文法上許容すべき事項

◎『新聞集成明治編年史』12(p535) M38.12.3 日本
昨日の官報文部省告示第百五十八号を以て、教科書の検定又は編纂に関し、文法
上許容すべき事項左の如く定む
   文法上許容すべき事項
教科書の検定又は編纂に関し文法上許容すべき事項を定むること左の如し
一、「居り」「恨む」「死ぬ」を四段活用の動詞として用ゐるも妨なし
二、「しく・し・しき」活用の終止言を「あしし」「いさましし」など用ゐる習
    慣あるものは之に従ふも妨なし
三、過去の助動詞の「き」の連体言の「し」を終止言に用ゐるも妨なし 例、火
    災は二時間の長きに亘りて鎮火せざりし 金融の静謐なりし割合には金利の
    引弛を見ざりし
四、「ことなり」(異)を「ことなれり」「ことなりて」「ことなりたり」と用
    ゐるも妨なし
五、「ヽヽせさす」といふべき場合に「せ」を略する習慣あるものは之に従ふも
    妨なし 例、手習さす 周旋さす 売買さす
六、「ヽヽせらる」といふべき場合に「ヽヽさる」と用ゐる習慣あるものは之に
    従ふも妨なし 例、罪さる 評さる 解釈さる
七、「得しむ」といふべき場合に「得せしむ」と用ゐるも妨なし 例、最優等者
    にのみ褒償を得せしむ 上下貴賤の別なく各其地位に安んずることを得せし
    むべし
八、佐行四段活用の動詞を助動詞の「し・しか」に連ねて、「暮らしし時」「過
    ししかば」などいふべき場合を「暮らせしかば」「過せしかば」などとする
    も妨なし 例、唯一遍の通告を為せしに止まれり 攻撃開始より陥落まで僅
    に五箇月を費やせしのみ
九、テニヲハの「の」は動詞、助動詞の連体言を受けて名詞に連続するも妨なし
    例、花を見るの記 学齢児童を就学せしむるの義務を負ふ 市町村会の議決
    に依るの限りにあらず
十、疑のテニヲハの「や」は動詞、形容詞、助動詞の連体言に接続するも妨なし
    例、有るや 面白きや 父に似たるや母に似たるや
十一、テニヲハの「とも」の動詞、使役の助動詞、及、受身の助動詞の連体言に
    連続する習慣あるものは之に従ふも妨なし 例、数百年を経るとも 如何に
    批評せらるるとも 強ひて之を遵奉せしむるとも
十二、テニヲハの「と」の動詞、使役の助動詞、受身の助動詞、及、時の助動詞
    の連体言に連続する習慣あるものは之に従ふも妨なし 例、月出づると見え
    て嘲弄せらるゝと思ひて 終日業務を取扱はしむるといふ 万人皆其徳を称
    へけるとぞ
十三、語句を列挙するばいいに用ゐるテニヲハの「と」は誤解を生ぜざるときに
    限り最終の語句の下に之を省くも妨なし 例、月と花 宗教と道徳の関係
    京都と神戸と長崎へ行く 最終の「と」を省くときは誤解を生ずべき例 史
    記と漢書(と)の列伝を読むべし 史記と漢書の列伝(と)を読むべし
十四、上に疑の語あるときに下に疑のテニヲハの「や」を置くも妨なし 例、誰
    にや問はん 幾何なるや 如何なる故にや 如何にすべきや
十五、テニヲハの「も」は誤解を生ぜざる限りに於て、「とも」或は「ども」の
    如く用ゐるも妨なし 例、何等の事由あるも(ありとも)議場に入ることを
    許さず 期限は今日に迫りたるも(たれども)準備は未だ成らず 経過は頗
    る良好なりしも(しかども)昨日より聊か疲労の状あり 誤解を生ずべき例
    請願書は会議に付するも(すとも、すれども)之を朗読せず 給金は低きも
    (くとも、けれども)応募者は多かるべし
十六、「といふ」といふ語の代りに「なる」を用ゐる習慣ある場合は之に従ふも
    妨なし 例、いはゆる哺乳獣なるもの 顔回なるものあり
   理由書
国語文法として今日の教育社会に承認せらるるものは徳川時代国学者の研究に基
き専ら中古語の法則に準拠したるものなり、然れども之にのみ依りて今日の普通
文を律せんは言語変遷の理法を軽視するの嫌あるのみならずこれまで破格又は誤
謬として斥けられたるものと雖も中古語中に其用例を認め得べきもの尠しとせず、
故に文部省に於ては従来破格又は誤謬と称せられたるものの中慣用最も弘きもの
数件を挙げ之を許容して在来の文法と並行せしめんことを期し其許容如何を国語
調査委員会及高等教育会議に諮問せしに何れも審議の末許容を可とするに決せり、
依て自今文部省に於ては教科書検定又は編纂の場合にも之を応用せんとす
 明治三十八年十二月二日    文部省
(原文片仮名)