古代漢音における四聲の輕重について                 「国語・国文」第11巻第11号 昭和16年11月         一   現在支那北方官話方言における四聲――陰平・陽平・上・去――の状況を、  切韻の四聲と對照して知られる事は、   一、官話の陰平聲は、切韻の上平聲のすべてに、更に切韻の上・下入聲の極  めて一部を混じて居る。   二、官話の陽平聲は、切韻の陽平聲の他に、上入聲の極めて少數と、更に下  入聲中破音擦音系頭音を有するもの・喩母のものとを包含して居る。   三、官話の上聲は、切韻の上上聲の他、下上聲中清濁頭音を有するものと下  入聲中のある少數のものとを包含して居る。   四、官話の去聲は、切韻の上去・下去・上入の三聲の殆どすべてに、下上聲  中破音擦音系頭音を有するものと、下入聲中喩母を除く他の清濁頭音のもの  と、更に其他極めて小數の破音擦音系の下入聲とを混じている。  といふ結果的事實である。しかし、この事實は言ふまでもなく各々その時期を  異にして生起して來た個々の音調史的事實の長年月に渉る單なる堆積にすぎな  いので、個々の現象の中には、他の諸方言と共通のもの、然らざるものがあ  り、又極めて少數のものについては比較的近代の――あるもの、例へば本來の  下入聲中下平聲に渉るものの如きは明らかに中原音韻以後における――發達に  かかると推定せられるものも多いが、一方下上聲における上・去聲への音調の  分化の如くすでに唐末以前の完成を思はせるもの等あり、その變遷の時期を一  一年代史的な沿革の上に正確に配列しもどす事は、今日の資料を以てしては到  底不可能であると言ふより他はない有樣である。        二     ところで、「作文大體」の一異本、東山御文庫本作文大體は源順の自撰と信ぜ  られて居るものであるが、その第八翻音の項における   凡文字必有反音【反音義同與翻音】反音必有二字故略頌曰平上去入者依下字  輕重清濁者依上字平聲之輕東重者同入聲之輕者徳重者獨皆依翻音上去字得其輕  重清濁之義也爰只擧平入二聲者上聲之重渉去聲々々之輕渉於上聲遞難分別故也  二字之音能難反之時以悉曇可知之【云云】平聲入聲輕重或不必依上字【濁字多  知之依平聲無輕音入聲無重音也清字又有如此之類】  の記述は平安中期――即ち唐末における北方支那語(1)の四聲の状況を示唆する  ものとして興味深く、又如上の支那四聲史に對するささやかな一個の資料たる  を失はないものと思はれるのである。        三     さて、東山御文庫本作文大體における四聲の記述は、支那唐末四聲史におけ  る如何なる秘密を我我に物語るであらうか――この資料の解讀は我我に與へら  れた最も大きな課題である。   この資料の記述を解讀するためには、我我は先づそのさまざまな用語の概念  について知らなければならぬ。特に清―濁―輕―重―等。現代の常識的な概念  をそのままかうした古い字音事實に適用する事程危険な事のない事を我我は十  分によく知って居る。   まづ「清濁」について考へて見よう。   此處では、近代の漢音において韻鏡の所謂「清濁」音(勿論喩母は除く。切  韻音で鼻音・流音系の子音を頭音とした一類の音節)は濁音としてあらはれ、  韻鏡の「濁」(切韻音で破音・擦音系の有聲子音を頭音とした一類の音節)は  「清」「次清」(切韻で共に無聲子音頭音とした一類の音節。前者は無気・後  者は出気。)と共に等しく清音としてあらはれて來るといふ一個の不思議な原  則が、又古代漢音においてもすでに同樣に成立して居たといふ事實を、我我は  更めて十分に銘記して置かうと思ふ。それについて唯數個の傍證をあげれば、  かの和名類聚抄の音註では、清音の註記に多く切韻の「濁」(畜生―畜音宙一  音救俗云畜生軸生二音(澄母)、笙―俗云象乃布江(禅母))を用ゐる他に、  濁音の音註に多く微母(琵琶―微波、味把)、嬢母(沈―俗音女林反)、疑母  (胡麻―音五萬)等を用ゐる傾向があり−−尤も切韻の「濁」によっても国語  の濁音を註する事は出來る。それは一方所謂「和音」では近代呉音と同樣の性  格がすでに完成されて居たからであった。――、又、「壇―考聲切韻云壇【達  丹反俗云本音之濁】封士四方而高也」の如き註記(壇は韻鏡濁)は漢音におけ  る「壇」字のすでに清音であった事實を物語る等を列擧する事が可能であら  う。即ち古代漢音の「清字」は切韻の所謂清・次清・濁の所屬字に「濁字」は  その喩母を除く清濁字に租當する事を、今明瞭に記憶して置く事が必要であ  る。   更に清濁については、我がカ・サ・タ・ハ諸行を除くア・ナ・マ・ヤ・ラ諸  行が「清」「濁」何れかの呼称で指示される事があったかどうかといふ問題の  解釋も、後に述べる樣に、我我の場合多少とも必要なのであるが、それにはや  や後代の悉曇輪略図抄(巻一)の引用が許されるならば「清音也良和末奈濁音  加草多八」の記述や、更に平安末の「法華經單字」の巻尾における「本(ヨリ)  清(メル)字(ハ) 王或圓等也。本(ヨリ)濁(ル)字(ハ) 是業上下等也」等は、  たしかにその參考とすべき價値があるであらう。かのア・ナ・マ・ヤ・ラ諸行  の聲點の傳統が濁音に指す重點でなく、清點に指すべき單點である事とも思ひ  合せて、それらの諸行が古く濁音よりもむしろ清音としての意識を隨伴して居  た時期の存在を、我我は今此處で假定する事が許される樣である。          四     「輕重」の問題は、更に我我にとって難解であるだけに興味深いものがあ  る。   如上の記述から、細註を他にして、「輕重」に關する事項を抄出すれば、     (イ)略頌曰平上去入者依下字輕重清濁者依上字     (ロ)平聲之輕東重者同入聲之輕者徳重者獨     (ハ)上聲之重渉去聲々々之輕渉於上聲遞難分別故也  の三項となる。この中(ロ)によれば、平入聲における「輕重」は「東」  「同」、「徳」「獨」であり、即ち切韻の頭音における清濁の對立に基づくも  のと考へられ、又(イ)によれば、それは反切の上字、即ち音節構成における頭  音的要素によって決定される性質と考へられるが、又一方古代漢音において  は、上述の如く直接にはその切韻における頭音の「清」「濁」の差異を保存し  て居たとは考へられないのであり、更に(ハ)によれば、細註における「重音」  「輕音」の用語と共に、「輕重」が四聲における下位的区分としての一種の音  調論的性質たるを思はせるものがあるから、この二種の想像から綜合すれば、  これは恐らく古代における頭音の清濁から起原的には招來された、近代支那語  の陰陽聲の如き一種の音調論的概念であったと推定する事が、少くともこの資  料の關する限り、他のいかなる想像よりも更に自然であると言ふ事が出來る。   ところで、この一見気まぐれな推定に最も有力な裏づけを與へるに足る他の  文献的資料が存するのである。和名類聚抄の字音註記における四聲の輕重がそ  れである。即ちその中に「上聲之重」と註し、「去聲之輕」と註し、更にその  他一般に四聲の輕重を註するもの總計五十數個が存するのである(この數値は  流布二十巻本によるもので、所謂十巻本の諸本では多少の増加が見られる。一  方二十巻本において増補されて居る可能性は無く、二十巻本における増補部の  六巻には四聲の註記は一個所すら存しない)。我我は以下順次にその音註を調  査するとして、先づ「上聲之重」と註する四十一個の漢字と、反切の記載ある  ものにはその反切も共に掲げて見よう。   嶼 徐呂反  頷 胡感反   〓 臼舅反  髀 傍禮反   〓 蒲忍反  〓 符鄙反   痔 治里反  踝 胡瓦反   〓 士輦反  艇 徒鼎反   〓 徒可反  〓 胡果反   汞 胡孔反  炬 其呂反   鉉 胡犬反  楯 食尹反   橡 徐兩反  苧 直呂反   幌 胡廣反  簟 徒〓反   〓 徒口反  杖 直兩反   鑚 徐感反  釜 扶雨反   櫃 臣〓反  桶 徒〓反   〓 古旱反  菌 渠殞反   苣 其呂反  薺 辭啓反   雉 (ナシ)  象 祥兩反   〓 扶粉反  販 扶板反   〓 胡瓦反  〓 胡本反   鰾 防眇反  〓 胡感反   〓 徒感反  〓 徒敢反   臼 巨久反    さて、これらの反切の上字を類聚すれば、「〓」一字を除いてすべて切韻の濁  である。尚「雉」一字には原本には反切がないが、広韻によれば「丈几切」で  やはり濁である。唯「〓」一字のみ反切の上字「古」は切韻の清で異例に屬す  るが、これは原著者の誤解と考へられる。何故なら「〓」は集韻、唐韻同切で  下字「旱」は上聲でなく去聲であり、康煕字典によれば類篇亦「居案切讀去  聲」と註すると言ふによれば、蓋し「去聲之輕」とあるべきを「上聲之重」と  誤解したものと考へられるのである。「作文大體」における上記の記述よりす  れば、その両者の音調はまさに「遞に分別し難」きものであるのであった(和  名類聚抄の著者における四聲の知識が必ずしも常に確實なものでなかった事  は、「霜」を註して「音蒼」――前者は平、後者は上――とし、「治(ママ)」  を註して「夜」――前者は上、後者は去――、「嗽」を註するに「走」――前  者は去、後者は上――を以てする等の場合が彼が私意を以て附したと考へられ  る一字の音註の中には發見されるので想像される。)。尚「上聲之重」と註す  るものの更に十巻本において若干の増加を見る中に、     婢 便俾反  乳 而主反    の如きものの存在は注意すべきである。即ちこれによって切韻に「清濁」頭音  を有する音節は又古代漢音において重音であった事が想像されるからである。   次に「上聲之輕」と註するものはない。唯前掲の「〓」に「扶板反上聲之重  又輕音」と註するものがあるのは、一個の事例に過ぎず、特殊な文字における  偶發的な音調の動搖を意味するものかどうか明らかでない(2)。   「去聲之輕」と註するものには、   鉦 初覲反  剃 他計反   把 普賀反  爪 側教反   麺 莫甸反  籾 傍卦反   涵 施智反  角 初教反  の八字あり、中「麺」「〓」を除けば、「翹」宇は「清」、他は「次清」であ  る。異例の二字についてば、「〓」字は明らかでないけれど、「麺」字は切韻  の「清濁」字母において「輕音」の音調の當時存在した事を示唆するものかも  知れない(「〓」字は「濁」であるから他の六字の場合と對照して極めて異例  に屬する。著者の誤讀――前述の「〓」字はほぼその確實な一例であらう  が――でなければ、偶發的な音調の動搖と見なければならない。この字や前述  の「〓」字の如き特殊な難讀の漢字においては、文語音や借用音の關係等で現  在にあっても音調の偶發的な動搖を示す場合が多い樣である。「麺」字も一個  の事例故推論の確實性を保證する事が出來ない)。又箋註本によれば「把」は  「去聲之重」とあり、「普屬滂母唇音敷母之重別作駕作輕恐並非是」と論断し  て居るが、尚諸本「輕」とあるに従ふべきであると思はれる。   次に、平聲に關するものでは、   榛子 唐韻云榛【秦之輕音字亦作〓食經和名波之波美】榛栗也  とあるもの、及び   三鈷 大日經疏云獨鈷三鈷五鈷【音古俗云平聲之輕】  とある二項であり、前者については「榛」は照母(清)、「秦」は従母(濁)とし  て理解すべく、後者については「平聲之重」(下總本)「上聲之輕」(箋註本)等  の異本間の相異を考慮すれば、暫くその推定を保留する事が安全であるかも知  れない。   入聲については、「〓―越縛反」「菊」二字に共に「俗云本音之重」と註す  るものがある。この資料からは、我我は、和名類聚抄の著者の字音知識に關す  る限りの「重音」が當然俗音として考へらるべきものであったと言ふ事を知り  得るばかりである。因に、「〓」字は喩母(清濁)であり、「菊」字は見母(清)  である。(3)         五     さて、以上和名類聚抄における四聲の輕重の知職を以て、直接の我我の課題  である「作文大躰」の記述に立ち帰って見よう。   「上聲之重渉去聲々々之輕渉於上聲遞難分別」――これによれば、「上聲之  重」と「去聲」と、「去聲之輕」と「上聲」との間には當時の漢音においては  全くその音調上の差異を認めなかったかに思はれ、上掲の和名類聚抄における  音註に特に「上聲之重」「去聲之輕」に關するものの多いのも實はその「去  聲」もしくは「上聲」と誤認される可能性を顧慮しての事であったと考へられ  るのである(この記述からすれば、「作文大體」に所謂「上聲」「去聲」は本  來的には「上聲之輕」「去聲之重」と呼ばるべきものであった事が考へられ  る。)。   次に東山御文庫本の細註について述べなければならない。これによれば、  平・入聲に關しては――著者が上・去聲に關して言はないのは、上述の如く、  上・去聲における輕重の差異については、著者は規範的に指示する(和名類聚  抄)以外に、現實的にはその差異を認めなかった(作文大體)から、此處に問題と  はならなかったのである――、「輕重或不必依上字」と言って前掲の略頌にお  ける絶對性を否定した後、その理由として「濁字多知之。依平聲無輕音、入聲  無重音也。清字又有如此之類」と述べるのであり、當時の漢音において、濁字  (即ち切韻「清濁」音)の平聲はすべて輕音無く、即ち重音であり、濁字(同上)  の入聲はすべて重音無く、即ち輕音であったといふ事實を物語るのである。し  かして、この平聲の濁字については上述の「秦」字の音註を以て推理する事が  可能であり、入聲の場合亦上述の「〓」字の音註にその有力な一資料を見出す  事が出來るであらう。   尚、「清字又有如此之類」に關する若干の私見についても後に述べる(4)。         六   以上和名類聚抄、作文大躰の四聲の輕重に關する記述への考察を基礎とし  て、當時の日本漢音における清濁各字母の輕重に對する所屬を図表として示し  て見たい。   (古韻清濁) (平)  (上)  (去)  (入) (日本漢音)   〔清〕     輕   × ← 輕   輕  「清」   〔次清〕    ×   × ← 輕   ×  「清」   〔濁〕     重   重 → ×   重  「清」   〔清濁〕    ×   重 → ?   輕 …「濁」(喩母ヲ除ク)     *この中×は徴證を有しない欄。?は不確實のもの。これらの中には、上  掲の資料からの間接的推理、もしくは以下に述べる支那語の陰陽聲の状況等か  ら想像されるものも多い。          七     さて、私は、上にこの種の四聲の輕重と称せられるものの性質が近代支那語  における陰陽聲の問題と關聯を持つべき事をすでに示唆して置いた。事實陰陽  聲における音調の分化の中には上述の如く早く唐末以前に完成したと信ぜられ  る部分があり、又特に支那北方官話に關しては、その音調の分化は少くとも音  節頭音における濁音の消失以前に醸成されてゐた――唐末において音節頭音の  濁音が余程消失に近づいて居た事は、上述の漢音や又所謂天台漢音の形等から  是非とも容認されなければならない――と考へなければならないから、その存  在が唐末の北方支那語に認められる事に何らの不思議もないわけである。今本  稿の冒頭において述べた近代北方官話の四聲に關する現状から、極めて偶發的  なものは除いて、切韻の八聲に對する對照表を作れば、   古韻 平         上        去        入   清濁 清  次清 清濁 濁  清 次清 清濁 濁 清 次清 清濁 濁 清 次清   清濁 濁                                        a  b      陰平 陰平 陽平 陽平 上 上  上  去 去 去  去  去 去 去    去  陽平      *a−清濁系列より喩母を除く。b−濁系列に喩母を加ふ。   其處でこの四聲の忽々に上述の古代漢音における輕塹の分化状態を比較して  見よう。     平聲――此處では「陰陽」と「輕重」とが少くともその「清」「濁」に關す  る限りでは符合する。   上聲――現在の官話で「濁」のみ去聲となるが、古代漢音では「清濁」  「濁」共に「去」に転ずる(古代漢音では「清濁」に關して特に喩母の貴重な例  もある。「友」字の音註に「云久反上聲之重」とある。十巻本系の和名類聚抄  に存するもの。)近代支那語における切韻下上聲の分化状態は官話各方言はほぼ  同樣で、呉語で多く陽上の一聲になるらしいのは異例であるが、安南音で  「濁」所屬のもののみ陽去となる他、又去聲に険陽両聲を有する方言では必ず  陽去となる點では漢音の輕重の場合に一致する。ところで、この輕重の分化が  古代支那語の系統を引くものである事が「悉曇藏」巻五の表法師の四聲「平中  怒聲與重無別。上中重音與去不分」の記述から推定せられる事には興味がある  (5)。(尤も所謂怒聲は梵語の無気、有気両有聲音を指す名称で當時の支那北方  音の濁音――歴史的に鼻音系頭音のもの。當時の北方音の頭音では鼻音に先行  される有聲破音であったと信ぜられて居る――を指す名称であったらしく、  従って「重」は歴史的に純粋有聲で始まる音節だけを指すものであったらし  い。上中重音の「重」はこれによれば必ずしも上記の「重」と同一内容である  か否か明瞭でない。)   去聲――北方官話のみならず、諸方言において、規則的にその陰聲の上聲と  なるものはない。この點は最も上記の「輕重」における状況の近代支那語と異  なるものである。   入聲――北方官話において「濁」が陽平となり、「清濁」の去となる事は注  目に値する。此處で、入聲消失以前の祖形を想像すれば、下入聲の清濁は上入  聲と共に一類をなし、他の下入聲の一類に對して二種の音調論的な對立を示し  て居たに相違ないと思はれるが、「獨」字(切韻清濁)が「徳」字に對して  「重」であり、濁字がその清字「徳」と共に「輕」であった古代漢音の状況  は、まさにこの假定的な祖形的段階を示して居るものとして興味が深い。しか  も近代北方官話において喩母が切韻の濁音系のものと共に一類をなす事の二次  的な近代的發達の結果である事は、種々の事情から想像せられるのであるが、  上記の「〓」字の音註において又その事實を正しく實證せられて居た事を我我  は今此處に回顧しなければならないのである。          八     日本古代漢音における四聲の輕重が近代支那語における陰陽聲の本質と直接  の關聯を有すべきものであると言ふ事が私の結論である。これで私は私の課題  に對する一應の解答をすましたのである。しかし、今最後にあたって一言して  置きたい事は、私のこの小稿はいかなる意味においても未だ研究の未定稿であ  り、獨立した一個の論考と言はんよりは、むしろ将來における論考の爲への一  つの課題を暗示したものに過ぎないといふ事であった。私が推論の途中に取殘  して來たいくつかの問題がある。それはどんなに小さい問題であったにして  も、この課題の解答の爲には是非解かれなければならないものである。そして  その爲には、本稿に用ゐた資料の更に精密な本文批判が必要であり、本稿に用  ゐなかった若干の字音資料――實際その中には四聲の輕重について不思議な記  述を傳へて居る文鏡秘府論の樣な文献がある――への広い渉獵が必要であり、  更に重要な事は近代北方支那方言、特に古く我我の漢音の發祥地として信ぜら  れて居る晋陝系官話等の精密な音調論的研究の完成である。   私は今擱筆に當って、私がこの小稿の中にたとたどしく摸索して來た一個の  課題が、新しい光の中で、再び徹底的な解答の與へられようとする日のある事  に心からなる期待を抱かざるを得ないのである。    註(1)日本古代漢音の源流が唐末以前の支那北方音にある事はほぼ定説となって  居る。その理由の詳細について此處に述べないが、私もその學説に賛するもの  である。   (2)尤も「扶」字には「富瑜切」の如き清音も存しはしたらしい(新撰字鏡)。   (3)和名類聚抄の著者には別に「〓」字の例もある事故、この正俗の判定には  一抹の不安なしとしない。特にかうした二字に音調上の動搖が註されてゐる事  は、「菊」字にとって明らかでないけれど、「〓」字については、本音喩母で  重音なのを、源順において影母と混同され、かうした音註が加へられたといふ  樣な事情があったのでなからうか、後攷をまつ。   (4)つひに述べるべき機會を得なかったが、要するに例へば喩母の場合等を指  すのであらう。「説―余輟反」において、「余」は喩母平聲故に重、然るに  「説」は喩母入聲故に輕となる如き場合。「清音」の名称については前にのべ  た。保華經單字における「王」「圓」二字は共に喩母である。   (5) この問題についてはすでに次の論文が出て居る。有坂秀世氏「悉曇藏所傳  の四聲について」(「音聲學會會報」)  (6) 古代においても流音、鼻音系頭音を有するものと共に「清濁」と呼ばれ、  破音、擦音系頭音のものとは疎遠であった。又前述上聲における場合等では喩  母は各方言に通じて清濁音系のものに屬してゐる。                       (一六・八・二○)