五 國語音韻變化の概觀    以上、日本の中央の言語を中心として、今日に至るまで千二三百年の間に   國語音韻の上に起った變遷の重なるものについて略述したのであるが、これ   等の變遷を通じて見られる重なる傾向について見れば、    (一)奈良朝の音韻を今日のと比較して見るに、變化した所も相當に多い   が、しかし今日まで大體變化しないと見られる音もかなり多いのであって、   概していへば、その間の變化はさほど甚しくはない。    (二) 從來、古代に於ては多くの音韻があり、後にゐたってその數を減じ   たといふ風に考へられてゐたが、それは「い」「ろ」「は」等の一つ一つの   假名であらわされる音韻だけの事であって、新たに國語の音として加はり又   は後に變化して生じた拗音や長音のやうな、二つ又は三つの假名で表はされ   る音をも考慮に入れると、音韻の總數は、大體に於て後代の方が多くなった   といはなければならない。    (三) 音韻變化の眞の原因を明かにする事は困難であるが、我が國語音韻   の變遷には、母音の連音上の性質に由來するものが多いやうに思はれる。我   が國【に】《で》は、古くから母音一つで成立つ音は語頭には立つが語中又   は語尾には立たないのを原則とする。これは、連續した音の中で、母音と母   音とが直接に接する事を嫌ったのである。それ故、古くは複合語に於てのみ   ならず、連語に於てさへ、母音の直前に他の母音が來る場合には、その一方   を省いてしまふ傾向があったのである。その後國語の音變化によって一語中   の二つの母音が續くものが出來、又は母音が二つ續いた外國語(漢語)が國   語中に用ゐられるやうになると、遂にはその二つの母音が合體して一つの長   音になったなども、同じ傾向のあらはれである。我が國で拗音になった漢字   音は、支那では多くは母音が續いたもの(例へばkia kua mia jo)である   が、これが我國に入って遂に拗音 (kya kwa mya ryoなど)になったのも、   やはり同種の變化と見る事が出來ようと思ふ。さうして今日のやうに、どん   な母音でも自由に語中語尾に來る事が出來るやうになったのは第三期江戸時   代以後らしい。かやうに見來たれば、右のやうな母音の連音上の性質は、か   なり根強かったもので、それが爲に、從來なかったやうな多くの新しい音が   出來たのである。    (四) 唇音退化の傾向は國語音韻變遷上の著しい現象である。ハ行音の變   遷に於て見られるpからFへ、Fからhへの變化は、唇の合せ方が次第に弱く少   くなって遂に全くなくなったのであり、語中語尾のハ行音がワ行音と同音と   なったのは唇の合せ方が少くなったのであり、ヰヱ音がイエ音になり、又近   世に、クヮグヮ音がカガ音になったのも、「お」「を」が多分woからoになっ   たらうと思はれるのも、みな唇の運動が減退してなくなったに基く。かやう   に非常に古い時代から近世までも、同じ方向の音變化が行はれたのである。    (五) 外國語の國語への輸入が音韻に及ぼした影響としては、漢語の國語   化によって、拗音や促音やパ行音や入聲のtやン音のやうな、當時の國語には   絶無ではなかったにしても、正常の音としては認められなかった音が加は   り、又ラ行音や濁音が語頭に立つやうになった。又西洋語を輸入した爲に、   パ行音が語頭にも、其他の位置にも自由に用ゐられるやうになった。    音便と漢語との關係は、容易に斷定を下し難いが、多少とも漢語の音の影   響を受けた事はあらうと思ふ。    (六) 從來の我が國の學者は日本の古代の音韻を單純なものと考へるもの   が多く、五十音を神代以來のものであると説いた者さへある。然るに我々   が、その時の音韻組織を大體推定し得る最古の時代である奈良朝に於ては、   八十七又は八十八の音を區別したのであって、その中から濁音を除いても、   なほ六十ないし六十一の音があったのである。それらの音の内部構造は、ま   だ明かでないものもあるが、これ等の音を構成してゐる母音は、五十音に於   けるが如く五種だけでなく、もっと多かったか、さもなければ、各音は一つ   の母音か又は一つの子音と一つの母音で成立つものばかりでなく、なほ、少   くとも二つの子音と一つの母音又は一つの子音と二つの母音から成立つもの   があったと考へる外ないのであって、音を構成する單音の種類又は音の構造   が、これまで考へられてゐたよりも、もっと多樣複雜になるのである。これ   等の音が平安朝に於ては濁音二十を除いて四十八音から四十七音、更に四十   四音と次第に減少し、音の構造も、大體五種の母音と九種の子音を基礎とし   て、母音一つか、又は子音一つと母音一つから構成せられるやうになって、   前代よりも單純化したのである。此の傾向から察すると、逆にずっと古い時   代に溯れば、音の種類ももっと多く、音を構成する單音の種類や、音の構造   も、なほ一層多樣複雜であったのではあるまいか、即ち、我々の知り得る最   古の時代の音韻組織は、それよりずっと古い時代の種々の音韻が、永い年月   の間に次第に統一せられ單純化せられた結果ではあるまいかと考へられるの   である。