國民教育と國語教育

今日は私に何か國語の事に就いて一席の演説をしろといふ幹事からの御注文でご ざいましたが、尤も其の御注文も大分前から受けて居りましたが、しかし誠にいそが しい身で、十分に用意することが出來ませぬで、不完全な御話をするのは、甚だ殘念に 存じます。しかし折角の御所望に對して、全く背を見せて逃げてしまふのも聊か卑 怯な次第でありますから、ホンノ考へ附いた事だけを申述べて、其の責を塞がうと存 じます。

私の今日御話しようといふ問題は、「國民教育と國語教育」といふので、國語教育が國民 教育にどういふ關係を有つかといふ事を申述べて見たいと思ふ、是れは單に私一己 の考で、後では十分に諸君の御批評を仰がうと思ふのである。大分嚴めしく國民教 育といふやうな事を掲げましたが、もと私は教育の事、殊に此の國民教育の事に就い ては門外漢であつて、平素此の上で深く考へた事もなく、又泰西の學術などを研究し たこともありませぬが、諸君は西洋の教育家の種々の説を御承知でもあらうし、又日 本の教育家の御説も能く御存知であらうから、私の考へ附いた國民教育と諸君の御 存知になつて居る國民教育とは、或は異る所があるかも知れない、此の點は十分に諸 君の御專門の教育といふ側から、御批評あらむことを希望いたします。たゞ國語の 問題に就いては、日頃多少考へても居りますから、此の點だけでは幾分か諸君の御參 考にもならうと思ふ。もしさうなれば私は最も滿足に思ふのであります。

本論に入る前に當つて、少しく維新前後の教育の大體に就いて申述べて見たい。其 の教育の上でも、殊に讀書、此の讀書といふ事に就いては御維新前後に非常な懸隔が あると私は思ふ。諸君は本邦の教育の歴史の上に於て、又國文學の歴史の上に於て、 十分御承知でありませうが、我邦で此の読書といふ事を始めて以來、御維新に至りま すまでに、それがどの階級に重に行はれて居つたかといふ點を調べて御覧になると、 餘程面白い事があらうと思ふ。例へば日本に初めて文章が這入つて來て、文字を讀 むことの始つた時はどうであつたか。御承知の通り三韓から文字が這入つて來た が、其の文字の開拓は重に立派な皇族方が始められたのである。續いて佛教が這入 つて來たが、佛教の經典の研究は、やはり當時の皇族或は貴族などに依つて開拓され 又た傳播されたのである。かういふやうに、漢學にしろ・佛教にしろ・文字が伴つて這 入つて來て、其の文字文學が私の謂ふ讀書(よみかき)の側に應用されたのは、當時我邦の中心た る朝廷及び朝廷に最も關係のあつた貴族社會、續いては僧侶社會に初めて種を蒔か れたからで、其の社會から段々接がつて次第に全國に及ぶやうになつたのである。 王朝時代は先づこんな風に進んだのである。

次に鎌倉時代足利時代を御覧になれば如何であるか。高尚な文學でなくても、普通 の讀書()といふ事が、僧侶の手に在つたことは誰も御認めになることゝ思ふ。此の僧 侶の外には、當時餘り勢力はなかつたが、しかし、やはり公家様といふものが一階級を 占めて居たことも御認めになるであらうと思ふ。

降つて徳川氏の時代になつて文運が非常に盛にはなりましたが、猶ほ全般の上から 見ると、普通の讀書を習ふ、或は普通の教育を受けるといふ事は、寧ろ武人社會に限ら れたと言つて宜しい。此の時分にも公家や、信侶の連中は、依然として讀書に従事し ては居つたけれども、大部分は武人の手に握られてしまつたといつてよろしい。し かし此の武人の教育の上を御覧になれば、當時の武人の讀書の上の心得は、政治のた め・道徳のため・處世のために習ふのであつて、昔のお公家様のやうに、詩歌のためや、又 は宗教家のやうに、宗旨のための讀書ではなかつたのである。しかし、ひきくるめて 申せば、御維新までは、貴族であるとか、僧侶であるとか、或は武人であるとかいふ者に 殆ど讀書を、専有されて居つたと暫言して差支ないと考へる。勿論徳川の時代にな つてから、農工商の教育も多少起つて來なかつたではない。東京大阪京都名古屋の 如き、さういふ大都市には、寺小屋といふものが出て來て、さうして庶民に手習を教へ た。しかし、これはごく小さい區域に限られて居つた事で、農工商全般に寺小屋があ つたといふ譯ではない。若し偏僻な地に於て「いろは」位を習ふことが出來たのなら、 それはお寺の坊さんの所へ行つて、髪こそ剃らぬけれども、殆ど小坊主同様な形にな つて、字を覺えるといふのが普通の有様であつた、之もお寺がなければそれまでの事 であつた。しかし徳川時代の文學史を御覧になつた諸君は慥に御認めになりませ うが、徳川の政治に於て庶人の讀書()は、武人社會のために壓迫されて居つたのですが、 自然と圧迫が壓迫しきれなくなり、とう/\今日の言葉を以て言へば、平民社會・此の 平民社會に文運が生れいで、さうして長足の發達をするやうになつたのである。お 伽草紙・くさざうし其の他種々の小説が出て來るやうになつたのは、御存知の通りの 次第である。又た歌の如きも俳諸・發句・川柳といふやうなものが起つて來たのであ る。これはいくら壓迫しても壓迫することが出來ずに、自然に氣運が向いて來たの であります。さうは申しますものゝ、全般に於ては、讀書は武人の手に専有されて居 つて、武人以外の農工商輩に、文學上教育上の重なる權力が與へられなかつたことは、 明に断言して差支はない。

それで單に貴族を尊ぶ・僧侶武士を貴ぶといふ點からばかり設明しては、讀書()が一部 の階級に限られて、國民全般に擴まらなかつた事の充分の解釋にはならない。諸君 は同時に維新前の制度の上の事を少し調べて御覧にならなければならぬ。御存知 の通り、維新前は大抵階級主義を採つて、公家でも武士でも何れも世襲の公家又は武 士であつた。農工商もやはり世襲の農工商であつたから、そこで智識を磨くとか、思 想を交換するとかいふことは、自然に必要が無くなる傾向があつたのであります。 八百石なら八百石の家に生れゝば、馬鹿でも發明でも八百石の祿を維持することが 出來る、しかしそれより以上には進めない。又た町人と生れゝば、どんなに敏腕な人 で財政上の智識があらうが、政治上の技量があらうが、到底武士にはなれなかつたの である。此の如き制度であるから、自然に知識が一階級に限られて、他の階級まで擴 がる必要を認めなかつた。即ちその主義の結果としては、「之ニ依ラシムペシ・之ニ知 ラシムベカラズ」といふやうな方針で、多くの人に文學を教へ、知識を開發するのは政 治の上に危険であるといふやうな考も有つたと申さなければならぬ。諸君は又た 同時に當時の國是といふ事も考へられねばなりませぬ。例へば鎖國主義のやうな もので、知識を世界萬國に求めることなどはせずに、此の小さい島に閉籠つて、外部の 刺激を蒙らないやうにした政治の方針は、やはり此の讀書を、廣く一般の人に弘めな かつたことに與つて力がある。しかしさういふ主義で國を治めきれたか、どうかと いふに、それは到底出來ぬ事で、とう/\御承知の通り、御維新の時に大破裂をしたの であります。

諸君は又た同時に御維新前には交通機關の不完全であつた事をも記臆せねばなら ぬ。例へば手紙を一本書いて東京から大阪なり長崎なりへやらうといふ時分は、其 の飛脚制度が非常に不完全であつて、幾ら多く手紙を書いても、その割合に届け方が 不自由であつた爲に、つい其の度數を滅ずる様な傾があつたのも、一の注意すべき事 實であらうと思ふ。即ち其の時分の有様を見ますれば、大抵交通上の區域が出來て 居つて、例へば名古屋領なら名古屋領の人が交際をするのは、まづ大方名古屋領だけ に限られて居つた。和歌山は和歌山、福岡は福岡で限られて居つた。例へば熊本と 鹿兒島とはあれだけ近接して居るが、封建時代では公用の外は殆ど書面の往復はし なかつたさうである。斯ういふやうに封建の主義の上から各藩が獨立して居つて、 其の間の交通は少なかつた。よし又た幾ら交通しようとしても、飛脚制度が今日の やうに發達して居らぬから、幾ら用を辨じようとしても充分でなかつたと思はれる。 斯ういふ側から見ても、讀書は必要なものとして認められることが、薄かつたと云ふ ことは申されようと思ふ。

又た印刷術の如き、製紙事業の如き、それらが發達しなかつたのも一の原因で、徳川氏 の時代にあつては、王朝時代や、鎌倉時代よりは印刷術も製紙事業も非常に進んでは 來たけれとも、其の事業を今日の目から御覧になると、至つて幼稚なものである。そ れゆゑかういふ側でも讀書を容易くして、どの人にも讀書が出來るやうにするとい ふ材料が十分整はなかつた。是れも確かに一原因に數へられようと思ふ。

さういふ譯で御維新までは、讀書は社會の或る階級に限られて居た。たとへ或階級 に限られたときつばりは申されないまでも、或階級以外には、一部の人のほかは其の 自由を有つて居なかつたと斯うは申されようと思ふ。

ところが御維新後の有様を御覧になればどうである。即ち明治元年の三月十四日 に下し賜つた五個條の御誓文といふものがある。諸君が御存知の

一、廣ク會議ヲ興シ萬機輿論ニ決スベシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フベシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
一、奮來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ
である。此の御誓文に於て日本在來の政治の主義は根本的に打破されたのである。 其の結果は二十三年に憲法の制定となり、遂に今日の立憲國となつたのである。さ うして御維新以後は諸君が今日實際に御覧になるやうに、政治といふものは、國民の 中の最も此の側に秀でた人々が、天皇陛下の御命令の下に、執行するやうになつた。 むかしの公卿であるとか・大名であるとか・武士であるとか・僧侶であるとかに當る人 人は、今はもはや政治上には特別の権利を有たぬのである。

御維新後の我政府は明治四年の七月に文部省を立てた。明治五年には現在の高等 師範學校の前身である、東京師範學校が立てられた。同五年には故の大木文部卿が 全國に學制を布かれた。此の學制の下に、普通教育といふものが、初めて全國に施か れたのである。小學校令の方では其の後明治十九年二一十三年・三十三年等に改正は あつたけれども、國民の義務教育を受けなければならぬ事、國民の就學年限は六年よ り十四年までといふ事の根本的の基礎は、明治五年の此の學制に基いたものである。 つまり國民は總べて教育を受けなければならぬことゝなつた。御維新前までは一 般國民は政治に關係することは出來なかつたけれども、愈々大改革を決行して、同一 に參政の権を國民に與へた以上は、其の國民は教育されたものでなければならぬ、相 當の智識相当の判斷力を有つて居る者でなければならぬ、文字を讀み、文字を書き、何 處へ出ても充分に意見を述べ、充分に意見の書ける、しかも其の正しい所の意見をば 實行することの出來るだけのものでなければならぬ。斯ういふ主義に基いて明治 五年に普通教育が一般に布かれるやうになつたのである。

此の前後に於て、諸君の御存知の如く従衆封建制度の下にあつた各藩は皆な廢せら れて、府縣といふものになつた。又鎖國主義を廢して五港を開き、外國との貿易等も 始められた。續いて郵便の制度、電信の制度、鐵道の制度、かういふ交通機關が段々と 輸入され、今日では電話なども出來て居る。又外國との交通、海運事業が開けて、外國 と交通することも非常に進んで來た。又一方に於ては活版事業が長崎の本木昌造 といふ人に依て開かれた、即ち今日の築地活版所の本元であるが、之に依つて在來の 木版などは、だん/\捨てられるやうになつた。又紙を漉くのでも、今迄は一枚々々 にすかして拵えたのですが、今日は器械的に蒸氣汽罐を應用して盛に紙を拵えるや うになつて來た。かういふやうな次第で、御維新後に於ては、讀書()といふものが、非常 に趣を異にしてしまつた。即ち今日では日本國の國民としては、義務として讀書()を しなければならぬことになつたのである。

さて國語の教育といふものが國民教育の一部分を掌つて存在する以上は、第一に以 上述べた點に眼を注がねばならぬと思ふ。續いて現在吾々の國語教育といつて居 るものは、前に御話する通り、御維新前の貴族であるとか・僧侶であるとか・武士である とかいふ者の間に發達した所の國語教育であるが  多少進歩はしましたが、まだ まだ此の方に重きを措いた國語教育であるが、−−其の國語教育を御維新後立國の 精神から變つてしまつた今日に、其の儘あてはめて善いか悪いかといふことは、研究 しなければならぬことである。無論今日此處に居られる諸君は、誰一人として御維 新前の國語教育を、今日其の儘用ゐて差支ないと言はれはしまいと信ずる。しかし 或は諸君の中には、維新後の國民教育を施す上に、知らず識らず維新前の國語教育の 主義を應用して居るといふやうなことを、御感じになる方はありますまいか。私は 今日其の點に就いて、特に意見を述べて、諸君の清聽を汚さうと思ふのである。

私はこれまで御維新前と御維新後との讀書の間に大なる境界のあることを申述べ たのであるが、これからは今日吾々が國民教育の上に於て、國語教育に對し、これこれ の必要を感じて居るのではないか、といふ其の點を列擧して見ようと思ふ。

第一立憲政治の思想 國民教育には、どうしても此の思想が容易に分かるやうに 汎く教へ込んで置かなければならぬ。今の日本國は、王朝時代幕府時代の日本國と は性質が違つて、憲法制度の下に存在する所の一の法治國である。即ち日本國は  天皇陛下の統御せられる所であるけれども、一方には帝國議會があつて、參政の權を 有して居る國民は、此處に自已の代表者を出すことが出來るものである。前に御話 した通り、王朝時代や幕府時代のやうに、士農工商等の階級が立てられて居て、農工商 は人間でないといふやうな待遇を受けることはなく、技師であれ、商人であれ、農夫で あれ、均しく同一の權利を以て進むものである。又今迄の如く武士のみが國を守る といふ義務を有つて居るのでなく、國民一般に兵役の義務を負ふのである。國民一 般に租税の義務を負つて、總べての經費を辨ずるのである。比等の義務を負ふかは りに、國民は政治に向つて、どこまでも自分の主張を貫徹することが出來るやうな仕 組になつて居る。又一方に自治制度が布かれて居て、府縣市町村に各其の政治を執 つて往く所の自由を與へられて居る。斯ういふ世の中に生れて來た國民は、如何な る考へを持つて進まなければならぬか。それゆゑ租税に對する考、兵役に服する考、 市町村の事務を自ら料理してゆく上の考、府縣もしくは國に對して盡すべき考、斯う いふ種々の考を養成してゆく側をば、どうしても國民教育の一要素として見て教へ なければならぬことになつて來た。此の事は、すでに今日の教育家も、其の必要を認 めて段々述べて居る。文部省に於ても法制經濟といふやうな科を置いて、之を弘め て行かうと考へて居る。しかしながら、そればかりではなく此の思想と、昔の王朝或 は幕府時代の思想と衝突することのないやうにするが教育者の一の務めであらう と思ふ。一例を以て申せば、普通教育に於て、立憲的の思想を以つて進むといふ時に は、成るたけ王朝時代幕府時代の政治的知識は少し教へても、今日の立憲政治の思想 を擴げるといふ側には、充分の方法を執らなければならぬ。王朝時代幕府時代の事 柄は却つて多く教へて、必要缺くべからざる今日の立憲的思想は誠に少しより教へ ないといふやうでは、これは餘程考へものであると思ふ。又歴史に於ても徳川氏時 代までは洵に研究が届いて居るから能く教へる。しかし御維新以後の歴史は極く 簡單なもので、大勢だけも分かつてをらぬといふやうではならぬ。例へば廢藩置縣、 征韓論、十年の役などいふやうな事に就いては、其の知識が少しもなくて、却つて昔の 奈良平安時代の政治の事や、鎌倉江戸時代の戰争や文物の事などが穿鑿立されるの は、或は專門家には必要かもしれぬが、普通教育上には餘り必要でないと言はなけれ ばならぬ。支那の歴史を御覧になつても、亦地理を御覧になつても、まづ現代の支那 の社會の観念、地理の観念が、確りとして居らねばいかぬ。それと同じやうに、成るべ く今日の國の成立、政治の有様はどうあるかといふ事を教へて、それから其の基礎の 上に幕府王朝の政治の仕趣は斯うであつたといふことを教へるやうにせねばなら ないのです。一言でいへば、立憲的思想を普及して貰ひたいといふが、今日の處國民 の側からの、一の注文であると思ふ。又それと伴なつて來るのは、此の頃やかましい 公徳問題であるが、收賄であるとか、何とかいふやうな事は、畢竟立憲國の主義が能く 分らぬから起つて來るので、さしづめ斯ういふ側の知識が、國民に擴がるやうにしな ければならぬといふことは、確かに申されようと思ふ。

それから又た今日やかましく言ふ所は實業の思想である。今日ではまだ普通教育 の側からいふと、實業教育即ち生産的の仕事をする教育を軽く見て居るかの疑があ る。斯ういふ事ではならぬ。普通教育の上で、日本全國の人が、皆な讀書をしなけれ はならぬといふ事を、根本的主義とすると同時に、實業を重んずる・生産的の事業を重 んずる。かういふ側の思想を、小學校からはじめて注ぎ込んで行く必要がある。世間 では中學校を多く拵える。しかし其の中學校の卒業生が、多數大學的教育を受けた いといふのは、これは非常な弊害である。大學を卒業して成功を得られるならば、實 業界に乗出しても充分の成功を得られる。人は子供の内はとかく大臣や大將にな りたいといふ虚名心を有つて居る。政治を重く見、軍事を重く見る側から考へれば、 大臣や大將などは、よつぽどえらいものかも知れぬ。けれども大なる會社を組織し、 大なる事業を完成するといふのは、男子にとつて實に立派な仕事である。かういふ 側の進歩がなくては、富國強兵などといつても、それはやはり空言に過ぎぬのである。 それゆゑ吾々は進んで、此の實業思想の普及を國民教育に向つて希望するのである。 次には所謂海事思想で、 これは海軍で肝付君などが始終唱へられることで、私が 申述べるまでもないが、我邦は海國として存在し、日本人は海國の國民でありながら、 洵に海事の知識が少ない。我邦が是から段々膨脹して、東洋に於ける覇権を握らう とか、世界に於ける覇權を握らうとか、いふのには今のやうな事では到底いけない。 どうしても海國の思想を國民一般に普及して、軍事上のみならず、商賣上にも海上の 權利を日本人の手に握るやうにするのが必要である。是は詳しくは申しませぬが、 此の要求を國民教育上で、充分に紹介して置くことだけは、だれも異論のないことゝ 斷言してもよいと思ふ。

其次は日本に科學(サイエンス)を植付けること 御存知の通り、御維新前には科學は多く我邦 に入らなかつた。よし入らうとしても、隨分ひどい目に遭つたのである。蘭學者が 種々の科學を研究するのに、非常に苦んだことは、徳川の教育史上で御承知の事であ らう。つまり徳川時代には、科學は一般に壓迫されたといつてもよいのである。し かしながら、御維新後に於ては全く勢を異にして、明治四年に文部省が出來ると同時 に、大學を置かれ、そして此の大學が、科學の爲に盡す所の研究所となつた。今の帝國 大學は此の大學の發達したもので、即ち種々の科學の研究所である。それで今日以 後吾々世界の舞臺に立つて、大きな仕事を爲さうといふには、是非とも此の科學の力 に頼らなければならぬ。例へば大きな軍艦を拵へると云つた所が、造船學機械學の 知識がなければならぬ。其の造船學機械學を研究するといふ上には、數學物理學の 知識は是非ともなければならぬ。或は弾薬を拵へるといふにも、やはり化學の知識 がなければならぬ。又醫學にしても、其の方の名醫にならうといふには、生理學とか・ 解剖學とか・動植物學とかの知識がなくては、到底成功は出來ない。かういふやうに、 今日の社會に立つて必要の事業を計劃しようといふ際に、其の土臺になるものは、此 の科學即ち「サイエンス」である。日本が今日より以後進んで東洋の局面・世界の局面 で大きな仕事を爲さうといふには、この「サイエンス」を非常に尊んで此の研究の爲に は充分の金を掛けて、どこまでも進んで保護奨勵して行くといふ覺悟を持たなけれ ばならぬ。しかし此の純粋の科學の側は、今日とかく世人から疎んぜられて居るや うである。今日の社會はいつも目先の事にのみ汲々として、永遠の事は考へて居ら ぬ。こんな事ではとても仕方がない。それ故吾々は熱心に科學を研究し又普及さ せるといふ覺悟を國民全般に特つて貰ひたいと思ふ。これは今日の處國民中一部 の聲ではあるが、尤も道理ある要求であると私は信ずる。

それから次には、文學及び美術を奨勵すること 御維新前後の社會の激變から、今 では社會が非常に殺風景になつた。丁度往古坂東武士が京都へ上つて、種々の滑稽 をしたと同じやうに、薩長土肥の少壮者が政權を執つて、社會の上流に立つやうには なつたものゝ、其の品位の上では依然として昔の勤番者の風であつた。そこで今の 社會には美と云ふものがなくなつてしまつた、萬事實利的になつてしまつた。此の 如くに社會が殺風景になり、遠慮會釋のない、無味淡泊な有様になつたのを、能く恢復 し、能く整理し、能く調和して行くのは何であるかといへば、これは純潔な文學と高尚 な美術とに待たなければならぬ。此の間肝付少將が大橋圖書館の開館の時に演説 せられたが、日本人ほど不作法な者はない、社交上の席上で専門家に向つて遠慮なく 專門の話をしかける、これは歐羅巴では許さぬことであるが、日本では全く無制限で、 たとへば席上に經濟家が居る、直ぐ取引所法の改正は如何である、御損をなすつたら うといふやうな事を問ふ、そんな不作法なことはない、日本の社會には社交上の禮儀 も妙味もないとかういふ事を肝付君が演説された。その通りである。そこで種々 な職業の人が集つて會をするとか、又は事業外に僅かの暇のある時分に、親威舊友な どが集つて樂しむとかいふ塲合に、吾々に無くてならぬものは何であるかといふと、 前申す通り文學及び美術の思想である。すべて文學美術は機械の油のやうな者で、 機械の車が單に廻はると妙を音がするが、其の間へ油がはいると、最も楽に最も圓滑 に回轉すると同じである。むやみに機械を擦つて火が出るといふやうなことを避 け、又衝突を避け、而も其の間の調和をさせて往くといふには、文學美術にしくものは ないのであるから、かういふ趣味を教育上で養つてもらひたいといふのも、國民中一 部の者の要求であると申して差支ない。

其の次には宗教的の思想の事である、 吾々が世の中に處して行くには、科學の力 ばかりでは到底安心が出來ぬ、是れは宗教の力に依て安心を得るより仕方がない。 此の廣い宇宙から見ると、──何千億萬里といふ限のない廣い大きな宇宙から吾々 を見ると、──われ/\はまことに芥子粒ほどの大きさもないのである。又古今 の歴史に徴しても、人類が今日の人類まで發達するには何萬年かゝつたか分らない。 況や此の人類が是から何萬年生きる者であるか、それも分らない。そうして見ると 吾々の命は一瞬時よりも短いものである。そうして見ると、われ/\は、場所の上か ら見ても時間の上から見ても、廣遠無量の此の宇宙間に、恰ど蜉蝣の生命を有つに過 ぎぬものである。誠にはかないものである。しかしこの一生は、かう観念すれば観 念する程、誠に貴いものであると知らねばならぬ。われ/\が死ねば、われ/\は二 度と再び此の世には生れぬものである。親戚といひ・友人といひ・夫婦といひ・師弟と いひ・君臣といふ・此のなつかしい間柄は、命のある間に樂しみ得べき事であつて、死ん でしまつては、もうとりかへしはつきませぬ。そこで此の貴い一生をどう暮すか、ど ういふ心得の下に過ぐすかといふ事が、問題となつて來る。かういふ側に向つて宗 教及び宗教家の説く所は、大に聽くべき價値があると思ふ。殊に中等社會より以下 のものには、其の必要が多いと思ふ。しかし私は、決して茲に耶蘇教とか佛教とか、具 體的の宗教に付いていふのではない。それは専門の學者たちの御研究に任せるの である。たゞ私の茲に主張するは、確固な信念を養成し、健全な宗教的思想をなるべ く發達させる様に、國民教育の上でも、弘く大きな考を以て進まねばならぬといふに 過ぎませぬ。これは無論ある論者からは、大に議論せられるだらうと思ふ。しかし 現代社會の状況に鑑みて、私は特に此の側の唱導を教育家及び宗教家に希望するの である。

此の外にまだ體育の事、女子教育の事等、今日の輿論となつて居るものがあるが、茲に は略します。さて今迄申したやうに、いろ/\の點を是非われ/\の子弟に教へて 貰ひたいと、國民から要求されたらどうでありませうか、これらはどうしても第一に 教へなければならぬ事と思ひます。吾々は昔の武士が廉潔とか、勇敢とかであつた 事等の話をするなとは申さない。けれども、斯ういふ事柄は、何を措いても教へたい といふ程のものではないと信ずるのである。例へば軍記ものでも、日記物語でも、此 等の書物は國民教育の上に吾々の請求する重なる事を措いてまでも、教揚で教へな ければならぬものではない。

私は本邦の國語教育は、今まで申した様な國民に必要な智識を成るべく採つて、此の 智識を與へるやうにする爲に、本邦の言語文章を教へるものであらうと主張するの である。もう一度申せば、國民教育を施す爲に國語教育を施すならば、今申したやう な、立憲思想であるとか。實業思想であるとか・海國思想であるとか・科學思想であると か・文學美術思想であるとか・宗教思想であるとか・此等の事を教材として教へるのが 本體であつて、それと同時に、此等に關聯して始終必要である言語文章を特に選擇し て教へねばならぬと主張するのであります。猶ほいひかへて見れば、小學校では國 民思想を養成して、其の國民思想にどの子供をも引き附けようといふ目的から言語 文章を教へるので、従つて小學校で教へる言語文章は多く國民思想に直接關係ある ものを選ばなければならぬ。小學教育より一歩進んで中等教育、即ち高等普通教育 に於ては、今申した國民思想を能く分らすやうにして、國民思想が生徒に理解される はかりでなく、今度は生徒自身が新しく國民思想を拵へ出すやうにしなければなら ぬのである。

結局、今日の國民教育國語教育は、遺憾ながら其の上に、多くの欠点があるといふこと になるのである。

そこでかういふ見方から、今日の國語教育の實際の有様を見たなら、どう批評が出來 るかといふことを申して見たいと思ふ。例へば現在小學校の國語教育の上に於て、 私は斯ういふ感を有つのである。小學讀本第一を御覧になると、其の半分は圖畫を 以て充たされて居て、其の半分が文字である。しかも其の文字は吾々が普通使ふ文 字よりは遙かに大きいのである。此の圖畫を用ゐるのは、大に理由のあることで、小 學教育は興味を感ぜしめて授けなければならぬといふ主義から來て居るのである が、たとへば或る讀本の第一枚は「ハ」の一字である。「ハ」は吾々が始終見ることの出來 る「葉」で、其の下に木の葉が四五枚描いてあるが、是は何の爲めであるか。滿六歳にな る子供は小學校へ行つて教を受ける前に、木の葉ぐらゐの観念は有つて居るだらう と思ふ。これだけの事に貴重な教科書の一頁はとられて居る。其の次の頁には「ハ ト」といふ字が書いてある。鳩などは何處へ往つても居る鳥ではない。それゆゑ其 の語は模範語となる資格のあるものではない。何處でも見ようと思つて見ること が出來るものならば、模範語として宜いが、さうでないものを模範語として讀本の入 門に置くといふのは、それはあやまりであらうと思ふ。此の例は「ハト」に限らない。 「ヘチマ」などもさうである。さて其處に何が描いてあるかといふと、鳩が飛んで居る 所と、立つて居る所と合せて二三羽描いてある。何の爲に畫があるかといふと興味 を起させる爲だといふ。けれども果してこれで興味を起さすことが出來ようか。 十中八九の子供は此の一二字の爲に一時間もいぢめられて、さて家へ歸つてから又 た本を出して引繰り返して見ませうか。殊に今日の教授法には掛圖といふものが ある、種々奇麗に彩色のしてある大きな圖で教へて呉れる。さうして見ると實物の 鳩を知つて居る者はいふまでもなく、掛圖の鳩を知つて居る子供が、讀本の中にある 鳩だか鴨だか分らない者で、興味を起しませうか、私は之を尤も疑ふのである。それ にもかゝはらず、かういふ類が二十何枚も集つて、七銭とか八錢とか價をする教科書 となつて、子供の父兄の頭にかゝつて來る。吾々はこの教科書の定價に、大なる不服 があるといふことを知つてもらはねばならぬ。又かういふ半分絵草紙のやうな讀 本で無ければ、國民教育が出來ないかといへば、決してさうでない、他に適當なものが いくらもあらうと思ふ。此の點は世の教育家に餘程注意して貰はなければならぬ。 西洋の讀本を見ても、こんな大きな字の書いてあるのはない。又一枚に一字しか書 いてなかつたり、字より繪の方が多かつたりするのは、何處の國へ行つても決してな い。實物を多く繪で示す教授法も、子供が家庭で用ゐる本にはあるが、國の教科書と して用ゐるものに、字より畫の方が多いといふのは決して無い。もし有つたなら、そ れは日本のだらうと思ふ。これは實に吾々の眼から見ると、馬鹿氣たものである。 是は充分に考へ直して、實際的且つ經濟的のものにして貰はなければならぬ。興味 が決して教育上の第一の主義ではない。巖粛な教師の下に、しばしば鞭うたれて、涙 と共に覺えた事に、成人後感謝すべき事柄が多い、といふ事を忘れてはならぬ。どう しても此の點に於て、今の讀本は興味に重きを置き過ぎて居るといはなければなら ぬ。もう一つは、事は極めて簡單であるが、影響は極めて大きいので、即ち「アイウエオ」 順と「いろは」順との配列方である。諸君はどの方を使つて居られるか知らぬが、電話 の帳面は「いろは」順になつて居る。帝國圖書館の目録は「アイウエオ」順でなければ引 けない。是れは極めて小さいやうでありますけれども、極めて關係の多いもので、今 後の人々が多くの事柄を覺えて行くのには、勢種々な目録を使はなければならぬ。 朋友の名を集めて置いてそれを繰るのでも、字引を引くのでも、解題目録を見るので も、一定したものがないと誠に不便である。それは「いろは」を採つても「アイウエオ」を 採つても宜しい。何れが便であるか不便であるか、それを今茲で争ふ必要はないが、 しかし斯ういふ事は小學校に於て、國民一般に一定の配列の順を立てゝ、練らなけれ ばならぬ事である。子供が後に實業に従事して、取引先きへ電話を掛けるといつて も、向ふの名を引くのにどう引いて宜いか分らぬやうな事では役に立たぬ。これは 小學校でよく練つておかねばならぬ點である。一體吾々が小學校に居た時分には、 「アイウエオ」「カキクケコ」を覺えると同時に「アカサタナハマヤラワ」といふのがすぐ言 へる様に、縦横に五十音を讀むことを練らされたものである。然るに其の練るとい ふことは、今日の小學校では、果して滿足すべき程、行はれて居るかどうか。私は尋常 小學の三年生位になつても、此の縦横の讀み方書き方が滿足に出來て居ないといふ ことを時々耳にするのである。是れは恰も小學に於て、「二二が四」、「二三が六」と九々を 覺えたやうに、寧ろ口調で練つてしまふより外仕方がないのである。是れはこれ迄 一週間位でやめたものなら、三週間にでも、五週間にでもして、充分小學校で能く練上 げて置いて貰はなければならぬと思ふ。後日に至つて文典を教へるのでも、二段の 働きとか四段の働きとか、かういふ事を教へるにも、直ぐ必要が起るのである。それ に又教科書の側も餘程改良して、もつと時勢に適切なものとして、實業界へ出ても直 くに役に立つやうに準備しなければならぬ。餘り徳川時代の教育風に流れて、單に 字ばかりを教へるから、今のやうな非難が多いのではないかと考へる。

それから又、小學讀本で教へる言語及び文字は、事實上社會の需要に伴つて居るか居 らぬかといふことも、研究すべき價植があらうと思ふ。今日迄の讀本の事はもう申 しますまい。しかし今日以後前申すやうな國民教育に必要なる點に應じて行かう といふ時には、小學校から其の準備をして行かなければならぬ。其の準備をなすに は、讀本の言語文字が今日迄のやうで善いか悪いかといへば、これは少なくも研究し てからでなくては即答が出來ぬ。一例を言つて見ようならば、西洋の讀本には臺所 道具たとへば「タワシ」なら「タワシ」庖丁なら庖丁、さういふものが澤山載つて居つて、實 際の言葉を擧げ、實物を擧げて示してある。家の事でもさうである。柱とか鴨居とか 閾とか、かういふ普通の言葉は、最初に教へなければならぬ。或は道具のやうな物で も、鋸とか錐とかいふやうな普通使ふものを先に教へなければならぬ。實業上鑿を 使ふ時分に、初めて「ノミ」といふ字を覺えるやうなことでは困ると思ふ。西洋に於て は成るべく一般國民教育の上から日用普通の必要なる知識を注入して、其の基礎を 築いて、子供に簡便に覺えられるやうになつて居るから、吾々もそれに傚つて、さうい ふ言葉文字を調査して、小學讀本に入れなければならぬと思ふ。又文章の如きも餘 り古い所の文體ではよくない。子供が普通使ふ所の言葉と文字とを綴合はして、文 章にするといふやうにしなければならぬ。それゆゑ私はかういふ側を調査して小 學讀本を改良する必要があらうと信ずる。

殊に中等教育では國語漢文は、寧ろ國民教育の機關といふよりは、高等教育の豫備的 の教育になつて居る。そこで其の豫備的教育の爲にむつかしい漢文や國文を讀む 方に流れ、又此の方に重きを措いてしまふのである。これは斷じて善い主義でない。 吾々は國民教育の上から、是非中學校の國語漢文科の上で實行して貰はうと要求す る點がある。其の點を充分教へきつて後なら、其の他の事を教へても差支ないが、其 の點が教へきれぬ程澤山あるのに、其の點を擧げて教へずに、古典流のものをまづ擧 げるといふのは甚だ悪いと思ふ。さういふ側から見ると今日の師範學校、中學校の 教科書等は、一つ之を大篩に篩ひとつて、前に申した國民思想の大勢に鑑みて、之を適 當なものにしなければならぬと思ふ。

教科書に伴つて教師の問題が起つて來る。是れは隨分迷惑な問題である。吾々現 に教師であつて、教師の問題を言ふと、自分で自分の首を縊るやうなことかも知れぬ。 が、考へた事は腹藏なく申上げて見ようと思ふ。さて教師が國文を教へる時分に、王 朝や鎌倉時代の文學を教へるとすれば、それは皆現代の文學を充分に發達させるた めに教へるのである、といふ覺悟を持たなければならぬ。又其の先生は明治の文學 はどういふ性質のものである、どういふ傾向になつて進まなければならぬ、といふ位 の理想を有して居る人でなければならぬのである。さういふ人でなければ、幕府時 代王朝時代の材料を中學程度の學校の教材にすることは出來ぬ。此の理窟を知ら ずに、昔の事だけを教へれば、それで國語教育が充分出來ると思ふときは、それは大間 違である。それは一の專門學者として、一時代一時代に付ての言語文章を研究し、之 を専門の學生に教へるといふのは別である。しかし教育上に之を用ゐるときには、 何のために吾々は萬葉集を講釋するか、何の爲に古事記日本紀を讀むのであるか、又 何の爲に紫式部の日記枕の草子を讀むのであるか、──無論漫然讀んでも決して之を 讀むことを悪いとはいはぬが、──併し教育家が教科書として之を用ゐる以上は、生徒 がすつかり讀めるやうになり、それを手に入れてしまつた後、其力を先生はどう使は せる積りであるか、此の點に着眼をせねばならぬ。折角手に入れたものを、卒業する と直に放してしまふやうなことではならぬ。一度握つたものを國民教育の上に用 ゐ、又明治文學を開く一要素とするやうにさせねばならぬ。しかし今日の教師が、果 してさういふ考でやつて居るか、どうかといふことに付ては、大分議論があらうと思 ふ。又教師が文法を説く、主に中古の文法を説く。其の中古の文法を説くのは、中古 の文を生徒に書かせようとして説くのであるか、明治の文をならはせようとして説 くのであるか、或は明治の言葉と中古の言葉とを調和して、新らしい軌軸を開かせよ うとして説くのであるか、此等の考なしに、昔の言葉はかう/\であると、殆ど對數の 表を諳誦するやうな事では何にもならない。昔と今とは言語文章にどういふ關係 があり差異があるといふことを知らずに、中古の文典を教へるのは、誠に迂遠になり やすいと言はなければならぬ。

又本を讀み講釋をする。本を讀み講釋はするものの、現在の日本人がどう發音して 居るか、日本全國の發音にはどれだけの違があるか、現在の發音の相違はどういふ風 にして矯正するか、といふ考のある先生でなければ、其の學課は半分眠つて居るので ある、死んで居るのである。どうすれば現在の發音の匡正が出來るかといふ所まで 分つて居なければ、其の先生は發音を教へるだけの知識はないのである。それゆゑ 吾々國民として此の教育の上に要求する點は、(一)昔の話し方の事より現在の話し方 の事を教へて貰いたい、(二)昔の讀み方の知識より現在の讀み方の知識を先に教へて 貰いたい、(三)文學的に慰みにするものよりは實際役に立つ事を教へて貰いたいとい ふのである。斯ういふ側に向つては、今日の教師となる人は、大に反省しなければな らぬだらうと思ふ。

又教科書や教師ばかりでなく、制度の上に於ても、吾々は國民教育の爲から變へなけ ればならぬものがあると思ふ。つまる所、今日以後は日本國内に於ては成るべく能 く調和して速かに仕事をして、外部に向つて大に事を爲すべき時代になつて居る。 支那の開拓などは日本國民の奮つてなすべき事であると思ふ。又東洋に事ある時 に、其大問題を解決するのも日本國民であらうと思ふ。さういふ大きな目的を以て 日本が是から進んで行くといふ場合には、内部の整理を充分に、しかも速にしなけれ ばならぬ。整理をする以上は、幾多の愛しむべき點も、吾々は斷然割愛しなければな らぬ。言語に於ても文章に於ても同じ事で、王朝から鎌倉足利時代を過ぎて、徳川時 代まで養ひ來つた所の言語文章は、吾々に取つて慕かしいものには相違ないが、しか し日本が鎖國主義を捨てゝ開國の主義を採つたと同じ様に、前途の大なる望を達す るためには、割愛しなければならぬといふ必要が起つて來る。既に國語問題に付て は、さういふ時機が到達して居ると思ふ。一例を擧げて見ようならば、日本の言葉を 早く統一してしまつて、日本語を覺えるに十年かゝつたものを、三年で覺えるといふ やうに簡單にして、其の残りの七年を外部の事に向つて使ふといふやうにしなけれ ばならぬ。即ち日本語に十年かゝつた者を三年で覺えると同時に、殘の四年で支那 語を覺え、殘の三年で英語を覺えるといふやうに、今迄一つ言葉を覺える時の間に、こ れからは三つの言語を覺えるやうにして往かなければ、中々競爭場裡に立つことは 出來ないのである。又國語が統一したならば、其の言葉を支那に弘める、朝鮮に弘め る、印度に弘めるといふことは、一つ考へて見る價値があらうと思ふ。英吉利の言葉 を御覧になるとよい。英吉利語は世界中何處へ行つても話されぬ所はない、今日英 吉利の強いものは、軍艦に金、次いでは言葉だといふ位である。例へば支那へ行つて 仕事をするにも、外國の言語文字を使つて仕事をしようといふのは大間違で、日本人 は日本の言葉、日本流の文字を何處へ行つても植付けて、早く其の國々の人に基言葉其 文字を採用させることを攻究しなければならぬと思ふ。日本人が今支那へ行つて 仕事をするといふけれども、下手をすると、今の清朝に於ける明朝と同じやうに、日本 人は支那人に吸收されてしまふかも知れぬ。支那人が字を書いたのを御覧になつ ても、亦其の漢文でも、日本人は支那人程になか/\上手にいくものでない。文字な どでも今日のやうな主義を採つて行けば、或場合には支那人を扶ける所か、支那人に 吸收される恐が充分ある。もし日本人が支那人を扶けるといふ勇氣を有つて居る ならば、支那の文字だといつて遠慮會釋はない、日本は日本流の二千五百年來使つて 居る此日本語を土臺として新式の文字を選定して、それを支那へ植付けて弘めるだ けの勇氣を有ちたいものである。このやうに考へて見ると、この國語問題は自國の 國民を養成するためばかりでなく、一歩進んでは日本の言葉を亞細亞大陸に弘めて 行く上に大いに關聯して居る。此理想を實現させる爲には、なほ/\王朝時代とか 幕府時代とかのものは成るべく整理して使はぬやうにし、今日の立憲國國民の言語 として耻かしからぬ立派な國語を早く作り出すやうにしたいものであります。大 分長くなりまして、御退屈でありましたらうが、私が國民教育及び國語教育に就いて 希望いたします點は大體かやうでございます、間違つて居る點不完全な點は充分に 御批評を願ひます。       (明治三十五年六月高等師範學校内國語學會演説筆記)