今回の調査と目的

 大阪大学考古学研究室では、大阪府と兵庫県にまたがる摂津西部の猪名川流域をフィールドとして古墳時代の有力豪族層の動向を解明する調査を進めています。2000年から2004年までの川西市勝福寺古墳に続いて、2007年から2011年度までは猪名川西岸の長尾山丘陵において宝塚市長尾山古墳の調査を実施し、実態のよくわからなかったこの古墳が古墳時代前期前半(4世紀前葉)にさかのぼるもので、猪名川流域では最初に造られた前方後円墳であることを明らかにしました。  今年度は、猪名川東岸の待兼山丘陵において、待兼山古墳群の築造実態をとらえるため、丘陵尾根筋の測量調査と古墳の時期・範囲確認のための発掘調査を行う予定です。調査は、科学研究費補助金によるプロジェクト「21世紀初頭における古墳時代歴史像の総括的提示とその国際発信」(基盤研究(A)、研究代表者福永伸哉)の一環として、大阪大学考古学研究室が主体となり実施します。

1.研究のアプローチ

 古墳時代(3世紀中葉~7世紀)の350年間には各地の有力首長の系譜にさまざまな盛衰がみられます。これは直接には地域内の勢力争いの結果ですが、その背後に畿内政権と地域首長の政治関係の変化、さらには畿内政権内部の主導権争いが地域に波及した可能性なども考える必要があります。つまり、この時代の日本列島内の歴史動向を探るためには、地域の古墳築造の展開をふまえたケーススタディが有効なアプローチになるわけです。猪名川流域は、地域内の有力古墳の盛衰がはっきりととらえられること、有力古墳の調査情報が比較的蓄積されていることから、こうしたアプローチにおいて有効なフィールドと考えられます。

2.大阪大学と猪名川流域の調査

 大阪大学考古学研究室では、30年以上にわたって畿内北部の古墳の発掘調査を手がけてきました。特に近年は大学にもほど近い「猪名川流域」をフィールドとして古墳時代首長墳の動向を解明する調査を進めています。猪名川は、丹波高地に源流とし、大阪平野を南流する1級河川で、流域の自治体としては兵庫県側が猪名川町・川西市・宝塚市・伊丹市・尼崎市、大阪府側が豊能町・池田市・箕面市・豊中市などがあります。猪名川流域は、旧国名でいうと摂津の西部にあたり、畿内地域の北西縁辺を占める位置になります。大阪大学では、2000年以来、猪名川流域の長尾山丘陵(兵庫県川西市から宝塚市西部にかけて広がる丘陵)に存在する首長古墳の調査を通じて、猪名川流域の古墳時代史の動きを列島規模の視点から位置づける研究を継続してきました。 <勝福寺古墳の調査>  2000~2004年にかけては長尾山丘陵西部にある川西市勝福寺古墳の調査を同市教育委員会と協力して行い、6世紀初めにこの地域に約150年ぶりに前方後円墳を築ける有力首長が台頭したことを明らかにするとともに、それが継体大王期の政治変動とかかわる動きであったことを推定しました(『勝福寺古墳の研究』大阪大学文学研究科、2007年刊)。勝福寺古墳の調査成果についてはこちらの「勝福寺古墳デジタル歴史講座」をご覧ください。 <長尾山古墳の調査>  勝福寺古墳の調査成果を受けて、当研究室では長尾山丘陵地域の首長古墳の推移にかんする解明をさらに進めるために、勝福寺古墳から東に3㎞の近距離に位置しながら、発掘調査が行われたことがなかった長尾山古墳の実態解明を最優先課題と考え、2007年から地元宝塚市教育委員会の協力を得て、この古墳の発掘調査に着手しました(第1次~第5次)。そして、これまでに長尾山古墳が、古墳時代前期前半(4世紀初めごろ)に長尾山丘陵を含む猪名川流域で最初に築かれた前方後円墳であり、長さ40mの墳丘には埴輪、葺石が施されていたことがわかりました。また、2010年度の調査(第6次・第7次)では後円部から長さ6.7m、幅2.7mの巨大な粘土槨(木棺を粘土でくるんだ埋葬施設)を検出し、その状況を2500人以上の方々に現地で見学していただくことができました。続く2011年度(第8次)には、前年度に検出していた埋葬施設にとりつく排水溝の調査を行い、上面幅1.4m、深さ1.5mを測る断面V字形の構造であることが分かりました。現在、以上の一連の調査結果を総括するため、発掘調査報告書の編集を進めています。

3.今年度の調査

 今年度は、大阪大学豊中キャンパスが所在する待兼山丘陵内に展開する待兼山古墳群の実態解明を目的として、古墳および周辺の測量調査、古墳の時期・範囲確認のための発掘調査を行います。発掘調査は以下の3地点で実施する予定です(
今年度の調査予定地)。 (1)既に破壊消滅したとされる前期古墳の待兼山1号墳(待兼山古墳)が所在したプール北西部付近 (2)待兼山丘陵の尾根上に位置する待兼山2号墳付近 (3)かつて古墳時代前期の二重口縁壺が出土した阪大総合学術博物館北西部付近  (1)では大正年間に削平された待兼山古墳に関する情報の探索、(2)では詳細な測量図の作成と古墳の範囲・時期の確認、(3)では遺跡の実態の確認を主目的としています。  待兼山丘陵は猪名川流域でも古墳が集中的に分布するエリアとなっていますが、2005年に大阪大学埋蔵文化財調査室が調査を行った待兼山5号墳を除くと、実態についてはほとんど未解明の状態です。今回の調査でより多くの情報を収集し、猪名川流域内の古墳時代諸勢力の動向をより明瞭にすることを目指します。  なお、この科研費プロジェクトでは、古墳文化の東・中・西にあたる東北、畿内、九州で古墳の発掘調査を行い、古墳築造の共通点や地域性を比較検討する作業を、課題の一つに設定しています。今年度は福島県須賀川市団子山古墳(福島大学考古学研究室)、熊本県阿蘇市平原古墳群6号墳(熊本大学考古学研究室)の調査が行われます。
豊中市待兼山古墳の位置と周辺の主な古墳 戻る