『西国立志編』の漢語 −左傍訓を有する漢字語彙とその索引− (『福井大学教育地域科学部紀要T』人文科学、第51号、19ー88頁、2000年12月) 岡島昭浩・澤崎久和・永井崇弘・李忠啓  はじめに  江戸時代末期から明治にかけては、漢語(字音語)が大きく増えたと言われる。これは主に西洋語を翻訳する際に、それまで日本語にない概念を表す際に漢語の形で訳したためと考えられている。その際に使われた漢語は、中国語に源流を持つものもあれば、日本製と考えられるものもある。さらに、日本での翻訳が中国での翻訳に影響を与え、そこで使われたものが語として定着するということもあったようで、我々の共通する関心はそのような日中間の語彙交流にある。  よく言われるように、日本において西洋からの訳出にあたった人々は漢学の素養があった。そうした素養があったればこそ、漢語を使って訳出することが可能だったわけである。ただ、その「漢学の素養」の実態ははっきりとはしていない。たとえば、どの程度、近代的な中国語についての理解力があり、そこで使われている語を、どの程度使うことが出来たのか、などである。また「漢学の素養」は、幕末明治期の翻訳にのみ発揮されたわけではない。江戸時代に多数書かれた漢文の中には近代中国語的なものも見え、そうした実態をふまえないで明治期の語を考察するのは心苦しいのだが、近代的な啓蒙思想の中で「漢学の素養」が大いに啓蒙に使われたのが明治の時代だと考えられる。本稿で取り上げる中村正直もそのような漢学の素養を持った一人である。  一 中村正直と『西国立志編』及びそのテキスト  中村正直(1832〜1891年)は幕末から明治にかけて活躍した啓蒙思想家であり教育者である。天保三年(1832)、江戸麻布の生まれ。はじめ昌平黌に儒学を学び、若くして「儒者」に任ぜられてこれを講じたが、早くに洋学にも関心を寄せ、慶応二年十月、幕府が派遣するイギリス留学生十二名の取締役の一人として出帆。イギリス滞在一年余にして大政奉還の報に接し、慶応四年四月、ロンドンを発ちフランスを経て六月下旬に帰国。帰国後は静岡の学問所教授に就任したが、明治五年六月に上京、翌年家塾同人社を設立した。また同人とともに明六社の結成に参加、『明六雑誌』を発行して筆を揮った。その後のことは省略するが、著作には西洋の書物の翻訳である『西国立志編』や『自由之理』など多数があり、日本近代の思想形成に大きな影響を与えた。明治二十四年(1891)没。  本稿で取り上げる『西国立志編』はイギリスのサミュエル・スマイルズの著“Self-Help”の翻訳書である。内容は歴史上の人物の勤勉努力による成功譚を教訓をまじえつつ列挙し、自助の精神を鼓吹するもので、同時代の福沢諭吉の著作と並んで当時に多くの読者を得た。テキストは初版・改正版ともに多くを数える。本書刊行の経緯の詳細については大久保利謙氏の論考(1)に詳しい。以下に、大久保氏の論考を参照しつつ、本稿の漢字語彙索引において使用したテキストについて略述する。  『西国立志編』は明治三年冬から翌年にかけて、まず和綴じ本で都合十一冊が刊行された。扉に「駿河國静岡藩」とあり、いまこれを初版本静岡版と呼ぶ(2)。静岡版の版木はのちに同人社所有となり、同書は奥付を「同人社蔵版」として新たに印行され、広く流布した。本稿において改正版との対校に使用した初版は、この同人社蔵版である。  そこで次にこの同人社蔵版について述べよう。本稿で使用したのは関西大学図書館蔵本で、静岡版と同じく和綴じ本十一冊。題簽は「西國立志編 原名自助論」。扉は二種あり、最初の扉には右に「明治四年辛未七月新刻」と、左に「駿河静岡 中村敬太郎譯 木平謙一郎板」と、中央に「西國立志編 原名自助論」とある。「敬太郎」は正直の静岡時代の称である。これに続くいま一葉の扉には、右に「官許 明治庚午初冬新刻 中村正直譯」と、左に「駿河國静岡藩 木平謙一郎藏版」とあり、中央上部には「SELF-HELP./By Samuel Smiles./Translated by K.Nakamura.」と原書の書名・著者名・訳者名が三行に横書され、中央下部には、「英國斯邁爾斯著/西國立志編/原名自助論/一千八百六十七年倫敦出版」と記され。書名「西國立志編」五文字はもっとも大きく、「斯邁爾斯」には右傍に「スマイルス」と振り仮名が添 えられる。なお、「明治庚午」は明治三年(1870)。以上二種の扉のうち最初のものは静岡版が刊行された時の第五袋(第九・十・十一冊)の題記の再刻であり、次のものは静岡版の扉である(3)。  内題は各編とも「斯邁爾斯自助論一名西國立志編」で、右傍に「スマイルス」とある。版式は四周双辺、無界、毎葉12行、行24字、双行注が含まれる。版心は「自助論第幾編 幾」。欄外頭注にはしばしば英語による人名の表記や漢文による簡単な人物紹介等が記される。第十三編の末尾には「静岡 本田幹書」とある。なお、欠画の字が認められる(4)。  奥付には「同人社藏版」とあり、「書肆」として右から「大坂心齋橋南久宝寺町 伊丹屋善兵衞」、及び「東京芝神明前 岡田屋嘉七」以下六名、計七名が並び、左端は「同 小石川大門町 雁金屋清吉」(「同」は「東京」の意)である。同人社は明治六年二月、中村正直が小石川の邸内に開いた家塾であり、したがってこの版の印行は明治六年以降と見られる(5)。  さて次に、同書は明治十年二月、『改正西國立志編』と題して背革洋装一冊の活字本として新たに出版された。本稿索引において底本としたのはこれである。本書は扉の右に「明治庚午初冬刊行 中邨正直譯」と、左に「板權免許 明治十年二月 木平讓藏板」と記される。扉中央の記載内容は上記同人社蔵版と同じであるが、書名の上に「改正」の二字が加えられている。  扉の裏面には中村正直がロンドンを去るときに友人フリーランド(弗理蘭徳)からこの翻訳の原書を贈られた旨の謝辞が、その折り友人が手書してくれた英語の筆跡とともに漢文で記されている。これは初版と同様である。次いで、@沙蟲翁古賀増による漢文の「序」、A中村正直による漢文の「自助論第一編序」、B三田葆光による和文の序、Cスマイルズの原書の序を訳した「自助論第一板序 斯邁爾斯自序」、D中村自身による本書の序文「自助論原序」、Eおよび漢文による論、F目次にあたる「西國立志編目録 原名自助論」の七点が収録される。これらの序文と目録には見開き左頁の左上欄外に丁数がうたれ、すべて35丁を数える。以上のうち、前記初版はCを含まず、Eは第一編の末尾(第一册の末尾でもある)に置かれる。  本文は十三編からなり、各編ごとに数章から数十章の話柄を含む。章の総計は324。中村正直による漢文の序が、上記Aの「自助論第一編序」以外にも第二・四・五・八・九編の冒頭に置かれ、第十一編冒頭には望月綱孟玉の撰になる「西國立志編序」が置かれる。このうち第五編の序は初版にはない(6)。内題は各編とも「西國立志編 原名自助論」。毎葉11行、行25字。欄外の注記は初版に同じ。毎頁の欄外下方に通しの頁数が記され、本文はすべて764頁。これに「正誤」4頁が添えられ、最後に奥付となる。奥付は以下の通り。   明治九年十月廿四日 板權免許         譯者  中村正直         東京第四大區三小區         小石川江戸川町甲十七番地         出板人 木平 讓         同區同町乙十七番地  従来、『西国立志編』を用いた漢語や振り仮名に関する先行研究にはいづれか一つの版に依拠して立論しているものが多く、初版と改正版におけるルビや漢字そのものの相違に留意するものはなおまれである。小林雅宏氏は、「あくまで推定であるが、六書房本(筆者注:初版本の一つ)と『改正西国立志編』とでは、ふりがなも文章も若干の相違があるようである。これらの校合は、残された課題である。」(7)と指摘されるが、今回の調査によれば、初版と改正版との間にはルビや使用漢字に多くの相違箇所が確認され(漢字語彙索引について見られたい)、さらに第二編においては文章そのものにも大幅な異同が指摘される(8)。むろん多数を存する諸本間の異同について網羅的に精査することはただちには困難であり、本稿においてもわずかに初版中の一本と改正版中の一本とを左傍訓を有する漢字語彙についてのみ対校するにとどまったけれども、今後はこの種の基礎作業を積み重ねることが必要であろう。  なお、Smilesの“Self-Help”は、柳田泉氏によれば、初刊は1859年で、中村正直は1867年版によっているが、これは1866年の増補改訂を経たものであるという。われわれは原文については未調査であるが、プロジェクト・グーテンベルクの電子テキストだけは見た。URLは以下のとおりである。 (http://www.gutenberg.org/gutenberg/by-title/xx1469.html)  二 漢字語彙について  『西国立志編』の漢語は、『日本国語大辞典』の用例としても多数取られるなど、明治初期の漢語を知るための資料としてよく使われてきたようである。しかし現状では、総索引もなく、本文も信頼できるものがすぐには見られない状況である。そこで我々は、総索引とまでは行かないものの、漢字の左側に傍訓のあるものの索引を作り、『西国立志編』の漢語の状況を見ることにした。元来、左側に付される傍訓は、音読の際のヨミを示すものではなく、注釈的な意味合いで付されることが多い。そのような左傍訓が付される語は、ややわかりにくいと思われた語であろうから、そのような語を集めた索引を作ることには意味があるであろうと考えたのである。分担して作業を進めるうちに、右側に付された傍訓にも注釈的な意味合いのものがあり(小林氏論文参照)、こうしたものも索引にとってはどうか、とも考えたが、何を拾い何を捨てるか、の基準が難しく、今回は取らなかった。  『西国立志編』の後追いともいえる『日本立志編』には、音義・要語摘解と言うべき「字類」があるが、『西国立志編』にはそうしたものがあまり見当たらないのは、左傍訓が充実しており、「字類」のようなものがなくとも理解が出来た、ということなのかもしれない。『日本立志編』には、『西国立志編』ほどの左傍訓はないようである。  さて、ここで『西国立志編』に見られる、左傍訓つきの漢語の特徴を見るために、その語の諸辞書での採録状況や他資料での出現状況について簡単に見ておこう。第一編と第十三編の冒頭から、漢字二字のものをそれぞれ50語ずつ抜き出したものについての調査である。『三省堂国語辞典』は、現代日本語の常用語とどれほど一致するか、『現代漢語詞典』は、現代中国語の常用語とどれほど一致するかを調べるためのものである。参考のために比較的近い語数を収録する漢和辞典として『全訳漢辞海』を調査した。さらに、明治期の漢語辞典の集大成とも言うべき山田美妙『新編漢語辞典』を、また『日本外史』の字解類から成長していったと思われる『新撰歴史字典』も調査した。さらに同時代の語彙として、中村正直も参加している『明六雑誌』の語彙と、また日中語彙交流の観点から、『六合叢談』『遐邇貫珍』の語彙とも対照した。 漢語,左傍訓 三,漢,現,歴,山,明,六,遐 壓抑,オシツケル ×,×,○,○,×,○,×,× 暗地,ヒソカニ ×,×,△,△,○,×,×,× 現:暗地裏、歴:暗暗地 位價,アタヒ ×,×,×,×,×,×,×,○ 一回,ヒトタビ ○,×,×,○,○,×,×,× 一己,ヒトリヒトリ     ○,×,○,○,×,○,×,○ 改化,ヨクナホル ×,×,×,×,○,×,×,× 開化,ヒラケ ○,○,○,○,○,○,×,× 會集,アツマリ ×,×,○,×,○,○,○,× 塊肉,カタマリ ×,×,×,×,×,×,×,× 各自,メイメイ ○,○,○,○,○,○,×,○ 確然,シカト ○,○,×,○,○,○,○,× 過嚴,キビシスギル     ×,×,×,×,×,×,×,× 果實,デキバヱ ○,○,○,○,○,×,○,× 價値,アタヒ ○,○,○,○,○,×,○,× 各箇,ヒトリビトリ     ×,△,○,○,○,○,×,× 漢:各個 合併,ヒトツニマトマル ○,○,○,○,○,○,○,× 姦巧,ワルダクミ ×,×,×,×,○,×,×,× 揀擇,ヱラビ ×,×,○,○,×,×,×,× 元來,モトヨリ ○,○,△,○,○,○,×,× 現:原来 議革,ギロンシテアラタメル    ×,×,×,○,×,×,×,× 己私,ワガミノヨク     ×,×,×,×,×,×,×,× 毅然,ツヨク ○,○,○,○,○,×,○,× 驚嚇,オドカス ×,×,×,○,○,△,×,× 明:恐嚇 鞏固,カタク ○,○,○,○,○,×,○,× 夾袋,カクシ ×,×,×,○,×,×,×,× 享用,ウケモチウ ×,×,○,○,×,○,×,× 虚影,ムナシキカゲ     ×,×,×,×,×,×,×,× 極嚴,ゴクキビシ ×,×,×,×,×,×,×,× 極善,ゴク〜ヨキ ×,×,×,×,×,×,×,× 斤兩,メカタ ×,○,○,×,○,×,×,× 群下,シモノモノ ×,○,×,○,○,×,○,× 經驗,タメシコヽコロミ ○,○,○,○,×,○,×,× 景象,ケシキ ×,○,○,○,○,○,×,× 結頭,ムスビダマ ×,×,×,○,○,×,×,× 儉節,ケンヤク ×,○,×,×,○,○,×,× 顯然,ハッキリ ×,×,○,○,○,×,○,○ 權力,イキホヒ ○,○,○,○,○,○,○,× 行爲,シワザ ○,×,○,×,○,○,○,× 效驗,シルシ ○,○,○,○,○,○,×,× 幸福,サイハヒ ○,×,○,○,○,○,×,× 功用,ヤクヲスル ×,○,○,○,○,○,○,× 産業,ショタイ ○,○,○,○,○,○,×,○ 貲産,シンダイ ×,○,×,×,×,×,×,× 自主,ヒトリダチ ○,○,○,○,○,○,×,○ 實驗,タメシ ○,○,○,○,○,○,×,× 實體,ホンタイ ○,×,○,○,○,○,×,× 指導,サシヅ ○,○,○,○,×,×,×,× 師傅,カシヅキ ×,○,○,○,○,×,×,× 捷速,ハヤク ×,○,×,×,○,×,×,× 所行,オコナヒ ○,○,×,×,×,○,○,× 書牘,テガミ ×,×,○,○,○,×,×,× 自立,ヒトリダツ ○,○,○,○,○,○,○,○ 砥礪,ミガキ ×,○,○,○,×,×,×,× 紳董,イヱガラノヒャクショウ   ×,×,×,×,×,×,×,× 正經,マジメ ×,○,○,×,○,○,×,○ 正鵠,マト     ○,○,×,×,○,×,×,× 精神,タマシヒ ○,○,○,○,○,○,×,× 政法,セイジ ×,×,○,×,○,○,×,× 生命,イノチ ○,×,○,○,○,○,○,○ 勢力,イキホヒ ○,○,○,○,○,○,×,× 脊骨,セナカノ ×,×,×,×,○,×,×,○ 世襲,ヨツギ ○,○,○,○,○,○,○,× 節適,ホドヨク ×,×,×,○,×,○,×,× 薦擧,スヽメアゲ ×,○,○,○,○,×,×,× 剪徑,オヒハギ ×,×,×,×,×,×,×,× 漸々,シダイ ×,○,○,○,○,○,×,× 蒼穹,アヲソラ ○,○,○,○,○,×,×,× 造詣,イタルトコロ     ○,○,○,○,○,×,×,× 雙絶,ナラビスグル     ○,×,×,×,×,×,×,× 冲飛,ノボリ ×,×,×,×,×,×,×,× ●惡,アシキ ×,×,×,×,○,×,×,× 挑唆,イドミヲダテル     ×,×,○,×,○,×,×,× 通俗,ナラハシ ○,○,○,○,○,×,×,× 抵抗,ハリアフ ○,○,○,○,×,○,×,× 低沈,ヒキクシヅム     ×,×,○,×,×,×,×,× 同等,オナジホド ○,○,○,○,○,○,×,× 黏附,ネバリツク ×,×,○,×,×,×,×,× 背反,ウラガヘル ○,○,×,△,○,△,×,× 歴明:背叛 發程,フミダス ×,○,×,○,○,○,×,× 法度,オキテ ○,○,○,○,○,○,×,× 繁盛,ハンジョウ ○,○,○,×,○,○,○,× 表率,テホン ×,○,○,×,○,×,×,× 品行,ギャウジャウ     ○,○,○,○,○,○,○,× 服膺,ムネニツケ ×,○,○,○,○,×,○,× 分外,アタリマヘノホカ ×,○,○,○,○,×,×,× 平安,ブジ     ○,○,○,○,○,○,○,× 癖習,クセ     ×,×,○,×,×,○,×,× 返照,カヘリウツル     ×,○,○,○,×,×,○,× 冕旒,ワウノカンムリ     ×,○,○,×,×,×,○,× 包藏,コメテアル ○,○,○,○,○,×,×,× 保護,シュゴ ○,○,○,○,○,○,○,○ 匍匐,ハラバフ ○,○,○,○,○,○,×,× 優美,ケッカウ ○,○,○,○,○,×,×,× 誘惑,アクニミチビカル ○,○,○,×,×,○,×,× 喩言,タトヘ ×,×,×,○,×,×,×,○ 鎔鑄,カタチヲイテツクル ×,○,△,○,×,×,×,× 現:熔鑄 律法,オキテ ○,○,×,○,○,○,○,○ 伶俐,サカシキ △,○,○,×,○,×,×,× 三:怜悧 劣惡,ヲトリテアシキ     ○,○,×,×,○,×,×,× 浪費,ミダリニツイヤス ○,○,○,○,○,×,○,○ (一致数) 48,61,67,65,68,46,25,14 三……『三省堂国語辞典』第四版、見坊豪紀主幹。第四版は1992年2月10日発行。この調査に使用したのは、2000年1月10日発行、第30刷。第四版序文によれば、見出し語数は約73000。 漢……『全訳漢辞海』第一刷、戸川芳郎監修、佐藤進・濱口富士雄編、2000年1月10日、三省堂。「本辞典のねらいと特色」によれば、収録熟語は5万語を越す。(「前熟語」「後熟語」として語彙のみ掲げるものを含む。) 現……『現代漢語詞典』(修訂本)、1996年7月修訂第3版、中国社会科学院語言研究所詞典編輯室編、商務印書館発行。56000余を収める(「前言」による)。 歴……大田才次郎『新撰歴史字典』博文舘、1894年。岡島蔵(大空社の複製は未見)。 山……山田美妙『新編漢語辞典』嵩山堂、1904年。1911年の四版による。福井大学蔵(大空社の複製は未見)。扉などに「一名熟語六萬六千辭典」とあるが、項目数は60,000弱か。 明……『明六雑誌』 (1874-1875) 高野繁男・日向敏彦『明六雑誌語彙総索引』大空社、1998年。 六……『六合叢談』 (1857-1858) 沈国威『『六合叢談』(1857-58)の学際的研究』 白帝社、1999年。 遐……『遐邇貫珍』 (1853-1855) 香港英華書院。大英博物館所蔵、マイクロコピー。  ○ないし△のついた数を単純に計算しても、右端の三つは辞書ではなくあまり意味はないが、現代語の辞書を見ると、『三省堂国語辞典』48、『現代漢語詞典』67となり、『西国立志編』の漢語は、現代日本語よりも現代中国語の方に近い、と読みとれそうである。しかし、ここにあげた語はあくまでも左傍訓のついた漢語であることを忘れてはならない。日本語としてなじみの薄いものだからこそ、左傍訓が付けられる可能性が高い、ということである。  全てが×になっているものもあるが、これらの中には、「極…」など、一語として熟していないので辞書に載せられなかったと思われるものもある。  他書に見えず、『新撰歴史字典』や『新編漢語辞典』に見えるのは、あるいは『西国立志編』から取られた語であるかもしれない。たとえば、『新撰歴史字典』のような書は、『日本外史』の字解の類が『日本外史』だけのための書ではなく、歴史用語辞典のような意味を持つように増補されたもののようだが、その増補の際には『国史略』『十八史略』『元明史略』などの語も取り込まれた(明治十年『和漢史略字引』例言)。あるいは『西国立志編』の語も取り込まれたかもしれない。例えば、上の表に見える「自主」は「ヒトリダチ」の左傍訓を有しているが、『西国立志編』の他の箇所では「イッキダチ」という左傍訓を有しており、「自立」にも「イッキダテ」の傍訓がある(後掲索引ならびに小林氏論文をも参照)。この「自主 イッキダチ 自立 同上」という語釈が『新撰歴史字典』に見えることなどは、その関係をうかがわせる。  ただし、この表で他書に見えないからと言って、それが『西国立志編』独自の語であるわけではないことは当然である。例えば「議革」は、上の表では『新撰歴史字典』にしか見えないが、『漢語大詞典』によれば明代の用例のあるものである。  上に挙げた100語の他にも、他書と比較すれば、興味深い語がいくつか見られる。いちいちは挙げないが、後掲の索引が五十音順なので、日本語の辞書との対照が行いやすいであろうと思う。  なお、森岡健二「開化期翻訳書の語彙」は、『西国立志編』の一部について、Smilesの原文との対照を行い、さらに英華辞典を引いて、その訳語との異同を調べ、正直は英華辞典を参照しつつ、日本語として通用する語を選ぼうとした、と考証している。  今回の索引でも、原文との対照を盛り込み、さらには次掲の漢訳本との対照を盛り込むことも考えたのだが行っていない。すべて今後の課題である。    三 漢訳『自助論』について 三−1.版本と訳者  明治維新の後から日本語語彙の中国語への影響がはじまり、日清戦争後から二十世紀初期にかけて最盛期に達する。この時期、西洋の文明、新しい知識などが主に日本を経由して大量に中国に流入してくるようになる。中村正直訳の『西国立志編』もその潮流とともに中国にもたらされた。  漢訳『自助論』は1903年5月に中村正直訳から訳しだされた。訳者は羊杰で、上海通社から通社叢書本として出版された。全278頁。翌年の1904年3月には再版本が出ている。通社は上海棋盤街四馬路口にあった。代表者は葉●經である。上海図書館.1980から、通社叢書には『自助論』の他に、少なくとも次のものがあることが分かる。  『万国新地誌』   (英)雷文斯頓著   何育杰訳 1903年10月版  『日本調査●学記』    周達著          1903年4月版  『世界之大問題』  (日)島田三郎著   通社訳  1903年3月版  『俄国経営東方策』 (日)蕨山生著    通社訳  1903年3月版  『露西亜通史』   (日)山本利喜雄著  寥寿慈訳 1903年4月版  また、黒田.1945から、通社版の日本語書籍の漢訳書には以下のものがある。記載は、原著者あるいは原訳者、漢訳書名、漢訳者、出版年、分類の順になっている。   建部遯吾   『哲学大観仏教編』       1904年 (宗教・哲学)   中村正直訳  『自助論』     羊杰訳   1903年 (宗教・哲学)   大瀬甚太郎  『休氏教育学』         1904年 (教育)   島田三郎   『世界之大問題』        1903年 (政治・法律)          『日本行政法』   顧世昌編訳     (政治・法律)   占部百太郎  『近世露西亜』   寥寿慈訳      (地理・歴史)   山本利喜雄  『露西亜通史』         1904年 (地理・歴史)   藤澤利喜太郎 『数学教科書』         1904年 (自然科学)   浅野正恭   『世界海軍力』   銭无畏   1904年 (軍事)  漢訳『自助論』を含めて9種類の書籍が通社から出版されている。通社版『自助論』には訳者の序文はなく、訳者である羊杰については今後詳細な調査が必要である。だが、日本留学の経験がある人物であることが考えられる。  上述の上海通社以外に、筆者は別の版本を確認している。それは、商務印書館編訳所編纂によるものである。1910年2月に上海商務印書館から出版されたものである。その重版である 1919年の『訂正自助論』も同館から出版されている。全233頁。  商務版『自助論』の総序は中村正直のもので通社版にもある。正直は漢文で書いており、通社版は「夜学院」を「夕学院」に改めている他は正直の総序と一字一句同じである。商務版はこの総序にも訂正を加えている。総序についで、第一、二、四、八、九編の序文があるが、総序と同じく逐語訳はされていない。編序の数は通社版と同じ。商務版の編序の後には、訂正者である林万里の序文がある。序文の日付は宣統元年(1909年)冬十一月となっている。通社版は当然この部分の序文がない。さらにこれについで目次があるが、通社版の目次には漏れがある。編以下の項目にも漢訳では削除されているものがある。  商務版の林万里の序文によると、この『自助論』は英国人により著されたものであり、日本の中村正直訳を底本にして上海通社により漢訳されたとある。後になって、その訳稿が商務印書館のものとなったが、訳文に些か問題があったため、林万里が改訂したことも述べられている。この商務印書館版の改訂者である林万里(1874〜1926年)は福建●侯人で、原名は旄、名を万里、字を少泉、宣樊子と号し、後年は自らを白水と号した。1901年に杭州の求星書院總教習を務め、同年6月には『杭州白話報』の編集者となる。1903年に日本へ留学し、帰国後『中国白話報』を創刊する。1904年には再度日本へ渡り、早稲田大学の法科に入学、翌年には同盟会に参加している。また、黒田.1945によると、林万里が漢訳したものに野田義夫原著『新譯日本明治教育史』中国図書公司(1908年)上海がある。このようなことから、林万里も日本語がかなりできたと考えられる。  この通社版及び商務版『自助論』が正直のどの版本から訳しだされたかについては、序文からは分からない。しかし、正直訳『西国立志編』は初版と改正版の編序に違いがある。初版には第一、二、四、八、九編に編序が施されている。一方、改正版ではこれに第五編の編序が加えられている。通社版及び商務版ともに『自助論』には第五編の編序がないことから、『西国立志編』の初版あるいは初版の翻刻本から漢訳されたことが分かる。  一方、樽本.2000によると、商務印書館は1907年に印刷所と編訳所が、閘北宝山路の80余畝もある土地に移転し、かなりの規模になっていた。この商務印書館版がでた1910年、その重版がだされた1919年当時の商務印書館は全国に発行所、分館をもつ中国屈指の出版社へと成長していた。商務印書館編訳所.1910の最終頁には、總発行所として上海、京師、奉天、龍江、天津、済南、開封、太原、西安、成都、重慶の11ヶ所、商務印書分館(分売所)として、瀘州、長沙、常徳、漢口、南昌、蕪湖、杭州、福州、広州、潮州の10ヶ所、計21ヶ所の記載がある。また、1919年の『訂正自助論』の最終頁には、総発行所として、上海、北京、天津、保定、奉天、吉林、龍江、済南、太原、開封、洛陽、西安、南京、杭州、蘭谿、安慶、蕪湖、南昌、漢口の19ヶ所、北京、天津、保定を京師としてまとめても増加している。また、分館として長沙、常徳、成都、重慶、瀘縣、福州、慶州、潮州、香港、桂林、梧州、雲南、貴陽、張家口、新嘉坡があり、規模の拡大が続いている。こうしてみると、漢訳『自助論』はかなり広く流布していたと思われる。以上のことと、この通社版を訂正した商務版が、より洗練された漢訳になったことを考えると、この版が中村正直訳『西国立志編』の漢訳本の定本として位置付けられる。 三−2.漢訳『自助論』の文体  上述の商務版『自助論』は文言で著されている。しかし、厳復が翻訳に使った桐城派の文体とは異なっているし、翻訳のためか改訂後でもかなり不自然な表現が見られる。例えば、第一編[三]の「國政ハ人民ノ光ノ返照ナリ」を漢訳では「論國政爲人民之光之返照」としている。通社版も同様の訳文を充てている。「人民之光之返照」という箇所は明らかに日本語の逐語訳で、文言ではかなり不自然である。また、なぜ白話ではなく文言で訳されたのだろうか。商務版の改訂者である林万里は『杭州白話報』の編集長を務めたほか、1903年には『中国白話報』も創刊している。このことから白話文に対して抵抗があったとは考えられない。そうすると、林万里の『自助論』の底本がもともと文言文であったため、そのまま文言で訂正を行ったと考えるのがよさそうである。  それでは以下に参考として、初版『西国立志編』の冒頭部分を通社版、商務版『自助論』とともに示してみる。なお、表記に一部常用漢字を用いているほか、原文の縦書きをここでは横書きに改めている。『西国立志編』については右傍訓を( )に入れ、左傍訓を[ ]に入れて示す。 【正直訳】  第一編  邦國及ビ人民ノ自(ミ ラ)助クルコトヲ論ズ、   彌爾(ミル)曰ク一國ノ貴トマルヽトコロノ位價[アタヒ]ハ、ソノ人民ノ貴トマルヽモノヽ、合併[ヒトツニマトマル]シタル位價[アタヒ]ナリ、   垤士禮立(ヂスレイリ)曰ク、世人ツ子ニ法度[オキテ]ヲ信ズルコトハ、分外[アタリマヘノホカ]ニ多ク、人民ヲ信ズルコトハ、分外[アタリマヘノホカ]ニ少ナキコトナリ、    一 自(ミ ラ)助クルノ精神 天ハ自(ミ)ラ助クルモノヲ助クト云ヘル諺ハ.確然[シカト]經驗[タメシコヽロミ]シタル格言ナリ.僅(ワヅカ)ニ一句ノ中ニ.歴(アマネ)ク人事成敗ノ實驗[タメシ]ヲ包藏[コメテアル]セリ.自(ミ)ラ助クト云コトハ.能ク自主自立シテ.他人ノ力ニ倚(ヨラ)ザルコトナリ.自(ミ)助クルノ精神[タマシヒ]ハ.凡ソ人タルモノヽ才智ノ由テ生ズルトコロノ根原ナリ.推(オシ)テコレヲ言ヘバ.自(ミ)助クル人民多ケレバ.ソノ邦國.必ズ元氣充實シ.精神強盛ナルコトナリ.○他人ヨリ助ケヲ受テ成就セルモノハ.ソノ後.必ズ衰フルコトアリ.シカルニ.内自(ミ)ラ助ケテ爲(ナス)トコロノ事ハ.必ズ生長シテ禦(フセグ)ベカラザルノ勢アリ.蓋シ我モシ他人ノ爲(タメ)ニ助ケヲ多ク爲サンニハ.必ズソノ人ヲシテ自己勵(ハゲ)ミ勉(ツト)ムルノ心ヲ減ゼシムルコトナリ.是故ニ師傅[カシヅキ]ノ過嚴[キビシスギル]ナルモノハ.ソノ子弟ノ自立[ヒトリダツ]ノ志ヲ妨グルコトニシテ.政法[セイジ]ノ群下[シモノモノ]ヲ壓抑(アツヨク)[オシツケル]スルモノハ.人民ヲシテ扶助ヲ失ヒ勢力[イキホヒ]ニ乏(トボシ)カラシムルコトナリ. 【通社版】  第一編 論邦國及人民之自助 彌爾曰。國奚以強。合人民之強以爲強。國奚以富。合人民之富以爲富。故國興國之比較。常視其人民以判高下。 垤士禮立曰。天下之談士。相聚而論政治。謂政法之宜改良者常多。謂人民之當自助者常少。  論自助之精神 語曰。天助自助者。此言雖小。實綜括古今人事。成敗得失之實驗。善哉。信而有徴之格言也。所謂自助者。能自主自立。而不倚他人之力。然欲自主自立。而不倚他人之力。則必發自助之精神。自助之精神。乃凡所爲人者。生長才智之第一目的也。一人能發自助之精神。則志慮貞固。奮事ウ前。得爲世界内完全之人格。反是必孱弱。人人能發自助之精神。則元氣充盛。沛然莫禦。得爲地球上昌大之邦國。反是必衰絶。是何也。不自助而爲人所助。則染此依頼之性。必減其砥礪之心。積之既久。勢必事事仰望於人而後已。故曰。師傅之過爲嚴峻者。必妨子弟自立之志。政法之専務壓抑者。必失人民自主之力。覘人家國者。其?是呼。 【商務版】  第一編 論邦國及人民之自助 彌爾曰。國奚以強。合人民之強以爲強。國奚以富。合人民之富以爲富。故國興國之比較。常視其人民以判高下。垤士禮立曰。天下之談士。相聚而論政治。謂政法之宜改良者常多。謂人民之當自助者常少。  論自助之精神 語曰。天助自助者。此言雖小。實古今人事成敗得失之林。夫所謂自助者。自主自立。而不依頼他人之謂也。然欲自主自立。而不依頼他人。則必發自助之精神。自助之精神。乃爲人生長才智之第一目的也。一人能發自助之精神。則志慮貞固。奮勵無前。得爲世界内完全之人格。反是必孱弱。人人能發自助之精神。則元氣充盛。沛然莫禦。得爲地球上昌大之邦國。反是必衰絶。何也。不自助而爲人所助。則染此依頼之性。必減其砥礪之心。積之既久。勢必事事仰望於人而後已。故曰。師傅之過爲嚴峻者。必妨子弟自立之志。政法之専務壓抑者。必失人民自主之力。  第一編の冒頭部分を比較してみると、商務版は通社版の訳文を引き継いでいるが、語句の訂正、削除を施していることが分かる。この通社版、商務版の『自助論』の文体、語彙などの研究は、現在のところほとんど行われておらず、今後詳細な研究が必要である。また、中村正直の訳語と漢訳された訳語の関係、近代日中語彙交流史における漢訳『自助論』をはじめとする漢訳本の位置付けなどは今後の課題である。この漢訳『自助論』については、永井崇弘.「漢訳『自助論』初探」.「福井大学教育地域科学部紀要 第T部 人文科学 国語学・国文学・中国学編 第51号」.2000.福井でも論じられている。    おわりに  『西国立志編』の漢語の性格については、由来や、その後への影響も含めて、日中双方の面において今後あきらかにせねばならぬことが多いと思われるが、本稿がその一助となれば幸いである。なお、この索引の電子データを公開する予定である。電子データであれば、五十音順にとらわれずに利用することも可能であり、より有用であろう。さらに明治十年改正版の画像も公開の予定である。 URLは、http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/saikoku/である。 (注) (1)「中村敬宇の初期洋学思想と『西国立志編』の訳述及び刊行について−若干の新史料の紹介とその検討−」大久保利謙、『史苑』26巻2・3号、1966年1月、立教大学史学会。 (2)注(1)大久保論文によれば、静岡版は刷りは静岡で行われたとしても、造本や発売は東京でもなされたと考えられる。 (3)同人社蔵版の扉のうち最初に置かれるものが静岡版第五袋の題記であることは注(1)論文86頁の指摘による。同85頁には早稲田大学所蔵初版本静岡版の扉が、84頁には同じく静岡版の袋が写真掲載されており、共に本稿で使用した同人社蔵版のそれに等しい。 (4)見出し語に採取した語彙のうち「統」字に末尾の一画を欠く例が見られる。「統」を含む語は四例あるが、このうち第一編に出現する二例(共に「統治」)が欠画となっている。(「統」字の所在については索引の「統紀」「統帥」「統治」の項を参照。)土屋信一「明治初期漢語辞書にみる闕画」(『共立国際文化』12号、1997年9月、共立女子大学国際文化学部)によれば、明治元年十月九日、太政官布告により、仁孝(諱惠仁)、孝明(諱統仁)、今上(明治、諱睦仁)の三代天皇の諱である「惠」「統」「睦」の三字を欠画とすることが定められ、明治五年一月二十七日に同じく太政官布告によりこれが廃止された(土屋氏は石井研堂『改定増補明治事物起源』を引き、『太政官日誌』にあたっておられる)。その影響はこの期間に刊行された漢語辞書に実際に及んでおり、ことに「統」の欠画はもっとも実行され、「睦」がこれに次ぎ、「惠」はあまり実行されなかったという。本稿で使用した『西国立志編』初版は明治六年以降に発行された同人社蔵版であり、これが発行された時にはすでに欠画は廃されていたのであるが、同人社蔵版の版木は太政官布告が生きていた明治三年から四年にかけて刊行された静岡版のものであり、それゆえ同人社版にも欠画がそのまま残ったのである。なお、見出し語に採用した語以外について初版第一編を調査してみるに、1頁裏9行目及び巻末に置かれる中村正直の漢文による「論」に「統」字の欠画が認められるが、19頁表2行目の「統」には認められない。また、「睦」字は本稿索引の見出し語には含まれず、「惠」字は第一編4頁表第7行目及び第十二編9頁裏2行目に出現するものの、欠画とはなっていない。初版における欠画はかならずしも厳格には守られていないわけである。このように一つの書物においても時に守られ時に守られないという状況は、土屋氏が調査された明治初期の漢語辞書(全25種)にも同様に認められる。 (5)注(1)論文87頁参照。なお、同論文注(18)に紹介される同人社版の奥付と本稿で使用した関西大学蔵版本の奥付とでは文字にいくつかの相違がある。また、同論文注(8)には、静岡版の本文第1頁の内題に「斯邁爾斯自助論一名西国立志編」とあることを述べたうえで、「ところが、後に同じ板木で刷った同人社版はともに『西国立志編 原名自助論』と改めてある」と指摘されるが、関西大学蔵本の内題は静岡版と同じく「斯邁爾斯自助論一名西國立志編」である。さらに注(19)には六書房蔵版について、「この版には、静岡版同人社版にない望月網孟玉の序(明治四年五月)がある」と指摘されるが、関西大学の同人社蔵版には望月網孟玉撰「西國立志編序」が第十一編(第九冊)の冒頭におかれている。ただし、この序にはこれが記される頁にのみ界線が引かれているなど、本文の版式と一致しないところがある。以上のようにテキストの問題についてはなお不明な点があり、他日を期したい。 (6)第五編序の末尾に一字下げで「前此印本。未載此文。今録出。以就正有道。」とあるが、この序が改正版のさいに初めて加えられたものなのか、あるいは静岡版以後に印行された初版の一つにおいて加えられていたものなのかについては確認していない。 (7)参考文献にあげる小林氏論文54頁参照。 (8)初版と改正版との異同は第二編のうち十章以降に著しい。改正版には初版にはない一段や行、句が挿入ないし付け加えられている。 (補注)  本稿作成後に早稲田大学図書館蔵初版本静岡版のマイクロフィッシュ(早稲田大学図書館編『明治期刊行物集成』、004717『西國立志編一名自助論』雄松堂出版)を入手し、関西大学蔵同人社蔵版本において一部印刷不明瞭であったルビについて正すことができた。また、関西大学蔵本には静岡版と版式を同じくしながら、改めて刻した頁があることを確認した。なお、早稲田大学蔵本には第十一編に落丁がある。詳細な対照は後日を期したい。  同じく成稿後に入手した、銀花堂版『西国立志編』(明治廿一年一月出版)は、改正本以後に出た活字本であるが、本文は初版系である(静岡版ではなく関西大学蔵本に近い)。また、各編の序文を冒頭に集めており、漢訳本との関連を思わせる。序文の配列は以下の通り。三田序、「自助論原序」、「自助論第一編序」(「論曰」も含む)、「自助論第二編叙」、「第四編序」、「第八編自序」、「第九編自序」、望月序。 【参考文献】 [中村正直と『西国立志編』] ○石井民司『自叙千字文』成功雑誌社、1907年。大空社影印『自叙千字文 中村正直伝』(伝記叢書7)所収、1987年。 ○『日本文学大辞典』新潮社、1932年。吉野作造執筆「西国立志編」「中村正直」の項。 ○柳田泉校訂『西国立志編』(冨山房百科文庫)冨山房、1938年。校訂者による解説に中村正直と『西国立志編』について詳述する。本文は改正版に依っているが、傍点を省き、振り仮名の脱落等もある。 ○『近代文学研究叢書』第一巻、昭和女子大学近代文学研究室、1969年、増訂2刷(初版は1956年)、昭和女子大学近代文学研究所発行。「中村正直」の項に、生涯・著作年表・業績・資料年表等を掲載する。 ○高橋昌郎『中村敬宇』吉川弘文館、1966年。中村正直の履歴に関しては主に本書を参照した。 ○『西国立志編』(講談社学術文庫)講談社、1981年。昭和二年刊の博文館本を底本とする(本書の注記による)。『西国立志編』の本文の中で最も入手しやすいものであるが、現代表記によっており、さらに漢字を仮名に開くところが多い。渡部昇一氏の解説「中村正直とサミュエル・スマイルズ」にスマイルズとその著作について紹介する。 ○藤原●『日本における庶民的自立論の形成と展開』ぺりかん社、1986年。中村正直の英学学習や『西国立志編』の初訳についての新たな紹介と指摘が含まれる。 [訳語] ○森岡健二『近代語の成立 明治期語彙篇』明治書院、1969年。(『改訂 近代語の成立 語彙篇』明治書院、1991年) ○森岡健二「開化期翻訳書の語彙」『講座日本語の語彙6近代の語彙』明治書院、1982年。 [振り仮名] ○西尾光雄「西国立志編のふりがなについて―形容詞と漢語サ変の場合―」『近代語研究』第二集 武蔵野書院、1968年。 ○進藤咲子「明治初年の振りがな」『近代語研究』第二集 武蔵野書院、1968年。 ○小林雅宏「『西国立志編』におけるふりがなの使いわけ」『専修国文』第31号、1982年9月、専修大学国語国文学会。 [漢訳『自助論』] ○羊杰訳. 1904.『自助論』(再版本). 通社.上海 ○上海圖書館編.1980.『中國近代現代叢書目録』.上海圖書館.上海 ○商務印書館編譯所.1910.『商務書館英華新字典(第12版)』.商務印書館.上海 ○商務印書館編譯所編纂.1910.『訂正自助論』.上海商務印書館.上海 ○商務印書館編譯所編纂.1919.『訂正自助論』.上海商務印書館.上海 ○熊月之著.1995.『西学東漸與晩清社會』.上海人民出版社.上海 ○陳旭麓・李華興主編.1991.『中華民國史辞典』.上海人民出版社.上海 ○樽本照雄著.2000.『初期商務印書館研究』.清末小説研究会.滋賀 ○沈国威編著.1999.『『六合叢談』1857-1858の学際的研究』.白帝社.東京 ○黒田清編.1945.『中譯日文書目録』.国際文化振興会.東京