管見によれば昭和三十年の国語科の高等学校学習指導要領にはみえる用語であり、近年の新語というわけではない。としているので、たしか戦前にもあったはずだがと思い、見ると、長谷川如是閑『言葉と文化』(昭和18.3.25中央公論社)に出てきた。もと「日本語」昭和16年7月号に載せた「文化語と生活語」中においてである。《明治時代に新村出が使っていた。》
近代野球――という言葉であらわされるものがあるとすれば、すなわち、そのスピード感と変化が、いっそう合理的になっていってそれがいかにも現代人の感覚にマッチしている、という意味合いからいわれはじめた言葉に違いない。とある。
驚いたのは『新明解』の例文だけで、文章を作った人がいた。……なんか知らんけどね、つなぎ合せて。……よく覚えてないけれども、なんか見たよ。いろんな人がいるものである。
「ジンな、どっから来たつや」。三十数年前、県外から熊本市内の中学校に転校してきた筆者は、熊本弁で相手を「ジブン」とか「ジン」と呼ぶのに大層驚いた。《その後、杉浦氏にお会いしたところ、杉浦氏も別ルートで熊本での使用をご存じであった。御仁ゴジンのジンが先に有って、それを語源俗解して「ジブン」とした可能性もあるとのお考えであった。》
何が悲しゅて文学や、ああ文学や文学や、
「何が悲しくて自分がそのように猥褻(わいせつ)とも言える恰好(かっこう)をしなくてはならないのか」
「何をあなた、貴族の令嬢が煙草屋の伜のところへなど何が悲しゅうて嫁に来る」
「何が悲しゅうて3-7564(みなごろし)なんちうバスに乗らなあかんねん」
何が悲しくて女房と一年中くっついていなければならんのだ」
「AのBの字もない」〈Aの存在の全面否定〉(Aは単語、BはAの最初の音節)をあげる。
ティラミスのティの字も聞かんという言い方を、1993.9の「逸見のその時何が」というテレビ番組の最終回で、上岡龍太郎がしていた事を記しておきたい。但し、より用心深く言うならば「音節」よりも「拍」か。「音節」であれば「コンビニのコンの字も」と解される恐れがあるから。
これと似た言い方というべきなのか、限定されない使い方、というべきなのかは難しいが、「AのB」〈Aのごく一部〉(Aは単語、BはAの最初のn音節(n=>1))というのがある。こちらの方が古いかもしれない。分かりやすい例を示せば、
エロキューションの「エ」程度の考慮(『国語文化講座』4(昭和16)p299)というのがある。やや古めの用例としては、小栗風葉『青春』(明治38)の「統一のト」というのがある。
マスコミで常用されるポイントの根拠は総務庁統計審議会情報処理部会の報告に拠っている。昭和五六年一月に出された『統計に係る用語及び表記方法』には、「百分率で表わされた二つ以上の統計比率について、相互の大きさの単位を表わす場合は、原則として『ポイント』を用いる」(百分率の比較−ポイント)とまとめている。とのことである。お上の御墨付であったか。しかし妙なものに御墨付を与えたものだ、という気がする。
例えばトマトをパトという。 t o m ato 舌・無声破裂音 唇・鼻音 × ○ × ○ × [ p ] つまり、tから無声破裂音という素性を、mから唇音という素性を得て、pという音になる。 ○花火(ハナビ)をハミという。 ha n a b i 舌・鼻音 唇・有声破裂音 × ○ × ○ × [ m ] nとbをかき混ぜてmになるのである。 《最近では長い単語も言えるようになってはきたが、「タベル」を「パエル」と言ったりもしている。タの破裂音とベの唇音とでパになるわけだ。10/11》いやぁ、音韻論って本当に素晴らしいですね。
また以前、ある子供(小学生)から、
クルマというよりもブーブーという方が長いのに、どうして長い方が子供言葉なのか。というようなことを聞かれたことがある。いや、多分私に問うたのではなく、他の大人に聞いていたのを耳に挟んだのであったのだと思う。
次の、漢字2字の熟語は……を、
次の漢字、2字の熟語は……などとのたまう。聞いている方は頭が混乱してしまう。解答者がかわいそうである。クイズ研のようなところならそういう癖も考慮に入れて練習しているかもしれないが。
左兵衛の会津なまりがひどすぎて理解にくるしむ、というのである。左兵衛はやむなく、謡曲の文語を藉りて朗々と声を張りあげた。などという話である。
津軽の殿様と薩摩の殿様が出会って話をした。……お互いに通じるのは、謡曲の言葉以外なかったはずです。と言っているようだが、それはすこし言い過ぎであろう。殿様は江戸生まれの江戸育ちであることが殆どであろう。藩邸の中で、お国ことばが使われることもあったろうが、江戸詰めの武士たちは、他藩の武士たちと話が通じなかったはずもなく、逆にお国言葉を知らないことも多かった。江戸詰めの久留米藩士が初めて久留米へ行き、久留米周辺の方言を書き留めた『はまおぎ』という書があるのだが《ここ》、これなどは明らかに江戸人(江戸語ネイティヴ)の目で九州弁を見ている。江戸に居た武士たちの共通語が存在していたであろうということは間違いない。
層層相重なれる形状が舞える状に似ている故名づけられしという。食べられるが美味くない由としている。「新解」ファンが喜びそうであるが、これは説話中の舞茸がとても美味なものとして書かれているので、こちらの方ではないこと示したいのであろう。
そういえば三省堂から山田忠雄氏の文を集めた『私の語誌』二冊が出るようだが、三省堂が「あの新解さんの絶筆」というような宣伝をしていてちょっとびっくりした。でも、お陰で(?)一冊2900円とこの手の本にしては安目の値段設定は助かる。《後日》