西国立志編 第二編 第十
非改正
改正本
〔十〕力査・阿克來(アークライト)并に紡棉機  
〔十〕力査・阿克來(アークライト)并に紡棉機
瓦徳(ワット)の新機を用て各般の工事場、益々繁盛なりけるが、その最初に顯るゝものは紡棉工場なり、  
瓦徳(ワット)の新機を用て各般の工事場、益々繁盛なりけるが、その最初に顯るゝものは紡棉工場なり、
この工事の基を建たる人を、力査・阿克來(アークライト)と云ふ、  
この工事の基を建たる人を、力査・阿克來(アークライト)と云ふ、
その人となり、巧思創造の才あるのみならず、その實事を試るに、精力あり、智識あるkt、尤も庸衆に超たり、  
その人となり、巧思創造の才あるのみならず、その實事を試るに、精力あり、智識あるkt、尤も庸衆に超たり、
阿克來(アークライト)創造者の稱を得たりしが、その始に當て、頗る異論を受たり、  
阿克來(アークライト)創造者の稱を得たりしが、その始に當て、頗る異論を受たり、
蓋し阿克來(アークライト)の紡棉機に於る、恰も瓦徳(ワット)の蒸氣縮密機器に於る士提反孫の行動機器に於るが如く、倶に皆前人を祖述したれども、新大發明を爲たり、  
蓋し阿克來(アークライト)の紡棉機に於る、恰も瓦徳(ワット)の蒸氣縮密機器に於る士提反孫の行動機器に於るが如く、倶に皆前人を祖述したれども、新大發明を爲たり、
譬ば、前人の才思は糸の散亂せるものゝ如し、三子は悉くこれを集め、己の籌謀に從て、新にこれを織ものなり、その創造者の名を受るkt、宜ならずや、」  
譬ば、前人の才思は糸の散亂せるものゝ如し、三子は悉くこれを集め、己の籌謀に從て、新にこれを織ものなり、その創造者の名を受るkt、宜ならずや、」
阿克來(アークライト)より三十年前に、保爾と云るもの圓轉木を用て糸を紡するktを發明し、公許を得たたりしが、この機器未だ實用に供するに足らず、海士と云る人、紡糸器を造りしが、また成效あらざりしなり、  
阿克來(アークライト)より三十年前に、保爾と云るもの圓轉木を用て糸を紡するktを發明し、公許を得たたりしが、この機器未だ實用に供するに足らず、海士と云る人、紡糸器を造りしが、また成效あらざりしなり、
凡そ工作場にて、蒸氣機器、礦中提燈、電氣通標の如き新發明あらんktを、世人望ときは巧思ある人、その需に應ぜんと欲し、各々心を竭し、精を勞して、これを造り出んktを競けるが後に及んで、卓絶の才ありて、實事錬習の學ある人、遂にその功績を成就せり、  
凡そ工作場にて、蒸氣機器、礦中提燈、電氣通標の如き新發明あらんktを、世人望ときは巧思ある人、その需に應ぜんと欲し、各々心を竭し、精を勞して、これを造り出んktを競けるが後に及んで、卓絶の才ありて、實事錬習の學ある人、遂にその功績を成就せり、
其他圖謀して功なきもの、盡く望を失ひ、創造者を謗●{讀言}するに由り、瓦徳(ワット)、士提反孫、阿克來(アークライト)の如き人、その聲名を存し、創造者該受の權を保んと欲して、これを防ざるktを得ざりしなり、  
其他圖謀して功なきもの、盡く望を失ひ、創造者を謗●{讀言}するに由り、瓦徳(ワット)、士提反孫、阿克來(アークライト)の如き人、その聲名を存し、創造者該受の權を保んと欲して、これを防ざるktを得ざりしなり、
阿克來(アークライト)は、千七百三十二年(享保十七年)に普列斯敦(英國地名)に生る、その父母は、甚だ貧して、子十三人ありしその末子なり、  
阿克來(アークライト)は、千七百三十二年(享保十七年)に普列斯敦(英國地名)に生る、その父母は、甚だ貧して、子十三人ありしその末子なり、
童子の時に剃頭店に送れ、その弟子となり、この業を學び得て、後薄爾敦に赴き、一處の地窖室に住し、その上に表號を出して、地下に剃頭者あり、その價、一便尼(英國銅錢の名)と書たり、  
童子の時に剃頭店に送れ、その弟子となり、この業を學び得て、後薄爾敦に赴き、一處の地窖室に住し、その上に表號を出して、地下に剃頭者あり、その價、一便尼(英國銅錢の名)と書たり、
他の剃頭店にて、亦その價を同しければ、阿克來(アークライト)また「半便尼にて剃頭すべし」と表號を改めたり、  
他の剃頭店にて、亦その價を同しければ、阿克來(アークライト)また「半便尼にて剃頭すべし」と表號を改めたり、
數年の後その地窖室を去て、髮毛を賣買する行賈となる、  
數年の後その地窖室を去て、髮毛を賣買する行賈となる、
此時に當り、假髮を着る風俗未だ廢ずして、假髮を作ktは、剃頭人の利を得る業なりしなり、  
此時に當り、假髮を着る風俗未だ廢ずして、假髮を作ktは、剃頭人の利を得る業なりしなり、
蘭加舍は、工場熾盛にして、少婦集りて傭工を爲の處なれば常にその間に徃來し、その垂髮を整理しけり、  
蘭加舍は、工場熾盛にして、少婦集りて傭工を爲の處なれば常にその間に徃來し、その垂髮を整理しけり、
また製煉法を以て、毛を染るktに、巧なるがゆゑ、これを商て利を得たり、  
また製煉法を以て、毛を染るktに、巧なるがゆゑ、これを商て利を得たり、
既にして假髮を着る風俗變じけけれぱ、阿克來(アークライト)紡棉機を製せんと思ひ、手を下し始たり、  
既にして假髮を着る風俗變じけけれぱ、阿克來(アークライト)紡棉機を製せんと思ひ、手を下し始たり、
元來職業の余暇を以て自動の機器を造出んと、これに心を用たるが故に、これよりして、紡棉機に移は、頗る易き理あり、  
元來職業の余暇を以て自動の機器を造出んと、これに心を用たるが故に、これよりして、紡棉機に移は、頗る易き理あり、
これより、勤苦して工夫を用ひ、經驗を爲し、遂に衣食の業を怠忽にし、錢財をも使盡して赤貧に至れり、  
これより、勤苦して工夫を用ひ、經驗を爲し、遂に衣食の業を怠忽にし、錢財をも使盡して赤貧に至れり、
その妻その夫の勞して功なく、徒に財と時とを費ktを見て、懊惱に堪ず、一日怒りに乘じ、機器の樣子を破碎しければ、阿克來(アークライト)大に怒り、その婦を逐たりけり、  
その妻その夫の勞して功なく、徒に財と時とを費ktを見て、懊惱に堪ず、一日怒りに乘じ、機器の樣子を破碎しければ、阿克來(アークライト)大に怒り、その婦を逐たりけり、
 
阿克來(アークライト)嘗て客耶と云人と知音を結けり、即話林敦の時辰標匠なり、
 
或はをもへらく阿克來(アークライト)圓軸を以て糸を紡するの理を、客耶より學びたりと、又或は云く、偶鐵の燒て紅色となるものゝ、鐵の圓軸の間を通行して伸たるを熟視し、これに由て、この理を悟りと、かく傳るところ區々なり、然tm阿克來(アークライト)一たびそのコ{木覇}柄*を得てより、工夫を績ぎ、次序を積て、遂にこれを成就せり、こゝに至ては客耶のよく助るところにあらず、
阿克來(アークライト)その後、全て己の家業を輟て、專ら心力を機器に用ひ、その作る法子は普列斯敦の學校に置けるが、  
阿克來(アークライト)その婦を去てより、全て己の家業を輟て、專ら心力を機器に用ひ、客耶に托して作りし法子は普列斯敦の學校に置たり、」
 
阿克來(アークライト)は縣邑の民なれば、民委官を選ぶの期にあたり、その會に赴くべきに、衣服襤褸にして、出がたかりし故、衆人これが爲に金錢を醵し、これに資給してけり、その貧困かくの如くなりしなり、
この地の手工を以て衣食する許多の人民、己等業を失はんと、恐るるより、學校の邊に聚りて、罵り譟けり、  
「抑も普列斯敦は手工を以て衣食する人民多く住しける故、もし阿克來(アークライト)の機器成就したらんには、己等業を失ひぬらんと、恐れ思よりして、學校の邊に聚りて、囂然として罵り譟けり、
阿克來(アークライト)心に思ふには、前年客耶新に飛梭を作りしとき、群衆亂噪して、客耶を蘭加舍より逐出せり、  
阿克來(アークライト)心に思ふには、前年客耶新に飛梭を作りしとき、群衆亂噪して、客耶を蘭加舍より逐出せり、
厚額埋武士は、紡棉機器を造しとき、人民騷動して、その器を毀ちけり、されば、我またこゝに留るべからずと、遂にその法子を包裹して、諾丁含に赴けり、  
厚額埋武士は、その紡棉機器を造しとき、人民騷動して、その器を毀ち、之れを粉齏にせり、されば、我今またこゝに留るべからずと、遂にその法子を包裹して、諾丁含に赴けり、」
 
この地の銀行商に金を出し、阿克來(アークライト)を助るものあり、郷紳來的と云るもの、また給するに金を以てし、皆この器成就の日に至り、共にその利を分たんと欲せり、」然にこの諸人豫じめ料し如く、速に成就せざりければ、銀行商阿克來(アークライト)に勸め、郷紳斯土拉的及び尼徳に助けを求めたり、斯土拉的は織襪機を製し、免状を有るものなるが、一見して阿克來(アークライト)の機器の必用有益なるktを賞贊し、自らその夥計に入ければ、これよりして後、阿克來(アークライト)亨通の路開にけり、
千七百六十九年(明和六年)その機器成就して、遂に免状を得たり、  
千七百六十九年(明和六年)遂に免状を得てその機器の利を己に保護せらる、
 
即瓦徳(ワット)の蒸氣機器の免状を得たる年なり、奇なるかな、」
始て諾丁含に棉磨を造り、馬力を以て曳しめたりしが、その後、大伯舍に建るものは、水車を以て運轉せしめたる故に水機とも呼なせり、  
始て諾丁含に棉磨を造り馬力を以て曳しめたり、その後、大伯舍に建るものは、その規制、更に大にして、水車を以て運轉せしめり、この故に紡棉機器を水機と呼たり、
 
阿克來(アークライト)すでに勉強勞苦して、その機器を用ふるに至けれtm、これより後の工夫、更に難りける、
阿克來(アークライト)の機器、大段は成就したれtm、その詳細曲折に至りては、猶完全ならず、故にこの後多年の間、心力を労、改造を事とし、遂に利便を盡し、靈巧を極るに至り、」  
蓋しその機器、大段は成就したれtm、その詳細曲折に至りては、猶完全ならず、故に多年の間、心力を用ひ、改造を事とし、勞苦の久に耐へ、許多の錢財を費して、遂に利便を盡し、靈巧を極るに至り、」
この機器盛に行るべしと見えければ、蘭加舍の手工を以て衣食するもの、騷然として嘯聚し、その工場に亂れ入り、その機器を悉く破碎す、  
既にして阿克來(アークライト)の機器盛に用らるべしと見へければ、蘭加舍の手工を以て衣食するもの、騷然として嘯聚し、阿克來(アークライト)の免状を蛔才止}裂せんと企たり、
 
恰も高奴瓦の礦人蒲爾敦、瓦徳(ワット)をして、機器の利を奪はしめんと欲し、爭端を起し時の如くなりき、しかのみならず、阿克來(アークライト)を宣言して、工人の仇敵となし、蘭加舍の工に亂れ入り、その機器を悉く破碎せり、
巡吏、兵士の力にても、これを防ぐに足らざりけり、  
巡吏、兵士の力にても、これを防ぐに足らざりけり、
蘭加舍の商人、阿克來(アークライト)の製する物を買ktを肯ぜず、且その機器を用るものも、創造者に償ふべき利銀を償ktを肯ぜずして、徒黨を結び、法廳に訟へ、免状を失しめたり、  
蘭加舍の商人、阿克來(アークライト)の製する物を買ktを肯ぜず、且その機器を用るものも、創造者に償ふべき利銀を償ktを肯ぜずして、徒黨を結び、法廳に訟へ、免状を奪しめたり、
 
心ある人は、阿克來(アークライト)の爲に竊に憤りしなり、
 
この訟事終ける比、原告人の旅寓せる客舍前を、阿克來(アークライト)過たれば、その中一人、大聲にて言けるは、好し我等、老朽の剃頭者を困極に至しめたり、これを聞て、阿克來(アークライト)、我なほ一剃刀を持てり、汝等を悉く剃するに足りと答たり、」
然ども、その後、阿克來(アークライト)新に蘭加舍、大伯舍、牛拉拿古に紡棉工場を建たり、  
然ども、その後、阿克來(アークライト)新に蘭加舍、大伯舍、牛拉拿古に紡棉工場を建たり、
 
大伯舍の舊工場も斯土拉的死して後、全く阿克來(アークライト)の所有となれり、
その出せる物、多して且善りし故、その賣買の權、自らこれに歸し、許多の工人、これが管轄に歸するに至り、  
その出せる物、多して且善りし故、その賣買の權、自らこれに歸し、物料の價も、阿克來(アークライト)に由て定られ、その他、紡棉の工人、これが管轄に歸するに至り、
阿克來(アークライト)、天性勇毅にして、世務に應ずるの才あり、その處々に工場を建し時に當り、或は曉四時より、夜九時に至るまで、勉勞して休ざりけり、  
阿克來(アークライト)は、天性勇毅にして、又世務に應ずるの才あり、その處々に工場を建し時に當り、或は曉四時より、夜九時に至るまで、勉勞して休ざりけり、」
 
五十歳の時、始て英國文法を學び、能これに通ずるに至り、」
阿克來(アークライト)聲名日に顯たれば、命ぜられて大伯舍(ダーベーシャー)の知府となる、  
阿克來(アークライト)聲名日に顯たれば、命ぜられて大伯舍(ダーベーシャー)の知府となる、
 
即最初の機器を作りし時より十八年なり、
又その後、英王若爾日第三より、奈的の爵を賜る、  
又その後幾ばくもなく、英王若爾日第三より、賞典として奈的の爵を賜る、
千七百九十二年(寛政四年)歿す、  
阿克來(アークライト)千七百九十二年(寛政四年)歿せり、
それ紡綿工場の邦國の爲に財貨を生ずるkt、勝て數ふべからず、  
それ紡綿工場の邦國の爲に財貨を生ずるkt、勝て數ふべからず、
阿克來(アークライト)はその開基の人なれは、その功萬世に泯ぶべからず  
而st阿克來(アークライト)はその開基の人なれは、その功萬世に泯ぶべからず
 
その他、英國に於て工業を興して、その住するところの四隣を富饒にして、邦國の爲に勢力財貨を生ずる人少からず、その勇敢強有力に由て、大業を成就するkt、皆後世の法則たるべし、白繭巴の斯土拉的氏、額拉斯哥の典南的氏、李圖の馬赭爾氏、及額托氏、南蘭加舍の比爾(ピール)氏、亞斯窩士氏、培禮氏、非爾田氏、亞斯敦氏、黒烏徳氏、燕斯窩士氏の如き、皆是なり、比爾(ピール)の族、尤もその傑出せるものなり、