實業と文學

「實業と文學」と云ふ題に付いて御話をする前に、實業と云ふ言葉に付いて一言して見 たい。此頃は實業と云ふ言葉が、大分世間で言觸らされて居るけれども、一體實業と 云ふことは何を意味するのであるか、われ/\には明に能く理解されぬのである。 世間では實業家と云ふ言葉を使つて居る。さて其の實業家といはれて居る人に就い て見ると、これは種々な事を爲す人であつて、或は事業を直接にして居る人もある。 或は實業をホンの監督だけして居る人もある、たとへば、理事だとか取締役とか監査 役とかいふ名義だけもつて、實は金持といふより外ない人々の如きである。或は相 場などをやつて居る、隨分いかゞな種類の人々もある。或は又陸海軍の御用などを 伺つて、少なからぬコンミッシヨンを取つて居る人たちもある。かういふ様に實業と いふ言葉の上から、其の名の下に居て、自分も許し人も許して居る人々を見ると、一體 どう云ふのが實業家であるか、われ/\には判斷の出來兼る場合もある。それから 又近頃は、實業教育といふことを大層やかましくいふ。しかし此の實業教育と云ふ のは、文部省でひとり極めにして居る言葉で、其側で云ふと農工商水産商船と云ふや うな種類の學校で教育することを實業教育といつて居るらしい。しかしながら、一 方に工科大學理工科大學があり、一方に農科大學がある。これらの大學教育は文部 省で云ふ實業教育の範圍内にははいつて居ない様である。かう云ふやうな次第で、 實業家とか實業教育とかいふ名稱の上から見ても、亦それらの言葉のあてはまる人 物學校等の上から見ても、實業といふ言葉は誠に曖昧なものであるといつて宜しい。 單に實業といふ時には、何か一方に虚業といふやうな者でもあつて、全く不生産的の 業務に對して、生産的の業務か何かをいふやうにも聞えるが、是も随分曖昧な話であ る。例へば文學者が新聞記者となつて新聞を拵らへる、或は戯曲家となつて芝居の 臺帳を作る。或はまた法律家が法律を作る、規則を作る、契約書を作る。軍人が戰爭を する。醫者が病人をなほす。理學者が大發明大發見をする。是等も矢張一の實業 と見ねばならぬであらうと思ふ。故に業務の上からいへば、どんなものでも皆實業 であらうと思ふ。それゆゑわれ/\の見る所に依ると、實業といふ言葉は隨分曖昧 なもので、此の言葉の下にハツキリとした意味を附け加へることは、甚だ六ヶ敷と思 ふ。併し今日此の論題に實業と文學といふ名稱を用ゐる以上は、われ/\はまづ最 初に實業といふことに付いて、其の範圍だけを斷つて置かうと思ふ。

それで私が茲に實業といふのは、農工商等の生産的事業に従事して居る資本家及び 労働者兩方を含めての業務を指すので、此の篇で特に説かうと思ふのは、其の實業に 從事する資本家及び勞働者の中でも、特に勞働者の方を重く見ての側から立論する つもりである。

さて、此の農工商等の學術上の研究及び教育上の方法等は、この明治の二十四五年以 來非常に發達をした。教育の方針も段々と良い方に向つて行き、又學校も高等學校程 度のもの、或は中學程度のもの、或は補習學校程度のものと、だん/\と増加して來て、 誠に盛んになつて來た。それと同時に此農工商等、殊に工商に關する諸會社がいろ いろ起つて、西洋からも種々新しい方法や器械などが、だん/\と輸入されて來て、此 の會社の側の發達も非常に盛んになつて來た。今日では學校から養成せられて出 た所の人物も非常に多くあるし、又これからもあらうし、又諸會社に雇はれて、其の會 社の事業に當つて居る所の役人や職工工女も非常に多い、現にこれからも非常に多 くなつてゆく見込がある。従つて實業の上に於ける、技師技手及び勞働者の待遇法 に付いては、志ある所の人は非常に考を費さねばならぬことゝ思ふ。即ちこれらの 人々の職業上に於ての利害、たとへば賃銀健康學識等に付いては、貯蓄法とか工業條 例とか生命保瞼とか補習學校とかいふものを作つて、充分工夫を凝してやらなけれ ばならぬと同時に、又それらの人々が業務を終つた後には、どういふ樂しみをさせる、 どういふ慰みを持たせる、といふことに付いても、非常に考を費してやらなければな らぬことゝ思ふ。一例ではあるが、故の秀英舎の長であつた佐久間貞一君は、此の點 に非常に良い考を有つて居た人であつて、佐久間君は秀英舎に於て多くの職工を使 つて、其の職工の業務上のことでは、種々規則を立てゝ、訓戒して行かれたと同時に、又 それらの職工の慰安のためには、自分の愉快を殺ぎ、自分の利益を抛つて、いろ/\考 案を盡されたのである。私は佐久間君の未だ在世の時分に遇つて、同君からその話 を聽いて、いかに同君が此の同胞の爲に心血を濺がれしかの話を聽いて、そうして秀 英舎の事業がアー云ふ風に大きく發達したことの、一朝一タでないのを悟つたので ある、非常に佐久間君の用意の周到と人物の高尚とに感服したのである。それで、斯 ういふやうに、多くの勞働者を使つて、勞働者の利益を計り、又勞働者に快楽を與へる といふことは、どうしても實業に従事する資本家の一大責任として考へなければな らぬことゝ私は思ふ。啻に實業に從事する資本家の責任として考へなければなら ぬことばかりでなく、苟くも社會に立つて、社會の幸福を増進しようと考へる所の人 は、是非此の點には充分の考を費さなければならぬことと思ふ。かう話して來て、さて、東 京及び地方に居て實業に從事して居る資本家が、どの位此の點に其の心血を濺いで 居るかと注意して見ると、これはなか/\問題である。社會の人も亦此の點に充分 注意し、そして滿足して居るかといふに、これもなか/\容易に承知は出來ぬのであ る。

所謂實業家といつて居る頭領株の者に就いて見ても、彼等の理想、彼等の快樂などい ふものは、果して如何の者、如何の程度であらうか。われ/\は茲に之を詳説する時 日を有たぬ。よし時日があつたにしろ、われ/\は詳説するを屑しとせぬのである。 それ故こんな人々の事はそれとして置いて、私は私自身だけで、不断此の勞働者其の 者の快樂の爲めに、聊か考へて居る所の意見を述べて見ようと思ふ。

さて東京の労働者の快樂ともいふべきものを見ると東京では割合にその方の趣向 も設備も多いのである。例へば寄席であるとか、芝居であるとか、或は飲食店である とか、かういふ處では割合に純潔に樂しむことが出來るのである。無論東京でも賭 博の如きものがはやらぬではない、又矢場楊弓場遊廓の如きものが無いではない。 しかしそれらのものゝ外に、快楽の組織の比較的に備つて進んで居る東京では、前云 ふ通りに、大きな芝居も幾つもあるし、立派な寄席も澤山あるし、比較的にやすく酒も 飲めるし、又甘い物もやすく食へる。かういふ側で勞働者が、少くも幾分の愉快と安 慰とを求め得るといふことは確にあると思ふ。しかも東京の芝居であるとか、寄席 であるとかいふものゝ中には、時々教育的の價値のある者があるから、其點では直 接に勞働者に偸快を與へることの外に、間接に教育を與へることもある。しかしな がら地方では、足尾や別子の銅山であるとか、或はタ張や三池の炭山であるとか、マア これはたとへであるが、かういふ都市から離れた場所にある工場などに於いては、都 市の様に快樂を與へる設備、比較的に純潔の快樂を與へる設備は、決して求めても求 め得難いのである。さういふ所では重もに下等な飲食店があつて、しかも不潔な飲 食店があつて、其處で飲み食ひするか、又は賭博かなにかで勝負事でもするより外は、 此の勞働者といふものゝ平日の艱難辛苦を慰めるだけの途を求め得難いのである。 よし又貯蓄する所の金があるにした所で、それは萬人の中に何人といふ位な割合で 貯蓄するのであらうが、それらの者すら事によると、隨分悪友の爲めには貯金を奪ひ 去られるといふ事である。それでも貯蓄する者はそれでよいとして、その他の多く の者は汗水垂らして稼ぎ得た賃銀をば、大抵はつまらない飲食店、又は賭博に浪費し てしまふ事である。丁度日清戰爭の時に、兵士が戰争中にもらつて貯へた金を、凱旋 の日に一朝長崎の丸山で撒いてしまつたのと同じ話である。又二十七八年の戰役 後、臺湾が開けて多くの人が臺湾に行つたが、大抵な人は多くの金を取つたには取つ たが、しかし大概其處でつかつてしまつたのと同じ話である。これが世間の通例の 有様である、これが普通の人情である。それであるから勞働者を何時までもこの儘 にして置くことは、誰が見ても宜いとは言はぬのである、誰もこの點に付いては一考 を要するのである。殊に世の宗教家であるとか、社會學者であるとかいふやうな人 は、きつと始終心配して居ることであらうと思ふ。

これらの勞働者は、どういふ因果かは知らぬけれども、勿論中には自身の不徳乱行の 結果として、自業自得で此の業を取るものもあらうが、しかし中には全く社會の生存 上、已むを得ず此の業務に従事するといふ人も多いのであらう。もしかういふ場合 があると見たら、即ち此の世間の事を何にも知らない純粋無垢の人問が、生存上の必 要から、かういふ業務を取らねばならないといふのを見たら、社會ではこれらの人々 をまるで世間見ずにして置いて、まるで教育を授けないやうにして置いて、きうして 其の勞働はといへば世界一般のよりも多くの勞働をさせて置いて、さうして報酬は といへば比較的に少い金額で、快樂はといへばまるで相談にもなつてやらぬといふ やうでは、これは天下の人道が決して一日も許すべきことでないと私は思ふ。それ で私は勞働者の快樂の側での、この缺陥を補はうと思つて、この社會に向つて文學を 是非傳播したいと切に希望するのである。

文學といつても、今日までの國文とか漢文とかいふやうなものを此の社會へ傳播し ようといふことではない。又いくら傳播しようとしても、所謂國文漢文が是等の社 會にはいるべきものでない。私の希望する文學といふものは、今日勞働者などが普 通に使つて居る所の普通の言葉で書いたもので、しかもその上には色々な點からこ の勞働者の爲めになることを多く書き添へたものをいふのである。例へば勞働者 に向つては、世間の智識を與へることも必要であらう、又面白がらせて爲めになるこ との外に、可笑しい事やら悲しい事やら、種々な點からして快樂を與へるやうな事柄 を書いた物を讀ませるのも必要であらう。又知らず識らず讀む中に、その人々が自か ら人格を高めて、さうして社會に立つて一の事業をしようとまでに、興奮させるやう な手段を取つたのも必要であらう。或は經濟思想を富ませるとか、或は耐忍の氣風 を養成するとか、斯ういふやうな側も之に伴つて容易に教へることの出來るもので あらうと思ふ。で、無論大きな都市になれば、美術館とか、博物館とか、動物園とか、植物園 とか、其他種々の陳列場などいふものに依つて、これらの人を教育するのも一の方法 であるが、しかしそれは都市の如き所に於て、始めて望み得べきものであつて、田舎な どの、しかも工場附近の地などに於ては、なか/\そんなものは求め得難いのである。 それも前いふ通り、實業に従事して居る資本家といふ人々が、佐久間氏のやうに勞働 者の苦樂といふものを、自分の苦樂とするやうな人であるなら、それは或は求め難い ともかぎらないが、今日のやうな資本家全般の有様では、これは到底望めぬことであ る。これが望めぬことゝすれば、文學ほどたやすく勞働者の手許に達し得られるもの はないのである。即ち子供のうちに小學校で教はつた所の文字と言葉と、此の二つ の者でたやすく書いた文章を讀むのであるから、その上にさまでの困難もなく、又さ ほどの金もかゝらず、樂に目的は達せられることだらうと思ふ。それゆゑ文學者の 方でも、その考になつて、この多數の悲しむべき同抱の爲めに、此の大目的を達せさせ ようと、念顧こめて筆を執る文豪が出て來ねばならぬ。かゝる人の出て來べき事は、 もう今日の時勢に迫つて居ることと思ふ。この側に多くの文豪が出て、この勞働者 の友人となつて、その人々の爲めに大に助けもし、又他に向つては充分主張もしてや つて、社會の權義上の不平均を來たさぬやうに、考へてやらねばなるまいと思ふ。し かし私は明にいふ、文學者は決して勞働者のみの友達ではないと。さりながら、私は 同時に又明にいふ、勞働者の友人としての文學者が、此の社會に居らぬことは、國のた めに甚だ嘆くべきことであると。前にもいふ通り、この勞働者は主張すべき權利を 有つ、さりながら之を主張する方法は知らぬかも知れぬ。此の勞働者は訴ふべき所 の事柄を澤山もつて居るかも知れぬ、さりながら之を訴へる方法は知らぬかも知れ ぬ。かういふ場合には、文學者はこれらの人々の爲めに、進んで代理をすべきである。 さてその代理をしようといふには、やはりその普通の生活などに付いては、充分に知 つても居、又始終考を抱いて居て、どういふ點に於いて苦痛があり、どういふ點に於て 社會の方に無理がある、といふやうなことを知らねばならぬのである。

今までいつた事を、今一度約めていへば、第一私は文學を以て勞働者に快樂を與へ、同 時に之を教育するものとしたいといふ。第二に私は文學者其の人に向つて、せめて 一人でもよいから、勞働者の友達となり辨護士となつてもらひたい、と希望するので ある。

序であるから一言する。實業教育もだん/\盛んになつて、文部省あたりでも熱心に やつて居るけれども、私の見る所では、以上縷々述べた裏面の事は、なか/\手が行届 かなくむづかしいことゝ思ふ。實業學校などで、倫理科などゝいつて講釋をして居 るけれども、この倫理科といふものは、なか/\影響の少いものである。この上では 今までの頭領や親方の家で、師弟の問に養はれた情誼ほどの氣風を養成しかねるの である。又實業學校で倫理科の先生のしやべくる所は、江戸ツ兒などが寄席へ行つ て、源平盛衰記であるとか、太閤記であるとか、たゞしは又義士傳であるとかいふもの の話を聽いて、得る感化よりも遙に少いものではないか。或は芝居に於いて、われわ れの見る所の、寺小屋だとか、幡隨院長兵衛だとか、鹽原多功とか、一心太助とかいふも のは、倫理の先生の講釋よりは、遂に多くの感化をこの社會の人々に與へるのではな いかと私は考へる。倫理の講釋をする此の側の教師は、社會の半面即ち暗黒の半面 を見なければならぬ。かういふ側は今日の實業教育に於いては、まだ充分研究され て居らぬことと思ふ。そんなことでは到底生きた人間は取扱へないのである。そ れで實業教育の上でも、盛に文學を起して傳播させて、これらの學校を出た生徒は、一 生この方面の感化を忘れない、一生この方面の趣味を増進させて行くようにさせね ばならないのである。今日の實業教育は、新しく興つたものとしては、たしかに效果 に富んで居る。しかしこの側には、とかく個人主義であるとか、拜金主義であるとか、 飲食主義或は又情慾主義とかに陥り安い傾向があつて、人格を高める事や、家族のた めの事や、人のための事や、國家のための事やは、或は講ぜられて居ないかの謗がある かに聞く。鳶の者や藝者などにすら、頭をさげねばならぬやうな人物もあるかに聞 く。これは單に教育家のみの事ではない、社會の人が全體餘程注意しなければなら ぬことだらうと思ふ。かういふ點からも、今私が繰返していふ、平易な言語と簡單な 文學で健全な文學を起し、ためになる事と面白い事とを多く集めて、これを此の社會 に廣く傳播するやうにしたら、これは學校其物よりも遙に勝つた結果を收めはしな いかと信ずる。それ故に私は此の實業界、殊に此の實業界の下層ともいふべき勞働 者、しかもわれらの同胞たる勞働者のために、新文學の起つて來るのを望むと同時に、 此の新文學に依つて、これからの同胞が一日も早く其の地位を高め、其の品位を高め、 幸福に生活をなし得るやうになるのを切望するのである。                    (明治三十五年八月稿)