前回述べましたのは、古代に於てもまた現代の我々も、それ%\違った假名として認めてゐる「いろは」四十七文字は、その他に色々の假名があっても、それは所謂變體假名であって、どれを使っても四十七字の中のどれかと同じものであるが、併し四十七字の各は互に別なものであって、他のものを以て代用することは出來ないのである、即ち、變體假名は互に通用するものであり、四十七種は互に通用しないものであるといふやうに我々は考へて居る。ところが實際において、我々が此の四十七の中で同じやうに發音して居るものが三つある、この三つは假名遣の上では區別して居るけれども、實際の發音から見ると同じであって區別することは出來ない。ところが、さういふものも古い時代の文字の用法を見ると矢張區別してある、ア行の「イ」とワ行の「ヰ」といふ風に、我々の耳に聽いては判らないが、昔の人の書いたものにはちゃんと明瞭に書き分けてあるといふことが、契沖阿闍梨の研究に依って明になった。それから「いろは」と相並んで矢張り音の區別を表にした所謂五十音圖がありますが、是と「いろは」とを比べて見ると三つだけ多くなってゐて、假名では同じに書く三つの假名が、それ%\二つにわかれて違った所に入ってゐる。即ちア行の「イ」とヤ行の「イ」と、ア行の「エ」とヤ行の「エ」と、ア行の「ウ」とワ行の「ウ」と、この三つは假名の形は同じでありながら二箇所に分れて出て居る。それで「いろは」に比べると三つだけ多くなって五十になって居る。これらの假名は、我々は假名としては別なものとしては考へてゐないのでありますが、しかしさういふものも、ずっと古い時代においては何か區別せられていはしないかといふことを問題にして、古い時代に於ける假名、即ち萬葉假名の用例をあつめて、「イ」(ワ行の「ヰ」でなく)に當るあらゆる萬葉假名がどういふ語に用ゐられて居るかといふことを調べて見ると、それ等は何れも區別なく同じやうに用ゐられて居る事がわかり、それから「ウ」も「ウ」に當るべき方葉假名を用ゐてある語をずっと調べて見ると、これらの假名はどういふ語においても皆同じやうに用ゐられて、區別がないことがわかったが、唯「エ」に當る萬葉假名だけは二類にわかれて互に區別せられてゐるのであって、ア行の「エ」とヤ行の「エ」と違った文字が用ゐてあり、語に依ってどちらの類の假名を使ふといふことがちゃんと定まって居るといふことが發見されたのであります。それが奧村榮實の「古言衣延辨」の研究であります。さうして、契沖の研究に依って假名の用法上區別がある事が明になった「い」「え」「お」と「ゐ」「ゑ」「を」との別は、實際の發音上にあったア行音とワ行音の區別であって、「イ」「エ」「オ」音と「ウィ」「ウェ」「ウォ」音との別を表はすものであるといふことが本居宣長翁の時代に明かになり、さうしてもう一つのエにあたる假名の二類の區別も、ア行音とヤ行音との區別で、一方は母音のエであり一方は「イェ」音を表はすものであるといふことが明になったのであります。
 契沖阿闍梨や奧村榮實の研究に依って右のやうなことが判って來たのであります。その結果として、第一に、古代には現代にない「ウィ」「ウェ」「ウォ」及び「イェ」といふやうな音があった事が明になったのであります。第二に、古代の音を表はすには、普通の平假名では不十分で、古代には、平假名や片假名では區別しきれない音の區別があった事が明になったのであります。
 ア行とワ行の「え」と「ゑ」、「い」と「ゐ」、「お」と「を」、これらは、古代には發音上區別があったのが今は同音になって、音の上では區別はないが、假名では別のものとして區別せられてゐる。ところがア行の「え」とヤ行の「え」の區別は、昔あった發音上の區別が失はれたのみでなく、假名としても區別なく、それを假名で書きわける事も出來ないものである。昔のア行のエの音も、ヤ行のエの音も、同じやうに「え」の假名で書いて、我々はそんな區別があらうとも考へない。その「え」が、古い時代に於ては立派に二つに分れて、互に混ずる事がなかったといふことが判ったのであります。
 此の「え」の二種の別は、五十音圖に於けるア行のエとヤ行のエとの別に相當するものですが、それでは、五十音圖に於て區別せられてゐるやうなあらゆる音の區別が皆古い時代にあったかといふと、さうでもない。前に述べたやうに、ア行の「い」とヤ行の「い」及びア行の「う」とワ行の「う」の區別は昔もなかったのであります。昔の國學者には五十音圖といふものは非常に古いものであって、神代からあったものであるといふやうなことを考へて居った人もあります。併し五十の音を言ひ分けるといふことは、神代はどうだか知りませぬけれども、我々が普通溯ることが出來る時代――是はまあ實際においては大體推古天皇まで位であらうと思ひます。それより以前は、其の邊からずっと眺め渡すことが出來るかも知れませぬけれども、直接に知るといふことはむづかしいのであります――先づ推古天皇の頃まで溯っても、五十の音がことごとく別々に使はれ言ひ分けられて居ったといふことはなかったと思ふのであります。さうかといって「いろは」では少し足りない。即ち「いろは」ならば四十七の區別でありますが、ア行の「え」と、ヤ行の「え」は區別があるのでありますから「天地の詞」の四十八音ならばよいのであります。さういふやうな譯で、結局此の伊呂波歌とか、或は天地の詞といふものは、昔の人が區別して假名を使って居った、其の假名の區別を代表するものでありますけれども、五十音圖はすぐにはそれを代表しないものであるといふことが判るのであります。此のア行の「エ」とヤ行の「エ」は後世の片假名や平假名では區別せられず、そんな假名に依っては判らなかったのを、その區別があることを見出した。之を見出したのはどうして見出したかといふと、古い時代の萬葉假名について、「え」に當る色々の萬葉假名の一つ一つに就いて、此の字はどういふ場合に用ゐられて居るか、どういふ語に用ゐられるかといふやうにして調べて行く。さうすると、或語の「え」に用ゐる萬葉假名は他の或語の「え」には用ゐないといふ事がわかり、「え」にあたるあらゆる萬葉假名が二つの類にわかれて、各、その用ゐる語を異にするといふ事を見出すことが出來たからであります。萬葉假名は全體としては非常に澤山あって、其の中の幾つかを「い」の假名であるとか「え」の假名であるとか、「か」の假名であるとか「き」の假名であるとかといふ風に皆考へて居ったのであります。それはさう讀めば後世の語と一致して、とにかく意味がわかるから、それでよいのだとしてゐたのです。即ち「か」ならば「加」、「迦」、「可」など、いろ/\の文字があるのを皆「か」と讀んで、どれも皆「か」の音を表はす同類の假名であると考へて居た。霞(かすみ)の「か」も、赤(あか)の「か」も此の萬葉假名の中何れを使ってもよい。即ち、これ等の文字は皆互に通用するものだと考へてゐたのであります。さうならば「え」に當る萬葉假名は皆通用するものである筈で、又實際さう考へて居ったのでありますが、よく調べて見るとさうでなかった。「え」音を含む一々の語に就いて、その「え」にどういふ萬葉假名が使はれてゐるかといふことを調べて見ると、同じ「え」の假名だと思ってゐたいろ/\の萬葉假名がちゃんと二類に分れて居るといふことが見付かったのであります。さうすると「え」と讀めば意味がわかるから、これ等の萬藥假名はすべて同じ「え」の音を表はす同類の假名だと考へて安心して居る譯に行かなくなって來たのであります。
 さうなって來ると、その他の假名に於ても、また何かこのやうな區別がありはしないか、即ち、これまで多くの萬葉假名を「か」とか「き」とか讀めば、それで意味がわかるから、それを皆「か」の音とか「き」の音とかを表はすものと無雜作に考へて來たが、其の「か」又は「き」にあたる萬葉假名の中にまた區別があるのではなからうかといふ疑が當然起るべき筈であります。さういふ疑が起って來ると、どうしても、一切のあらゆる萬葉假名に就いて、それがどういふ場合に用ゐられるかといふことを調べて見なければならぬ譯になります。かやうな研究としては、「い」と「ゐ」「え」と「ゑ」「お」と「を」のやうな同じ音に讀まれる假名にあたる萬葉假名については、既に述べた通り契沖阿闍梨や奧村榮實の骨折りに依って調べられて、どれだけの類別があるかが判るやうになったのであります。
 けれども、これは多くの萬葉假名の中の一部分に過ぎないので、その他の部分に就いてはまださういふ風な調べをしたものがなかったのであります。いや無かったと考へられてゐたのであります。所が斯ういふ風の調査をあらゆる萬葉假名に就いてしたものがあった事がわかったのであります。それは本居宣長翁の弟子の石塚龍麿といふ遠江の學者であります。此の人が假名の用法を調べた結果が二つの書物となって現れて居ります。其の一は「古言清濁考」であって、是は享和元年に版になって居ります。もう一つは「假名遣奧山路」で、これには寛政十年の序があります。「古言清濁考」は木版の三册の書物になって居りますから、是はちょい/\見ることが出來ます。「假名遣奧山路」は寫本で傳はって居るのでありまして、「古言清濁考」の方が先に出來て「假名遣奧山路」の方が後に出來たものであります。「古言清濁考」には宣長の序文が附いて居ります。
 此の龍麿の研究は、矢張宣長翁の研究が土臺になって、それから起ったものであります。本居宣長翁は「古事記」に就いて詳しい研究をせられ、其の假名に就いても詳しく調査せられたのでありまして、其の結果が「古事記傳」の初めの總論の中に「假字の事」といふ一箇條として載って居ります。其の中に、「古事記」の假名の用法に關することとして二つの注目すべきものがあるのであります。一は「古事記」には假名で清濁を區別して書いてあるといふのであります。例へば「加」に對して「賀」といふ字がある、「加」は清音で「賀」は濁音である。「く」の音でも「久」に對して「具」といふ濁音の假名がある、或は、「波」に對して「婆」であるとか、「都」に對して「豆」であるとかいふ風に、字を見ればすぐ清音か濁音かが判る。「日本書紀」や「萬葉集」に於ては大體書き分けてはあるが、併し幾分か嚴重でない所がある。ところが「續日本紀」以下はそれが書き分けてない。かやうに言って居られるのであります。斯ういふ風に、「古事記」には清濁を書き分けてあるけれども、偶々さうでないものもあるやうに見えることもある。併しそれは、濁るべき所と清むべき所が語に依って古今の違ひがあるので、今我々が濁って讀む語でも昔の人は清んで讀んで居った。だから、ちょっと見ると濁るべき所を濁らない文字で書いてあるやうに見えるけれども、さうではない。例へば、宮人を今は「みやびと」と讀むけれども昔は「みやひと」である。「古事記」の中に宮人といふ語は清音の假名で書いてあって、濁音の假名で書いてあるものは一つもない。それは「みやびと」といって居ったのを清音の假名で書いたのではなく、「みやひと」と言って居ったから清音の字で書いたのである。「島つ鳥」も「しまつどり」と今はよく讀みますけれども「古事記」には決して濁音の假名では書いてゐない。だから「しまつとり」と讀んだものと認められる。清濁は古今で違ふものがあるから、ちょっと見ると「しまつどり」の「ど」に當る所に清音の假名が書いてあるから、昔は清音の假名で濁音を書いて居るやうに見えるけれども、さうでなく、昔は清んで居ったのだ。斯ういふ考へであります。枕詞の「あしびきの」は「あしびき」と讀みますが、是も「あしひきの」であって「ひ」といふのは皆清音の假名で書いてある。さういふことを宣長翁が發見されたのであります。つまり、昔は清濁を嚴重に書き分けてある。だから、どういふ假名で書いてあるかといふことを見れば、昔清音であったか濁音であったかといふことが判る。さうして、言語としては、昔清音であった語を後世濁音に發音するといふやうな古今の違があるといふことが明にせられたのであります。清濁といふと純粹に音に關することのやうであります。又事實、それはさうに違ひない。併しながら、此の宣長翁の取られた方法は、一々の假名について、此の假名はどんな所に使ふか、「久」なら「久」はどういふ所に使ふか、「具」はどういふ語に使って居るかといふ風に、あらゆる例を調べて、さうして「久」は「く」と清む音に使ひ、「具」は「ぐ」と濁る音に當る所に何時も使って居るといふことを見付けた譯であります。さすれば、矢張假名の用法の研究であると言ってよいのであります。もし「久」を書きながら「ぐ」と讀むものがあるといふことになれば、「久」といふ字は或場合には「具」と同じであると言へる。「具」と同じであるとすれば「久」と「具」の間にはっきりした用法上の區別がないといふことになります。「久」と「具」とは、きっばり二つに分れず、或場合は一つにしたと見なければならぬことになります。が、宣長翁はこれらの假名が如何なる語に用ゐられてゐるかを調べて、澤山の實例からして、「久」は後世に於て「ク」と清音に讀んでゐる場合に用ゐ、「具」は濁音に讀んでゐる場合に用ゐ、たとひ音の清濁は後世と違ったものがあっても、同じ語ではいつも「久」を用ゐるか、さもなければ何時も「具」を用ゐるかであって、決して同じ語に「久」を用ゐたり「具」を用ゐたりした例がないのを見て、此の兩方の區別がはっきりして居るといふ事を見出したのであります。さうすると假名の用法の問題として取扱ったのだと言ってよいのであります。是が宣長翁の研究に依って明にせられた一つの事實であります。
 もう一つの事實は、是よりも尚面白く珍しいものであります。それは同じ音の假名の中にでも、語によって之に用ゐる假名が違って居って、各きまってゐるものがある。例へば、同じ音の假名、「こ」なら「こ」に當る假名に就いては、一般に「許」と「古」と二つを用ゐて居る中に、例へば「子」といふ意味の「こ」の場合には「古」を用ゐて、「許」を用ゐたものは一つもない、又「め」の音には一般に「賣」「米」を用ゐた中に女といふ意味の「め」には「賣」の方を用ゐて、「米」といふ字を用ゐた例はない。或は「み」の音には「美」「微」を一般的に使ふのであるが、神(カミ)の「み」、或は木の實の「み」とか、身の「み」は「微」といふ字を使って、「美」といふ字を使ったものはない。その外まだ澤山あって「と」とか、「ひ」とか、「け」とか、「き」とか、「ぬ」とかいふやうなものがありますが、「ぬ」は一般に「奴」と「怒」を用ゐて居る中に、「野(ヌ)」であるとか、「角(ツヌ)」であるとか、「偲(シヌブ)」、「篠(シヌ)」といふ風な現在「の」と發音するものは、昔は「ぬ」と言って、その「ぬ」には「怒」を使って「奴」を使った例はない。「奴」と「怒」は音が同じであるけれども、其の中の或語に於ては「怒」を使って「奴」を使はない。かういふやうな定りがあるといふことを見付けたのであります。それで、斯ういふ風の定りといふものは「萬葉集」等には仄かに見えるけれども、まだすべてを調べない。けれども「古事記」の假名の使ひ方は非常に嚴重であって、他の書物は「古事記」ほどには嚴重でないといふことを宣長翁が書いてゐるのであります。
 斯様に宣長翁の「古事記」研究に依って「古事記」の假名の使ひ方の上に清濁が非常に嚴重に使ひ分けてあるといふこと、それから或特殊の語に依っては特殊の假名の定りがあること、斯ういふ二つの事實が明になったのであります。しかし宣長翁は「古事記」以外のものに就いては精密に調べる暇がなかったのであります。そこで宣長翁の弟子である石塚龍麿が其の研究を續いで、先づ清濁に關する研究を行って、其の結果を集めて「古言清濁考」を作ったのでありますが、もう一つの特殊の語に於ける假名の使ひ方についても、また宣長翁の研究を擴充して「假名遣奧山路」といふものを作った譯であります。さういふ假名の用法上の調査研究に就いて、宣長翁の研究が「古事記」に限られてゐたのを推擴めてあらゆる古典に就いて研究したのが龍麿であったのであります。「清濁考」の方は、宣長翁のはじめて言はれた清濁の書き分けに就いて「古事記」のみならず「萬葉集」「日本紀」その他古代の文獻に就いて調べた結果、古代に於ては清音の假名と濁音の假名とはちゃんと使ひ分けてあるといふ宣長翁の説の正しい事を認めて、さうして、どういふ語のどこが濁音であるか、どこが清音であるかといふことを一々の語に就いて區別して、さうして其の證據とすべき實例を擧げて居ります。それが三册あるのであります。初めに清濁相對する萬葉假名の表がありまして、一番初めに「古事記」の假名を出し、どんな文字は清音、どんな文字は濁音と區別してあげてあります。次に「萬葉集」「日本紀」の假名についても同樣で、以上三種の書に就いて假名の清濁の區別を擧げてあります。それから後は「ア、イ、ウ、エ、オ」の順で單語を出して、どこが濁るか、どこが濁らないかといふことを古典から例證を擧げて示して居るのであります。この書に依ると、例へば「騷」といふ意味の「さわぐ」の「ぐ」が昔は清音で「く」であった。或は「仇」「敵」といふ意味の「あだ」は昔は「あた」で、人麿の歌の「あたみたる虎が吼ゆる」の「あた」を清音の假名で書いてあります。近畿地方等で「狐があたんする」と言ひますが、この「あたんする」は復讐するといふことであります。是も「あたみ」をするといふことで、動詞で「あたみ、あたむ、あため」と活用するものでありますが、それが名詞になって「あたみ」になり更に「あたん」と轉じたものでせう。これでも「あだ」でなくして「あた」と清むといふことが解ります。「あた」は室町時代にも清音である。それから鳥などが草の中を濳るといふことを「萬葉集」等に「くく」「くき」といふことがありますが「草ぐき」といふのは名詞になって居るのであります。「木の間飛びくく鴬」とあるのは動詞の例です。是を「濳る」といふ語を聯想して「くぐ」と讀んで居りますが、是は「くく」で濁らないのです。かやうに大抵の場合は清濁が分けてありますけれども、實例に就いてよく調べてみると、語に依っては少しはっきりしないものもあるやうであります。それには色々な理由が考へられます。例へば、我々の見ることの出來る本が寫し違ひであって、その爲に亂れて居るかも知れない。又同時に、語に依っては或場合には濁音に發音し、或場合には清音に發音するといふこともあったかも知れないと思ひます。助詞の「ぞ」などは清濁がはっきり決めにくいのでありますが、もとは清音で「そ」であったらうと思ひます。他の語の下に用ゐられるやうになって、段々濁音になったといふやうなことがあったので、或場合には濁音、或場合には清音で書いてあるといふこともあると思ひます。さういふ譯であらゆる場合にすっかり決まって居るとは言ひにくいやうでありますけれども、大體に於て清濁を區別して書いたといふことは言へるのであります。
 「清濁考」に關することはそれだけにして、次に本居宣長翁がはじめて言ひ出した特別の語に於ける假名の定り、例へば子の「こ」には「古」を當てる、女の「め」には「賣」を當てるといふやうな事の研究を、龍麿は「古事記」のみならず廣く其の當時の典籍に就いて行った結果として、實に意外なことが見付かったのであります。其の結果をまとめて書いたものが「假名遣奧山路」であります。此の書物は寫本で傳はって居るのでありまして、餘り世間には澤山はないやうであります。是は矢張三册になって居ります。此の寫本で傳はったものを昭和四年になって「日本古典全集」といふ、學問の研究上には必要な書物を澤山收めてある叢書の中に二册として出しました。是は今の所では唯一の版本です。是は實は私が寫して置いた本を土臺にして出したのであります。龍麿はどういふ結果を得たかと申しますと、宣長翁の古事記研究から得た結果は「こ」は「古」も「許」も遍く使った中に於て、子の場合は「古」を使って「許」を使はないといふやうな、特別の語に於ける文字の定りであったのですが、龍麿の研究した所によると、實はそれだけではなく、もっと廣い範圍に亙ってのきまりであったのであります。
 我々は古代の萬葉假名を、例へば「こ」と讀んで正しく解釋出來れば、それを皆「こ」の假名と認めて居るのであって、「許己」とあるのを「ここ」と讀んで「此處」の意味に解して丁度正しく解釋出來れば、「許」に「己」も「こ」の假名であると考へ、「古」とあるのを「こ」と讀んで、「子」の意味に解釋して正當だと認められれば、「古」も「こ」の假名であると認めるのであります。その他、色々の場合に就いてさうやって「こ」と讀んで意味がとれるので、「許」も「己」も「古」も「こ」の假名であると考へてゐるのであります。しかし、よく考へて見ると、「此處」を「ここ」と言ひ、「子」を「こ」といふのは、我々の言語、少くとも後世の言語に於てであります。その「こ」に當るから、「許」も「已」も「古」も「こ」だといふのは、これらの萬葉假名は後世の「こ」に當る假名であるといふことにしかならないのであります。所が龍麿が調べて見ると「許」と「古」は「古事記」に於ては立派に區別せられて居て、單に「彦(ヒコ)」なら「彦(ヒコ)」といふ語に於てそのコに何時も「古」を用ゐて「許」を用ゐないといふだけではなくして、我々がコと讀んでゐる一切の語の中に於て、或語には「許」を書いて「古」を書かない。或語には「古」を書いて「許」を書かない。例へば「子(コ)」、「彦(ヒコ)」のコは「古」を書いて「許」を書かない。「心(ココロ)」のコは「許」を書いて「古」は書かないといふやうに、あらゆる「こ」を含んでゐる語が「許」を書くか「古」を書くかの二つに分れて居る。又「こ」にあたる萬葉假名の方も多くの假名があるが、それが二つにわかれて、
古――故、固、枯、孤、庫
などは「古」と同じやうに用ゐられ、
許――己、去、巨、據、居
などは「許」と同じやうに用ゐられ、しかも、「古」の類と「許」の類とは決して同じに用ゐる事なく、この二つの類の間には、はっきりした區別があるといふ事がわかったのであります。是迄は、兩方ともすべて「こ」の假名と思ってゐて、どちらも同音の假名で、どちらを使ってもよいと考へて居たのですが、さうではなくして「古」の類の假名ならば、互に通用してどれを使っても構はぬが、「許」の類の假名を使ふ所には決して使はない。例へば「子」には「古」の類の假名の何れを使っても宜いが、「許」の類の假名は使はない。又「許」の類も同樣で、同類の假名は互に通用するが、異類のものとは通用しない。斯ういふ風に、あらゆる「こ」に當る萬葉假名が二類に分れて、さうして語に依って何れの類を使ふかといふことがちゃんと定まって居る。此の二類の間の區別が非常に嚴重であるといふことを見付けたのであります。同じ「こ」の假名であると思ってゐた多くの萬葉假名が、斯ういふ風に二つに分れて居るといふことは、實に思ひがけないことであります。同じ音に發音するものでも、「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」、「お」と「を」の如きは、平假名や片假名では區別されて居るから、これらの假名に當る萬葉假名にも區別がありはしないかといふことは考へやすいことであります。しかるに、右の「こ」にあたる假名に於ては、さういふ區別があることを暗示するやうなものが何もないのであって、唯、盲滅法に一つ/\實例に就いて調べて行くより仕方がない。宣長翁が「古事記」の假名の用法の研究から見出したのは、斯ういふ事實の或一端だけであった譯で、是を或特別の語に用ゐる萬葉假名の定まりと見たのでありますが、それだけではまだ本當の事實が明にならなかったのであります。かやうな事實は、古代のあらゆる文獻から「こ」なら「こ」に當る假名の用例をすっかり集めて、それがどういふ語に用ゐられて居るかといふことを調べて見て、始めて判るのであります。これは隨分大變な仕事であったらうと思ひます。斯ういふ風にして、これまで何人も思ひがけなかった全く新しい事實が判ったのであります。
 それならば、斯ういふやうな區別があらゆる假名にあるかといふとさうでもないのであります。むしろ比較的少數の假名に於てのみ、かやうな區別があるのでありまして、先づ普通は十三の假名に當る萬葉假名が、各二類に分れて居るのであります。さうして其の區別は普通の假名(平假名や片假名)では書き分けることが出來ないのであります。例へば「こ」に當るものなら、「古」の類も「許」の類もどちらも「こ」にあたるので、兩類の區別は普通の假名で書き分けることが出來ないものであります。かやうな區別は、左の十三の假名に當る萬葉假名にあるのであります。
  エ、キ、ケ、コ、ソ、ト、ヌ、ヒ、へ、ミ、メ、ヨ、ロ
 是だけの假名に當る萬葉假名が、各二つの類に分れて居るのであります。ここに擧げた假名は、多くの萬葉假名を代表してゐるもので、詰り「エ」なら我々が「エ」と讀んで居るあらゆる萬葉假名をさすものであって、その萬葉假名が二つの類に分れてゐるのであります。それ故、「エ」は又かやうな萬葉假名の二類を含んでゐる事になるのであります。「キ」もキと讀む萬葉假名の澤山のものが二つの類に分れて居って、同じ類に屬する萬葉假名はどれも同樣に用ゐられるが、違った種類に屬するものは決して同じには用ゐられないのであります。例へば「雪(ユキ)」のキには「伎」「企」「枳」などのどれを使ってもよく、「月(ツキ)」のキには「紀」「奇」などどれを使ってもよい。併し「月(ツキ)」のキには「伎」「企」「枳」などは用ゐず、「雪(ユキ)」のキには「紀」「奇」などは用ゐないといふやうに、きっぱり二つの類に分れて居る。假名が二つに分れると同時に之を用ゐる語も二つに分れて、「伎」「企」「枳」などを用ゐて「紀」「奇」などを用ゐない語「雪(ユキ)」「君(キミ)」「昨日(キノフ)」「明(アキラカ)」などと、「紀」「奇」などを用ゐて「伎」「企」「枳」などを用ゐない語「月(ツキ)」「霧(キリ)」「槻(ツキ)」などとの二つに分れるのであります。斯ういふことが「奧山路」に載って居ります。所が、以上の十三の假名に於ける二種の別は、普通の奈良朝時代の書物にすべて斯ういふ風にあるのでありますが、「古事記」に於てはもう少し餘計の區別がある。即ち「古事記」に於ては、此の外にまだ「チ」と「モ」とが各二類に分れて居るのであります。のみならず、是は明瞭に説いては居りませぬけれども、「奧山路」の中に、假名の類を分けて、それ%\その假名を用ゐる語を分けて擧げた處を見ますと、他のものは皆二つに分けてありますが、「古事記」に於ては「ヒ」だけは三類に分けて居るのであります。即ち「比(ヒ)」の類と「肥(ヒ)」の類と「斐(ヒ)」の類と、斯ういふ風に三つに分けてあるので、「ヒ」だけは三つに分れると考へたらしいのです。これだけが、「古事記」の假名の他と違った點であります。
 さて右に擧げた十三の假名に濁音のあるものがありますが、その濁音の假名も清音と同じく二類に分れて居るのであります。たとへば「キ」と同じく「ギ」にも二種類あるのであります。所で十三の假名の中、濁音のあるのはキ、ケ、コ、ソ、ト、ヒ、への七つでありますが、龍麿はその中「キ、コ、ト、ヒ、へ」の濁音が二類に分れて居ることを認めて居ますが、「ケ」と「ソ」の濁音だけは二類あることを認めず、すべて一類であるとしたのであります。
 以上十三の假名以外のものはどうかと云ひますと、「いろは」の四十七の中、上に述べた十三の假名以外のものは、例へば「か」なら「か」、「あ」なら「あ」は之に當る萬葉假名は澤山ありますけれども、それは皆同じやうに用ゐられて區別なく、「か」とか「あ」とかの假名に當る所にすべて通用する。即ちそれは一つの類である。その濁音もすべて同樣で、一つの假名が一類をなすのであります。
 以上擧げたものを總計すると、十三の假名に各二類があるから二十六類、その濁音七つのうち、五つだけが二類にわかれ、二つは各一類であるから濁音はすべて十二類、以上合計三十八類。次に清音四十七の内から右の十三を除いた三十四及びその濁音十三は各一類であるから合計四十七類、これを前の合計と加へれば總計八十五類となります。つまり奈良朝のあらゆる萬葉假名は、以上八十五類に分れる事になったのであります。なほ「古事記」の假名だと、他のものよりも「チ」と「モ」と「ヒ」がそれ%\一類づゝ多い事になってゐますから、總計八十八類になります。
 右の龍麿の研究は、其の性質から言ふと、假名の通用するか通用しないかをしらべたものであります。同じ語が、いろ/\の萬葉假名で書いてある例を集めて、どの假名とどの假名とが同じ所に用ゐられるかを調べ、同じ語の同じ部分を表はす爲に用ゐられるいくつかの萬葉假名は、互に通用するものと認めて同類の假名とし、さうでないものは互に通用しないものと認めて異類の假名として、あらゆる萬葉假名を類別した結果、すべて八十五類を得たのであります。之を普通の假名、即ち平假名や片假名とくらべて見ると、普通の假名の一つ一つが、この諸類の一つ一つに一致するものが多いけれども、かの十三の假名及びその濁音の假名は、一つが二つの類を合せたものに一致し、その二類の區別は普通の假名の區別には一致しないのであります。かやうにして普通の假名で書き分けられないやうな區別が上古の萬葉假名に發見せられたのであります。詰り假名の用法の研究から、斯ういふ結論が出て來た譯であります。是は丁度契沖阿闍梨が古書に於ける假名の用法を調査して、昔はア行の「イ」「エ」「オ」と、ワ行の「ヰ」「ヱ」「ヲ」と區別があったといふことを明にしたのと全く同じ手續であります。ただ違ふ所は、契沖阿闍梨のは「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」、「オ」と「ヲ」は發音は同じであっても、假名としてはもとより違ったものとせられて居ましたから、同樣に發音する「伊」とか「以」とか「異」とか「移」とか「爲」とか「委」とか「韋」とか「謂」とかなどの萬葉假名が、二つの類に分れて混用しない事を見出しても、その各類を代表させるに丁度都合のよい「イ」と「ヰ」の假名があった爲に、その區別を普通の假名で示すことが出來たのであります。所が龍麿が見出した十三の假名に於ける二類の區別は、萬葉假名だけに於ける區別であって、之を普通の假名で代表させ、假名の違ひによって示すことは出來ないので、その點で少し樣子が違ってゐるのであります。違ひは唯それだけであります。平假名片假名に於ける區別が萬葉假名に於ける區別と合はないといふだけの事で、我々が同音に發音して居る假名を昔の人が區別して用ゐてゐるといふ事を明にした事は、龍麿も契沖と同じであります。同音の假名の使ひわけといふ事が假名遣の問題であるとするならば、契沖と同じく、龍麿の研究も假名遣の研究であるといってよい譯であります。龍麿がその書に「假名遣奧山路」と名を附けたのは、之を假名遣の問題として考へたものと思はれますが、是は正しいと言ってよいと思ひます。
 かやうに、龍麿の研究は、古典に於ける假名の用法の研究の上から、同じ假名だと思はれてゐたものゝ中に區別があって混用しないといふ事を見出したのであり、契沖の研究も古典の假名の用法の研究から、同音に發音する假名の間に區別があるといふことを發見したのでありますから、どちらも同じ性質のものでありますが、龍麿の見出した假名の使ひわけは、それ迄は全然問題になってゐなかったに對して、契沖が古典の中から見出したやうな同音の假名の使ひわけといふ事は、ずっと以前から假名遣の問題としてあったのであります。契沖は、寧ろ以前からあったその問題を解決するために、古代の實例に就いて調べて見て、實際古代の文獻には、その假名が使ひ分けられて居るといふことを明にし確かめたのであります。然るに龍麿の見出した假名の使ひわけは、從來は何人も之に氣づいたものなく、さういふ事は問題にもなってゐなかったのであります。龍麿は宣長の研究から導かれて、古典に於ける實例を一生懸命に調べて、はじめてそんな使ひわけがある事がわかったのであります。かやうな、研究をはじめた徑路の上には違ひがありますが、どちらも假名の用法の問題であり、ことに假名の使ひわけである點で、共に假名遣に關するものであります。さうして契沖が研究したのは、以前から假名遣として一般に知られてゐる問題であるに對して、龍麿が見出したのは、是まで何人にも知られず、且つ上代の萬葉假名にのみあって、後の普通の假名には見られない奧深いものであるといふ意味で、龍麿は其の書を「假名遣奧山路」と名づけたのであります。
 それで龍麿は、同じ假名にあたる萬葉假名に、使ひわけがある事を假名遣の問題として考へてゐたのでありますが、普通の場合、假名遣は發音の問題と關係して來ます。「い」と「ゐ」の區別が昔あったといふことは、その時代に發音が違って居った、一方は「イ」で一方は「ウィ」であったのである。音が違ってをれば、假名を區別して書くことは何でもない。それが後になって發音の區別が失はれてしまふと、どちらを書くかといふ事が問題になる。「入る」がイルであり「居る」がウィルである間は「入」は「ゐる」と書き、居は「ゐる」と書いて決して混同する事はないが、ウィが變じてイとなれば、「い」と「ゐ」も「入る」と「居る」も同音になって、「い」と「ゐ」の用法に混亂が起り、「入る」や「居る」をどちらの假名で書くのが正しいかが疑問になり、假名遺の問題となるのであります。かやうに、假名遣は音の時代的變化と關係があり、同音の假名が正しく使ひわけられてゐるのは、もとはその表はす音に區別があった事を反映してゐるのが普通の例であります。それでは、かやうな點に關して、龍暦は自分の見出した古代の特別の假名遣についてどういふ風に考へて居ったかといふに、これは何か發音の區別に依るものであらうといふやうなことを考へて居ったやうな形迹もありますけれども、實ははっきりしたことは判りませぬ。併し我々から見れば發音の區別に基いたものであると考へられるのでありますが、それは後に述べることにして、まづ假名の使ひ分けとして考へて置いただけでもよいと思ひます。さういふことでも古典を讀む上には必要な決してゆるかせに出來ない事であります。
 もう少し龍麿の研究に就いて述べて置きたいと思ひます。「古言清濁考」も「假名遣奧山路」も寛政年間に出來たもので、今から百四五十年前のものでありますが、其の後此の研究がどうなったかといふ問題であります。一方の「古言清濁考」はその後の學界に大分反對が出て居るのであります。荒木田久老の「信濃漫録」の中にも龍麿の説を信用しないやうなことを書いて居ります。村田春海なども疑はしいといふやうなことを言って居るのであります。實際清濁の區別に就いては、可成りむづかしい問題もあるのでありますが、私共は大體に於て書き分けられて居ると認めてよいと思ひます。しかし、これは龍麿以後、徹底的に調べたものは無いのでありますから、なほ今後の研究が必要であります。
 それから「假名遣奧山路」の説、殊に十三の假名に於ける二類の區別に就きましては、其の後殆ど研究したものもなく、實際「奧山路」の研究がどんな性質のものであるかといふことさへ判った人も無かったやうであります。たゞ草鹿砥宣隆といふ人が「古言別音抄」といふものを書きました。それは「奧山路」を基礎にして書いたもので、それを讀めば龍麿の研究がどんなものであるかといふことがわかるのであります。しかし、これは世間に寫本が二三册位しかなく、近年京都の篤志家が謄寫版で版にしまして幾分か世に廣まった位であります。それ以外に之に關する研究などは全く無かったのであります。さうして明治以後になって出來た國語學書の解説や國語學史にも「奧山路」の書名は載っては居ますが、斯ういふ珍しい注目すべき研究であるといふことは一向判ってゐなかったのであります。それは一つは此の書物の書き方が甚だ粗略であって、かやうな、誰にも思ひ掛けない全く新奇な事實を傳へるのに不十分であり、又一方、餘り獨斷的に見えるやうな所もあって、その本當の性質を理解する事が困難だったからでありませう。實は私も大學の國語研究室に此の書物の寫本がありまして(是は震災の時に燒けましたが《)》ずっと前に見たこともあったのでありますけれども、其の時分には判らなかったのでありますが、明治四十二年の頃、丁度私が國語調査委員會に居りまして「萬葉集」の文法に關することを調査して色々例を集めて居った内に、その第十四卷の東歌の中に「我」とあるべき所に「家」と使ってあるので少し變だと思って、此の卷の中の總ての「家」の字を集めて考へて見たのでありますが、それは當面の問題の解決には用立たなかったのでありますが、さうして見て行く中に、助動詞の「けり」の「け」とか形容詞の語尾の「け」とかには、いつも此の「家」の字が出て來るのを見て、引つゞき、あらゆる「け」といふ音に就いて「萬葉集」をずっと調べて見ましたところが、我々が普通「け」と讀んで居る萬葉假名に、語に依って何れの字を使ふかといふ使ひ分けがある事を見付けたのであります。それから、まだ其の他に「キ」とか「コ」とかいふ音にも斯ういふことがあるといふ見當を附けて調べて居ったのでありますが、其の内に大學の國語研究室に行くことがありまして、其の時に偶然「古言別音抄」があったものでありますから、それをちょっと見たところが、丁度私のやって居ることと同じやうなことが書いてあり、さうしてそれは「奧山路」に據ったものであるといふことが書いてありましたので、改めて「奧山路」を讀みまして、さうして能く見ると、成程さうであって、右に述べたやうな研究であることが判ったのであります。併し私が「奧山路」によってはじめてかやうな事實を知ったのでなく、獨立して自身で此の事實を見出した、尠くも或る部分だけは自分で見出したといふ關係からして、此の書物が大變價値のあるものである事や、どんな性質のものであるかといふことも解りました。同時に、どういふ點に缺點があるかといふことも判った譯であります。そこで是はもう一度やり直さなければならぬと考へ、そして段々調査も進めたのでありますが、其の當時他の仕事を主としてをったものですから、此の方面を專門に研究しようといふ積りはなかったものでありますから、あまり急いで研究を進めず、今でも大部分の調査は終ってをりますが、研究はまだ完結してゐないのであります。併し龍麿の「奧山路」に就いては大體の性質が解ったものですから、言語學會とか、國學院大學の國語學會で紹介したこともありますが、「帝國文學」に、始めて「國語假名遣研究史上の一發見」といふ題で大正六年の十一月號に書いたのであります。それには此の「奧山路」の研究が非常に珍しいものであり、非常に價値のあるものである事、假名遣の研究の歴史から見てどんな位置を占め、どんな意味をもつものであるかといふことに就いて述べました。併しこれは大正六年の事で、當時國語國文學の研究といふことは非常に衰へて居った時分でありまして、別に注目する人もなかったと思ひます。其の後、大正の末から今日迄の間に國文學が非常に盛になりまして、國語學の研究も追々進み、殊にかやうな古代の假名遣の事は「萬葉集」など古典の訓讀や解釋といふやうなことにも非常に關係があることからして、次第に注意を惹く事になり、若い人達も段々研究するやうになりまして、今日に於ては斯ういふ方面に關する論文が大分色々出て居ります。
 次に、私が心附きました、龍麿の研究の間違って居る點だけを申して置きたいと思ひます。それだけ訂正すれば、龍麿の研究は今日に於ても大體役に立つことと思ひます。龍麿の研究によると、奈良朝に於けるあらゆる萬葉假名は八十五類にわかれる事になるのでありますが、これにはすこし誤があります。先づ、龍麿が濁音の假名で二類に分れて居るのは五つであるとしたのは間違であって、是は七つに於てさうなって居るのであります。前に述べた十三の假名の中で濁音があるのは「キ、ケ、コ、ソ、ト、ヒ、へ」と七つあります。これ以外に濁音になるものはありませぬが、この七つとも、濁音のものも清音と同樣に各二類の區別があります。龍麿は「ケ」と「ソ」だけの濁音は共に二類を認めず、すべて一類にしましたが、矢張これはそれ%\二類に分れてゐるものと考へます。さうすると「ケ」と「ソ」との濁音が二つふえまして總數が八十七類となります。是が奈良朝時代に於て互に違った類の假名として區別せられて居ったものであると私は考へて居るのであります。それから「古事記」では龍麿は八十八類を認めたやうでありますが、龍麿は「古事記」には「チ」と「モ」とが二類に分れて居るとしました。其の中「チ」は間違ひで、「チ」は「古事記」でも一類です。又「ヒ」を三類に分れるとしたやうでありますが、是は間違で、「ヒ」も矢張二類であります。即ち、「古事記」が他のものと異る點は「モ」が二類に分れるだけでありますから、總數が一つふえて八十八類になります。是が恐らく奈良朝時代、或はもう少し古い時代に、互に違ったものとして使ひわけてある萬葉假名の類別の總數であらうと考へるのであります。
 それから、龍麿の研究では「ヌ」が二類に分れることになってゐますが、私はさうでなく「ノ」が二類になるのだと思ひます。「ノ」が二類に分れ、「ヌ」は唯一つだけであります。龍麿は、「ヌ」が二つで、「ノ」は唯一つであると考へたのでありますが、「ヌ」は一類であって「ノ」が二類である。結局は「ヌ」と「ノ」と合せて三類で、總數には變りない。一方の減った代りに一方でふえたのであります。「古事記」に「怒」で書いてある「野」「角」「偲」「篠」「樂」などの語は、今でも「ヌ」の音と見て「ヌ」「ツヌ」「シヌブ」「シヌ」「タヌシ」と讀んで居りますが、後世の言語ではこれ等は皆「ノ」になって居ります。完了の助動詞の「ぬ」、「沼(ヌマ)」「貫(ヌク)」「主(ヌシ)」「衣(キヌ)」などの「ヌ」は「奴」の類の文字で雪いて、前の「怒」の類の文字では書かず、別の類に屬する。又助詞の「の」「登(ノボル)」「後(ノチ)」「殿(トノ)」などの「の《文庫ではノ》」は「能」の類の文字を用ゐて、勿論以上の二つと別である。つまり、「怒」の類、「奴」の類、「能」の類、と三類にわかれてゐるのでありますが、龍麿は「怒」と「奴」とを共に「ぬ」に當るものとし「能」だけを「の」に當るものとして「ぬ」に二類あるものと見たのでありますが、前申した如く「怒」の類は平安朝以後の言語ではすべて「の」になってゐるのでありますから、之を「能」と共に「の」にあたるものとし、「奴」は平安朝以後も「ぬ」に當りますから、「の」が二類にわかれ「ぬ」は一類であるとする方が穩かであらうと思ひます。
 右の「怒」の類の假名で書かれてゐる「野」「角」「偲」「篠」「樂」などの諸語は、「萬葉集」の訓でも古くは「の」「つの」「しのぶ」「しの」「たのし」と讀んでゐたのですが、江戸時代の國學者が「ぬ」「つぬ」「しぬぶ」「しぬ」「たぬし」と改めたものです。ところが「奴」の類と「能」の類とは、昔から今まで「ぬ」と「の」とに讀んでゐます。「怒」の類を「ぬ」と讀む事にしたのは、古くは「奴」の類と同じ音であったのが、後に「の」となって「能」の類と同じ音になったと考へたからであらうと思はれますが、右に述べたやうに、古くは「怒」の類は「奴」とも「能」とも區別せられてゐたので、是を「ぬ」と讀んでも「の」と讀んでも、其の區別を表はすことは出來ません。しかし、これは他の假名にもある事で、「こ」でも、古くは「古」の類と「許」の類とにわかれてゐるのを、共に「こ」と讀んでゐるのですから、止むを得ない事ですが、しかし、その場合には、「古」の類も「許」の類も之を「こ」とよめば後世の語と一致するから、之を共に「こ」と讀むのであります。「怒」の類は、後世の語ではすべて「の」になってゐて「ぬ」とはなってゐませんから、之を「の」とよむ方が正當と考へられます。さすれば、「能」の類もまた後世の「の」に一致しますから、「の」に當るものに「怒」の類と「能」の類と二つの類があると見るのが至當であらうと思はれます。さうだとすれば、「怒」類で書いてある諸語も、「の」「つの」「しのぶ」「しの」「たのし」と讀んでよい事になります。尤もこれらの語については、まだ他に多少問題になる點もあり、又、古典語として「ぬ」「つぬ」「しぬぶ」など讀む事も可成り久しい慣例となってゐますから、現代の讀み方としては必ずしも改めなければならない事もないかも知れませんが、理論上は右のやうになると思はれるのであります。
 猶、各二類に分れてゐる十三の假名を五十音圖に宛てて見ますと、龍麿の説によると、
 ア段(ナシ)
 イ段 キ、ヒ、ミ
 ウ段 ヌ
 エ段 エ、ケ、へ、メ
 オ段 コ、ソ、ト、モ、ヨ、ロ

かやうになって、段によって多い少いの違ひがあり、オ段に屬するものが最多く、エ段、イ段之につぎ、ウ段は只一つであり、ア段は全くありません。即ちウ段には「ヌ」の外には一つもありません。若し私のいふやうに「ヌ」が二類にわかれず、「ノ」が二類にわかれてゐるとすれば、ア段とウ段とには全く無くなり、オ段はふえる事になりますが、オ段は特に多いのであって、古事記にのみ二類に分れてゐるのも「モ」であって、オ段に屬します。かやうな點から見ても、「ヌ」に於ける別とするよりも「ノ」に於ける別とした方がよいやうに思はれるのであります。龍麿の説はかやうに訂正すべきものと考へます。

     三へ     
     付録へ     
     目次へ