國語學研究法 橋本進吉
第二篇 過去の國語の研究
  第七章 文法の史的研究
 言語は音聲と意味とから出來てゐるものであるから、その變遷も、音聲と意味との變化以外にはあり得ないのであって、文法の變遷も亦この埒外に出るものではない。唯文法の干與する意味は、獨立してはあらはれず、いつも他のものに附隨してあらはれるものであり、又或一二の語のみならず、意味や外形のちがった種々の語に附隨するものであって、その内容も、かなり抽象的で漠然としたものが多く、又之をあらはす形(音)も、單語のやうにいつも同じ形に一定してゐるのでなく、或場合にはこの音、或る場合にはこの音といふ風にきまってゐる事があり、又或きまった音の形であらはさずして、各意味を有する言語單位の間の前後の順序により又は或意味を有する言語單位に加はる音調(イントネーション)によって表はす事もあるのであって、隨って、その變遷も單語の場合とは趣を異にするところがある。概して他の場合に比して類推作用のはたらきが著しく、意味の變化が同時に外形の變化を伴はうとする傾向が強い。
 まづ語の構成法については、成分にわかち得べき語は之を成分にわけて、その成分から語が構成せられる場合の音やアクセントの變化がどうなってゐたかを調べて、之を時代順に見て、その變遷の跡をさぐる。又その場合に各成分が意味の上から見てどんなに結合するかをしらべて、その點に於て時代による變遷が認められるならば之を明かにする。接頭辭や接尾辭も亦之と同樣であるが、これは、比較的自由に種々の語に附いた時代とあまり自由に用ゐられず、既にきまった或語にのみ附く事となった時代とがあらうから、それが何時代からかはったかも出來るだけ明かにしなければならない。又接頭辭や接尾辭は、他の獨立し得る語から轉じたものや、又他の語の一部分が分離して出來たものなどあるかも知れない故、さういふ方面からも探究すべきである。又古くから行はれて廢滅に歸した接頭接尾辭は、單一な語とおもはれたものの中に殘ってゐる事もあり得る故、この點にも注意すべきである。他の種類の言語との比較によってこの種のものが見出される事もあるであらう。
 語の活用については、或種の活用に屬する語の若干が他の活用に變じたのもあり、又或種の活用全部が他の活用に變じたのもある。これ等は、一つ一つの語に就いて各時代の資料に基づいて調査すべきである。或種の活用全部の變化にしても、語によって早く變じたのもあり遲く變じたのもあらうから、いかなる性質の語に於てその變化が早く起ったかを明かにすベきである(これがその變化の原因を明かにする手がかりとなる事がある)。又一般的の音變化によって或種の活用の一部又はその中の或形が變化する事もあり(四段の連用形が音便によって變化し、又ハ行とワ行の活用が、音變化によって混同するなど)、活用形の用法の變化によって、活用の形式がかはることがある(連體形が動詞及び形容詞に於て終止形のかはりに用ゐられて、連體形と終止形とが同一となるなど)。これ等も、いかなるものから先に變化したかをしらべて、その徑路を明かにすべきである。
 個々の活用形には種々の用法があるが、その一つ一つの用法がどんなに變化して來たかを調査しなければならない。その用法といふのは、言語の意味に關した事であるが、活用形はそれ自身で或附屬的の意味を加へる場合と、之に助詞又は助動詞を附けてはじめて或意味を添へる場合とある。後の場合に於ては活用形はそれだけでは意味なく、唯その助詞或は助動詞に附く爲の形として定まってゐるだけで、前の場合とは性質を異にし、活用の變遷する場合にも、兩者必しもその歩調を一にせず、時にはその歸結を異にする事もある故、これ等の場合を區別して觀察しなければならない。
 或種の活用が他の種の活用に變ずるには、他の種の活用形式に同化せられる場合もあり、又、同じ活用中の或一つの活用形に同化せられる場合もある。いづれも屡用ゐられて勢力あるものに同化せられるのが常である故、何れの原因によるかを知る爲には、統計をとって、繰返される數をしらべる事も必要である。
 活用の變遷は、また他の種の言語(他の方言或種の文語など)の影響によっても生ずる。その場合に或一部の語にのみ起るのもあり、又或一種の活用に屬する語全體に起るのもある。一部の語にのみ起るものは、その語がどんな種類のものであるかによって、いかなる言語の影響であるかを判斷出來る事がある(たとへば口語の爲に文語の活用が變化し、又は、文語の活用が口語に入るなどの場合)。或種の活用全部が變化するのは他の方言の影響を受けた場合などに起るのであって、この場合には恐らくは、最初はもとの活用と新な活用とが並び行はれ、後に新なる活用に統一したのであらう。これも初めて影響を受けた時代の資料が豊富に殘ってゐれば大體わかるであらうが、さうでない場合は知り難いであらう。但し、當時の社會の事情から推して、大體想定される場合もある。
 古い活用が既に一般に行はれなくなった後も、複合語、慣用語句などの中には、殘ってゐる事がある(「あくる日」に今も昔の下二段の形が殘ってゐる如き)。かやうな原則を應用して、直接文獻上に證しがたい古い活用を推定する事も出來よう。その際は「たのもし」「おもほす」など活用する語に接尾辭又は活用語尾をつけて出來た合成語に於ける活用語の形も參考すべきである。又各種の言語の比較研究からも古代の活用を推定し得る事もあらう。その場合には、音韻法則が確立しない以上、正確な結果を得る事は困難であるが、大體音韻法則が立っても、活用の如きは類推作用によって、その法則を破る事もあり得べきであるから、十分確實な結果を得るまでには、かなりの困難があらう。
 次に助詞助動詞が他の語に附いて文節を作る場合に、それがどんな種類の語に附くか、その語が活用するものである時はそれがどんな形につくか、いくつも重なって附く場合には、どんな順序で重なるか、そのアクセントは如何、又それらの動詞助動詞がついてどんな意味が加はるかといふやうないろ/\の點に於て、いかなる時代的變化があったかが問題になる。更に、文節が結合して文を作る場合に、どんな文節とどんな文節とが結合するか、いかなる順序で結合するか、どんなイントネーションが加はるか等の點、及び此等の手段によって表はされる意味の時代的變化が問題になる。
 以上のやうな諸點に於ける推移も、亦あらゆる場合に一樣に變化せず、或特殊の場合からはじまって他に及ぶものがあらうから、いかなる場合のものが他に先んじて變化したかを明かにして、その變化した原因を考へるべきであるが、この種のものは、殊にその前後の語句との關係又は文全體の意味によって支配される事が多い故、なるべく多くの實例を集めて、その前後に如何なる語句があるか、又、如何なる種類の文に用ゐられるかを調べる事が必要である。例へば、モノヲの意味に用ゐる「ものゆゑ」は、打消の語から續いて、「……ぬものゆゑ」となった例が非常に多いことがわかれば、もと「……セヌモノノ故ニ」の意味であったのが、前後の關係から「……セヌモノヲ」の意味と見られるやうになって、そこからまづ「ものゆゑ」にモノヲの意味が生じ、次いで、他の場合にも、モノヲの意味で用ゐられるやうになったと推定せられる如き類である。
以上の外、文字に關する事象の史的研究、國語中の諸言語の發達變遷の歴史、外國語の影響史、國語系統の研究など、説くべき事はまだ殘ってゐるが、身邊の事情は、これ以上の時間を費すことを許さない故、こゝで筆を止める事とした。
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