ライマンの連濁論は数年前に、読みながら打込んでおいたものです。ライマン 氏が、金田一春彦氏の言うようなドイツ人ではなく、また、中川芳夫氏が言うよ うに経歴不明の人でもないお雇い外国人であることをどこかに書こうかな、など と思いながら打込んだものでした。そうこうしているうちに屋名池誠氏の「<ラ イマン氏の連濁論>原論文とその著者について」(『百舌鳥国文』(大阪女子大 学)11;1991.11.1)が出ました。。実に詳しい論考で原論文の全訳註も付されてい ます。一つ一つの語について『和英語林集成』再版との照し合わせまで行ってい ます。私がいい加減な報告をしなくて良かったものだと安心し、また学界のため にもよかったと思いました。  屋名池氏の紹介していない資料を掲げます。 ○長谷川伸『生きている小説』中公文庫p155  工部省お雇いの来曼氏は日本文も書けて、ちっとも日本人と変らないが、先生  にただ一つ困ることは、「きのうわちきが、おまはンの方へ参るはずでありま  したが」などということだという記事が、明治十二年二月七日の「朝野新聞」  にある。   ライマンさんは米国人で明治五年に招聘されて渡日して来た。ベンジャミ  ン・スミス・ライマンという地質学者で、多大な貢献と親切な寄与とを、わが  国と人とにしてくれ、優れた門人を日本人から出してくれた。ライマンさんの  日本学は驚くべき急速度で発達し、草書体の日本字を読み、日本の古い文学に  も造詣があったのだから、「わちきがおまはンの方へ参るはず」などと、式亭  三馬や山東京伝が書いただろう江戸下町の乙な言葉だって、口を衝いて出てく  るはずであった。(日本文の『来曼先生伝』一巻がある由) ○TRANSACTION OF THE ASIATIC SOCIETY OF JAPAN Vol.XXXVIII LIST OF MEMBERS  Lyman, Benjamin Smith, 708 Locust Street, Philadelphia, Pa., U.S.A 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ところで、  小倉進平の「ライマン氏の連濁論」『国学院雑誌』16-7/8(明治43年)と、『国 語及朝鮮語のため』(1920.12.15、京城、ウツボヤ書籍店)に収録されている「国 語の連濁論」は別の物だとおもいます。屋名池誠氏は、これを「改題補訂」とし ていますし、蜂矢真郷「カ・ク・グ」(『国語語彙史の研究』14)では全く同一物 の様に書いてありますが、後半部はかなり用例を削って短くされたり、書き換え られたりしています。「国語の連濁音」には次の様にあります。  今から約三十年前に、一米国人が連濁音の事を論じ、日本語学者の覚醒を 促した事がある。余は嘗て該書を披見し、明治四十三年頃其の内容を世に紹 介すると共に、之に対する批評を東京某雑誌に掲載した事がある。其の後此 の問題は何等世人の注意を喚起すること無く、最近まで及んだのであるが、 茲に朝鮮に於ける国語教育てふ実際上の大問題にぶっつかって、端なくもこ れが研究の必要を認められ、殊に朝鮮在住の教育者間には未可解の宿題とし て目下盛んに討究せられて居る事と信ずる。余が今茲で述べようとする連濁 音の研究は、実は当時の調査にかゝるものであるが、これは今日の朝鮮教育 界に於て一日も忽にすべからざる重大問題たるを失はざるが故に、再出を顧 みず、多少の修正を加へて其の大要を茲に掲出するこちにしたのである。 某雑誌は勿論『国学院雑誌』でしょうし、やはり、別物と言うべきだと思います。 「朝鮮に於いて」という言葉が良く出てきます。『国語及朝鮮語のため』の他の 章にはこんなにしつこくは出てきませんから、どうも「連濁音について」『朝鮮 教育研究会雑誌』13(1916.10)というのが元論文ではないかという気がします。 しかし、京城で出ている本の題名が『国語及朝鮮語』というのも実に複雑な ものであります。 http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/