講義情報

共通科目で寄せられた質問への答えです。 超弩級が超ドレッドノート級だというのは本当です。20世紀初頭の英国の戦艦です。

「はじめ」とう名の友人のあだ名が「ハータン」であったということだが、「ハー」は「はじめ」の「は」でよいだろうが、   彼は一番大きかったので、その様子を「タン」で表した というのは、よく意味が分かりません。「タン」がなぜ大きい様を表すことになるのでしょうか。単に愛称「さん」の異形の「たん」ではないので しょうか。

 固有名詞のアクセントについては、いろいろ難しいところです。地名の場合、地元のアクセントで読むべきだ、という意見が聞かれますが、その 地元のアクセントの形が、東京アクセントにはない形である場合には、東京アクセントで語られる文の中にそれを埋め込むと、大変おかしな具合に なります。人名のアクセントについても似たことがあります。普通名詞と同様、アクセントの地方差はあるので、自分の名前を自分が慣れたアクセ ントでないもので読まれて不快に思うことがあるわけです。

マイナスイメージの言葉は短縮されやすい、という考えを書いた人がありましたが、プラスの言葉も短縮されることがあるので、「マイナスはされ やすい」ということを言うためには、プラスの言葉との比較が必要です。

「行きしな・帰りしな」の「しな」が、時の意味「しだ」に由来している、という説があるのは確かですが、苦しいところです。万葉の時代に 「しだ」という語はありますが、東国方言であった可能性が高く、近世以降に見られる「しな」との結びつきを探るのは難しいところです。

 岡山の「きょうてえ」が「け疎し」から来ているのは間違いありませんが、「け疎し」の「け」が「気」であるかは確実ではありません。むしろ 「気」ではないと考える方がよさそうです。また木屑の「そげら」は、「そげる」が直接の語源ではなく、鉋屑を意味する「こけら」という語 (「こけらおとし」の「こけら」です)が、「そげる」に引きつけられて、「そげら」となったものでしょう。(同様に大阪の「そげ」は、「とげ」が「そげる」にひきつけられて「そげ」になったものと思われます。)

「関西弁と大阪弁の違いはあるのか」とか、「北九州の人に博多弁と言ったら怒られた」とか、「大阪弁と河内弁は違う」とか、「方言区画図で自 分の県の方言が一様であるかのように書かれているがそんな不正確なことでは困る」とか、いうようなことを書いている人が何人かいました。 方言を分けるというのは難しいことです。まず東日本方言と西日本方言に分けますが、その中にもさまざまな方言が存在します。近畿方言といって もさまざまです。大阪方言でもいろいろあります。しかし、他の方言と比較することで共通する部分が多いものを括って行き、区画するのです。関 西方言の中に京都方言・大阪方言・兵庫方言などがあり、大阪方言の中に河内方言や北部の方言などが含まれます。これは全国どこにでも言えるこ とで、たとえば東北方言と言ってもいろいろですし、山形方言でもいろいろです。いろいろであっても、秋田方言や福島方言とは違うから山形方言 というくくりをするわけです。
 ただ、もし山形県の方言の一部がたとえば秋田県の方言と近いのだとしたら、これは山形方言ではなく秋田方言の中に入れるべきことになりま す。
 現実には、福井県の南の方言が関西方言の中に入れられたり、宮崎県の一部の方言が鹿児島方言に入れられたりすることがあるわけです。  北九州の人に「博多弁」というのは適切ではありませんね。これは、京都の人に「大阪弁」というのに、あるいは姫路の人に「神戸弁」というの に似ています。「福岡弁」という言い方はあまりしませんから「九州弁」といえばよいでしょう。
 大阪の言葉は随分画一化してきております。おそらく以前は池田方言・箕面方言などがあったと思われますが、絶滅に瀕しているものと思われま す。

 一般的に「この言い方は間違っている・間違っていない」という風にいわれがちだが、このように言語を正邪で論ずるのはあまりよくない。「こ の言い方は誤解を生じる人や違和感を感じる人が多い・少ない」でとらえるべき問題。「ら抜きことば」にしても、これが現代語として正しいか正 しくないかという議論の前に、ある年齢層(地域によって異なる)以上の人には違和感を感じる言い方である、ということをまず押さえねばならな い。なにもこれが〈正しくない言い方だからダメだ〉といっているわけではない。「正しくない」というのは、いってみれば理論武装に過ぎない。 「ら抜きことば」だと、可能と尊敬や受身が区別できて便利だ、というのも理論武装で、要は、たいていは「自分の言葉」が好きなのだ。