古來學者の著述で、散逸に歸したものが澤山ある。時代の遠く離れた古い人のはいふまでもないが、比較的新しい人でも相當にある樣である、今茲に紹介せんとする一書は、其後者に屬するものである。
漢字音の研究に、多大の力を盡して、其學界に幾多の貢獻と業績を遺した一世の音韻學者無相文雄師にも、今日逸書になってゐる著作が大分あるのである。韻學史からばかりでなく、國語學史から見ても、又本邦に於ける支那語學史から云っても、決して忘るべからざる名著「磨光韻鏡」以下數多の著述を、世に遺した此一代の碩學の著書を探索して、世に顯はさんと、後進の自分は、鋭意其拾得に力を致してゐるのである。
文雄師の著述は、已に其「磨光韻鏡」後篇に載せられてゐる門人文龍師の「無相上人傳略」に、
所選述凡五十餘部、或脱稿未脱、又嘗謂經論宏大、無其字典者闕焉也、撰釋門字統一而卷而沒遂不成也。と見えてゐるのでも餘程あったのはわかる。古くは、「諸家人物志」、「近代名家著述目録」、「續日本高僧傳」、「佛家人名辭書」を初めとして、近くは、昭和五年六月開催された「追慕展觀會目録」所載のものを見ても、まだ大分不明のものがある樣である。自分は、先年、上記諸書に見えてゐない「九山八海解潮論并非天經或問」、「校訂卷懷韻鏡」、「廣象棋愚解」の三部、而も其刊行本を獲得し此等を未知の人に示したのである。就中後者については一昨夏本誌上に、其内容を、聊、紹介したが、今次、更にまた、茲に、近時新しく獲た「舍利功徳章」の一書を掲載して、同好の士に知らしめる次第である。
二月十五日と四行に捺印してあるし、卷末十一丁表の終に、また、少し細字で、
爲眞行院蓮譽妙安大姉菩提也
明鏡山三十八主
登譽
刻舍利功徳章一卷財施主皇京山本弘慶居士荐祖先考妣英靈進慶壽昌冥福及以法是含識離苦解脱同躋覺位今置刻版于武府三縁山脩學場文庫流通於代とあるから、施本であった事がわかるし、刊行の年月も知れる。同丁裏全部に、當時有名な文豪、勤王家梁川星巖の跋文がある。即、それは
弘化四年龍飛丁未十月佛成道日 正蓮社徳眞識
一心一念一浮圖任是魚晴也寶珠八萬四千何造業等間做下列工夫 著衣喫飯是常時若問諸餘渾不知何待茶毘方始證大千界即一摩尼である。次に本書卷初に、無相釋文雄僧谿述とあって、其内容は、書名の示す如く、佛舍利の靈現を記したもので、文雄師が小田原に於ける實歴談なども示されてゐるが、佛徒としての師が、善男善女に説教的に述べられた所謂大衆向のものである。何等寸毫も師の學識を窺ふに足るものでは無い。元來、本書施本刊行の意味も、茲に存するかと思はれる。自分が、今、又、本書を本誌に掲載した所以も、佛教關係のものであるからである。昨夕編輯子から自分に對して、何か寄稿を促がされ、事急速に、原稿締切期日が亦切迫のため、筆を奔らせて、一氣に本篇を草し、以て本書を、茲に、紹介し、其責を塞いだ譯である。蕪雜疎漏の點は、幾重にも寛恕を願ふ。自分は、今後、更に探索を遂げて、上記「追慕展觀會目録」に未見とある。尚、他の「金剛寶戒眞僞辨」、「念西課問」、「韻學律正」、「古今括韻開合圖」、「廣韻開合圖」、「廣韻字府」の五部をも、一日も早く世に知らせたいと念じてゐる。此中、「念西課問」、「古今括韻開合圖」、の二書については、前書「念西課問」は、「春臺文集」の「復文雄上人書」の中に
星巖眞逸梁緯敬題
近於吾紫芝園、日從余遊、當時同學之僧數十輩、率能住詩、雄公輯其社中詩、曰念西課間、亦一盛事也。とあるから、存在は確かであるし、後書の「古今括韻開合圖」は「淺草文庫書目解匙略」第二集第四字學音册に
釋文雄撰ス、韻鏡、洪武正韻、五音集韻、古今韻會ノ四書、括韻開合ノ異同ヲ一圖ニ著ハシ人ヲシテ辨ジ易カラシム、卷末ニ刻韻選序例總目ヲ載ス、是モ亦文雄ガ撰スル所ナリ、僧郭ト云フモノ韻學ノ亂レタルヲ憾ジ、訂正韻選ヲ刻ス、文雄ガコレガタメニ選スル所ノ序一篇、凡例十五則、四聲、配屬總目ノミヲ擧グ、寛延元年戊辰秋八月トアリ。とあるし、佐村八郎氏の「國書解題」にも、同意の文が見えてゐるから、共に、寫本の樣であるが、師の學識本領を知るに足る名著と思はれる。早く世に出したい事である。世の同好諸士も自分の此希望を遂げるに吝ならざる事を切に冀ふのである。尚、「金剛寶戒眞僞辨」、「韻學律正」、「廣韻字府」の未見三書は勿論、以外の諸種の著述も追々と現はれて、此等を網羅集成、軈て、此一代の碩學の全集刊行の日の來らん事を期待してやまないのである。