韻鏡指要録目次  韻鏡大旨   非反切図  開巻知音   寄声方法  韻図題目   撰者時世  部内綱領   内転外転  一十六摂   平上去入  五音七音   四等序次  清濁次音   唇音軽重  開口合口   三十六母  二百六韻   有声無形  去声寄入   入声借音  華音     漢音  呉音     郷談方音  切韻帰納   拗音国字  正楷真字   反切人名  韻鏡用法 韻鏡指要録   韻鏡大旨 韻鏡の書は本反切の図には非ず文字の音韻を正すの鏡な り夫書を読む者文字の音を知らざれば読むコト能はず其音 を尋ぬるに和漢ともに正音に非ざる俗音雑はりて謬り読 むコト尠からず是を正さんと欲するに其術を知らず先に韻 書ありて反音を附といへトモ止一字づゝ別れて其音を示す のみにて縦横類例シテ正すべきやうなく胡乱に反切シテ音を 誤るコトあり故に此書を作りて同類の音韻を経緯し四四十 六音同類に照し正せば直に是正是俗なるコトを辨へ知る師 授を禀ざれトモ書を読むに誤るコトなし是より以前此の如き 教あるコトなし音韻とは人の音声なれば其口より出て耳に 聞くべき者にシテ形なければ図画にも写すべきやうなきを 四声七音を経緯にし二百六韻を収めて漏るコトなく音の是 非を知らしめたるは妙にシテ妙なる寔に珍敬すべきの書な り然るに久しく其妙用を知る人なく徒に反切の図とのみ 思へるは惑へるなり又凡の文字に形音義の三つあり字書 も又三類に分つべし説文玉篇海篇字彙正字通康煕字典の 如きは形類の字書なり亦是を篇と云唐韻廣韻礼部韻洪武 正韻等は音類の字書なり亦是を韻書と名く爾雅広雅など は義類の字書なり其中篇韻二類は殊に雙べ用ふべきの書 にシテ唐宋元明の代にも篇韻と名け本邦にても百年以前の 学者は字彙韻会を雙べ用ひたりしに近世は韻学弃れて但 字彙のみを用ふ故に読書の音謬るコト多し大抵篇類の字書 を学ぶ輩は往往音韻に委しからず同音の字をだに知らず 誤り読みて別音とするコト少なからず姑く〓と斧と同音な るを別音と作シテ読み濁と濯と同音にシテ清濁を異にするが 如し又韻書を学ぶ徒は常に音韻を委く知る是故に誤るコト なし中にも韻鏡は韻書の要領を挙て簡約に義を備へたり 韻学の入門にシテ亦韻学の〓奧なり始あり終ある者は其止 此韻鏡なる者か韻鏡を会得すれば文字の音を正すコトを知 り人に問ふコトを用ずシテ音の是非を辨へ知るなり日日書を 読むに音の是非疑はしきコト多ければ屡韻鏡に尋ね明らむ べし座右に備へずんばあるべからざる書なり韻鏡は字音 正す明師なり天下何人か此の如き明正なる者あらん尊と び敬はずんばあるべからず然れば韻鏡の事業の学文にシテ 義学の類に非ず譬るに家内の調度の如し能く使ひ用ふる トキは辨用夥し使ひ得ざるトキは無用の長物となる徒に道理 のみを学びて閣く人は韻鏡所益あるコトなし又世人韻鏡を 知らざる徒は此書を甚だ難解難入の事に思ひ或は仏氏一 箇の小悟なりなと云て悟道発明に準るあり韻書を学びざ る者の弊なり一部の古今韻会にても閲する人ならば韻会 を以て韻鏡に対検するに速に会得すべし師授を仮らずと いへトモ何の解し難きコトかあらん故に一部の韻書を併べ備 へて韻鏡の用を成すなり韻鏡を学ぶ者は必ず韻書に検ふ べし韻書を閲する者は必ず韻鏡に正すべし車輪の如く鳥 翼の如し偏廃すべからず以上は予が自得する所韻鏡の大 旨此の如し師授を禀けずシテ発明する所なり故に今此に誌 シテ教とす   非反切図 反切の学は天竺より伝はりて後漢の代服虔始めて此事を 用ひ孫炎盛に行ひしより諸書に見えたり爾後三国六朝を 歴て隋唐に到るまで其術同じく唇弄にて反切し図を用ふ るコトなかりしに宋の時創めて韻図を按シテ反切する術あり 故に切韻指掌図に其法を誨示せるなり今韻鏡は唐の代に 作れり反切の為に作れるには非ず其世の人図を按シテ切す るコトを用ひず按ずべき韻図あるコトなければなり然れば韻 鏡の作者反切の為に設けざるコト明らかなり若し強て反切 の為に創て造ると云はゞ作者必ず其論辯を付録すべし尓 らざれば人其用を解るコト能はず書興て施す所なし何ぞ此 の如く鹵莽なるコト有んや韻鏡の書は始より作者の論説を 付するコトなし是図のまゝにシテ字音の正譌を照し見つべき 条理明なるが故に其説を作さゞる所なり何ぞ反切の為に 着せる書なりと云コトを得んや然るに後人誤て此図を反切 に用ひ宋の張麟之止反切の事のみを指南せるは作者の本 意を知らざるなり我邦に伝へては人名年号等を反切する の具と成せり流弊此の如し竟に其本を知る人なし喩るに 茶匙と云物は本抹茶を装ふの器なるに流れて他の用に使 はれて其本を失ひ別に器物を製シテ茶杓と名けたるは当ら ぬ名にシテ茶匙は竟に名義を知らぬコトと成れるが如し反切 の書は切韻指掌切韻指南など云題名あり切韻とは反切の コトを称なり今は然に非ず韻鏡と題シテ切韻のコトには干らざ るなり   開巻知音 図中に文字を載せて音を示すコト有らねば某某の字何の音 なるコト知るべからず然るに此書に対すれば直に正音を知 ると云るは何なる術ありやと云に是を知るを此書の旨要 第一義とす図面七音清濁の差別によりて三十六母の配位 あり又左辺に各各韻母の字を識す是音韻の二つなり音韻 正しくシテ其音明らかならずと云コトなし姑く題目の韻の字 は第十七転喉音去声清濁行第三等にあり三十六字母の中 には喩母に配れり左辺の韻母は震なり是に於て韻の字の 音を知るには字母の喩を音(父字)とし韻母の震を韻(母字)とシテ音 を覓ればイユンの音なるに似たり是を正すに法あり韻母の震 はシンなればイキシチニヒミイリヰの類の直音にシテイュキュシュ チュニュ等の音にあらず第十七転は開の音にシテ拗音の合音あ るコトなし是を以て韻の字をインと呼を正と知るなり是れを 反切を用ひざれトモ韻鏡に向へば直に正音を知ると云又反 切を用ふれば喩(父字)震(母字)反古法に依りて脣弄にて呼べばイュ インエンインの音なりと知る是韻書字書に載る反切の音を借ら ざれトモ韻鏡図面にて直に某某の字音を明らめ知るの妙訣 なり又鏡の字は第三十三転牙音去声清の行の三等見の字 母の位にて敬の字と同音にシテ韻鏡には併音シテ隠れたる字 なり左辺の韻母は敬の字なり鏡の字の音を知るには字母 の見を音とし(父字)韻母の敬を韻と(母字)すれば漢音ケイ呉音キャウな るコト直に知るゝなり若し反切を用ひんと欲せば漢音はケン ケイの反ケキンケンケイの音なり呉音はケンキャウの反ケキンケンキャウの音な り上の如くシテ音を得れトモ若し胡乱なるが如く覚えば更に 上下四声に正し左右同等に横呼すべし上下四声に正すと は敬の字三等にあれば此所の平上去入トモに第三等の字は 皆同類の音なり京警敬戟に渉りて敬の音を正すべし左右 同等に横呼すとは敬の字の同等敬慶竸迎なり又京の字の 同等は京卿〓迎なり警の字の同等は文字無しといへトモ音 は同じきなれば警〇〇〇なり戟の字の同等は戟隙劇逆な り此の如く一字毎に四声十六音同類の音を備へたれば彼 此に照し正せば音韻宛も鏡の如く明らかにシテ謬るコトなし 〓十六同類に違へる音ならば是譌音にシテ正しからずと知 る是韻鏡の妙用なり三十六母の正音と二百六韻母の正音 をだに知る人ならば天下数万の字音を正すに闇きコトなく 胡乱なるコトなく明明とシテ鏡に向て吾が面容を視るが如く 誤るコトなし呉音漢音のみに非ず華音を正すコトも亦同格な り若し華音を正さんと欲せば三十六字母と二百六韻母と を華音に正しく呼ぶべし其華音に品類多し〓州福州杭州 南京中州等の不同あり其中各譌正雑はれり其譌を正すコト も亦此韻鏡に明かなり世人其訣を知らずシテ中夏人の呼べ る音は一一正き音なりと思へるは惑るなり中夏壌地広大 なれば諸方の音均しからず此等を正す為にシテ韻鏡を作る 亦歴世の韻書あり唐に唐韻あり宋に廣韻あり元に蒙古韻 あり明に正韻あり此の如き韻書に叶ふを正音と称し一字 一音たりトモ古今の韻書に乖くを譌音と称するなり何の憚 るコトかあらん能く韻鏡を学び得て後に是非得失を知るべ し韻鏡を知らざれば死に至るまで文字の音を知るコト能は ず憐むべし假使宏才博覧の碩匠たりトモ字音を明めざらん 人は半学生と称すべし豈然らずや又宋朝已後の図を按シテ 字を切し瑣碎の門法を論ずるは迂遠の術なり   寄声方法 鏡の字本韻鏡に見えざる字なるを敬の字と同音なりと云 コト初学の徒会得し難きコトなり是を知るには常に韻書を見 習ひて考へ知るべし韻書は広韻集韻韻会等の類ひなり鏡 の字呉音はウの韻漢音はイの韻あれば清静敬などの韻な らんと知るべし其中平声か上声か去声かと云コトを能く穿 鑿し尋ね求むれば敬の韻に属シテ廼ち敬の字と同音なるコト 古今韻会の書面にも明かなり韻鏡に出ざる所の字を考へ て同音の位に寄せ正すを寄声と云俗に韻鏡の字を殖ると 云是なり元より韻鏡は併音とて同音の字幾十ありトモ其中 の一字を図にあらはし其余は同位に摂し収めたれば図面 の文字寡く尋ね求る字見えざるコト多し韻会にて同音の字 を考へ寄声すべし韻書一部を並べ畜へざれば韻鏡の用を 成すべからず若し文字の音知れ難く韻書に捜り索むべき やうなきトキは篇類の字書に考へ其字音の反切の母字を検 へ何の韻なりと云コトを察シテ尋ね求むべし或は幼学の為に せる韻会捷見など云書もあり是等より捜り入るも好し今 亦韻鏡字庫を選シテ同音の字を知らしむ   韻図題目 韻鏡と題名せるは音韻明鏡の意なり韻と云へば自ら音の 義を含めり韻の字は音に从ふ員の声にて六書に中に諧声 の字なり音の類なれば韻も即ち音の義あり故に韻の一字 に音韻の義を具足せるなり員は王問の切音運なり韻の字 も本同音にて運の音なり故に員の声と云中国多くは此音 に从ふ又南方の音には為鎮の切〓の去声インの音を用ふ玉 篇此音に从ふ我邦にては玉篇に據てインの音を用ひ来れる なり震旦通用の音にはあらず又鏡は曲直妍醜を偏頗なく 現す物なれば借て喩とす今の書音韻の是非分明に顕はる ゝコト明鏡の如くなる濟世の珍宝なれば韻鏡と名けたりな り是より以前に此の如きの書あるコトなし文字始りしより 以来千古未発の妙術なり然るに世人其術を伝へず止反切 の図とのみ思ひ剰へ題名をも切韻の義を以て解し千載此 書の用ひやうを知らざるコト深く憾むべし   撰者時世 斯書震旦唐の季に興りて其作者何れの人なるコトを知らず 僧神コウの作なりと云は非なり神コウは五音声論と云コトを辯 シテ未だ七音を知らず其説九弄序に見えたり七音三十六母 を明らめずんば争でか韻鏡を作るコトあらん九弄図の四声 の紐も韻鏡と齟齬するコト多し韻鏡の作者に非ざるコト九弄 図にて明らかなり尓るに予此書を唐の季に著云コトは其説 あり宋の国初天子の御諱なるを以て敬の字を諱む韻鏡の 鏡の字敬と同音なる故に韻鑑と題を更めたるよし張麟之 云り若し宋人此書を作らば始より國諱を憚りて韻鏡と題 するコトあるべからず此を以て見るに唐人の作なるコト明か なり又本朝の空海師唐の中比徳宗の時入唐し音韻のコトを 学び得帰朝の後文鏡秘府論を作れり其中四声のコトを委く 論ずといへトモ未だ七音三十六母の説あるコトなし此に知ぬ 唐の中葉までは韻鏡興らずと見ゆ尓の後述作せし故に唐 晩の製と定めたるなり其学原は天竺伝来にて唇舌牙歯喉 半舌歯の七音字母の説など三蔵法師の説より出たるなる べし宗の鄭樵が七音略に梵僧其学を伝へ華僧随て之が母 を作ると云是なり   部内綱領 此書を学ばんと欲せば先づ其要領を知るべし内転外転あ り十六摂あり四声七音四等の差別清濁軽重開合の不同三 十六字母二百六韻母或は空圍去声寄入声借又は切韻帰門 法の種類等なり自下に辨別委曲すべし   内転外転 内転あり外転あり其説分明ならず予按ずるに内転の音は 其音開合トモに総シテ内に入るやうに響く音なり外転の音は 開合トモに総シテ外に出るやうに響く音なり転とは旋転なり 十六摂を内外に分ち通止遇果宕曽流深の八転を内転とし 江蟹臻山効仮梗咸の八転を外転とするコト韻鏡及び切韻指 掌切韻指南共に全く同シテ異途あるコトなし然るに予嘗て第 二等文字有無の説に惑て前刻の韻鏡臻摂を内転とせり今 按ずるに非なり故に過を改めて通本の如く外転とす切韻 指掌音韻日月燈などに唇舌牙歯喉共に第二等に字あるを 外転とし止歯音の第二等のみ字ありて余音の第二等に字 なきを内転と名くる者は恐くは非なり韻鏡第九第十第二 十第廿七第廿八第三十二第四十三は内転にシテ歯音の二等 字あるコトなし第廿六第四十一は外転なるに第二等に七音 総て字あるコトなし又第十七より第二十に至る臻摂四転は 外転なるに唇舌牙喉の二等字あるコトなし文字の有無に隨 て内外を別つの説如何が通ずべき   一十六摂 四十三転を内外十六摂に配シテ左辺の上方に通止等の字を 題す摂とは該収るなり故に一摂に数転をかぬ通摂第一第 二転に渉り止摂は第四転より第十転に渉るが如し各一類 一類の韻を一摂とし其摂内は通韻すべき音なり十六摂の 名何人に始るコトを知らず書に現れたるは韻鏡を始とす今 竊に按ずるに是古韻の韻母なるに似たり古へ四声通用し 一十六韻に摂したるものが此事あるを以て今韻鏡二百六 韻を分ち四十三転に開くといへトモ古韻十六摂を以て統べ 括りたるなり古の韻は四声混シテ通用すと云へるコト韻統全 書通雅古音表等に見えたり   平上去入 平上去入とは文字の音を呼ぶに止四つの差別あるなり震 旦にては某某の字音の如く平字なれば平声に呼び上なれ ば上声に呼ぶ等一一明白にせざれば日用の話説混乱して 別ち〓(カタ)き故に天下の人悉く是を正しく呼ぶなり日本は和 語を用ひて話説すれば文字の四声は正しからねトモ済むコト のやうに成り四声わきまへず昔より四声を混じ読み来れ り然れトモ四声なきには非ず特り文字の音読に四声あるの みにあらず日用の話説も四声にあらずと云コトなし姑く樋 は平声日は上声火去声筆法の筆は入声なり又明は平声惡 は上声飽は去声悪口の悪は入声なるが如く千言萬話四声 を出るコトなし是れ蓋し平安城の音を用ひて四声を示すの み或は辺国の人は平に呼ぶべきを上に呼び上に呼ぶべき を去に呼ぶ等の違ひあるは其国国の方音に随ひて四声の 名も所を易るコトあり又我邦に四声を定むるに古へより茶 [平]〓[上]天[去]目[入]の格を以て教へたるは千古の誤なり我邦 に平と覚えたるは上声にシテ上声と思へる〓の格は反て平 声なりと知べし去は天目の天の格なり目は入声にあらず 目下など云如く促り呼ぶ目は入声なりと知るべし今正す 所の格を以て東董凍〓支紙〓質等を呼べば四声正しくな るなり難きコトにはあらず韻鏡の図は震旦にて四声を正す 為に経に四段の条理を分ちたるなり平上去入を詩家には 平仄と云仄と側と同字にてそばだつと訓ずひづみあるコト なり上去入の三声は其声平かならずひづみあれば仄と名 けたるなり   五音七音 震旦の国風諸の音声を分つに五つの名を立てたり其五つ とは宮商角徴羽の五音なり今天竺の風によりて文字の音 并に人の言語の音を論ずるに唇舌牙歯喉の五音を用ふ五 音にては未だ尽さゞる所あれば唐の代に至りて半舌歯半 歯舌の二音を開きて七音とせり七音にては人言及び文字 の音を微細に分ち尽せり今韻鏡に図シテ文字の音を分つ一 一其主さどる所を詳にシテ呼ぶべし唇音の字は唇を主とシテ 呼び舌音の字は舌を主とシテ呼び牙音の字は牙を主とシテ呼 ぶ等なり牙とはおく歯を云なり歯とはむかふ歯なり某某 の処に当りて出る音に不同あれば七音を分ちたるなり呉 漢華の三音共に流俗の音微しく七音を濫するコトあり能く 正して正音を知るべし今字音は唇舌牙歯喉半舌半歯の七 音によるといへトモ韻会集成などの韻書には古風に随ひて 宮商角徴羽半徴半商の名を用ふ韻書を学ぶ者此配属を知 らずんばあるべからず唇舌牙歯喉を以て唇舌牙歯喉に配 当するに異説あり索隠に論シテ詳にするが如し或曰宮商角 徴羽とは中夏音楽家の名目にシテ字音の名目に非ずと云て 索隠を議する者は誤れり震旦人一切の音声を論シテ宮商角 徴羽に配す何ぞ啻楽律のみならんや故に平上去入をも宮 商に配す况や唇舌等をや是を以て天竺悉曇の唇舌牙歯喉 をさへに宮商に配合す唐の智廣法師の字記に見えたり悉 曇の唇舌すら尚尓り况や漢字の唇舌を宮商に配するコト何 の怪むコトか有らん   四等序次 平上去入各声の中に一等二等三等四等の不同あり又一位 二位三位四位トモ云開発収閉の差別ありて四等を分てり或 は一つの平声の中同類の音なれトモ其中細に論シテ開音なれ ば第一等に属し発音なれば第二等に属し収音は三等閉音 なれば四等に属せるなり千差万別の音ありトモ開発収閉の 四つの外に出るコトなし開発収閉の四つあれトモ畳みては開 合の二つなり開閉は麁の開合なり発収は細の開合なり総 シテ一転を開とし一転を号とするは又疎分なり四声の一声 中に四等の開合を分つは密分なり是華音の上にて論ずる コトなり和音にて開発収閉を呼び分つコト能はず又韻により て第一等に局るあり冬の韻模の韻などの如し第二等に局 るあり江皆など尓り三等に局り四等に局る等の別ある後 に辨ずべし   清濁次音 音に清と次清と濁と清濁との差別あり清と濁とは別ち易 し次清音は甚だ辨じ難き者なり和の呉音漢音にては次清 音を呼び別つコト能はじ故に同じく清音と成シテ呼ぶなり又 清濁音は唇音のまみむめも舌音のなにぬねの喉音のわゐ うゑお半舌音のらりるれろなり和字にては濁りのさゝれ ぬと云音なり呉音にては大概分ちあるに似たり然れトモ牙 音は清濁音あるコトなし半歯音は舌音に混ず又漢音にては 清次清濁清濁の分ち雑乱せり委くは索隠及び三音正譌に 辯ずるが如し唯華音能く分辨せり然れトモ半歯音に至りて 誤りて濁音に呼ぶ是俗音の訛謬なり正音はざじずぜぞと なにぬねのとの中間の音なり震旦も国によりて正しく呼 べる人もあり其音国字にはあらはし難し又清濁を分辨す るに清音は十分の清なり濁音は十分の濁なり清濁音は五 分の濁五分の清なり次清音は七分半の清二分半の濁なり 故に清の少し次なる者とす其呼びやう清音は内に入るや うなる音次清音は外に出るやうなる音なり通雅等の書に 清を納口音と名け次清を出口音と称せる是なり予先に此 音を辯ずるコト是ならず今改む又清濁音とは次濁音トモ云全 濁音に相次ぐ所の濁なればなり亦半清半濁音トモ云清濁中 間の音なればなり又不清不濁音トモ云清にも偏らず濁にも 偏らぬ音なればなり旧解に微泥嬢日等皆清と濁とを兼た る音なれば清濁音と名くと云るは非なり清濁音を知らざ るより起る妄説なり尓いはゞ韻書に不清不濁音と云に戻(モト) るなり尓のみならず呉漢二音和合シテ清濁音と名るならば 此本濁音の並奉定従等も清濁相兼たれば清濁音と名べき や非なるコト知ぬべし但し漢音には喩来二母の外は清濁音 なきなり又唇音舌音牙音は清と次清と濁と清濁と四行の 音具にある歯音には第一の清と第二の清と第一の濁と第 二の濁と次清と五行の音あれトモ清濁音あるコトなし清濁音 は総て鼻にかゝり出る音なり歯音はもと歯に当る音にシテ 鼻にかゝる音なければ清濁音を立てざるなり其中一類鼻 にかゝる音あれトモ是は純歯音と名け〓き音なれば歯舌音 とも半歯音トモ称するなり歯音に五行ある中清と濁と各二 つあるコトは華音にて歯音を呼ぶにチツの音とサシスセソ の音と二類ありて均しめがたしチツの類に清次清濁の三 つを分ちて前に置きサシスセソの類に清と濁との2つを 分ちて後に置き五行となりたるなり又タチツテトは大抵 舌音にてタテトの三音は舌音中の重き音にシテ舌頭音と名 づくチツの二つは舌音中の軽き音にて舌と歯とに渉る故 に舌上音と正歯音と歯頭音とにあり知徹澄嬢はちつの類 にて舌を動かすコト多ければ舌上音と名け照穿牀はちつの 類ながら歯を叩くコト多ければ正歯音と名けたるなり又精 清従はいよゝ歯さきに当りて出る音なれば歯頭音と云な り是を以て歯音中にちつの類とさしすせその類と二清音 二濁音別れたるなり和音にては精清従心邪照穿牀審禅こ とゝくさしすせその音なれば二清二濁を立る分別辨ずる コトあたはず又喉音に二つの清ありて次清音あるコトなし元 来喉音は喉に沈みたる音にシテ餘音の如く分明ならざるが 故に次清音なきなり又喉音中にアイウエヲの類とハヒフ ヘホの類の二つありて均しめ〓き故に二つの清音あるな りあいうえをの類にやいゆえよとわいうゑおとあり三つ を合シテ一類とし清と濁と次濁と三行の音を分つはひふへ ほは唯第二の清音のみなり濁と次濁とは唇音となりて喉 音にあらざれば此には清音のみを立てゝ曉母とす然れば 曉母のはひふへほは唇音のはひふへほとは呼ぶコト大に同 じからざるなり唇音の時は唇を揺かシテ呼び喉音の時は喉 の内にて呼びて唇を揺かさぬなり是を唇喉の別とす曉母 を深喉と名くるも此所以なり華音を伝ふる人も韻鏡を学 ばざれば此分辨を知る人希なり又曉母の和音はカキクケ コなれば牙音に濫す然れトモ喉音にては喉の奥にて呼ぶを 正とす匣母の音も亦同じ故に匣母の呉音にゴをヲに呼び ゲをヱに呼ぶコトあり乎の字は十二転匣母の胡と同音戸呉 の反ゴの音なるを萬葉集等にヲの音に用ひ回は十四転匣 母に属シテ戸恢の反ゲなるべきに古よりヱの音とせり是古 へは正しく喉の奥にて呼びたる證なり喉の奥にてゲを呼 べばヱに聞えゴを呼べばヲに近き故にあいうえをに転ぜ るなり懐壊慧會畫等も皆反切すればげの音なるをゑの音 となせり黄は胡光の反グヮウなるべきをワウとし或は胡国の反 ゴクなるべきをワクとするも亦同じ   唇音軽重 此書に於て軽重の名あるコト原唇音にあり唇音に二類あり 幇滂並明を重唇音と称し非敷奉微を軽唇音と称す字母括 要図に見ゆ其軽重の差別和音を以て分つコト能はず故に韻 鏡の註解数十家一人も唇の軽重を弁ずるコト能はず止華音 を知て軽重を辧ずべし幇滂並明は唇に当るコト多し是を重 とす非敷奉微は唇に当るコト少し是を軽とす韻鏡四十三転 中唇音大抵は幇滂並明の重母のみありて四等共に重し非 敷奉微は止第三等にあり其第三等に軽母の音あるは九箇 転あり九転とは第一第二第十第十二第二十第二十二第三 十一第三十七第四十一なり其中第一第二転は非敷奉の三 母のみありて微母なし微母の位は明母の重音を以て呼ぶ なり第三十七転は軽母の音なるに謀の一字のみ重母の音 雑はれり是も華音を以て正さずんば軽重字母の雑はれる と云コト辨知するコトなし韻鏡を学ぶの徒唇音の軽重錯雑シテ 辨じ難きコトを艱む是を以て前刻の韻鏡に文字の黒白を分 ちて軽重を知らしめたり今又旧解に倣て軽唇の歌作りて 曰一二闕微十十二二十念二三十一四十一転軽母備三十有 七謀字逸以上九転を除きて外は悉く重唇の音なりと知る べし又舌音の第二第三等歯音の第二第三等も唇音に準へ て軽音とす其知徹澄嬢は端透定泥に比れば舌を用ふるコト 軽し照穿牀審禅は精清従心邪に比ぶれば歯に当るコト軽け れば各軽音とするに失なし又説文長箋に牙音喉音にも軽 重を立つるは甚穏ならず与すべからず   開口合口 毎転開と云合と云は七音四声総シテ論ずる所なり開とは口 を開きて呼ぶ音なり合とは口を窄めて呼ぶ音なり故に亦 開口合口呼とも云姑く第一転は合なれば其転に載せたる 四声七音中の文字及び其韻に属する同音の文字悉く合口 呼によむべし東をツオウとし中をツヰウとするの類なり華音には 開合を細分シテ種種の呼法某某の呼び口をなすコト前刻に委 曲せるが如し和の呉音漢音は止開合の二つを論シテ止むべ し我邦の古へ能く開合の呼法を守れり故に音を訳する国 字に開合の両式を定む今の世此式を濫シテ合音の国字を知 らざるに至る悲しむべし学者韻鏡に鑑みて開合の呼法を 正し開合の国字を正しくすべし又韻鏡第三転は開合と題 す一転中に開合の二音雑はればなり是開と合とを分ちて 二枚に図すべきコトなるに文字寡く重なる煩ひなければ簡 約に一枚となし開合と題せるものなり   三十六母 三十六字母とは震旦の文字三万有餘あり一字多音ありて 十餘万の音あれトモ其音の根元を究むるに七音を出るコトな し七音中に唇音に軽重ありて各清濁あれば八種の音とな り舌音も亦八種あり牙音は止四種あり歯音には清濁音な く二清二濁ありて十種の音あり喉音に四種半音に二種都 合三十六種の差別を以て一切の字音を総括す其一類の中 より一字づつ撰み出シテ字母と称し列ねて三十六字母とな る三十六音の母なり母とは子を生ずるの義なり音母と称 すべきコトなれトモ其音を具する字に寄せて字母と名けたる なり十余万の字音あれトモ三十六音に帰属せずと云コトなし 妙なるものなり其字母の位を論ずれば幇滂並明見渓群疑 影暁匣喩来は四等に通じ端透定泥精清従心邪は一等四等 に局り知徹澄嬢照穿牀審は二等三等に局り非敷奉微禅日 は二等に局るなり又並影暁審奉は上声見喩透定照去声徹 匣日は入声其余二十三字は平声なり三十六母の中四声を 雑へて三十六母各四声に通ずるコトを知らしめたるなり幇 滂並明を重唇音と云非敷奉微を軽唇音と云端透定泥を舌 頭音と云知徹澄嬢を舌上音と云見渓群疑を牙音と云精清 従心邪を歯頭音と云照穿牀審禅を正歯音と云影暁匣喩を 喉音と云来を半舌音と云日を半歯音と云又歯音中の心邪 を細歯頭音と云審禪を細正歯音と云此細音の別あるを以 て二清二濁あるなり又喉音中に浅深を分ち曉匣を深喉と し影喩を浅喉とす日月燈に見ゆ其余浅深に異説あれトモ採 り用ゆるに足らず夫れ字母は韻学の要決音を律するの準 縄なり呉音漢音各其音を正しくし清濁を明らかにし熟読 暗誦すべし字母の音を正しくシテ後に四十三転に配列せる 字子の音を某某の韻母の韻に叶へて正すべし音は必ず字 母の音韻に帰し韻は定めて韻母の韻に従ふ清と濁と決シテ 字母に符合するなり字母の音韻とは字母の音アイウエヲ ならば字子の音も必ずあいうえをの中にあり字母の音か きくけこならば字子の音も定めてかきくけこ五つの類音 の中にあるの類なり韻母の韻とはうの韻いの韻んの韻等 を云なり且く韻の字は喩の字母なればやいゆえよの類な り韻母震なればんの韻なり鏡の字は見母に従ふかいくけ この類なり敬の韻母に属すれば呉音ヤウの韻漢音いの韻な るが如し又三十六母を作るコトは唐の代に舍利と云人と守 温首座と云る僧と両人相依りて作れりと日月燈及び篇韻 貫珠集に見えたり信ずべき説なり韻統全書に後魏の時三 十六国の音を採りて字母を作れりと云は妄説なり何れの 国にても一国唯一音の国あるべからず又五雑組に司馬温 公三十六母を作れりと云も非なり韻鏡以前に字母なくん ばあるべからざる者なり又三十六母ありて後是を併せて 三十二とし或は三十とし又は二十とする者あり韻表通雅 等の如し是皆中原雅音を正音なりと思ふ偏見よりシテ字母 を約せる者なり正しき説に非ず一切に用ふべからず又通 雅及び説文長箋などに華厳の字母品文殊問経等の字母を 引来りて今の三十六母に傅会する者は誤れり其意三十六 母を天竺悉曇より出たりと思へるよりの誤なり今の三十 六母は天竺字音の論にあらず漢字の音に就て立てたる者 にシテ鄭樵がいはゆる華僧字母を作ると云者穏なり漢字の 音母を争か天竺にて作ると云コトあらんや   二百六韻 古韻は四声通計シテ二百六韻あり韻鏡四十三転に配属する 東董送屋等是なり其中通じ用ふべき韻あるを以て併せ通 シテ百七韻とす韻会の拠る所にシテ唐宋已来詩家の用ふる者 是なり本邦の聚分韻略に百十五韻を立る者は據を知らず 今二百六韻のトキ平声五十七上声五十五去声六十入声三十 四韻あり韻頭の文字は各一韻中より一字を擢て出す何の 所由ありて某某の字を用ひたるコト詳ならず古へ韻書を作 る始め一類一類を聚めたる其端に在る所の一字を採りて 一韻の名とせるよし云尓もあらんかし今の韻書は字母の 次序に依て列ぬるにより韻母の字其韻の首となるコトなし 竊に其字母を考れば沒末陌麦模姥暮は明母の一等麻馬マ は明母の二凡范梵乏は奉母の三微尾未文吻問物は微母の 三東董冬登等嶝徳は端母の一泰は透母の一添忝〓帖は透 母の四代隊唐蕩宕鐸覃談は定母の一歌カ箇戈果過感敢は 見母の一江講絳覺皆快夬佳卦庚梗耕耿鑑〓諌は見母の二 敬勁は見母の三径は見母の四勘〓は溪母の一巧は溪母の 二魚語御虞麌遇元阮願月厳儼〓業は疑母の三霽祭は精母 の四清青侵寝沁緝は清母の四斉薺靜は従母の四送宋は心 母の一先銑霰屑仙〓線薛蕭篠嘯宵小笑昔錫は心母の四鍾 腫燭支脂之紙旨止〓至志真軫震質臻諄準〓蒸拯證職諍は 照母の二櫛は照母の三術は牀母の三山産刪潜は審母の二 屋沃は曉母の一隠は影母の三幽黝幼は影母の四〓海灰賄 は曉母の一欣〓〓迄は曉母の三痕很恨魂混恩寒旱翰曷桓 緩換豪皓号侯厚候合盍は匣母の一駭蟹轄黠爻效咸〓陥洽 銜檻狎は匣母の二迥は匣母の四用陽養漾藥尤有宥塩〓艶 葉は喩母の四にあり然れば字母の定れるにも非ずされど 明奉微端透定見溪疑精清従心照牀審影曉匣喩の二十母を 限り其外に出るコトなし偶然なる者か字義に依れるコトにも あらじ此に載せて識者の考を竢のみ又蒸拯證職登等嶝徳 の韻諸韻書に青迥径錫の次に載す尤有宥の上にあり今韻 鏡は終りに属す其由を知らず雄案ずるに青迥径錫と蒸拯 證職と隣次の韻なるを以て相混するコトあり今其濫を斥け んが為に之を別処に置く者ならん其相濫するコトは近くは 韻会に徑證嶝を合シテ一韻とするの誤りあるが如し又韻頭 を韻母と称するコト華刻の古今韻会及び洪武正韻旁音釈義 に見ゆ又韻母の餘声を論ずるに平上去にアイウエヲンの 六類あり入声にフツクチキの五類あり漢音にて歌カ箇戈 果過麻馬マはアの餘声なり支脂之微斉佳皆灰台清青紙旨 止尾海駭薺賄蟹静迥〓至志未代怪霽隊祭泰卦敬勁径はイ 餘声なり虞幽尤麌黝有遇幼宥はウの餘声なり東冬鍾江魚 模豪爻蕭宵唐陽庚耕侯蒸登董腫講姥晧巧篠小養蕩梗耿厚 拯等送宋用絳暮号效嘯笑漾宕諍候證嶝はヲの餘声なり呉 音の灰佳麻賄蟹馬怪隊卦マはエの餘声なり其餘は皆ンの 餘声なり又呉音の東冬鍾董腫送宋用はウの韻きとなり清 青静迥敬勁徑はヲの韻となるなり入声の五類とは緝帖業 合盍葉はフの韻なり常には緝をウに混じ其餘をヲに混シテ 呼ぶ皆非なり唇を縮めてフに呼ぶべき音なり物月屑薛質 櫛術迄曷黠轄末は漢音ツ呉音チの韻なり徳鐸覺屋沃はク の韻昔錫は呉音ク漢音キの韻職は呉音キ漢音クの韻なり 華音も亦同じく平上去にあいうえをんの六類あり準シテ知 るべし入声には差別なきに似たれトモ細に分別すればふつ くちきの類を分つべきなり繁きを恐れて此に尽さず又東 冬は            登侯は           江陽唐豪爻庚耕は            鍾蒸は           蕭宵は             なり魚は          なり模は           なり何れも韻母の音を正しくシテ一韻を定むべし餘 は類を按シテ知るべし是開合拗直の国字を定むる大要なり 又一韻母にシテ開合両転に渉る者は其転に随ひて開合拗直 を分別すべし古来の仮名使に此格に符合せざるコトあるは 正しきにはあらず又諸韻の等第を考れば冬宋沃模姥暮代 灰賄隊泰痕很恨沒魂混恩寒旱翰曷桓緩換末豪晧号歌カ箇 戈果過唐蕩宕鐸侯厚候覃感勘合談敢〓盍登等嶝徳は第一 等に局りて餘等に文字あるコトなし江講絳覺皆駭怪夬佳蟹 卦臻櫛山産〓轄刪潜諌黠爻巧效庚梗諍陌耕耿麦咸〓陥洽 銜檻鑑狎は第二等に局り微尾未廃文吻問物元阮願月厳儼 〓業凡范梵乏は第三等に局り薺霽先銑霰屑蕭篠嘯青迥径 錫添忝〓帖は第四等に局り餘は諸等に亘る然れトモ或は三 四に亘り二三四に亘り二三に亘り一二に亘る者あり具に 四等に亘る者は東送屋の三韻のみなり   有声無形 韻図に空囲ある処は有声無形と名く四声の中に一字なり トモ文字あれば其位は上下連綿シテ一類の四声あり故に文字 闕けたる位に囲を足シテ四声を紐するなり又四声共に文字 も圍もなき処は皆無声無形と名くるなり原本の韻鏡には 有声無形盡く同じく空圍を施せり無声無形の空圍所用な くシテ雑濫の害あり故に刪り舎つ   去声寄入 第九第十第十三第十四転に入声の位に至て去声寄此とあ り此處にある廃の韻と夬の韻とは去声ばかりの離れたる 韻にて相叶ふ平上の韻なし故に別に去声のみの図四枚作 るべきコトなれトモ韻鏡の図は元より簡約に作れるコトなれば 幸に第九第十微尾の韻と廃の韻と華音相叶ふ故に此に収 めんとすれば去声未の韻ありて差つかゆ入声の段文字な きが故に此處を借りて入声の位なれトモ去声の廃の韻を収 む故に去声寄此と云なり夬の韻も是に同じく十三十四の 皆駭の韻と音相叶ふ故に入声の位なれトモ姑く借りて夬の 韻を寄せ収むるとの義なり此外別意あるコトなし   入声借音 四声の韻あり三声の韻あり支脂之微魚虞模佳皆灰〓齊蕭 宵爻豪歌戈麻尤幽侯の韻は本来三声の韻とて平上去のみ 其類韻ありて入声あるコトなし然れトモ四声は一具なれば三 声あれば必ず入声の音も具はれるなり音ありて字なき位 なり若し入声の音に文字所用のコトあれば他処の文字を借 り用ひて四声具足の文字生ずるなり九弄など新たに制へ 又書に国字副などするに入声の文字入用のコトあるなり故 に入声借音と称シテ某某に借り用ふる約束の定めあれば其 説に随ひて借るべき文字を取りて前版には図中に填入れ けるなり今版は韻鏡の本色に随へて入声に文字なきなり 謹で三声四声の分弁を按ずるに華音を以て呼ぶにンの餘 声ある韻には必ず四声具足シテ入声ありアイウエヲの余声 ある韻には入声闕けて三声の韻なり然ればんの韻を正音 としあいうえをの韻を変音とするものか又国字副の時入 声字所用ありと云コトは姑く蒙と尨と漢音相近くシテ仮名を 施すに紛紜とシテ誤るコトあり是を別つに必入声を検ふべし 蒙は第一転明母木の平声なるを以てボウとなるを知るべし 尨は第三転明母〓〔辷貌〕の平声なるを以てバウなるを知る呉音モウ マウ準シテ同じ商と升と音相近し仮名は同じからず商は三十 一転鑠の平なればシャウなり升は四十二転識の平なればショウな り餘は類を按シテ知るべし是れ入声に依らざれば国字の差 別明め〓きコトなり第二十五転蕭宵爻豪の韻入声なし国字 を副るコト尤艱し古来爻の韻に    の仮名を用ひ蕭宵 の韻に    の仮名を用ひ来れり是謬れり入声借音の 方を按ずるに蕭宵の韻は入声薬の韻を借るべき法なり薬 の韻を入声とせば必ず    の仮名なり華音を以て四 声を調ふるに        等と入声相叶なり古来の 仮名の如くならんには入声葉帖の韻を借る約束となれり         となりて和音だに開合叶はず况や華音         なれば入声叶ふコトなし    の仮名 謬れるコト知ぬべし是に知ぬ定れる入声借音あらずんば是 非を辨るコト能はじ前刻に借音の文字あり一一点検シテ是非 を辨知すべし   華音 前版の磨光韻鏡に毎字華音及び漢音呉音を付せり其中華 音とは世に所謂唐音なり此亦一ならず我邦長崎に伝ふる 所官話あり俗話あり俗話の中に杭州〓州等の不同あり前 に載する音は杭州音なり此音大抵韻書の規矩に叶ふ故に 取て正音とするなり然りといへトモ其音も亦謬り伝る者間 これあり逐一韻書に是正シテ国字施す所謂宦話は亦中原の 雅音と云明朝人此音を崇み杭州音を卑とし呉音と称する コトあり又曰三十六母は呉音に據て立てたり諸の字書韻書 は呉音を用ひて作れりなど云終に三十六母を廃シテ三十母 となし或は二十母とし濁音を省き或は入声を廃シテ平上去 の三声清音のみを用ひ或は啌〓上去入の五声とする等に 至る予按ずるに三十六母は清次清濁清濁の四音を守り清 濁均等にシテ天地自然の道理に妙契し万国の音を辨ずるに 能く相応す微妙の神造なり杭州音此字母に協ひ音の正し きコトを得たり唐宋勅撰の韻書皆此規矩に符合す豈呉音を 以て譏るべけんや其中原雅音は清濁偏にシテ中を得ず三十 六母と乖角す明人是を崇む者は時世の風俗なるべしとい へトモ音の是非を知らざるに似たり杭州を俗音とし中原音 を雅音と称し亦中州音と云官話とも云字母を更シテ清濁を 濫する者予に於て之を見れば明人の倒見なりと覚ふ故に 予杭州音を崇み中州音を俗音とす唐宋以上の韻書は杭州 音に叶ふて中州音に叶はざるを以なり又予が示せる知支 児等の音人の訝る所なり俗音ツウツウルゝと呼ぶといへトモ是に 非ず知は陟離の反支は章移の反皆いの韻あり官話チイと呼 は韻叶へトモ音叶はず噛歯の音にてツイの少しく按排せる音 なりツウイを短く呼ぶ音なり児は汝移の反にシテルゝの音となる コトなし姑くズウイの国字を副たるも実にはヌウイとズウイとの間の音 にシテ国字の顕はし〓き音なり清濁音にシテ禅母の濁音と同 じからず   漢音 本邦伝来の漢音は延暦年中に始まり正音なりと云ひ伝ふ 予按ずるに天地自然の清濁に叶はず三十六字母の分辨なし 頗る震旦の中原雅音に清濁を私する者に似たり異国には 中原雅音を正音と称し我邦には漢音を正音とす共に相同 シテ是に非ず彼地の中原雅音を又は漢音と称す我邦の漢音 と其名相同シテ其物大に同じからず其非は能く肖て世の為 に崇せられ世の惑となるコトは共に相同し怪しきコトならず や本邦伝来の漢音なる音は震旦何れの国の音なるコトを詳 にせず彼地の筆札に見るコト尠し我邦にては延暦の比遣唐 使頻頻往来の時彼地帝京の音を伝へたりと云なれど唐の 代の音を明らむるに今の杭州音と異ならず亦中原雅音も 交はれりと見ゆ玄奘義浄の翻訳の音韓愈が諱辨などに著 し然れば我邦伝ふる漢音其出処を詳にせず深く按ずるに 唐代に行はるゝ音種種不同にシテ我邦今の世呉音漢音官話 俗話〓州福州種種の音あるが如くなるべし其中にシテ我が 呉音に近き彼地流行の一音を伝へて此地にて漢音と名け 正音と称せる者なるべし決シテ唐代通行の正音にはあらず 是も亦俗音にシテ呉音の類なりと知るべし或説に此漢音を 即ち中原漢音にシテ今の官話なりと云るは妄なり三音正譌 に辨ずるが如し又漢音中に年孟命明等の如き世人濁音な るを怪しむ所なり年は二十三転泥母にあり孟命明名は共 に三十三転明母に属す漢音濁なるコト字母の泥明の濁なる に照シテ知るべし明の字は眉兵の切なれば父字の濁なるに 検シテメイと呼ぶは誤なるを知るべし危の字詣の字世人清音 に読む誤れり疑母の字なるに考へて知るべし   呉音 呉音はもと震旦東南呉地の音なり往昔は中国と別に隔た り字音も各別なりき今の朝鮮国などの如し我が日本は彼 の呉国に近き境なれば呉音を習ひ伝へたるならん其後百 済の王仁読書を伝へたるも此音なり故に我邦の古書を読 み考るに悉く呉音なり然れトモ我邦四声分明ならず俗習に 変せられて字音の四声雑乱し又一二は音を更めたるもあ りと見ゆ然れトモ彼の地の呉音と本相同しければ格別相違 するにあらざるコト困学紀聞等に依て考へ知る又南朝翻訳 梵語の音に於て是を見る然るに明代に至る比彼の呉地国 風変シテ上国となり呉音断絶シテ杭州音となる故に明人呉音 を知らず古より呉音と称シテ卑しむ者は杭州音なりと思へ り怪しむべし今世清人は呉音に二途あるコトを分別するが 故に杭州音を指シテ今の呉音と称するコト康煕字典に見ゆ上 来三音の辨別予が三音正譌に委曲せり就て見るべし夫れ 呉音漢音とは夏和同じく其名ありて其物同じきあり同じ からざるあり故に紊乱シテ明シテ易からず幼児輩も論ずる所 にシテ其説を究むれば皓首の老儒も謬るコトを免れず後生容 易に看過するコト勿れ又呉音中東同中蟲の短き音なる類人 の訝る所なり東は徳紅の切紅は戸公の切同は徒紅の切中 は陟弓の切弓は居戎の切戎は如融の切なるに照シテ東の韻 の呉音短き音なるを知るべし冬尤侯幽の韻準シテ知るべし 又三音共に同じき者あり同じからざるあり姑く第十三転 第一等舌音の清と次清と牙音の清と次清と喉音の清半舌 音など呉漢華の三音全同じ端母の第四等は漢音と華音同 シテ呉音は異なり並母の第一第二等は呉音と華音同シテ漢音 は異なり来母の第四等は三音皆異なり此の如く異同あり 餘は準へて知るべし   郷談方音 郷談又は郷音トモ又は方音トモ云正しからざる俗音を謂なり 天下通用の音には非ずシテ一郷一方にて誤り用ふる音なれ ば郷音トモ方音トモ云なり劉鑑曰鶏を齎とし菊を韭と読むの 類是なり又鶴の字は下各切音涸にて韻鏡三十一転匣母の 一等に属し漢音カク呉音ガク唐音アツの音なるに震旦の俗音に 福の音とし鶴と鹿と寿老人とを画き福禄寿と称し祝とせ り鹿は音禄にシテ誤なし鶴を音福とするは郷音なり又和音 にてクワクと呼ぶも日本の方音なり又鼠の字は書と同音華音 シュイなるに震旦の俗にチュイの音なりとし鼠の啼く声に同じ と云此等の類を郷音と云なり   切韻帰納 韻図を按シテ文字を捜り索シテ切韻帰を沙汰するコトは宋朝已 来のコトにシテ唐以上に此事あるにあらず反切興りて千歳唐 の代に至るまで止口拍子にて反切するのみなりしに宋人 創めて図を考へて反切するコトを成せり此に於て音和類隔 種種門法の名起れり又韻鏡の書は切韻帰を用ひずシテ忽ち 字音の正不を辨へ知る為にシテ作れるコト上に辯ずるが如し 然れトモ又之を切韻の図となシテ反切するも其用を作さずと 云コトなし蓋し此書の末流にシテ本源にはあらず反切に用ふ る二字の中上にある字を切と名け又父字と称し下にある 字を韻と名け又母字と称す二字の音迫りて一音となる字 を帰字トモ帰納トモ云又子字トモ称す反切の術大抵呼法の如く 唐人反にて済むコトなれトモ適疑はしきコトありて帰納の字を 得て正さんと欲せば韻図の面にて切韻を用ひ帰字を尋ね 求め其字の四声横呼に正して音を明らむるコトなり父字母 字を用ひて縦横を按ずに常格の四同音和を以て覓め得る コトなく地位に転ずるコトある者は門法多品ありて其名一な らず其門法の品目を立るコト諸説紛紜とシテ多寡同じからず 用ひん者好む所に従ふべし予は八門を開きて品類を摂盡 す翻切門法に具さにす其中往来の例種種不同あり字彙荘 嶽音に詳なり知らんと欲せば往て披け凡そ往来の変例あ るコトは其国国の郷音によりて誤るよりシテ往来の反切を作 りたるなり牛の字は疑母にて牙音なるを喩母の尤の字と 同音となして喉音に唱ふるは疑喩往来と云者なり和音は ギウとイウと異なれトモ華音の官話には牛尤全く同じくイウの音 に呼ぶが故に誤りて喉音に属するコトあるなり張の字は知 母なり章の字は照母なり和音はチャウシャウ異なれトモ華音は全く 同じきに似たれば張章共に次商音と名け知照往来するの 類なり中州音にて往来するあり又一方の郷音にて往来す るあり是皆誤りて作れる者なり正しきにあらず類隔も亦 此理に同じ   拗音国字 前刻の韻鏡には反切并に三音の国字を附たり韻鏡の原本 に此事あるに非ざれトモ学者速に正音を得せしめんが為に   正楷真字 今刻の韻鏡文字一一正楷を用ふる者は文字点画悉く法あ りて其理備はり叨りにすべからざるコトを知らしめんと欲 シテなり蓋し夫れ文字を造れる本源悉く六書の義に随へる なり山川艸木の類は各其形を象とり人言を信とし止戈を 武とする類は意を会するなり同じく水の類なるも工を江 とし可を河と呼ぶは声を諧せるなり   反切人名 韻鏡にて人の名を反すと云コト中夏にはせざるコトなり我邦 近世の俗弊にて杜撰せるよし韻鏡索隠に辯じ畢れり然る に是に似たるコト中夏にもなきにしも非ず近歳新渡の書に 音学五書と題せる両套の書あり明の亭林顧炎武が作なり 其中南北朝の比人名を反切し正反倒反シテ帰字の義を以て 戯弄せるコトあり是を反語と云其語に曰                     雄案ずるに 殆一時の戯謔に似たり南北朝の比或は双声畳韻を以て文 章詩賦を論じ又平常戯弄の語と成し或は軍中相図の隠語 となせるコトあり亦反語の類なり流弊人名を反シテ戯弄し殿 堂年号皆反す一時風を成せり然りといへトモ本聖経の常教 に非ず不経の故を以て盛唐以後其説あるコトを聞かず矧前 に挙る所の如きは韻図これなき以前髣髴たる音を認めて 是を言ふ今韻鏡に検すれば齟齬する者多し徒に是諧謔な るのみ試に之を論ぜん楚声を清とすとは類隔にシテ不正な り楚声は韻鏡に依らば〓とすべし是憑切にシテ正反なり又 声楚は暑にあらず所に帰シテ音和なり隕門を袁とするは甚 だ穏ならず門は臻攝魂の韻なり袁は山摂元の韻にシテ韻鏡 にては通ずべからざる所なり門隕を愍とするも又軫と準 と韻を違へり陳後主の反語に福少を宝とするコト乖異せる コト甚し福少は表なり何ぞ宝ならん小の韻と晧の韻と格別 なり通ずべからず又孔氏志怪の温休を幽とすとは今韻鏡 に依らば温休は優なり幽にはあらず況や此事は世説の注 に詳なり温休は実に女の名なり外人反語するにはあらず 温休は幽婚なりと云るは別に義趣あるが如し直に反語と 云にはあらじ予別に論弁あり又   韻鏡用法 韻鏡を学ばんと欲する徒先づ上来件件の趣きを知るべし 知り畢て後韻鏡を用ふるコトは一部の韻書と合会シテ読書の 間謬音を正すべし字母の音と韻母の韻と音韻の二つを明 め清濁平仄を正さば縦ひ世人億兆謬り読むトモ其非なりと 云コトを辨へ知るは唯此韻鏡のみなり漢音を用て儒書を読 む人ならば一一の字を韻会に考へて韻鏡に移し其音の是 非を正し磨光に国字副せる正音又は経史荘嶽音に正せる 如く全部を正し読むべし又呉音を用て佛經を読む人なら ば一部の経文一一の字を韻会に考へて韻鏡に移し是非を 照し三音正譌等に正せる如く正しく読むべし此の如くせ ば思の外に今まで久しく読み来れる音に謬りあるコトを知 り改めずんば学者の恥辱なるコトを辨へ韻鏡の用ふべき斯 書の妙要なる一日も廃すべからざる宏益ありて珍敬すべ きコトを知るなり若し此の如くに用ひざる人は財宝庫に盈 つといへトモ用ひざれば其徳を知らず甘味ありといへども 食はざれば其味を知らざるが如し又財宝は貴しといへトモ 屡用ふれば竟には損減す甘味は美なりといへトモ頻りに食 へば遂には尽るに至る韻鏡は屡用ひて損減なく用ふるに 随て其徳用を益す終身用ひて餘りあり能く用ひ得る人は 音韻の学に於て大富長者なるコトを得べし但一帙の小冊な りといへトモ韻学の無尽蔵なり学び得使ひ得て後能く其妙 用を知るべし然るに世人韻鏡を学ばず又学ぶといへトモ上 件の妙用を知らざるが故に難字に逢へば師範に問て書を よむ或は字書に検尋するあるも反切の正術音を正すコトを 知らず又問へる所の師範も韻鏡に正すの術を知らざるが 故に謬伝を襲ふて胡乱に教ふ故に世間読経読書の音謬り 読むコト洋洋とシテ耳に盈つ痛しきコトならずや師に問て書を 読むの人は生涯字音の是非を明らむるコト能はず目なき人 と云べし冀は斯書を師とせば天下の正音を知るコト手裏に 在り豈愉快ならずや予嘗て磨光韻鏡を梓行せしより今に 十餘年脛なくシテ千里に渉り到らずと云処なきが海内遠近 剌を通シテ是非を問ふ人日日に夥し又斯書に於て明眼を具 する人尠なからず韻鏡嘉運時を得たる者か内教外教の読 音正に復せんコト遠からじ初学の徒其入り難きを苦しみ講 説を請ふコト屡せり予が年耳順に餘れり饒舌頗る疲労す講 餘毛穎子に命シテ韻鏡の要領を和解し且つ前編に洩たるコト を録シテ苟か話言に代ふ止蒙士を啓かんコトを希ふのみ何ぞ 敢て皓首に望まんや 韻鏡指要録巻尾