或(ある)賣笑婦(ばいせうふ)の話(はなし)  徳田秋聲

 この話(はなし)を殘(のこ)して行(い)った男(をとこ)は、今(いま)どこにゐるか行方(ゆくへ)もしれない。しる必要(ひつえう)もない。彼(かれ)は正直(しゃうぢき)な職人(しょくにん)であったが、成績(せいせき)の好(よ)い上等兵(じゃいとうへい)として兵營生活(へいえいせいくゎつ)から開放(かいはう)されて後(のち)、町(まち)の料理屋(れうりや)から、或(あるひ)は遊廓(いうくゎく)から時(とき)に附馬(つきうま)を引(ひ)いて來(き)たりした。これは早朝(さうてう)、そんな場合(ばあひ)の金(かね)を少(すこ)しばかり持(も)って行(い)った或日(あるひ)の晩(ばん)、縁日(えんにち)の植木(うゑき)などを持(も)って來(き)て、勝手(かって)の方(はう)で東京(とうきゃう)の職人(しょくにん)らしい感傷的(かんしゃうてき)な氣分(きぶん)で話(はな)した一,賣笑婦(ばいせうふ)の身(み)の上(うへ)である。

 その頃(ころ)その女(をんな)は、すっかり年季(ねんき)を勤(つと)めあげて、どこへ行(ゆ)かうと自由(じいう)の體(からだ)であったが、田舍(ゐなか)の家(うち)は母(はゝ)がちがふのに、父(ちゝ)がもうゐなくなってゐたし、多(おほ)くの客(きゃく)の中(なか)でどこへ落着(おちつ)かうといふ當(あて)もなかったので……勿論(もちろん)西(にし)の方(はう)の産(うま)れで、可也(かなり)な締(しま)りやであったから、倉敷(くらしき)を出(だ)して質屋(しちや)へあづけてある衣類(いるゐ)なども少(すく)なくなかったし、いま少(すこ)し稼(かせ)ぎためようと云(い)ふ氣(き)もあったので、樓主(ろうしゅ)と特別(とくべつ)の約束(やくそく)で、いつも二三枚目(..まいめ)どころで相變(あいか)はらず氣(き)に向(む)いたやうな客(きゃく)を取(と)ってゐた。
 その客(きゃく)のなかに、或(ある)私立大學(しりつだいがく)の學生(がくせい)が一人(ひとり)あった。彼(かれ)は揉(も)みあげを短(みじか)く刈(か)って、女(をんな)の羨(うらやま)しがるほどの、癖(くせ)のない、たっぷりした長(なが)い髮(かみ)を、いつも油(あぶら)で後(うし)ろへ撫(な)であげ、いかに田舍(ゐなか)の家(うち)がゆったりした財産家(ざいさんか)で、また如何(いか)に母親(はゝおや)が深(ふか)い慈愛(じあい)を彼(かれ)にもってゐるかと云(い)ふことを語(かた)っているような、贅澤(ぜいたく)でも華美(くゎび)でもないが、どこか奧(おく)ゆかしい風(ふう)をしてゐた。勿論(もちろん)年(とし)は彼女(かのぢょ)より一(ひと)つ二(ふた)つ少(わか)いと云(い)ふに過(す)ぎなかったが、各階級(かくかいきふ)の數限(かずかぎ)りない男(をとこ)に接(せっ)してきた彼女(かのぢょ)の目(め)から見(み)れば、それはいかにも乳(ちゝ)くさい、坊(ぼっ)ちゃん/\した幼(をさな)い青年(せいねん)に過(す)ぎなかった。
 初(はじ)めて來(き)たのは、花時分(はなじぶん)であった。どこか花見(はなみ)の歸(かへ)りにでも氣紛(きまぐ)れに舞込(まひこ)んだものらしく、二人(ふたり)ばかりの友達(ともだち)と一緒(.しょ)に上(あが)って來(き)たのであったが、三人(.にん)とも淺草(あさくさ)で飮(の)んできたとかいって、いくらか酒(さけ)の氣(き)を帶(お)びてゐた。彼等(かれら)は彼女(かのぢょ)の朋輩(ほうばい)の一人(ひとり)の部屋(へや)へ入(い)れられて、そこで新造(しんぞ)たちを相手(あひて)に酒(さけ)を飮(の)んでゐたが、彼女自身(かのぢょじしん)はちょっと袿(うちかけ)を着(き)て姿(すがた)を見(み)せただけで……勿論(もちろん)どんな客(きゃく)だかといふことは、長(なが)いあひだ場數(ばかず)を踏(ふ)んで來(き)た彼女(かのぢょ)にも、淡(あは)い不安(ふあん)な興味(きょうみ)で、別(べつ)にこて/\白粉(おしろい)を塗(ぬ)るようなこともする必要(ひつえう)がなかったし、その時(とき)は少(すこ)し病氣(びゃうき)をしたあとで、我儘(わがまま)の利(き)く古(ふる)くからの馴染客(なじみきゃく)のほかはしばらく客(きゃく)も取(と)らなかったし、初會(しょくゎい)の客(きゃく)に出(で)るのはちょっと面倒(めんだう)くさいといふ氣(き)もしてゐたので、氣心(きごゝろ)を呑込(のみこ)んでゐる新造(しんぞ)にさう言(い)はれて、氣(き)のおけないやうなお客(きゃく)なら出(で)てもいゝと思(おも)って、袖口(そでくち)の切(き)れたやうな長襦袢(ながじゅばん)に古(ふる)いお召(めし)の部屋着(へやぎ)をきてゐたその上(うへ)に袿(うちかけ)を無造作(むざうさ)に引(ひ)っかけて、その部屋(へや)へ顏(かほ)を出(だ)して行(い)ったのであったが、鳩(はと)のやうな其(そ)の目(め)はよくその男(をとこ)のうへに働(はたら)いた。
「ちょい/\こんな處(ところ)へ來(く)るの。」
「いや、僕(ぼく)は初(はじ)めてだ。」
「お前(まへ)さんなんかの、餘(あま)り度々(たび/\)來(く)るところぢゃありませんよ。」
 彼女(かのぢょ)はその男(をとこ)が部屋(へや)へ退(ひ)けてから、自分(じぶん)で勘定(かんぢゃう)を拂(はら)はせられて、素直(すなほ)に紙入(かみいれ)から金(かね)を出(だ)してやるのを、新造(しんぞ)に取次(とりつ)いだあとで、そんなことを言(い)って笑(わら)ってゐたが、男(をとこ)は女(をんな)に觸(ふ)れるのをひどく極(きま)り惡(わる)さうにしてゐた。
「今度(こんど)來(く)るなら一人(ひとり)で來(く)るといゝわ。あんな取巻(とりまき)なんか連(つ)れて來(き)ちゃ可(い)けませんよ。」彼女(かのぢょ)はまたそんな事(こと)を言(い)って、これも其(そ)の男(をとこ)に觸(ふ)れるのを遠慮(ゑんりょ)するやうにしてゐた。
「それあ何(ど)うしたって、こんな處(ところ)にゐるものには、惡(わる)い病氣(びゃうき)がありますからね。不見轉(みずてん)なんか買(か)ふよりか安心(あんしん)は安心(あんしん)だけれど……。」彼女(かのぢょ)は幾分(いくぶん)脅(おど)かし氣味(ぎみ)で、そんな事(こと)を話(はな)したが、男(をとこ)が彼女(かのぢょ)のこゝへ陷(お)ちて來(き)た徑路(けいろ)などを聞(き)かうとして、色々(いろ/\)話(はな)しかけると、若(わか)い癖(くせ)にそんなことは聞(き)かなくともいゝと言(い)った風(ふう)で、笑(わら)ってゐた。
 しかし何(なん)のこともなかった。朝(あさ)歸(かへ)るときに、いつも初(はじ)めての客(きゃく)にするやうに肩(かた)をたゝくやうなことも、わざとらしくて爲(す)る氣(き)がしなかったので、たゞ、「思出(おもひだ)したら又(また)おいでなさい」と、笑談(ぜうだん)らしく言(い)ったきりであった。
 それから其(そ)の男(をとこ)は正直(しゃうぢき)に二三度(..ど)獨(ひと)りでやって來(き)た。そして馴染(なじ)むにつれて、お互(たがひ)に身(み)の上話(うへばなし)などするようになった。女(をんな)は別(べつ)にその男(をとこ)の來(く)るのに、特別(とくべつ)の期待(きたい)をもった譯(わけ)ではなかったが、部屋(へや)のあいてゐる時(とき)などには、ふと思出(おもひだ)すこともあった。むかし娘時代(むすめじだい)に、田舍(ゐなか)の町(まち)で裁縫(さいほう)のお師匠(ししゃう)さんに通(かよ)ってゐる頃(ころ)、きっと通(とほ)らなければならない、通(とほり)の時計屋(とけいや)の子息(むすこ)に心(こゝろ)を牽附(ひきつ)けられて、淡(あは)い戀(こひ)の惱(なや)みをおぼえはじめ、その前(まへ)を通(とほ)るとき、又(また)思(おも)ひがけなく徃來(わうらい)で、行會(ゆきあ)ったりした時(とき)に、顏(かほ)が紅(あか)くなったり心臟(しんざう)が波(なみ)うったりして、夜(よる)枕(まくら)に就(つ)いてからも角刈(かくがり)の其(そ)の丸(まる)い顏(かほ)が目(め)についたり、晝間(ひるま)針(はり)をもってゐても、自然(しぜん)に顏(かほ)が熱(ねっ)したりした。勿論(もちろん)言葉(ことば)を交(かは)す機會(きくゎい)もなかったし、そんな機會(きくゎい)を作(つく)らうとも思(おも)はなかったから、單純(たんじゅん)に美(うつく)しい幻(まぼろし)として目(め)に映(うつ)っただけで、微(かす)かなその戀(こひ)の芽(め)も土(つち)の下(した)で其(そ)のまゝ枯(か)れ凋(しぼ)んでしまった。彼女(かのぢょ)の生家(せいか)は、町(まち)でちょっと名(な)の賣(う)れた料理屋(れうりや)であったが、その頃(ころ)から遽(には)かに異性(いせい)といふものに目(め)がさめはじめると同時(どうじ)に、同(おな)じやうな戀(こひ)の對象(たいしゃう)がそれからそれへと心(こゝろ)に映(えい)じて來(き)たが、だらしのない父(ちゝ)の放蕩(はうたう)の報(むく)いで、店(みせ)を人手(ひとで)に渡(わた)したのは其(それ)から間(ま)もなくであった。で、家名相當(かめいさうたう)の縁組(えんぐみ)をすることもできなくて、今(いま)のやうな境涯(きゃうがい)に陷(お)ちることになったのであったが、ちゃうど其(そ)の時分(じぶん)の淡(あは)い追憶(つゐおく)のやうなものが、彼(か)の大學生(だいがくせい)によって、ぼんやり喚覺(よびさ)まされるやうな果敢(はか)ない懷(なつか)しさを唆(そゝ)られた。
 彼(かれ)は飮(の)むといふほどには酒(さけ)も飮(の)まないし、どこか女(をんな)に臆(おく)するやうな樣子(やうす)で、町(まち)に明(あか)りのつく時分(じぶん)獨(ひと)りで上(あが)って來(き)たが、忙(いそが)しいときなどは、朝(あさ)客(きゃく)を歸(かへ)してから部屋(へや)へいれて、一緒(.しょ)に飯(めし)を食(た)べることもあった。晩春(ばんしゅん)の頃(ころ)で、獨活(うど)と半(はん)ぺんの甘煮(あまに)なども、新造(しんぞ)は二人(ふたり)のために見(み)つくろって、酒(さけ)を白銚(はくてう)から少(すこ)しばかり銚子(てうし)に移(うつ)して、銅壷(どうこ)でお燗(かん)をしてたりした。水桶(みづをけ)だのお鉢(はち)だの、こまこました世帶道具(しょたいどうぐ)が一切(いっさい)そこにあった。女(をんな)は立膝(たてひざ)をしながら、割箸(わりばし)で飯(めし)を盛(も)ってくれたり、海苔(のり)をやいてくれたりした。彼(かれ)はこの世界(せかい)の生活(せいくゎつ)を不思議(ふしぎ)さうに眺(なが)めてゐた。女(をんな)はとろりとした疲(つか)れた目(め)をしてゐたが、やがて又(また)窓(まど)を暗(くら)くして縮緬(ちりめん)の夜具(やぐ)のなかへ入(はひ)って行(い)った。
「一體(.たい)君(きみ)たちは、こんなことをしてゐて、終(しまひ)に何(ど)うなるんだね。」彼(かれ)は腹這(はらば)ひになって、莨(たばこ)をふかしながら、そんな事(こと)を訊(たづ)ねた。
「ふゝ。」と、女(をんな)は嗤(わら)ってゐたが、「まあ餘(あま)り好(い)いことはありませんね。親元(おやもと)へ歸(かへ)って行(い)く人(ひと)もあるし、東京(とうきゃう)でお客(きゃく)と一緒(.しょ)になる人(ひと)もあるしさ。」
「君(きみ)なんか何(ど)うするんだね。」
「何(ど)うしようと思(おも)って、今(いま)思案中(しあんちう)なのよ。」女(をんな)も起(お)きあがって莨(たばこ)をふかしながら、「今(いま)のところ二人(ふたり)ばかり當(あて)があるんだけれど……。」
「商人(しゃうにん)かね。」
「さうね、一人(ひとり)は日本橋(にほんばし)の木綿問屋(もめんどんや)だし、一人(ひとり)は時々(とき%\)東京(とうきゃう)へ出(で)てくる田舍(ゐなか)のお金持(かねも)ちだけれど、どっちもお爺(ぢい)さんよ。木綿問屋(もめんどんや)の方(はう)は、まあそれでもまだ四十七八だから、我慢(がまん)のできないこともないのよ。その代(かは)り上(かみ)さんも子供(こども)もあるから、行(い)けばどうせ日蔭(ひかげ)ものさ。子供(こども)のお守(もり)なんかもして、上(かみ)さんの機嫌(きげん)を取(と)らなくちゃならないから、なかなか大變(たいへん)よ。田舍(ゐなか)の隱居(いんきょ)の方(はう)はそれにかけては氣樂(きらく)だけれどお爺(ぢい)さんは世話(せわ)がやけて爲方(しかた)ないでせう。だから孰(どっち)も駄目(だめ)さ。」
「君(きみ)のところへは、何(ど)うしてさう年寄(としより)ばかり來(く)るんだ。」彼(かれ)は痛(いた)ましいやうな表情(へうじゃう)をして訊(き)いた。「君(きみ)はまだ若(わか)くて美(うつく)しいぢゃないか。」
「ふゝ」と、女(をんな)は袖口(そでくち)のまくれた白(しろ)い肱(ひぢ)をあげて、島田(しまだ)の髷(まげ)をなで乍(なが)ら、うっとりした目(め)をして天井(てんじゃう)を眺(なが)めてゐた。
「ほんとうに夢中(むちう)になって、君(きみ)に通(かよ)ってくるやうな若(わか)い男(をとこ)はないのか。」
「まあ無(な)いわね。有(あ)っても長續(ながつゞ)きはしないのさ。」
「でも一度(.ど)や二度(.ど)商賣氣(しゃうばいぎ)を離(はな)れて、戀(こひ)をしたと云(い)ふ經驗(けいけん)はあるだらう。」
「それあ、そんな人(ひと)は家(うち)にも偶(たま)にはあるのさ。それあ可笑(をか)しいのよ。七おき八おきして、終(しまひ)にその男(をとこ)のために年季(ねんき)を増(ま)すなんて逆上(のぼ)せ方(かた)をして、そのためにお客(きゃく)がすっかり落(お)ちてしまって、男(をとこ)にも棄(す)てられてしまふって言(い)った風(ふう)なの。そんなのが江戸兒(えどっこ)に多(おほ)いのよ。第一(だい.)若(わか)いお客(きゃく)といへば、まあお店者(たなもの)か獨身(どくしん)ものの勤人(つとめにん)なんだから、深(ふか)くでもなれば、お互(たがひ)の身(み)の破滅(はめつ)ときまってゐるんですからね。それかといって、貴方(あなた)のやうな御母(おかあ)さんの祕藏息子(ひざうむすこ)を瞞(だま)せば尚(なほ)罪(つみ)が深(ふか)いでせう。先(さき)のある人(ひと)を、學校(がくかう)でもしくじらせてごらんなさい、それこそ大變(たいへん)だわ。」
「だけれど、先(さき)で熱情(ねつじゃう)を以(も)ってくれば爲方(しかた)がないぢゃないか。」
「熱情(ねつじゃう)ですって。それあ然(さ)ういふ人(ひと)もあるわね。少(すこ)し親切(しんせつ)にすると、すぐ上(かみ)さんにならないかなんて言(い)ふ人(ひと)があるわ。だけれど其(それ)もこゝにゐるからこそ然(さ)うなんだよ。出(で)てしまっちゃ、やっぱり駄目(だめ)さ。」彼女(かのぢょ)は慵(ものう)げな聲(こゑ)で言(い)って、空(くう)で指環(ゆびわ)を拔差(ぬきさし)してゐた。
「それはかうした背景(はいけい)に情趣(じゃうしゅ)を感(かん)ずるとでも言(い)ふんだらうけれど、そんなのは駄目(だめ)さ。ほんとうにその人(ひと)を愛(あい)してゐるんでなくちゃ。」
 女(をんな)はまた「ふゝ。」と笑(わら)った。
「瞞(だま)すって一體(.たい)どんな事(こと)なんだい。」
「まあ惚(ほ)れさうに見(み)せかけるのさ。」女(をんな)は吭(のど)で笑(わら)ひながら、「だけれど私(わたし)には何(ど)うしてもそれが出來(でき)ないの。たゞお客(きゃく)を大事(だいじ)にするだけなの。それに私(わたし)なんか恁(か)う見(み)えても温順(おとな)しいんだから、鐵火(てっくゎ)な眞似(まね)なんか迚(とて)も柄(がら)にないの。ほんとうに温順(おとな)しい花魁(おいらん)だって、みんなが然(さ)う言(い)ふわよ。」
「あゝ」と、男(をとこ)は惱(なや)ましげに溜息(ためいき)をついたが、暫(しばら)くすると、「僕(ぼく)は君(きみ)のやうな人(ひと)は、一日(.にち)も早(はや)くこゝを出(だ)してあげたいと思(おも)ふね。」
「ふゝ」と、女(をんな)は又(また)持前(もちまへ)の笑聲(わらひごゑ)を洩(もら)した。「そして、何(ど)うするの。お上(かみ)さんにしてくれて?」
「いや、そんなことは何(ど)うでも可(い)いんだ。たゞ金(かね)のためにこんな處(ところ)に縛(しば)られて、貴重(きちゃう)な青春(せいしゅん)をむざ/\色慾(しきよく)の餓鬼(がき)のために浪費(らうひ)されてしまふのが堪(たま)らないんだよ。戀(こひ)もなしにそんな老人(らうじん)と一生(.しゃう)寂(さび)しく暮(くら)すことにでもなれば、尚更(なほさら)悲(かな)しいぢゃないか。君(きみ)だってそれは悲(かな)しいに違(ちが)ひないんだからね。」男(をとこ)は熱情的(ねつじゃうてき)に言(い)った。
「まったくだわ。」女(をんな)も感激(かんげき)したといふよりも、寧(むし)ろ驚(おどろ)いた風(ふう)で、「さう言(い)ってくれるのは貴方(あなた)ばかりよ。」
 そして彼女(かのぢょ)はまた腹這(はらば)ひになって、莨(たばこ)を吸(す)ひつけて彼(かれ)の口(くち)へ運(はこ)んで行(い)った。
「わたし幾許(いくら)も借金(しゃくきん)がないのよ。」
「幾許(いくら)あるの。」
「さうね、御内所(ごないしょ)の方(はう)は勘定(かんぢゃう)したら何(ど)のくらゐあるかしら。それに呉服屋(ごふくや)の借金(しゃくきん)がね、これが一寸(ちょっと)あるわ。出(で)るとなれば、少(すこ)しは派手(はで)にしたいから、それにも一寸(ちょっと)かゝるのよ。」
 そして彼女(かのぢょ)は胸算(むなざん)で、五百圓(.ひゃくゑん)ばかりを計上(けいじゃう)した。勿論(もちろん)彼女(かのぢょ)としては、素人(しろうと)になれば買(か)ひたいものも少(すくな)くはなかったが、單(たん)に足(あし)を洗(あら)ふにはそれだけの額(がく)は餘(あま)りに多過(おほす)ぎた。
「僕(ぼく)母(はゝ)に言(い)ってやれば、その位(くらゐ)は出來(でき)ると思(おも)ふ。母(はゝ)は僕(ぼく)の言(い)ふことなら、何(なん)でも聽(き)いてくれるんだから。僕(ぼく)の母(はゝ)はほんたうに寛容(くゎんよう)な心(こゝろ)をもった人(ひと)なんだ。」
「それでも女郎(ぢょらう)と一緒(.しょ)になるといへば、きっと吃驚(びっくり)するわ。」
 新造(しんぞ)が入(はひ)って來(き)た。

 一週間(.しうかん)ほどたつと、男(をとこ)はそれだけの金(かね)を耳(みゝ)をそろへて持(も)って來(き)たが、女(をんな)は其(そ)のうち幾分(いくぶん)を取(と)っただけで、意見(いけん)をして殆(ほと)んど全部(ぜんぶ)を返(かへ)した。

 夏(なつ)になってから、その學生(がくせい)は田舍(ゐなか)へ歸省(きせい)してしまった。勿論(もちろん)その前(まへ)にも一二度(..ど)來(き)たが、女(をんな)は何(なん)だか惡(わる)いやうな氣(き)がして、わざと遠(とほ)ざかるやうに仕向(しむ)けることを怠(おこた)らなかった。勿論(もちろん)彼女(かのぢょ)は、飮(の)んだくれの父(ちゝ)のために、不運(ふうん)な自分(じぶん)や弟(おとうと)たちが離(はな)れ/\になって世(よ)のなかの酸苦(さんく)をなめさせられたことを、身(み)に染(し)みてひどく悲(かな)しんでゐた。彼女(かのぢょ)の唯一(ゆゐ.)の骨肉(こつにく)である弟(おとうと)も、人(ひと)づかひの劇(はげ)しい大阪(おほさか)の方(はう)で、か弱(よわ)い體(からだ)で自轉車(じてんしゃ)などに乘(の)って苦使(こきつか)はれてゐた。彼女(かのぢょ)は時々(とき%\)彼(かれ)に小遣(こづかひ)などを送(おく)ってゐた。病氣(びゃうき)をして、病院(びゃうゐん)へ入(はひ)ったと云(い)ふ報知(しらせ)の來(き)たときも、退院(たいゐん)してしばらく田舍(ゐなか)へ歸(かへ)ったときにも、彼女(かのぢょ)は出來(でき)るだけ都合(つがふ)して金(かね)を送(おく)ってゐた。最近(さいきん)彼(かれ)の運(うん)も少(すこ)しは好(よ)くなってゐたが、客(きゃく)として上(あが)ってくる若(わか)いお店者(たなもの)などを見(み)ると、つい厭(いや)な氣(き)がして、弟(おとうと)の境涯(きゃうがい)を思(おも)ひやった。そんな事(こと)が妙(めう)に心(こゝろ)に喰入(くひい)ってゐたので、自分(じぶん)の境涯(きゃうがい)に醉(よ)ふと云(い)ふやうなことは事(こと)は困難(こんなん)であった。彼女(かのぢょ)は所在(しょざい)のない心寂(こゝろさび)しいをりなどには、針仕事(はりしごと)を持出(もちだ)して、襦袢(じゅばん)や何(なに)かを縫(ぬ)ったり又(また)は引(ひき)ときものなどをして單調(たんてう)な重苦(おもくる)しい時間(じかん)を消(け)すのであったが、然(さ)うしてゐると牢獄(ろうごく)のやうな檻(をり)のなかにゐる遣瀬(やるせ)なさを忘(わす)れて、むかし多勢(おほぜい)の友達(ともだち)と裁盤(たちいた)に坐(すわ)ってゐたときのやうなしをらしい自分(じぶん)の姿(すがた)に還(かへ)って、涙(なみだ)ぐましい懷(なつか)しさを感(かん)ずるのであった。しかし客(きゃく)によっては、色氣(いろけ)ぬきに女(をんな)を面白(おもしろ)く遊(あそ)ばせて、陽氣(やうき)に飮(の)んで騷(さわ)いで引揚(ひきあ)げて行(ゆ)く遊(あそ)び上手(じゃうず)もあって、そんな座敷(ざしき)では彼女(かのぢょ)も自然(しぜん)に心(こゝろ)が燥(はしゃ)いで、萎(な)えた氣分(きぶん)が生(い)き/\して來(き)た。しかし體(からだ)の自由(じいう)になる時(とき)が近(ちか)づいて來(く)ると、うか/\過(すご)した五六年(..ねん)の月日(つきひ)が今更(いまさら)に懷(なつか)しいやうで、世(よ)のなかへ放(はな)たれて行(ゆ)かなければならぬのが、反(かへ)って不安(ふあん)でならなかった。どこを見(み)ても、耀(かゞや)かしい幸運(こううん)が自分(じぶん)を待(ま)ってゐてくれさうには見(み)えなかった。
 大學生(だいがくせい)と別(わか)れてから、彼(かれ)から一度(.ど)手紙(てがみ)をもらったきりで、こっちからは遠慮(ゑんりょ)して……寧(むし)ろ相手(あひて)になるのが大人氣(おとなげ)ないやうな氣(き)もして、また別(べつ)に書(か)くやうな用事(ようじ)もなかったので、いくらか氣(き)にかゝりながら返事(へんじ)を怠(おこた)ってゐた。しかし其(それ)と同時(どうじ)に、餘(あま)り自分(じぶん)を卑下(ひげ)しすぎたり、彼(かれ)の心(こゝろ)の確實(かくじつ)さを疑(うたが)ひすぎるような氣(き)がして、折角(せっかく)嚮(む)いて來(き)た幸運(こううん)を、取逃(とりにが)してしまったやうな寂(さび)しさを感(かん)じた。取止(とりと)めのない男(をとこ)の氣持(きもち)や言草(いひぐさ)が何(なん)だかふは/\してゐて、手頼(たより)のないやうにも思(おも)はれたが、眞實(しんじつ)に自分(じぶん)を愛(あい)してくれてゐるのは、あの男(をとこ)より外(ほか)にはないやうに思(おも)はれた。彼(かれ)の好意(かうい)を退(しりぞ)けたのが、生涯(しゃうがい)の失策(しっさく)だと云(い)ふ氣(き)がした。そして其(そ)の考(かんが)へが段々(だん/\)彼女(かのぢょ)の頭腦(あたま)に希望(きばう)と力(ちから)を與(あた)へてくると同時(どうじ)に、彼(かれ)の周圍(しうゐ)や生活(せいくゎつ)を分明(はっきり)見定(みさだ)めたいと云(い)ふ望(のぞ)みが湧(わ)いて來(き)た。慈愛(じあい)の深(ふか)い彼(かれ)の老(お)いた母親(はゝおや)や、愛(あい)らしい彼(かれ)の弟(おとうと)が世(よ)にも懷(なつか)しいもののやうにさへ思(おも)はれた。
 或日(あるひ)の午後(ごご)、彼女(かのぢょ)は私(わたし)と新造(しんぞ)に其事(そのこと)を話(はな)して、廓(くるわ)を脱(ぬ)け出(で)ると土産物(みやげもの)を少(すこ)し調(とゝの)へて、兩國(りゃうごく)から汽車(きしゃ)に乘(の)った。近頃(ちかごろ)彼女(かのぢょ)は、内所(ないしょ)の上(かみ)さんや新造(しんぞ)と一緒(.しょ)に──時(とき)としては一人(ひとり)で、時々(とき%\)外出(そとで)してゐて、東京(とうきゃう)の地理(ちり)もほゞ知(し)ってゐたし、千葉(ちば)や成田(なりた)がどの方面(はうめん)にあるかくらゐの知識(ちしき)はもってゐた。彼(かれ)の妹(いもうと)は今年(ことし)十九だとかいふので、何(なに)か悦(よろこ)びさうなものをもって行(ゆ)きたいと思(おも)ふと、ふら/\と遽(には)かに思(おも)ひついたことなので、考(かんが)へてゐる隙(ひま)もなかったところから、客(きゃく)から貰(もら)ったきり箪笥(たんす)のけんどんや抽斗(ひきだし)のそこに仕舞(しま)っておいた、半玉(はんぎょく)でも持(も)ちさうな懷中化粧函(くゎいちうけしゃうばこ)だの半衿(はんえり)だのを、無造作(むざうさ)に紙(かみ)にくるんで持(も)って來(き)た。それに淺草(あさくさ)で買(か)った切山椒(きりざんせう)などがあった。
 避暑客(ひしょきゃく)の込合(こみあ)ふ季節(きせつ)なので、停車場(ていしゃば)は可也(かなり)雜沓(ざったふ)してゐたが、さうして獨(ひと)りで旅(たび)をする氣持(きもち)は可也(かなり)心細(こゝろぼそ)かった。十九から中間(ちうかん)の六年間(.ねんかん)と云(い)ふものを、不思議(ふしぎ)な世界(せかい)の空氣(くうき)に浸(ひた)って、何(なに)か特殊(とくしゅ)な忌(いま)はしい痕迹(こんせき)が顏(かほ)や擧動(きょどう)に染込(しみこ)んででもゐるやうに、自分(じぶん)では氣(き)がさすのであったが、周圍(しうゐ)の人(ひと)と自分(じぶん)とを嗅(か)ぎわけ得(う)るやうな人(ひと)もなささうに見(み)えた。實際(じっさい)また不斷(ふだん)からそれを心(こゝろ)がけてもゐた。
 海岸(かいがん)に近(ちか)い或(ある)町(まち)の停車場(ていしゃば)へおりたのは、暑(あつ)い七月(.ぐゎつ)の日(ひ)も既(すで)に沈(しづ)んで、汐(しほ)っぽい海風(うみかぜ)がそよ/\と吹(ふ)き流(なが)れてゐる時分(じぶん)であった。町(まち)には電氣(でんき)がついて、避暑客(ひしょきゃく)の浴衣姿(ゆかたすがた)が涼(すゞ)しげに見(み)えた。
 男(をとこ)の家(うち)は、この海岸(かいがん)から一里(.り)ほど奧(おく)の里(さと)の方(はう)にあった。彼女(かのぢょ)は三時間(.じかん)ばかりの汽車(きしゃ)で疲(つか)れてもゐたし、町(まち)で宿(やど)を取(と)って、朝早(あさはや)く彼(かれ)を訪(たづ)ねようと思(おも)ったが、宿(やど)はどこも一杯(.ぱい)で、それに一人旅(ひとりたび)だと聞(き)いて素氣(そっけ)なく斷(ことわ)られたので、爲方(しかた)なしいきなり訪(たづ)ねることにした。
 俥(くるま)はやがて町端(まちはづれ)を離(はな)れて、暗(くら)い田舍道(ゐなかみち)へ差懸(さしかゝ)った。黝(くろ)い山(やま)の姿(すがた)が月夜(つきよ)の空(そら)にそゝり立(た)って、海(うみ)のやうに煙(けむ)った青田(あをた)から、蛙(かへる)が物凄(ものすご)く啼(な)きしきってゐた。太鼓(たいこ)や三味(しゃみ)の音色(ねいろ)ばかり聞(き)きなれてゐた彼女(かのぢょ)の耳(みゝ)には、人間以外(にんげんいぐゎい)の聲(こゑ)がひどく恐(おそろ)しいもののやうに、神經(しんけい)を脅(おびや)かした。高(たか)い垣根(かきね)を結(ゆは)へた農家(のうか)がしばらく續(つづ)いた。行水(ぎゃうずゐ)や蚊遣(かやり)の火(ひ)をたいてゐるのが見(み)えたり、牛(うし)の啼聲(なきごゑ)が不意(ふい)に垣根(かきね)のなかに起(おこ)ったりした。
 道(みち)が段々(だん/\)山里(やまざと)の方(はう)へ入(はひ)って行(ゆ)くと、四邊(あたり)が一層(いっそう)闃寂(ひっそり)して來(き)て、石山(いしやま)な道(みち)を挽(ひ)き惱(なや)んでゐる人間(にんげん)さへが何(ど)んな心(こゝろ)をもってゐるか判(わか)らないやうに怕(おそ)れられた。燈(ひ)の影(かげ)もみえない薮影(やぶかげ)や、夜風(よかぜ)にそよいでゐる崖際(がけぎは)の白百合(しらゆり)の花(はな)などが、殊(こと)に彼女(かのぢょ)の心(こゝろ)を悸(おび)えさせた。でも、彼(かれ)の家(うち)を車夫(しゃふ)までが知(し)ってゐるのでいくらか心強(こゝろづよ)かった。
 彼(かれ)の屋敷(やしき)は山寺(やまでら)のやうな大(おほ)きな門構(もんがまへ)や黒(くろ)い塀(へい)やに取圍(とりかこ)まれて、白壁(しらかべ)の土藏(どざう)と竝(なら)んで、都會風(とくゎいふう)に立(た)てられた二階家(.かいや)であったが、門(もん)の扉(とびら)がぴったり鎖(とざ)されて、内(うち)は人氣(ひとけ)もないやうに闃寂(ひっそり)してゐた。それに石段(いしだん)の上(うへ)にある門(もん)と住居(すまひ)との距離(きょり)も可也(かなり)遠(とほ)かったし、前(まへ)には山川(やまかは)の流(なが)れが不斷(ふだん)の音(おと)をたゝへて、門内(もんない)の松(まつ)の梢(こずゑ)にも、夜風(よかぜ)が汐(しほ)の遠鳴(とほなり)のやうに騷(ざわ)めいてゐた。しかし生活(せいくゎつ)の豐(ゆた)かな此邊(このへん)は人氣(にんき)が好(い)いとみえて、耳門(くゞり)を推(お)すと直(す)ぐ中(なか)へ入(はひ)ることができた。女(をんな)はちょいと氣(き)が臆(おく)せて、其(そ)のまゝ其俥(そのくるま)で引返(ひきかへ)へさうかと思案(しあん)したが、引返(ひきかへ)す氣(き)にもなれなかった。で、玄關(げんくゎん)の土間(どま)へ立(た)って、思(おも)ひ切(き)って案内(あんない)を乞(こ)うてみたが、誰(だれ)も應(おう)じなかった。遠(とほ)い奧(おく)の方(はう)から明(あか)りがさして人聲(ひとごゑ)が微(かす)かにしてゐるやうであった。古(ふる)びた廣(ひろ)い家(うち)ががらんとしてゐた。何處(どこ)からか胸(むね)のわるい牛部屋(うしべや)の臭氣(しうき)が通(かよ)って來(き)た。
 彼女(かのぢょ)は失望(しつばう)と不安(ふあん)とを強(し)ひて壓(おさ)へるやうにして、門(もん)の内(うち)を仕切(しき)ってある塀(へい)についてゐる小(ちひ)さい門(もん)の開(あ)いてゐたのを幸(さいは)ひに、そっと其處(そこ)から庭(には)へ入(はひ)って見(み)た。庭(には)は木(き)の繁(しげ)みで微暗(ほのぐら)く、池(いけ)の水(みづ)や植木(うゑき)の鉢(はち)などが月明(つきあか)りに光(ひか)ってゐた。開放(かいはう)した座敷(ざしき)は暗(くら)かったが、籐椅子(とういす)が取出(とりだ)されてあったり、火(ひ)の消(き)えた盆燈籠(ぼんどうろう)が軒(のき)に下(さが)ってゐたりした。ふと池(いけ)の向(むか)ひの木立(こだち)の蔭(かげ)に淡赤(うすあか)い電燈(でんとう)の影(かげ)が、月暈(つきのかさ)のやうな圓(ゑん)を描(ゑが)いて、庭木(にはき)や草(くさ)の上(うへ)に蒼白(あをじろ)く反映(はんえい)してゐるのが目(め)についたが、それは隱居所(いんきょじょ)のやうな一棟(ひとむね)の離房(はなれ)で、瓦葺(かわらぶき)の高(たか)い二階建(.かいだて)であった。そして其處(そこ)に若(わか)い男(をとこ)が浴衣(ゆかた)がけで、机(つくゑ)に坐(すわ)って讀書(どくしょ)に耽(ふけ)ってゐた。顏(かほ)は焦(や)けてゐたが、それは疑(うたが)ひもなく彼(かれ)であった。
 ふと窓(まど)さきへ立(た)った彼女(かのぢょ)の白(しろ)い姿(すがた)を見(み)たとき、彼(かれ)はぎょっとしたやうに驚(おどろ)いた。
「私(わたし)よ。私(わたし)來(き)たのよ。」彼女(かのぢょ)は嫣然(にっこり)して見(み)せた。
「誰(だれ)かと思(おも)ったら君(きみ)だったのか。僕(ぼく)はほんとに脅(おどか)されてしまった。」さう言(い)って彼(かれ)は彼女(かのぢょ)を今一應(いま.おう)凝視(みつ)めた。
「わたし何(なん)だか急(きふ)に來(き)て見(み)たくなって、私(そっ)と脱出(ぬけだ)して來(き)たの。まさかこんなに遠(とほ)い處(ところ)とは思(おも)はないでせう、來(き)てみて驚(おどろ)いてしまったわ。」
「ほう、そんな好(す)きな眞似(まね)ができるのか。」彼(かれ)は蒼白(あをじろ)くなった顏(かほ)を紅(あか)くして、急(いそ)いで彼女(かのぢょ)を内(うち)へ入(い)れた。
「上(あが)っても可(い)いんですか。」彼女(かのぢょ)はちょっと氣(き)がひけたやうに入口(いりぐち)で躊躇(ちうちょ)してゐた。
 家(いへ)は上口(あがりぐち)と、奧(おく)の八疊(.でふ)との二室(ふたま)であったが、八疊(.でふ)から二階(.かい)へ梯子(はしご)が懸(か)けわたされて、倉(くら)を直(なほ)したものらしく、木組(きぐみ)や壁(かべ)は嚴重(げんぢう)に出來(でき)てゐたが、何(なん)となく重苦(おもくる)しい感(かん)じを與(あた)へた。で、上(あが)って行(い)って、蒲團(ふとん)などを侑(すゝ)められると、彼女(かのぢょ)は里離(さとばな)れのした態度(たいど)で、更(あらた)めて兩手(りゃうて)をついて丁寧(ていねい)にお辭儀(じぎ)をした。彼(かれ)は面喰(めんくら)ったやうな困惑(こんわく)を感(かん)じた。裏(うら)の畑(はたけ)にでもできたらしい紅色(べにいろ)した新鮮(しんせん)な水蜜桃(すゐみつたう)が、盆(ぼん)の上(うへ)に轉(ころが)ってゐた。
「しかし能(よ)く來(き)てくれたね。まさか君(きみ)が今頃(いまごろ)來(こ)ようとは思(おも)はないもんだから、ふっと顏(かほ)を見(み)たときには、君(きみ)の幽靈(いうれい)か、僕(ぼく)の目(め)のせゐで幻(まぼろし)が映(うつ)ったのかと思(おも)って、慄然(ぞっ)としたよ。」
「さう。私(わたし)はまた自分(じぶん)の氣紛(きまぐ)れで、飛(と)んだところへ來(き)たものだと思(おも)って、何(なん)だか悲(かな)しくなってしまったの。夢(ゆめ)でも見(み)てゐるやうな氣(き)がしてならなかったんですの。でも貴方(あなた)に會(あ)へて安心(あんしん)したわ。道(みち)がまた馬鹿(ばか)に遠(とほ)いんですもの、私(わたし)厭(いや)になっちまったわ。」
「夜(よる)だから然(さ)う云(い)ふ氣(き)がしたのだよ。」
「貴方(あなた)はこんな處(ところ)にゐて、寂(さび)しかないの。」女(をんな)はさう言(い)って四下(あたり)を見(み)まはした。
「こゝが一番涼(すゞ)しいから。」彼(かれ)はさう言(い)ふうちにも、どこかおど/\した調子(てうし)で、時々(とき%\)母屋(おもや)の方(はう)へ目(め)をやった。
「私(わたし)こゝにゐても可(い)いでせうか。貴方(あなた)の御母(おかあ)さんや御妹(おいもうと)さんに御挨拶(ごあいさつ)もしなければならないでせう。」女(をんな)も不安(ふあん)さうに言(い)った。
「いや、いづれ明朝(あした)僕(ぼく)が紹介(せうかい)しよう。それに親父(おやぢ)は浦賀(うらが)の方(はう)の親戚(しんせき)へ行(い)ってゐるんだ。多分(たぶん)二三日(..にち)は歸(かへ)らないだらうと思(おも)ふ。當分(たうぶん)ゐたって可(い)いんだらう。」
「さうね、御内所(ごないしょ)の方(はう)は幾日(いくにち)ゐたって介意(かま)やしませんわ。私(わたし)貴方(あなた)のお手紙(てがみ)で、海(うみ)へでも遊(あそ)びに行(い)かうと思(おも)って、來(き)たんですけれど……それには色々(いろ/\)話(はな)したいこともあるにはあるんですの。でも私(わたし)こゝにゐても可(い)いの。」
「それあ可(い)いんだけれど、何(なん)なら町(まち)の方(はう)で宿(やど)を取(と)ってもいゝと思(おも)ふね。」彼(かれ)は女(をんな)に安心(あんしん)を與(あた)へるやうに言(い)ったが、何處(どこ)においていゝかと惑(まど)ってゐる風(ふう)であった。
 話(はなし)が途切(とぎ)れたところで、彼女(かのぢょ)は持(も)って來(き)た土産物(みやげもの)を出(だ)して、「急(きふ)に思(おも)ひついて來(き)たんですから、何(なん)にももって來(こ)なかったのよ。」とさう言(い)って、彼(かれ)の前(まへ)においた。
 彼(かれ)はたゞ大樣(おほやう)に頷(うなづ)いたきりであったが、やがて女(をんな)の傍(そば)を離(はな)れて、母屋(おもや)の方(はう)へ行(い)った。
 彼(かれ)の家(うち)は農家(のうか)ではあったが、千葉(ちば)の方(はう)から養子(やうし)に來(き)た父(ちゝ)は、元(もと)が商人出(しゃうにんで)であったから、ちょい/\色々(いろん)なことに手(て)を出(だ)してゐた。東京(とうきゃう)へも用達(ようたし)に始終(しじう)徃復(わうふく)してゐて、さう云(い)ふ時(とき)の足溜(あしだま)りに、これまで女(をんな)を下町(したまち)の方(はう)に圍(かこ)っておいたこともあった。
 大分(だいぶん)たってから、一人(ひとり)の女中(ぢょちう)がお茶(ちゃ)やお菓子(くゎし)を運(はこ)んで來(き)たが、間(ま)もなく彼(かれ)も飛石(とびいし)づたひに此方(こっち)へやって來(き)た。
 「母(はゝ)に話(はな)したら、是非(ぜひ)お目(め)にかゝるから此方(こっち)へおつれ申(まを)せと言(い)ったんだけれど、僕(ぼく)は今夜(こんや)はもう遲(おそ)いから明朝(あした)にしたら可(い)いだらうと言(い)っておいたよ。」
「さう、貴方(あなた)のお妹(いもうと)さんもいらっしゃるの。」
「妹(いもうと)は東京(とうきゃう)へ行(い)ってゐて、今(いま)家(うち)にはゐないんだ。」彼(かれ)は氣(き)の毒(どく)さうに言(い)って、「僕(ぼく)は母(はゝ)には、友人(いうじん)の姉(ねえ)さんで、海水浴(かいすゐよく)へ來(き)たついでに、わざ/\訪(たづ)ねてくれたんだと、さう言(い)って話(はな)したら、すっかり眞(ま)に受(う)けられて極(きま)りが惡(わる)かった。」
「さう。」と、女(をんな)は寂(さび)しい微笑(びせう)を浮(うか)べたが、やっぱり當(あて)にならないことを頼(たよ)りにしてきたのだと云(い)ふ、淡(あは)い悔(く)いを感(かん)じた。
 その晩(ばん)は葡萄酒(ぶだうしゅ)などを飮(の)んで、遲(おそ)くまで話(はな)したが、それも取留(とりと)めのない彼(かれ)の感激(かんげき)から出(で)る辭(ことば)ばかりで、期待(きたい)したやうな實(じつ)のある話(はなし)は少(すこ)しもなかった。

 明朝(あした)海岸(かいがん)の方(はう)へ出(で)て行(い)ったのは、お晝頃(ひるごろ)であった。勿論(もちろん)母屋(おもや)の方(はう)へつれて行(ゆ)かれて、二階(.かい)の座敷(ざしき)も見(み)せられたし、五十ばかりの母親(はゝおや)にも紹介(せうかい)された。母(はゝ)は東京(とうきゃう)で世話(せわ)になる人(ひと)だといって、彼(かれ)が誇張(こちゃう)して話(はな)したとみえて、素朴(そぼく)ではあるが、ひどく慇懃(いんぎん)に待遇(たいぐう)してくれるので、彼女(かのぢょ)は挨拶(あいさつ)に困(こま)って、可成(なるべく)口(くち)を利(き)かないことにしてゐるより外(ほか)なかった。
 裏(うら)の果樹園(かじゅゑん)へつれ出(だ)されて、彼女(かのぢょ)は初(はじ)めて吻(ほっ)とした。水蜜桃(すゐみつたう)の實(みの)るところを、彼女(かのぢょ)は初(はじ)めて見(み)た。野菜畑(やさいばたけ)なども町(まち)で育(そだ)った彼女(かのぢょ)には不思議(ふしぎ)なものの一(ひと)つであった。茄子(なす)や胡瓜(きうり)に水(みづ)をやってゐる男(をとこ)が、彼女(かのぢょ)の姿(すがた)を見(み)て丁寧(ていねい)にお辭儀(じぎ)をした。ダリヤが一杯(.ぱい)咲(さ)いてゐた。薮蔭(やぶかげ)には南瓜(かぼちゃ)が蔓(つる)をはびこらせてゐた。朝露(あさつゆ)が名殘(なごり)なく吸取(すひと)られて、太陽(たいやう)がかっ/\と照(てら)してゐたが、風(かぜ)は涼(すゞ)しかった。一夏(ひとなつ)脚氣(かっけ)の出(で)たとき、朝早(あさはや)く外(そと)へ出(で)て、跣足(はだし)でしっとりとした土(つち)を踏(ふ)んだことなどあったが、いくら體(からだ)が丈夫(じゃうぶ)になっても、こんな處(ところ)には迚(とて)も一生(いっしゃう)暮(くら)せさうもなかった。彼(かれ)は東京(とうきゃう)で暮(くら)すのだと言(い)ってゐたが、他(ほか)の男(をとこ)の子(こ)がないところから見(み)ると、つまりは此處(ここ)に落着(おちつ)くのぢゃないかと云(い)ふ氣(き)がした。
 彼(かれ)はそんな事(こと)については、少(すこ)しも語(かた)らなかった。
 やがて支度(したく)をして、二人(ふたり)は家(うち)を出(で)たが、山路(やまみち)とはいっても、海岸(かいがん)に近(ちか)いので、何處(どこ)を見(み)ても昨夜(ゆうべ)あれほどにも心(こゝろ)ををのゝかせたやうな深(ふか)い山(やま)は何處(どこ)にも見(み)えなかった。蒼々(あを/\)した山松(やままつ)や、白百合(しらゆり)の花(はな)の咲亂(さきみだ)れた丘(をか)や、畑地(はたち)ばかりであった。そして思(おも)ったより早(はや)く、いつか町(まち)の垠(はづれ)へ出(で)て來(き)てゐるのに氣(き)がついた。
 海岸(かいがん)の松原蔭(まつばらかげ)にある新(あたら)しい宿屋(やどや)の二階(.かい)の一室(ひとま)に、やがて彼女(かのぢょ)は落着(おちつ)くことができた。そこからはそよ/\と風(かぜ)に漣(さゞなみ)をうってゐる廣(ひろ)い青田(あをた)が一目(ひとめ)に見(み)わたされ、松原(まつばら)の藁屋(わらや)の上(うへ)から、紺碧(こんぺき)の色(いろ)をたゝへた靜(しづ)かな海(うみ)が、地平線(ちへいせん)を淡青黄色(うすあをぎいろ)の空(そら)との限界(げんかい)として、盛(も)りあがったやうに眺(なが)められた。眞夏(まなつ)の日(ひ)がきら/\と光(ひか)り耀(かゞや)いてゐた。人間(にんげん)と人間(にんげん)との特殊(とくしゅ)な交渉(こうせふ)より外(ほか)には何物(なにもの)もない隘(せま)くて窮屈(きうくつ)な小(ちひ)さい部屋(へや)のなかに住(す)みなれて來(き)た彼女(かのぢょ)に取(と)っては、際限(はてし)もない青空(あをぞら)を仰(あふ)ぐことすらが、限(かぎ)りない驚異(きゃうい)でもあり喜悦(きえつ)でもあったが、心(こゝろ)ゆくまで胸(むね)を開(ひら)いて、其等(それら)の自然(しぜん)に親(した)しむことは迚(とて)も出來(でき)なかった。
 海風(うみかぜ)に吹(ふ)かれながら、晝飯(ひるめし)を食(た)べてから、二人(ふたり)はしばらく横(よこ)になって話(はな)してゐたが、するうちに疲(つか)れた頭腦(あたま)も體(からだ)も融(と)けるやうな懈(だる)さをおぼえて、うと/\と快(こゝろよ)い眠(ねむり)に誘(さそ)はれた。下(した)の部屋(へや)で學生(がくせい)がやってゐるハモニカの音(ね)などが、彼等(かれら)の夢心地(ゆめごゝち)をすやした。
 四時頃(よじごろ)に、二人(ふたり)は一緒(.しょ)に海岸(かいがん)へ出(で)て見(み)た。日(ひ)は大分(だいぶん)傾(かたむ)いてゐたが、風(かぜ)が出(で)たので、海(うみ)には波(なみ)が少(すこ)し荒(あ)れてゐた。焦(こ)げつくやうな砂(すな)を踏(ふ)んで彼女(かのぢょ)は汀(みぎは)に立(た)って、ぼんやり波(なみ)の戲(たはむ)れを見(み)てゐたが、長(なが)く立(た)ってゐられなかった。目(め)がくら/\して波(なみ)と一緒(.しょ)に引込(ひきこ)まれて行(ゆ)きさうであった。海水衣(かいすゐぎ)に海水帽(かいすゐばう)をかぶった、女學生(ぢょがくせい)らしい女(をんな)の群(むれ)が、波(なみ)に輕(かる)く體(からだ)を浮(うか)かせながら、愉快(ゆくゎい)さうに毬投(まりなげ)をやってゐるのが彼女(かのぢょ)には不思議(ふしぎ)にも羨(うらや)ましくも思(おも)はれた。印度人(インドじん)のやうな黒(くろ)い裸體(らたい)が、そこにもこゝにも彼女(かのぢょ)の目(め)を驚(おどろ)かした。
 二人(ふたり)はやがて着物(きもの)の脱(ぬ)ぎ場(ば)へ入(はひ)って、足(あし)を休(やす)めながら海氣(かいき)に吹(ふ)かれてゐた。彼(かれ)は彼女(かのぢょ)をかうした自由(じいう)な自然(しぜん)の前(まへ)へつれて來(き)たことに、この上(うへ)ない幸福(かうふく)を感(かん)じてゐるらしかったが、彼女(かのぢょ)の頭腦(あたま)は其(そ)の感(かん)じを受容(うけい)れるには、餘(あま)りに自分(じぶん)を失(うしな)ひすぎてゐた。
 するとその時(とき)、ぽうと云(い)ふ空洞(うつろ)な汽笛(きてき)の音(ね)が響(ひゞ)いて、いつの間(ま)にか汽船(きせん)が一艘(.さう)、黒(くろ)い煙(けむり)を吐(は)きながら、近(ちか)くの沖(おき)へ來(き)て碇泊(ていはく)してゐるのに氣(き)がついたが、間(ま)もなく漕(こ)ぎ寄(よ)った一艘(.さう)の端艇(はしけ)に、荷物(にもつ)や人(ひと)を受取(うけと)って、陸(をか)の方(はう)へやって來(き)た。
 端艇(はしけ)が濱(はま)へついたとき、懸(か)けわたされた船板(ふないた)から、四五人(..にん)の男女(だんぢょ)が上陸(じゃうりく)して來(き)たが、その中(なか)に舊式(きうしき)なパナマを冠(かぶ)って、小(ちひ)さい手提鞄(てさげかばん)と細巻(ほそまき)とをもって、肥滿(ひまん)した老人(らうじん)が一人(ひとり)こっちへ遣(や)って來(き)た。近(ちか)づくに從(したが)って、其(そ)の姿(すがた)は段々(だん/\)はっきりして來(き)て、白地(しろぢ)の帷子(かたびら)や絣(かすり)や、羽織(はおり)の茶色地(ちゃいろぢ)までがきら/\する光線(くゎうせん)に見分(みわ)けられた。帶(おび)の金鎖(きんぐさり)がちか/\光(ひか)ってゐた。
 彼女(かのぢょ)はぢっと其(そ)の姿(すがた)を凝視(みつ)めてゐたが、それは何(ど)うやら能(よ)く自分(じぶん)のところへ通(かよ)ってくる、千葉在(ちばざい)だと云(い)ふ爺(おやぢ)らしく思(おも)はれて來(き)た。
 と、それと同時(どうじ)に彼(かれ)の面(おもて)にも暗(くら)い困惑(こんわく)の色(いろ)が浮(うか)んで來(き)て、やがて其處(そこ)を立(た)って、そろ/\葦簾張(よしずばり)の外(そと)へ出(で)て行(い)った。間(ま)もなく彼女(かのぢょ)もそこを離(はな)れた。
 それが彼(かれ)の父親(ちゝおや)だといふことは、後(あと)で彼(かれ)が言(い)って聞(き)かせたが、彼女(かのぢょ)は何(なん)にも語(かた)らなかった。
 其(そ)の晩(ばん)も二人(ふたり)は町(まち)や海岸(かいがん)を散歩(さんぽ)して、歸(かへ)ってからも遲(おそ)くまで月光(げっくゎう)の漾(たゞよ)ひ流(なが)れてゐる野面(のづら)を眺(なが)めながら話(はな)してゐた。彼(かれ)は彼女(かのぢょ)の憂鬱(いううつ)な氣分(きぶん)を悲(かな)しく思(おも)ったが、女(をんな)は自分(じぶん)を如何(いか)にして幸福(かうふく)にしようかと惱(なや)んでゐる彼(かれ)を哀(あはれ)んだ。
 三日目(みっかめ)に、彼(かれ)はちょっと家(うち)へ歸(かへ)ってくると言(い)って立(た)って行(い)ったが、その夕方(ゆふがた)、彼女(かのぢょ)は宿(やど)へも無斷(むだん)でそこを立(た)ってしまった。


福井大学学生入力・岡島昭浩ルビならびに校正
底本『現代日本文学全集 第十八編 徳田秋聲集』改造社 昭和3.11.1
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