらて質{しち}やの蔵{くら}へでもあづけておけへ しかしおれがまたあんなお化{ばけ}の再来{さいらい}でも。とこぞの虫{むし}のあんべへしきで。したらどふする 十一オ [大坂]したらどふするもすさまじい われがしてゐることは。ちがいないわいつべらこべらと。厄祓{やくはらひ}が。のぞきの口上{かうぜう}のやうにいやがつてもナ。してゐるにやちがひないわへ。 盗人{ぬすびと}たけ/゛\しくいわずと。どふぞわたくしがわるふござりましたと。樽肴{たるさかな}をもつて来{き}て。おれのまへで三拝{さんぱい}せへ [江戸]おやとんだ大福餅{だいふくもち}か。やきまんぢうじやア。 ねへがひらつてへ口上{かうぜう}だな われがとこの嚊{かゝ}じやあるめへし 馬鹿{ばか}アいやアがれ御{ご}ていそうながら二丁目{てうめ}の掘{ほり}ぬき井戸{いど}の水{みづ}て産湯{うぶゆ}をおつかひあそばしてすいど尻{じり}の常燈籠{ぜうとうろう}をよこめににらんで乳{ちゝ}のあいだにア上{ぜう}あんまきせんべいか紅谷{べにや}のきんとんでおそだちなさつて五十三次{つぎ}に金玉{きんだま}をのぞかせて京大坂{けうおゝさか}一{ひと}またぎといふ男{おとこ}だア 十一ウ おそらく宮{みや}めぐりに氏神{うちがみ}の鈴{すヾ}の下と。親父{おやぢ}が死{しん}だとき仏{ぶつ}だんのめへとで。あたまを下{さげ}だまんまで。こらほども人{ひと}にあやまつたこたアねへ男{おとこ}だ。 十二オ だりむくれのへちむくれ野郎{やろう}め 男{おとこ}をみそくなやアがつたか [大坂]われもなア命{いのち}めうがのないやつじや。 しまつをしておけば一生{いつせう}あるいのちを。 いま目{め}のまへでおれが手{て}にかけ。寂滅{じやくめつ}じやぞよ。 ふぬけといふはわれがこつちやは。横町{よこまち}の長半{てうはん}に。ふんどしひとつで。どづかれたこと。おぼへてゐやアがるか 十二ウ <トだん/\こはだかになりくんづころんづたゝき合するとそこからもこゝからも人がでゝきて西とひがしへと引ぱつて行あとは大かぜのないだやうになり> [幸]つまらんやつらじやが。江戸のものはよふしやべるな [さつ]あれは作者{さくしや}の。だしものじやわいな そしてあの江戸{ど}ものは。どこのやらの男衆{おとこし}じやなア [このまつ]さいなアあれはどこのやらじや <トいひ/\おくへ行> ◆折{をり}からおもてをあけて入来{いりく}る者{もの}あり。 年{とし}ごろ廿四五位{くらゐ}にて。あかのぬけた本多{ほんだ}わげの男{おとこ} 十三オ 挿絵 十三ウ 挿絵 又十三オ [男]もうしおゆるしなされませ。 わたくしは上町{うへまち}の五六{ころく}さんのところから。たのまれてさんじましたが一寸急{ちよときう}に幸{かう}さんとやらに。御目{おめ}にかゝらねば。わからんことがござりまして手紙{てがみ}ではわかりにくひによつて。御目{おめ}にかゝつて。そう申{もうし}てくれと。おつしやりました。 おそなはりましてお気{き}のどくで。ござりますが。どふぞ鳥渡幸{ちよとかう}さんに。お目{め}にかゝりたふぞんします <ト花車が取ついで幸十郎のところへいふていく幸も五六さんと聞て落付> 十三ウ [幸]それは大{おゝ}かた。南{みなみ}のゑて吉{きち}が。こつて御座{ござ}りましやう。 あひましやう。 なんのいやきに成{なつ}たあいつが。又{また}なんぞといふであらうが。のいてしまうと。五六{ごろく}さんにたのんでおいたもの。 よもやなんの。かのと。ぬかさしもせまい [さつ]幸{かう}さん。しつかりといふてやりいな。 おまへが全躰{ぜんたい}気{き}がよわいよつて。あかんわいな。 今{いま}までにゑて吉{きち}さんの方{ほう}を。早{はや}うわけを。つけてしまひといふに。 十四オ 五六{ごろく}さんにたのんである/\とばかりいひなさつて。一寸{ちよつ}ともわけがつかんやうすじやが。 ぜんたいおまへは。まだ未練{みれん}が残{のこ}つてあるのかいな [幸]あほらしいことをいふな。 こんやいふてやるのをみい。 どんなものじや。 あいつに義理{ぎり}があるではなし。なんの為{ため}にみれんがのこるものか。 しかし使{つかい}をまたして。貴様{きさま}と喧嘩{けんくは}をしていてもつまらぬさかい。こん夜{や}のところをみたがよいわいな 十四ウ <トいひつヽおもてへ出る> [幸]おまはん五六{ごろく}さんの所{ところ}から。来{き}ておくれた人{ひと}か。 大{おゝ}きに御苦労{ごくろう}さん。 まアおあがりなされ [男]ヘイさやうで御座{ござ}ります。 わたくしばかりでも御座{ござ}りません。 もうひとりお目{め}にかゝりたいといふお人{ひと}がござります。といひつゝ。 申{もうし}ゑて吉{きち}さんおはいりなされませ <トいふこゑに幸十郎はびつくりせしかもはやとかくごしおちついてゐる づうといりくる女は二十三四名はゑて吉> ◆その風俗{ふうぞく}。ちりめんの地白南京染{ぢしろなんきんぞめ}のゆかた 十五オ 顔{かほ}だちは。まづ細{ほそ}おもてにて。色白{いろしろ}く。 目{め}はつりたるかた。鼻{はな}すじ通{とふ}り。 素顔{すがほ}にて。銀杏{いちやう}にすいたるどたま。 すき油{あぶら}のにほひ。ふん/゛\然{ぜん}と鼻{はな}をうがち。 背{せ}たかくして。つん/\焉{えん}としてあがり [ゑて]幸{かう}さんお久{ひさ}しう <トいわれて幸十郎もすこしめんぼくなくぐにや/\といふている> [幸]この間{あいだ}は文{ふみ}をおこしておくれたが。どふも返事{へんじ}のしやうもなし。 気{き}にかゝらんではなけれど。何{なに}ぶん知つてゐてじや通{とふ}りの此{この}節{せつ}のしぎじやによつて <トうなら/\といふぜんたい此ゑて吉にも大分義理があつて引にひかれぬわけなり もとよりいやきになつたのでもなし こちらのおさつに義理のあるうへこうしてこの茶やにゐるものゆへよんどころなくきれてしまうといふりくつになつたれどそれはたゞおさつの手まへのみなればじつは幸十郎もその気はなきことなり こん夜おさつがきているゆへはなしあひに大きにこまつてあせ水に成ている> [ゑて]幸{かう}さん。 おまはんもきこへんおかたじやぞへ。 せんどからもたび/\五六{ころく}さんのところへ。文{ふみ}をだして。どこにゐなさるやら。鳥渡{ちよっと}ゐなさるところを。聞{きか}せておくれと。いふてやつても。 いまはちとやうすあつて。さるところにゐなさるが。何分{なにぶん}いま暫{しばら}く。おまへにさたをしてくれるな。 十六オ そのうちには。こちらから。いふてやると。幸{かう}さんのたのみじやによつて。もうちつとしんぼうしなされ。 そのうちには。わかるとばかり。いふておこしてじやけれど。気{き}にかヽるゆへ。此{この}あいだ朝{あさ}まいりのもどりに。五六{ごろく}さんのところへいて。直{じき}に聞{きい}ても。その通{とふ}りばかりいふていなさるところへ。友達{ともだち}の十六{とろく}さんがおいでヽ。 十六ウ 扨{さて}幸{かう}さんも気{き}のどくな事{こと}じや。 きけば北{きた}の新地{しんち}の。天{てん}かんたらいふ茶屋{ちやや}に。いなさるげなとの。はなしから。とう/゛\おまはんの。ゐどころのばけが。あらはれて。 よう/\こよひ。おまはん。しつてゐなさる。河{かは}なみといふお茶屋{ちやや}へ。花{はな}をつけてもらうて。出{で}て来{き}ました。 この嶋{しま}のわけも。何{なに}もかも。よふ知{し}つてゐます。 おまはん。ぜんたいどふいふ気{き}じやいな。 よふそないな義理知{ぎりし}らずに。生{うま}れて来{き}てじやあつたな 十七オ <トいわれてさすがにおさつがきてゐるといふこともいはれず大きになんぎをしてゐる> [幸]おまへがそふいふは尤{もつとも}じやが。それには段{たん}/\よふすの有{ある}ことじやによつて。 マア一{いつ}たん得心{とくしん}づくで。きれておくれ [ゑて]おきなされ。 ところてんの鼻緒{はなを}か。燈心{とうしん}のかゝへ帯{おび}ではあるまいし。 そふこゝろ安{やす}う切{き}れるくらいなら。世間{せけん}に義理{ぎり}といふものはおませんわいな。 これまで段{だん}/\苦労{くろう}したことも。よもやわすれはしなさるまいし。 十七ウ それにぼんの生{うま}れるときじやといふて。久{ひさ}さんの方{ほう}のわけが。むつかしかつた事{こと}も。おぼへていなさるじやあろうが。 よふまああつかましう。そないなことが。いわれるなア。 しかしそれほど。のいてほしくば。そりやどふともしましやうが。此嶋{このしま}の。 ソレ。あの。おさつさんとかいふお方{かた}に。逢{あ}ふて。わたしが。腹一{はらいつ}ぱいいふてから。どふともしませうさかい。ちょつとよびにあげておくれ 十八オ 挿絵 十八ウ 挿絵 又十八オ [幸]そういふてくれると。甚{はなはだ}むつかしひが。何{なに}は格別{かくべつ}長{ながい}ことでもないが。しばらくそれなア <ト小ゆひを出して> のわけじやによつて。そこはのみこんで。 そりや貴{き}さまに。苦労{くろう}させた事{こと}は。なんのわすれう。 しかしさきにもいふ通{とふ}り。だん/゛\やうすの有{ある}ことじやによつて。ついわかることもあるじやあろう。 こゝが貴{き}さまのよみとうたじや。 なアそれ [ゑて]なんじやいな。 又十八ウ 幽魄{ゆうれい}とせりふしてゐるやうで。ねつから。わかりやせんがな。 全躰{ぜんたい}どふじやぞいな [幸]いやサどふといふたらそれ <トぜんたい幸十郎のくはらがないゆへふすまひとへあちらにはおさつがきいてゐるゆへあらはにはいわれず どふいをかこういをふかとつおいつしあんしてゐる故せりふつき間がぬけいつかうわけがわからず しゞうさつ此まつ花車三人つぎのまにきいてゐる おさつがさいぜんからのせりふいつこう気にいらずひとり腹をたてゝさゝやきごへにて> [さつ]なアおばさん。 幸{かう}さんといふおかたは。ぜんたいどふいふ人{ひと}じやあろう。 なんぼぬめたじやといふても。程{ほど}らいがあるわいな。 十九オ あんまりあほらしいわいなア。 少々{せう/\}の義理引{ぎりひき}があるかといふて。 いやなら。いやでわかつて。あることじやないかいな。 あのまたゑて吉{きち}たらいふやつも。なんじや苦{く}ろうをしたはの。義理{ぎり}があるはのと。恩{おん}にきせたらしい。 そしてもふ夜{よ}も更{ふけ}るさかい。よいかげんにしていなしてしまいなればよいがな。 鳥渡幸{ちよつとかう}さんをよんで。そういふておくれんか [花車]そんならおたこに。よばしましやう 十九ウ <トいねむりをしてゐる小めろをおこしいひつける 小めろふすまのわきから顔をいだし> [小めろおたこ]もうし/\幸{かう}さん鳥渡{ちよつと} <トよばれ返答にいきつまつてゐる所ゆへさいはひヲイといふて立かけるすそをおさへ> [ゑて]これ幸{かう}さん。 おまはんいまの返事{へんじ}を聞切{きゝき}るまでは。どこへもいごかしやせんわいな [幸]それでも奥{おく}からよぶによつて鳥渡{ちよつと} [ゑて]いやでおます。 とひつはりあふとたんに <あんどがこける> [両人]これはしたり <トよろしくあつて> 拍子幕 廿オ 扨{さて}この三人{さんにん}の浮華的{うはきもの}の段切{だんぎり}。 どふ落合{おちあふ}か世{よ}の中{なか}の風流士達{みやびをたち}。 来春後篇{らいしゆんかうへん}の発兌{はつだつ}をまちて見{み}たまへ 廿ウ