役割語の不思議な世界

金水 敏

NKK AM第1放送11時30分過ぎ『ラジオ深夜便』内コーナー「ないとエッセー」

「役割語」とはなにか

2003年5月2日(金)放送:

やあ、諸君、こんばんわ。今日は、ちょっと不思議な日本語の話をしようと思っておるんじゃよ。
と、妙な感じで始まりましたが、このようなしゃべり方を聞いて、皆さんはどのような人物が話しているようにお感じになりましたか。恐らく、年取った偉そうな人物、漫画によく出てくる、「博士」のような人物を思い出されたのではないでしょうか。例えば、「鉄腕アトム」に登場する、お茶の水博士のような人物です。

では、次のようなしゃべり方はどうでしょうか。

まあ! 楽しみですこと! 私、うれしくってよ。
男の私が読みますと、とても変な感じですね。なぜ変かというと、この話し方自体が、とても女性的だからです。女性のなかでも、かなりお上品で、少し古風な、良家のお嬢様やお姫様、といった人物を想像されたのではないでしょうか。

このように、特定の人物像を想像させる、特徴ある話し方を、私は「役割語」と呼んでおります。最初にお示しした話し方を例えば〈博士語〉と呼び、また二番目のような話し方を〈お嬢様ことば〉と呼んでおきましょう。これらは、どちらも役割語の一種、ということになります。役割語にはほかにもさまざまな種類のものがあります。例えば、「そうです、私が知っています」という文を、いろいろな役割語で読んでみましょう。

それぞれ、どのような人物を想像されましたでしょうか。答えはお楽しみにとっておくとして、この役割語には、いくつかの不思議な点があります。一つは、役割語と、それが指し示す人物像との関係は、日本で育った日本語話者であればほとんど誰でも知っているらしい、という点です。

そしてもっと不思議な点は、この役割語が、現実の社会における日本語の実態と、必ずしも一致しない、あるいはむしろまったく違っている場合もある、という点です。つまり、現実を反映しているから誰でも知っているのだ、とは言えないわけです。例えば、最初のお茶の水博士のような話し方をする「博士」は実在するでしょうか。私は大学に15年以上勤めていますが、一度も会ったことがありません。また、「うれしいこと」とか、「よろしくってよ」などといった話し方をするお嬢様はいるでしょうか。こちらも、冗談や演技を除けば、ほとんど存在しないと思います。このように、現実とは必ずしも関係しないのに、多くの日本語話者がその話し方を聞くと、それらしく思ってしまう、そういった知識を多くの日本人が共有している、これが役割語の最大のです。

この謎に答える前に、役割語をもう少し広い観点から眺めてみましょう。言葉づかいに限らず、特定の性別、年齢、国籍、人種等に属する、ある種類の人間を思い浮かべると、その人間はこんな人に違いない、と多くの人が思ってしまうような性質・特徴があります。例えば女性であるというだけで、その人のことを感情的である、非論理的である、大局的な判断ができない、などと決めつけてしまうといったようなことです。またある人の血液型がA型だから、その人は几帳面で恥ずかしがり屋に違いない、などと判断するようなことです。このような、人間の分類と結びつけられがちな性質・特徴のことを、ステレオタイプと言います。ステレオタイプはある程度現実を反映している場合もありますが、何の根拠もない思いこみである場合のほうが多いと言えます。従ってステレオタイプは、しばしば偏見や差別と結びついてしまいます。このためステレオタイプは、今日、社会心理学の重要な研究テーマとなっています。そして、そのような社会心理学の研究の中で、次のようなことが明らかにされています。一つには、ステレオタイプが一旦形成されてしまうと、なかなか改められない心理的なしくみが私たちの心に存在するということです。例えば、先に述べたような女性のステレオタイプを信じている人が、理知的、論理的にてきぱきと仕事をこなす女性に会っても、「この人は男性的な女性で、例外だ」と処理することで、ステレオタイプ自体は全く傷つかない、といったようなことです。また、社会的に広まっている文化的なステレオタイプは、批判的意識のない幼少期に刷り込まれ、一生消し去ることができないが、成長の過程で理性的な判断を育てることにより、克服することも可能である、といったようなことも明らかになってきました。

こうしてみますと、役割語はまさしく、ことばの面でのステレオタイプだ、ということが分かります。先ほど、文化的なステレオタイプは、幼少期に学習されると述べましたが、典型的な役割語がどのような作品に多いかことを考えてみると、確かに、子供向けの漫画や、アニメ、おとぎ話、ドラマ、小説などにあふれかえっているわけで、こういった作品を通して、子供時代に刷り込まれているのだということが容易に想像されます。

さらに、役割語は、現に存在するというだけでなく、むしろ積極的に利用されていると言えます。と言いますのも、役割語は日本語話者の広い層に受け入れられているので、作者が登場人物に役割語を使わせれば、その人物がどのような性別、年齢に属するか、どんな仕事をしているか、といった事柄を、一瞬で読者に伝えることができるからです。作家の清水義範氏は、「役割語」という用語は用いていませんが、作家の立場から、ここで言う役割語の効能と弊害について端的に指摘しています。すなわち、役割語を多用すれば、作品は分かりやすくなるが、深みのないB級作品になってしまう、しかし役割語を用いずに、テープ起こししたような台詞だけで小説を書くことは不可能である、ということです。

このように、作家はついつい、役割語を作品につかってしまいます。すると、それを読んだ読者にその知識が刷り込まれ、読者の何人かがまた作家となって役割語を作品に用い、という具合に、役割語の連鎖がつぎつぎと作品を介して受け継がれ、世代や時代を超えて生き残っていく、という構図が、ここに浮かび上がってきます。

この連鎖を逆に辿っていけば、役割語の源流をつきとめることもできるでしょう。例えば、最初に取り上げた〈博士語〉の起源を簡単に辿ってみることにします。

今一度、〈博士語〉の例をよく見てみると、断定を表す「じゃ」という形式や、打ち消しを表す「ん」という形式などに特徴があることが分かります。例えば、共通語では「今日は晴れだ」「雨は降らない」というところを、「今日は晴れじゃ」「雨は降らん」ということになるわけです。このような文法的特徴は、実は西日本の方言に広く分布していることが知られています。すなわち、近畿、中国、四国、九州などの地域です。一方共通語の「だ」「ない」などは、東日本で広く用いられる形式です。これは、共通語のもとになった江戸語が、もともと東日本の方言に属していることによります。このことを覚えておいてください。

また、お茶の水博士のような博士は、単に学者であるだけでなく、てっぺんがはげて白髪の、老人であるという点も重要です。漫画の中で「博士」と呼ばれる人物の中でも、毛髪がふさふさした若々しい博士は博士語を使いません。一方、博士でなくても老人であれば、「今日は晴れじゃ」「雨は降らん」のような言葉づかいで表現されることがあります。これは役割語としての〈老人語〉と言えるでしょう。どうやら〈博士語〉は、老人語の一種と言うことになりそうです。

以上のことがらを頭に入れて、子供向け、あるいは大衆的な作品、芸能などをたどっていくと、江戸時代後期の歌舞伎や大衆小説にまでたどり着きます。これらの作品では、若い男性は江戸語を話しているのに、老人は上方風、つまり京都や大阪風の話し方をしているのです。これは、次のような理由によると考えられます。

国語学者の小松寿雄氏によりますと、江戸の町では、江戸時代中頃まで、江戸語ではなく上方語のほうがよく用いられていました。これは、江戸が諸国からさまざまな方言を話す人々を集めて作られた人工的な都市であったことによります。いろいろな方言の中で、当時は上方語がもっとも力を持った、いわば事実上の標準語であったのです。ところが江戸時代も半ば以降になると、江戸っ子意識が芽生え、自分達の持ち前の言葉、すなわち江戸語を話そうとする機運が生まれてきたのでした。その時、若い人々は積極的に江戸語を用いたでしょうし、保守的な老人の多くは上方風の話し方に固執した可能性があります。おそらく、そのような社会的な言葉の分布を、江戸時代の大衆的な歌舞伎や小説の作家は的確に捉え、誇張的に描いたのです。この、江戸時代の伝統が、大衆的な作品に脈々と受け継がれ、現代の〈博士語〉にまでつながっている訳です。この間に、東京における言語的な事情は一変してしまったので、〈博士語〉は現実とかけ離れることになってしまいました。

このように〈博士語〉〈老人語〉の歴史を見ていくと、その背後に、言葉の主導権争いというものが存在したことが分かります。すなわち、江戸の町の、庶民の訛り言葉にしか過ぎなかった江戸語の特徴が、やがていわゆる標準語に受け継がれ、正当化されていくなかで、正当性を奪われた上方風の話し方は〈老人語〉〈博士語〉という、特殊な話し方へと追いやられていったわけです。この言葉の主導権争いの問題は、現在の日本語に現れた〈役割語〉全体に通じる事柄ですので、次回以降にまたお話ししたいと思います。


男のことば、女のことば

2003年5月9日(金)放送:

前回は、特定のキャラクターと結びついた言葉づかいを役割語と呼ぶこと、役割語は、言葉のステレオタイプであること、言葉の主導権争いに敗れた言葉が、特殊な役割語に転落していくことなどについてお話しいたしました。ステレオタイプと申しますのは、特定の性別、年齢、出身地、人種等に属する人々に対して、多くの人が持っている、型にはまった紋切り型の捉え方のことを言います。

今夜は、主導権を握った言葉である〈標準語〉の成り立ちにスポットをあて、標準語に取り込まれていった言葉遣い、標準語からこぼれ落ちて、役割語になっていった言葉遣いについてお話ししたいと思います。特に、男と女という、性別による言葉の違いが焦点となります。

本題に入る前に、〈標準語〉という用語について少しだけご説明します。今日、NHKのアナウンサーが用いる言葉などを全国共通語、あるいは単に共通語と呼びますが、これは事実として日本全国、どこにでも通じる言葉という意味で、いいとか悪いとか言う価値を一切含まない用語です。これに対し標準語というのは、日本語の標準となるべき言語という、価値付けを含んだ用語であり、その時代その時代の日本語の話し手の観念の中に存在する、理想的な日本語ということがでます。私の話は、観念上の日本語のことを扱っていますので、今後は共通語と言わず、標準語という用語を用いたいと思います。

さて、〈標準語〉の文法的な特徴の基盤となったのが江戸語であったことは、前回お話しいたしました。しかし話し方のスタイル全体としてみますと、江戸時代と明治時代とではかなりの断絶がありました。まず男性の方を見てみますと、〈標準語〉の形成に大きな影響を与えたのが、「書生」のことばであったようです。書生とは、今の言葉で言えば大学生、予備校生のようなものですが、立身出世を夢見て、勉学に励む明治時代の若者たちと考えればよいでしょう。地方から東京に出てきて書生になる若者も大勢いました。彼らの言葉づかいの特徴は、「ぼく」「きみ」「吾輩」「諸君」のような代名詞を用いること、「失敬」という言葉を用いること、むずかしい漢語や外国語を多用すること、命令表現に「何々し給え」という形を用いること、などが挙げられるでしょう。これらの言葉づかいは、実は江戸時代の武家の知識人層が用いていたものでした。書生の中にも武家出身の士族層が多かったので、武家言葉が流れ込んできたようです。また、西日本からやってきた人も多かったので、「知っちょるか」「知らん」のような、西日本的な方言形が一部用いられました。

ここで、坪内逍遙が明治一八年に書いた、『当世書生気質』から一部を引用して見ましょう。

(男声による朗読)

(小)アハヽヽヽヽ。馬鹿(ばか)ア言ひたまへ。それはそうと。諸君(しよくん)はモウ。不残(みんな)帰(かへ)つてしまつたのか
(須)ウン。今(いま)漸(やうや)く帰(かへ)してやつた。(中略)
(小)僕(ぼく)はまた彼処(あそこ)松(まつ)の木(き)下(した)へ酔倒(えひたふ)れて居(ゐ)たもんだから。前後(ぜんご)の事(こと)はまるで知(し)らずサ。それやア失敬(しつけい)だつたネヱ。ちつとヘルプ〔手助(てだすけ)〕すればよかつた

書生は、やがて官僚、学者、実業家となって、日本をひっぱっていく指導者層となっていったために、書生ことばが、明治時代の典型的な男性語と認識されるようになりました。従って、書生ことばを今聞くと、権力を持った偉そうな男性のことばに聞こえます。政治家や、会社の社長、部長といった感じですね。一方、書生ことばは少年層にも広まっていきました。少年とは、いわば小さな書生であったわけです。例えば、北原白秋の詩で昭和一八年に出版された、「あめふり」という童謡を見てみましょう。例の、「雨雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎い、うれしいな」という歌です。この歌の、四番を聞いてください。
(録音)
母さん、僕のを貸しましよか。
君君この傘さしたまへ。
 ピツチピツチ チヤツプチヤツプ
 ランランラン。
「君君、この傘さしたまえ」という歌詞は、今聴くと、ずいぶん偉そうな感じに聞こえて、とても子供とは思えないのですが、当時としては、少年の言葉づかいとしてごく普通であったようです。

このように、一旦は広い範囲の男性語の元になった書生ことばですが、現在の現実社会ではかなり勢力が弱まってきて、「君、この書類のコピーをとってくれたまえ」などという会社の上司も、実はいそうでいないのです。つまり、役割語としての〈会社語〉になってしまった訳です。

次に、女性のことばを見てみましょう。

前回、最初の方でお示しした

のような話し方は、やはり明治時代になって広く用いられるようになったものです。その起源はよく分かっていませんが、青山や牛込といった山の手の方の、あまり身分の高くない女性の言葉づかいと言われています。それが、「女学校」というあたらしい学校組織を通じて、東京の若い女性を中心に流行っていったようです。この言葉づかいを、特徴的な文末の形式をとって、「てよだわ」言葉と呼ぶことがあります。「てよだわ」は、明治時代の知識人や指導者たちには非常に評判が悪く、粗野で耳障りな言葉づかいとして非難されていました。しかし、批判にも関わらず、明治末頃までには、東京では若い女性の言葉づかいとして大いに勢いを得、また雑誌や小説といったメディアを通じて、昭和初期までには全国に知られるようになっていました。ここでは、吉屋信子の小説「桜貝」から、女学生たちの会話を引用してみましょう。
(女声による朗読)
「江島(えじま)さん、先生(せんせい)のおデイヤでせう、いつも絵(え)の天才(てんさい)だつておほめになるんですもの------何(な)んでせう、今日(けふ)も皆(みな)私達(わたしたち)を追(お)ひ出(だ)して江島(えじま)さん一人(ひとり)お残(のこ)りなさいつて、ずゐぶんねえ」
「ほんたうよ、いつたい何(な)んの御用(ごよう)でせう?」
「きつと、お二人(ふたり)だけで仲(なか)よくストーブを占領(せんりやう)なさるおつもりよ」
「まさか、------でも私(わたし)とても気(き)がもめるわ、あとでそつと窓(まど)から覘(のぞ)いて見(み)ませうか」
「まあ、そんな醜体(しうたい)お止(よ)し遊(あそ)ばせよ!」
「でも、関戸先生(せきどせんせい)は生徒(せいと)に騒(さわ)がれる割(わり)に冷静(れいせい)で公平無私(こうへいむし)ね」
「さうよ、私(わたし)もう三度(ど)も綺麗(きれい)なお花(はな)を献(さゝ)げて居(ゐ)るのに、ちつとも特別(スペシヤル)に扱(あつ)かつて下(くだ)さらないんですもの---」
ただいまの朗読で使われていた、「おディア」ということばは、「愛しい」あるいは「親愛なる」という意味を表すdearという英語からとられた、当時の女学生ことばです。

こういった「てよだわ」言葉は、しかし、第二次世界大戦後には急速に弱まっていったようで、「わ」という終助詞や、断定の「だ」を省く表現、尻上がりのイントネーション等が女性特有表現としてかろうじて残ったに過ぎません。それらの特徴も、近年の若い女性の間ではあまり聞かれなくなりました。しかし、極端な「てよだわ」は、漫画や小説の世界では、お嬢様やお姫様の記号的表現として、まさしく「役割語」に転身し、生きながらえています。例えば、山本鈴美香氏の漫画『エースをねらえ』には「お蝶夫人」というお金持ちのお嬢様が登場しますが、彼女のせりふは、全編、「てよだわ」言葉で埋め尽くされています。例えば、次に引用するのは、お蝶夫人とその母の会話です。

(女声による朗読)
お蝶「おかあさま/でかけてまいります/おとうさまがお食事にさそってくださいましたの」
母「まあいいこと/いってらっしゃい」
「てよだわ」が現実世界で弱まった背景には、やはり、敗戦とともに社会構造が一変し、女学校がなくなり、また華族を頂点とする身分制度も消滅したということ、また男女同権社会が緩やかにではあっても実現しつつあること、などが挙げられるでしょう。社会とともに、ことばは変わっていくのです。しかし一方で、「役割語」としての〈女性語〉が私たちの知識に繰り返し刷り込まれることにより、私たちはことばの男女差を、現実以上に隔たったものとして感じていることも確かです。

次回は、〈標準語〉と、〈標準語〉でないことばが、物語世界の中でどのような機能を果たすか、という点についてお話ししたいと思います。


標準語はヒーローのことば

2003年5月16日(金)放送:

劇作家の木下順二氏が、昭和二四年に発表した戯曲「夕鶴」は、昔話の「鶴の恩返し」を題材にしたもので、鶴の精である「つう」という女性と、鶴を助けて「つう」の婿となった「与ひょう」、そして彼の友人の「運ず・惣ど」という、三人の男性が登場します。この戯曲では、昔話の枠組みを借りて、最初は純真な男であった与ひょうが運ず、惣どにそそのかされ、欲の世界に溺れていく様子と、あくまで純粋で清らかな存在であるがゆえに傷ついてしまうつうとが、対比的に描かれています。その対比的構造を際だたせているのが、登場人物の言葉づかいです。与ひょう、運ず、惣どの三人は、次のような、典型的な〈田舎ことば〉を話しています。
(男声による朗読)

与ひょう
もうあれでおしまいだとつうがいうだもん。
運ず
そげなおめえ。また儲けさしてやるに。
与ひょう
うふん……おらつうがいとしゅうてならん。
惣ど
いとしかろが?だでどんどんと布を織らせて金を貯めるだ。
これに対し、つうは、次のように〈標準語〉の〈女性語〉を話します。
(女声による朗読)
つう
与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの?あんたはだんだんに変わって行く。何だか分らないけど、あたしには言葉も分らない人たち、いつかあたしを矢で射たような、あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。どうしたの?あんたは、どうすればいいの?あたしは、あたしは一体どうすればいいの?
さて、この劇を見ている私たちは、つうと、与ひょうたちのどちらに感情移入するでしょうか。むろん、間違いなくつうのほうですが、その感情移入を助ける働きをしているのが、〈標準語〉です。私たちは、まず〈標準語〉を話す人物に感情移入するように、小さな時から訓練されているのです。だからこそ作者の木下順二氏は、つうに〈標準語〉を使わせているのです。これに対し与ひょうたちは〈田舎ことば〉を用いているがゆえに、私たちは容易に感情移入することができません。それ故、彼らは背景的な人物であるほかないのです。それは、受け手が方言話者であっても関係ありません。おもしろいことに、与ひょうたちのせりふの方言は、東日本的要素と西日本的要素が混ぜ合わせられていて、どこの方言でもない言葉になっているので、一層、受け手の感情移入を妨げる効果が高まっています。

なお、私は、今日広く用いられている「共通語」という用語を用いず、あえて〈標準語〉と申していますが、これは次の理由によります。「共通語」とは事実として、全国で通じることばという意味の言葉であるのに対し、〈標準語〉というのは、日本語の話し手が観念的に「標準的な日本のことば」と捉えている仮想の日本語のことを指します。私のお話は、すべて私たちの観念の中の日本語のことを扱っていますので、共通語ではなく〈標準語〉という用語がふさわしいわけです。

ここで改めて、物語世界における、〈標準語〉の働きについて考えてみましょう。神話学者のキャンベルという人は、多くの神話や昔話を分析し、それらに共通する構造を、〈ヒーローの旅〉と名付けました。日常的な生活を送っていたヒーローが、何者かに呼び出され、旅立ち、苦難を乗り越え、成長を遂げて、ついに宝を手に入れる、というのがそのあらましです。物語の聞き手・読み手は、ヒーローに自己を重ね合わせ、共に物語世界を旅し、成長を経験し、栄光を掴みます。そのような疑似体験ができるからこそ、神話や昔話は永遠に人々を惹きつけるのです。そして、大衆的な評価を得ている映画や小説の多くも、実はこの〈ヒーローの旅〉の構造を何らかの形で受け継いでいることを、シナリオ分析家のヴォーグラーが明らかにしました。ここで大事なのは、ヒーローとは、聞き手・読み手が自己を投影できる人物である、という点です。聞き手が自己同一化し、聞き手と一体となって悩み、苦しみ、成長する人物を、ここではヒーローと言っている訳です。〈標準語〉は、だれもがそれを話す人物に容易に自己同一化することができる言葉です。その点で、〈標準語〉はヒーローの言葉といっていいでしょう。

このように、日本で育ち、日本語を話す人ならだれもが自己同一化することができる〈標準語〉は、明治時代になって初めて日本にもたらされました。自分が本来どの方言を話すかに関わらず、〈標準語〉の話者にはだれもが容易に自己同一化できるのです。これは、近代における標準語教育のたまものといってよいでしょう。そして、その結果、〈標準語〉でないことばは特殊な役割語となり、極端に言えば、それを話す人物は、物語世界の中で脇役や背景的人物であらざるを得ないということになるのです。このような点で、〈標準語〉も実は、あらゆる役割語の中心にあって役割語の基準点となる、特別な役割語であるとも言えるのです。

近代に、江戸が東京となり、首都となったという政治的な理由から、江戸語を受け継いだ東京語が〈標準語〉の基盤となりました。その過程で、江戸時代の中頃までは標準語の役割を果たしていた上方風の話し方が、〈老人語〉や〈博士語〉という、特殊な役割語に転じたことは第一回でお話ししたとおりです。〈田舎ことば〉の話者が、背景的な人物に割り当てられる構造も、「夕鶴」で見ました。このほかにも、上方語の末裔である大阪弁あるいは関西弁の話者の特殊な役回りも興味深いものがあります。例えば、

といったように話す人物が現れたら、あなたはこの人物をどのような人物と予測するでしょうか。おしゃべり、冗談好き、軽薄、お調子者、そして拝金主義、現実主義、けちといった人物像がまず思い浮かぶのではないでしょうか。このような人物像も、実は江戸時代の読み物における上方人の描かれ方に起源が求められるのですが、近代以降の放送メディアにおける関西人の位置付けも、そのような人物像を補強するものでありました。すなわち、関西人はもっぱら漫才師やコメディアンとして活躍したのです。その結果、大阪弁・関西弁の話者は、物語世界の中では、人々を笑わせ、場を和ませ、人間関係を調整する道化者の役割を専ら担わされることになったのです。

〈標準語〉でない言葉には、以上に見てきたような方言以外に、「ピジン」というあり方があります。ピジンとは本来、貿易港、居留地、植民地等で異なる言語を話すもの同士がコミュニケーションするなかで発生する、まぜこぜ言語のことを指します。ピジンの特徴として、異なる言語の単語が混じったり、文法が極度に単純化されたりする現象が挙げられます。例えば、「そうアルカ、違うアルヨ」という〈アルヨことば〉は、明治時代初期の横浜居留地で誕生した典型的なピジンです。これが、第二次世界大戦前には、中国人を侮蔑的に表現する手段として用いられたりもしました。ピジンとは、完全でない、崩れた日本語であるがゆえに、日本人でない人間を、異質なものとして描くために用いられることもあるわけです。西部劇で、いわゆるインディアン、すなわちアメリカ先住民を描くために用いられる、「インディアン、うそつかない、白人、みんなつき」のような話し方も、想像上のピジンと言えるでしょう。

また翻訳では、日本語のさまざまな役割語が、描き出される人物に応じて総動員されます。よく知られているのが、かつてのアメリカにおける黒人奴隷の話し言葉を、東北風の〈田舎ことば〉で表現することです。この場合、白人の台詞には〈標準語〉が割り当てられます。例として、昭和二八年に出版された、大久保康雄氏翻訳の「風と共に去りぬ」の一節を引用してみましょう。最初に話すのがヒロインのスカーレット・オハラ、二番目が黒人のメイドのディルシーです。

(女声による朗読)
「ありがとう、ディルシー。母さんが帰ったら、また相談してみるわ」
「ありがとうごぜえます。お嬢さま、では、お休みなせえまし。」
このように見てくると、〈標準語〉話者を中心的な存在とした上で、非〈標準語〉話者を、異質なもの、奇妙なもの、一段下ったものとして表現する表現者の意図が、図らずも見えてくることが分かります。以前、役割語はステレオタイプの一種であり、ステレオタイプは偏見や差別と容易に結びつくのだと申しました。役割語も例外ではありません。役割語は、一瞬で話し手の性質・特徴を表現してしまうという点でとても便利であり、うまく使われればとてもおもしろいものですが、安易な役割語の使用は、時として表現者の意図した、あるいは意図しない偏見・差別意識を伝えてしまう場合もあるわけです。また、役割語は〈標準語〉と一体となった仮想的な言語体系であり、現実には極めて多様で、ダイナミックな本当の日本語の姿を覆い隠してもいます。私たちは、このような役割語の性質をよく知った上で、より豊かな日本語の使い手になっていきたいものです。