武蔵野 山田美妙

この武蔵野は時代物語ゆゑ、まだ例はないが、その中の人物の言葉をば一種の体で書いた。この風の言葉は慶長ごろの俗語に足利ごろの俗語とを交ぜたものゆゑ大概其時代には相応してゐるだらう。

 ああ今の東京、むかしの武蔵野。今は錐も立てられぬほどの賑はしさ、昔は関も立てられぬほどの広さ。今仲の町で遊客に睨めつけられる烏も昔は海ばた四五町の漁師まちでわづかに活計を立ててゐた。今柳橋で美人に拝まれる月も昔は「入るべき山もなし」、ごくの素寒貧であった。じつに今は住む百万の蒼生草、じつに昔は生へていた億万の生草。


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