四、草野氏日本文法序

草野君が我が文科大學を卒業せられしは明治二十七年にして、恰も予が獨佛兩國の 留學を了へて歸朝したる年なりき。爾來君は地方の學校に教鞭を執られしが、不幸 にも肺患の侵す所となり、明治三十三年、終に白玉樓中の人となりたまひぬ。されど 君には今茲に公にするが如き良き文法上の著述あり。誠にこれ君が所謂、千金にも 換へがたき一日僅に二時間の生命期を以て執筆せられたるもの、一度之を繙き讀む 者、たれか君が熱誠に感嘆せざるべき、たれか此の夭折せる著者の爲に、一點の涙を濺 がざるべき。泰西の人いはずや、人は事業なり、學者の生命は著述にありと。しから ば即ち君今亡しといへども、君が精神は炳乎として此の書の上にあり。之を予輩が 此の數年間碌々として一事の爲すなく、一書の世を益するなきに顧みれば、君や誠に 予輩をして愧死せしむるに足る。君が名も國語の榮えんかぎり、永く國民の記憶す る所たるべきなり。聊か感ずる所を書して敢て序とす。(明治三十四年八月しるす)