四 第三期の音韻       第三期は江戸初期から今日に至る三百三四十年間である。その下限なる現   代語の音韻は現に我々が用ゐてゐるもので、直接に之を觀察して知る事が出   來る。過去のものは、假名で書かれた文獻が主要なる資料であるが、その外   に朝鮮人が諺文で寫したものもあり、西洋人の日本語學書や日本人の西洋語   學書などには羅馬字で日本語を寫したものがある。又、假名遣や音曲關係書   や、韻學書などにも有力な資料がある。    第二期の下限である室町末期の音韻を現代語の音韻と比較して、第三期の   中に如何なる變遷があったかを知る事が出來るわけであるが、現代の標準語   は東京語式のものであるに對して、第一期第二期を通じて變遷の跡をたどり   得べきものは大和或は京都の言語を中心とした中央語であって、その後身た   る現代の言語は、東京語ではなく京都語乃至近畿の方言であるから、これと   比較して變遷を考へなければならない。    一 第三期に於ける音韻の變遷    (一)「ぢ」「づ」は室町末期まではdji dzuの音であり、「じ」「ず」は   ji zuの音であって兩者の間に區別があった。もっとも、室町時代でも、京都   では、此の兩種の音が近くなって之を混同するものもあったのであるが、之   を區別するのが標準的發音であるとせられたのである(日本西部の方言では   區別してゐた)。しかるに江戸初期に於ては之を全く混同するにいたった。   それは「ぢ」「づ」の最初のdが弱くなって遂に「じ」「ず」と同音に歸した   のである(それ故、江戸初期から「ぢ」「づ」「じ」「ず」の假名遣が説か   れてゐる)。但し、右の諸音の區別は今日でも九州土佐の諸方言には殘って   ゐる。    (二) ア段音とウ音とが合體して出來たoの長音は開音o<であり、エ段音又   はオ段音とウ音との合體して出來たoの長音は合音o-であって、その間に區別   があった事は既に述べた通りである。室町末期までは大體その區別が保たれ   てゐたが、既に室町時代から兩者を混同した例も多少あって、その音が近似   してゐた事を思はせるが、江戸時代に入ると早くもこの兩者の別がなくなっ   て、同音に歸したのである。開音のo<が開口の度を減じてo-と同音になった   のである(かやうにして、江戸初期から、開合の假名遣が問題となるにい   たった)。この兩種の音は、現代の新潟縣の或地方の方言には殘ってゐる。    (三)ハ行音は、第二期の末までは、ファフィフゥフェフォのやうにFでは   じまる音であったが、江戸時代に入って次第に變化を生じ、唇の合せ方が   段々と弱くなり、遂には全く唇を動かさずして、これと類似した喉音hを以て   之に代へるやうになった。京都方言では享保寶暦頃には大體h音になってゐた   やうであるが、元祿又はそれ以前に既にh音であったのではないかと思はれる   ふしもある。しかし、第二期に於ける如きハ行音は、遠僻の地の方言には今   日でもまだ存してゐる。    (四)「敬」「帝」「命」のやうにエ段音の次にイ音が來たものは、文字通   りケイテイメイと發音してゐたのであるが、江戸後半の京都方言では、エ段   の母音eとiとが合體してeの長音e-となり、エ段長音が發生した。    (五)クヮ(kwa)グヮ(gwa)は、カガと混同する傾向が古くからあり、江   戸初期の京都でも下層階級のものはカ《文庫で「ガ」を追加》と發音したも   のがあったが、しかし標準的の音としては永く保たれた。しかるに江戸末期   になっては、京都でも一般にカガの音に變じた。これはw音を發する時の唇の   運動がなくなったからである。クヮ・グヮの音は今日でも方言には殘ってゐ   るものがある。    (六) ガ行音は、室町時代に於ては、多分、どんな位置に於てもすべてgで   はじまる音であったらうが、今日の京都語(及び東京語)に於ては、語頭以   外には鼻音ngで初まる音即ちカ°キ°ク°ケ°コ°の音になってゐる。室町   時代に於ては、ガ行音が語頭以外の位置にある時は、今日の士佐方言に於け   る如く、その前の母音を鼻音化したのであるから、その鼻母音の影響を受け   てg音がng音になったものであらう。かやうな音變化は何時頃行はれたか明か   でないが、現代の諸方言に於て、ガ行音がかやうに變化したものと、もとの   形を殘してゐるものとがあって、その方言の分布が、クヮ音とそれから變化   したカ音との分布と一致する所が多いのと、新舊兩形の分布がかなり錯亂し   てゐるのとによって見れば、此の音變化は比較的新しいものであらうと思は   れる。    (七) エ音オ音は、室町末期にはyewoの音であったらうと推定したが、京   都語では今日ではe oとなってゐる。これは江戸時代に於て變化したのであら   うが、その年代はまだわからない (エ音は九州東北等の方言では明治以後も   yeの音として殘ってゐる)。    (八)「セ」「ゼ」は室町時代にはshejeの音であった。これが現代の京都   語では、セゼになってゐる。この變化も何時頃起ったかわからないが、或は   江戸時代後半でなからうかと思ふ。(方言には、今猶she音を保ってゐるもの   がある。關東方言では室町時代からsezeであって、今日の東京語もさうであ   る。)    (九)入聲のtもすべてツ(tsu)の音になった(「佛」「鐵」「説」な   ど)。此の變化の年代もまだ明かでない。       以上述べた所によれば、國語の音韻は、江戸時代に於て、ヂとジ、ヅと   ズ、オ段長音の圍音と合音が、それ%\その區別を失ひ、クヮグヮはカガと   なり、入聲のtはツ音となって、その數を減じ、ハ行音、及びエ・オ・セの諸   音は變化したが、猶、それ%\一音としての位置を保ち、イはエ段音と合體   してエの長音を生じ、語中語尾のガ行音は、語頭のものとわかれて、新たに   鼻音のガ行音を生じた。かやうにして全體としては音韻はその數をましたの   である。さうして、江戸末期以來西洋諸國の言語に接して、その語を國語の   中に用ゐるにいたったが、音韻としては、「チェ」「ツェ」「フィ」「ti」   「di」などが、時として用ゐられる傾向が見える。    猶、以上の音韻の變遷は、京都語を中心として述べたのであるが、他の方   言では、その變遷の時代を異にしたものがあるばかりでなく、その變化の種   類を異にして、例へばア列音が次に來るイ音と合體して、種々の開音のエ   (普通のエよりも多く口を開いて發するエ類似の音)の長音になり、又イ音   がエ音と同音になり、スとシが共に一つの新しい音になるといふやうな類が   少くない。    殊に、關東に於てはオ段長音の開合の別の失はれ、又クヮグヮのカガに變   じた年代が京都語よりも早かった事は證があり、江戸に於ては、享保の頃   に、明かに鼻音のガ行音があり、又、ヒ音がシ音に近かったのである。    ニ 連音上の法則の變遷    (一)ハ行音が變化して、現今のやうな音(hではじまる音)になった後   も、語頭にのみ用ゐられる事はかはらない(但し、複合語などの場合には多   少の例外がある)。    パ行音が語頭にも用ゐられるやうになった。第二期に於ては本來の國語で   は擬聲語の外はパ行音が語頭に來る事はなかったが、しかし、西洋と交通の   開けた結果、西洋語が國語中に用ゐられた爲、多少パ行音ではじまる語が出   來たが、此の期に於てことに明治以後、多くの西洋語を國語中に用ゐるやう   になって、パ行音を語頭に用ゐる事が多くなったのである。    ガ行音が語頭以外に於て鼻音のガ行音に變化した爲、ガ行音は語頭にしか   來ない事になった。    (二)入聲の音がツ音に變じた結果、tが語尾に來る事はなくなった。    (三)ンの場合の連聲は追々行はれなくなって、唯、「親王」「因縁」「輪   廻」のやうなきまった語のみに名殘をとどめるに過ぎない。しかし、これは   江戸時代前半は相當に行はれたので、ことに助詞「を」の場合には享保頃ま   でもノと發音したやうである。    入聲t(後にはツ)の場合の連聲は、此の期には早くから一般的には行はれ   なくなってゐたらしい。但し少數の特別の語の讀み方として今までも痕跡を   存してゐる(「新發意」「闕腋」など)    漢語に於けるン及び入聲に續く音の轉化の法則は、この期に於て入聲tがツ   と變じた後でも、第二期と同樣のきまりが行はれて今日に及んでゐる。